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四十で惑わず、五十にして天命を知る~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~ https://qye04202.hatenablog.com/

50なりたての海外在住の中小企業診断士兼FP(1級)です。 孔子は五十にして天命を知る、と言っていますが、まだその境地は遠そうです。 自分の過去の苦い経験を紹介する中で、これから世代の人が人生を歩むヒントを提供できればと思います。

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2020/06/03

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  • 学生時代~学問の話も⑥

    第115稿です。 大学4年生のとき、大学院入試で合否ラインぎりぎりで辛うじて合格し、進学することになりました。 qye04202.hatenablog.com 入学試験は8月でしたが、大学院に進学するのは翌年の4月。 それまでの間は、3月に発表する卒業論文に向けて準備をする必要がありました。 具体的には、大学院生に指導を受けながら、仮説を立て、実験を行い、仮説の検証と考察を行う、というもの。 それを論文という形で成果を纏める必要がありました。 これは、論文を作成するだけではなく、その内容を指導教官などの前で自ら発表を行う必要がありました。 当時は現在のようにパソコンを使ったPowerpoint…

  • 学生時代~学問の話も⑤

    第114稿です。 前回は4年生で研究室に配属されたものの、1年早く就職した同級生を見て早く社会に出たいという思いを抱いたことを話しました。 qye04202.hatenablog.com いま考えても地に足のついていない浮ついた発想だったなと恥ずかしくなります。 地道な研究の世界を目の当たりにして、自分には向いていない世界だな、と感じていました。 当時の企業はバブル経済の名残もあって、採用には積極的で、特に自分のいちばん興味のあった自動車業界をはじめ、技術者としてやっていけそうないろんな機会がありました。 でもそこでふと考えました。もし仮にこれで研究を4年生だけの1年で終わらせてしまったら、自…

  • 学生時代~学問の話も④

    第113稿です。 前稿では、じゃんけんの結果によって第2希望だった研究室に配属された話をしました。 qye04202.hatenablog.com これで人生が決まった、、というほど大げさなものでもないかもしれませんが、その後の人生の大きな岐路になったのかもしれません。 摺動部の摩耗を軽減するための潤滑は、機械工学の世界ではトライボロジーといって長年研究されていた分野のようです。 その工学理論を人間の体にも応用するという発想で、優れた人工関節を開発するための基礎研究でした。 生体を扱う医学部との共同研究で、学際研究という意味では画期的な取り組みだったのだろうと思います。 場所も機械工学科の本館…

  • 学生時代~学問の話も③

    第112稿です。 前回は機械工学科の専門課程の話をしました。 qye04202.hatenablog.com 教養課程の美学や哲学に比べると専門課程の工学関係の科目は実際に工業技術に活用されている学問だったので役に立っている感覚はありましたし、将来的にも実際にすぐに役に立ちそうな気がしていました。 それにしても、3力学と呼ばれていた材料力学、流体力学、熱力学は、難しい理論が多く難渋しました。 4年生になると研究室に配属されます。 その決め方は原始的でした。それぞれに定員があるので、希望が多いところはじゃんけんでした。 自分は文系脳だと思っていて高校時代は文系に進もうと考えていたくらいではありま…

  • 学生時代~学問の話も②

    第111稿です。 大学に入って訳も分からないなりに興味の赴くままいろんな学問をかじっていました。 qye04202.hatenablog.com 前回触れた美学、哲学、文化人類学などに加えて、文学や法律系や経済系の科目も取っていたように思いますが、少し講義に出てはすぐに断念しました。あまりにも退屈だったからです。講義のせいというよりもこちら側の学ぶ姿勢のせいだったとは思います。 それでも単位が取れたのは先輩たちから脈々と引き継がれた定期試験前の試験対策プリントのお陰でした。 でもいまに至っても何も残っていないのは本当に残念なことです。 それなりの経験を経てきたいまこれらの講義を聞いたらいろんな…

  • 学生時代~学問の話も①

    110稿です。 これまでは課外活動としてのサイクリングやそこから派生したバイクの話をしてきました。 qye04202.hatenablog.com ここからはしばらく学生の本分である学問について取り上げようと思います。 平成初期の当時は大学のレジャーランド化が問題だ、などという声があったように思います。 1970年代から言われていたことみたいですが、特に私が大学にいたのはバブル期だったこともあり、世の中から見たらレジャーランド化しているように見えたかもしれません。 確かに教養課程にいた頃のキャンパスは着飾った美男美女が闊歩していて華やかな空気があったようにも思います。 見た目はみんな華やかで遊…

  • バイクを断つ

    第109稿です。 前回までは学生時代のツーリングについてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com 前稿の話を終えた際にはツーリングの話を続けようと思ったのですが、どこに行った、どこがきれいだった、という過去の話を羅列しても面白くないかもな、と思い直しました。 本稿ではバイクに乗るのを断念した話をしようと思います。 少し時が飛ぶのですが、バイクは大学を卒業して就職してからもしばらく乗っていました。 特に就職で首都圏に出てきたので、学生時代にいた関西からは行きづらかった信州や上越、北関東などにツーリングによく出かけて行きました…

  • 学生時代~北海道ツーリング②

    第108稿です。 前回は北海道ツーリングの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回はその続きです。 夏の1か月間をかけて北海道をくまなく回りました。 だいたい次のようなルートだったと思います。 ほぼ観光で行く場所もすべて網羅していたと思います。 小樽~札幌~富良野~美瑛~旭川~稚内~宗谷岬~網走~知床半島~ノシャップ岬~根室~釧路~帯広~襟裳岬~室蘭~函館~札幌~小樽 だいたい道央、道北、道東、道南、で行きたい場所は決めていましたが、その日の気分で通りたいルートを選んで好き勝手に走っていました。 当時はスマートフォンのような便利なものはなかったので、ツーリングマップ…

  • 学生時代~北海道ツーリング①

    第107稿です。 サイクリストからライダーに転向しました。 機械屋としてバイクが好きだったというよりも、旅の手段を変えたという感覚でした。 前々回、前回の投稿は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com どうしてもバイクで走ってみたかったのが北海道でした。 自転車でも2度ほど走ったことがあります。 最初は青森から青函連絡船で函館に渡り、洞爺湖、支笏湖あたりの道南を中心に有志とともに巡りました。 2度目は道北でした。4人くらいでサロベツ原野や稚内の周辺を走り、フェリーで利尻島に渡り自転車を置いて利尻山(利尻富士)に登りました。…

  • 学生時代~トラベラー

    106稿です。 サイクリストからライダーに転向しました。 qye04202.hatenablog.com サイクリストからすると背任行為(?)だったかもしれません。 自分としては、ライダーになった、というよりも一人のトラベラーとして、移動の手段が変わって、自転車からバイクになった、というだけに過ぎないと思っています。 当時は、関西地方とか中部地方など、地方別に編集された1枚ものの大判地図のシリーズがあったのですが、書店でそれを買い揃えて、地図を広げながら今度の週末はどこに行こうか、と考えるのがとても楽しかったですね。 また、大手出版社がツーリングマップというライダー専用の地図を出版していました…

  • 学生時代~サイクリストからライダーへ

    第105稿です。 まだ20代そこそこでしたが、耐久ランで1日で250kmの道のりを自転車で走ってみて、自分の体力と気力の限界を感じました。 qye04202.hatenablog.com 以前には早朝から夜までかけて1日で琵琶湖一周(約200km)に挑戦したこともありましたので、自分の中では大きな後退でした。 体力というよりも気力の問題だったように思います。生活にも慣れてきて新鮮な驚きが少なくなってきて索漠とした思いを日々抱えていた時期だったように思います。 4年生になると研究室へ配属となりましたが、同じ研究室にいた人がバイク乗りで、彼に触発されて中型自動二輪の免許を取り、そのまま車検切れの中…

  • 学生時代~サイクリング活動⑤フラットな組織で

    第104稿です。 前回は自転車から距離を置くきっかけとなった耐久ランの話をしました。 qye04202.hatenablog.com それで一気にバイクの話を、とも思ったのですが、自分の活動の多くの時間を費やしたサイクリング部についてきちんと語っていないのは正しくないと思うので、今回だけ場所を割いてもう少しだけ話をしたいと思います。 その集団の話です。 高校のときには剣道部に属していました。 その当時は先輩は絶対的な存在でした。(いまはどうなんでしょうか) 1年先輩だってそう、2年先輩や3年先輩なんてもう雲の上、ましてや指導教官なんて自分たちの及ばない雲の上の人でした。 それが世の常識だと思っ…

  • 学生時代~サイクリング活動④耐久ラン

    第103稿です。 前稿までは自転車で出かけたグループツアーやソロツアーについてお話ししてきました。 qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com qye04202.hatenablog.com このほかにも長い休みを利用しては全国津々浦々に出かけていました。 それでも大きな荷物を積んで急坂を必死の思いで登坂しているそばで自家用車やバイクが追い抜いていくさまを見て、だんだん「自分は何をやっているのかな」、と思うようになってきました。たぶんそういう思いを抱いていたのは自分だけだと思います。周囲の部員はそういう時間も楽しんでいましたから。 その思いは…

  • 学生時代~サイクリング活動③ソロツアー

    第102稿です。 今回は学生時代に自転車に乗って一人旅をした話です。 確か1年生の春休みだったと思います。九州に行くことにしました。 きっかけは何だったか憶えていません。 友人にクルマで大阪南港まで送ってもらい、夜中に出る別府行きのフェリーに乗りました。 翌朝別府に到着し下船し、さあこれから走ろう、と思った矢先に中年男性に声を掛けられました。 そしてその人の自宅まで行きました。 いま考えてもなぜついていったのか全く憶えていません。 その人は何だか催眠術を掛けたがっていてなぜか私は催眠術にかかったふりをしていました。 だんだん面倒くさくなってきたので「いい加減にしてください!」と言って跳びあがり…

  • 学生時代~サイクリング活動②ツアー

    第101稿です。 前回はサイクリング活動を始めたころの話をしました。 qye04202.hatenablog.com 今回は少し実際のツアーの状況を紹介したいと思います。 初めてツアーに行ったのは同級生と連れだって行った天橋立でした。 平成元年のGWだったように思いますが正確には憶えていません。 自転車の横に括りつけたバッグに必要なものを格納して走行するというスタイルでした。 持ち物はキャンプ道具一式。 携帯用コンロ(ブスと呼ばれるホワイトガソリンを燃料にした火器でした)や飯盒、鍋、テントなどが基本装備でした。 ツアー期間の食事は基本的にはすべて自炊でした。 朝起きたら飯盒で昼の分まで米を炊き…

  • 学生時代~サイクリング活動①

    第100稿です。 前稿で突然得た自由に右往左往していた大学時代のお話をしました。 qye04202.hatenablog.com その自由な活動の一環として、サイクリングを選択しました。 高校時代に、友人が一人で自転車に乗って隣県まで出かけて行って無人駅に寝泊まりした、という話を聞いて、ずっと気になっていました。自分の足で知らないところに出かけて行くという行為に何とも言えないロマンを感じていました。 中学校、高校では剣道をやっていたのですが、自分には心身の鍛錬が必要、と思って始めたものでしたので、楽しんで活動している感覚は皆無でした。また、周囲は幼少から道場に通っていた人ばかりで全く自分の経験…

  • 学生時代-自由とはなに?②

    第99稿です。 前回は大学に入学して選択肢の多さに戸惑ったことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 自分は何もすべきか、どこに向かうべきなのか、ということを常に考えていたような気がします。 正確に言うと、自分の魂が揺さぶられることは何か、を常に探していたように思います。 大学入試突破を目指しているときは、明確な目標がありました。 そして問題に出会ったら自分で答えを出し、解答を見て答え合わせをしていました。 そこには確実に答えがある、という安心感がありました。 ところがこの選択をするのが自分にとって吉なのか凶なのか、別の選択をすべきなのか、全部自分で判断しなくてはい…

  • 学生時代-自由とはなに?①

    第98稿です。 今回からしばらく学生時代のことをお話ししようと思います。 これをテーマとして選定するまでには少し葛藤がありました。 何者でもない個人である私が、学生時代のことをお話しすることが読者にとって意味があることなのか、と。 それでも、自由の持つ重みを感じ続けていた時期のことを思い返すことは、実は同じようなことで悩んでいる人の参考になるかもしれない、とも思い直しました。 しばらく振り返ってみることにします。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 1浪の末に志望する大学に合格することができました。 以下は前回の記事です。 qye04202.hatenablog.com 学校か…

  • 試験の話~大学受験⑤

    第97稿です。 前回は浪人生活で基礎を徹底的にやったことで少しずつ手ごたえを掴んできた話をしました。 qye04202.hatenablog.com でも2年目が決して順風満帆だったわけではなく、全国の受験生が力をつける中で模擬試験で足踏みして合格可能性を下げることもありました。 それでも一喜一憂することなかったのは、自分に自信があったわけではなく、単にインターネットのない時代に地方都市で受験生活をしていたため、不必要な情報に触れることがなかったからだと思います。 なまじ情報があると、あれもこれもやったほうがいい、と惑わす要素が出てきて、いたずらに不安に駆られる側面はあっただろうと思います。そ…

  • 試験の話~大学受験④

    第96稿です。 前回は受験生活2年目の前半の様子についてお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 予備校の授業をペースメーカーにしながら、それに通信添削などの補足教材を追加していたようなやり方で学習を進めていたと思います。 通っていた予備校は、予備校といっても学校の延長のようなものでしたので、自分でレベルを上げていかないと受験レベルには対応できないと思っていました。 そこで通信添削もやることにしたのですが、課題がものすごい頻度で来るし難易度は高いわ、で、相当苦労しながら締切も遅れ気味に課題提出をしていたように思います。こんな状況だったのでどれだけ効果があったかどうかはわ…

  • 試験の話~大学受験③

    第95稿です。 前回は志望校に不合格だったことをお話ししました。 qye04202.hatenablog.com 地方にいましたし、浪人生のための塾の情報もなく、2年目の受験生活は自宅から通える近くの予備校に通うことにしました。 これは地元の私立学校が設置した浪人生のための予備校で、私の出身高校を退職された先生方が多く勤務されていました。 高校のようにクラスが分かれていましたが、クラス構成員の年齢はまちまち(1浪、2浪・・・5浪と受験歴が異なる人がたくさんいました)、出身校は様々、そして予備校なので高校のようにクラス単位でのイベントも特になかったので、一体感もなく、クラス内で口を利いたことのな…

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