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根来戦記の世界 https://negorosenki.hatenablog.com/

 戦国期の根来衆、そして京都についてのブログ。かなり角度の入った分野の日本史ブログですが、楽しんでいただければ幸甚です。

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2022/07/22

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  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑯ 曹洞宗・道元 ただひたすらに座禅する「只管打座」

    禅系統の鎌倉仏教としては、前記事で紹介した栄西の臨済宗の他に、道元の興した曹洞宗がある。臨済宗との違いは何なのであろうか? 今回の記事は内容はなかなかに難しいので、書いているブログ主も自分の解釈が正しいかどうか、若干自信がない。致命的な間違いがあったら、コメント欄でご教示いただきたい。まずは道元の生い立ちから見てみよう。 親ガチャ的には、道元はかなり恵まれている。内大臣であった久我通親の子(ないしは孫)として1200年に生まれており、幼少から英邁であったようだ。わずか13歳にして仏道を志す。両親が早逝してしまったことが関係しているようだが、詳しいことは分かっていない。その翌年に叡山にて出家する…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑮ 臨済宗・栄西 日本オリジナル禅「達磨宗」との確執

    禅宗を日本に持ち帰った栄西。しかし実のところ、他の宗派の例に違わず、禅の教え自体は、奈良時代から平安時代にかけて既に伝わっていたのである。例えば平安時代前期には、唐の禅僧・義空が皇太后・橘嘉智子に招かれて来日し、檀林寺で禅の講義が行われている。しかしながら当時の日本における禅への関心の低さに失望し、数年で唐へ帰国した、とある。 この時は、禅は日本に根付かなかった。しかし禅に関する知識は、先達たちが日本に持ち帰っていた各種の書籍に――散逸的な形ではあるが――残されていたのである。 これに着目した男がいた。平安末期の比叡山の天台僧侶、大日房能忍である。当時の延暦寺が所持していた仏教文献の数は日本一…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑭ 臨済宗・栄西 求めたのは規律正しい生活スタイル「禅 with 戒」

    栄西は平安末期~鎌倉初期にかけて活躍した僧である。備中国・吉備津神社の神官の家に生まれ、13歳で比叡山延暦寺に登り、かの地で天台宗の教学と密教を学んでいる。しかし彼は、貴族仏教化していた叡山に嫌気がさしていたらしい。中国の正しい仏法を学んで日本の仏法の誤りを矯正しようと、1168年に大陸へと渡っている。栄西、このとき28歳であった。 当時の中国は異民族である女親族の侵略により、長江より北は金、南は南宋が支配するところになっていた。目指す天台山は長江より南にあったため、南宋へ渡航する。天台山や阿育王山などに詣でた後に、天台宗の書籍60巻を入手、同年に帰国している。 帰国してから、栄西は密教の研究…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑬ 踊り念仏・一遍 行く先々で多大な利益を与えた、興行としての踊り念仏

    法然の浄土宗を皮切りに、道元・栄西・親鸞・日蓮など、鎌倉新仏教の宗祖らは、いずれも旧仏教サイドから弾圧された歴史を持つ。しかし一遍の時衆に関してはそうした例があまりない。これは何故だろうか? そのヒントが「一遍聖絵」に描かれている。前記事でも少し言及したが、1284年3月、近江・大津の関寺にて踊り念仏が行われている。この時の踊り念仏を描写した絵巻を見てみると、面白いことが分かるのである。 「一遍聖絵」より、近江・関寺で開催された踊り念仏。高屋ではなく池の中島に踊り屋が設けられるという、変わったスタイルで行われている。 踊り念仏が描かれたシーンでは、高屋の踊り屋で開催されているものが多いのだが、…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑫ 踊り念仏・一遍 中世の「ウッドロック」 京・市屋で開催された伝説的踊り念仏

    信州小田切里にて行われた、初の踊り念仏。これを皮切りに、一遍らは踊り念仏を行うようになるのだが、まずは手探りといったところで、遊行先で必ず踊りが開催されたわけではなかったようだ。踊りそのものもまだ出来たばかりだったから、どのような手順ではじまり、どうクライマックスを迎えるのかなど、試行錯誤で行っていたようだ。 なお「踊り念仏」そのものは平安期の市聖・空也が始めたという説がある。実は一遍自身がそのようなことを言っていたようなのだ。しかしながら空也のそれは同時代の記録には残っておらず、また彼の死後は広がりも見せずに隔絶してしまっていることから、踊り念仏と称されるほどのものではなく、「リズミカルな称…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑪ 踊り念仏・一遍 すべてを捨てて、みな踊れ!

    「人が勧めるから成仏できるのではない。大昔に阿弥陀仏の願いが叶った結果、全ての人が往生できるのだ。それはもう決まったことで、念仏を信じようが信じまいが、その人が清い人であろうが、穢れた人であろうが関係ないのだ。」――これが一遍の主張であることは、前記事で紹介した。 そして一遍の主張はこう続くのだ――「だから思う存分に、念仏札を配るのだ。そして念仏を唱えるのだ!」 上記の主張からは、一遍の喜びが伝わってこないだろうか。我々は既に救われているのだ。こんなに嬉しいことがあろうか!念仏札を配るのも、楽しくてしょうがない。配っているうちに喜びが体の中から湧き上がってくる。その喜びに身を任せ、さあ念仏を唱…

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