天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
目白春禽の一瞬貌を見せにけり尉鶲(雌)春に見かける鳥をいう。椋鳥春は、繁殖期を迎えた鳥が活発に活動するため、鳥が目につく季節である。背黒鶺鴒縄張り宣言や囀りが盛んになるので、人々はそこに春らしさを感じる。鵯春の鳥が盛んに枝移りをしていた.なかなか貌を見せないが、一瞬だけ貌を見せてくれた。小啄木(こげら)里山を鳴き移りをり春の鳥春の鳥
紅千鳥紅梅へそそぐ日差しやありがたき紅色の花をつける梅のことをいう。花期は白梅よりやや遅い。花の色は艶やかである。八重寒紅白梅に比べると、若々しい華やぎがある。広い公園に紅梅が咲いていた。その紅梅に降り注ぐ日差しをありがたいと思った。鹿児島紅紅梅や渡つてみたる池の橋紅梅
まんさくを絞る強風とはなりぬマンサク科の落葉小高木。山野に自生するが、観賞用として植栽もされる。早春、葉に先立って黄色い線状のねじれた四弁花を枝いっぱいにつける。金縷梅の名は、他に先がけて「まず咲く」ことから転じたとも、黄色い花が稲穂を思わせ、豊年満作につながるからともいわれる。今日も春北風が吹き、金縷梅の花を絞るほどの強風となった。金縷梅や滑り台には子が一人金縷梅(まんさく)
春北風や畑のビニール波打ちて日本海を通り過ぎた低気圧が北海道の東の海上に達し、西から移動性高気圧が進んでくると、一時的に西高東低の冬型の気圧配置に戻ることがある。この時に吹く北寄りの風を「春北風(はるきた)」と呼ぶ。「ならい」は、東日本の太平洋側、特に関東地方で吹く冬の季節風の呼び名。春先にも吹き、これを「春北風’(はるならい)」という。春北風は「春はまだこれから」と思わせる寒さを伴った風である。春北風が激しく吹き渡っていた。そのため、畑の野菜を覆っているビニールが波打っていた。春北風秩父連山紺深く春北風(はるきた)
月影月影は好きな梅なり若きより南高梅バラ科の落葉小高木。中国原産。日本には八世紀頃、漢方薬の烏梅(うばい)として渡来したとされる。長束(なつか)早春、他の花に先がけて芳香のある五弁花をつける。八重咲きもある。思いのまま梅の名所として、偕楽園、吉野梅郷、熱海梅園、月ヶ瀬梅林、北野、南部(みなべ)梅林などがある。月影枝垂梅の中で一番好きなのは「月影」という名の梅。野梅系、青軸性で、花が薄く緑がかった一重てある。若い頃から好きだった。白加賀白梅や小澤征爾も鬼籍にと梅
薄雲のかかつてゐたる春の月単に月といえば秋の季語なので、特に春の一字をつけて春の季語とする。春の夜は大気中に水分が多いため、月は潤んで見える。秋の月はさやけさを愛で、春の月は艶なる風情を楽しむ。今日は満月だったが、春らしく薄雲が出て月がにじんで見えた。春満月見てよりカレー作りけり春の月
目に優しはうれん草の深緑アカザ科の一・二年草。西アジア原産。早春の代表的な緑色野菜で、ビタミンCや鉄分を含む。お浸し、和え物、炒め物などに広く使われる。根元の赤い在来種は江戸時代に渡来し、丸葉で根の白い西洋種は明治時代に渡来した。畑に菠薐草の列が見られた。菠薐草の深緑色は目に優しかった。酒すすむ菠薐草の炒め物菠薐草
獺祭(だつさい)やたあれもをらぬ川堤七十二候の一つで、二十四節気の雨水の初候。陽暦二月十九日から二十三日頃までの約五日間に当たる。獺が捕らえた魚をすぐには食べず、岸辺に並べておくという意味である。なお、正岡子規の別号「獺祭書屋主人」はこれにちなむものである。獺魚を祭るの候となった。本来なら少しずつ暖かくなる時期であるが、今年は初春が暖かすぎた反動で厳しい寒の戻りとなっている。そのせいで、川堤には歩く人は誰もいなかった。魚祭る獺(をそ)や暗雲垂れ込めて獺(かわうそ)魚を祭る
イヤホンはシベリウスなり冴返る立春を過ぎて暖かくなりかけた頃に、また寒さが戻ってくることをいう。再びの寒気によって、心身の澄み渡るような感覚が戻ってくる。早春の寒さという点では「余寒」「春寒」と似ているが、「冴え」という言葉からは、色や光のより感覚的な働きがある。散策するときはイヤホンをつけて音楽を聴いている。シベリウスの曲を聴き、冴え返った感が更に深まった。寒戻る木を映しゐる潦(にはたづみ)冴返る
薄紅梅明日安かれと佇みぬバラ科の落葉高木。中国原産。色の薄い紅梅の花をいう。華麗な紅梅と違い、清楚な美しさがある。薄紅梅が咲いていた。その下に佇み、明日も穏やかな一日であるようにと願った。川岸の薄紅梅に日差しけり薄紅色
黒雲の速き流れも雨水かな二十四節気の一つで、陽暦二月十九日頃に当たる。降る雪が雨に変わり、積もった雪や氷が解けて水となるとの意から、雨水という。雨水直前の朔日が旧正月(春節)であり、旧正月の日付を決める基準である。雨水の今日は曇り、一時雨も降った。黒い雲の流れが速いのも雨水であると思った。雨水かな浅瀬を鯉の泳ぎゐて雨水
大胆な人の足跡春の土春になって凍てがゆるんだ土をいう。柔らかく黒々とした土には、ひとしお春の訪れを感じる。雪と氷に閉ざされた地方で生まれた「土恋し」がもとになった比較的新しい季語である。畑に大胆な人の足跡があった。畑は柔らかく、踏めば足跡がくっきりとつく春の土であった。飛び立ちし鳥の足跡春の土春の土
古草や散歩の犬とすれ違ひ春になって残っている古くなった前年の草のことをいう。去年生えてまだ枯れずにある草で、常緑の多年草なら殆どがあてはまる。古草は古草のみがあるだけではなく、若草の中に混じっているものをさす。川沿いの道に古草が残っていた。その前で、散歩をしている犬とすれ違った。古草の野に遊ぶ子のをらざりし古草
魚は氷にひたすら歩く川堤七十二候のうち立春の三候をいう。二月十四日頃から十八日頃までの約五日間に当たる。この時期になると少しずつ暖かくなり、川や湖の氷が割れて、その隙間から魚が氷の上に跳び上がるという意味である。魚氷に上る時節となった。暖かくなったので、ひたすら川堤を歩いた。魚は氷に上りそろそろ旅心魚氷(ひ)に上(のぼ)る
春一番走らせ畑の土埃立春後、初めて吹く強い南風のことをいう。強力な日本海低気圧へ吹き込む風で、大体二月末から三月初めに吹く。だが、今年は本日、関東、北陸、四国の各地方で二週間も早い「春一番」が観測された。元々は壱岐地方の漁師が使っていた言葉であったが、気象用語として定着した。今日、春一番が吹いた。畑の土埃を走らせ、凄まじい勢いであった。春一番鴉四十羽流しけり春一番
小松菜の畝の幾列夕迫りアブラナ科の一年生または越年生の草本。葉の大きい濃緑色の野菜。耐寒性が強く、葉質が軟らかで繊維が少ないため、汁の実、浸し物などにする。東京の江戸川区小松川が原産地といわれ、この名のもととなった。若い菜は鶯菜とも呼ぶ。畑に小松菜が幾畝もあった。畑には夕暮れが迫っていた。小松菜のパスタに開けぬ白ワイン小松菜
早春の山並見ゆる畑かな立春以後、二月いっぱいくらいをいう。まだ寒さが厳しいなかにも春の息吹が感じられる。気候や生物の営みに明るさや活力が感じられるようになる。「春浅し」と時期的にほぼ同じである。散策していると、人の営みが感じられる畑があった。そこからは、早春の青い山並が望まれる、そんな畑であった。早春や散歩の犬の見目よくて早春
カメラマン野梅と夕日浴びゐたり山野に自生する梅、または野に咲く梅をいう。一月から二月にかけて美しい白色一重の花を気品よく咲かせ、開花すると芳香を漂わせる。野梅は最も多く分布しており、庭園にも植えられる。川岸に野梅が咲いていた。若いカメラマンが望遠付きのカメラを持ち、野梅とともに夕日を浴びていた。川沿ひの道逸れ来れば野梅かな野梅
をちこちに米軍基地の斑雪かなまばらに降り積もった春の雪、または解けかけてまだらに残っている雪をいう。春の雪は解けやすいが、日差しや地形によりすぐ解けるところ、降り積もるところができ、まだらに解け残るのである。また、はらはらとまばらに降る雪のこともいう。散歩していると米軍基地があった。広々とした基地の中のあちこちに斑雪が見られた。片側や畑の隅のはだれ雪斑雪(はだれ)
春泥や自転車通る森の道春のぬかるみのことをいう。春先は雨量が増え、気温もまだ低いので、土の乾きが遅い。特に凍解け、雪解けなどによって生じる泥濘は人々を悩ませる。森の中の道が春泥となっていた。そこに自転車が通った轍が残っていた。春泥を恐る恐るに学生ら春泥
春陰や畑道に誰(た)も出会はずに春の曇り空をいう。「花曇」と似た季語であるが、初春から晩春まで花時に限らず使われる。明るい春にあって憂いを帯びた陰りを感じさせる。春陰の中散策をした。畑道を歩いたが、誰にも出会わなかった。春陰の夕日のありど野に立てば春陰
S字型散策路なり藪椿ツバキ科の常緑高木。暖地、特に太平洋側の海岸近くの丘陵に自生する。数多くの園芸品種のもととなった種類である。春早く、枝先に紅色の五弁花を一個ずつつける。別名、山椿。散策路がS字型に曲がっていた。その脇に藪椿が咲いていた。藪椿前を男の走りけり藪椿
春浅し空青くして畑白き立春以後の春とは名のみの頃をいう。降雪もあり、木々の芽吹きにはまだ間がある頃である。だが、寒さの中に春はその気配をわずかに漂わせている。「早春」とほぼ同じ季語だが、「春浅し」の方が語感が柔らかい。春雪の降った後、一気に晴れ渡った。空は青くして、畑はまだ真っ白であった。春浅しの感があった。浅春や用水に鷺二羽降りて春浅し
ポストへと春雪の道歩きけり春の雪はすぐに解けやすいが、曇っていて気温が低いと解けずに残っている。外に出てみると、昨日降った春の雪が畑や空地に真っ白に残っていた。二年振りの春の雪も滑ったりしなければ、見ていて楽しいものであった。郵便物を出しに、長靴を履いて春雪の道をポストへと歩いて行った。いつもの道が長く感じられた。父母のゐしころ思ひ出す春の雪春の雪(2)
自転車を転がし行けり春の雪立春以降、春になってから降る雪をいう。関東以西では、ことに春先に思わぬ雪に見舞われることがあり、春を呼ぶ雪ともいわれる。春の雪は、冬の雪と違って解けやすい。午後に春の雪が降り、夕方には降りしきって真っ白に積もった。保育園に幼児を迎えに行った自転車は、乗らずに転がして帰って行った。春雪や日課の散歩叶はずに春の雪
供花多き立春の辻仏かな二十四節気のうち春の最初の節気をいう。陽暦二月四日頃にあたる。春の初めの日であり、立夏の前日までが暦上の春。俳句文学館寒気のなかにもかすかな春の兆しが感じられる。新宿区百人町の俳句文学館を訪れた。その途中の道端に辻仏がある。立春の今日、石仏には多くの花が供えられていた。立春や新宿に雨上がりゐて立春
節分の堤を走るをみなかな立春の前日で、陽暦二月三日頃にあたる。もともと春夏秋冬の最後の日をいう語だが、現在は立春前日をさすようになった。寺社では大々的に年男、年女が豆撒きを行い、民間でも豆を撒く。また、この年の恵方を向いて恵方巻を無言で食べ、福を呼ぶ風習も盛んに行われるようになった。節分の今日、川堤をジョギングする女性が多く見られた。しづかにも食べ福豆と恵方巻節分・福豆
公園に少なき人や冬終る長い陰鬱な冬が終わることをいう。立春が近づいて、立冬から三か月も続いた冬が終わること。長かった寒い冬から解放される安堵感や喜びが感じられる。公園に行ったが、いつもより人が少なかった。それでも冬が終わったという感があった。冬果つや夕日明りの鳥の影冬終る
水中を見つむる目なり冬の鷺冬に見かける鷺のことをいう。主に小鷺や青鷺が多い。白鷺も青鷺も夏の季語で本来は夏に多く見られるはずであるが、近年の夏はあまりの猛暑で、鷺の姿はほとんど見られない。おそらく、更に北の方で過ごし、秋に南下して、逆に冬の方が鷺を見かける機会が多くなっているのだろう。暖冬の所為で、冬に日本の南方へ移る必要がなくなったのかもしれない。冬鷺の本意は寒さに耐えている鷺で、寒風の吹きつける日などは寒そうにしているのが見られる。川に冬の鷺がいた。冬鷺は水中を見つめ、小魚を狙っている目をしていた。冬鷺の翔て夕日を浴びにけり冬鷺(2)
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天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
草苺幼の記憶誰にでもバラ科イチゴ属の小低木。本州以南の山野に自生する。春、枝先に白色の五弁花をつける。初夏に球形の実が赤く熟し、食すことができる。道端に草苺が生っていた。幼い頃食べた記憶があり、誰にでも幼い頃の記憶というものがあるのだろうと思った。昼の日の強くなりけり草苺草苺
野火止の小流れ今も忍冬スイカズラ科の蔓性常緑低木。山野に自生する。子供たちが花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛」と呼ばれ、枝葉が冬も枯れないので「忍冬」と名づけられた。初夏に、葉腋に二つずつ並んで細い筒形の合弁花をつける。花は二裂し甘い芳香を放つ。花は初めは白く、後に淡黄色に変わるので金銀花ともいう。野火止用水は江戸時代以降今も流れている。その流れの上に忍冬が咲いていた。忍冬といへば波郷を想ひけり忍冬(すいかずら)の花
散策に日の傾きぬ柿の花柿はカキノキ科の落葉高木。五月頃、葉腋に黄緑色の合弁花をつける。花弁は壺状で、緑色の蕚片がある。開花後、花弁は黄色となって落ち、その頃には樹上にすでに幼い青柿を結んでいる。散策でかなりの時間歩いていると、日がすでに傾いていた。夕日が柿の花に当たっていた。未来読むことは難しや柿の花柿の花
薫風や一万歩越す一休み青葉を吹く風が緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌で初夏の風として意識され始めた。元禄時代になって俳句の季語として使われ、以後今日まで伝わっている。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように、初夏の五月にこそふさわしい季語といえる。歩いていて一万歩を越したところで、自動販売機のジュースを買い、ベンチで一休みした。その間も薫風は吹き渡っていた。風薫る木の間に覗く昼の月風薫る
青空に煙るがごとし花樗センダン科の落葉高木。楝は栴檀の古名。暖地の海岸近くに自生するが、庭園に植えられもする。初夏に、白または淡紫色の五弁花を円錐花序につける。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、香木の白檀のことで別種。樗の花が満開となっていた。それはままるで青空に煙っているかのように見えた。栴檀の花に川風強かりし楝の花
アイリスや晴るれば歩く日課にてアヤメ科アヤメ属の多年草。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、イングリッシュアイリスなどの総称。アイリスはギリシャ神話の虹の神で、その伝説から「恋のメッセージ」が花言葉。初夏に花菖蒲より少し小さい花をつける。色は白、黄、藍、紫など多彩。主に園芸種として栽培されている。道沿いにアイリスが咲いていた。これを見られるのも、晴れれば歩くという日課のお陰である。アイリスや恋の一語の遥かなるアイリス
竹皮を脱ぐや無言を押しとほし筍は伸びるにしたがって、下方の節から順に皮を脱いでいく。真竹や孟宗竹の皮には黒い斑点があるが、淡竹の皮にはない。真竹の皮には防腐作用があり、古くから食材を包むために用いられてきた。竹林に竹が皮を脱ぐのが多く見られた。静まり返っているので、まるで竹が無言を押し通して皮を脱いでいるようであった。小流れの音に竹皮脱ぎにけり竹の皮脱ぐ
遠くまで足を伸ばしぬ柿若葉柿の若葉は,、新鮮さを感じさせる明るい萌黄色である。葉はつやつやとして柔らかい。柿の木は庭木として植えられることも多く、家々の庭は初夏らしい明るさとなる。散策の足を遠くまで伸ばしてきた。すると、そこには萌黄色の柿若葉が見られた。自転車のペダルの軽し柿若葉柿若葉
令和はや六年となり棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。庭に植えられるが、暖地では自生化している。雌雄異株。初夏の頃、葉のつけ根から黄白色の粒状の花を房状に垂れる。幹は柱、皿、鉢、盆などにされ、花は食用にもなる。葉は棕櫚笠、団扇、敷物などに使用される。令和はコロナ禍や地震など重い出来事が多かったが、早や六年となった。公園にはぼってりと重そうな棕櫚の花咲いていた。むくむくとこの世に現れて棕櫚の花棕櫚の花
ショパン聴きたし矢車草に立ちキク科の一・二年草。矢車草は矢車菊の通称。ヨーロッパ原産。四~五月頃、長い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似ているところからこの名がある。花色は青のほかに、白、赤、紫、桃色などがある。矢車草が沢山咲いていた。その前に佇んでいると、なぜかショパンのピアノ曲が聞きたくなった。矢車草群生にあり風の道矢車草
下校児と一時歩く清和かな初夏の気候が清らかで穏やかなことをいう。中国では陰暦四月朔日を清和節という。古くは「和清の天」として詠まれている。今日は久しぶりに晴れて、五月らしい気持ちのよい日となった。歩いていて、一時下校児たちと一緒に歩くこととなった。天清和橋の上にて深呼吸清和
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花
矢車草しやがんで猫を呼ぶをみなキク科の一年草または二年草。ヨーロッパ原産。正式名は「矢車菊」。四~七月、細い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似るところからこの名がある。花色は紫、赤、白、桃などさまざま。矢車草が群生しているところがあった。その横の道に入り込んだ猫を、若い女性がしゃがんで呼んでいた。矢車草まちまちに揺れ風の道矢車草
今生の濁世に白しえごの花エゴノキ科の落葉小高木。林野に自生するが、庭園などに植栽もされる。五月頃、長い花柄の先に白い漏斗状の五弁花を下垂する。果皮が喉を刺激し、えごいところからこの名がある。サポニンという毒があり、かつては洗濯に用いたり、搾り汁を川に流して魚を捕らえるのに使われた。えごは山苣(やまぢさ)ともいう。今生きているにごった世の中に、えごの花が真っ白に咲いていた。えごの花散つたりレンタサイクルにえごの花
のけ反つて退りて土手の朴の花モクレン科の落葉高木。山地に自生し、高さは二十メートルを越える。五月頃、枝先に香気の強い黄白色の六~九弁の大輪の花をつける。下からは見えにくい。「朴散華」と傍題にあるが、実際は散華せず、そのまましおれて落ちる。川堤の道に朴の花が咲いていた。のけ反って見上げたがよく見えず、後ろへ下がって仰いで見た。天上の誰彼見るや朴の花朴の花
竹皮を脱ぐや散策路の脇に筍は伸びるにつれて、その皮を一枚ずつ落としていく。真竹や孟宗竹の皮には斑点があるが、淡竹の皮にはない。竹の皮は葉鞘が変化したもので、自然に脱落するころに採取し、食材を包むのに用いる。散策をしていると、篁があった。その中で竹が皮を脱いでいた。竹の皮散つて微かな音したり竹の皮脱ぐ
自転車に乗つてポストへ柿若葉柿の若葉のこと。新鮮さを感じさせる萌黄色である。いかにも若々しく明るくて力強い感じである。葉は艶があり、柔らかである。青空に柿若葉が輝いていた。その脇を通って、自転車でポストへと走った。柿若葉腹ごなしとふ散歩して柿若葉
花いばら晴るれば足の軽くなりバラ科の落葉低木。日本全土の山野に自生する。五月頃、枝先に芳香のある白い五弁花を円錐状に多数つける。果実は球形で、秋には赤く熟し、薬用とされる。散策していると道端に茨の花が咲いていた。晴れると茨の花が生き生きとしているように、こちらも足が軽くなったように感じられた。川堤下りて野茨眩しみぬ茨の花
草苺ふふみてありぬ日の温みバラ科の小低木。本州以南の山野や藪などに自生する。四月頃、枝先に白色の五弁花をつけ、花のあと夏に球形の赤い実を生らせる。実は食すことができる。道端に草苺が熟して真っ赤になっていた。美味しそうなので一つ摘んで食べてみた。すると、その草苺には日の温みがあった。宝石のごと坂道の草苺草苺
橋めざし歩いてをれば紫蘭かなラン科の多年草。関東以西から朝鮮半島、中国の湿原や草原に自生するが、観賞用に庭に植えられもする。四~六月頃、三十~五十センチの花茎を伸ばして、紅紫色の花を五、六個つける。遠くにある橋を目指して川沿いを歩いていた。すると道端に紫蘭が美しく咲いていた。紫蘭咲く前をじやれ合ふ犬二匹紫蘭
葉桜や釣人いつも一人ゐて桜の若葉をいう。桜は花が散ると若葉が出始め、五月には青葉となり、葉は緑色を深めてゆく。「花は葉に」ともいうが、夏の季語であり、春の季語ではない。日の光に透けた葉桜はことに美しい。川堤の道の桜が葉桜となっていた。その下の川にいつも一人の釣り人がいた。葉桜の下を自転車抜けにけり葉桜
丘に日の降り注ぎゐる牡丹かなボタン科の落葉低木。中国原産。日本には平安時代初期に薬用植物として渡来し、寺院に植えられた。江戸時代の頃より庭園で栽培し、一般に鑑賞されるようになった。江戸時代には百六十種以上の品種が知られていたが、現在栽培されているのは四、五十種である。四~五月頃、十~二十センチの大輪の花をつける。花色は、白、紅、淡紅、真紅、黄、黒紫、絞りなどさまざま。花びらは一重、八重、千重など。丘の開けたところに牡丹園がある。その牡丹に日が降り注いでいた。乾きたる風心地よし牡丹園牡丹
川沿ひを歩くのが好き桐の花ゴマノハグサ科の落葉高木。中国原産。有用植物として導入、栽培され、各地に野生化している。五月上旬、枝先に大型の円錐花序を直立させ、紫色の唇形花を多数つける。だが、今年は四月下旬に満開となった。材は軽く、箪笥、琴、下駄などになる。川沿いの道を散歩するのが好きである。その道に桐の花が満開になっていた。散つてなほ曼荼羅なせり桐の花桐の花