2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
宝来公園で発見した東京市時代の痕跡 in 東京都大田区田園調布
今日はどこに行こうかなとネットで調べていたところ、東京市大森区田園調布時代の表札が消滅の危機にあるということで、急遽田園調布へ行くことにした。 現地に着くと前にミキサー車が止まっており、作業員もいたので、無事であることを確認だけして、しばらく周辺を探索してみることにした。 発見日 2023年5月30日 発見場所 東京都大田区田園調布三丁目 大田区立宝来公園 宝来公園案内図 大田区自然観察路「雑木林のみち」ポイント1 宝来公園の生物 宝来公園には高さ20mを越える大木群があり、貴重な野鳥の棲家となっています。また、園内の池やその周辺でも多くの野鳥や昆虫を観察することができます。季節ごとにどんな生…
交差点名を見て違和感を感じた。 「Kon-yacho」となっておるやん。 「紺屋町」は「こん やちょう」と区切って読むんか? 知らんかった。 いや、そんな読み方するわけないよね。 近くにあった千代田区エリアマップを見てみた。 交差点と歩道橋は「Kon-yacho」となっているが、町名は「kon'yacho」になっている。 どういうこと? 調べてみると 神田紺屋町、神田東紺屋町の場合、「Kanda-kon'yacho」「Kanda-higashikon'yacho」のようにアポストロフィ (') で区切って表記する。アポストロフィで区切らない「konya」のままでは「こにゃ」と発音する為「kon…
訪問日 2023年5月1、4、8、9日 訪問場所 埼玉県さいたま市岩槻区4-4-19 岩槻藩遷喬館 裏小路 旧秋葉邸 裏小路公園 岩槻藩遷喬館 奥に見えるのは岩槻藩遷喬館 遷喬館は、江戸時代後期の寛政十一年(一七九九)に岩槻藩の学者児玉南柯(こだまなんか)が青少年の教育のために創立した家塾で、後に藩校となりました。最盛期には梅林を伴った広大な敷地の中に、武芸稽古所、菅原道真を祀る菅神廟(天神社)、南柯の自宅「梅亭」、築山・池泉、展望台などが設けられていました。 現存する建物は、遷喬館の学舎(校舎)として使用されていたもので、十五畳と九畳からなる二間続きの教場を備えています。 江戸時代には全国に…
橋にまつわる記録を残したのが「銘板」だ。日本橋にはこの銘板が南詰東側と北詰東側(下流側の右岸側と左岸側)の袖高欄の裏側の2ヵ所にある。 撮影日 2023年5月21、25、27日 南詰東側と北詰東側の親柱と袖高欄 設置場所が川に面した場所にあり、橋上の高欄寄りを歩いていないと見えない。 袖高欄の裏側 これは対岸から撮ったもの。 写真を撮る時は、カメラ、スマホを川に落とさないように注意しよう。 まず、南詰東側からみていこう。こちらの銘板は竣工記念のもの。 本橋以明治四十一年十二月十五日起工四十四年三月二十八日成竣技師工学士米元晋一専當設計監工之任技手荒井春吉大崎貞一佐藤正太郎清水庄次郎坂口安彦杉山…
旧町名の住所プレート&電力プレート 佃島 in 東京都中央区
はっきり覚えていないが、どのくらいぶりの訪問になるだろう?月島の再開発がとんでもないことになっているという噂を聞き、今回はそれらを確認するために訪問することにした。 その報告は後日する(衝撃的、嘘でしょう!信じられないような光景が広がっていた。これは、あくまでも個人的感覚である。)として、今回は以前佃で発見したものも含めて旧町名の痕跡達を紹介することにしよう。 再訪日 2023年5月25日 発見場所 東京都中央区佃一丁目 ①京橋區佃島一番地 発見日 2020年9月7日 これは現存を確認することができた。 ②京橋區佃島三九番地 発見日 2020年9月7日 建物は残っていたが、この住所プレートがな…
皇居は何回も訪れているが、大体は通り過ぎるだけで、写真はあまり撮っていなかった。 この建物も視界に入っていたと思うのだが、気に留めることはなかった。 この日は、なぜかこの建物が気になり近づいて見た。 プレートを初めて見た。 何と「警視庁丸の内警察署祝田町見張所」と旧町名である「祝田町」と書かれているではないか! 「今頃知ったの、アナタ遅いね。」と言われるだろうが、ソノトオリダ。 訪問日 2023年5月24、25日 訪問場所 東京都千代田区皇居外苑 警視庁丸の内警察署祝田町見張所 丸い銅板屋根を被ったお洒落な石造り。 竣工年は不明だが、終戦時の皇居前広場を撮った写真にも出てくることから戦前に建築…
白山通り(水道橋駅周辺から文京シビックセンター周辺)沿道に落書きの防止やにぎわいの創出、区内観光資源のPRを目的に、文京区の観光情報をラッピングした配電用地上機器が10基設置されている。 配電用地上機器・・・電柱上に設置していた変圧器や開閉器を収めた地上電気設備。 ラッピング箇所 歩道を歩いていて最初に気が付いたのは⑥~⑩。家に帰ってから調べたら、①~⑤もあることが分かり、後日訪問して撮ってきた。 訪問日 2023年5月11、18日 水道橋駅から辿って行こう。 ① カラーコーンが邪魔😡。 ②文京梅まつり ③文京さくらまつり ④文京つつじまつり ⑤文京あじさいまつり ⑥文京朝顔・ほおづき市 根津…
さいたま市岩槻駅周辺観光マップ 木製サインを探す(2)19~36
シリーズ2回目の今回は19~36を紹介しよう。 19浄安寺小路 昔の武家屋敷 20広小路 昔の武家屋敷 21裏小路 昔の武家屋敷 時の鐘 遷喬館 22時の鐘 23裏小路 昔の武家屋敷 24時の鐘 遷喬館 25裏小路 昔の武家屋敷 26木の下小路 昔の武家屋敷 27裏小路 昔の武家屋敷 28岩槻藩遷喬館 29横町通り 昔の町屋 時の鐘 遷喬館 30横町通り 昔の町屋 31酒蔵資料館 32岩槻藩遷喬館 時の鐘 33天神小路 昔の武家屋敷 洋画家田中保生家跡 33江戸小路 昔の武家屋敷 岩槻人形博物館 にぎわい交流館いわつき 34江戸小路 昔の侍屋敷 35新小路 昔の武家屋敷 36天神小路 昔の武家…
甘酒で有名な神田明神鳥居際の老舗天野屋にはいろいろなものが展示されていた。 訪問日 2023年4月25日、5月6、11日 訪問場所 東京都千代田区外神田2-18-15 千代田区指定有形文化財(建造物) 平成21年4月1日指定糀室 附 明治37年室之図所在地 千代田区外神田二丁目18番15号所有者 糀室 株式会社天野屋 明治37年糀室之図 千代田区天野屋の糀室は、明治37年(1904)に建築されたもので、現在でも天野屋で製造・販売する甘酒や味噌などの製造に使用しています。 この室は、関東ローム層を地下6メートルまで掘り、天井をアーチ型に形成した地下室で、壁・天井には煉瓦が張られています。天野屋の…
さいたま市ホームページより (令和3年11月2日記者発表)岩槻区市宿通り~久保宿通りのトランスボックス(配電用地上機器)に日光道中絵図のラッピングを装飾しました。 岩槻区市宿通り~久保宿通りに設置されている歩道上のトランスボックス(配電用地上機器)5基に、「日光道中絵図」をラッピング装飾しました。 「城下町岩槻」としてのにぎわいを創出するとともに、観光案内サインを含めて掲載することにより観光客の利便性及び回遊性の向上を目指して設置しています。 1 設置日 令和3年10月25日(月) 2 設置場所 さいたま市岩槻区本町1丁目16番先外 (市宿通り~久保宿通り) 3 題材題材「日光道中絵図」天保1…
先日神田猿楽町を訪問した時、お神輿は建物の中に置かれていたが、今回立ち寄ると神田祭の為、外に出され、別な場所に移されていた。 お神輿 発見場所 東京都千代田区神田猿楽町 掲示板等に町名が変わったことが書かれていた。 発見日 2023年5月11日 発見日 2021年12月23日 発見日 2023年5月11日 まだ、あったのだが、あり過ぎると撮る気がなくなってくるので、これくらいにしておいた。 千代田区町名由来板 「猿楽町」界隈(安政三年・1856) 猿楽(のちの能楽)は、室町時代以降、多くの武士たちに楽しまれるようになりました。なかでも観阿弥世阿弥の流れを受け継ぐ「観世座」は、 江戸幕府から手厚…
訪問すると基準点が設置されている自治体がある。 見かけると見過ごすことができないのだ。 発見日 2023年4月27日 発見場所 埼玉県春日部市中央6丁目2(春日部市役所) 基準点本点の位置 東経 139°4519170 北緯 35°5821401 標高 6.147M 昭和53年11月 春日部市基標 自分の影が写らないように撮ったので、方向が違う。 上は北北東辺り。 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
「原宿クエスト建替え計画」仮囲いを活用した“原宿アートプロジェクト”
表参道を歩いていたら(オジサンも表参道を歩くのだ)、仮囲いに面白いものを発見した。 しかし、人通りがとても多く、写真を撮るのに苦労した。 きっと、歩いている人からは「邪魔だなあ、このオジサンは何しているんだ?」と思われたことだろう。外国人が多かったので、英語だと"What a nuisance, what is this old man doing?"かな? 訪問日 2023年4月25日、5月16日 訪問場所 東京都渋谷区神宮前1-13-14、13-21 あいさつ原宿表参道会は、明治神宮から青山通りに至るエリアで地域の安全や発展に資する活動を行っています。国内外から多くのヒトやモノが集まるこの…
特に予定はしていなかったが、富岡八幡宮の近くに来たので、久しぶりに参拝に訪れた。 訪問日 2023年4月22日 訪問場所 東京都江東区富岡 1-20-3 境内に伊能忠敬像があった。 以前も撮ったことがあるかもしれないのだが、記憶にないので、念のため撮っておこう。 近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。約二〇〇年前の寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷 (北海道)測量の旅に出かけました。忠敬先生はこのときを含めて全部で一〇回の測量を企画しましたが…
訪問日 2023年5月2日 訪問場所 埼玉県さいたま市岩槻区本町5-2526-2 さいたま市立岩槻小学校 樹齢約140年といわれている区内で一番大きなイチョウの木。 中に入れないので、校門のところから撮った。 とてつもなく大きい! 岩槻小学校のイチョウ 平成十九年三月三十日指定岩槻小学校の歴史と共に成長してきたイチョウで、入学式や卒業式などの学校行事には児童と共に撮影されてきました。学校に残る大正時代の写真には、大きく葉を広げるイチョウの姿を見ることができます。校舎の増改築により、周りの風景は 変わりましたが、学校のシンボルとして校庭の 中央に残り、今も児童を見守っています。主幹部は四本に分か…
この急階段を上から降りてきた。 この階段は「千駄木のおばけ階段」「お化けだんだん」「おばけだんだん」「へび坂」と、様々な名称で呼ばれているらしい。 この階段も、降りる時と上る時の段数が違うとか、太田道灌の子孫である太田氏ゆかりの亡霊が出るとか出ないという話が伝わっているようだ。 訪問日 2023年1月21日 訪問場所 東京都文京区千駄木1-11 右側に自然林が広がっていた。 以前も訪れたことがあるはずだが、中には入らなかったと思う。 「千駄木ふれあいの杜」 江戸時代、この辺りは太田道灌の子孫である太田備中守資宗が三代将軍徳川家光から賜った下屋敷で、現千駄木1丁目一 帯に及ぶ広大な敷地でした。 …
与野駅西口ロータリーに「与野駅(与野停車場)の歴史について」というレリーフがあり、それを見て、与野駅の歴史を辿ってみたくなった。 古くから市場の町として栄えていた与野町にも、明治三十年に新駅開設の気運が高まり、与野町長福島鍈太郎ら与野町の有志、有力者達が先頭にたち、町民が一体となった新駅開設のための運動が起こりました。こうした全町民の念願と努力の結果、明治四十四年(一九一一年) 帝国議会において、浦和・大宮間にあった大原信号所を拡張して新駅を設置することが可決されました。停車場の敷地面積は一町歩(約一ヘクタール)で、建築工事が着手された駅舎は、大正元年 (一九一二年) 十一 月一日に誕生し、盛…
さいたま市岩槻駅周辺観光マップ 木製サインを探す(1)1~18
岩槻駅構内にある観光協会に「さいたま市岩槻駅周辺観光マップ」が置いてあったので、もらった。 2023年5月1、2日は、散策中に目に付いた木製サインだけを撮っていた。この地図をよく見てみると木製サインは全部で54あることが分かった。2日の帰りに、観光協会の方に観光マップに書かれている木製サインにそれぞれ何が書かれているかわかる資料があるかと尋ねたところ、ないということだった。 ということなので、歩いて自分の目ですべて確認してみることにした。 誰がこんなことをしようと思うだろうか? こんな意味のないことを考えるのは自分だけかもしれない。 当然のことであるが、木製サインに書かれている史跡等にはすべて…
途中まで書いていたのだが、しばらく放置していたら、閉店してから、随分経ってしまった。 この記事を見て、八重洲ブックセンターが閉店したことを知る方はいないと思うが、自分が訪問した記録を紹介しよう。 八重洲ブックセンター本店は1978年9月に開店し、地上8階・地下1階の建物に在庫は100万冊に上るなど、国内有数の大型書店として知られてきた。 八重洲ブックセンターの前を歩いていたら、閉店のお知らせが貼ってあった。 訪問日 2023年2月11日 フィナーレ・イベントが開催中。 二宮金次郎像 制作は富山県高岡市にある竹中銅器。 銘板 勤勉そして片時も本を手放さなかった二宮金次郎こそは真に理想の読書人であ…
菊坂下交差点付近を歩いていたら、掲示板に面白いものを発見した。 発見日 2023年5月11日 発見場所 東京都文京区本郷四丁目 号外 田町会報 令和5年5月昨今のレトロブームに乗っかって、昭和30年代後半の田町町会の様子を再現してみようと「田町版・三丁目の夕日プロジェクト」を立ち上げました。昭和36年の、東京都住宅案内図帳をもとに当時の家々を書き出し、38年の航空写真と照らし合わせていきましたが、資料が不鮮明で判読が難しく、当時からお住まいだった人たちへの聞き取り調査によりようやく完成しました。調査にご協力いただき資料を提供してくれた町会の皆様には、心より御礼申し上げます。完成した地図は完全な…
城下町岩槻散策案内 戦国時代から江戸時代にかけて、岩槻城の城下町や日光御成道の宿場として都市形成が進んだ岩槻。 その当時、岩槻城内では「本丸」「三の丸」「新曲輪」などの名称が付けられ、城下の武士が住む地区(武家地)の通り名は「小路」、庶民の住む地区(町家)は「町」と呼ばれていました。そうした地名や城下町、宿場としての景観は、一九七〇年代以降、 急速に失われてしまいましたが、地域の通称や入り組んだ街路などの形で、今でもそこかしこにその面影をとどめています。それらは、岩槻城や城下町の一面を伝え、岩槻の豊かな歴史的環境を形作る、大切な歴史文化遺産です。 ※上の図は、岩槻城・城下町の主要な地名、通り名…
見頃が過ぎてしまっていたが、ふじ通りを歩いてみた。in 埼玉県春日部市
春日部市の「牛島の藤」がとても有名だが、まだ訪問したことがなかった。 ホームページを見たところ、 4月24日 藤の見頃は過ぎました。今年は4月19日(水)が見頃のピークでした。先週の3日連続の夏日の影響を受け、見頃の期間が短くなりました。 4月27日 藤の見頃は終わりました。昨日の雨の影響を受け、花が落ちてしまいました。 と書かれていた。 なので今年は訪問するのを諦め、ふじ通りを探索することにした。 訪問日 2023年4月27日 駅前の藤棚 葉桜ならぬほとんど葉藤だった。 まだ咲いているかなと思い、ふじどおりを歩いてみる。 町名地番街区案内図 中央付近に「ふじどおり」がある。 ふじどおりの看板…
浄国寺入口付近の歩道を歩いていたら、こんなものが残っていた。 発見日 2023年5月4日 発見場所 埼玉県さいたま市岩槻区加倉一丁目 今まで気が付かなかっただけかもしれないが、このようなものを初めて見た。 上「御大典記念」下「柏崎消防組」右「昭和三年十一月」左「第二部」 柏崎消防組(大正七年三月に発足)が天皇即位を記念し、設置した消防井戸とのこと。 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
王林寺に参拝するのは初めてだった。 訪問してみるといくつか発見があり、王林寺のこともこの記事の中で書こうと思ったのだが、家に帰って調べてみると、更に色々興味深いものが存在していることが分かったので、再取材し、別な記事を書くことにした。 訪問日 2023年5月6日 訪問場所 東京都台東区谷中一丁目 参道脇の右側から人が出てきた。 道があるのか? 行けるのか? 路地好きの自分、行かないわけにはいかない。 道なりに進んでいく。 階段が見えた。 階段右脇に井戸があった。 左の柱に「○○専用」と書かれていた板が貼ってあった。 表札を見ると左側のお宅だった。 現役の井戸なのだろううか? 動かしてみたい衝動…
発見日 2023年5月6日 発見場所 東京都千代田区神田猿楽町2-3-5 神田猿楽町町會詰所 1916年(大正5年)に猿楽町駐在所として建設された。その後、交番は廃止され、町会の詰所として利用されはじめた。そして2003年(平成15年)6月、千代田区景観まちづくり重要物件に指定された。その後、「猿楽町町会詰所」から「神田猿楽町町会詰所」に名称が変更された。 2016年(平成28年)に外壁修理が行われたそうだ。 入口 神田祭の提灯がぶら下がっていた。 「かん田"」と書かれた灯具 景観まちづくり重要物件のプレート この建物は以前から知っているが、電力プレートが設置されていることはつい最近知った。 …
鍾馗様はこの地図にも載っているのだが、小さくてわかりにくいかもしれない。 以前、春日部市を探索した時もこの鍾馗様を撮っていたのだが、撮り直してきた。 発見日 2020年3月19日(再訪日2023年4月27日) 発見場所 埼玉県春日部市粕壁2-8-14 永嶋庄兵衛商店 慶長年間(1596年から1615年)玄米問屋として営業を開始する。以来、代々営業を引き継ぎ、現在に至る。 建物は明治初期に建築されたもの。 屋根の上で鍾馗様がにらみを利かしている。 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
外から白鳥の家族の置物が見えたので立ち寄ってみた。 結構リアルな象の椅子?もあった。 公園に設置されているこのような置物や遊具が大好きで、つい写真を撮ってしまう。 発見日 2023年4月22日 発見場所 東京都江東区新大橋一丁目 当然のことながら、これら置物がメインではない。 白鳥の家族の隣に碑が設置されていた。 〇新大橋一丁目安宅丸由来 細田隆善 書 裏面 新大橋一丁目と安宅丸の由来 新大橋一丁目の町名は住居表示町名変更により昭和四十六年四月一日深川新大橋一丁目改めたものです 同町は関東大震災後の区画整理により昭和九年六月十四日従来の深川宗町と深川新安宅町の一部を合併してつけられた町名です …
2023年5月3日12時頃、当ブログの累計アクセス数が、30,000アクセスを達成しました。 20,000アクセス達成が2022年12月25日なので、約5ヶ月で達成することができたことになります。 当ブログにアクセスしていただきありがとうございます。 累計アクセス数が30,000になったくらいでいちいち記事を書くようなことではないかもしれないですが、今回もついつい書いてしまいました。 累計アクセス数30,000、連続投稿1年、累計投稿数1,000のどれが一番達成するのが早いかなと思っていたのですが、アクセス数が一番早かったです。 グーグルアナリティクスで調べたところ、2022年12月26日~2…
先日、下記の記事で同潤会アパートのことを紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 表参道沿いの工事中のビルの防護壁に同潤会青山アパートのことが描かれていた。 「同潤会青山アパート跡」と地図にも載っていた。 同潤館はどこにあるんだったけ? 表参道ヒルズのところか。 トイレの左隣にあるので、同潤館の書かれている位置が実際には違っていた。 この辺りは来たことがあったことを思い出した。近くを通ったことは何回もあり、中にも入ったことがあったはずだが、当時は同潤会跡地だったということは認識していなかったように思う。…
調べ物をしていたら、「下から上ると40段、上から下ると39段になり、段数が異なるこ階段がある。」と紹介しているものがあったので、真相を確かめるべく、改めて取材することにした。(取材と言ってもただ上り下りして数を数えてみるだけだが・・・。) その怪談、いや違う、階段は、今までも何回か上り下りしたことがあるのだが、坂に設置されている説明板などがなかったので、名前が付いているとは知らなかった。 地図にも載っているので、有名な階段だった。 文京区弥生2丁目18番と19番の間を、やや曲がりながら西に上る階段。 文京区のホームページにも掲載されていた。 https://www.city.bunkyo.lg…
かっぱ橋本通り付近に生息している河童たちを探す in 東京都台東区 Part3
Part2の続きだが、今回も紹介する順序はテキトーとなっている。興味がある方は実際に探索してみてね。 さらざんまいマンホール蓋 「かっぱ橋本通り」と「かっぱ橋道具街通り」が交差する合羽橋交差点付近 2021年(令和3年)4月13日に設置された。 さらざんまいポスト 右側面 左側面 真上 2021年(令和3年)3月10日に設置された。 舞台は東京・浅草。中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、突如現れた謎のカッパ型生命体“ケッピ”に出会うが、カエルと間違えた事で怒りを買い、強引に尻子玉を奪われてカッパに変身させられてしまう。「元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子…
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2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
汗をかきかきしながら、一山超える勢いの急坂の路地を上り下りしていると、木製電柱が立っていた。 こんなところにも木製電柱があるんだと、感心ながら観察していると、電力プレートの存在に気が付いた。 いや、実際は、木製電柱を見た瞬間に気が付いていたのだが、こう書いてしまった。 横須賀市で初めて発見した電力プレートは、やはり木製電柱に付いていた。 カンドー!! 期待も全然していないのに突然出会ってしまったら、この言葉が出るのは当然のことだ。 目撃情報もない。 たぶん。 こんな道は、迷い込まないとたどり着けないだろう。 そんなところにあったのだ。 俺は今、猛烈に感動している。 誰の言葉だったっけ? 電柱の…
ネットで「吉片」の名がある旗竿ボックスの存在を知り、探してみることにした。 所在地は書かれていないので、自分で探すしかない。 「吉片」だから、"駒込吉祥寺町"と"駒込片町"があったあたりだろうと当たりを付ける。 下記の地図に町会の範囲が書かれていた。 ここのどこにあるのだろう? でも、全域を探してもそれほど時間がかからないだろう。 問題は現存しているかどうかだ。2025年5月26日、現地調査を開始する。 すぐ見つかると思っていなかったが、本郷通りの歩道を歩いていると、ちょうど下記の地図の現在地付近にあるのに気が付いた。 下の写真だと下の方。 本駒込地域センターの真ん前。 良く残っていた! 現物…
2025年5月23日たまたま通りがかったら、「2k540 11のヒミツ」が開催されていたので、このイベントの様子をレポートすることにしよう。 その1と2 高架下も、職人のまちかつて御徒町周辺は、伝統工芸職人のまちでした。工房が多く、クリエイターが増えている地域柄を反映しものづくりの街に。見えないところに実は工房が併設されているショップも多数! 周辺の街並みとの調和昔は東西を分断する壁がたちはだかっていた。開発後は、周辺の建物となじむように小さなスケールの棟が並んでいる。 秋葉原駅本屋 その3と4 二つの高架橋が一つになって、2k540になっている山手線・京浜東北線が走る鉄骨鉄筋コンクリート高架…
神辺土建コレクション この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。発見日 2025年4月22日 発見場所 埼玉県入間郡越生町 消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?発見日 2025年5月5日 発見場所 埼玉県入間郡越生町小杉 "梅園"が入っているので、旧町名扱い。ここからは2025年5月5日のこと。 予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。越…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区杉田 ① ② 歴史 1868年(明治元年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。 1889年(明治22年)4月1日杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。 1964年(昭和39年)3月24日新杉田町を埋立編入。 1978年(昭和53年…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の材質が違うのが面白い。京都市と法務局 「京都市」の"都"のフォントがユニーク。それぞれの近くにある円形の「法第14条地図」って何だ? 不動産登記法第14条第1項に基づいて作成された地図のことで、法的には「地図」と呼ばれる。これは、正確な測量に基づいて作成されており、土地の筆界(法的な境界)を示す公式なもの。 とのこと。
今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…
大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…
朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…
たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。
平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…
2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…
国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…
一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…
北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。
東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…
2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…
通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市
2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…
いきいき浅草あじさい祭に昨年初めて訪問し、下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 紫陽花の美しさに目を奪われた昨年の感動が忘れられず、今年も早速行ってきた。 東京の最高気温は29.9℃。 東京都心では、12日午後1時39分に、最高気温30.1℃を観測し、今年初の真夏日となったが、それに匹敵する気温だった。訪問日 2024年6月15日訪問場所 東京都台東区千束3-19-6 甘茶香の大香炉 お釈迦さまの御降誕会(花まつり)で知られる甘茶は、甘茶あじさいというガクアジサイの変種から作られるお茶で、古来より健康増進の生薬として親しまれてまいりました。この香炉のお…
2024年6月10日、北区豊島を探索していたところ、大好物な古き良きものをいくつか発見した。電力プレート ①トシマ-27 ②トシマ-39 「シマ」に見えるかもしれないが「トシマ」、「ト」の一部見えている。住所プレート これも住所プレートのひとつ。 北区と番地の文字くらいしか読めなくなっているが、このタイプが残っているということは結構貴重なのだ。非琺瑯町名看板 豊島1丁目20 広告主はよく見かける「川村動物病院」。歴史 1889年(明治22年)の町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった。 1908年(明治41年)8月8日王子村は町制施行し王子町になる。 1932年(昭和7年)10月1日王…
この辺りは探索したことがあるので、やはり以前も撮っていた。 まだ紹介してはいなかったので、改めて撮ってきたことだし、今回紹介することにしよう。 発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区上中里一丁目 普通の人だったら、これを見て、太い木の棒にくっついている錆びた得体のしれないものとなるだろう。 もっともそう思ってくれるだけましで、存在自体気にしないのが一般的。 読者の方もこんなのが記事になるんかいと思っている方がほとんどだろう。 それがなるんだなあ。 書くから。ここは上中里1丁目30 車にこすられた跡や錆びだらけで痛々しい。 広告主は動物病院であることはわかるが、病院名が読めない。 以前…
2024年3月11日、探索を終え、久しぶりに水道橋駅から帰ることにした。 階段を上がると2番線ホームの左側に下記の説明板があることに気が付いた。 水道橋駅一、開業年月日 明治三十九年十月二十四日 二、水道橋の由来 神田川に架かり、三崎町と小石川・本郷と結ぶ橋であり橋上から神田川に架かった神田上水の万年樋が眺められたことから水道橋と呼ばれるようになった。この風景は江戸の名所に数えられ、「江戸名所図会」など多くの絵に残されている。 三、駅の構造物 駅の柱は、明治時代にドイツから輸入され使用後の古いレールによって組立てられている線路間の柱、ホーム上のアーチ形の柱などレールの芸術作で大変美しい。平成三…
かなり古い情報だが、駅からマンホールさんの王子町 - 路上文化遺産データベースによると王子町時代のマンホール蓋が下記の場所に残っているらしい。 ①堀船3丁目丸蓋1枚 ②十条周辺丸蓋3枚 ③王子本町2丁目丸蓋11枚、角蓋2枚 ④荒川区南千住2丁目丸蓋1枚 合計18枚。 大量だ! 見つかれば大漁だ!それぞれ現存しているか確認に出かけた。訪問日 2024年6月10、11、13日①堀船3丁目 撤去されていた! ②十条周辺 ②-1 中十条二丁目 紫陽花が咲くこの先にそれはあった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ ジャジャジャジャーン! 2枚現存を確認。 この調子だ。②-2 十条仲原一丁目 事前にストリートビューで確…
鎌倉市になってからの小字付きの旧町名を発見した。 発見日 2024年5月23日 発見場所 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷一丁目 前提知識がないので、扇ヶ谷今小路という町名があると思ってしまい、通り過ぎてしまうところだが、当然違和感があった。 下のアパートの紹介に現町名が書かれていたので、旧町名であることを確認できた。 扇ヶ谷と今小路の間に字が入って「鎌倉市扇ヶ谷字今小路」となる。 個人で住んでいる方はいないようだ。今小路通り 今小路通りとは・・・「新編鎌倉志」では、寿福寺門前にある鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」 から南行し、東側の巽荒神社前までの通りを指しています。「大日本地名辞書」には、「扇ヶ谷の谷口より南…
雨の日の翌日、紫陽花で有名な飛鳥の小径を訪問。 ひとつの花びらから雫が落ちそうになっているところを撮ったら、その中にも紫陽花が写っていた。撮影日 2024年6月10日 撮影場所 東京都北区王子一丁目
2024年6月10日の早朝、そう、歳なので目が早く覚める。 そして、スマホをひらき、前日のアクセス状況を確認する。 布団の中の日課になってしまった。 お知らせを見ると、こんな朝早くから、スターを付けてくださる方がおり、読者になっていただいた方も複数人いた。 何事だ? もしかしたら・・・。 スマホでは確認できない(できるのかもしれないが、方法を知らない)ので、少し早めに起きてパソコンに向かう。 やっぱりそうだ。 「きょうのはてなブログ」に当ブログの記事が載っていた。 右上の記事がそうだ。 今回で3回目になる。 数多くある記事の中から、細々と営業している当ブログの記事を3回も選んでくれるなんて、本…
北区中里を当てもなく彷徨っていたら、路地に入り込んでしまった。 たぶんこの辺りは探索した記憶がない。 と書いたが、いつも書いている通り、自分の記憶はあてにならない。 よく探索しているところでさえ、来たことがないと思ってしまうことがあるのだから。 そんな、来たことがあるのか、ないのかよくわからないところで、見たことのないプレートを発見した。 ということは、本当に初探索地域なのか?発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区中里 税の赤い文字と東京市章のバランスがどうなのかなと思ってしまうが、そんなのは重要ではない。 東京市のものが存在していること自体が重要なのだ。 東京市と書かれているから、…
横断歩道を歩いていると、近くに警察官がいるにもかかわらず、道路に出て写真を撮っているおじさんがいた。 何を撮っているのだろう? これか。 この交差点は何回も渡っているのに初めて気が付いた。発見日 2024年6月1日 発見場所 東京都港区赤坂二丁目これは、たぶんガス灯だ。 それぞれの部分に美しい装飾が施されている。 それぞれの模様に名前があるのだろうけれど、わからない。 でも、なぜこんなところに? 周りを見回して見るがガス灯らしきものは見当たらない。 帰ってから、ネットで調べてみたが、情報は見当たらなかった。 このガス灯はいつ頃設置されたものなのだろうか? 今も現役なのだろうか?東京都小平市にあ…
東京葛西用水路散策案内 川のまるごと再生プロジェクト「川の国 埼玉」をめざして埼玉県は、県土に占める河川の面積の割合が3.9%で日本一という水辺空間を有しています。この日本一の地域資源を生かすため、県では100箇所の川の再生を進める「水辺再生100プラン」を平成20年度に開始しました。平成24年度からは、さらに市町のまちづくりと一体となり、一つの川の上流から下流までをまるごと再生する「川のまるごと再生プロジェクト」に移行し、県民誰もが川に愛着をもち、ふるさとを実感できる「川の国埼玉」の実現に取り組んでいます。越谷市、草加市及び八潮市を流れる「東京葛西用水地区」においても、各市の申請を踏まえ、こ…
PartⅠでは、入口にいたホラー感漂う「マネキンかかし」と「城島アルミ像」をメインに紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com PartⅡではガラスケースの中に展示されている自分も含めたコアのファンしか喜びそうもないものばかりになるかもしれないが、それらをひとつひとつ紹介していくことにしよう。訪問日 2024年6月1、6日それでは、早速右側奥にあるものから紹介していくことにしよう。 ①無人島の宝 漂着物 取れる資源が限られる無人島での開拓。浜に流れ着く漂着物は、時に役立つ貴重アイテムとなる。一見ゴミに見える物でも使い道は様々で、長時間、海を漂って傷んだ結果放つその悪臭は…
2024年5月26日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!~DASH島・電力化計画、電話プロジェクト~」で紹介されていたので、訪問してみようと思い立った。 以前も敷地の周りは探索したことがあるのだが、今まで入館したことはなかった。 思い立ったが吉日と思ったが、開館しているのが、木曜日と金曜日だけだった。北門に着く。 ここから入れると思ったが、警備員に「入口はここではなくて、次の信号を右に曲がって、まっすぐ行って、信号を右に曲がってください。」と言われる。 言われた通り進む。 ようやくたどり着いた。 随分遠回りをしてしまった。 ロスタイム10分以上か?2024年5月30日(木)初めて入館する…
を歩いていたところ、確かこの階段のどこかにカエルがいるはずだということを思い出した。登って確認してみよう。 訪問日 2023年10月5、14日 訪問場所 東京都港区赤坂五丁目 こんなところにいた。 階段の一番上から下を見下ろしたところ こちらは2022年9月27日に訪問した時に撮ったもの。 公園附近沿革案內 この公園の附近は、江戸時代、広島藩松平(本姓浅野)家の下屋敷であった。一ツ木の地名は、むかし、奥州街道がこの地を通過し、人馬の往来が絶えない。 それで人継村といったのを鎮守氷川神社の神木が一本の銀杏の大木であったことから、 一ツ木と読み改めたという説などがある。この高燥の台地には、維新後、…
すっかり忘れていたが、「田無町下向台」はすでに紹介済だった。 citywalk2020.hatenablog.com 今回、田無町時代の旧町名「上向台」を発見したので、紹介することにしよう。発見日 2024年6月4日 発見場所 東京都西東京市向台四丁目 ちょっと文字が薄くなっているが、まだましな方だ。 この薄さが歴史を物語っている。田無町下向台の記事でも記載したが、同じものを載せておこう。田無市の歴史 1878年(明治11年)7月22日北多摩郡に編入される。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、田無町が発足。 1893年(明治26年)北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所…
2024年5月24日、旧鎌倉町のマンホール蓋がメインくらいに極楽寺付近を探索していたのだが、駅、トンネル、木製電柱、ポストと見どころ満載で、このマンホール蓋のことはすっかり忘れてしまった。 家に帰ってから、あっ、行くの忘れた・・・と思い出す。 もっとも、どこにあるかはっきりと調査していなかったので、見つからなかった可能性もある。 ネットでは詳細な場所の情報は見つからなかったので、ストリートビューで探してみた。 所在地は確認できた。 さて、どうする? しばらくたってから再訪しようと思ったのだが、いてもたってもいられず、翌日再訪することにした。稲村ケ崎小学校が見えた。 学校名の文字がいい感じ。そろ…
日比谷公園 季節によっていろいろな花が咲くので、季節毎に訪れている。 そして、訪れると新しい気づきがあることがある。訪問日 2023年12月16日、2024年6月1日中幸門脇にあるクスノキ 中幸門 『以幸橋門舊礎建造明治三十五年六月』と刻まれているが、この門は明治35年6月の日比谷公園開園時には存在しなかったらしい。手すりがクスノキに飲み込まれていた。 このようになったのはいつ頃からなのだろうか? 自然の力はすごい。 何十年後かには完全に飲みこまれ、姿が見えなくなってしまうのかもしれない。
2024年5月28日、蒸し暑い、これからいやな季節が始まる。 代官山で所用を済ませ、恵比寿駅へ向かうため、たまたま通った代官山公園でタイル絵を発見した。 旧同潤会代官山アパート 文化湯 タイル絵 昭和2年(1927)、この地に旧同潤会代官山アパートが建てられました。アパート内には銭湯もあり「文化湯」と呼ばれ、アパートの住人だけでなく、近隣の多くの人々に利用され、親しまれてきました。このタイル絵は、昭和30年頃「文化湯」が改装された際、壁面に飾られたものです。九谷焼で、客がたくさん「来い」という願いが込められ、鯉が描かれています。長く愛され続けた「文化湯」をいつまでも後世に伝えたいと、ここに移設…