初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
飼主に先立つ犬や春隣春がすぐそこまで来ていることをいう。冬も終わりの頃になると暖かい日もあり、目にふれる樹木の姿、日の光にも春の気配が漂う。同種の季語に「春待つ」があるが、こちらは主観的で、春を待ちわびる気持ちが強い。犬の散歩をしている人がいた。犬が先立って飼い主をぐいぐいと引っ張っていた。それを見て、春がそこまで来ていることを感じた。春近し夕日の中の立ち話春近し
寒紅梅禅寺の森抜けてきて寒中に咲く濃い桃色の花の梅をいう。紅梅はバラ科の落葉高木。中国原産。観賞用に庭木とされるほか盆栽にも仕立てられる。禅寺の広い森の間を抜けてくると、農家の庭に寒紅梅が咲いていた。青空に映えて美しかった。自転車の少女寒紅梅ちらと寒紅梅
冬深し畑の向かうに富士見えて一年で最も寒さの極まる時期のことをいう。自然も人の暮らしもすっかり冬一色である。「冬深む」は、冬が深くなるという意味で、慣用的に用いられている。畑の向こう側に富士山が望められた。はっきりと見えるので、一層冬が深くなった感がした。真冬日の幹の黒影うねりをり冬深し
銀杏銀杏枯れいよよ深まる空の紺楷欅、銀杏、櫟、蔦など、一般に名をよく知られた落葉樹が、冬に葉を落としきって枯木となることをいう。鬼胡桃「名の木枯る」とは詠まず、「欅枯る」「銀杏枯る」などと、それぞれの木の名を冠してつかう。欅似たような季語に、「枯木」「冬木の桜」「枯柏」「枯欅」などがあるが、混同しないように使いたい。葉をすっかり落とした銀杏があった。空はいよいよ紺色を深くした。櫟枯櫟夕日当たれば夕日色名の木枯る
歩ききし方振り返る寒暮かな冬の夕暮をいう。冬の暮とおおむね同義だが、硬質な言葉の響きが、柔らかな冬の暮とは異なる印象がある。春の暮、秋の暮のような伝統的本意はないが、寒さの厳しいなかでのしみじみとした情感はある。散策をして、歩いてきた道を振り返ると、いつの間にか寒暮となっていたことよ。山見つつ寒暮の坂を下りけり寒暮
寒月やSLIMは神酒(みき)の海にあり冬の月よりも一段と冷厳な月をいう。必ずしも寒中の月でなくとも厳寒期を想定した季語なので、晩冬とされる。凍てつく大気の中の月を思わせる。ただし、「寒の月」とした場合は寒中の月のことをいう。煌々と冷たく輝く寒月が出ていた。先日、日本の月探査機「SLIM」が神酒の海に着陸した。神酒の海はうさぎの向かって右側の耳の平地である。そこにSLIMがあるのだなあと思った。天心を寒満月の渡りけり寒月
人影にすぐ飛び去りぬ寒雀寒中の雀のことをいう。この頃は食べ物が乏しくなるので、雀は餌を求めて人家に近づく。寒気を防ぐため全身の羽毛を膨らませて丸くなっている雀を「ふくら雀」という。寒雀が細い枯木の枝に止まっていた。だが、近づこうとすると、こちらの動きに気がついたのか、すぐに飛び去ってしまった。風の中歩けばふくら雀かな寒雀
寒木瓜に日差し待たるる日和かなバラ科の落葉低木。中国原産。冬のうちから花をつけている木瓜をいう。普通木瓜は春に咲くが、早咲きや四季咲きもある。特別に寒木瓜という種類があるわけではない。花の少ない時期だけに、鮮やかな花として珍重される。散策路に寒木瓜が咲いていた。曇っていたので、日差しがあればもっと美しいだろうと、日差しを待つような天候であった。寒木瓜や句集礼状認めて寒木瓜
枯桑に残る夕日や畑の中葉が落ち尽くした冬の桑をいう。現在では養蚕農家が激減したが、関東地方ではまだ桑畑が見られる。葉をすっかり落とした桑の枝が縦横に伸びる景は、いかにも寒々しい。広々とした畑の中に一列の枯桑があった。その枯桑に夕日が残っていた。桑枯れて武蔵野に雲広がりぬ枯桑
冬枯の中に野墓のありにけり冬が深まり草木が枯れ果てて、野山が枯一色となった満目蕭条たる景をいう。同種の季語に「冬ざれ」があるが、これは冬枯を含めた冬のもろもろの現象で、荒れ寂びた感じをいう。単に「枯」「枯る」の形でも様々に詠まれ、自然の風景のみならず、人間の心理に踏み込んだ表現も多い。散歩をしていると、辺りは蕭条と冬枯れしていた。その中に昔からの野墓があった。枯れ果てし児童遊園人気なく冬枯
寒夕焼コーンスープを飲みをれば寒中の夕焼をいう。冬の夕焼の中でも特に寒々とした感がある。寒の夕焼は燃えるような色を見せるが、時間が短く、すぐに薄くなる。長い時間散歩して、途中、自販機の缶のコーンスープを買ってベンチで飲んだ。気がつくと寒夕焼となっていた。帰り道は林の中や寒夕焼寒夕焼
寒雲の低きが畑を覆ひけり寒々とした雲をいう。冬空を一面に覆う雲、固まって凍りついたような雲など、いずれも寒々しい。「冬雲」よりも「寒雲」という方がより一層寒さが身に沁みる。寒雲が低く垂れこめていた。雲は畑を覆っていた。全天を覆ふ寒雲高架駅寒雲
犬連るる人ら集まり日脚伸ぶ野火止用水冬至を過ぎて昼の時間が少しずつ伸びてゆくことをいう。一日一日と日が長くなってゆくが、その伸び方は俗に畳の一目ずつともいわれるほど遅々たるものである。一月も半ばを過ぎると日が伸びたことを実感するようになる。春がそこまで来ていることを喜ぶ気分がある。公園には犬を連れた人が多く、次第に集まって会話を楽しんでいる。その様子に、日脚が伸びたことが実感された。日脚伸ぶベンチに憩ふ男ゐて日脚伸ぶ
そこはかとなく夢持たむ冬欅冬に葉を落としつくした欅をいう。欅はニレ科の落葉大高木。山地に自生し、防風林や街路樹、庭木として植えられる。大木の欅が葉を落した姿は雄々しく、そのシルエットにも冬らしい趣がある。冬欅が雄々しく立っていた。そっれを見て、なんとなく夢を持ち続けようと思った。枯欅夕日荘厳してゐたり枯欅
三人二人帰る学生寒落暉寒中に没する太陽をいう。厳しい寒さの中の落日は、眩しいくらい明るく、身の引き締まる感がある。寒中の入日はあっという間に沈み、その後寒さが更につのってくる。中学生が三人、また二人と歩きながら帰って行った。寒落暉が彼ら彼女らを照らしていた。寒落暉見つつ川縁歩きけり寒落暉
寒鴉翔て塒を目指しけり寒中の鴉のことをいう。食べ物の乏しくなる冬場は人家に近づくので、近しい鳥である。枯木などにじっと止まっているさまは荒涼とした景である。寒鴉が飛んでいた。その方角は塒を目指しているようであった。鳴く声に寂しさありぬ寒鴉寒鴉
寒梅や夕日の道を歩ききて寒の頃に咲く早咲きの梅をいう。梅は春を代表する花だが、早咲きのものは寒中に咲き、花の少ない時期だけに珍重される。寒紅梅は寒中に咲く紅色の梅で八重咲きが多い。夕日の眩しい道を歩いてくると、寒梅が咲いていた。花数はまだ数輪であった。寒紅梅魑魅魍魎の世を照らせ寒梅
寒茜西方浄土とふことば厳しい寒さの時期の鮮やかに茜色に染まる夕空をいう。寒中の凍てつくような茜色が印象に残る夕焼である。冬の夕焼は時間的に短いが、幻想的な美しさがある。長い時間散歩をしていると、空は寒茜となった。これを見て、西方浄土という言葉を思い出した。なだらかな富士の稜線寒茜寒茜
寒林を透けて大きな富士ありぬ冬枯れの林をいう。葉を落して寒々とした林でもある。厚く積もった落葉で根元を覆われた裸木の木立は、日がよく当たって明るい。夕方、寒林を見ると、透けて大きな富士山が見られた。夕暮の富士は青みがかった薄墨色をしていた。むさしのの寒林を透く没日かな寒林
電線に並ぶ寒禽暮れてきぬ山野、川、海などで厳しい冬の中を生きている鳥をいう。冬期には木の実や昆虫類などの食料が減り、南天や青木などの実を啄む小鳥の姿をよく見かける。冬の間だけ群れで生活する鳥も多い。見上げると、電線に寒禽が並んで止まっていた。辺りは次第に暮れてきていた。はぐれしか寒禽一羽枝にゐて寒禽
臘梅の香に宝登山を想ひけりロウバイ科の落葉低木。中国原産。「唐梅」ともいう。一~二月、葉が出る前に芳香のある黄色い花を数個ずつ集まってつける。蝋細工のように半透明で光沢があるので蝋梅というが、臘月(陰暦十二月)に咲くことから臘梅とも書く。散歩していると臘梅が咲いていた。その香りをかぐと、秩父の宝登山に咲く臘梅を思い出した。臘梅や媼に話しかけられて蝋梅
シベリウス聴きつつ歩く冬木立立ち並んで葉の落ちた寒々とした冬木の群れをいう。「寒林」のような広がりのある冬木の群れでもなく、「冬木」のように一本か数本のものでもない。ひとかたまりをなした、枝の間に空が透けて見えるような木立の群れをいう。すっかり葉を落した冬木立が聳え立っていた。その前をイヤホンでシベリウスの交響曲を聴きながら通って行った。むさし野の夕日に黒し冬木立冬木立
円陣のバレーボールや寒日和寒中の晴天のことをいう。大気はさえざえと澄み渡り、空は抜けるように青い。あらゆるものがくっきりと見え、存在感がある。「寒日和」は寒さの中にも穏やかに晴れ渡る一日をいう。寒日和の中、公園では枯芝の上で若者たちが円陣を組み、バレーボールのアンダーパスをして遊んでいた。寒晴の空より碧き川面かな寒晴
日の差しぬ旗日の蝦蛄葉仙人掌にサボテン科の多年生多肉植物。ブラジル原産。明治初期に渡来。茎節両端に角があり、分枝して蝦蛄がつながったような形で四方へ垂れ下がるところから、この名がある。十二月~一月頃、各枝の先端に淡紅色の花をつける。別名、クリスマスカクタス。今日は成人の日。蝦蛄葉仙人掌が日を浴びて、二十歳の成人達を祝福しているようであった。クリスマスカクタス郵便来ぬ日にて蝦蛄葉仙人掌(しゃこばさぼてん)
人日や宥坐之器に水溢れさせニコライ堂一月七日のことをいう。江戸時代は五節句の一つとされた。湯島聖堂古来、宮中では白馬(あおうま)の節会が行われ、七種粥を食べて祝った。神田明神「人日」は中国の前漢時代に、七日に人を占ったことによる。湯島聖堂に宥坐之器(ゆうざのき)があった。「宥坐」は身近、身の回りという意味。「宥坐之器」は自らの戒めとするために身近に置いてある道具のこと。桓公(かんこう)の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れると真っ直ぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。孔子はこれをもって中庸の大切さを説いたという。人日の今日、宥坐之器に水を入れて溢れさせてみた。器は見事にひっくり返り、水が全部こぼれてしまった。力石人日の触れてみたりし力石人日
小寒や犬連れ多き川堤二十四節気の一つで、陽暦一月五日頃にあたるが、今年は六日。「寒の入」と同じ日。この日から節分までの約三十日間を寒の内といい、寒さも本格的になる。今日は小寒。川堤を散策すると、犬を連れて散歩している人が多くいた。寒に入る夕富士確と立ち上がり小寒
冬日より力貰ひて歩きけり寒さの中の輝かしい冬の太陽、またはその日差しをいう。公園で遊ぶ子供や日向ぼっこの唐人、更に畑の作物にまで、冬の日はあまねく及ぶ。「冬日影」は冬の日差しのことで、「影」は光をさす。なお、時候の季語である「冬の日」は冬の一日をいう。寒さでちじこまってしまう中、冬日に力を貰って散策をした。年配のマレットゴルフ冬日向冬日
葉牡丹の渦に夕日の透きにけりアブラナ科の多年草。ヨーロッパ原産。キャベツの一種であるケールをを観賞用に改良したもの。江戸時代に渡来し、日本で改良されて多くの品種ができた。赤紫や白が多く、正月用の生花や花の少ない冬期の庭園を彩る。葉牡丹が数多く栽培されていた。その渦に夕日が透いて美しかった。葉牡丹や社に一人二人きて葉牡丹
門松や薄青き山望まれて新年に戸口や門前に立てる松をいう。歳神の降臨する依代と考えられている。門口に松を立てることが多いので門松と称されるが、竹、楢、朴、榊、樒なども用いられる。ビルの入口に門松があった。そこからは薄青い山並みが望まれた。若者の多き道なり松飾門松
上州の青空となり達磨市福達磨は開運や厄除けを祈念して、新年に神棚に飾る達磨をいう。暮れから正月にかけて各地で達磨を売る市が立つ。正月六~七日に群馬県高崎市の少林山達磨寺の境内に立つ達磨市は有名。正月一日、二日に行われる高﨑だるま市を訪れた。駅前の通りが会場となり、達磨市のほか多くの屋台やイベントスペースがあった。朝曇っていたが、昼頃から晴れ、上州の青空が広がった。練り歩くちんどん屋出て達磨市達磨市
会釈してお神酒戴く初詣初詣後に稲荷を拝しけり畑道を歩く人らも初景色今もある雑木の山や初御空誰もゐぬ畑に遍き初日かな母の味思ひ出しゐる雑煮かな初詣・初景色・初空・初日・雑煮
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初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
繍線菊や万葉集に恋の歌バラ科の落葉低木。山野の日当たりのよい土地に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に淡紅色の五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は淡紅色のほかに、白色、紅白の咲き分けなどがある。最初に発見されたのが下野(栃木県)であったところからついた名といわれる。繡線菊の花が道路脇に咲いていた。この花を見て、万葉集に恋の歌が多いのを思い出した。坂上る白繍線菊を愛でながら繍線菊(しもつけ)
青梅の見るたび太りきたりけり熟す前の青緑色の梅の実のことをいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに枝を打って広げたシートに落とす。梅干にしたり梅酒にしたりする。川沿いの道の脇に梅の実が生っていた。散歩に来るたびに青梅が太ってきていた。青梅を数へ訝しがられけり青梅
栗咲くやたまに人来て用水路ブナ科の落葉高木。山野に自生し、畑などに栽培もされる。五~六月頃、黄白色の花穂を枝先に上向きにつけるが、大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雄花は穂状の部分に密生し、緑色の雌花は基部につく。受粉が終わると、雄花は褐色に変色して落ちる。用水路に面した畑に栗の花が咲いていた。用水路沿いの道には人がたまにやってくる程度であった。久々の青空眩し栗の花栗の花
十薬や丘陵の道ひたすらにドクダミ科の多年草。五~六月頃、湿った日陰や庭隅などに密集して生える。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に、淡黄色の小さな花を穂状につける。特異な臭気を持ち、乾かして利尿、緩下剤など民間薬として用いられる。薬効が多いことから「十薬」の名がついた。別名「どくだみ」。丘陵の道をアップダウンを繰り返してひたすら歩いた。すると、その道の傍らに十薬が群生して花をつけていた。どくだみの花や走るは学生ら十薬
切通し通つてきたり銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五~六月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。花弁は淡紫色で紫色の脈がある。切通しを通って坂を下りてきた。すると、そこに銭葵が沢山咲いていた。暇さうな猫が伸びして銭葵銭葵
ヘリコプターの急旋回や山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、枝の先に花をつける。白い四枚の花びらに見えるのは苞で、芯に緑黄色の細かい花を球状に密生する。その頭状花序を法師に、苞を頭巾に見立てて山法師という。また、秋に実る果実が球状で紅色のため「山桑」ともいう。山法師が満開となっていた。その上をヘリコプターが飛んで来て、急旋回して行った。山法師いのちながをば願いゐて山法師の花
牛乳に垂らすリキュール麦の秋五月下旬から六月にかけて、麦が黄熟し刈り入れ時となる頃をいう。オオムギ、コムギ、ライムギ、ハダカムギ、エンバクなど、麦の種類によって、若干のずれがある。米は秋に収穫するが、麦は夏が麦刈りの時である。麦秋の頃は暑くなるので、冷たいものが飲みたくなる。そこで、牛乳にリキュールを垂らして飲むと美味しかった。麦秋やフルート校舎より聞え麦の秋
川縁の桑の実に手を伸ばしけりクワ科クワ属の落葉高木。実は初め赤色で、やがて熟すと紫黒色に変じる。味は多汁で甘い。昔は子供が積んで食べ、唇を紫に染めた。現在は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用されている。桑の実や少年なりし頃の味桑の実
参拝す卯月曇の村社陰暦四月、卯の花の咲く頃の、降るでもなく晴れるでもない曇り空をいう。晴れれば気持ちのよい初夏だが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。卯の花の咲く頃合いにあたるので、「卯の花曇」ともいう。今日は卯月曇であった。そんな中、北多摩の村社を訪れ、参拝した。団子屋の小窓も卯月曇かな卯月曇
ジョギングコース歩いてゐたり桜の実桜は花が終わると、初夏に実をつける。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。鳥はよく啄むが、酸味と渋味でうまくはない。さくらんぼは西洋実桜の実である。公園に赤いジョギングコースがある。そこを走らずに歩いていると、桜の木に赤や黒の実が沢山生っていた。実桜や丸くなることむつかしく桜の実
天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
川音の届く虫取撫子にナデシコ科の一年草。地中海地方原産。日本には江戸時代末に渡来し、観賞用に栽培されたが、現在は野生化している帰化植物。五~六月頃、茎の先に濃紅色の小さな五弁花を散房状につける。茎の上方の節の間から粘液を分泌するため、小虫が付着することからこの名がついた。だが、食虫植物ではない。虫取撫子が群生しているところがあった。そこまで川音が聞えていた。紅を得て小町草とはゆかしき名虫取撫子
散策のまづ香に気づき栗の花ブナ香の落葉高木。山野に自生し、また、果実収穫用に人家や畑で栽培される。六月頃、黄白色の細長い雄花をやや上向きにつけ、緑色の雌花をその基部に固まってつける。大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雌雄異花で、虫媒花。受粉が終わると雄花は褐色に変色して落ちる。散策をしていると、あの独特な香が漂ってきた。見上げると栗の花が咲いていた。夕暮は人恋ふときよ栗の花栗の花
葉隠れに青梅数多生つてをり熟す前の青緑の梅の実をいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに落して梅酒にしたり、梅干にしたりする。葉に隠れて青梅が生っていると思い、近づいてよく見ると、手前にも奥の方も、また上の方にもかなりの数の青梅が生っていた。青梅や薄日を歩く川堤青梅
遥かにも見渡してをり菖蒲園花菖蒲をたくさん植えてある庭園をいう。菖蒲田には三大品種(江戸系・伊勢系・肥後系)別に植えられていることが多く、普通、名札が差されている場合が多い。菖蒲田の間の木道などを歩きながら花菖蒲を鑑賞する。花菖蒲まつりの間には、多くの人が観に訪れる。菖蒲園は非常に広かった。遥か彼方を見渡していた。休むこと忘れてゐたり菖蒲園菖蒲園
江戸系大盃札あるもなきも撮りけり花菖蒲黄花菖蒲アヤメ科の多年草。野花菖蒲の栽培変種。水辺などの湿地に栽培される。原種の野花菖蒲は山野の湿地に自生する。江戸系水の光六月頃、抜きん出た花茎の頂に鮮麗な花をつける。花弁のもとの黄色い目型模様に特徴がある。長井系麗人江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培された。そのらめ花色、形は千差万別。品種は江戸系、伊勢系、肥後系に大別される。長井系は山形県長井市で改良されたもの。江戸系吉野太夫東京の東村山菖蒲園を訪れた。曇りの予報だったが晴れてきて、色鮮やかな花菖蒲がより一層美しく見られた。花菖蒲には、名札があるものとないものがあったが、どれも美しいので区別なく写真を撮った。江戸系友白髪晴れたれば心も晴れて白菖蒲花菖蒲
羊蹄の花や自転車土手走りタデ科の多年草。野原、路傍の湿地あるいは水辺に自生する。五~六月頃、茎の上部で分枝し、枝先の節々に淡緑色の小花を総状につけ、全体で細い円錐状をなす。六枚の蕚片があるだけで花弁はない。根は民間で皮膚病の薬とされる。川辺に羊蹄の花がたくさん見られた。その土手の上を自転車が走り抜けて行った。羊蹄の花に雀の止りけり羊蹄の花
軽のきぬ定家葛の畑道をキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、ときに庭木とされる。茎は地を這い、また気根を出して樹木や岩に絡む。五月~六月頃、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につける。のちに淡黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。式子(しょくし)内親王に恋をした藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は柾(まさき)の葛。畑道に農家の軽自動車が入ってきた。その畑の垣根に絡みついた定家葛が、びっしりと花をつけていた。見上ぐれば定家葛の香なりけり定家葛
桑の実や草踏み分けて川堤クワ科の落葉高木。五月頃、果実の集まった穂をつけ、初めは赤色で、熟すと紫黒色を呈し、甘味を増す。実は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用される。草を踏み分けながら川堤を歩いた。すると、桑の実がたくさん生っていた。桑の実に届かぬことが歯痒かり桑の実
曇り日の畑垣にあり花うつぎユキノシタ科の落葉低木。空木の花のこと。山野に自生するが、古くから垣根や田畑の境界に植えられた。五月頃、枝先に白色五弁花を密に総状につける。旧暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花からきたという。幹が空洞になっていることから「空木(うつぎ)」とも呼ぶ。この時季、卯月曇というように曇る日が多い。その曇り日を歩いた。すると、畑の垣根の中に卯の花が咲いていた。卯の花や郵便バイク細道を卯の花
ネクタイをせぬ暮しなり花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからインドにかけての原産。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花をつける。実のならない八重咲きのものを「花石榴」といい、白、淡紅、朱、しぼりなどの種類がある。散策していると、道端に柘榴が咲いていた。柘榴を見て、なぜか、長い間ネクタイをしない暮しをしているなあと思った。夕影に映ゆる柘榴となりにけり石榴の花
青空に白際立ちぬ山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、小枝の先に花をつける。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に緑黄色の頭状花をつける。山法師がたくさんの花をつけていた。青空に白い苞が際立って見えた。ゆつくりと媼の散歩山法師山法師の花
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花