50なりたての海外在住の中小企業診断士兼FP(1級)です。 孔子は五十にして天命を知る、と言っていますが、まだその境地は遠そうです。 自分の過去の苦い経験を紹介する中で、これから世代の人が人生を歩むヒントを提供できればと思います。
第176稿です。 とにかく新任地に着任しました。 そこでの自分の役割は新規ビジネス開拓といった漠然としたもの。 今度どこかでお話ししたいと思うのですが、ある時点から組織の中で第一級の期待を背負っているという感覚はなかったですし、明示的にこういう風にしてほしいような組織からの要請もなかったので、良くも悪くも自分の中では宙ぶらりんな感じでした。 何の制約条件もないと人間は不安になるというものらしいですが、まさにそういう状態だったのだと思います。それはある意味、自分が何かの制約がないと生きられなくなっていた、ということなのかもしれません。 とにかく自分の拠り所にすべき軸が全くないので、誰と何の会話を…
前回は旧任地を出立した話でした。 qye04202.hatenablog.com 日本にいる家族にもコロナのおかげで会うこともままならず、そのまま日本を出立して一人で新任地に旅立ったときには、いいようもないわびしさを感じたのを強烈に憶えています。 組織に属していて組織の命で旅立ったので、誰かは自分が新任地に向かっているのは認識していたはずではありましたが、このまま自分の気が変わって行かないことにしたらどうなるんだろう、というおかしなことが頭に浮かんだりもしました。 国際間移動ということで組織内でも異例なことだったことで全てを一人で準備する必要があった上に、コロナで極力人との接点を持てなかったた…
やりたいこと、やらなければいけない(と自分で思い込んでいること)がたくさんあることを自分の中で言い訳にして9か月くらい更新できていませんでした。 でも実際のところは、何かを語るために頭を整理する余裕がなかったものでした。 そろそろ少しずつ再開しようと思っています。 前回までは国際間転勤の話をしていました。 qye04202.hatenablog.com 前任地を離れて、いったん日本に戻りました。 当時はコロナの真っ只中。 日本に入国するためには出発国でコロナウィルス検査を受診し、陰性証明書を取る必要がありました。 そして日本入国に際しても係員の誘導を受けてコロナウィルス検査。 経験された方も多…
第173稿です。 前回は離任に際してコロナの状況が急激に悪化し送別会などがいっさいなくなってしまったことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com コロナの影響、そして国際間移動の苦難、はこれだけにはとどまりませんでした。 転勤にあたり、住居に置いている荷物もすべて引き払って新しい場所に運ぶ必要がありました。 引越業者に来てもらい、見積もりをして貰ったうえで会社で予算を取って引越しをする段取りを進めていました。 (社命による移動なので一定程度は会社負担で搬出できました) コロナ下で特にアジアの物流が混乱しており、業者からは、空輸にしたほうがいい、海上輸送ではいったいいつ…
第172稿です。 前回は新任国のビザがようやく取れたお話をしました。 qye04202.hatenablog.com 東南アジアには約3年半いました。 それなりに長くいたので、社内外の人にはいろいろとお世話になりました。 ビザ取得の手続きを開始した頃、滞在国のコロナの状況は長らく沈静化していました。 コロナ初期は飲食店などの施設は一切営業を停止していましたが、その後の状況が安定していたため、ある時期から営業を再開しており、一定の制限はあったものの、人が集まることも可能になっていました。 そのため、勤務先では、複数の部署の人たちがいろんな送別会を計画してくれていました。 イスラムの国でしたので、…
第171稿です。 前回は東南アジアに赴任しているときに北米への転勤の命令があったことをお伝えしました。 (前回の記事はこちら) qye04202.hatenablog.com 日本のパスポートは世界最強と聞いています。 世界中の国の中で、ビザ(入国査証)なしで行ける国の数がもっとも多いということだそうです。 でもそれは観光で訪問するときに限ったこと。 仕事をするとなればいくら最強のパスポートを持っていてもビザを取得する必要があります。 普通ならば、必要な書類さえ揃えておけば、到着時にビザが貰えるという極めてシンプルな手順だそうです。 ところがちょうどその頃は世界中でコロナが猛威をふるっていた頃…
2023年からブログを再開することにしました。 このブログを始めてから本稿で170稿目だと思います。 しばらくは近況についてお話ししていこうと思います。 東南アジアで勤務して約3年半経った1年前のある日。 北米への転勤が伝えられました。 東南アジアでは管理系の仕事が中心でしたが、北米での仕事は営業。 実は過去に営業を外れて長く、しかもそれは営業不適格と思われて外れたと思っていたし、自分も営業に適格だとは全く思ってなかったので、自分の中ではかなり意外でした。 同時に営業を担当することにかなり恐れを抱いたのも事実でした。 (営業から外れた頃の話は以下に記しています) qye04202.hatena…
1年半以上ブログ更新をしていませんでした。 東南アジアから北米への横移動を機に体も心も余裕がなく、過去のことを振り返っている 余裕がなくなってしまったためです。 2023年開始を機に、そしてある人のアドバイスもあったので、少しずつ復活していこうと思います。 いままで過去の失敗体験を中心にお話してきましたが、やはりその方向性は変わらないと思います。 我ながら失敗ばかりしているなとも思うのですが、それが自分の糧になっていると思えば安い授業料かもしれません。 3年前から新年の抱負はStep out from my Comfortable Zone(自分が心地よいと思う環境からの脱却)がテーマなのです…
第167稿です。 この国で最も古いとされている建物を訪問しました。 歴史的建造物として個人所有で保管されている個人宅です。 どのくらい古いのか尋ねてみると1960年代だといいます。 自分の感覚だと歴史ではなくつい最近のことに感じます。 その後、ブルネイ人に聞いてみると、過去のものを保存する取り組みをしてこなかったものとのことでした。 おそらくこの国の位置するボルネオ島自体がオランダ、イギリス、そして第二次大戦中は日本、と支配者が変わって歴史を残している余裕がなかった、ということなのかもしれません。 日本を見てみると、現存する寺院や城郭は建造から百年単位経過しているものが多々あります。何らかの理…
第166稿です。 ブルネイでは5月14日にラマダン明け休暇(Hari Rayaと言います)が始まりました。 COVID-19の関係で、昨年(2020年)、今年(2021年)ともに開催が中止されてしまいましたが、Hari Rayaでは、王宮を一般開放し、国王とその一族の方々に謁見するイベントが例年行われていました。 2019年に行われたときの様子は次のようなものでした。 ①王宮の入り口に到着 ②入り口で宮殿までの送迎バスに乗る ③大広間で食事をしながら待機 (来訪者すべてに食事がふるまわれました) ④一列になって国王およびその一族に別室で謁見 このときは男女に分かれます。 そして男性は男性王族に…
第165稿です。 ラマダンが明けました。 ブルネイの場合は専門家が該当日の夕方に望遠鏡で月が新月であることを確認したのちに、翌日からのラマダン明けを宣言するというスタイルです。 ラマダン明け当日から3日ほど休日になります。 つまり休日のスタートは専門家の確認を待たないと決まらない(国王陛下の決裁も仰ぐようです)ことになっています。 近隣のイスラム諸国は今年のラマダン明け休暇はいつ、と固定されているようですので、こうやって直前まで流動的なのはこの国ならでは、と言えそうです。 昨年(2020年)や今年(2021年)はCOVID-19で軒並み無理だったのですが、財力のある家はオープンハウスというのを…
164稿です。 5月初頭から18歳以上の人を対象にCOVID-19のワクチン接種が始まりました。 銘柄はアストラゼネカ。 すでに医療最前線(Front Liner)と60歳以上の人には始まっていたのですが、いよいよ一般にも投与が始まりました。 在住外国人も対象となっていましたので受けに行ってみました。 予約はBruHealthというアプリを通じて実施。 このアプリはCOVID-19が始まってから政府が導入した追跡アプリで、GPSと連動しています。 ここに個々人のCOVID-19関連の情報が集約されるしくみになっています。 会場に行くと現地の人がほとんど、外国人は西洋人が目立つ感じ。 受付はかな…
第163稿です。 先日現地スタッフと話していて驚いたことがあります。 同じマレー系民族の間でも国籍によって人々の中で上下の感覚があるということ。 あるトラブルをめぐって原因を議論しているうちに実は根本には国籍による差別があったのではないかということ。 この国では、メイドさんとか建設業の労働者などは外国籍の人がほとんどです。 資源で潤っているということもあり、周辺国からの出稼ぎ対象国になるのだと思います。 世代にもよるし、個人にもよるみたいですが、現地の人の中には、そういう国籍の人々をひとくくりにして見下すような人もいるようです。 そういう態度がよくわかるのがクルマの運転のときだそうです。 路上…
第163稿です。 ブルネイはよく知られているように資源国です。 石油とガスによる収入は国家歳入の約8割を占め、日本がもっとも大きな輸出相手国になっています。 石油やガスは常に埋蔵量が話題になりますが、ある統計を見ていてざっと計算したところ、この国の資源は30年くらいで枯渇するという結果になりました。 もちろん採掘技術が上がると可採年数は伸びていきます。 しかしながら国家予算が資源に依存しているため、化石燃料が限りある資源だとすると、この国の経済は長い目で見ると危ういとも言えます。(現地の政府もこれにはかなり前から気づいていていろんな手を打っています) あるとき、ドライバーとこの話になり、資源が…
第162稿(通算)です。 2021年2月から休止していたブログを今月5月から再開しました。 これまで過去が中心でしたが、しばらくは現在の出来事を中心にお話ししようと思います。 主に人生やキャリアについての話が中心になると思います。 最初のうちは、人生に関連して、こちら(ブルネイ)で見聞きした人々の生活などにも触れていきたいと思っています。 実は過去の投稿でブルネイについては少し触れていますが、その続きで少し触れていきたいと思います。 qye04202.hatenablog.com 4月からラマダン(断食月)が始まっています。 ラマダン開始はその前日にならないと決まりません。 今年はだいたいこの…
過去編と称して自分のこれまでのキャリアを振り返ってきました。 160稿を区切りに一度中断することにしていました。 qye04202.hatenablog.com 4月から再開することにしていたのですがなかなか忙しく書けなかったのですが、5月を迎えたのをきっかけに再開しようと思います。 以前はSNSにもリンクを貼ったりしていたのですが、今回からははてなブログ内だけにとどめておこうと思います。 主にキャリアのことを中心に人としての生き方などについて目にしたもの、耳にしたものを紹介しながら思索していきたいと思っています。 Photo by Tyler Lastovich on Pexels.com
第160稿です。 2週間ぶりの更新です。 2020年6月から過去の経験や思いを振り返ってきましたが、一旦ここで一区切りとしたいと思います。 自分の半生は、思えば失敗が殆どだったという記憶しかありません。 でも失敗のたびに何かを得ようとしていたような気もしますし、そういう風に思い込みたいという気持ちもあります。 何度も自分のことが嫌になったりもしたけれども、問題に直面しては自分で対処せざるを得ず、逃げないで、というよりも逃げられずに何とか今までやってきたのだと思います。 そういうものの積み重ねが、多少でも生きる知恵として、読者の皆様にお伝えできればいいなと思っていました。 その目的はまだ半ば、ま…
第159稿です。 これまでブログで過去を振り返ってきました。 (これまで読んでいただきありがとうございました) もともとは自分の苦い経験が誰かのお役に立てれば、という思いで始めたものですが、思わぬ反響をいただき、多少はお役に立てたのかもしれないと嬉しく思います。 お蔭さまで自分が何に価値を置いてきたのか、何をやろうとしてきたのか、ということについて棚卸しする機会にもなりました。 これまでの150稿あまりを通じて、思い出せる限りの失敗、苦い経験を振り返ってきました。 ここでは言及できなかった、すでに自分の中ではるか記憶の彼方にある失敗も数多くあると思います。 そしてその失敗のゆえに、自信が持てな…
第157稿です。 目先で片付けなくてはいけないことが多々できてしまい、前回の投稿から2週間程度空いてしまいました。 前回は新製品の失注に関して反省会をしたときの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回は別の失敗談を。 あるとき製造上の大きなトラブルで出荷が遅れそうになったことがありました。 それを知り得たときに上司の課長に相談しました。 今となってはどういうトラブルだったのかも全く記憶していませんし、その品種は自分の担当ではなかったので、何で相談したのかは全く憶えていません。 課長曰く、すぐに事業のトップに報告しろ、と。 その言葉を受けてそばを通りがかったトップに「…
第156稿です。 前回は新製品開発企画の話をしました。 qye04202.hatenablog.com さて、曲がりなりにもその新製品開発を前に進めることができました。 きちんと性能を満たせば、ある大手メーカーさんが発売を予定していた新商品に搭載される基幹部品として採用される予定でした。 その大手メーカーさんが最終需要家で、生産は東アジアの協力会社で行うスキームでした。 まずは最終需要家の評価をクリアし、その上で、生産委託先での量産チェックを経る必要がありました。 最終需要家の評価は最初の関門だったのです。 技術部が試作品を何度か作り、その大手メーカーに納品し、いろんな評価をしてもらっていまし…
第155稿です。 前回は学生時代のアルバイトでの失敗をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 今回は会社での話です。 新製品を出すことになったときのことです。 当時私は営業部門にいました。 新製品を出すときには、新製品開発会議という打合せを実施する必要がありました。 すでに開発部の方針で開発の方向性は決まっていたのですが、製品化のためには生産管理部、製造部、資材部など社内各部署にも動いてもらう必要がありました。 この製品に取り組むことを社内周知し、各部に取ってもらうアクションを明確化するためにも、この会議を開催する必要があったのです。 そしてそれに先だって新製品開発企…
第154稿です。 前回は社会人1年目のときの印象深い出来事をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com ちょっと時間を遡って学生時代。 いまも時折思い出しては後悔をしている出来事があります。 以前に学生時代に飲食店でアルバイトをしていた話をしました。 qye04202.hatenablog.com 最初のうちは、周囲が知らない人ばかりだったり、自分とは生き方も興味の世界も異なる人たちの世界だったので、全く馴染めませんでした。 マスターやほかのアルバイトの人と会話をするネタも思いつかず、いつも押し黙ってときどき愛想笑いを浮かべるのが関の山でした。 ところが2年、3年と経過す…
第153稿です。 前回は新卒で入った会社での配属のときの話をしました。 qye04202.hatenablog.com その続きです。 同じ部署に配属となったのは自分も含めて5人いました。 前稿で触れたように、チーム配属時の挨拶はなんだか奇妙な感じになってしまったので、気を取り直して、所属部の部長に挨拶に行くことにしました。 ほかの4人は高専卒、大卒、私は大学院卒で、新入社員の中では最年長でしたので、何となく自分から声を掛けなければいけない気がして、ほかの4人に声を掛けたのを憶えています。 部長のところに5人揃って行きました。 大きなフロアのいちばん端の雛壇席で、そこだけ何だか特別なオーラが出…
第152稿です。 前稿までは、中小企業診断士試験に年月をかけて受かるまでの話と、その後の活動について少しだけ触れました。 qye04202.hatenablog.com 中小企業診断士活動のほうはまだ現在進行形なので、後日触れていきたいと思っています。 このブログのテーマは、いろんな苦い経験を将来に活かす、というものでした。 新年を機に、過去の経験で印象深かったことを振り返り、そこからの教訓を考察してみたいと思います。 新卒で入社した会社でのことです。 新人研修を終え、5月に配属が発表になり、6月に部署に配属になりました。 部署には自分も含めて4名の新入社員が配属されました。 各人の配属チーム…
第151稿です。 年末に「遠隔地から何ができるか➀」としてオンラインでできるようになったと感じることを並べてみました。 qye04202.hatenablog.com でもオンラインではできるかどうかわからないと思うこともいくつかあります。 たとえば・・・ ➀関係性の維持 いままでリアルで培ってきた関係性がオンラインで維持し続けられるのかはまだわかりません。 現時点で業務以外に自分が参加しているイベント、打合せはほぼ100%オンラインです。他の参加者も等しくオンラインなので、互いに差異はなく、オンライン上で頻繁に顔を合わせることであまりコミュニケーションに断絶を感じることはありません。但し、も…
第150稿です。 新年あけましておめでとうございます。 2021年元日、今年の個人的な目標について触れたいと思います。 今年のテーマもBeyond my comfortable zone(快適なゾーンからの脱却)としたいと思います。 これは、現地の新聞で2年くらい前に出ていたインタビュー記事の中で現地の女優が語っていた言葉です。 自分に必要な意識だと思って手帳に書き留めていたものです。 年を重ねるとともに自分のできること、得意なことに流れようとしてしまいがちなのですが、そのことで自分の可能性を縮めているのではないか、それでは変化している社会から取り残されるのではないか、と思うからです。 実際に…
第149稿です。 前回までは、資格取得までのことについて触れました。 qye04202.hatenablog.com 資格を取ったはいいものの、実践で生かさないと意味ないし、そもそも知識だってすぐ古くなるので、常にアップデートしないと使い物にならないように思っていました。 日本の中小企業のために作られた資格だと思うので、制度設計もすべて日本在住の前提で作られています。 ところが、期せずしてオンライン時代到来が早まり、日本在住でなくても中小企業診断士としてできることも増えているように感じています。 具体的にオンラインでもできるようになったことは次の通りです。 (インプット) ・理論政策研修 中小…
第148稿です。 前回は資格を取ったあとのスキルアップを考えて講座に申し込んだ話をしました。 qye04202.hatenablog.com 4月~5月の2ヶ月だけの集中講座でしたが、海外から会場に出向いて参加することはできないので、動画視聴で学ぶつもりでした。 ところが3密を避けなくてはいけない情勢を受けて、全面オンラインに切り替わりました。 新型コロナ感染はどんどん広がっていて、日本では4月には緊急事態宣言が出されました。 人の往来が大きく制限を受ける中で日本国内の企業も大きな打撃を受けました。 自分にとってはオンライン化は大きな機会でした。一方でそのきっかけが日本の苦境だった、というのは…
第148稿です。 前回までは中小企業診断士試験合格までの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 試験に合格したといってもまだ何も知らない状態。何か活動の取っ掛かりを得る必要性を感じていました。そのためのスキルアップの必要性を感じていました。 海外にいて、実際の日本の中小企業診断の現場からは離れたところにいましたので、自分で何もしなかったら何も起きないまま時だけが過ぎることを危惧していました。 口述試験で一時帰国した際に先輩診断士に相談しました。 そしたら、「取材の学校」というのがあるよ、と言う。 その方も3年ほど前に受講して非常によかった、とおっしゃっていました。 受講…
第147稿です。 前回は中小企業診断士試験の2次口述試験の話をしました。 qye04202.hatenablog.com 合格発表は12月25日、クリスマスの日でした。 いまどきはインターネット上で合格発表されます。 口述試験は過去の実績では99%が合格するのでそう心配はしていなかったのですが、それでもきちんと答えられたか全く自信がなかったので不安ではありました。 中小企業診断士協会のサイトで番号があることを無事確認でき、長かった試験生活にピリオドを打ちました。 これでFP1級、中小企業診断士、とあわせて資格取ろうと思い立ってから8年経過していました。 中小企業診断士の場合、試験合格でそのまま…
第146稿です。 前回はようやく中小企業診断士の2次筆記試験にようやく合格した話をしました。 qye04202.hatenablog.com そしてその合格発表を機内で確認したときの話は以前に以下でお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 2次筆記試験を通過すると2次口述試験というものがあります。 本日はまさに令和2年度中小企業診断士試験の口述試験です。 合格率は例年99%超なので、きちんと会場に赴き、面接試験を受ければ合格すると思われます。 昨年の今ごろは私も一時帰国し受験しました。 口述試験の受験票を見て、ようやくここまで来たか、と感慨深いものがありました。 試験開…
第145稿です。 前回は3回目の中小企業診断士試験を受けた話をしました。 qye04202.hatenablog.com さすがに海外から帰国して受験しなくてはいけなかったし、受験生のカテゴリーからすると多年度の域に突入してきたし、試験の本質も掴めていなかったしその自信もなかったので、もうやめようかなと思ったりもしました。 それを妻に話すと、「ここまでやってきたんだからもったいないんじゃない?」と言う。 その言葉で今一度チャレンジする気持ちになりました。 海外にいては参考書の入手も簡単ではなく、周囲のレベル感のわからない独学の限界も感じていたので、インターネット上で解答を添削、返却してくれる講…
第144稿です。 前回は中小企業診断士試験を2度目に受けた話をしました。 qye04202.hatenablog.com 1次試験の合格権利は1度だけ持ち越せる制度になっていたのですが、この不合格によって次の回は1次試験からやり直しとなりました。 そのときにはすでに海外赴任となっていました。 1次試験はある意味時間をかけて暗記すれば何とかなる部分があり、試験直前の数日間は部屋に籠って対策をしていました。 そして一時帰国し受験。 赴任地に再渡航する頃には正解が発表されていましたので移動中に自己採点しました。 その結果は、経済学 64点、財務会計 52点、企業経営理論 60点、運営管理 62点、経…
第143稿です。 前回は1回目に中小企業診断士試験を受験したときに話をしました。 qye04202.hatenablog.com 奇跡的な得点嵩上げの恩恵で1次試験は合格することができましたが、幸運だけで2次試験を突破できるわけもなく不合格でした。 この試験の場合、1次試験の合格権利は次回に受験するまで保有できますので、翌2017年は2次試験対策に注力することにしました。 ちょうど息子の中学受験とも重なっていたこともあり学習時間の捻出は大変だったように思えます。 もちろんそれは学習がはかどらなかった言い訳にはなりませんが。 特に予備校等も通わず、ボランティア団体の勉強会に参加したり、公開模擬試…
第142稿です。 前々稿、前稿は中小企業診断士2次筆記試験の合格発表日を跨いでしまったので少し変則的になってしまいました。 その前に自分の受験体験を話し始めていました。 qye04202.hatenablog.com 2016年に受けた中小企業診断士の1次試験は自己採点417点で、合格点に3点足りず、不合格を確信していました。 そして迎えた9月の合格発表。 なんと受験番号が合格者リストの中にあるのを見つけました。 その年の試験は、それまでは得点を稼ぐ科目と思われていた経営情報システムが大幅に難化し、ITの専門家でなければわからないような問題のオンパレードだったのですが(自分の自己採点結果は10…
第141稿です。 中小企業診断士試験2次筆記試験合格発表から一晩明けました。 受験した6,388人のうち1,175人の合格、合格率は18.4%、ほぼ例年通りでした。 2020年は特にCOVID-19対策で右往左往させられた年でしたからこの試験に限らず、いろんな試験に挑戦された方は本当に大変だったことと思います。 関わらせて頂いた受験生の方の中に合格された方もいれば残念ながら今回は涙をのんだ方もいて、悲喜こもごも、何とも複雑な気持ちです。 私の中小企業診断士仲間が、過去に受け続けた試験の結果を知るたびに自身が都度感じていた葛藤をコメントしています。 www.shindanshi-kenken.c…
第140稿です。 今日は中小企業診断士試験の2次筆記試験合格発表です。 1次試験、2次筆記、2次口述と一連の試験がありますが、この2次筆記が実質の最後の大きなハードルです。 この試験に向かって努力されてきた受験生の方々、特に自分が関わらせて頂いた受験生の方々には全員合格してほしいと思います。 前稿までは私が最初に1次試験にトライしたときの話をしていましたが、今日その続きを話すのは少し場違いな感じがしますので、時計の針を進めて昨年の合格発表のときのことをお話ししたいと思います。 昨年の合格発表のタイミング(ちょうど日本時間10時くらい)では私用で近隣諸国に向かう機内にいました。 手元のi-Pho…
第139稿です。 令和2年度の中小企業診断士2次筆記試験の発表が明日に迫ってきました。 私も微力ながら受験生支援に携わらせて貰ったので、関わった受験生の方々の合格を切に祈念しています。 前回はようやくその中小企業診断士試験に向けて学習を開始した話をしました。 qye04202.hatenablog.com 1次試験は7科目あって、それぞれが100点満点、計700点満点でした。 合格ラインは6割の420点。但し1科目でも40点未満の科目があれば不合格になってしまいます。 但し科目合格という制度があって、その場合でも60点をクリアできている科目があれば、それは科目合格として次年度に引き継げるという…
第138稿です。 前稿では中小企業診断士という資格について知ったけど結局なかなか勉強を開始できなかったことに触れました。 qye04202.hatenablog.com 翌2016年にようやくこれでは何も変わらないと思い、いろんな予備校のパンフレットを集めて検討し始めました。 中小企業診断士の1次試験は次の7科目があります。 経済学 財務会計 企業経営理論 運営管理 経営法務 経営情報システム 中小企業経営・中小企業政策 結局、高いお金をかけて予備校の講座に通うよりもまずは教材を取り揃えるのが先だと考えました。 そこでまずこの7科目分のテキストを購入しました。 ただ殆ど初めて知るような分野ばか…
第137稿です。 前稿は漢字検定の話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回から少し中小企業診断士試験の話をしたいと思います。 ちょうど今週の金曜日(12月11日)に令和2年度の中小企業診断士二次筆記試験の発表があります。 私も1年前のこの時期は結果が気になってかなりソワソワしていました。 この資格を知ったのは2013年くらいだったと思います。 後輩の一人が中小企業診断士の資格を持っている、という話を会社の同期に聞いたのが初めてでした。 何か変わった名前の資格だな、と思ったのですが、なぜか気になっていました。 ちょうど仕事が不本意な形で営業から変わったばかりで、自分の…
第136稿です。 前回までは4回目でようやくFP1級の試験に合格した話をしました。 qye04202.hatenablog.com 試験の話ついでに最近受けた試験の話をします。 いま私のいる国の日本人会イベントの一つに漢字能力検定試験があります。 これはその名の通り、漢字の能力を試すというものです。 最高は1級で、その後、準1級、2級、準2級、と繋がり、10級まであるそうです。 海外では規定により2級までしか受けられないそうで、ここで実施される試験の最高級は2級でした。 2級というのは、漢検の実施団体のホームページによると高校卒業程度のレベルだそうです。 受ける前は、漢検とか受けて何になるのか…
第135稿です。 前回は勉強のやり方を変えて少しずつ知識を積み重ねていった話をしました。 qye04202.hatenablog.com 以前にFP1級の試験は基礎編と応用編の2つのパートがあるとのお話をしました。 前稿まではマークシート式の基礎編の話が中心だったのですが、実は記述式の応用編がキーであることもわかってきました。 もともと応用編の難易度は基礎編に比べたらそう高くないとは認識していたのですが、過去の試験では50-60点くらいしか取れていないことに気づきました。 応用編は記述式と言っても論述試験ではなく、ある課題に対して答え(年金額、税額、相続時の自社の株価など)を自分で算出して手書…
第134稿です。 少し更新に間が空いてしまいました。 前回はFP1級試験にトライし続けたものの合格に近づかない様子をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 不合格を重ねるうちに息子の中学受験と重なってしまい、一旦受験を休止することにしました。 そのままやめてしまおうかとも一瞬思ったのですが、そのままでは勉強してきたことが何もカタチとして残せないのも心残りになると考え、中学受験がひと段落ついた頃を見計らって、仕切り直すことにしました。 いままでと同じやり方をしていても元の木阿弥なので、少し方針を変えることにしました。 まずは自分のクセを振り返ってみました。 FP試験は、…
第133稿です。 前稿ではFP1級取得に向けて勉強を始めた話をしました。 qye04202.hatenablog.com この試験は学科試験と実技試験に分かれていて、学科試験を通過するか、CFP試験を合格しないと実技試験を受けられなかったので学科試験は実質的な一次試験みたいなものでした。 これがなかなか自分にとっては難関でした。 自分が受け始めた頃からの合格率推移は以下のようになっていて、学科試験が比較的合格率の低い試験でした。 試験は午前中に基礎編というマークシート形式、午後は応用編という記述式という構成でした。 それぞれが100点ずつの配点、トータルで200点満点で、総合で6割、つまり12…
第132稿です。 前回はFP2級を取得し、その勢いでFP1級も目指すことにした話をしました。 qye04202.hatenablog.com 当時(2020年11月現在でも同じですが)FP1級を目指すには2つのルートがありました。 1)FP2級⇒AFP(所定の講習を受けて課題を提出したら取得できる) ⇒CFP試験(6科目、科目合格制度あり、各科目の合格率は30-40%)⇒FP1級実技試験(合格率80%くらい) 2)FP1級学科試験(合格率5%~17% 年による)⇒実技試験(合格率80%くらい) 1)のルートで合格すると国際資格であるCFPも名乗りつつFP1級も名乗れるのですが年会費や試験費用が…
第131稿です。 前回までは就職に至るまでの20代のときの話をしてきました。 今回以降は、少し話が飛び、40代後半での資格試験の話をしたいと思います。 今回はFP(ファイナンシャルプランニング)技能士の話です。 最初にその資格を取ることになったのは妻の影響でした。 彼女は自己啓発の一環で就職前に既にFP2級、AFPを取得していました。 結婚前にそれを知ったのですが、その頃から、生命保険や損害保険を自分に合った形に契約し直す流れが出てきていて(従来は大手生保や損保が設計した商品を営業パーソンに言われるがままに購入するというスタイルでした)その人に合った保険や損保の提案というのは今後必要になってく…
第130稿です。 前回までは学生時代の就職活動についてお話ししてきました。 qye04202.hatenablog.com 今回は、就職先を最初の会社(A社とします)に決めた経緯をお話ししようと思います。 当時、機械工学科の学生の一般的な就職先は、重電、鉄鋼、機械、自動車など重厚長大な産業が中心でした。 A社はプラント建設を生業とする会社でしたが、重厚長大型産業に比べて歴代の先輩は少なかったし、そもそも就職活動を始めるまではA社のことを知りませんでした。 4年のときに優秀だった同級生が大学院に行かずに就職した先がA社だったこと、一足先に就職活動していた先輩から、彼もA社を就職先候補として検討し…
第129稿です。 前回は大学4年のときの就職活動についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 大学4年のときには既にバブル経済は崩壊していましたが、雇用市場はまだ前年までの勢いがあり、採用活動は活発でした。 大学に頻繁にリクルーターが来ては、何人もの学生を連れて連日高級なランチに繰り出していた、ということも多々ありました。 昨日のランチは寿司で今日はフレンチ、といった具合に。 すべて企業の採用活動予算でした。その頃はまだ企業も懐に余裕があったのだと思います。 話は前後しますが、3年の頃には学科主催の企業訪問ツアーというものがありました。 これは、首都圏に出かけて行き…
第128稿です。 前回から平成初期の就職活動について話し始めています。 qye04202.hatenablog.com 就職の時期にはいろんな迷いがありました。 みんなと同じように同じタイミングで就職する必要があるのかとも思っていました。 一方で早く社会に出たいという思いもありました。 そこでまずは大学4年の時点で就職活動をすることにしました。 できるだけ選択肢は多くあったほうがいいと思ったため、就職情報誌や先輩のつてを辿っていろんな企業を訪問しました。 理系だったので重電、機械、精密加工、自動車、二輪車、などなど製造業の技術系職種ばかりでした。 まだバブル経済の余韻があり、企業も羽振りがよか…
第127稿です。 前回までは学生時代のことを長々とお話してきました。 最近までの自分の中での印象では大したことしていない学生時代だったな、と思っていたのですが、思い起こしてみるとそれなりにいろんな学びがあったようにも思うので、こうやって振り返ってみるのも悪くないな、と感じています。 qye04202.hatenablog.com 特に前回触れたSteve Jobsの「点を繋ぐ」という話は自分には刺さる考え方でした。 人生のいろいろな回り道はきっと無駄ではなかった、という自己肯定感を持つという意味で。 qye04202.hatenablog.com 今回からはしばらく当時の就職活動について振り返…
第126稿です。 前稿では初めての家庭教師でうまく結果を出せなかった話をしました。 qye04202.hatenablog.com 次に担当したのは男子高校生でした。 誰かの紹介だったと思います。 彼は英語が苦手ということで、英語に限定した家庭教師でした。 この教科を克服したいという本人の意思があり、学び取る意欲に溢れていました。 彼は高校球児だったこともあってか、粘り強く学習に取り組み、わからないことがあっても途中で投げ出さないで最後まで取り組んでいました。 こちらが教えることを次から次へとモノにしていたので教えている側としても非常に張り合いがありました。 彼の場合は明確に結果が出たケースで…
第125稿です。 これまでは学生時代にやってきた短長期のアルバイトについてお話しをしてきました。 特に前回は長期でやっていた洋食レストランでの学びを中心に触れました。 qye04202.hatenablog.com 平成初期のことですからかなり昔の話ですが、仕事の本質はその当時とは何も変わっていないと思います。 特に洋食レストランでの仕事は、アルバイトという立場ではありましたが、長期にわたってやっていたこともあり、少しずつ自分が仕事の結果に与える影響を感じ、仕事に対する責任感を醸成していったような気がします。 長期にやった仕事といえば家庭教師もその一つでした。 当時は銀行だったか駅だったかの掲…
第124稿です。 前回はアルバイト先の洋食レストランで調理補助の仕事を与えられ、慣れないながらもなんとか覚えようとしていたことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com おいしい料理を創作して多くのお客さんに喜んでもらいたいというマスターの想いには頭が下がりました。 週に一度の定休日には奥さんと外食して創作料理のヒントを得たり、他の料理店のマスターと趣味のテニスを通じて情報交換したりなど、常に研究を続けていました。あまり勉強をしている感を表に出さない人でしたが常に勉強していたように思います。 お客さんには一品一品手作りで提供していました。主菜はもちろんのこと、セットで出…
第123稿です。 前稿では長くいたアルバイト先のホール係での出来事をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 皿洗いのシフトに入ることもありました。 シンクが3つあって、一つに水を張ってホール係が下げてくれる皿やコップを一旦漬けておいてそのあとに流水で洗うというプロセスでした。 簡単そうに見えましたが、要領よく楽に処理しようと思ったら皿の大きさや処理する順番を考えながら洗っていく必要がありました。 でもいちばんチャレンジングだったのは、調理補助の仕事でした。 マスターがフライパンを中心としたコア部分の調理をするのですが、そのための下準備を行う仕事でした。 料理の種類は、…
第122稿です。 前稿で学校近くの洋食レストランでアルバイトし始めたことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 飲食業で働くのも、接客するのも、そして芸術や美を愛する人たちと交わるのも初めて。 当初から自分の中では違和感ばかりでした。 正直なところ、最初は居心地があまりよくありませんでした。でも結果的にはそこで数年働くことになりましたので、わからないものです。 仕事は3種類ありました。 接客を担当するホール係、厨房での皿洗い、厨房で料理の下準備を行う調理補助、です。 ホールは女性が殆どだったのですが、私はなぜか最初にホール係をあてがわれ接客をしていました。 最初は同…
第121稿です。 前回は学生時代のアルバイトについてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com いずれも1日だけ、長くても3日間程度でした。 ときどき一度働いたことのある工務店さんから幾度か声を掛けて貰って働かせて貰ったこともありましたが、基本的にはその場限り、という単発アルバイトが殆どでした。 その中でも数年単位で長く続いたのが洋食レストランのアルバイトでした。 大学の近くにあって、もともとサイクリングの仲間が既に始めていました。 何か長期のアルバイトをしたいという思いがあったのだと思います。始めてみることにしたのは大学3年の頃だったのではないかと思います。 強烈な個性…
第120稿です。 前稿までは学生の本分である学問を修めるという側面でのお話でした。 qye04202.hatenablog.com その後の就職活動について触れようと思ったのですが、本職に就くまでにやってきた学生時代のアルバイトについて触れておきたいと思います。 いまはアルバイト探しもネットになっているのでしょうが、当時は次のような選択肢がありました。 ①アルバイト紹介の専門施設に登録する ②アルバイト専門の情報誌で応募する ③クラブ活動の仲間など人づてに見つける ④店頭などの「アルバイト募集」の貼り紙を見て応募する ⑤駅などの掲示板に「○○やります。電話XXX-XXXX」などと記載して申し込…
第119稿です。 前回は研究の合間の気分転換も兼ねて牛乳配達のアルバイトをしていたことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com また本業の研究の話に戻します。 修士課程2年生になりました。 修士課程というのは、正確には博士前期課程といい、それを修了すると修士号、さらに研究を究めたい人はそのまま大学に残って博士後期課程に進み、それを修了すると博士号が授与される、というしくみでした。 自分の場合は修士課程を終えたら卒業するつもりでいましたので、大学生活の集大成ということで全精力を傾けて準備をする必要がありました。 正確な提出期限がいつだったのかを憶えていないのですが、その…
第118稿です。 前回は研究で何度も行き詰まり、自分で解決しようとしていた様子をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com そもそも何が正解かわからなかったし、問題に直面してどこに答えを求めたらいいかもわからなかったように思います。 インターネットが普及する前でしたのでWeb上でヒントを求めるということもできなかった平成初期の時代です。 研究室に通い詰めて実験と論文ばかりの毎日が単調に感じられ、生活の密度が薄かったことに少しずつ危機感を感じ始めていました。 そんな生活に張りを持たせようと始めたのが朝の牛乳配達でした。 もともと近くのレストランで長くアルバイトをやっていたの…
第117稿です。 前稿では、卒業論文発表の際の失敗について触れました。 qye04202.hatenablog.com 大学は卒業しましたがそのまま同じ研究室に所属していましたので、生活には何の変化もなく、卒業した感覚は全くありませんでした。 変化としては、修士課程に進んだということで研究を進める責任が発生したということでしょうか。 特に自分の指導をしてくれた院生は修士課程を卒業してしまったので、彼のやっていたテーマを自分で引き継いで主体的に進める必要がありました。 さらには、1年前の自分がそうであったように、下級生としての4年生が配属されてきましたので、彼らの研究の指導もする必要がありました…
第116稿です。 前稿では、卒業論文に際して同級生のプレゼンテーションに衝撃を受けた話をしました。 qye04202.hatenablog.com その同級生の完全な真似ではありましたが、全面的に自分の発表内容を刷新し、1テーマ1スライド(正確にはOHPフィルム)に変えて、わかりやすさを意識した構成にしました。 卒業論文発表当日はどういう構成で何を説明したのか殆ど憶えていません。 失敗だけは憶えています。 学術用語一言で済む話を、それを知らないばかりに、グラフを長々と説明してしまったり、聴講者の質問に対して、聴講側に座っている教授に向かって「こういうことでいいんですよね」と問いかけて、失笑を買…
第115稿です。 大学4年生のとき、大学院入試で合否ラインぎりぎりで辛うじて合格し、進学することになりました。 qye04202.hatenablog.com 入学試験は8月でしたが、大学院に進学するのは翌年の4月。 それまでの間は、3月に発表する卒業論文に向けて準備をする必要がありました。 具体的には、大学院生に指導を受けながら、仮説を立て、実験を行い、仮説の検証と考察を行う、というもの。 それを論文という形で成果を纏める必要がありました。 これは、論文を作成するだけではなく、その内容を指導教官などの前で自ら発表を行う必要がありました。 当時は現在のようにパソコンを使ったPowerpoint…
第114稿です。 前回は4年生で研究室に配属されたものの、1年早く就職した同級生を見て早く社会に出たいという思いを抱いたことを話しました。 qye04202.hatenablog.com いま考えても地に足のついていない浮ついた発想だったなと恥ずかしくなります。 地道な研究の世界を目の当たりにして、自分には向いていない世界だな、と感じていました。 当時の企業はバブル経済の名残もあって、採用には積極的で、特に自分のいちばん興味のあった自動車業界をはじめ、技術者としてやっていけそうないろんな機会がありました。 でもそこでふと考えました。もし仮にこれで研究を4年生だけの1年で終わらせてしまったら、自…
第113稿です。 前稿では、じゃんけんの結果によって第2希望だった研究室に配属された話をしました。 qye04202.hatenablog.com これで人生が決まった、、というほど大げさなものでもないかもしれませんが、その後の人生の大きな岐路になったのかもしれません。 摺動部の摩耗を軽減するための潤滑は、機械工学の世界ではトライボロジーといって長年研究されていた分野のようです。 その工学理論を人間の体にも応用するという発想で、優れた人工関節を開発するための基礎研究でした。 生体を扱う医学部との共同研究で、学際研究という意味では画期的な取り組みだったのだろうと思います。 場所も機械工学科の本館…
第112稿です。 前回は機械工学科の専門課程の話をしました。 qye04202.hatenablog.com 教養課程の美学や哲学に比べると専門課程の工学関係の科目は実際に工業技術に活用されている学問だったので役に立っている感覚はありましたし、将来的にも実際にすぐに役に立ちそうな気がしていました。 それにしても、3力学と呼ばれていた材料力学、流体力学、熱力学は、難しい理論が多く難渋しました。 4年生になると研究室に配属されます。 その決め方は原始的でした。それぞれに定員があるので、希望が多いところはじゃんけんでした。 自分は文系脳だと思っていて高校時代は文系に進もうと考えていたくらいではありま…
第111稿です。 大学に入って訳も分からないなりに興味の赴くままいろんな学問をかじっていました。 qye04202.hatenablog.com 前回触れた美学、哲学、文化人類学などに加えて、文学や法律系や経済系の科目も取っていたように思いますが、少し講義に出てはすぐに断念しました。あまりにも退屈だったからです。講義のせいというよりもこちら側の学ぶ姿勢のせいだったとは思います。 それでも単位が取れたのは先輩たちから脈々と引き継がれた定期試験前の試験対策プリントのお陰でした。 でもいまに至っても何も残っていないのは本当に残念なことです。 それなりの経験を経てきたいまこれらの講義を聞いたらいろんな…
110稿です。 これまでは課外活動としてのサイクリングやそこから派生したバイクの話をしてきました。 qye04202.hatenablog.com ここからはしばらく学生の本分である学問について取り上げようと思います。 平成初期の当時は大学のレジャーランド化が問題だ、などという声があったように思います。 1970年代から言われていたことみたいですが、特に私が大学にいたのはバブル期だったこともあり、世の中から見たらレジャーランド化しているように見えたかもしれません。 確かに教養課程にいた頃のキャンパスは着飾った美男美女が闊歩していて華やかな空気があったようにも思います。 見た目はみんな華やかで遊…
第109稿です。 前回までは学生時代のツーリングについてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 前稿の話を終えた際にはツーリングの話を続けようと思ったのですが、どこに行った、どこがきれいだった、という過去の話を羅列しても面白くないかもな、と思い直しました。 本稿ではバイクに乗るのを断念した話をしようと思います。 少し時が飛ぶのですが、バイクは大学を卒業して就職してからもしばらく乗っていました。 特に就職で首都圏に出てきたので、学生時代にいた関西からは行きづらかった信州や上越、北関東などにツーリングによく出かけて行きました…
第108稿です。 前回は北海道ツーリングの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回はその続きです。 夏の1か月間をかけて北海道をくまなく回りました。 だいたい次のようなルートだったと思います。 ほぼ観光で行く場所もすべて網羅していたと思います。 小樽~札幌~富良野~美瑛~旭川~稚内~宗谷岬~網走~知床半島~ノシャップ岬~根室~釧路~帯広~襟裳岬~室蘭~函館~札幌~小樽 だいたい道央、道北、道東、道南、で行きたい場所は決めていましたが、その日の気分で通りたいルートを選んで好き勝手に走っていました。 当時はスマートフォンのような便利なものはなかったので、ツーリングマップ…
第107稿です。 サイクリストからライダーに転向しました。 機械屋としてバイクが好きだったというよりも、旅の手段を変えたという感覚でした。 前々回、前回の投稿は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com どうしてもバイクで走ってみたかったのが北海道でした。 自転車でも2度ほど走ったことがあります。 最初は青森から青函連絡船で函館に渡り、洞爺湖、支笏湖あたりの道南を中心に有志とともに巡りました。 2度目は道北でした。4人くらいでサロベツ原野や稚内の周辺を走り、フェリーで利尻島に渡り自転車を置いて利尻山(利尻富士)に登りました。…
106稿です。 サイクリストからライダーに転向しました。 qye04202.hatenablog.com サイクリストからすると背任行為(?)だったかもしれません。 自分としては、ライダーになった、というよりも一人のトラベラーとして、移動の手段が変わって、自転車からバイクになった、というだけに過ぎないと思っています。 当時は、関西地方とか中部地方など、地方別に編集された1枚ものの大判地図のシリーズがあったのですが、書店でそれを買い揃えて、地図を広げながら今度の週末はどこに行こうか、と考えるのがとても楽しかったですね。 また、大手出版社がツーリングマップというライダー専用の地図を出版していました…
第105稿です。 まだ20代そこそこでしたが、耐久ランで1日で250kmの道のりを自転車で走ってみて、自分の体力と気力の限界を感じました。 qye04202.hatenablog.com 以前には早朝から夜までかけて1日で琵琶湖一周(約200km)に挑戦したこともありましたので、自分の中では大きな後退でした。 体力というよりも気力の問題だったように思います。生活にも慣れてきて新鮮な驚きが少なくなってきて索漠とした思いを日々抱えていた時期だったように思います。 4年生になると研究室へ配属となりましたが、同じ研究室にいた人がバイク乗りで、彼に触発されて中型自動二輪の免許を取り、そのまま車検切れの中…
第104稿です。 前回は自転車から距離を置くきっかけとなった耐久ランの話をしました。 qye04202.hatenablog.com それで一気にバイクの話を、とも思ったのですが、自分の活動の多くの時間を費やしたサイクリング部についてきちんと語っていないのは正しくないと思うので、今回だけ場所を割いてもう少しだけ話をしたいと思います。 その集団の話です。 高校のときには剣道部に属していました。 その当時は先輩は絶対的な存在でした。(いまはどうなんでしょうか) 1年先輩だってそう、2年先輩や3年先輩なんてもう雲の上、ましてや指導教官なんて自分たちの及ばない雲の上の人でした。 それが世の常識だと思っ…
第103稿です。 前稿までは自転車で出かけたグループツアーやソロツアーについてお話ししてきました。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com このほかにも長い休みを利用しては全国津々浦々に出かけていました。 それでも大きな荷物を積んで急坂を必死の思いで登坂しているそばで自家用車やバイクが追い抜いていくさまを見て、だんだん「自分は何をやっているのかな」、と思うようになってきました。たぶんそういう思いを抱いていたのは自分だけだと思います。周囲の部員はそういう時間も楽しんでいましたから。 その思いは…
第102稿です。 今回は学生時代に自転車に乗って一人旅をした話です。 確か1年生の春休みだったと思います。九州に行くことにしました。 きっかけは何だったか憶えていません。 友人にクルマで大阪南港まで送ってもらい、夜中に出る別府行きのフェリーに乗りました。 翌朝別府に到着し下船し、さあこれから走ろう、と思った矢先に中年男性に声を掛けられました。 そしてその人の自宅まで行きました。 いま考えてもなぜついていったのか全く憶えていません。 その人は何だか催眠術を掛けたがっていてなぜか私は催眠術にかかったふりをしていました。 だんだん面倒くさくなってきたので「いい加減にしてください!」と言って跳びあがり…
第101稿です。 前回はサイクリング活動を始めたころの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回は少し実際のツアーの状況を紹介したいと思います。 初めてツアーに行ったのは同級生と連れだって行った天橋立でした。 平成元年のGWだったように思いますが正確には憶えていません。 自転車の横に括りつけたバッグに必要なものを格納して走行するというスタイルでした。 持ち物はキャンプ道具一式。 携帯用コンロ(ブスと呼ばれるホワイトガソリンを燃料にした火器でした)や飯盒、鍋、テントなどが基本装備でした。 ツアー期間の食事は基本的にはすべて自炊でした。 朝起きたら飯盒で昼の分まで米を炊き…
第100稿です。 前稿で突然得た自由に右往左往していた大学時代のお話をしました。 qye04202.hatenablog.com その自由な活動の一環として、サイクリングを選択しました。 高校時代に、友人が一人で自転車に乗って隣県まで出かけて行って無人駅に寝泊まりした、という話を聞いて、ずっと気になっていました。自分の足で知らないところに出かけて行くという行為に何とも言えないロマンを感じていました。 中学校、高校では剣道をやっていたのですが、自分には心身の鍛錬が必要、と思って始めたものでしたので、楽しんで活動している感覚は皆無でした。また、周囲は幼少から道場に通っていた人ばかりで全く自分の経験…
第99稿です。 前回は大学に入学して選択肢の多さに戸惑ったことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 自分は何もすべきか、どこに向かうべきなのか、ということを常に考えていたような気がします。 正確に言うと、自分の魂が揺さぶられることは何か、を常に探していたように思います。 大学入試突破を目指しているときは、明確な目標がありました。 そして問題に出会ったら自分で答えを出し、解答を見て答え合わせをしていました。 そこには確実に答えがある、という安心感がありました。 ところがこの選択をするのが自分にとって吉なのか凶なのか、別の選択をすべきなのか、全部自分で判断しなくてはい…
第98稿です。 今回からしばらく学生時代のことをお話ししようと思います。 これをテーマとして選定するまでには少し葛藤がありました。 何者でもない個人である私が、学生時代のことをお話しすることが読者にとって意味があることなのか、と。 それでも、自由の持つ重みを感じ続けていた時期のことを思い返すことは、実は同じようなことで悩んでいる人の参考になるかもしれない、とも思い直しました。 しばらく振り返ってみることにします。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 1浪の末に志望する大学に合格することができました。 以下は前回の記事です。 qye04202.hatenablog.com 学校か…
第97稿です。 前回は浪人生活で基礎を徹底的にやったことで少しずつ手ごたえを掴んできた話をしました。 qye04202.hatenablog.com でも2年目が決して順風満帆だったわけではなく、全国の受験生が力をつける中で模擬試験で足踏みして合格可能性を下げることもありました。 それでも一喜一憂することなかったのは、自分に自信があったわけではなく、単にインターネットのない時代に地方都市で受験生活をしていたため、不必要な情報に触れることがなかったからだと思います。 なまじ情報があると、あれもこれもやったほうがいい、と惑わす要素が出てきて、いたずらに不安に駆られる側面はあっただろうと思います。そ…
第96稿です。 前回は受験生活2年目の前半の様子についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 予備校の授業をペースメーカーにしながら、それに通信添削などの補足教材を追加していたようなやり方で学習を進めていたと思います。 通っていた予備校は、予備校といっても学校の延長のようなものでしたので、自分でレベルを上げていかないと受験レベルには対応できないと思っていました。 そこで通信添削もやることにしたのですが、課題がものすごい頻度で来るし難易度は高いわ、で、相当苦労しながら締切も遅れ気味に課題提出をしていたように思います。こんな状況だったのでどれだけ効果があったかどうかはわ…
第95稿です。 前回は志望校に不合格だったことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 地方にいましたし、浪人生のための塾の情報もなく、2年目の受験生活は自宅から通える近くの予備校に通うことにしました。 これは地元の私立学校が設置した浪人生のための予備校で、私の出身高校を退職された先生方が多く勤務されていました。 高校のようにクラスが分かれていましたが、クラス構成員の年齢はまちまち(1浪、2浪・・・5浪と受験歴が異なる人がたくさんいました)、出身校は様々、そして予備校なので高校のようにクラス単位でのイベントも特になかったので、一体感もなく、クラス内で口を利いたことのな…
第94稿です。 前回は思うように勉強が進まないまま共通一次試験(現在の大学入試センター試験の前身)に突入したことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 試験の最中のことは全く憶えていません。 マークシート方式だったので、翌日公表された解答をもとに自己採点しました。 確か学校でやったように記憶しています。 そのあと担任の先生に採点結果を提出し、それを見ながら出願校を決める、というシステムでした。 志望校を目指すには足切りには抵触しないレベルでしたが、合格水準とはいえない点数でした。 さらには普段の成績からして志望校合格は厳しいと担任の先生は思っていたようで(実際にそう…
第93稿です。 今回からしばらく試験についての経験をお話ししたいと思います。 どれほどの人がこの話題に興味を持たれるのかわかりませんが、これから何か重要な試験に向かう人の参考になるかもしれないと思いながら記していきたいと思います。 いままで受けてきた試験の中で、いまでも明確に記憶している試験は大学受験でした。 苦労した試験という意味で。 文系科目のほうが自分には親和性が高いと思っていたので文系に進むつもりでしたが、物理の先生の一言で理系に進みました。 このあたりの経緯は以下に記しています。 qye04202.hatenablog.com 実際に理系に進んでみると違和感の連続でした。 数学、物理…
第92稿です。 この本はある時期から気にはなっていました。 社内のある研修で一緒になった人が、「サピエンス全史」を読んでいます、と言ったのを聞いたのが初めて知ったきっかけでした。 変な名前の本だな、たいして面白そうでもなさそうだし、というのが最初の印象でした。 それでも意識して見てみると新聞や書評に一時期多く出てきていましたし(おそらくたくさん宣伝されていたのでしょう)、話題の書だということを遅ればせながら知りました。 したがって、特にこの本に何かを求めて読みにいったというわけではなく、話題の書みたいだから読んでみようか、という程度の単純な動機で手に取ったにすぎません。 かなり分厚い2分冊でし…
第91稿です。 自分がいろんなことで悩む中で、人の人生を参考にしたいと思って手に取った本です。 原題はBECOMING。 アメリカのオバマ前大統領夫人ミッシェルさんが生い立ちからファーストレディーになるまでの過程を克明に綴った回顧録です。 世界中で爆発的に売れたそうですが、確かに面白い。 私がもっとも興味深かったのは、アメリカ社会に厳然と存在する白人と黒人の垣根。 その中でも本人の努力と実力で表舞台に出ていけることができるのもアメリカらしい。 夫バラクがアメリカ大統領選に出馬し選挙戦を戦うところを描いたくだりは、私のようにアメリカの政治に疎い人間でもそのダイナミックさがよく伝わってきました。 …
第90稿です。 前回は自由のない生活から自由を求めて脱北した少女の話を取り上げました。 qye04202.hatenablog.com 今回は逆にその「自由」について考えている本です。 数年前に勤務先の研修の中の課題図書として読んだのが出会ったきっかけでした。 ドイツの社会心理学者によって書かれた本です。 第1次世界大戦後にドイツは国民が自由を享受できる体制ができたにもかかわらず、その数年後にはナチスが台頭し、そして全体主義に傾倒してしまった理由を考察しています。 私は子どもの頃から、戦後日本は自由主義を謳歌してきたと教わりました。 戦後日本が享受している自由主義はこの上ない素晴らしい価値観だ…
第89稿です。 少し忙しくて更新が滞ってしまいました。 今回は北朝鮮から脱出した少女の話です。 近くの書店でたまたまこの本の原書を見つけて興味を持ちました。 TEDというプレゼンテーションのサイトでもこの著者が脱北に至るまでの壮絶な話を涙ながらに語っています。 (日本語字幕あり) www.youtube.com ますます気になっていたので、日本語版を見つけたのを機に読んでみました。 北朝鮮でのすさまじい極貧生活。 13歳という年齢で母とともに自由を求めて脱北を決意。 大枚をはたいて国境を越え、中国、モンゴルを経て韓国に渡る過程を描いています。 その間には数々の裏切り、人身売買、売春、強制結婚な…
第88稿です。 悩んだときに参考にした書籍というテーマで書籍を紹介してきました。 これまではどちらかというと人生に悩んだとき、「老い」とか「死」とか「生き方」など、少し重いテーマを扱った書籍の紹介に偏っていました。 今回は少し軽めに、ゴルフがうまくならないんだけど、、というもっと身近なところで悩んだときに読んだ本、ということになります。 ゴルフについては、日本にいたときにも近くの教室に通ったりすることはあったのですが、ラウンドも2-3回ほどしただけであまりモチベーションもありませんでした。 ところが2年半前にブルネイ駐在となり、娯楽が少ないけど、ゴルフ場はすいていて手軽にラウンドできることもあ…
第87稿です。 出会った書籍を振り返る中で、どう生きるか、ということに関心があることがわかってきました。 この観点でいままでブログで触れた書籍をタイトルだけ列挙すると以下の通りです。我ながらかなり偏った読書だなと思います。 (Amazonのリンクは表紙が出てわかりやすいのでそのまま貼り付けています。ご容赦ください) その中でも、特に結果を出して世の中に貢献した人が普段から何を考え、どういう行動をして結果に結びついたのか、ということには非常に関心があり、トヨタ自動車の社長である豊田章男さんのことを描いたこの書籍は非常に興味深かったです。 生い立ちや創業家ならではの苦労などを記録した大作でしたが面…
第86稿です。 インパクトのあるタイトルだと思います。 歴史に名を残した人物が、数多くの挫折や失敗を経て、のちに大成功を収めるというストーリーはよく聞きます。 本書はその逆の人生を描いたものです。 12人の実在した天才が、功を成して世の中の脚光を浴びた後、人知れず「転落してしまった」人生を描いたものです。 この中に私の知っている人は殆どいませんでした。 おそらく「転落」してしまったがゆえに、後世に名が残ることがなかったのだと思います。 失敗の理由は様々。 -自分を過信して失敗し一文無しになってしまった人 -人から盗み取った商材で大儲けをしようと企てて思惑が外れて獄中で人生を終えた人 -アメリカ…
第85稿です。 ジャンルを問わず自分が悩んだり不安に思ったときに読んで参考にした本を紹介していますが、今回は現代の日本に警鐘を鳴らしているこの本。 1990年代初頭にバブルが崩壊し、そして今から10年ほど前に日本が世界第2位の経済大国の地位を中国に明け渡すなど、私の目には、日本経済が世界的に徐々に存在感と輝きを失いつつあるように見えています。 一方で、私の中では80年代の飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本ブランドを信じたい、輝きを失っているということを認めたくない、という思いがあります。(同世代の方も同じ気持ちなのでしょうか) 世界的に成功している投資家が日本の将来について描いたこの書は、私のその期…
書籍に出会う~「世界のビジネスエリートが身につける教養としてのワイン」
第84稿です。 これまでの投稿では人生をどう考えるか、といった少し重めテーマの書籍を中心に取り上げてきましたが、今回は少し軽めの書籍を。 公私いろんな席でワインが出されることも多いですが、この本に出会うまではワインに対する知識は皆無でした。 漫然と肉には赤、魚には白、くらいの認識しかなく、産地はどこか、とかブドウの種類は、とか考えたこともありませんでした。 この本を読んで、ワインにいままで出会ってきた貴重な機会を無為にしてしまったな、と感じました。 ただおいしいとかそうではない、とか単純なことだけではなく、それぞれの銘柄にいろんな歴史があってそれぞれの特徴がある、それを意識しながら楽しめたらど…
第83稿です。 以前に老いに対するフランス人の考え方を示した本を紹介しました。 qye04202.hatenablog.com これは、自分が50歳という年齢を迎えて、今後どう生きるか、と考えるにあたりいろんな指針を得たいと思って手に取った書籍でした。 この書籍も同じ文脈での選択です。 日経新聞の欄外広告で見つけました。 著者は有名な出口治朗さんです。 60歳にしてライフネット生命を起業、現在は70歳で立命館アジア太平洋大学の学長に就任し、現在72歳。 学長としても著作家としてもご活躍中の方です。 何歳になっても活躍できないということはない、ということが一貫して述べられています。 そして古今東…
書籍に出会う~「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」
第82稿です。 この数か月の間に一気にオンライン化が進みました。 その結果、海外にいながらにしていろんな会合に参加させて貰う機会が増えました。 その中にビジネス誌を読む会というものがあり、主催されているある経営者の方にお声がけ頂き、そこで紹介されたのがこの本。 著者は『経営とは「アート」と「サイエンス」と「クラフト」の混ざり合ったもの』、という高名な経済学者の議論を紹介しています。 「サイエンス」は論理的思考、「クラフト」は経験、「アート」は経営者の直感やビジョン、ということ。 著者曰く、クラフトの世界だった経営に大手コンサルティング会社がサイエンスを持ち込んだのは画期的なことではあったが、少…
書籍に出会う~「DEATH 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」
第81稿です。 いかにも直接的なタイトルのこの本。 取り扱う話題は、自分も含めて多くの人ができれば避けたい「死」について。 50歳という年齢を前にして、「死」に対する漠然とした恐れが現実として頭をもたげるようになってきました。 日本人の平均年齢が80歳強だとすると、あと30年くらいしか生きられないかもしれない、ということを意味します。 30年とは自分がこれまで生きてきたよりも短い期間。 その間にこの世からいなくなるかもしれない、というのは考えただけでも恐ろしく、そこから忌避したい、という気持ちにもなります。 そんなときに出会った本。 著者の立場は(少なくとも私にとっては)非常にユニークです。 …
書籍に出会う~「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
第80稿です。 最近のこのブログでは悩んだときに参考にした書籍、というテーマで印象に残った書籍を紹介しているのですが、今回は少し趣が異なります。 これは妻にすすめられて読んでみた本です。 タイトルを見ても全くピンとこず、自分で背表紙見てもたぶん選んでいなかった本ですが、読んでみるとこれがとても面白い。 日本人の筆者とイギリス人の夫との間に生まれた息子さん(それが「ぼくはイエローでホワイトで」の意味です)とのやりとりを通じて描かれるストーリーは新しい発見の連続でした。 私が拙い筆で説明するよりもAmazonのあらすじが内容を的確に伝えてくれると思いますので引用します。 -------------…
書籍に出会う~「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」
第79稿です。 私が現在の会社に転職した2000年代半ばに、元いた会社の事業部門は他の会社との合弁会社となり、その後にその会社の完全子会社に変わりました。 ほどなくして、元いた会社のグループが他の会社に買収され、長らく親しんだブランドそのものが消滅してしまいました。 生まれたときからそばにあって、自分もそこに一時期でも所属していた会社の名前そのものが消えてしまう、というのは、自分の人生の一部が消えてしまったような気がして非常に淋しい気がします。 一個人の感傷はさておき、業界再編は経済という観点では合理性があり、致し方ないのかもしれません。 ただ買収された側の元従業員という立場で見るとそうは割り…
第78稿です。 50歳という年齢を迎えて、自分の今後のキャリアやこれからの人生に思いを馳せることが多くなってきました。 このブログを書き始めたのもその問題意識からでした。 40代まではあまり感じなかったけれども、老いというものに対する漠然とした恐れを感じるようになってきました。 何となく老いについて考えるとそこはかとなく憂鬱な気持ちになることもあったのですが、そんなときに出会った本がこれでした。 この元外交官の筆者が書いた本はKindle Unlimitedで読むことができました。 筆者はインドで任官中に出会ったフランスのカトリック女子修道会と関わりがあったそうです。 それが縁で、退官後に修道…
第77稿です。 もともとこのブログは自分の苦い経験を語ることから始まっています。 その経験が反面教師として誰かの参考になるかもしれない、読んだ人がより良い人生を送ってもらう一助になるのかもしれない、という思いで始めたものです。 一連のキャリアについてお話ししたあとは、最近は海外との関わりなど、少しそこからは離れた投稿をしてきました。 しかしながらやはり自分の問題意識の原点はキャリアのこと。 またしばらくその原点に戻りたいと思います。 切り口は書籍。 もともと中高時代は本が好きではありませんでした。 伯母が国語の教員をやっていたこともあり、本は読んだほうがいい、と盛んに言われていましたが、読書を…
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