天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
働くや大つごもりのトラクター一年の最後の日で、十二月末日のことをいう。大晦日(おおつごもり)、大三十日(おおみそか)、大年ともいう。晦日とは月の末日のこと。十二月末日は一年の終わりであるため、大の字を添えて大晦日という。散歩をしていると、大晦日にも拘わらず、畑ではトラクターが働いていた。大年の畑に散策怠らず大晦日
冬草を踏んで小鷺を立たせけり冬になっても青さを残して枯れ残っている草の総称。本来は枯草も含めて冬草のはずであるが、俳句では枯れた草は「枯草」「名の草枯る」などの別の季語として扱い、「冬草」「冬の草」の場合は、青草を詠むようになった。「冬青草」という呼び方があるのも、同じ美意識によるものである。冬草を踏んで川べりに近づこうとしたところ、陰に隠れていた小鷺が驚いたのか飛び立って行った。木に凭れ座りたしとも冬の草冬草
底までも日差し遍し冬の川冬の寒々として水嵩の減った川のことをいう。太平洋側では冬に雨量が少ないため、川の流れが細くなる。枯れた草木の間を流れる川は、荒涼たる冬を感じさせる。水嵩の減った冬の川には、水底まで日差しが遍く差していた。冬川にむき出しの石渡れさう冬の川
人の世も森も照らせり冬の月冬の青白く寒々と照る月をいう。冬の月は他の季節の月に比べて小さく引き締まって見える。寒さの中に見上げる月は、一層凄絶な美しさである。冬の月が寒々と輝いていた。月は人の世も照らし、森も照らしていた。ボルックスを今宵は連れて冬の月冬の月
水仙に傾きし日や川堤ヒガンバナ科の多年草。地中海沿岸原産。関東以西の海岸近くに自生するが、観賞用に栽培され、切り花としても好まれる。葉の間から花茎が伸び、その先に芳香のある数個の花を横向きにつける。白や黄色の花の中心に筒状の副花冠がある。園芸種に八重咲きや純白のものもある。全草有毒。福井県の越前岬や静岡県の爪木崎は群生地として有名。川堤を歩いていると、水仙が咲いていた。傾いた日が水仙に差していた。今は亡きひとの面影水仙花水仙
坂道の車を避けて枯葎ものに絡みもつれたまま枯れ果てている葎をいう。主に金葎(かなむぐら)のことだが、これと限定せず、枯れたままものに絡みつく蔓草ととらえてよい。夏の間は繁茂するが、冬の枯れ朽ちた様子は哀れである。狭い坂道を上ろうとしたら車が来たので端に避けた。すると、そこには暖かそうな色をした枯葎があった。青空を独り占めせり枯葎枯葎
冬晴や畑のなかの屋敷森冬の晴天をいう。太平洋側では晴れの続く日が多い。寒い日が続いたあとに青空が広がり、穏やかな暖かい日がやってくる。「冬日和」は、穏やかに晴れ渡った冬の日和をいう。冬晴となり、風物がはっきりと見えた。そんな景色として、畑の中の屋敷森があった。真白きは給水塔や冬日和冬晴
漆黒の空に聖樹の灯りけりクリスマスマーケットクリスマスの前夜。12月24日の晩をいう。キャンドルナイトクリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う祭りで、12月25日に行われる。最近では日本でも各地でクリスマスマーケットが開かれ、若い人たちで賑わっている。広場に大きなクリスマスツリーが設けられていた。それは、漆黒の空のもと点灯され、美しい輝きを放った。クリスマスイブの歌声コンコースクリスマスイブ・聖樹
枯芝に犬を連れねば手の空きて庭の芝生や野原の芝草が冬に枯れること、また、その芝草をいう。一面茶色になった芝は、日が降り注ぐと暖かそうに見え、風や曇の日にはいかにも寒々とした感じになる。枯芝には椋鳥や鶫が降りて、虫を啄んでいたりする。枯芝には犬を連れて歩いている人があちこちに見られた。こちらは犬を連れていないので、手持無沙汰であった、人を見ずマレットゴルフの枯芝に枯芝
雲浮かぶ冬至となりぬ川堤二十四節気の一つで、太陽の黄経が二七〇度に達したときをいう。陽暦十二月二十二日頃に当たる。北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が長い。この日を境にまた日が長くなってくるところから「一陽来復」ともいう。川堤を歩いた。今日は冬至。切れ切れの雲の浮かぶ日となった。近づくは月と木星冬至の夜冬至
ジョギングのちらと冬木を見上げけり落葉樹、常緑樹を問わず冬の寒さに耐えている一切の木々を指すが、いかにも冬木らしいと感じるのは、葉を落とし切った落葉樹である。普通、一本あるいは数本の木を指すが、「冬木道」「冬木原」などは冬木立に近いイメージになる。「冬欅」のように具体的な木の名をいうこともある。ジョギングをしている人がやってきた。大きな冬木の前に来ると、ちらりと冬木を見上げて走って行った。江戸よりの用水沿ひや冬木道冬木
川沿ひを縄文人も冬の暮冬の夕暮どきをいう。冬は、早々と日が落ちるとともに急に冷え込み、家々には灯がともる。その後すぐに夜の闇に包まれるまでの短いひとときだが、しみじみとした情感がある。川沿いを歩き、冬の暮となった。そういえば、縄文人は川の近くに竪穴式住居を作って暮らしていたようだが、このように川沿いを歩いたのだろうか。波の如き雲広ごりぬ冬の暮冬の暮
正門に枝垂れてゐたり枯桜桜紅葉が散り尽くした後の冬枯れの桜の木のことをいう。花時の華やかさを内に秘めた枯れ姿に、独特の味わいがある。「冬木の桜」は「冬桜」ではなく、独立した季語である。小学校の正門脇に冬木の桜が枝垂れていた。葉を落した枝垂桜の枝が美しかった。夕雲の染まり冬木の桜かな冬木の桜
人参を手早く箱に農夫婦セリ科の二年草。地中海地方原産。東洋系と西洋系があり、前者は十六世紀に、後者は江戸時代末期に中国を経て渡来した。根を食用とするが、東洋系は長く、西洋系は短い。根の色も黄、橙、赤など品種によって異なる。漢名は、胡蘿匐(こらふく)。人参畑があった。農夫婦が黄色いプラスチックの箱に、葉の茎を切っては手早く入れていた。人参の乱切り入れむポトフにも人参
冬鷺の翔てば思ひのほか大き冬に見かける鷺のことをいう。主に留鳥である小鷺や青鷺が多い。鷺の多くは南方へ渡って越冬するが、「残り鷺」と呼ばれるものは、渡りをする鷺(中大鷺など)で怪我をするなどして日本に残っているものをいう。川に冬鷺がいた。それが飛び立つと意外と大きく見えた。夕暮の川に影なし残り鷺冬鷺
枯草の広がれば山見えてをり冬になって枯れた草の総称である。枯草はその枯れた草が一面に広がっている状態をいう。山野の草の場合も、庭の草の場合もある。茂っていた草が枯れ果てた様子は、その姿も色も侘しい。枯草が広がっているところがあった。そこからは、遠くに山並みが見られた。枯草に珈琲ブレイクしてをりぬ枯草
菊枯れてゆくや瀬音を前にして寒さや霜などで傷つき、やがて枯れてゆく菊をいう。華やかな花が枯れていくのは無惨である。枯れていく中で、花がまだ色を残しているさまは、かえって哀れをさそう。川堤を歩いていると、枯菊が見られた。それは瀬音を前にしながら枯れていった。枯菊に夕日残つてゐたりけり枯菊
ねずみもちの実や霊園の柵長きモクセイ科の常緑低木。関東以西の山地に自生するが、庭木や生垣に植えられる。六月頃、枝先に香りのある白色小花を円錐形につけ、冬に、黒紫に熟した実を結ぶ。実は鼠の糞によく似ている。乾燥したものは生薬の女貞子(じょていし)といい、強壮薬とする。霊園の柵の脇に鼠黐の実が沢山生っていた。その柵は長く続いていた。重さうな鼠のこまくら青空に鼠黐の実
銀杏落葉親子が浴びて踏みしめて銀杏落葉は通常は初冬に見られるが、今年は遅れて、仲冬に入って漸く見られるようになった。絨毯のように敷かれた銀杏落葉は、踏むとふかふかとして気持ちがよい。子供がきれいな銀杏落葉を拾い集めたり、若い女性がポーズをつけて写真を撮ったりと楽しいひと時を提供してくれる。風が吹くと銀杏黄葉がはらはらと散った。その下にいた親子は銀杏落葉を浴び、そして下に溜まった落葉を踏みしめていだ。カメラマン来てゐる銀杏落葉かな銀杏落葉(2)
木の陰にやうやく見られ花八つ手ウコギ科の常緑低木。関東以西の暖地の海岸近くの山林に自生するが、多くは庭木として植えられる。七~九裂した「天狗の羽団扇」といわれる葉があることからその名がある。初冬の頃、花茎が伸びて枝分かれし、その先に白色の小花を球状につける。翌年の初夏に、黒い球形の実を結ぶ。八手は本来十一月頃に咲くが、今年は猛暑だったせいか十二月になってようやく咲いた。それは、木の陰にひっそりと咲いていた。父逝きて十年(ととせ)余りや花八つ手八手の花
緩やかにマレットゴルフ冬木の芽樹木及び多年草に生じ、越冬する芽のことをいう。春に萌えだす芽は、夏から秋にかけて作られ、そのまま冬を越す。鱗片で覆われたり、蝋物質、樹脂、密生した毛などで保護されて、寒さに耐えられるようになっている。年配者数人が緩やかな動作でマレットゴルフを楽しんでいた。近くには、すでに冬木の芽が立っていた。夕空の色が好きなり冬木の芽冬芽
夕鴨に平穏といふ時ありぬカモ科の小形の水鳥の総称。晩秋から初冬にかけて、北方から日本各地の湖や沼などに渡ってくる。鴨には多くの種類があるが、よく見かけるのは真鴨。雄が「青頸」といわれるもので、頭と首が緑色の艶やかな羽に包まれる。味がよく鴨猟の格好の獲物とされる。夕方散策していると、川に鴨の群れが見られた。鴨の世界には平穏という時が流れていた。望遠レンズ沼の奥なる青頸を鴨
冬茜思ひがけなく富士見えて冬の夕暮に空が茜色に染まることをいう。茜空は四季を通じて見られるが、冬は空気が澄んでいるため鮮やかな茜色になる。ただ、時間的に短く、すぐに薄れていく。散策していると次第に暮れて、空は冬茜となった。思いがけなくも、その茜空を背景に、富士山が薄墨色に見られた。川岸の木の黒影や冬茜冬茜
括られて白菜らしくなりにけりアブラナ科の一、二年生葉菜。中国北部原産。葉は淡緑色で、生育するにつれ互いに緩やかに葉が重なり合う。白菜は漬物や鍋物のほか各種の料理に使われる。白菜畑があった。白菜は括られていて、いかにも白菜らしくなっていた。白菜を刻み餡掛け炒飯に白菜
彩は桜落葉と知られけり桜はバラ科サクラ属の落葉高木または低木。桜の紅葉した落葉をいう。桜の葉は冬になると、黄色から紅色に美しく紅葉する。その葉はやがて散って桜落葉となる。散歩していると、地に彩の美しい葉が散っていた。近づくと桜落葉と知られた。点描に似てゐし桜落葉かな桜落葉
ごつそりと枯葉ばかりの欅かな枯れた草木の葉をいう。枝、茎についている葉と地上に落ちた葉の双方とも指す。地に落ちた葉は時間がたつとかさかさに乾き、文字通り枯葉になる。その特有の乾いた音に寂寥感が漂う。欅の大木があった。見ると枯葉ばかりがごっそりとついていて、まだ散っていなかった。かさかさを聞きたくて踏む枯葉かな枯葉
一畝の冬菜に朝日散らばれり冬の菜類の総称。白菜、小松菜、菠薐草、水菜などがある。あたりが荒涼と枯れ果てたなかで、冬菜の緑はひときわ鮮やかである。冬菜畑があった。その一畝に朝日が散らばるように輝いていた。白雲の浮いてをりけり冬菜畑冬菜
冬晴の畑を眺めて歩きけり冬の晴天のことをいう。寒い日が続いたあとには青空が広がり、風のない穏やかな日がやってくる。太平洋側ではからりとした晴れの続く日が多い。「冬日和」は穏やかに晴れ渡った冬の日和のことをいう。冬晴となった。散策に出て、畑を眺めながら歩いた。貧にして心伸びやか冬日和冬晴
銀杏落葉踏むべくありぬ散策路銀杏はイチョウ科の落葉高木。秋から初冬にかけて美しい黄色に黄葉する。銀杏は冬に入るとたちまち散る。神社や寺院の巨木、街路樹に多く見られ、霜が降りる頃になると散るのもしきりになり、やがて一気に散り尽くして、金色の絨毯を敷き詰めたようになる。いつも歩いている散策路に銀杏落葉が見られた。あたかもその上を歩いて行けるように敷かれていた。億年を秘めたる銀杏落葉かな銀杏落葉
松平一族の墓朴落葉モクレン科の落葉高木。日本特産。山地に自生し、庭木として植栽もされる。葉は三〇センチほどの楕円形で、芳香がある。葉は冬になると土色に枯れ、枝から一枚一枚音を立てて落ち、木の回りを覆う。平林寺には松平信綱を初め、松平一族の大きな墓がある。その近くに沢山の葉を落した朴落葉が見られた。木洩れ日に夥しくも朴落葉朴落葉
紅葉散る鐘楼よりのひと風に冬に入って紅葉した木の葉が散ってゆくことをいう。冬に入ると盛りを過ぎた紅葉が、冷たい風雨に晒されて地面に無数に降り注ぐ。風に舞う紅葉、渓流を流れて行く紅葉、庭に散り敷かれた紅葉などもまた美しい。鐘楼の方からさあっと風が吹いてきた。すると、楓紅葉がはらはらと苔の上に散った。境内を野火止の水散紅葉紅葉散る
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天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
草苺幼の記憶誰にでもバラ科イチゴ属の小低木。本州以南の山野に自生する。春、枝先に白色の五弁花をつける。初夏に球形の実が赤く熟し、食すことができる。道端に草苺が生っていた。幼い頃食べた記憶があり、誰にでも幼い頃の記憶というものがあるのだろうと思った。昼の日の強くなりけり草苺草苺
野火止の小流れ今も忍冬スイカズラ科の蔓性常緑低木。山野に自生する。子供たちが花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛」と呼ばれ、枝葉が冬も枯れないので「忍冬」と名づけられた。初夏に、葉腋に二つずつ並んで細い筒形の合弁花をつける。花は二裂し甘い芳香を放つ。花は初めは白く、後に淡黄色に変わるので金銀花ともいう。野火止用水は江戸時代以降今も流れている。その流れの上に忍冬が咲いていた。忍冬といへば波郷を想ひけり忍冬(すいかずら)の花
散策に日の傾きぬ柿の花柿はカキノキ科の落葉高木。五月頃、葉腋に黄緑色の合弁花をつける。花弁は壺状で、緑色の蕚片がある。開花後、花弁は黄色となって落ち、その頃には樹上にすでに幼い青柿を結んでいる。散策でかなりの時間歩いていると、日がすでに傾いていた。夕日が柿の花に当たっていた。未来読むことは難しや柿の花柿の花
薫風や一万歩越す一休み青葉を吹く風が緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌で初夏の風として意識され始めた。元禄時代になって俳句の季語として使われ、以後今日まで伝わっている。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように、初夏の五月にこそふさわしい季語といえる。歩いていて一万歩を越したところで、自動販売機のジュースを買い、ベンチで一休みした。その間も薫風は吹き渡っていた。風薫る木の間に覗く昼の月風薫る
青空に煙るがごとし花樗センダン科の落葉高木。楝は栴檀の古名。暖地の海岸近くに自生するが、庭園に植えられもする。初夏に、白または淡紫色の五弁花を円錐花序につける。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、香木の白檀のことで別種。樗の花が満開となっていた。それはままるで青空に煙っているかのように見えた。栴檀の花に川風強かりし楝の花
アイリスや晴るれば歩く日課にてアヤメ科アヤメ属の多年草。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、イングリッシュアイリスなどの総称。アイリスはギリシャ神話の虹の神で、その伝説から「恋のメッセージ」が花言葉。初夏に花菖蒲より少し小さい花をつける。色は白、黄、藍、紫など多彩。主に園芸種として栽培されている。道沿いにアイリスが咲いていた。これを見られるのも、晴れれば歩くという日課のお陰である。アイリスや恋の一語の遥かなるアイリス
竹皮を脱ぐや無言を押しとほし筍は伸びるにしたがって、下方の節から順に皮を脱いでいく。真竹や孟宗竹の皮には黒い斑点があるが、淡竹の皮にはない。真竹の皮には防腐作用があり、古くから食材を包むために用いられてきた。竹林に竹が皮を脱ぐのが多く見られた。静まり返っているので、まるで竹が無言を押し通して皮を脱いでいるようであった。小流れの音に竹皮脱ぎにけり竹の皮脱ぐ
遠くまで足を伸ばしぬ柿若葉柿の若葉は,、新鮮さを感じさせる明るい萌黄色である。葉はつやつやとして柔らかい。柿の木は庭木として植えられることも多く、家々の庭は初夏らしい明るさとなる。散策の足を遠くまで伸ばしてきた。すると、そこには萌黄色の柿若葉が見られた。自転車のペダルの軽し柿若葉柿若葉
令和はや六年となり棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。庭に植えられるが、暖地では自生化している。雌雄異株。初夏の頃、葉のつけ根から黄白色の粒状の花を房状に垂れる。幹は柱、皿、鉢、盆などにされ、花は食用にもなる。葉は棕櫚笠、団扇、敷物などに使用される。令和はコロナ禍や地震など重い出来事が多かったが、早や六年となった。公園にはぼってりと重そうな棕櫚の花咲いていた。むくむくとこの世に現れて棕櫚の花棕櫚の花
ショパン聴きたし矢車草に立ちキク科の一・二年草。矢車草は矢車菊の通称。ヨーロッパ原産。四~五月頃、長い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似ているところからこの名がある。花色は青のほかに、白、赤、紫、桃色などがある。矢車草が沢山咲いていた。その前に佇んでいると、なぜかショパンのピアノ曲が聞きたくなった。矢車草群生にあり風の道矢車草
下校児と一時歩く清和かな初夏の気候が清らかで穏やかなことをいう。中国では陰暦四月朔日を清和節という。古くは「和清の天」として詠まれている。今日は久しぶりに晴れて、五月らしい気持ちのよい日となった。歩いていて、一時下校児たちと一緒に歩くこととなった。天清和橋の上にて深呼吸清和
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花
矢車草しやがんで猫を呼ぶをみなキク科の一年草または二年草。ヨーロッパ原産。正式名は「矢車菊」。四~七月、細い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似るところからこの名がある。花色は紫、赤、白、桃などさまざま。矢車草が群生しているところがあった。その横の道に入り込んだ猫を、若い女性がしゃがんで呼んでいた。矢車草まちまちに揺れ風の道矢車草
今生の濁世に白しえごの花エゴノキ科の落葉小高木。林野に自生するが、庭園などに植栽もされる。五月頃、長い花柄の先に白い漏斗状の五弁花を下垂する。果皮が喉を刺激し、えごいところからこの名がある。サポニンという毒があり、かつては洗濯に用いたり、搾り汁を川に流して魚を捕らえるのに使われた。えごは山苣(やまぢさ)ともいう。今生きているにごった世の中に、えごの花が真っ白に咲いていた。えごの花散つたりレンタサイクルにえごの花
のけ反つて退りて土手の朴の花モクレン科の落葉高木。山地に自生し、高さは二十メートルを越える。五月頃、枝先に香気の強い黄白色の六~九弁の大輪の花をつける。下からは見えにくい。「朴散華」と傍題にあるが、実際は散華せず、そのまましおれて落ちる。川堤の道に朴の花が咲いていた。のけ反って見上げたがよく見えず、後ろへ下がって仰いで見た。天上の誰彼見るや朴の花朴の花
竹皮を脱ぐや散策路の脇に筍は伸びるにつれて、その皮を一枚ずつ落としていく。真竹や孟宗竹の皮には斑点があるが、淡竹の皮にはない。竹の皮は葉鞘が変化したもので、自然に脱落するころに採取し、食材を包むのに用いる。散策をしていると、篁があった。その中で竹が皮を脱いでいた。竹の皮散つて微かな音したり竹の皮脱ぐ
自転車に乗つてポストへ柿若葉柿の若葉のこと。新鮮さを感じさせる萌黄色である。いかにも若々しく明るくて力強い感じである。葉は艶があり、柔らかである。青空に柿若葉が輝いていた。その脇を通って、自転車でポストへと走った。柿若葉腹ごなしとふ散歩して柿若葉
花いばら晴るれば足の軽くなりバラ科の落葉低木。日本全土の山野に自生する。五月頃、枝先に芳香のある白い五弁花を円錐状に多数つける。果実は球形で、秋には赤く熟し、薬用とされる。散策していると道端に茨の花が咲いていた。晴れると茨の花が生き生きとしているように、こちらも足が軽くなったように感じられた。川堤下りて野茨眩しみぬ茨の花
草苺ふふみてありぬ日の温みバラ科の小低木。本州以南の山野や藪などに自生する。四月頃、枝先に白色の五弁花をつけ、花のあと夏に球形の赤い実を生らせる。実は食すことができる。道端に草苺が熟して真っ赤になっていた。美味しそうなので一つ摘んで食べてみた。すると、その草苺には日の温みがあった。宝石のごと坂道の草苺草苺
橋めざし歩いてをれば紫蘭かなラン科の多年草。関東以西から朝鮮半島、中国の湿原や草原に自生するが、観賞用に庭に植えられもする。四~六月頃、三十~五十センチの花茎を伸ばして、紅紫色の花を五、六個つける。遠くにある橋を目指して川沿いを歩いていた。すると道端に紫蘭が美しく咲いていた。紫蘭咲く前をじやれ合ふ犬二匹紫蘭
葉桜や釣人いつも一人ゐて桜の若葉をいう。桜は花が散ると若葉が出始め、五月には青葉となり、葉は緑色を深めてゆく。「花は葉に」ともいうが、夏の季語であり、春の季語ではない。日の光に透けた葉桜はことに美しい。川堤の道の桜が葉桜となっていた。その下の川にいつも一人の釣り人がいた。葉桜の下を自転車抜けにけり葉桜
丘に日の降り注ぎゐる牡丹かなボタン科の落葉低木。中国原産。日本には平安時代初期に薬用植物として渡来し、寺院に植えられた。江戸時代の頃より庭園で栽培し、一般に鑑賞されるようになった。江戸時代には百六十種以上の品種が知られていたが、現在栽培されているのは四、五十種である。四~五月頃、十~二十センチの大輪の花をつける。花色は、白、紅、淡紅、真紅、黄、黒紫、絞りなどさまざま。花びらは一重、八重、千重など。丘の開けたところに牡丹園がある。その牡丹に日が降り注いでいた。乾きたる風心地よし牡丹園牡丹
川沿ひを歩くのが好き桐の花ゴマノハグサ科の落葉高木。中国原産。有用植物として導入、栽培され、各地に野生化している。五月上旬、枝先に大型の円錐花序を直立させ、紫色の唇形花を多数つける。だが、今年は四月下旬に満開となった。材は軽く、箪笥、琴、下駄などになる。川沿いの道を散歩するのが好きである。その道に桐の花が満開になっていた。散つてなほ曼荼羅なせり桐の花桐の花