岩手を主に明治、大正、昭和初期のふるーい領収証などを集めてみました。 盛岡市紺屋町や肴町、一戸町、貨物鉄道の物が多いです。 (^^)
久々平興酒店さんに訪問したら屏店の張り紙が。。本当にザンネンです そして今まで美味しいお酒を安価で提供いただきありがとうございました奥様との語らいも楽しかったなあm(_ _)m
高島太陽堂薬院 富山県海老江 大正時代
工藤商店 岩手県二戸郡一戸町 大正時代
岩手日報社
内山ガラス商店 岩手県盛岡市肴町 大正時代のレトロアンティーク
岩手県盛岡市 大正時代のレトロアンティーク
大槌屋 田中家具店 岩手県盛岡市 レトロアンティーク
村井旅館 ホテル村井 岩手県二戸市 レトロ大正時代
松雲閣 花巻温泉 岩手県
佐藤豊治宿旅館 岩手県岩手町川口 大正時代 レトロアンティーク
東京 田中解熱薬 吐根散 大正時代のレトロアンティーク
古水薬店 岩手県一戸町 レトロアンティーク領収証
亀澤芳松商店 大正時代 岩手県 レトロアンティーク領収証
岩手洋服店 盛岡市中の橋通り大正時代 レトロアンティーク
鈴木直八商店 岩手県<br />大正時代 レトロアンティーク領収証
鈴木直八商店 岩手県 大正時代 レトロアンティーク領収証
いんべクリーニング 盛岡市中央通り
宮善商店 岩手県一戸町 大正時代のレトロアンティーク
似鳥自動車部タクシー 盛岡市中ノ橋通 昭和初期 岩手アンティーク
工藤長次郎屋根雨樋修理店 盛岡市肴町 昭和初期 岩手アンティーク
木福金物店 盛岡市肴町 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック領収書
富士屋印刷所 盛岡市六日町 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック
萩野謙三時計店 盛岡市中ノ橋通 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック領収書.jpg
藤沢萬次郎商店 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック領収書.jpg
長岡煙筒掃除部 盛岡市花屋町
盛岡コンクリート工業 盛岡市仁王 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック
水車税 水車に税金 一戸町葛巻町 大正時代 岩手のアンティークビンテージ領収書.jpg
玉置時計店 盛岡市肴町 昭和初期
宮崎直吉石材店 昭和初期 岩手
岩手県商工館陳列部 昭和初期 アンティークノスタルジック領収書.jpg
岩手県警 窮民救済寄付金 昭和初期 岩手アンティークノスタルジック領収書.jpg
昭和初期、今の下橋中学校PTA会費の領収証になります 当時から名前は違えどPTAはあったんですね 卒業生には米内光政、金田一京助、石川啄木とそうそうたる面々です。 ウイキペディアより 県内で一番長い歴史を持つ学校であり、「下中(しもちゅう)」の通称で呼ばれている。 校庭に石川啄木の歌碑(「その昔 小学校の柾屋根に我が投げし鞠 いかになりけむ」)がある
ヤオイワ自動車タクシー 昭和初期 盛岡市呉服町 岩手アンティークノスタルジック
タクシーの領収証になります 黄金馬場と明細に記載があります 黄金競馬場という競馬場が当時はありました 場所は高松の池近くです 今はオーロパークという盛岡競馬場がありますが名前の由来はオーロってスペイン語で黄金のことだったんですね 極寒夜の虹オーロラとは関係あるんでしょうか 前に明治時代の馬の売買領収証の記事をアップしました 明治時代から欧米から競走馬を岩手に輸入しています 文明開化間もない頃からサラブレッド輸入とは驚きです https://iwatereceipts.seesaa.net/category/27648286-1.html ホースランド岩手..
倉庫税 倉庫に税金 大正時代 一戸町葛巻町 岩手のアンティークビンテージ領収書
昔は固定資産税対象外だったんでしょうか
金庫税 金庫所有者に税金 一戸町葛巻町 大正時代 岩手アンティーク領収書
金庫税 金庫所有者に税金 一戸町葛巻町 大正時代 岩手のレトロアンティーク領収書
馬頭税 一戸町葛巻町 大正時代 アンティーク領収書 牛に税金がかかれば当然馬にも税金がかかります
馬、牛の次は犬です 畜犬税というものがあったんですね そういえば昔は野良犬が多くいました この税金は昭和五十年まで続いたそうです 犬を飼いたくても税金を払いたくなければ田舎では野良犬として飼っていたのかもしれませんね 国税庁ホームページより 犬税 東京、大阪、神奈川、京都、兵庫など大都市を抱える府県では、郡部か都市部かといった飼育場所で差が設けられました。このほかに、宮城県や秋田県、滋賀県、徳島県などは「猟犬」とそれ以外、といった飼育目的で区分されていました。「猟犬」のほかに「闘犬」(高知県)や「愛玩犬」(岩手県)など、飼育目的を掲示している県はありました..
牛頭税 一戸町葛巻町 大正時代 岩手のアンティークビンテージ領収書. 前回は牛籍謄本を紹介しました 謄本で牛の管理をしていたとなると牛を飼っていると税金が発生していたんですね 出生届を出さないと闇牛ということでしょうか
牛籍謄本 一戸町葛巻町 大正時代 岩手レトロアンティーク領収書
以前、馬籍謄本を紹介しました。 https://iwatereceipts.seesaa.net/article/485112921.html けど牛籍謄本というのもあったんですね。 調べてみると牛籍簿というのがあって牛を管理していたみたいです。 神戸ビーフ 神戸公式サイトより 小売店やレストランでは、店頭に加盟店の証であるブロンズ像か登録証が掲示してあります。このブロンズ像及び登録証があれば、本物の神戸ビーフを提供していると判断することができます 但馬牛は他県からの牛を一切入れず、血統を守り続けています。全国に先駆けて明治30年ごろから牛籍簿が整備され、代々の血統..
山崎タクシー 盛岡市六日町の昭和戦前レトロアンティーク領収証
タクシーの領収書です お宅から岩手病院までで60銭かかっています 岩手病院とは岩手医大付属病院のことです 六日町は今の盛岡市肴町近辺なので肴町近辺から内丸までの昭和戦前のタクシー料金は60銭程度かかったのだと思います
宮城歯科医院 昭和戦前 盛岡市肴町六日町のノスタルジックアンティーク領収証
昭和戦前となると個人病院でレントゲン検査をやっていたんですね インレイとは歯に金属の詰め物をするとこです
調べて見ると昔は赤十字病院が盛岡市内丸、岩手銀行本店辺りにありました その名残で今も赤十字の施設がNTTビルの裏にあります 盛岡赤十字病院のホームページより 大正9年4月 「日本赤十字社岩手支部病院」として病床数98床にて開院 救護看護婦養成所の救護看護婦養成を支部病院で開始 大正11年 病床数112床となる 大正12年6月 病床数132床となる 昭和13年12月 戦時衛生業務幣助病院に編入される http://www.morioka.jrc.or.jp/about/#a02
滝沢市ホームページより 新盛岡温泉 鵜飼小学校の北側に「新温泉」というバス停があります。「温泉!どこに温泉があるの?」と不思議に思いますが、ここには「鵜飼温泉自治会」「温泉子ども会」の名称も残っています。これは実際に大規模な温泉街が鵜飼細谷地に形成されていたことによります。 絵はがきのように大正5年、この一帯、県道盛岡環状線の西側、りんご畑の広がる丘に「新盛岡温泉」はありました。岩手山中腹の網張から木管で湯を引き、その敷地10 万坪(約33 ヘクタール:東京ドーム7個分)には旅館や商店50 軒が立ち並んでいました。「盛岡ヨリ一里 自動車人力車馬車便アリ」と宣伝されています。 ..
薬価通知書 八幡獣医動物病院 大正時代 二戸郡 岩手のレトロノアンティーク
よく読めませんが、薬価通知書と書いてあり十二歳のメス牛が急性の胃の病気で治療していたようです。 大正時代から二戸郡に獣医はいたんですねえ。
朝鮮総督府 中央試験所 南大門 韓国 漆種子 大正時代 岩手ビンテージ 郵便物送付書
岩手から漆の種を送った郵便送付書になります 南大門ですから今で言うソウルに送付しています 前にも朝鮮に幅広く岩手県北の代表工芸品である漆を送付した領収証を掲載しました。 ほんと韓国のいろんなところに送付してるんですねえ。 国立公文書館 アジ歴グロッサリーより 中央試験所は、工業に関する試験、分析及び鑑定を行う機関。1912年3月27日、「朝鮮総督府中央試験所官制」(勅令第三六号)にもとづき設置された。職員は、所長、技師3名(奏任)、書記・技手6名(判任)だった。1920年1月の事務分担表によれば、歳入歳出・庶務物品会計を担う庶務係、鉱物分析・有機分析を担う分析試験部、製紙..
本多芳太郎馬具製靴店 盛岡市馬町 清水町 大正時代 岩手のノスタルアンティーク
盛岡市馬町は今の清水町周辺です。 この辺りは大正当時は馬市がありました。 なので馬具店も近くにあったんだと思います。 馬具だけでなく革靴も作っていたんでしょうね。
保寿堂 富山県富山市 越中西水橋 薬行商 大正時代 岩手ノスタルジックビンテージ領収書
保寿堂という富山県富山市西水橋が住所の薬領収証てす 富山の薬売り行商人による戸別訪問販売です 当時は薬局がまだまだなかったんでしょうね
平金商店 大正時代 盛岡市肴町 岩手のレトロノスタルジック老舗
肴町にある文具の平金商店、ここも老舗です。 肴町にあるお店は老舗が集中しています。 平金商店ホームページより 明和4年[1767年] 近江屋治郎兵衛の三男・治助が、盛岡城下、油町の角で酒造業創業 明治12年 油町から十三日町へ移り、諸国銘茶や和洋紙、筆、墨、硯など文具類を商う 明治21年 肴町に移転 昭和24年 (株)平金商店を設立 https://hirakin.com/company/history/
平久海産物商店 一戸町 大正時代 岩手のノスタルジック歴史浪漫領収書
一戸町の海産物を取り扱う商店の領収証になります。 大正時代だとこのように半紙に墨で書くのは珍しくありません
二戸税務署 印紙登録税通知書 大正時代 岩手のビンテージノスタルジック領収書
二戸税務署の通知書類になります 署印が押印されてます
郵便物受取書 岩手銀行 大正時代 盛岡レトロなノスタルジック歴史領収書
大正時代の領収証ですが受取人に盛岡銀行ではなく岩手銀行と記載されています この頃にはまだ岩手銀行はなかったの思うのですが
東京医学専門学校 東京医科大学創立寄付金 二戸市 地域振興局 大正時代 岩手ノスタルジック
東京医科大学設立のための寄付領収証になります。 二戸郡で受付しています。 今で言う岩手県の出先機関である地域振興局みたいなところで募集してたのでしょうか。 岩手では原敬が設立支援を行い、全国的に広く設立寄付を募っていたそうです。 東京医科大学ホームページより 今から約100年前の⼤正5年(1916年)5月、日本医学専門学校(現 日本医科大学)の学生は学校側と対立し、約450名が同盟退学しました。彼らは理想とする学問の場を自分たちの手で実現させようと新校設立運動を開始し、幾多の困難を乗り越え、同年9月、東京物理学校(現 東京理科大学)の教室を借りて、本学の前身である東京医学..
一戸から漆種子を朝鮮へ 朝鮮金羅北道 韓国 鉄道院貨物列車輸送送付書 大正時代 岩手のレトロ歴史ロマン
前回は二戸からでしたが今回は一戸から朝鮮統治時代に漆種子を送った送付書になります。 前回とは違う朝鮮金羅北道という場所になります 北朝鮮や韓国の各地の農業試験場的な施設に送付してたのかも知れません 大正当時に岩手から朝鮮に郵送となると、下関まで運んで海運輸送してたんですねえ 韓国併合は1910年 大正7年は1918年ですので、たった8年後に農業試験場的な韓国の施設に送ったのだと推察します
二戸から漆種子を朝鮮へ 朝鮮総督府 江原道原州郡本部面上洞 原州郡庁 郡農会 二戸市浄法寺 大正時代 岩手ヒストリー領収証
漆種子を二戸から朝鮮に送付した時の郵便為替による代金受取書だと思います 二戸市浄法寺は漆で全国的に有名ですが大正時代においても有名なんだと思います 漆種子を朝鮮の農業試験場的な施設に送付となると、岩手の漆が北朝鮮や韓国の漆振興に寄与したのかも知れません 裏面通信欄に、郡農会で注文した漆種子の代金受け取ったら至急領収証を送付してほしいと記載されています
鉄道貨物受取書 大正時代 県立農学校 盛岡農業高校 岩手のノスタルジック領収証
送付先は岩手県立農学校と書かれてぃます 今の盛岡農業高校のことです 盛岡農業高校は岩手で一番古い高校なんだそうです 大正当時は分れではなく盛岡市菜園に校舎がありました
池野直次郎商店 盛岡糖粉 木津屋 盛岡市材木町 明治時代 岩手のビンテージヒストリー領収書
木津屋本店の材木町支店かと思いネット検索したところ、 矢巾流通センターにある盛岡糖粉という会社の領収書であることがわかりました。 盛岡糖粉のホームページには創業当時の写真が掲載されています。 よく見ると木津屋と看板がありますし会社屋号のマークが領収書と一致しています。 領収書には発行年がありませんが、明治41年に内丸に移転してますので、 明治時代の領収書ということになります。 明治時代だと習字のように半紙に筆と墨汁で書かれているのも珍しくないのでなかなか立派な領収証だなぁと思います。 盛岡糖粉ホームページより 盛岡糖粉株式会社は、1876年(明治9年)岩手県盛岡..
吉田産業さんから創業百周年記念冊子をいただきました<br />
前に八戸市吉田金物店の領収書を掲載しましたが、やはり八戸を代表する吉田産業の領収書でした https://iwatereceipts.seesaa.net/article/485112829.html そのご縁で100周年記念冊子をいただきました とても興味深く拝見させていただきました 冊子に当時の店舗画像が在りましたが、あのような小さな街店舗が今の大きな企業に発展したと思うと感慨深く思います ランチバイキングで有名なホテルエース盛岡などが岩…
鎌倉殿の13人の浮世絵 右田年英筆 曽我時致、源頼朝鎌倉殿の狩屋に押し入り仇討ち
前回の続きです 曽我兄弟の仇討ちは日本三大仇討ちの一つとされ、赤穂浪士の討ち入りもその一つです 歌舞伎でもそうですが昔の日本人は仇討ちが人気でした 江戸時代仇討ちは名誉なこととされ仇討ちによる復讐は合法だったんですね 浮世絵というと平面的な描写をイメージしますが、この浮世絵は奥行きを感じさせる立体感ある浮世絵です 明治時代に作成されてますが明治となると洋画の画法から影響受けているかも知れません さまざまな所で保管されています 国立国会図書館 『馬込と大田区の歴史を保存する会』ホームページより http://www.photo-make.jp..
鎌倉殿の13人の浮世絵 右田年英筆 時致鎌倉殿ノ狩屋ヲ騒ス 狩りと獲物
領収書を集めているとそれに関連するものも集まるのです その中に浮世絵があります 正直なんの浮世絵かわかりませんでした NHK大河ドラマ鎌倉殿の十三人の記事をたまたま見た際に、同じ浮世絵が掲載されていることに驚きました この浮世絵は鎌倉殿の13人の23回放送分の一場面でした。 現代新書 誰が頼朝を殺そうとしたのか?曾我事件の黒幕候補を徹底考察 歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第22・23話 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96055?page=4 鎌倉殿の十三人 登場人物 NHK https://www..
鉄道院貨物荷物列車輸送送付書 大澤万治材木店 二戸市 共立運送店 二戸駅 北福岡駅 大正時代 岩手のアンティーク歴史.jpg
大澤万治さんを検索すると、ロウソクの材料を取引していたとの記述が見つかりました。 大澤さんはザイモクシのようてすが二戸市は漆が有名で漆種子からロウソクの材料が取れるようですね。 日本財団 自然と文化72号より 「大正四年書抜帳」には、大正七年の秋から冬にかけて、大澤万治、堀口常吉、阿部九蔵、米沢吉之助の四名から風間家が漆蝋を購入したことが記されている。 https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00709/contents/012.htm
川徳洋物店 盛岡市肴町 大正時代 岩手のビンテージ歴史領収証
川徳洋物店を検索しましたが見つかりみせんでした 店舗所在地は盛岡市肴町ですので川徳の関連したお店だと思います
川口兼吉商店 近江屋 夜具寝具東京神田 大正時代 ノスタルジック領収証
名前で調べてみるとありました 夜具商で寝具を売っていたお店のようです 名古屋大学人事興信録ホームページより 君は東京府平民川口常次郞の長男にして明治十九年一月三十日を以て生る家號を近江屋と稱し夜具商を營み直接國税六百餘圓を納む https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-4177
西巻馬具舗が当時日本で一番大きな馬具店として掲載されているサイトを見つけました 当時は馬車から自動車に変わる時期だったそうてす ライディングショップ池上ホームページより http://www.bagu.net/takumi.html
盛岡孤児院 盛岡養老院 盛岡市加賀野 大正時代 寄付金 小原源八 青雲荘 清和荘 岩手のアンティーク歴史領収書
小原源八氏。 岩手の偉人の一人。 敬服いたします。 一隅を照らすこれ即ち国宝なり。この言葉を思い出しました。 育心会スタッフブログより 約100年前、私立盛岡孤児院を設立した小原源八さんのお話です。 ~そのころ東北地方は大飢饉にみまわれ、子女の身売り、捨て子、 姥捨て山など、大変な時代でありました。 「 止むに止まれぬ衝動・・・」にかられた 源八さんは、私財を 投げ打って、孤児院を建て、運営しました。48歳の時です。 http://ikushinkai.jugem.jp/?eid=1637#gsc.tab=0 青雲荘ホームページより 明治37..
醤油製造合名会社 二戸郡一戸町 大正時代 岩手のビンテージノスタルジック領収書.jpg
これも南部美人酒造に関連した領収書なんでしょうか。 当初は一戸で醤油を製造していたそうです。 南部美人ホームページより 久慈家の本家は、現在の二戸郡一戸町にあり、元々は醤油の醸造元を営んでいた。 その技術を日本酒造りに生かし、初代蔵元・末太が現在の二戸市で創業。 https://www.nanbubijin.co.jp/company/history/
山崎第二医院 一戸町 大正時代 岩手のビンテージ歴史ロマン領収証
一戸町の個人病院の領収書がいろいろ見つかります。 一戸町は田舎ですが明治大正や昭和は蒸気機関車の基地があったり、とても栄えました。 一戸町から葛巻町まで鉄道を開通し、そこから岩泉線までつなげる構想がありました。 新幹線開通前は特急列車が停まるほどです。 個人病院もそれなりにあったんだなと思います。
鷲の尾酒造 八幡平市 大更駅前 工藤運送店 工藤弥兵ヱ 工藤彌兵衛 大正12年 鉄道省貨物列車荷物運搬書類
鷲の尾酒造の領収書を掲載しました。 そういえば鷲の尾と同じ大更駅からの鉄道貨物送付状を掲載したなと思って見返してみました。 送り主は工藤弥兵ヱさん。 荷…
鷲の尾酒造 鉄道貨物輸送送付状 花輪線 大更駅 八幡平市 大正時代 岩手のレトロ歴史
鷲の尾酒造の貨物送付状になります。 当時は自動車がなかったから運送は貨物列車がメイン。 駅に荷物が届いたら連絡受け荷物を駅に受け取りに行きました。 文政12年正月(1,829年)が鷲の尾の創業年だそうです。 鷲の尾ホームページより http://www.washinoo.co.jp/joui/index.html わざわざ鷲の尾から酒粕を取り寄せたとなると当時においても岩手有数の酒造だったことと思います。 現在住所は岩手県八幡平市大更第22地割158番地となっており、 大正7年、1918年と変わっていないのには驚きました。(^^)
岩手林業 盛岡市大沢川原 乙部運送店 滝沢駅 大正時代 鉄道省貨物輸送送付状
滝沢駅から貨物輸送した記録です
岩手日報社 盛岡市内丸 大正時代 岩手のビンテージ歴史領収書
岩手の地元紙、岩手日報の領収証 巖手という漢字が時代を感じます。 毎日岩手日報を読むのを習慣としてる人も多いのではないでしょうか。 私もその一人で読まないとなんというか気になり落ち着きません(笑) 岩手日報ホームページより 沿革 1876(明治9)年7月21日 盛岡市呉服町の活版業、川越勘兵衛の「日進社」から岩手県で初めての新聞として「巖手新聞誌」が発行された。 1897(明治30)年3月2日 経営者の交代などを経て、この日「巖手日報」が生まれる。 https://www.iwate-np.co.jp/content/saiyo/history.html
羽尾呉服店 上毛伊勢崎 群馬県 大正時代 岩手のノスタルジック領収書
群馬県伊勢崎市にあった羽尾呉服店。 検索すると当時は趨勢を極めてます。 伊勢崎銘仙アーカイブより 羽尾呉服店 ↓ 幸越デパート (昭和39年10月開業) ↓ ユキコシ駐車場(現在) 伊勢崎市本町16 http://iga.justhpbs.jp/haneokan.html
岡本清右衛門商店 富山県高岡市 大正時代 薬行商人 岩手のアンティーク歴史
岡本清右衛門商店という富山県高岡市の会社です ネット検索するとまだ経営されていました http://www.okamoto-sei.co.jp/ また会社の薬袋は市博物館で保存されてました https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/283936 富山県の薬が岩手にも来ていたのは感慨深いです
猿ヶ澤灰木商店 一戸町 柾正木茅葺き蚕 大正時代 岩手のビンテージ歴史領収書
灰の木とは ハイノキ科の常緑高木。山地に自生。葉は細長い楕円形。5月ごろ、白い花を総状につけ、花びらは五つに裂けている。実は熟すと黒紫色になり、狭卵形。葉から良質の灰汁 (あく) ができ、媒染染料の染色に使用 goo辞書より https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%81%B0%E3%81%AE%E6%9C%A8/ 柾正木とは ニシキギ科の常緑低木。海岸近くの山地に自生し、高さ約3メートル。枝は緑色。葉は楕円形で質が厚く光沢がある。初夏に白緑色の小花を多数つけ、秋に赤い実を結ぶ。生け垣に用いる。 goo辞書より https:/..
一戸合名会社 一戸町 大正時代 岩手のノスタルジックビンテージな領収書
お酒を買った領収証てす。 二戸市の南部美人は元は一戸町でお酒を造っていたそうです。 南部美人に関連した酒蔵なんでしょうか。 南部美人ホームページより 久慈家の本家は、現在の二戸郡一戸町にあり、元々は醤油の醸造元を営んでいた。その技術を日本酒造りに生かし、初代蔵元・末太が現在の二戸市で創業。 https://www.nanbubijin.co.jp/company/history/
ウィキペディアより 当初は戦没将士の遺族および廃兵の救護を目的とした。初期は上層階級の婦人や皇族、貴族が大半を占めていたが、日露戦争時の1905年(明治38年)には一般婦人にも拡張。この時点での会員数は46万人に達し[7]、日本最大規模の婦人団体に成長した。各府県支部長には知事夫人が就くなど、地域名士の夫人が役員に名を連ね、サロンの趣きがあった。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E4%BC%9A#
郵便物受取書 杜陵印刷 大正時代 岩手のレトロ歴史領収書
郵便局入金書 岩手日報 大正時代 岩手のレトロ歴史領収書
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