岩手を主に明治、大正、昭和初期のふるーい領収証などを集めてみました。 盛岡市紺屋町や肴町、一戸町、貨物鉄道の物が多いです。 (^^)
平金商店 大正時代 盛岡市肴町 岩手のレトロノスタルジック老舗
肴町にある文具の平金商店、ここも老舗です。 肴町にあるお店は老舗が集中しています。 平金商店ホームページより 明和4年[1767年] 近江屋治郎兵衛の三男・治助が、盛岡城下、油町の角で酒造業創業 明治12年 油町から十三日町へ移り、諸国銘茶や和洋紙、筆、墨、硯など文具類を商う 明治21年 肴町に移転 昭和24年 (株)平金商店を設立 https://hirakin.com/company/history/
平久海産物商店 一戸町 大正時代 岩手のノスタルジック歴史浪漫領収書
一戸町の海産物を取り扱う商店の領収証になります。 大正時代だとこのように半紙に墨で書くのは珍しくありません
二戸税務署 印紙登録税通知書 大正時代 岩手のビンテージノスタルジック領収書
二戸税務署の通知書類になります 署印が押印されてます
郵便物受取書 岩手銀行 大正時代 盛岡レトロなノスタルジック歴史領収書
大正時代の領収証ですが受取人に盛岡銀行ではなく岩手銀行と記載されています この頃にはまだ岩手銀行はなかったの思うのですが
東京医学専門学校 東京医科大学創立寄付金 二戸市 地域振興局 大正時代 岩手ノスタルジック
東京医科大学設立のための寄付領収証になります。 二戸郡で受付しています。 今で言う岩手県の出先機関である地域振興局みたいなところで募集してたのでしょうか。 岩手では原敬が設立支援を行い、全国的に広く設立寄付を募っていたそうです。 東京医科大学ホームページより 今から約100年前の⼤正5年(1916年)5月、日本医学専門学校(現 日本医科大学)の学生は学校側と対立し、約450名が同盟退学しました。彼らは理想とする学問の場を自分たちの手で実現させようと新校設立運動を開始し、幾多の困難を乗り越え、同年9月、東京物理学校(現 東京理科大学)の教室を借りて、本学の前身である東京医学..
一戸から漆種子を朝鮮へ 朝鮮金羅北道 韓国 鉄道院貨物列車輸送送付書 大正時代 岩手のレトロ歴史ロマン
前回は二戸からでしたが今回は一戸から朝鮮統治時代に漆種子を送った送付書になります。 前回とは違う朝鮮金羅北道という場所になります 北朝鮮や韓国の各地の農業試験場的な施設に送付してたのかも知れません 大正当時に岩手から朝鮮に郵送となると、下関まで運んで海運輸送してたんですねえ 韓国併合は1910年 大正7年は1918年ですので、たった8年後に農業試験場的な韓国の施設に送ったのだと推察します
二戸から漆種子を朝鮮へ 朝鮮総督府 江原道原州郡本部面上洞 原州郡庁 郡農会 二戸市浄法寺 大正時代 岩手ヒストリー領収証
漆種子を二戸から朝鮮に送付した時の郵便為替による代金受取書だと思います 二戸市浄法寺は漆で全国的に有名ですが大正時代においても有名なんだと思います 漆種子を朝鮮の農業試験場的な施設に送付となると、岩手の漆が北朝鮮や韓国の漆振興に寄与したのかも知れません 裏面通信欄に、郡農会で注文した漆種子の代金受け取ったら至急領収証を送付してほしいと記載されています
鉄道貨物受取書 大正時代 県立農学校 盛岡農業高校 岩手のノスタルジック領収証
送付先は岩手県立農学校と書かれてぃます 今の盛岡農業高校のことです 盛岡農業高校は岩手で一番古い高校なんだそうです 大正当時は分れではなく盛岡市菜園に校舎がありました
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