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2020/12/27

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  • mBridgeが問いかけてくるもの#02

    mBridgeという「出口」を見つめながら、もう少し考え込んでしまうことがあります。 「機械という名の花嫁」のことです 200年で手にした身体と脳と、壊れゆく社会の話です。 19世紀に入って間もなく、私たち人間は、それまで想像すらしなかった力を手に入れました。 蒸気機関が生まれ、歯車が回り始め、電線が情報を運び、機械たちが我々の「手足」として社会の隅々まで入り込んできました。 そして20世紀。今度はその手足に加えて、耳と目、さらには脳までもが、機械の中に宿り始めたのです。 人間は、わずか200年という短い時間のなかで、自分では持て余してしまうほどの「第二の身体」と「第二の頭脳」を手

  • mBridgeが問いかけてくるもの

    mBridge(Multi-CBDC Bridge)というプロジェクトについて語る者に出会うことは、本当に少ないです。 それが単なる送金技術でも、金融イノベーションの一環でもなく、貨幣の根幹、ひいては「信用とは何か」という人類史的命題に触れる試みであるにもかかわらず、です。 おそらく、それはあまりにも交易そのものを根底から革新してしまう方法だからかもしれません。 mBridgeが実稼働すれば、それはごく自然なかたちで、あっけなく社会の心臓部に取り込まれるでしょう。 そして私たちは、かつて携帯電話のない世界に生きていたことを忘れてしまったように、「国境をまたぐ通貨の壁」が存在してい

  • 大学をビジネス化すれば#02

    アメリカの大学が抱え込んでいる最悪の「制度的矛盾」は「教育とは社会的に価値ある公共財である」とされながら、実際には「民間債務によってしかアクセスできない私的商品」として機能していることです。 学生が学ぶために背負う借金は、学問の自由や成長の機会を与えるはずの教育が、むしろ若者にとって人生最初の重い財務リスクになるという皮肉な現象を生み出しているのです。 アメリカの若者は、常に大学進学を「経済的な賭け」として語ります。 進学すれば高収入の職につけるかもしれない、しかしその代償として数万ドル、時には十数万ドルに及ぶ学生ローン(student loan)を抱えるリスクも負わなければならない。

  • 大学をビジネス化すれば#01

    アメリカ国土安全保障省は、ハーバード大学に対して学生・交換訪問者プログラム(Fビザ・Jビザ)の認定を即時に取り消すという措置を取りました。 トランプ政権がハーバード大の留学生受け入れ認定停止発表…「キャンパスで反ユダヤ主義助長した責任問う」 【読売新聞】 【ニューヨーク=金子靖志】トランプ米政権は22日、名門ハーバード大に対し、留学生の受け入れに必要な連邦認定を www.yomiuri.co.jp この背景には、同大学が外国人留学生に関する安全保障上の報告義務を怠ったという理由が説明されてますが、より本質的には、私立大学でありながら国家の補助金を受け、その財

  • ムーディーズが示した格下げから考えたこと#04

    ムーディーズは、現在の米国の公的債務総額が約37兆ドルに達していることを、格付け上の重大なリスク要因として指摘しています。これを受けて、米国の信用格付けは最高位の「Aaa」から一段階下の「Aa1」へと引き下げられました。 それでは、仮にこの37兆ドルが格下げの直接的な引き金になったとするならば、さらにその背後にある「オフバランス債務」――すなわち社会保障(Social Security)やメディケアなど、将来にわたって支払うべき約束を含めると、一部の試算では200兆ドル近い潜在的負債についてはどうでしょうか? そしてもう一つ、短期的な借換需要の集中です。2025年中に償還期限を迎える既

  • ムーディーズが示した格下げから考えたこと#03

    今回の格下げの主因として、格付け会社は、膨張し続ける公的債務、すなわち37兆ドルに達する米国債務の存在を挙げています。確かにその規模は歴史的水準ですが、実は問題の本質はそこにはない。 米国政府の財政を本当に分析しようとするならば、およそ200兆ドルに及ぶ“見えざる債務”に目を向けなければならないのです。 この200兆ドルとは、社会保障(Social Security)給付、メディケア、連邦職員年金など、法制度上すでに約束された将来の支出義務を積み上げたものです。これは会計上はバランスシートに現れず、予算にも計上されません。しかし、それでもなお、法的・政治的にはきわめて実質的な債務である

  • ロワール川ワインと歴史を訪ねる旅: アンスニからナントまで

    ブルゴーニュから移植されたメロン・ド・ブルゴーニュは、寒冷な気候や春の遅霜にも比較的強い耐性を持つ葡萄である。その特性に注目し、ロワール下流の沿岸部、特にペイ・ナンテ地方では大いに利用され、現在に至っている。ナントの気象条件とメロン種の適応性が合致したことから、この地において急速に定着するに至ったのだろう。 しかし、移植されたこの品種に対し、地元で「メロン・ド・ブルゴーニュ」という名称をそのまま用いることには、ある種の抵抗感があったのではないかと僕は思う。ブルゴーニュという名は、既にワイン界において高い権威を有していたため、ナントはこれを嫌った。そしてその代替として用いられるようになっ

  • ナント出発の朝/ロワール川ワイン散歩#終章

    ホテルを出たのは、まだ朝の柔らかな光が街の屋根瓦を撫でている頃だった。レセプションの前には、いつものようにM氏が立っていた。彼は深く一礼し、「おはようございます。ナント・アトランティック空港までは、およそ20分ほどでございます」と丁寧に言った。 僕は小さく頷き、後部座席に乗り込んだ。 「この時間帯なら混みませんよ。もしよろしければ、少し街をご案内しながら向かいましょうか」とM氏がハンドル越しに振り返る。 僕は再び頷いた。 クルマはまずカンブロンヌ広場(Place Cambronne)をかすめて進む。かつて軍人の名を冠したこの界隈には、幾何学的に整備された庭園と新古典主義建築の建物が並ん

  • Domaine du Mortier/ロワール川ワイン散歩#81

    そろそろ陽かげる時間だった。 「少し急ぎます」とM氏が言った。 アンセニの丘を抜け、車はゆるやかな坂を登っていく。ロワール川の風は届いていない。前方に現れたのは、畑の縁に寄り添うように建つ古い石造りの建物がDomaine du Mortierだった。 「若い生産者です。正直、私は初めて名前を知りました。予約はとってありますが、通訳以外はあまりお役に立たないかもしれない」M氏が言った。 実は、いつも通っているアベスの、ちょっとカルトなワインバーで偶然この生産者の「レ・グラヴィエ」に出会ったのがきっかけだった。ひと口飲んで、思わず息をのんだ。これはロワールなのか?と。 ナント行きを思い

  • ムーディーズが示した格下げから考えたこと#02

    今回の格下げの主因として、格付け会社は、膨張し続ける公的債務、すなわち37兆ドルに達する米国債務の存在を挙げています。確かにその規模は歴史的水準ですが、実は問題の本質はそこにはない。 米国政府の財政を本当に分析しようとするならば、およそ200兆ドルに及ぶ“見えざる債務”に目を向けなければならないのです。 この200兆ドルとは、社会保障(Social Security)給付、メディケア、連邦職員年金など、法制度上すでに約束された将来の支出義務を積み上げたものです。これは会計上はバランスシートに現れず、予算にも計上されません。しかし、それでもなお、法的・政治的にはきわめて実質的な債務である

  • ムーディーズが示した格下げから考えたこと#01

    2025年5月16日、格付け機関ムーディーズは、米国政府の信用格付けを最上位である「Aaa」から「Aa1」へと引き下げました。これにより、米国はS&P(2011年)、フィッチ(2023年)に続き、三大格付け機関すべてから「最高信用」の評価を失うことになりました。この出来事は、単なるランクの変更ではなく、100年以上続いた「米国政府=絶対的信用」という神話が制度的に否定された、歴史的転換点であると見るべきです。 Moody's downgraded US credit rating: What does that mean? Moody's downgrade of

  • ペイナントのドメーヌ歩きで見えたもの02/ロワール川ワイン散歩#80

    「たしかに、農民にとっては大きな転機だったと思います。麻や麦は手間もかかるし、価格変動も大きい。でも葡萄なら、オランダ人が買ってくれる。しかも酸っぱいほうがいいと来た」 「だから皆、作り始めたんですね」 「最初は半信半疑だったはずです。でも“売れる作物”があるというのは強い。それに、港だけじゃなくて、価格形成までオランダ人が担っていた。ナントの相場は、実質的に彼らが決めていたようなものです」 「地元の人たちにとって、それってどうだったんでしょう」 「複雑だったでしょうね。確かに現金収入にはなる。でも、作物が外需に依存してしまう。しかも当初のワインは、飲用としては正直厳しかったはず。酸味

  • ペイナントのドメーヌ歩きで見えたもの01/ロワール川ワイン散歩#79

    スタッフの手厚い見送りを受けながらDomaine des Galloires を出た。M氏のクルマはゆっくりさらに東へ内陸部へ走った。時おりぶどう畑の列が道を縫うように現れ、ふたたび消える景色になった。 道の脇の斜面や、畑の合間の小さな崖には、表土薄く、すぐ下から硬質な片麻岩が露出している。まるで大地が、むき出しの骨をこちらに見せているようだった。 このあたりは、ロワール右岸の中でも、とりわけ地質が古い地域だ。 あの・・ワインの酸味。緊張感のあるミネラルの輪郭。あれを支えている“基盤”は、地表のすぐ下からせり上がってくる片麻岩だということが、今回の旅でようやく分かった。 けれどそれは、

  • omaine des Galloires/ロワール川ワイン散歩#78

    僕らを迎えてくれたのは、くっきりとした目元をした中年の男性だった。代々この地で葡萄を育ててきた家の四代目であるとM氏が紹介してくれた。 「ようこそ。Galloiresは、目の前に広がるロワールとともに生きてきた畑です。川が呼吸するように霧を運び、土に湿り気を与えてくれるんです」 彼の声は穏やかで、しかし畑の風をまとっているような生気があった。案内されたテラスからは、なだらかな斜面の畑が見渡せた。メロン・ド・ブルゴーニュの整列した列の向こうに、ロワールの流れが光っていた。 「このあたりは、昔、川が暴れて何度も流路を変えた地区です。そのせいで、氾濫原の砂利質や砂岩、それにところどころ火山

  • 石の記憶ミュスカデワイン/ロワール川ワイン散歩#77

    ロワール川下流域に広がる農園。その間を縫うように、舗装された農道が走っている。そのすぐ下には、深くもない地層に、大陸が幾度も収斂と揺動を繰り返してきた記憶が眠っている。ナントから少し離れたこの丘陵地帯は、一見すると穏やかな田園風景に見える。だが実際には、表土のすぐ下に、約4億年前のバリスカン造山運動によって地中深くで圧縮・変成された岩体が、地表近くまで露出している。 通常、このような岩盤は地下数十メートル、あるいはそれ以上の深さにあるものだ。しかし、この地では例外的に、それが視認できる位置に顔を出している。氷期と間氷期を繰り返す長い侵食作用と、悠久の造山活動の果てに、この土地では「地

  • Domaine Luneau-Papin/ロワール川ワイン散歩#76

    ヴィラ・サントワーヌでのランチがひと段落すると、M氏が先に出て車のエンジンをかけて待っていてくれた。レストランのテラスからは、小さな川(セーヴル・ナンテーズ)が石橋をくぐって流れていくのが見えた。僕は、再びM氏の車に乗り込んだ。セーヴル・ナンテーズ川沿いの街並みを抜け、南東へ向かうと、ぶどう畑の斜面が次第に濃くなっていく。 M氏は運転しながら、後部座席の僕に語りかけてきた。 「次に伺うのはご指名された3つ目のドメーヌDomaine Luneau-Papinです。ル・ランドロー村にございます。ナントから南東へ25キロほどでしょうか、ミュスカデの心臓部と言っていい地域でしょうね」 僕が頷く

  • クリッソンでランチ/ロワール川ワイン散歩#75

    ドメーヌを出たのが正午前、クルマはロワール川に向かって走った。 「リストの中にランチの場所が指定されておりませんでしたが?」M氏が言った。 「お任せしたいんです。どこかお勧めのところを。それとぜひご一緒に」僕が言うと、彼が笑った。 「ありがとうございます」 そして少し沈思黙考して言った。 「どうでしようか?近いので、Clissonの町へ行きましょうか」 「Clisson…?」僕は聞き返すした。 「イタリアとブルターニュが手を結んだような街です。面白いですよ」 クルマはセーヴル・ナンテーズ川に沿って東へと進んだ。次第に石造りのアーチ橋が現れ、遠くに城壁と塔が見えてきた。まるで中世の情景画

  • グロ・プランからメロン・ド・ブルゴーニューへ/ロワール川ワイン散歩#74

    M氏が運転するクルマは緩やかな丘を登っていた。左手に広がる畑の樹々は、葉の切れ込みが浅く、明るい黄緑の新芽が風にそよいでいる。 「あの樹はすべてグロ・プランです」とM氏が指を差した。 「え? グロ・プランが? こんなにあるんですか?」 「はい。絶滅寸前とも言われたんですが、ここ10年ほどで少しずつ戻ってきてるんです。私が少年だった1950年代には、グロ・プランの作付面積は2万ヘクタール以上ありました。けれど2000年頃には800ヘクタールを切るほどに減少してしまって、本当に絶滅寸前でしたよ。でも今は、1,100ヘクタール前後まで回復しています。AOCとしての枠組みも、再評価されてきてい

  • ペトロダラーが終わりAIダラーがやってくる

    OpenAI、アブダビに大規模データセンターを建設する米国とUAEの計画に参加 OpenAI to join US-UAE plan to build vast data centre in Abu Dhabi Deal on third leg of Trump Gulf tour hailed as ‘major milesto www.ft.com トランプは訪問中、UAEと協働しアブダビにおいて世界最大級のAIデータセンターキャンパスを建設する計画を発表した。この施設は、エミラティ企業G42が主導し、OpenAIが主要パートナーとして参加する予定で

  • ケイマンで誰が買ってるのか??

    すでに米国債保有額4位まで落ちた中国本土の動きを見つめつつ、やはり考えるのは・・そんなに簡単じゃないなというこどてす。 2025年3月は、思った通り外国による米国債の保有額が前月と比べて1,330億ドル増加しました。背後に非常に複雑で繊細な金融・政治の動きがドラスティックにでていますね。 ・・まず注目すべきなのは、中国が190億ドルもの米国債を売却していたということですが、英国、ケイマン諸島、カナダという3つの国・地域が増加分のうち860億ドルを占めている事実です。 この動きは、それぞれの国が何を・どのようにリスクとして捉え、どのような通貨戦略をとっているのかを如実に物語っていますね。

  • ペイナント・ドメーヌ歩き03/ロワール川ワイン散歩#72

    シャトー・ド・ラ・グランジュ(Château de la Grange)は、ナント南東に広がるミュスカデ・セーヴル・エ・メーヌAOCを代表する生産者のひとつであることを、今回の訪問で改めて実感した。このシャトーでは、伝統的なシュール・リー(Sur Lie)製法が極めてエレガントに完成されていた。酵母の澱とともに瓶詰め直前まで熟成させることで、ワインに独特の丸みと旨味が生みだしている。しかし一方でこの製法は、管理が甘いと雑味や硫黄臭を引き起こし、ワインの品質を損ねるリスクもある。しかし、グランジュのワインにはそれが微塵もなかった。緻密な管理と熟成判断の妙が、瓶内に美しいバランスを与えてい

  • ペイナント・ドメーヌ歩き02/ロワール川ワイン散歩#72

    素晴らしい城だった。クルマがシャトー・ラグランジュの前庭に足を踏み入れると、セラーのある建物館から作業着姿の男性が笑顔で現れた。手のひらにまだ畑仕事の名残があるような指先でしっかりと握手をしてくれたのが、ヴィクトール・ド・ゴーレーヌ(Victor de Goulaine)氏だ。どうやらM氏とは懇意だったらしい。この地で何世代にもわたりワイン造りを営んできた名門一族の現当主である。M氏が僕を日本からやってきたワイン史の研究家として紹介したようだ。 「遠くからようこそ。今日は少し肌寒いですが、そのぶん香りがよく立ちますよ」と彼は穏やかに微笑んだ。 通訳は、ドライバーのムッシュM氏が自

  • ペイナント・ドメーヌ歩き01/ロワール川ワイン散歩#71

    ホテルへ戻ると、レセプションの横の椅子にドライバーのムッシュM氏が座っていた。出発予定より30分ほど早くもどったのだが、僕は少し慌てた。M氏は僕を見つけるとすぐに立ち上がり。前回のような日本式な深いお辞儀をした。 「おはようございます。再度、お声掛けをいただきましてありがとうございます」 「おはようございます。出発は9時でしたね」 「はい。了解しております。こちらで待機しておりますので、いつでも出発できます」 僕は急いで部屋に戻って、簡単な支度をして、レセプションに戻った。 そしてM氏のクルマに乗った。 クルマはホテルをでた。 「本日は、ご指定していただいたドメーヌを5つ回ります。 先

  • 戦争を終わらせたい者はいなかった/イスタンブール和平会談の虚構

    今回の和平会談は、メディアには「戦争を終わらせるための重要な一歩」として報じられたけどねぇ。 ゼレンスキーも、それに前面に出して演出したし、お小姓坊主のメディアたちもそれを追従して見せた。 そして自らイスタンブール入りを示し「私は話し合いを望んでいる」と強調したのは、まるで三流メディアの流すプロパガンダのように、思ったなあ。です・・よ。その姿勢は、交渉というよりは、むしろ一種の「演技」だ。 キャプテン・アメリカはそんなことしなかったけど、キャプテン・ユーロ気取りはするんですな。噴飯です(^o^) トランプ氏もプーチン氏もゼレンスキー氏も参加せず…ロシアとウクライナ、高官級協議き

  • 難民という名の侵略#02

    それでも欧州が憮然としながらもダンマリを繰り返しているのはなぜか? それはダブリン規制(難民が最初に入域したEU加盟国に難民についての責任を負わせる制度)のためだ。 ダブリン規制は“負担の固定化”という現実をイタリア、ギリシャ、スペインなどに押し付けているからだ。 正にこれは組織内の「押しつけ合い構造(burden shifting)」だと断言できる。 もともとは、ダブリン規制は「一国で複数の申請をさせない」ための制度的工夫であり、EUの庇護制度の安定化を目指す論旨だったが、実際には南の国境線で「見えない壁」を築くことになってしまった。 Tusk: Poland will no

  • 難民という名の侵略

    難民という名の侵略。そう呼ぶには過激すぎるだろうか。 だが、いま欧州で進行している人口移動の規模と構造は、単なる「人道危機」を超えて、国家の根幹を揺るがす事態へと発展しつつある。英国を含めた欧州諸国は、リビア戦争以降の地中海ルートにおける移民の急増により、かつて想像すらしなかった形の“存亡の危機”に直面している。 そして、思い出して出すのはもかつて西側によって「独裁者」と断じられた男の言葉である。ムアンマル・カダフィは、2011年の戦乱のさなか、こう警告していた。 「リビアが崩壊すれば、アルカイダが支配し、地中海は混乱する。ヨーロッパには数百万人の黒人難民が押し寄せ、キリスト教徒

  • 消えてしまったオランダ人商人の影03/ロワール川ワイン散歩#70

    現代フランス人の記憶にとって、オランダ人は「仲間」でも「敵」でもない。それは国民国家の一部である「自己を語り直す」過程で、彼らは都合よく忘れられていったのである。そこには「語らないことで保たれる平穏」への無意識の選択があったのかもしれない。 ナントは川の街である。ロワール川の河口に開かれたこの都市は、海に向かって開いているだけでなく、歴史のうねりの中で何度も「外からの力が、再び内へと折り返す地点」となってきたにちがいない。 僕はその歴史で“二つのUターン”を見てしまう。 ひとつはブリテン島へノルマン人の兵士として渡った人々だ。そしてもうひとつは、宗教の自由を求めてオランダへ渡った人々だ

  • 消えてしまったオランダ人商人の影02/ロワール川ワイン散歩#69

    昨日は、フェドーの通りの間を彷徨したあと、プレイス・ド・ラ・プティット=オランダ(Place de la Petite-Hollande)へ寄った。フェイドー(Île Feydeau)の西端にある唯一のオランダの名前がある広場だ。そして考えた。この通りにあるオランダ人商人の影はここ・・だけなのか?と。 実は、僕がこの広場の名前を初めて知ったのは、ピエール・H・ブールの著作『Le commerce négrier, l’organisation commerciale et la croissance industrielle à Nantes au XVIIIe siècle』(Re

  • 消えてしまったオランダ人商人の影/ロワール川ワイン散歩#68

    - YouTube Enjoy the videos and music you love, upload original content, www.youtube.com 今日は、ドライバーのムッシュM氏にエスコートしてもらい、ペイ・ナンテのワイナリーを一日かけて巡る予定でいた。明日はパリへ戻るつもりだ。 だから今朝は、出発前にもう少しだけ、ナントに響く歴史の木霊に触れておきたいと思った。 夜明けを待って街へ出た。 日差しはまだ柔らかく、夜の香りが空気にほのかに残っていた。ロワール下流の湿潤な大気が、眠りから目覚めつつある都市の鼓動を包み込んでいるようだった。

  • ナントの早朝・旧ローマ街道をあるく/ロワール川ワイン散歩#67

    朝早く目を覚ました。今日は、ドライバーのムッシュM氏にエスコートしてもらって、ペイ・ナンテのワイナリーを一日かけて巡る予定だ。そして、明日はパリへ戻る。 だから今朝は、出発の前に、もう少しだけナントの歴史の木霊に触れておきたいと思った。 夜明けを待って、静かな街へと出た。 日差しはまだ柔らかく、夜の香りが空気に残っていた。ロワール下流の湿潤な大気が、眠りから目覚めつつある都市の鼓動を、どこか静かに包み込んでいる。 ホテルの外へ出て、最初に感じたのは、ナントの朝は音が少ないことだ。 先日訪れた Marché de Talensac の前を通った。市場はまだ半分眠ったままだった。 開店準備

  • ナントの暗闇ディナー/ロワール川ワイン散歩#66

    さすがに疲れて、しばらく部屋に戻って転寝した。 ディナーの時間はレセプションからの電話で間に合った。 ピックアップはフロントのところで待機してくれたコンシェルジェだった。 名前を言うと、スタッフが笑顔で近づき、声をかけてきた。 「今夜は、特別な旅にご案内します。どうぞ、携帯電話や時計など、光を発するものはすべてお預けください。」 言われるまま、すべてレセプションに置いた。不思議なのは、それだけで世界とのつながりをひとつ失ったような気持ちになった。この感覚が要るディナーへなんだな‥と思った。 数人ずつのグループに分かれ、スタッフに誘われて、暗闇の入口へ向かう。 「前の方の肩に、そっと手を

  • 和魂洋才・和魂漢才。Chemistry=化学を思い浮かべながら

    Chemistryの語源は、エジプト語の𓆎𓅓𓏏𓊖 (kēme / kēm)だ。これは「黒い土地」つまりナイル川の肥沃な黒土を指す。 これをギリシャ人は.χημεία (khēmeía) または χυμεία (khumeía)と呼び、錬金術を指す言葉にした。 アラビア人たちはالكيمياء (al-kīmiyā)と呼んだ。 これに定冠詞「al-」を付けると「al-kimiya」になる。それがラテン語の「alchimia」を経て、最終的に英語の“alchemy”となった。17世紀以降、錬金術が科学的思考へと移行する過程で、“alchemy”から“chemistry”が分離・発展したので

  • おどろくべき黒字の春──2025年4月米財務省月次報告書とDOGE構想の現実味

    先日発表された2025年4月の米財務省月次報告書(MTS)には、2,584億ドルの月間黒字が記録されていました。これは2021年4月の3,080億ドルに次ぐ歴代2位の水準です。わずか1か月前、2025年3月には1,605億ドルの赤字を出していた米国が、たった一か月でこれだけの反転を遂げたという事実に、僕はただ驚くばかりです。 これは果たして「DOGE構想(Debt Optimization via Government Efficiency)」政府効率化による債務最適化の成果なのか? もちろん、4月は例年、米国財政にとって特別な月です。個人および法人の所得税納付期限が集中するため、歳入

  • おためごかしの「悪平等」は「平等」をグズグズにする

    昨年2024年6月に発表された第41回英国社会態度調査(British Social Attitudes, 以下BSA)を読みながら、いまさら思ったのは、英国という国家が抱え込んでしまった深層の亀裂がヒトゴトではないなと思ったからです。。 BSAの調査によると「政府を信頼していない」と答えた人が全体の45%でした。これはBSA史上最高の数字だとのことです。そして「政治家が真実を語ると信じていない」人が58%にも上る。 すいません。繰り返します。日本国のことではない。英国です。 ふたつの数字から、明確に見えるのは、もはやこれは政治的不満でも、選挙制度への皮肉でもないということ。 国家その

  • 処方薬の価格を「ほぼ即時に30〜80%」引き下げる

    昨日2025年5月11日、トランプ大きな発表をしました。なんと、アメリカで売られている処方薬の価格を「ほぼ即時に30〜80%」も引き下げるための大統領令にサインするというのです。この新しい政策は、長年にわたって世界で最も高い薬代を払ってきたアメリカの現状を変えるための試みだと説明されています。 特に注目したいのは、この発表の背景にあるビル・アックマンの提案です。彼は著名なヘッジファンドマネージャーで、今年3月、SNS(X)上でこう語っていました。 「製薬会社が、同じ薬を海外でアメリカより安く売るのを違法にすべきだ」 とても強い主張ですね。トランプの発表は、このアックマンの考え方をその

  • 錫ワイン塩との三位一体03/ロワール川ワイン散歩#65

    こうして、既存の網が解体される一方で、ローマは新たな交易の構造を構築した。 それが、ワイン・錫・塩による、三角の交易である。 ブルターニュから東、ロワール川をさかのぼったガリア中部では、ローマ人が愛したワインの生産が急速に広がっていた。アンジュー、トゥレーヌ、さらにナルボンヌを経てローマ本国へとつながるその供給網において、ブルターニュの塩は食料保存の基盤として不可欠な存在だった。魚を塩漬けにし、オリーブや肉を守るための塩は、ワインとともにローマ的食文化を支える無言の柱となった。 そして北西。いまのコーンウォールやデヴォン地方に広がるブリテン島の錫鉱山からは、青銅のための金属が産出されて

  • 錫ワイン塩との三位一体02/ロワール川ワイン散歩#64

    こうした共同体の基盤となったのは、ブルターニュ独特の地勢だった。 三方を海に囲まれた半島という地理的条件は、外部との接触を限り、特定の集団がひとつの土地に長く定着するのに適していた。内陸部には緩やかな丘陵が広がり、森林と草原、湿地が入り交じるモザイク状の自然環境が、農耕と牧畜を組み合わせた複合的な生業を可能にした。そして、小さな川と湧き水のある谷筋では、畑を拓き、家畜を飼い、水を確保する生活が平穏のもとに育まれていた。 ・・モルビアン湾周辺のような海と内陸の接点部では、貝類の採集や魚の捕獲も加わり、生活の多様性はさらに広がった。 干潟には貝塚が幾層にも堆積し、浅瀬には小舟が浮かんだ。陸

  • 錫ワイン塩との三位一体/ロワール川ワイン散歩#63

    ロワール河口に広がるブルターニュ半島は、長い間、ローマ帝国にとって「世界の果て」に近い辺境の地でしかなかった。しかし僕らは、その「未開の地」が、国家権力によらない「支配なき秩序」を産み出した場所であることを知っている。 そこには、王も都市も貨幣経済もない。人々が協働し、世代を超えて土地に根ざしながら営む、もうひとつの文明のかたちがあった。 ブルターニュの大地に刻まれた巨石群がその墨痕である。カルナックやロクマリアケールにそびえる列石群やドルメンは、親族単位の共同体が互いに力を合わせ、土地と祖先をめぐる精神的な連帯によって築いた秩序の時代が此処に在ったことを黙しながらも語っている。 こ

  • 旧市街に残る塩の音/ロワール川ワイン散歩#62

    もう一度、Rue Kervéganの石畳を踏みしめながら、ゆっくりと歩いた。つい先ほど立ち寄ったグルー邸の白く端正なファサードが、まだ目の奥に焼きついている。18世紀末、三角貿易で繁栄した時代の石組みが、そのまま建物に封じ込められているように思えた。 角を左に折れ、トラムを渡って広場を越える。すると街の表情が変わった。通りの名前も、Rue Bon Secoursから「平和通り(Rue de la Paix)」へと姿を変えた。通りの入口にFalbalas Saint Junien(1 Rue de la Paix, 44000 Nantes)というクラシックな帽子屋があった。その店を横

  • ブルジョワの影をたどる散歩03/ロワール川ワイン散歩#61

    背面に回ってquai Turenne(テュレンヌ河岸通り)に出ると、ロワール川の光が差し込む。かつてはこの川が、交易の母体だった。貨物船、奴隷船、移民船・・この川のすべての歴史が、そっとこの建物の壁に触れていったかのように思える。 しかし、グルー邸とは違う。この建物にはマスカロンもない。象徴もない。装飾の中に「植民地の影」を匂わせるような意図もない。ただ、建築そのものの構造的正しさによって、時代を生き抜いてきた。 それは、ある種の抵抗だったのかもしれない。 都市というのは、記憶の書物である。グルーのように、壮麗なファサードで富と美を語る者もいれば、ペロドーのように、静かに均衡と規律の

  • ブルジョワの影をたどる散歩02/ロワール川ワイン散歩#60

    実は・・知っておくべきことがある。このフェイドー島(Île Feydeau)は、開発されるまで「ソルゼ島(Île de Saulzaie)」と呼ばれていたのだ。 おそらく、島の周囲に柳(saule)の木が多く茂っていたことに由来するのだろう。ロワール川の蛇行と氾濫が繰り返されるなかで形成されたこの中洲は、かつて瓦礫と湿地の入り混じる低地にすぎなかった。人々はここを貨物の一時保管所や川舟の係留場として利用する程度で、居住地として見る者はほとんどいなかったという。 地盤は非常に悪く、現在もこの島に建ち並ぶ18世紀の邸宅群は、どれもわずかに前かがみに傾いている。それは、地中の水分を含んだ軟弱

  • ブルジョワの影をたどる散歩/ロワール川ワイン散歩#59

    今朝の朝食は遅い時間に取った。 今日の夕食はドライバーのM氏お薦めの「暗闇ディナー」を予約したのと、あしたからのドライバーをさいど。ムッシュM氏に頼めるかをVTCの会社に確認した。それからシンガポールにあるオフィスに電話した。向こうは午後3時を回ったところだ。一時間ほど、やり取りをして街へ出た。そしてゆっくりとJean Jaurèsの駅へ向かって歩いた。 昨日と違って、空は青空に包まれていた。停留場にある券売機(グレーのタッチパネル式)でチケットを買った。トラムが来る。立っていてもドアが開かない。そばにいた人がドラムのドアにある緑色のボタンを押すと開いた。なるほどな・・と思った。 トラ

  • 王の勅許と黒い航路/ロワール川ワイン散歩#58

    帰りのトラムでViarme-Talensacに向かう途中、窓の外に流れるナントの街並みをぼんやりと眺めながら、僕はひとつの問いにとらわれていた。なぜナントは、18世紀フランス最大の奴隷貿易港となったのか。その背後には、どれほど根深い「経済の必然」があったのか。 ナントが三角貿易に本格的に加わったのは18世紀初頭。ポルトガル人が先行して築いた大西洋貿易網を、フランスも国家戦略として採り入れた時期である。この三角貿易とは、ヨーロッパからアフリカへ布や武器を送り込み、現地で人間を奴隷として買い取り、カリブやアメリカのプランテーションに送り出し、そこで得た砂糖、コーヒー、ラムを欧州に持ち帰る

  • 三角貿易へ繋がる奴隷売買ビジネス02 / ロワール川ワイン散歩・番外08

    【】 この供給の背後には、アフリカ内陸部の協力があった。たとえば、西アフリカのカネム=ボルヌ王国やガーナ王国は、戦争捕虜を奴隷として獲得し、サハラ交易路を通じて北アフリカへと売却していた。奴隷たちは、タガザ(塩鉱の町)やシジルマサ(モロッコ南部)といったキャラバン都市で中継され、マラケシュやフェズといった地中海交易都市に送られた。ここからさらに海路でイベリア半島やイタリアへも運ばれていった。 一方、東アフリカではスワヒリ文化圏の都市(モンバサ、キルワ、ザンジバル)が重要な奴隷供給拠点であった。アラブ商人たちはこれらの港町で黒人奴隷を集め、インド洋のモンスーン貿易圏にのせてアデン(イエメ

  • 三角貿易へ繋がる奴隷売買ビジネス/ ロワール川ワイン散歩・番外07

    西暦1000年を境に、ヨーロッパ大陸内では奴隷労働の姿が次第に消えていった。これは単に労働形態の変化ではなく、思想的・宗教的な価値観の変容によるところが大きい。とくにキリスト教の倫理観が社会に深く浸透するにつれ、キリスト教徒が他のキリスト教徒を奴隷として使役することに対する抵抗が強まり、奴隷制は名目的にも忌避されるようになった。その結果、ヨーロッパ内では古代ローマ以来の奴隷制度は、徐々に農奴制(serfdom)へと転換していく。農奴は土地に縛られた労働者であり、形式上は「人間」として扱われたが、実質的には世襲的な隷属状態に置かれ続けた。 しかし、奴隷制度自体がなくなったわけではない。

  • 奴隷制度が維持されなかったガリア / ロワール川ワイン散歩・番外06

    西ローマ帝国の崩壊によって中央の支配が失われたガリアの地では、ローマ的な奴隷制度は維持されないまま終息へと向かった。むしろ、その代替として、後の封建制につながる農奴制へと展開していったのである。 その大きな要因の一つは、ローマ帝国における奴隷制度が、都市社会と法制度に支えられた制度だったことにある。奴隷の売買、管理、刑罰といった運用は、ローマ法の枠組みに組み込まれ、それを執行する官僚機構、市場、貨幣経済といった基盤に依存していた。しかし476年以降、ガリアを含む西方の旧属州では、これらの制度的・経済的土台が西ローマの崩壊とともに姿を消した。帝国の行政官はいなくなり、徴税制度は停止し、

  • 奴隷制度が農奴制度へ / ロワール川ワイン散歩・番外05

    ローマ帝国は、その奴隷制度においてギリシャ的な要素を引き継ぎながらも、より制度的・商業的に発展させていた。ギリシャにおける奴隷は、ポリス社会における自由市民の理想生活を支える補助的存在として位置づけられていたが、ローマでは奴隷が都市、農業、軍事、さらには経済全体に組み込まれ、「帝国を維持する根幹的な労働力」として機能していた。巨大なラティフンディア(大農園)では、戦争捕虜として獲得された大量の奴隷が酷使され、ローマの穀物供給を支えた。市中では家内奴隷から書記・医師に至るまで、あらゆる分野に奴隷が浸透していた。 しかし、こうしたローマ的奴隷制度の拡張には限界があった。 第一に、制度の根

  • アリストレスの自然奴隷論/ロワール川ワイン散歩・番外04

    つまり「穀物に依存する文明」とは、本来「飢えた猿」として生存していた人類を、定住と飽食の方向へと急激に導き、その見返りとして寿命の延長と人口の爆発的増加をもたらした。しかし、それを支える社会システム。すなわち灌漑、貯蔵、分配、徴税、治安は、膨大な労働力の制度的確保を必要とした。 そのために、人類は「支配の論理」を制度化した。他者の時間と身体を自らの所有物として組み込む構造。それが奴隷制の起源である。 それは暴力ではなく「技術」として、また「合理性」として登場した。文明とは、他者を使い潰すことを正当化するための枠組みでもあったのだ。 貯蔵された穀物は飢餓を退け、人口を養い、文明を持続させ

  • 奴隷制度は何処から来たのか02/ロワール川ワイン散歩・番外03

    もっとも、すべての狩猟採取社会において奴隷的慣行が皆無だったわけではない。人類学的に注目すべき例外は、北米太平洋岸。現在のアラスカ南部からブリティッシュ・コロンビア沿岸地域にかけて暮らしていた、トリンギット族やハイダ族などの先住民社会である。 彼らは、豊かな海洋資源。特にサケの遡上、アザラシ、クジラなどの海獣効率的に利用することで、狩猟採取文化でありながらも、高度な定住性と資源の余剰を実現していた。この結果、階層的な首長制、戦利品の蓄積、儀礼的な富の再分配(ポトラッチ)といった、農耕文明に似た社会構造が形成されていた。 このような社会では、戦争や襲撃によって捕らえられた他部族の人々を、

  • 奴隷制度は何処から来たのか/ロワール川ワイン散歩。番外02

    奴隷制廃止記念碑を出てトラム3番の駅Médiathèqueまで歩いた。そしてViarme-Talensacまでトラムに乗った。途中Commerce駅で下車し、トラム3号線に乗り換えた。夕食はホテルでするつもりだった。 トラムの中で考えたのは「なぜヒトは、他者を奴隷として使うのか?」ということだった。 人類が狩猟採集から定住へと移行した最初の拠点は、チグリス・ユーフラテス、ナイル、黄河といった大河流域だった。これらは肥沃な沖積地帯を抱えており、自然の恩恵によって高い生産力が約束されていた。しかし、そこに文明が成立するためには、単なる自然条件だけでなく、それを活用する「技術システム」と「

  • 奴隷制廃止記念碑/ロワール川ワイン散歩#57

    アンヌ・ド・ブルターニュ橋を渡ってナント島から北岸へ戻ると、右手に現れるのは、白い壁のような建物だ。奴隷制廃止記念碑、Mémorial de l’Abolition de l’Esclavage。この記念施設は、地下に沈むように造られている。階段を下り、半地下の回廊へと足を踏み入れたとき、訪問者はまず、静謐な闇と向き合うことになる。 構造はきわめて簡素で、外の自然光は一切入らない。代わりに、控えめな照明が壁面に沿って無数の影を落とし、沈黙の中で語られない記憶が息づいている。回廊の壁には、奴隷制度にまつわる年表や、各国における廃止法の抜粋が多言語で刻まれており、日本語の表記も見受けられた

  • アンヌ・ド・ブルターニュとナント自治の記憶/ロワール川ワイン散歩#56

    アンヌ・ド・ブルターニュ橋は、決して大きな橋ではない。旅人の多くがこの橋を見過ごし、足早に通り過ぎてしまうかもしれない。だが、この橋こそが「群島都市ナント」という都市構造の要であり、ナント島(Île de Nantes)を本土と結び続けてきた歴史の動脈だと、僕は思う。 ナント島から北岸へ戻る途中、僕は橋の中腹で足を止め、しばしロワール川を見つめた。 この川は、かつて「怒れる川」として恐れられていた。長い蛇行の果てに大西洋へと注ぎ込むロワールは、降雨や雪解けに応じて荒れ狂い、幾度も洪水を引き起こしては川沿いの人々を苦しめてきた。 中洲が幾重にも連なるナントの地形において、橋を架けるとい

  • バナナ倉庫からグリュ・ティタン・グリーズまで/ロワール川ワイン散歩#55

    機械象のある広場からロワール川に沿って東へ歩いていくと、やがて川に面して連なる長大な倉庫群にたどり着く。ここは、かつての「バナナ倉庫(Hangar à Bananes)」であり、20世紀前半、ナントが西アフリカ諸国とのバナナ輸入で繁栄した時代の貿易拠点だった。 ナントと西アフリカは、奴隷交易を失った後、バナナによって再び結ばれた。 ナントは大航海時代以降、フランス随一の奴隷貿易港として名を馳せた都市である。アフリカ西岸で捕らえられた人々を奴隷として新大陸へ送り出し、そこで得られた砂糖やラムなどの交易品を本国へ運ぶ「三角貿易」の一角を担い、莫大な利益を上げていた。ナントにはそのための船団

  • 旧デュビジョン造船所/ロワール川ワイン散歩#54

    アンヌ・ド・ブルターニュ橋を渡って南岸へ入った。橋の中腹から振り返ると、旧市街の屋根と塔がロワールの霞んだ陽光に包まれて、その下を川の流れがゆっくりと横切っていた。川面のきらめきを追いながら、僕は静かに歩を進める。 目指す旧デュビジョン造船所Chantiers Dubigeon(Boulevard Léon Bureau, 44200 Nantes)は、現在「Parc des Chantiers(造船所公園)」として公開されている。かつての造船所の巨大な組立工場「Les Nefs」は「マシーヌ・ド・リル(Les Machines de l'île)」という展示スペースになっているそう

  • アンヌ・ド・ブルターニュ橋/ロワール川ワイン散歩#53

    そして僕は、ブルス広場(Place de la Bourse)を後にして、フォス通り(Quai de la Fosse)を抜け、グロリエット広場にある駐車場(Parking Gloriette)を通り過ぎた。 このあたり一帯は、かつて「グロリエット島(Île Gloriette)」と呼ばれていた中洲だった。ナントには大小さまざまな島が存在していたが、その中でも最大は「ナント島(Île de Nantes)」であり、それに次ぐ規模を誇ったのがこのグロリエット島だ。しかし20世紀初頭から中葉にかけて、都市再開発の波の中でこの島は徐々に埋め立てられ、1920年代から1950年代にかけて現在の

  • 革命ではない、ただのクーデターだった十月革命/ロワール川ワイン散歩・欄外

    ロマノフ王朝の終焉を追い始めると、必ず共産主義の色がついた事実が執拗に追いかけてくる。忍び寄るように・・だ。とくにカウンター・インフォメーションが少ない話は細心の注意が必要だ。それは、キリスト教の始まりを追いかける作業によく似てる。事実は誰かがこう言ってたという事実しかない。あるいは、誰かがこう言ってたと、言ってた・・そんな事実のウエファースだ。そのうえ、その事実に反証する事実がない。 そんな泥沼に潜りこむのがロシアの革命を追うときの足枷である。 1917年10月にロシアで起きた「十月革命」について、話するのに気が重い理由はそれだ。 と言いつつ、しばらくぶりにエイゼンシュタインの「レー

  • フランス革命の誤解/ロワール川ワイン散歩・欄外01

    フランス革命は、しばしば誤解されている。アンシャン・レジームの崩壊は、労働者の勝利ではない。というのも、当時、いわゆる「労働者階級」はまだ存在していなかった。 「労働者」としての階級が生まれるのは、産業革命以降のことである。農民でもなく、商人でもなく、職人でもない。つい最近まで季節労働者として都市と農村を浮遊していたような層が、産業革命によって生み出された新しい労働構造の中で、「労働者」として初めて位置づけられることになった。それがこの階級の成立理由だ。 封建制から都市経済へ、さらに資本主義的生産様式へと移行する過程で、土地を失った農民や自営業者、手工業者たちが、労働市場に流れ込み

  • パッサージュ・ポムレー02/ロワール川ワイン散歩#52

    こうした「パサージュ」なる商業施設の発生と興隆を考えると、やはりフランス革命がもたらした「公共空間の変容」と「新しい市民階級の誕生」について触れずにはいられない。 貴族階級の没落とともに、王侯の館や修道院の土地が解体・転売されるなかで、都市には「空き地」や「解体跡地」が出現した。こうした空間が民間資本によって再開発され、新たな商業用途へと転用されたとき、「市民=citoyen」のための、新しい建築様式――鉄とガラスによる透明で開かれた構造――すなわち「パサージュ(passage)」が誕生したのである。 革命によって自由と平等を掲げ、社会の主役に躍り出た新しい「市民たち」は、もはや身分

  • パッサージュ・ポムレー/ロワール川ワイン散歩#51

    博物館の出口を出て、城内の広場を横切り、外堀沿いに設けられた門からから街へ出た。 すぐ隣には、ナント市の観光案内所(Office de Tourisme de Nantes)があるので、こちらにも寄ってみた。建物は近代的で、ガラス張りの外観が目印だ。 自動ドアを入ると、正面にカウンターがあり、英語対応のスタッフが常駐していた。 館内には無料のパンフレットや地図、バス・トラムの路線案内、イベントカレンダーなどが整然と並んでいた。 「ナント・パス(Nantes Pass)」についての説明資料もあり、城や美術館、市内の主要施設の入場がセットになった観光パスとして紹介されていた。日数別に24時

  • 城内ナント歴史博物館/ロワール川ワイン散歩#50

    塔を降りて広場へ戻り、案内表示に従ってナント歴史博物館(Musée d'histoire de Nantes)へ向かう。 博物館の入口は城内の建物の一角にあり、入場料は常設展と特別展のセットで一人9ユーロ。受付で日本語のパンフレットを希望すると、在庫はないとのことだったが、英語版は用意されていた。 館内は時系列に沿ってナントの歴史を展示している。 展示はおよそ30のセクションに分かれており、先史時代から現代までを通覧できる構成になっている。 導入部では、ガロ=ローマ時代の出土品や中世都市の再現模型が展示されていた。城の歴史との重なりも随所で示されており、ナントが港町としてどのように発

  • ブルターニュ公爵城散策02/ロワール川ワイン散歩#49

    展示室を出て、広場の西側へ回ると、塔への登り口がある。 中世の構造を活かしつつ、安全のために鉄製の手すりが後付けされている。 階段は石造で、螺旋状。段差は狭く、足元の照明は最小限。 登る際には対向者とのすれ違いが困難で、途中に待機用の踊り場が二か所設けられていた。 およそ60段で上層部へ到達する。塔の上部は城壁へとつながっており、通路は一部開放されている。 城壁にはいくつかの観測窓(銃眼)が保存されており、城の防衛機能を説明するパネルも設置されていた。 一部の区画は改修中で立ち入り禁止になっている箇所もあったが、周回ルートとしては約3分の2が公開されていた。 城壁は厚さ約1.5メート

  • ブルターニュ公爵城散策/ロワール川ワイン散歩#48

    第一室は城の建設に関する資料が中心で、13世紀の地図、石造建築の構造模型、当時の道具のレプリカなどが並ぶ。 ジャン1世・ル・ルーの名が確認できるパネルがあり、木造から石造への移行が図示されていた。 第二室は考古学的出土品が主体。中世の陶器片、鉄製の錠前、硬貨、革製品の断片などが展示されている。 どれもナント市内やその周辺で発掘されたもので、説明は仏英併記。 第三室には、城の防衛機能や都市との関係についての説明がある。城壁の断面模型とともに、18世紀の城郭構造の変遷が年表で示されている。 また、要塞化が進んだ時代の銃眼や射撃用の小窓の実物も移設展示されていた。 展示物はいずれも保存状態は

  • ジャン1世・ル・ルー02/ロワール川ワイン散歩#47

    たいていの史書で名前が出てこないジャン1世・ル・ルー(Jean Ier le Roux)を知ったのは、前々職の頃、仕事の合間に手にした『Histoire de la Bretagne』からだった。 それはフランスの地方史をテーマにした専門書で、どちらかといえば無味乾燥な文献だった。 そこに数行だけ彼の名前と業績が簡素に記されていた。 「ジャン1世・ル・ルー(Jean Ier le Roux)は、ナントに石造の城を築き、公国を秩序のもとに統治した。」という程度の記述だったが、僕の記憶に何故か強く残った。 "赤毛のジャン"。石を選び、文書で統治し、剣より秩序を選んだ公。戦場を駆ける英雄では

  • ジャン1世・ル・ルー/ロワール川ワイン散歩#46

    アラン二世が斃れると、いつものように“終わりなき綱引き”の中へブルターニュは堕ちた。 「敵」が「隣人」となり、そして「海」は「国境」ではなく「通路」へと姿を変えた。 かつてヴァイキングと血で争ってきたブルトン人たちは、今やその子孫たち。ノルマン=イングランド王たちと、海を隔てて対峙することとなった。 この時期、ブルターニュは、三つの力の軸の狭間に置かれることになる。 それはフランス王権、イングランド王権(ノルマン系)、そして自立を願うブルトン貴族階層である。この三者の綱引きが、以後数世紀にわたってブルターニュの命運を翻弄していく。 アラン二世以後のブルターニュの支配者たちは、剣よりも

  • EU BattleGroups

    ゼレンスキーの「アメリカ軍が来ないなら、EU軍にきてほしい」という発言は、実のところそれほど突飛ではない。 "EU軍"なるモノは冷戦初期、フランス政府によって提唱された「欧州防衛共同体(EDC)」としてすでに1950年代に具体化されているからだ。この構想は、西ドイツの再軍備を抑制しつつ、ソ連に対抗する集団的防衛能力を欧州自体で整えるというもので、当時の西欧統合六カ国。フランス、イタリア、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、西ドイツによる超国家的な軍事組織の設立を目指していた。たしかに1952年に条約までは調印されたが、最終的にフランス議会で批准されず頓挫した。その後、西ドイツはNAT

  • イーロン・マスクDOGE撤退の意図

    ミルケン研究所グローバル会議におけるイーロン・マスク氏の非公開パネルセッションは、政府効率化局(DOGE)の活動と今後の展望を扱う内容だった。しかし、そのニュースより前に「マスク・同機関を退任する意向を示した」という報道があった。 僕は考えてしまうと共に納得した。 なぜ退任の意思を事前に明かしながら、セッションを予定どおり実施したのか。 確かにDOGEには、制度的な限界がある。 2025年初頭、連邦政府の行政合理化を目的に設立されたこの新組織には、立法権も執行権も与えられていない。あくまで「提案機関」という位置づけであり、改革案の実現には議会の協力が不可欠だ。 DOGEの提案内容は、

  • ミルケン研究所グローバル会議#02

    ミルケン研究所(Milken Institute)は、非営利・非党派のシンクタンクである。今この瞬間のリッチな人々の鳩首会議なので、ニュースはわりと冷ややかに見てるね。 今年は、NVIDIAのCEOでAI業界の先導者ジェンセン・フアン氏が、AI革命がもたらす産業構造の再編を語り、シティグループのジェーン・フレイザーCEOが「金融包摂と持続可能な資本主義」の実践例を示した。シタデルのケン・グリフィン氏は、マーケットのボラティリティと地政学リスクに言及し、投資の未来を論じている。 その席で、イーロン・マスクが非公開でセッションを開いたわけだ。 クローズドな部屋の中で、招待制、記録も制限付き

  • ミルケン研究所グローバル会議

    先日、用事があって、お役所さまに出かけた‥まあその「お待たせぶり」は銀行業務並みなのに驚かせるね。マクドナルドの窓口だったら、お客はあきれ返って帰っちまう・・そんな非効率的な作業を平気でやってる。まったくもって前時代的で驚くばかりだ。 で。待たされながら妄想したのは、イーロン・マスクが云うところのテクノクラート政治(technocratic politics)デジタル官僚制(digital bureaucracy)という奴なんです。 彼の「もういいんじゃないの?そろそろ変わろうよ」という姿勢にしみじみ同感した(笑) つまり、政治的意思決定を民意や感情から切り離し、多くの部分を専門知と

  • アルモリカからブルターニュへ#03/ロワール川ワイン散歩#45

    ナントの昼下がり。ランチの喧騒の中で、アジア人は僕ひとりだった。 観光客というより、地元の人ばかりが席を埋めていた。会話の調子や服の色、ナイフとフォークの音に、どこか柔らかい生活の重みがあった。 僕の目の前には、チーズの香りが立ち上る大きなピザと、よく冷えた白ワインのグラス。 ナイフで生地を切り分けながら考えてたのは、アラン二世“ねじれ髭のアラン”の祈願成就(939)のことだった。 亡命先のイングランドから帰還し、トランブルの戦いでヴァイキングを退けた男。アラン二世のもとに、なぜブルターニュに割拠していた諸侯たちが競うように集ったのか。な ぜ地元育ちでもない“余所者”アランのもとで、

  • ブルターニュ公国の成立#02/ロワール川ワイン散歩#44

    彼らはフランク王国の内乱に乗じてセーヌ川をさかのぼり、パリを脅かし、ロワール川を伝って西方内陸部にまで達するようになった。ブルターニュの沿岸都市は次々と襲撃を受け、修道院は焼かれ、農地は荒れ、民は略奪されていった。もはやそれは一過性の襲撃ではなく、定住と植民を伴う持続的な侵略へと変貌していた。 この結果、ブルターニュの諸侯たちは再び四散し、かつてノミノエとエリスポエが夢見た「独立王国」は、地図の上にも実体を持たない、名ばかりの存在となってしまった。 王も旗もなく、祈りの声だけが、焼け跡の修道院に残された。 それでも民が完全に解体せず、荒廃を免れたのは、教会の力にほかならない。 やがて

  • アルモリカからブルターニュへ/ロワール川ワイン散歩#43

    エルドル川の暗渠をこえてさらに歩くと、通りの名前はストラスブールue de Strasbourgと替わった。 ストラスブールは、1871年の普仏戦争でドイツに奪われ、1918年の第一次世界大戦終結までドイツ領となった地域だ。フランス人にとっては「失われた都市」そして「奪還された都市」という意味で象徴的な名前だ。エルドル川の暗渠の始点に建つ「Monument aux 50 Otages(50人の人質記念碑)」に相応しい名前だと思う。 同じ通り沿いにナント市役所Mairie centrale de Nantes - Hôtel de Villeが有った。 歩いているうちに驟雨は已みナントの

  • 小手先の「奇跡」を方便とする教団の慧眼/ロワール川ワイン散歩#42

    当初、この地はコンディウィンクムCondevincum)と呼ばれていた。これはラテン語の "confluens"(合流点)に由来する名前だ。まさにこの地が、ロワールとエルドル、そして小さなセーヴル川までもが交わる「都市の大動脈」であることを、ローマ人はよく理解していたのだろう。 ローマがガリアを征服したのは紀元前1世紀のことだった。ユリウス・カエサルが「ガリア戦記」に記したように、ローマの軍団は徐々にケルト諸部族を圧倒し、西ガリアへと支配を広げていく。ナントも例外ではなかった。やがてこの地はローマの支配下に入り、都市は「ポリス」ではなく「ウィカス(vicus)」・・地方の町として発展し

  • ナント市50人の人質記念碑に立つ/ロワール川ワイン散歩#41

    市場を歩いていて感じたのは、商品そのものの魅力よりも、その背後にいる人々の存在感だった。 どの店にも、必ず誰かが立ち、声をかけ、切り分け、笑い、提案し、そして「また来てね」と、親しげに言葉を添えてくる。観光客である僕にも、よそよそしさはまるでなく、むしろ「ようこそ、こっちへ」とでも言いたげな、温かい視線が交差していた。 あるチーズ店で、並べられたCuré Nantaisの熟成具合について尋ねると、若い店主が「匂いで判断して」と笑って答えた。オレンジ色の表皮に包まれたそのチーズからは、熟れた香りがふわりと立ちのぼっていた。じっと見つめていると、店主は気前よくサンプルを一切れ差し出し、「

  • タランサック市場/ロワール川ワイン散歩#40

    聖シミリアン広場からジャンヌ・ダルク通りを少し歩くと、道が切り開かれたように左手にタランサック市場(Marché de Talensac/Rue Talensac, 44000 Nantes)が現れる。全長160メートル、幅16メートルもあるというから、僕はまずその大きさに驚いた。 https://archives.nantes.fr/files/live/sites/Archives/files/pdf/D%C3%A9couvrir/publications/FICHE-MEMOIRE-TALENSAC_web.pdf タランサック市場は、ナント市内に現存する市場のなかでも、もっ

  • 71分で世界は変わる。DOGEと官僚主義の戦い

    IRSのホームページにサインインすること。それは、納税という市民の最も基本的な責務にアクセスする、ありふれた行為です。でも、その「ログイン」ボタンが本来あるべき右上になかったんですな。これ、些細なことのように見えるかもしれません。でも、DOGE(政府効率化局)にとっては、その存在意味を伝えた象徴的な事件でした。 Internal Revenue Service An official website of the United States government Pay your taxes. Get your refund status. Find IRS forms

  • 巨石群から吹く風/ロワール川ワイン散歩#39

    コンディウィンクム(Condevincum)と呼ばれたナントは、聖シミリアンが布教活動を始めたときには、すでに古代都市として重厚な歴史を刻んでいた。 東から尾根伝いにやってきた新石器人が、この地で巨石文明(Mégalithisme)を紡ぎ、独自の文化圏を七千年ほど前から築いていたからだ。若きシミリアンが歩いた石畳の、さらにその下には、六千年以上もの記憶の層が折り重なって眠っていた。 それを実感したのは、たぶんこの旅の前年、レンヌを訪れた際に、ブルターニュ南東部のカルナックを歩いた記憶が身体の奥底に残っていたからだと思う。あのとき、僕は初めて巨石文明というものを、自分の足で歩き、空気を吸

  • 聖シミリアン教会02/ロワール川ワイン散歩#38

    教会を出ると、再び雨が少し降り出していた。傘は差さなかった。鐘楼を振り返りながら、この丘に1500年眠る聖人の眼差しを想った。 彼が歩いたケルト人の都市は、ローマの残響とケルトの霊性が交錯した都市だった。 まだまだ偉大な帝政ローマの残照は、街の構造に色濃く残ってはいただろうが、西ローマ帝国の衰退は数千キロ離れたこの都市にも伝わり、都市は再び部族的な構造へと揺り戻されつつあった。行政機構はすでに崩壊しており、ローマ属州の統治官をなし崩し的に引き継いだ司教(episcopus)が都市の秩序維持者となっていた。つまり、シミリアンが足を踏み入れたナントは「司教都市(civitas episc

  • 米製ソブリン・ウェルス・ファンドについて03/思考実験:米製SWFを市場はどう見るか

    ある朝、アメリカの大統領がホワイトハウスの記者会見室でこう口にしたと想像してみよう。 「我々は、国家のために投資を行う。自由と繁栄を守るために、アメリカ製ソブリン・ウェルス・ファンドを創設する」 この宣言は、市場にとって“稲妻”のような衝撃をもたらす。なぜなら、それはアメリカという国が自ら信じてきた「民間の力こそが市場を導く」という神話が崩れるときだからだ。 ①第一波:反射的ショック。使い慣れた資本主義の原理が揺らぐ 最初に起きるのは、理念的な拒絶反応だ。 株価は乱高下し、ドルには売り圧力がかかる。ウォール・ストリートでは「これは社会主義だ」「国家資本の台頭はアメリカの終わりだ」とい

  • 米製ソブリン・ウェルス・ファンドについて02

    そのトランプ的SWF構想を、僕は三つの柱で予測している。 ① 国内再工業化への直接投資 最大の狙いは、「アメリカの再工業化」だ。 第1期のトランプ政権では「工場をアメリカに戻せ」と叫び、規制緩和や法人税の引き下げなど、民間誘導型の政策で製造業を呼び戻そうとした。 しかし、それだけでは不十分だった。資本は相変わらず中国やインド、あるいは中南米に流れ続け、米国内の製造基盤は戻りきらなかった。 だからこそ、次は「国家が直接、製造業の資本になる」という選択肢が現実味を帯びてきている。 この局面において、SWFは極めて有効なツールとなる。 インフラ、基幹産業、戦略技術分野に対して、国家が民間の空

  • 米製ソブリン・ウェルス・ファンドについて01

    アメリカという国には、建国以来、根深い不文律がある。それは「政府は市場を直接運用すべきではない」という感覚だ。 この原則は、単なる経済理論ではなく、もっと感情的で道徳的な観念に近い。 政府が企業に出資したり、資産を積み上げたりする行為は、アメリカ人にとって「自由市場の敵」であり、まるで社会主義のようだという拒否反応を引き起こす。 アメリカが長らく信じてきた「小さな政府」の理想。その奥には、中央政府が「富を蓄える」ことへの根源的な嫌悪感がある。まさに“反社会主義アレルギー”とも言える情念だ。 だからこそ、これまでアメリカには、ノルウェーや中国のような政府系ファンド(ソブリン・ウェルス

  • ウォルマートの「Grow with US」

    2025年4月29日。ウォルマートは、サム・ウォルトンが40年以上前に築いた伝統を基に、中小企業に成功のための新たなツールと道筋を提供する「Grow with US」などの新しいプログラムを通じて、アメリカ製製品へのサポートを拡大してきた。 そしていまウォルマートは「Grow with US」と近々開催される「2025 Open Call」を通じて、米国を拠点とする起業家が小売業の複雑な状況をより簡単に把握し、自社製品を全国展開できるように支援すると発表した。 https://corporate.walmart.com/news/2025/04/29/grow-with-us-how

  • 加藤さんがみせた財務省的発想の“通貨外交古典芸能”

    財務大臣・加藤勝信は、米国債の売却が「交渉カードとしてはあり得る」とTVで言った。すぐに大きなニュースになってる。 なぜ「今」そんなことを、本邦財務大臣TVで言ったのか?その「日本政府の意思」は誰が描いているのか? この背後に顔の見えない“財務省構造”が見えませんか? "その"部署で、政治と市場への許容値」と「撤回可能性」が常に管理されていることが分かりますね。日本の往くへき道を決めているのは官吏だということ・・ だけどそれって・・日本の財務官僚機構の内部構造と、政治との接合点が見えないと分かりにくいかな‥と思った。 https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/nms/

  • その逆鱗に触るのか?

    プーチンは第二次世界大戦終結記念日およびロシアの主要な国民的祝日の80周年を迎え、プーチン大統領は先週、5月8日から11日までのウクライナでの3日間の一方的休戦を宣言した。 ゼレンスキーはこれを非難し、むしろなぜロシアがなぜ直ちに30日間の停戦を宣言しないのかと言う。ウクライナが3日間の停戦に応じるつもりがあるかどうかについては言明しなかった。 それどころか5月9日にモスクワで行われる戦勝記念日のパレードを妨害する可能性があると示唆した。 同日は習近平が同席することになっている。 Zelensky hinted that he could disrupt the Victor

  • 迎える社会と使う社会・日本人と外国人労働者の境界線#02

    移民が都市を変えるように、都市も外交を変えていきます。シドニーやメルボルンにインド系のコミュニティが根づき、その子どもたちが現地の教育を受け、社会の一員として育っていく。それは文化的な融合であると同時に、国家間の関係性を足元から強固にしていくプロセスでもあります。 そんなことをつらつらと考えながら、ふと、翻って日本はどうなのだろうか?と考えました。 日本の移民政策には、まだ“場当たり的”という印象しかありません。もちろん日本でも少子高齢化は深刻で、労働人口の減少への対応は長年議論されてきました。しかし、それに対する答えとして本格的な移民政策を掲げた政権は、これまで一度も存在しません

  • 迎える社会と使う社会・日本人と外国人労働者の境界線#01

    昨日、ある記事を読んで、思わず「とうとうここまで来たか」と呟いてしまいました。 「オーストラリアで、インド系移民の数が英国系を上回る」という内容の記事です。 なるほど、とは思いましたが、正直なところ意外ではありませんでした。なぜなら、僕自身がかつてシンガポールで原材料投資の仕事をしていたころから、オーストラリアという国の“変わり方”をじわじわと感じていたからです。 Indians set to overtake Brits as top Aussie migrants India is poised to overtake the United Kingdom as the

  • 米国ウクライナ資源協定#02

    僕の全くの私見だが――ロシアは「静観、あるいは協働の姿勢」をとり、中国は「口先だけの抗議、あとは無視」で進むと見ている。 おそらくだが、ここまでチェスの駒を進めるには、トランプはプーチンと相当の会話を交わしていると思う。外交記録に残ることのない、しかし核心に触れるようなやりとりだ。つまり、ロシアはすでにこの件に関して“内々の了解”を得ているのではないか。トランプ政権との間で、非公式な合意――あるいは少なくとも「波風は立てない」という程度の共通認識ができていると、僕は確信している。 なぜなら、ロシアにとって最も利益があるのは、ウクライナでのレアアース開発に参与することそのものだからだ

  • 米国ウクライナ資源協定#01

    ちなみに・・・載せた写真は、この間バチカンで、二人が対面で話し合ったときのもの。 これほどのネゴができる大統領が、今世紀のアメリカにいたか? 昨日4/30の米国とウクライナが希土類鉱物を中心とした資源協定にようやく署名したというニュースを見て思ったこと。 https://www.axios.com/2025/04/30/ukraine-minerals-deal-signing TVの仕掛けにノって、祀り上げたヒーローが起こした不始末を、ようやく手じまいさせるのか・・と。それもヒトサマの手で。そうため息が出た。 それはさておき、この報道で、最も見つめるべきは、この合意にウクラ

  • サン・シミリアン教会Nantes/ロワール川ワイン散歩#37

    朝のナントは静かだった。 小雨が上がったばかりで、街を濡らした石畳がまだ鈍く光っている。分厚い雲に覆われた空からは柔らかな光が差していたが、空気にはほんのりとした肌寒さがあった。コーヒーの香りの余韻を残したまま、僕はホテルの重い扉を押して外へ出た。 朝一番に目指すは、サン・シミリアン教会(Pl. St Similien, 44000 Nantes)とタランサック市場 Marché de Talensac(Rue Talensac, 44000 Nantes)だ。 地元の人々が日常的に通う場所を訪ねるのが、僕の旅の中で大切にしている街歩きのコツだ。 ホテルの横を走るジャン・ジョレス通り

  • ラディソン ブル ホテルNantes/ロワール川ワイン散歩#36

    目覚めは早かった。ベッドから起き上がると、石壁に触れた指先にひんやりとした冷たさが伝わってきた。寝起きのまま窓の外を見ると、ガラスにはうっすらと雨の跡が残っていた。 このホテルは、かつて司法宮だったと、ドライバーのムッシュM氏が言っていた。僕は重厚な窓枠にもたれ、カーテンを少しだけ横に引いて街を見下ろす。雨はそろそろ止みかけていた。ホテルを囲むように立つ樹木は濡れそぼり、地面のあちこちにできた薄い水たまりには、森と空の灰色が映り込んでいる。風に揺れて、水面も木々も静かに波打っていた。 その先の低層の建物の壁面も、雨に濡れてしっとりと濃い色を帯びている。その下を、通勤途中だろうか、コー

  • アメリカン・フリーダム・トレイン

    アメリカは、これから変わるのかもしれません。今、その始まりの予感とともに、時代がゆっくりと、けれど確かに揺れ始めているのを感じます。 トランプ氏が掲げる「国内再工業化法案」。「アメリカで作り、アメリカで売る」という掛け声は、ある意味とても“アメリカらしい”帰結かもしれません。 しかし・・考えたのは‥あの国をもう一度、まとめ上げるような「団結」の象徴になるものが、今のアメリカにあるのだろうかと。 それで思い出したことがあります。 「アメリカン・フリーダム・トレイン」です。 1976年、アメリカ建国200周年の年です。赤、白、青に塗られた蒸気機関車が「アメリカの魂」を満載して、本土48州

  • これからの100日について

    さて。これからの100日だ。 最初に晒されるのは、関税政策による価格上昇と物流の逼迫だ。 5月以降、昨年末から始まった対中・対EU関税の本格適用が、消費財や部品価格に反映され始める。特に家電、衣料、自動車、スマートフォンといった一般消費者向け製品の一部で「価格転嫁」が現実のものとなりつつある。さらに、国際輸送コストの増大や港湾通関の混雑も拍車をかけ、企業の納期遅延や販売計画の修正が相次ぐだろう。 もちろん、影響は企業業績にも及ぶ。四半期決算では、すでに複数の小売・製造業が「仕入れコスト上昇による利益圧縮」を明言しており、ウォルストリートでは「夏場の業績予想は下方修正を伴うだろう」との見

  • トランプショックの展開と、およぼした影響について#04/政府支出の抜本的な効率化

    ④政府支出の効率化:1日16億ドルを節約する「DOGE改革」 トランプが掲げるもう一つの目玉政策が「政府支出の抜本的な効率化」だ。ホワイトハウス直轄の新設機関「政府効率化局(Department of Government Efficiency:通称DOGE)」は、就任からわずか数週間のうちに全連邦省庁の支出構造を見直し、前例のないレベルの節約を実現し始めている。 この機関を率いているのがイーロン・マスクである。マスクは「SpaceXで培った資源集中と意思決定の迅速化を、連邦政府にも持ち込む」と明言し、役所的体質の打破を進めている。実際、マスク氏は初日からホワイトハウスのブリーフィン

  • トランプショックの展開と、およぼした影響について#03/国境政策の再構築

    ③移民政策、とくに強制送還を柱とした国境政策の再構築 就任直後から、トランプは「法と秩序の回復」「国境の主権再建」を掲げ、南部国境における不法越境の即時的な抑止を最大の目標として掲げた。 彼が協調してるのは「不法移民によってアメリカ国民の雇用や治安が脅かされている」という強い危機意識だ。 とくにバイデン政権時に緩和された庇護申請手続きや、州によるサンクチュアリ・ポリシー(移民当局との協力拒否)により、事実上「開かれた国境」になっていた・・と彼は言う。 この彼の主張には、選挙期間中からこの問題は支持者を鼓舞する強い動員力を持っており、政権奪還後の最初の数日間で最優先事項として位置づけられ

  • トランプショックの展開と、およぼした影響について#02/製造業の国内回帰として総額1.75兆ドル

    ②さらに相互関税戦略と並行したのが「製造業の国内回帰(re-shoring)」である。 彼は、就任からの3か月で、総額1.75兆ドルにおよぶ製造業関連の投資が国内向けに確定・表明した。これは政権による明確な産業誘導政策――すなわち、税制優遇、規制緩和、そして関税政策という「三位一体の圧力と誘因」による成果だと云えよう 日産、ホンダ、現代といった自動車メーカーは、メキシコやカナダでの生産を一部見直し、アメリカ本土への移転を進めている。ホンダは新型シビック・ハイブリッドの組立ラインをインディアナ州に設けるとされ、これはトランプ大統領による「米国生産を条件に関税免除」という“条件付き優遇”

  • トランプショックの展開と、およぼした影響について#01

    2025年4月29日、ドナルド・J・トランプ大統領(第47代米国大統領)は、就任100日を迎えた記念演説の冒頭でこう宣言した。 「我々はこの国に、過去100年間で最も劇的な変化をもたらした。アメリカの黄金時代の始まりだ」 ではその100日間はなんだったのか? その主な政策の展開と、およぼした影響についてみてみよう。 ①動けなかったことを動かして見せたこと 彼は就任からわずか100日間で、100件を超える大統領令を発令した。これは1933年にフランクリン・D・ルーズベルトが世界恐慌下の「ニューディール政策」を始動する際に記録した99件を超える、近代以降で最多の発令数である。だが今回

  • アリゾナ州はビットコインを中心とした「仮想通貨」を、州の戦略的な備蓄資産として認めた

    2025年4月28日、アリゾナ州でちょっと注目すべき法案が2つ可決されました。どちらもビットコインを中心とした「仮想通貨」を、州の戦略的な備蓄資産として認めるという内容です。 Arizona Lawmakers Approve Complementary Bitcoin, Crypto Bills - Decrypt If approved by the governor, Arizona could become the first s decrypt.co 一つ目の法案、SB1025は、州財務長官が最大10%まで仮想通貨に投資できるようにするもの。州議会

  • 原発回帰の重要性を証明したスペイン/ポルトガルの停電

    'Critics of Net Zero are now questioning whether renewables were to blame'.@benleo444 reports from Madrid on the nationwide power outage that Spain experienced yesterday. pic.twitter.com/6RkGKkvsB4 — GB News (@GBNEWS) April 29, 2025 2025年4月28日、スペイン、ポルトガル、そしてフランスの一部地域で大規模な停電が発生した。何百万人もの人々が突然電

  • Coteaux d’Ancenis散歩04/ロワール川ワイン散歩#35

    一時間ほどの静かなドライブののち、ナントの街が遠くに灯をともすように姿を現した。 川沿いに連なる工場跡地、並木道に揺れる街灯の光、かすかに聞こえるトラムの音。旅の終着地にして、また新たな旅の予感を孕んだ街だった。 実は・・今夜泊まるホテルがどこにあるか、僕は知らなかった。ランチタイムの時、思いついて予約はすべて、ムッシュM氏にお願いたのだ。彼は快諾してくれた。 運転しながら「ホテルはですね・・」と彼が言った。 「個人的に、思い入れのある場所を予約しました。ちょっと…ドラマチックな感じでしょうか。旧裁判所広場のすぐ近くにあるラディソン・ブル・ホテルです」 僕は静かに頷いた。 「実は、

  • 火星より 地球はマシだと マスク越し

    イーロン・マスクが、テスラの業績悪化を受けて、DOGE(Department of Government Efficiency)への関与を週1〜2日に減らすと発表しましたね。 ​トランプ政権下で「政府効率化省(DOGE)」を率いてますが、まさに「出るクギ打たれる」ならぬ「出るクギ抜かれる」で(決して自然発生的とは思えない)きており、今彼は全国的な抗議やテスラの施設への破壊行為に巻き込まれております。 "政治をお金に繋げない"という姿勢は、つまり民間のまま施政に(謂わばvolunteerとして)加わるということが、そのまま諸刃の剣になりうると・・それを身をもって体現してるわけです。 ま

  • Coteaux d’Ancenis散歩03/ロワール川ワイン散歩#34

    次に訪れたのは、Domaine des Génaudières(ドメーヌ・デ・ジュノディエール)。 ル・セリエという村の丘の中腹、ロワール川を見下ろす眺めのよい場所に、その畑は広がっていた。 蔵に着くと、年配の女性が出迎えてくれた。グレイスと名乗ったその人は、当主の妹だという。 「このあたりでは、川霧のおかげで朝晩の寒暖差が生まれるんです。ワインにはそれが、必要な呼吸になるのです」と、彼女はやさしく語った。 テラスに案内され、ロワール川を見下ろしながら飲んだ最初の一杯は、Coteaux de Loire Blanc。 熟した洋梨とアカシアの蜜の香り。そしてその奥に、石灰質の岩のようなミ

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