50なりたての海外在住の中小企業診断士兼FP(1級)です。 孔子は五十にして天命を知る、と言っていますが、まだその境地は遠そうです。 自分の過去の苦い経験を紹介する中で、これから世代の人が人生を歩むヒントを提供できればと思います。
第77稿です。 もともとこのブログは自分の苦い経験を語ることから始まっています。 その経験が反面教師として誰かの参考になるかもしれない、読んだ人がより良い人生を送ってもらう一助になるのかもしれない、という思いで始めたものです。 一連のキャリアについてお話ししたあとは、最近は海外との関わりなど、少しそこからは離れた投稿をしてきました。 しかしながらやはり自分の問題意識の原点はキャリアのこと。 またしばらくその原点に戻りたいと思います。 切り口は書籍。 もともと中高時代は本が好きではありませんでした。 伯母が国語の教員をやっていたこともあり、本は読んだほうがいい、と盛んに言われていましたが、読書を…
第76稿です。 海外で暮らしたり、外国に訪問したりする際に思うことがあります。 それは日本品質に対する人々の信頼が厚いこと。 MADE IN JAPANは高品質という認識が世界に浸透しているように思います。 ここブルネイでも家電製品にわざわざ日本製というステッカーがデカデカと貼られていてそれが売りになっていることは明らかです。 中東にいたときも、商店では必ず日本製だよ、と店主に声を掛けられて売り込みをされました。 なぜ東洋の島国が世界に求められる品質への信頼を獲得し得たのか、ずっと疑問でした。 海外駐在経験豊富な、ある技術者の方と会話する機会がありました。 日本人駐在員として、自分は会社の看板…
第75稿です。 前回はコロナ禍の初期のこの国での様子をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com ブルネイ政府は毎日夕方から記者会見をし、新規感染者の状況、その隔離状況、濃厚接触者への対処状況、その他関連する施策などを、テレビ、ラジオ、SNSを通じて国民に対して事細かに報告、発表し続けていました。 この情報公開は非常によかったと思います。情報がこまめに更新されるので不必要な憶測を生むことがなかったように思います。 矢継ぎ早に発表された主な措置は次のようなものです。 3月中旬 ブルネイ人、在留許可を持つ外国人の原則出国禁止 国内のレストランでの飲食禁止(テイクアウトは可) …
第74稿です。 前項までは日本との関係や王室など、比較的ソフトな話題を取り上げました。 今回はこの国のコロナ対策を通して思うことを話してみます。 コロナウィルスが騒がれ始めた2月頃、シンガポールやベトナムなど周辺諸国が次々と感染者を増やす中、ブルネイだけはずっと感染者ゼロでした。 中国に続き韓国、日本でも世界に先駆けて次々に感染者が報告され、ブルネイ側では、ブルネイへの入国に対し、日本を含めた数カ国は特別な監視対象になっていました。 それでもついに3月初頭にブルネイで初めての感染者が出ました。 マレーシアで行われた宗教イベントに参加していた人が感染していた、というものだったと思います。 その頃…
第73稿です。 前回まではこの国の日本との関わりについてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 今回は王室との距離についてお話ししてみたいと思います。 ブルネイは王国です。 国王はスルタンという称号を持っていて、君主として国を統治しています。 いろんなイベントがあるたびに参加し、国民と接しておられます。 現地の英字新聞のトップは殆どが国王の動静を伝える写真入りの記事で、国内のいろんなところに訪問しては、国民から熱烈な歓迎を受けている国王の写真が掲載されています。(コロナ以降…
第72稿です。 いま私がいるブルネイという国の日本との関係性を生活目線でお話ししています。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 日本人にとってもあまり場所も知られていない国なのですが、日本に対する関心は高いです。 日本食は現地の人に人気が高く、日本人シェフがいるレストランは皆無ではありますが、過去に日本の料理人が指導したという日本食レストランはいつも現地の人で混雑しています。 もともとマレー料理が脂っこいこともありますし、マクドナルドなどのファストフードも人気で、かつ移動はすべてクルマ、という生活のためか、東南アジアの中では肥満率が非…
第71稿です。 前稿では生活目線での日本との関係についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 今回もその続きです。 娘がこちらの学校に通っていた頃は、日本のお菓子が人気だったと聞きました。 イベントや友達同士の集まりなどで日本のお菓子を持っていくと友達に競うように持っていかれ瞬く間になくなってしまったといいます。 よくチューンされた日本のお菓子の味わいがおそらく子供たちの心を捉えたのだろうと思います。 これもまた、日本人であることに誇りを感じた一面でした。 もっとも、イスラムでは豚を食べないので、動物脂から作るゼラチンを含むお菓子(グミキャンディーなど)は食べられな…
第70稿です。 前回はこの国の一夫多妻制についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 今回はブルネイと日本の関係についてお話ししようと思います。 インターネットで探せば、日本はこの国の最大の輸出相手国であるとか、皇室や政府間の交流が活発である、などの記事が出てきます。 今回はそういう大所高所のことではなく、生活目線で見たときの関係、という観点で取り上げたいと思います。 まずは日本国の誇る最大の工業製品である自動車。 この国ではざっと見た感じ8割~9割の道行くクルマが日本ブランドです。 トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スバル、三菱、スズキ、ダイハツ.... この国の人は…
第69稿です。 前回はブルネイの概要をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com この国はイスラムの教えを忠実に守っている国です。 イスラムで我々に馴染みのないこととして一夫多妻制があります。 1人の男性が4人まで妻と結婚することができる、というしくみです。 以前にドライバーに聞いた話。 複数の妻と結婚することはできるけれども、いずれの妻に対しも等しく愛情を注がなくてはいけない、ということだそうです。 具体的な行動の例としては、今週1週間は妻Aさんのところに行く、来週1週間は妻Bさんのところに行く、という形です。 そのドライバーはまだ40歳そこそこの年齢でしたが、妻が3人…
第68稿です。 2018年から東南アジアのブルネイという国にいます。 ボルネオ島にある小国です。 この島の南側はインドネシア領、北側の大部分はマレーシア領、そして一部がブルネイ領、となっています。 面積は日本の三重県とほぼ同じ、そこに40万人の人が暮らしている国です。 1984年にイギリスから独立しました。 教育制度がイギリス流である、とかイギリス兵が駐屯しているなど、いまでもイギリスとの関わりは深く、イギリス連邦(Common Wealth)を構成する一国でもあるようです。 小学校のときから英語で教育がなされるようで、階層に関わらず英語を話しますし、あまりよく話せない人でも英語をきちんと理解…
第67稿です。 前稿で同時多発テロの直後に米国に入国したことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 少し海外での安全についてお話ししたいと思います。 (曖昧な記憶を辿ってお話ししている部分もあり、事件事故の詳細にいくばくかの不正確な点あるかもしれない点、ご了承ください) 私の場合は、いまのところ、出張、駐在を通して命の危険を感じる場面は幸いにしてありませんでした。 それでも我々は日本人が事件に巻き込まれるケースを報道を通して聞いています。 その中でも2013年1月に起きたアルジェリアでの大手プラント建設会社の人質事件は自分にとっては衝撃的でした。 プラント建設現場に…
第66稿です。 前回まで中国、韓国、サウジアラビア、欧州と触れてきました。 qye04202.hatenablog.com そろそろ現在いる国についての話を、と思ったのですが、海外に関してお伝えすることを忘れていたことがありました。 今回はそれに触れたいと思います。 2001年9月、世界を震撼させた同時多発テロがありました。 マンハッタンの世界貿易センタービルに民間の航空機が突っ込み、ツインタワーが2棟とも崩れ落ちたテロです。 その記憶が冷めやらない2002年春くらいに商談で米国西海岸に出張する機会がありました。 飛行機に搭乗するときのセキュリティーはかなり厳しくなっていた記憶があります。 サ…
第65稿です。 前回はポーランドのアウシュビッツ収容所を訪れたときのことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 今回はトーンの全く異なる話です。 パリが自分にとって初めて足を踏み入れた欧州大陸でした。2000年代前半だったと思います。 その後、何度か訪問する中で、週末を挟んでの出張も何回かありました。 休日には、現地駐在員に案内してもらい、エッフェル塔のふもとのレストランでカキを食べたり、現地在住の日本人の方に案内して貰ったり、ときには日本人ガイドとともにルーヴル美術館を丸一日かけて巡ったりしたこともあります。 当時ワインは一切飲めなかったのですが、あるときパリを訪…
1人の日本人として海外を見る~欧州(2)~人類史上最大の過ち
第64稿です。 欧州までせっかく出かけていながら文化や考え方を感じることをして意識的にしてこなかったことを前稿で振り返りました。 qye04202.hatenablog.com それでも稀に機会がありましたので印象に残った場所を感想とともに挙げていきたいと思います。 やはりもっとも印象に残ったのはアウシュビッツ収容所(ポーランド)です。 言わずと知れたナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺した施設です。 旧東欧諸国を2週間くらいかけて出張する機会があり、その週末を使って訪問したものです。 日本語を話せるポーランド人の学生が案内してくれました。 ちょうど真冬に訪れたこともあり、広大な施設は一層冷徹なも…
第63稿です。 今回から欧州との関わりについてお話ししたいと思います。 まず最初に、自分には欧州のことは書けないと感じています。 欧州のことを話します、と言っていて書けないとは何なんだ?と思われるかもしれません。 仕事で欧州は長い期間担当してきましたので、駐在することはなかったけれども、出張する機会は非常に多くありました。 日本から行くと、せっかく行くのだからいろんなところを訪問をしようと、だいたい月~金まで詰込み日程。 だいたい1度の出張は1週間くらいが標準でした。 その時間を有効に活用するために、週末に夜行便で移動、月曜の朝に現地入り、一つのところにとどまっていることはあまりなく、ほとんど…
第62稿です。 前回はずっと行きたかった国、韓国にようやく入国したときの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 幾何学的な美しさを持つハングルに魅力を感じ、中学生時代からときどき興味本位で韓国語を勉強していましたので、文字だけは何とか読めました。自由に使いこなせるほど勉強を重ねることはできず、結局中途半端に終わってしまいましたが。 韓国語は日本語と語順が同じなので、漢字を多用する新聞などは、見出しを眺めているだけでも何となく書いてあることがわかるのも面白かったですね。 漢字から来ている語彙も多く、発音も何となく似ているものも多々あり、日本との繋がりを感じることも多くあり…
第61稿です。 前回までこの「海外との関わり」で中国、サウジアラビアについてお話ししてきました。 qye04202.hatenablog.com でも生まれて初めて訪れた国は韓国、私の海外との関わりはこの国からスタートしています。 この国を意識し始めたのは1980年代初頭、中学生の頃でした。 テレビで見るソウルの街は日本の繁華街とそっくりに見えました。 道行く人々も建物の様子もそっくりに見えました。 ただ店の看板やネオンに踊っている文字は丸や棒で書かれている。 読めないが幾何学的に美しい。 そういうことが興味の入り口でした。 その頃のことを過去の記事にも書いています。 qye04202.hat…
第60稿です。 前回はサウジ駐在中の休日の過ごし方についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 2度目のサウジ駐在のときは東海岸だったので、バーレーンという島国に行くこともできました。 バーレーンとサウジアラビアはキング・ファハド・コーズウェイと呼ばれる橋で繋がっていて、クルマで往来ができました。 会社の慰安旅行で1泊2日の日程でこの国に渡ったときは、街中でアルコールを販売しているし、バーも普通に営業しているし、女性はTシャツで闊歩しているし、同じ中東の中でのあまりの違いにビックリしました。 解放感の違いとでも言うべきことなのかもしれません。 そして任期が終わり、帰…
第59稿です。 前回はサウジアラビアで持てる者が偉い、という発想に衝撃を受けた話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回は休日のことについてお話ししようと思います。 休みの日はよく海に行っていました。 休日には会社がマイクロバスを出してくれました。 ハイウェイから離れて深い砂漠の中をたまにスタックしながらもドライバーが絶妙なテクニックで駆け抜けていました。 当時は観光では入れなかった国ということもあったのか、ビーチは全く観光地化されておらず、人も少なく海はとてもきれいでした。 現地でダイビングのライセンスを取得したので、ときには小さいボートで沖まで出て潜ることもありま…
1人の日本人として海外を見る~サウジアラビア(2)~カルチャーショック
第58稿です。 前稿では初回の駐在で緊張しながらサウジアラビアに入国したことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 良く知られているようにこの国は敬虔なイスラムの国です。 アルコール類の持ち込み、消費、販売は一切禁止。 私がいる間に、西洋人が酒を友人宅で飲んだ上でクルマを運転し中央分離帯に衝突したところを警察に見咎められて留置場に入れられた、という話を聞いたことがあります。 新聞や雑誌、あるいはCDのラベルに至っても、女性の肌が見える部分は全てマジックなどで黒く塗りつぶされて流通していました。 女性はアバヤと呼ばれる目の部分だけ開いている黒い衣装に身を包んでいました…
1人の日本人として海外を見る~サウジアラビア(1)緊張の入国
第57稿です。 1990年代半ばと90年代終盤に2度に渡って仕事の関係でサウジアラビアに駐在しました。 日本にとっては原油の最大の輸入先ですしビジネス関係も深いので数多くの日本人ビジネスマンが行き来している国だと思います。 それでも自分にとってはそれなりにインパクトあったので少しお話ししてみようと思います。 最初は西海岸の紅海側、2回目はペルシャ湾側でした。 当時は観光では入れない国でした。 会社が現地に作った合弁会社に招聘状を出してもらい、それに基づいて申請してビザを取得し入国、現地に入ったらパスポートを預けて滞留許可証を常時携帯する、といった形だったと思います。 当時は確かビザを取る条件は…
1人の日本人として海外を見る~中国(5)~カオスと優しい中国人
第56稿です。 前回は「超載」の列車にギリギリで乗り込んだ話をしました。 qye04202.hatenablog.com 「硬座」(二等車)には足の踏み場のないくらいの人が乗り込んでいました。 車掌さんが通路を通るときは、「走zǒu、走zǒu」(たぶん、どけ、どけ、という意味)と言って床にいる人を踏みつけ、かき分けながら進んでいたのが印象的でした。まるで車掌は偉く、二等車に乗っている市民は下等、と言わんばかりの態度。 平等を理念とする共産主義を標榜しているけれども、この国にも階層みたいなものが存在するのかな、と逆に人間らしさを感じ少し親近感を覚えたことを記憶しています。 しばらくするとその車掌…
前回は中国で列車に乗った話をしました。 引き続き90年代半ばの話です。 qye04202.hatenablog.com 列車は自分にとってインパクトのある経験だったのでもう少し続けようと思います。 長沙に着いたあと、鄭州(zhèngzhōu)という都市に向かいました。 シルクロードを辿って西のほうまで行ってみようと思っていて、その出発点になっていたからでした。 鄭州到着後、切符が取れればすぐに烏魯木斉(ウルムチ)(ウイグル自治区にある西方の大都市)を目指そうと思っていました。 ところが切符が取れない。 来る日も来る日も鄭州駅の切符売り場に出向きましたが、常に窓口で「没有(méi・yǒu)(ない…
第54稿です。 前稿で香港から中国本土に入った様子をお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 広州の街中で日本旅行者に出会いました。 その人のそばには中国人がいました。 「どこに行くの?俺が切符取ってやるよ」、というようなことを言っていたように思います。 当時の中国は列車の切符が取れない国でした。 切符売り場の窓口はたくさんあります。 でもまずそれが全部は開いていない。 開いている窓口には長蛇の列。当時は外国人専用の窓口がありましたが、現地の人は全くお構いなしにそこにも並んでいる。 こっちが列を作っても割り込んでくるしやっと順番が来たと思ったら窓口の係員は冷たく(切符は…
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