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四十で惑わず、五十にして天命を知る~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~ https://qye04202.hatenablog.com/

50なりたての海外在住の中小企業診断士兼FP(1級)です。 孔子は五十にして天命を知る、と言っていますが、まだその境地は遠そうです。 自分の過去の苦い経験を紹介する中で、これから世代の人が人生を歩むヒントを提供できればと思います。

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2020/06/03

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  • 海外との関わり~中国(2)~

    第53稿です。 1990年代半ばに中国を一人旅した話の続きです。 前稿は以下です。 qye04202.hatenablog.com 現金が少なくなってきたので街中のATMで現金を下したように思います。 下ろした現金をジーンズの前ポケットに裸銭でねじ込み銀行を出ました。 ふとアジア系の女の人に肩をトントンと叩かれ地面を見ろという。 見ると香港ドルが落ちている。落としたかなと思って拾った香港ドルは3枚。 ふと気づくと前ポケットに入れていたお金が消えている。 一瞬の出来事で25年くらい経ったいまもいまだに何が起きたかわからないのですが、気を取られている間におそらくすられたのだと思います。 すぐ警察に…

  • 海外との関わり~中国(1)~

    第52稿です。 前回から自分と海外との接点について話そうとしています。 qye04202.hatenablog.com 海外といってもいまや日本人にとって珍しくもなんともない時代になりましたが、それでも自分という一人の日本人から見た海外という視点は一つしかないので感じたことをお話ししてみたいと思います。 今回は中国について。 私が初めて中国に行ったのは1990年代半ばだったと思います。 学生時代の春休みを使って1人で1か月くらいかけて巡りました。 今でこそビザなくても入れる国になりましたが、当時は領事館にビザを申請し入国許可を取得する必要があったと思います。 香港だと中国のビザがすぐ取得できる…

  • 海外との関わり~はじめに~

    第51稿です。 今回から海外という切り口でお話ししたいと思います。 地方に生まれ、地方で育ち、ずっと海外とは縁のない生活をしていました。 中学校から学校の授業で英語を学び始めましたが、当時は外国語は教科書の中だけの世界でした。 初めて身近に外国人と接したのは、大学で関西に出て、研究室でカナダからの留学生と接したときだったように思います。 私は美しい日本という国が好きで、自分の中で特に強い海外志向があるわけではないのですが、結果的に、旅行、仕事、駐在などいろんな形で海外に関わってきたな、と思います。 多少行ったり住んだりしたことがあるといってもわずかな期間でその国がわかったとは言えないし、自分の…

  • 自分にとっての平成(8)

    第50稿です。 前稿まで平成元年(1989年)から平成11年(1999年)を見てきました。 過去の記事は以下の通りです。 自分にとっての平成 (1) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成 (2) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成 (3) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成 (4) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成(5) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成(6) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 自分にとっての平成(7) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 平成12…

  • 自分にとっての平成(7)

    第49稿です。 1999年(平成11年)には日産自動車とルノーの提携発表がありました。 私が幼い頃、父が一時期だけ日産関連の仕事をしていたことがあり、この会社にはシンパシーを感じていました。 それが縁で実家は基本的にはずっと日産車を乗り継いでいましたし、自分が初めて買ったクルマは中古の日産スカイラインでした。 数多くの魅力的な名車を世に送り出していたのに、その当時はなかなか魅力的なクルマが出ず(日産関係者の方々、ごめんなさい)、首位メーカーにどんどん引き離されていたのが日産ファンとしてはとても残念でした。 考えてみれば、就職活動をしていた1990年代半ばに自動車会社も候補として考えていたのです…

  • 自分にとっての平成(6)

    第48稿です。 前回は平成初期の不穏な空気についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com この時期でいちばん印象に残っているのは山一證券の自主廃業でした。 これは1997年(平成9年)11月24日。 年月日まで記憶しているくらい強烈でした。 それまで中堅生保、証券、大手地銀などが次々と破綻、当時金融関係の細かいことはわからなかった私でもバブル崩壊を実感する大きな出来事が続いていました。 勤労感謝の日を含んだ3連休でした。 連休中だったか連休後だったかは正確に憶えていませんが、配達された日経新聞を見て驚愕しました。 1面に「山一證券、自主廃業へ」との大見出し。 テレビの…

  • 自分にとっての平成(5)

    第47稿です。 少し投稿に間が空いてしまいました。 前回は平成に入って少しずつ世相が変わってきた様子を記しています。 qye04202.hatenablog.com 1995年に最初の会社に就職しました。 この年は1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件、と不安な幕開けでした。 入社後しばらくして、新入社員研修(だったと思います)の最中に、「横浜駅で異臭騒ぎがありました」との社内放送がありました。 どういう主旨で放送が流れたのか思い出せませんが、地下鉄サリン事件の直後だったこともあり、世の中が非常に敏感になっていました。 同じ頃に新宿駅でも公衆トイレに有毒ガス発生装置が設置されていた、とい…

  • 自分にとっての平成 (4)

    第46稿です。 前回までは平成初期の様子をお話ししました。 前稿は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com 新聞やテレビで世の中で起きたいろんな大きな出来事のことは知っていましたが、直接的に自分の生活に大きく影響を及ぼす、ということはありませんでした。 そんな中で、平成7年1月の阪神・淡路大震災は衝撃を受けた大きな出来事でした。 1月17日の夜明け前に大きな揺れで目が覚めました。 急いでテレビをつけると自分のいた地域は確か震度5くらいでした。 下宿の壁にも亀裂が入ったのを見ました。 テレビの速報でなぜか神戸だけ震度が空白だったのですが、そのあと学校の研究室に行ってテレビ…

  • 自分にとっての平成 (3)

    第45稿です。 この数回は自分にとっての平成を直接、間接に影響があったことを中心に振り返っています。 過去の記事は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 海外でもいろんな大きな動きがありました。 平成元年6月の北京の天安門事件は日本でも連日のように報道されていました。 それ以上に衝撃的だったのは11月に東西ベルリンの壁が崩壊したこと。 当時の世界はソ連中心の社会主義国家群(東側)と米国中心の民主国家群(西側)が対立し戦火を交えない冷戦を展開していました。互いの陣営で核兵器を中心とした軍拡競争をしていましたので、思えば私は…

  • 自分にとっての平成 (2)

    第44稿です。 前回は平成の幕開けについて記しています。 qye04202.hatenablog.com 2月に大喪の礼(天皇陛下の国葬)が行われました。 平成天皇が即位され、日本全国が新しい時代を感じていたように思います。 そんな中、大学に入りました。 平成元年4月でした。 消費税が初めて導入された月だったことを鮮明に憶えています。 消費税法施行日当日4月1日に大学近くでコーヒーを買って、初めてレシートに税金が明記されているのを見ました。 導入当初は税率は3%でした。 消費税導入前は100円、とか500円、とかきりのいい数字だった商品が、消費税導入に伴って支払金額が103円、515円、と半端…

  • 自分にとっての平成 (1)

    第43稿です。 今まで職歴や家族、特に子供との関わりなど、自分の(苦い)歩みについて触れてきました。 この自分の歩みは時代、特に平成とともあるようにも思います。 そこでしばらく自分にとっての平成を振り返りたいと思います。 もはやいま小中学校の歴史の教科書に載るようになった出来事も多々あるとは思います。 ただここではそういう学術的な視点ではなく、その時代を生きた市井の一個人から見た視点でしばらく平成という時代をお話ししてみようと思っています。 私にとっての平成は大学受験に始まりました。 前年の昭和63年に大学を受験するも勉強不足で不合格。 地元の私立学校に専攻科という浪人生向けの予備校があり、実…

  • 親として子供と関わる~王女の誕生日

    第42稿です。 これまでしばらく親と子の関係性とか堅い話が続いたので、現地でのちょっとした経験話を。 前回に娘が現地のインターナショナル校で友達を広げていた話をしました。 qye04202.hatenablog.com 通い始めた頃にはほとんど英語が話せなかったのに、どうして交友関係が広げることができたのか、いまだによくわかりません。 私の頭の中には人間関係を作るには言葉が必要、という固定観念があるようです。 言葉が通じないと交友関係が作れない、と思い込んでいるからなのですが、実は関係づくりに言葉はあまり必要ないのかもしれません。 娘の友達の中に王女がいました。 文字通り王様の娘さんです。 違…

  • 親として子供と関わる~娘とはどう接する?(2)

    第41稿です。 前回は男親として娘との距離感についての話をしました。 qye04202.hatenablog.com 娘との関係をテーマにして記事を書こうとしたときに、筆がしばしば止まってしまう自分に愕然としました。 娘が生まれてこのかた、父親として接してきましたが、子どものことをわかっていない、ということの証左ですね。 息子に接するのと同じように娘にもいろんな経験をしてほしいと思っていました。 二人でもよく出かけたと思います。 紅葉狩り、スキー、川下り、あるいはそばの公園の散歩などなど思い出せばきりがないし、それぞれがいまでも戻りたい楽しい時間でした。 でもやはり自分は娘のことをわかってやれ…

  • 親として子供と関わる~娘とはどう接する?

    第40稿です。 いままでは息子との関係について描いてきました。 過去の記事は以下(時系列に並べています)。 親として子供と関わる(1) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる(2) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる~中学受験(1) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる~中学受験(2) - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる~自立へ - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる~高校受験 - 四十で惑わず、五十にして天命を知る 親として子供と関わる~大急ぎの帰国 - 四十で惑わず、五十…

  • 親として子供と関わる~大急ぎの帰国

    第39稿です。 いままで自分の職歴(というよりも苦難の歴史、ですかね)、そして最近は親としての子供との関わりに触れています。 だんだん全体感がわかりにくくなってきましたので以下に目次として纏めています。 qye04202.hatenablog.com 本論に戻します。 前回は息子の高校受験までのお話をしました。 qye04202.hatenablog.com ここに至るまでは紆余曲折の連続でした。 息子が本格的に受験準備を始めた頃には実家の都合で妻と娘は帰国していましたのでこの地で息子と2人で暮らしていました。 息子は異国の地での学校生活、受験勉強でのストレスがあったと思います。 受験は自分で…

  • 親として子供と関わる~高校受験

    第38稿です。 いままで辛かった話ばかりだったのですがこれは少しだけうれしかった話です。 息子は海外にいながらにして高校受験に取り組むことになりました。 候補をいくつか念頭に置いて勉強を始めていました。 前回までの話は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com 一定期間海外にいれば帰国生受験という枠で受けられる制度を取っている高校が多くありました。 概して帰国生受験のほうが相対的には入学がしやすいとも言われています。 但し息子の場合、殆どの学校で受験までの海外在住期間がこの要件を満たさず、希望する殆どの学校を一般受験で受けることになりました。 さすがに当地では教材が入手で…

  • 親として子供と関わる~自立へ

    第37稿です。 息子は中学校に通い始めました。 新しい友達もでき、部活動にも属したことで息子自身の世界ができてきて、親との距離感も少しずつ変わってきたように思います。 少しずつ親から離れて自立していく過程ですね。 息子が中学1年生も終わる頃、私の海外転勤が決まりました。 妻ともいろいろ悩んだ末に、こちらに家族を呼び寄せることとし、一緒に住み始めました。 息子は現地のインターナショナル校に入りました。 子供たちは世界中から来ていました。 英米だけでなく、アジア諸国、欧州、アフリカ・・・ 余談ですが息子によると何となく白人系、アジア系、でグループが分かれる傾向にあったようです。 何となく互いにシン…

  • 親として子供と関わる~中学受験(2)

    第36稿です。 前回の話は以下です。 qye04202.hatenablog.com 今回は親から見た受験体験記みたいになってしまいます。 ちょうど息子が中学受験の年は、「ビリギャル」という映画が公開されていて、息子と映画館に見に行ったのを憶えています。 偏差値30(だったかな)から慶應義塾大学に合格した女子生徒のサクセスストーリーでした。 少しでも発奮材料になれば、と思って連れて行ったものでした。 その頃の私はとにかく勉強は本人がやる気にならないと始まらない、とモチベーションを高めることばかり考えていました。 いま思えば中学受験はそれも大事だったけど、それ以上に実際の訓練が大事だった、という…

  • 親として子供と関わる~中学受験(1)

    第35稿です。 前回は少しだけ息子と繋がったような気がして嬉しかった話をしました。 qye04202.hatenablog.com 小4になると中学受験準備のための塾通いが始まりました。 子供の将来を考えてベストと思う道を歩ませてやりたいと思うのはどの親御さんでも同じだと思います。 うちの場合もいろんな人の話を聞き(といっても情報収集は殆ど妻に頼っていました。)中学受験するのがよかろう、と考えたものでした。 妻は娘の世話で忙しかったし、息子も勉強はパパに、という風に思っていたようで、私が息子の受験を担当することにしました。 まずは中学受験までの準備として、カードゲームを使って論理的思考を学ぶ講…

  • 親として子供と関わる(2)

    第34稿です。 前回の話はこちら。 qye04202.hatenablog.com 息子が就学し成長する過程は、私自身が転職し、慣れないことばかりで悪戦苦闘していた時期と重なっています。 その苦闘ぶりは過去の記事ご参照ください。 (あまりにも苦闘多く全部は貼れませんでした) qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 息子が生まれたのち、しばらくしてから…

  • 親として子供と関わる(1)

    第33稿です。 ブログを始めた頃から自分自身の職歴について書いてきました。 でも職歴は実は人生のほんの一部。 感覚的には家族との関わりが人生の多くを占めていると感じています。 ここでは息子のことを書こうと思います。 この春に高校生になりました。 ここに至るまでには紆余曲折ありました。 家族とはいえ別人格ですから一人称でお伝えすることはできないのですが、親として関わった部分、感じたこと、についてお話しすることはできそうです。 自省も込めて何回かに分けて少し振り返ってみたいと思います。 2000年代半ばに結婚したのですが(過去の記事はこちら)、私の地方から東京への転勤(過去の記事はこちら)直後に誕…

  • 海外赴任~日本流管理

    第32稿です。 前回の記事はこちらです。 qye04202.hatenablog.com 現地に赴任して思ったこと。 時間や期限にルーズ。 会議が時間通りに始まらない。 そもそも期限も言わないと設定しない傾向はあるのですが、設定した期限もいろんな言い訳で延び延びになってしまう。 立ち上げ当初は始業時間になっても従業員が出社していない、ということも多かったと聞きます。 日本の感覚だと時間厳守、期限は守る、これは常識、という発想ですが、ここではそうでもないらしい。 でも彼らの名誉のために言うと、彼らが怠け者、というわけではなく、そういう価値観を重視した教育は受けてきていないのではないか、という気も…

  • 海外赴任~安全第一

    第31稿です。 前2回ほどは少し過去の話に飛んでしまいましたが、話を戻します。 2年ほど前から海外赴任をしています。 それまでの経緯は以下の過去記事もご覧ください。 qye04202.hatenablog.com 赴任先は東南アジア。 日本のメーカーさんとの合弁企業です。 メーカーさんが過半出資していたので、その会社さんの子会社の一員として勤務する形です。 経営管理を担当する役割でした。 経営には関与したいと思っていましたので願ったり叶ったりでした。 モノづくりをしている現場ですので、もちろん品質、生産性は重要です。 でももっと大事なことは安全安心な職場をつくること。 経営管理の担当範囲は、モ…

  • 自分を受け容れる

    第30稿です。 前回はプライベートな会話がずっと苦手だった話をしました。 qye04202.hatenablog.com これは40代半ばまで続いていました。 そんなあるとき、全社の長期研修に参加する機会を得ました。 全社のプログラムなので、参加者はいろんな部署から来ていました。 扱う商品も様々、したがって業界も様々、取引先との関係性も様々でした。 同じ会社に勤務する、という点以外では参加者に共通点はなく、参加者と何を話したらいいんだろう、という状態でした。 文化人類学、社会学、芸術などの講義もありましたが、講義の途中で必ずそれに対する意見を表明することになっていました。 例えば、ある二つの絵…

  • 苦手分野

    第29稿です。 少しふれておきたいことがあります。 自分の苦手分野についての話です。 30代半ばくらいまで時間を戻します。 結婚したのを契機に妻の友人などに会うことも増えました。 子供が育ってくるにつれて、幼稚園や学校のイベントなどでの親同士の接点も増えていきました。 ちょうどその頃に転職した会社は、営業を主体とする会社だったこともありましたので、社内の人、取引先、顧客など、劇的に人との接点が増え、また接待や職場での懇親会(かなり頻繁にありました)も相当数増えてきました。 人との接点が増える中で悩んでいることがありました。 それは会話するのが心から楽しめなかった、ということ。 そういう場に放り…

  • 海外赴任前夜

    第28稿です。 前回の話は以下です。 qye04202.hatenablog.com アイデンティティの危機(以前の記事はこちら)を常に感じながらも結局同じ商品部にかなり長くいました。 数えてみれば社会人人生の中で最長期間の在籍でした。 このままでいいのかな、とより真剣に自分のキャリアについて考えるようになっていました。 海外との関連が深い部署でしたので海外には多く人を送り出していました。 部署の性格上、海外に行きたいという希望を持つ人も多かったように思います。 ただ、自分自身は特に仕事をする場所にこだわりがなかったこと、所属する組織の中で自分が海外で働いているイメージが湧かなかったこと、その…

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