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書に耽る猿たち https://honzaru.hatenablog.com/

本と猿をこよなく愛する。本を読んでいる時間が一番happy。読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる色々な話をしていきます。世に、書に耽る猿が増えますように。

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2020/02/09

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  • 『銀花の蔵』遠田潤子|醬油蔵を継ぐこと、家族をたぐりよせること

    『銀花の蔵』遠田潤子 新潮社[新潮文庫] 2022.12.4読了 海外小説が大好きなのに、時々疲れてしまうことがある。おそらく翻訳された文章に気疲れするのだろう。現代は優れた邦訳がとても多く、そのおかげで私たちは素晴らしい世界文学に触れることができるのだけれど、原文を翻訳した文章だと思うだけで、何かの変換モードが働いてしまい、少し頭のどこかを余分に働かせてしまうようだ。既に日本語に変換されているはずなのに。 そんなわけで日本人が日本語で書いたもので、すらすら読めるもの、そして出来ればまだ読んだことがない作者のものを、と手に取ったのがこの『銀花の蔵』だ。この作品だは直木賞候補に選出されたこともあ…

  • 『ラブイユーズ』バルザック|散りばめられた人生の教訓と重層的な人間模様

    『ラブイユーズ』オノレ・ド・バルザック 國分俊宏/訳 ★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2022.12.3読了 バルザック著『ゴリオ爺さん』を15年ほど前に読んだ時、実は最後まで読み通せなかった。おもしろさを感じられなかったからなのか、当時はまだ翻訳ものを上手く読みこなせなかったからなのか不明だ。だからバルザックについては苦手意識があった。敬愛するサマセット・モームが天才だと認めたバルザックを私は理解できないのかと、少し残念な気分を常に持っていた。 時はフランス革命直後、ナポレオン帝政から復古王政に至る時代である。この頃のフランスは動きがあってやはりおもしろい。タイトルの『ラブイユーズ』という…

  • 『三十光年の星たち』宮本輝|人間としての深さ、強さ、大きさを培う

    『三十光年の星たち』上下 宮本輝 新潮社[新潮文庫] 2022.11.30読了 もっと古めかしい作品なのかと思っていたが、読んでみるとそうでもなかった。毎日新聞に連載された作品で、単行本になったのは平成23年だ。確かに新聞に連載になるような品行方正さがあり、すらすらと読みやすい作品だった。 親に勘当され恋人にも逃げられ、職もなくうだつの上がらない青年坪井仁志(つぼいひとし)は、80万円の借金をすぐには返せないため、金貸しの佐伯平蔵(さえきへいぞう)の仕事を手伝うことになる。毎月僅かながらも長年借金を返済し続けた女性に会いに行くため、運転手として一緒に旅路に出る。 相手のことをほとんど知らない2…

  • 『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』ロバート・コルカー|家族とは何か

    『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』ロバート・コルカー 柴田裕之/訳 ★★ 早川書房 2022.11.27読了 こんな家族が実在したなんて信じられない。統合失調症以前に、今どき12人も子供を産む夫婦がいることにまず驚く。その子供のうち半数が統合失調症になってしまったある家族についての衝撃のノンフィクションである。 このひときわ目を惹くジャケット(何かとてつもない怖さを感じる)に吸い寄せられるように、数日間この本の世界に没頭した。これが現実にあったことだと思うと、おもしろいという表現は少し違うけれど、読み物としてこんなにも夢中になり心を揺さぶられた作品は久しぶりである。 自分の家なのに、兄たちを…

  • 『夢も見ずに眠った。』絲山秋子|夫婦の関係とは。しみじみと余韻が残る作品。

    『夢も見ずに眠った。』絲山秋子 河出書房新社[河出文庫] 2022.11.24読了 日本の至る所を旅しているような、いや再び訪れて懐かしむような気分になったといったほうがいいだろうか。岡山県・倉敷、岩手県・盛岡、島根県・松島、北海道・札幌は旅で訪れたことがあるし、東京都・青梅市は以前仕事で一年ほど通った地、そして神奈川県・横浜市は今もお世話になっている街だ。沙和子の実家である埼玉県・熊谷こそ訪れたことはないが、この作品に出てくる多くの土地には馴染みがあり、他人ごととは思えなかった。 こういう夫婦は実はたくさんいるんじゃないかと思う。結婚をしていても住む場所、生活が別々。学生の頃からの付き合いの…

  • 『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』C・A・ラーマー|クリスティ愛に溢れたライトなコージーもの

    『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』C・A・ラーマー 高橋恭美子/訳 東京創元社[創元推理文庫] 2022.11.23読了 このタイトルと帯の文句を見ただけでワクワク感が止まらない。ミステリ好きかつクリスティ好きなんて!私は読書会というものに参加したことがない。読みたい本ってその時によって違うし自分のタイミングみたいなものがあるから(今はミステリが読みたい、恋愛系がいい、歴史小説を読みたい、軽いエッセイしか無理、のような)、課題図書を読むことにちょっと抵抗がある。でも、この作品と訳者による解説を読んで一度は参加してみたいと思った。 読む前は、クリスティやP・D・ジェイムズ作品のような濃密なミス…

  • 『デッドライン』千葉雅也|本気にならず何かを結論づけることもなく

    『デッドライン』千葉雅也 新潮社[新潮文庫] 2022.11.21読了 千葉雅也さんは立命館大学の教授をされており『現代思想入門』の著者で知られる哲学者である。哲学者が書いた小説、しかも芥川賞候補にもなっていたので、かねてから気になっていた作家である。 大学一年の時『言語と論理』という履修科目があった。1年間の授業でテキストに使用している本のわずか30頁ほどしか使わず、ひたすらフーコーの思想を深く掘り下げて語っていた教授が懐かしい。学生たちに厳しく、半数以上の学生が単位を落としていた。私もそれに漏れず2年生で再履修することになってしまった。この小説を読んでフーコーやらドゥルーズがでてきたので、…

  • 『嫉妬/事件』アニー・エルノー|書くことで感情を解き放つ

    『嫉妬/事件』アニー・エルノー 堀茂樹・菊地よしみ/訳 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.11.20読了 アニー・エルノーさんがノーベル文学賞を受賞された時には、すでにこの作品の文庫化が決まっていたようで、早川書房さんは先見の明があるなと感心していた。この本には『嫉妬』と『事件』の2作の中編が収められている。文学的な意味合いでは『嫉妬』のほうが優れているように思うが、強烈な存在感を放つのは『事件』のほうだ。 『嫉妬』 嫉妬は、人間が持つ感情の中で一番といってもいいほど醜くて嫌な感情だと思う。つい最近まで付き合っていた男性に新しい彼女ができ、一緒に住むことになったという。別れたはずなのに…

  • 『みんなが手話で話した島』ノーラ・エレン・グロース|ある共同体に生まれた文化を紐解く

    『みんなが手話で話した島』ノーラ・エレン・グロース 佐野正信/訳 早川書房[ハヤカワ・ノンフィクション文庫] 2022.11.19読了 コミュニケーション手段のメインが「言葉を発する会話」によるものだという概念を覆す作品だった。アメリカ東海岸・マサチューセッツ州のリゾート地、マザーズ・ヴィンヤード島では、かつて島に住む人々みなが手話を使って話していたという。この共同体の歴史や文化を紐解き、ろう者に対する考え方をまとめたのがこのノンフィクションである。 中学生の時に(今でも仲の良い友達だ)生まれつき難聴の友人がいて、その子に指文字を教えてもらった。手話ではなく、単純にアイウエオを「ア」を示す指の…

  • 『人間のしがらみ』サマセット・モーム|幸せは苦しみと同様に意味がないもの

    『人間のしがらみ』上下 サマセット・モーム 河合祥一郎/訳 ★★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2022.11.18読了 まさか年に2回も同じ小説を読むとは!どれだけこの作品が好きなんだろう。『人間の絆』という邦題で広く知られる名作であるが、今回訳者の河合祥一郎さんは、「絆」ではなく「しがらみ」とした。確かにミルドレッドとの関係性はもはや絆というよりもしがらみといえるかもしれない。「絆」も「しがらみ」も表裏一体であるからこの訳も頷ける。しかしタイトルから受ける印象はガラリと変わるから、なかなか思い切ったことをしたな~と思う。 作品の中でフィリップの精神を不安定にし、感情を大きく揺さぶられるのは…

  • 『本物の読書家』乗代雄介|文学観と小説蘊蓄|単行本を読む前に文庫化されてしまった

    『本物の読書家』乗代雄介 講談社 2022.11.12読了 読書家に本物も偽物もあるのだろうか。まぁ、読書家を気取っているニセモノはいるかもしれない。そもそも「読書家」は「家」がつくのに個人の趣味が高じただけになっているけれど、他の「家」がつく「建築家」「音楽家」やらはその道のプロを指す言葉になる。 実はこれらの「家(か)」の意味は異なり、「読書家」につく「家」のほうは、そのことに固執している、凝っている、性向にあるの意味である(努力家、愛妻家など)。「建築家」の「家」のほうは、そのことに専門性をもって従事している人の意味だ。日本語は難しくてやっかいだ。だからこそ趣があって美しい。 大叔父とは…

  • 『歩道橋の魔術師』呉明益|現実の世界にはない「本物」がきっとある

    『歩道橋の魔術師』呉明益 天野健太郎/訳 河出書房新社[河出文庫] 2022.11.11読了 読んでいる自分がマジックに魅了されてしまったようだ。やられた!とかではなく、むしろ心地よい騙され感。そんな不思議な魔法に包まれている、ずっと読んでいたくなるような作品だった。 昔、街頭の大道芸人が丸く書いた円の中で、踊る人形を操っていた。どう見ても電池が入る大きさではないし、何も繋がっていない。しかし私は、斜め後ろから観客然として見つめていた男が、細い糸で人形を操る姿に気づいてしまったのだ。 その透明に近い細い糸を横切ろうとしたら、別の男性がまるで怒鳴りだすように注意をしてきた。ここで私が横切ったら人…

  • 『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』長谷敏司|ロボットと義足ダンサーの表現法、そして介護

    『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』長谷敏司 早川書房 2022.11.9読了 帯に「10年ぶりの最高傑作」なんて書かれているけど、そもそも長谷敏司さんという作家を私は知らなかった。それもそうか、早川書房でも滅多に読まないハヤカワ文庫JAに名を連ねる方のよう。早川が好きで多く読んでいるけれどJAやSFの棚はほとんど見ないからなぁ。読まず嫌いは良くない、いつか小川一水さんの作品も読みたいのだが。 この作品に登場する護堂恒明(ごどうつねあき)は、ダンサーとして素晴らしい活躍をしていたが、バイク事故で首の骨を折り右足を切断することになる。新しくカンパニーを立ち上げた谷口と組み、AI搭載の義足をつけた…

  • 『白い薔薇の淵まで』中山可穂|究極の愛を突き詰める

    『白い薔薇の淵まで』中山可穂 河出書房[河出文庫] 2022.11.7読了 以前から気になっていた中山可穂さんの作品。李琴峰さんの小説の中にも登場しており、おそらく台湾をはじめとして海外でも広く読まれているのだろう。同性愛者の恋愛を描いた作品群でよく知られている。 どんな作品なのかも知っていたし予想もしていたはずなのに、読み初めてすぐ、濃密な描写に恥ずかしくなってしまった。しかし、その淫らな描写と作品の2人の主人公とく子と塁(るい)の奔放で真っ直ぐな想いから目を背けることができず、ものの2時間たらずで読み終えてしまったのだ。 異性同士であれ同性同士であれ、色々な愛の形があると思う。だけど、異性…

  • 『牧師館の殺人』アガサ・クリスティー|わちゃわちゃ感が半端ない

    『牧師館の殺人』アガサ・クリスティー 羽田詩津子 早川書房[クリスティー文庫] 2022.11.7読了 ミス・マープルシリーズの最初の長編がこの『牧師館の殺人』である。順不同に読んでいるから今さら順番はどうでもいいのだけれど、なんとなく最初の事件は早めに読まないとなと思ってしまう。ポアロシリーズのほうが名作は多いけれど、探偵個人としてはマープルの方が好きなんだよなぁ。 たしかにむだなおしゃべりはほめられたものではありませんし、残酷ですけど、たいてい真実をついていますのよ(38頁) 長く人間観察をしてきたマープルの言葉。そう、井戸端会議での会話は意外とみんなが気になる話題だ。もちろんとんでもない…

  • 『自転しながら公転する』山本文緒|そんなに幸せになろうとしなくてもいい

    『自転しながら公転する』山本文緒 ★ 新潮社[新潮文庫] 2022.11.5読了 中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞を受賞され、評判も良かったから単行本で手に入れようと何度も思っていた。結局タイミングがあわずここまで来てしまったが、なんと2年で文庫化された。きっと良作ということもあるが、去年まだ58歳という若さで亡くなった山本さんの追悼の意も込めて、そして病床時を綴ったエッセイが同じく刊行されたからそれに合わせて、という出版業界の思惑もあるだろう。 主人公の都(みやこ)は、重度の更年期障害となった母親の手助けのために、都会から田舎に帰ってきた。ショッピングモールで契約社員として働き、回転寿司屋さん…

  • 『ビトナ ソウルの空の下で』ル・クレジオ|雄大な空を飛ぶ自由な鳥のように

    『ビトナ ソウルの空の下で』ル・クレジオ 中地義和/訳 作品社 2022.11.3読了 ノーベル賞作家、ル・クレジオさんの小説を初めて読んだ。彼はフランス人であるが、この作品の舞台は韓国・ソウル。ソウルと聞いただけで、先日の梨泰院の事故を思い出し辛くなる。クレジオさんはアジアの中でも韓国に独特の見解を持っており、特に若い女性にとって生きにくい国だとしている。あんなに煌びやかに見える韓国なのに。 田舎に住む18歳になるビトナは、ソウルに住む伯母の助けを借りて大学に通っている。伯母の娘のパクファとはうまくいってない。ある本屋の書店員から、病で外出ができない「サロメ」という中年女性のもとで物語を語る…

  • 『ストーンサークルの殺人』M・W・クレイヴン|ストーリーもさることながら、魅力はやはり登場人物たち

    『ストーンサークルの殺人』M・W・クレイヴン 東野さやか/訳 ★ 早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫] 2022.11.2読了 この『ストーンサークルの殺人』から始まる〈ワシントン・ポー〉シリーズは既に邦訳が3巻まで刊行されており、どれも好評だ。ようやく第1巻を読んだが、売れていることがよくわかる!最初から最後まで、かたときもだれることなく抜群に楽しめた。さすがゴールド・ダガー賞を受賞した作品だ(とはいえ、マイケル・ロボサム著の受賞作は私にはピンと来なかったからダガー賞=満足ではないけれど)。 そもそもストーンサークルってあまり聞きなれないが、石の遺跡のこと。日本にもあるが、世界でみるとイギリス…

  • 『定価のない本』門井慶喜|古書店街、本を守る人たち|神保町ブックフェスティバル・神田古本まつり

    『定価のない本』門井慶喜 東京創元社[創元推理文庫] 2022.10.31読了 門井慶喜さんの小説を読むのは、直木賞受賞作『銀河鉄道の父』以来だ。この『定価のない本』は、タイトルと表紙のイラストから想像できるように、古本・古書店が主役。それも、日本一、いや世界一の古書店街と言える東京・神田神保町が舞台だ。本好きに取ってはたまらないだろう。 庄治が構えた琴岡玄武堂という店は、古書ではなく「古典籍」専門の古本屋である。古典籍なる言葉は初めて知ったが、明治維新以前に出された和本で、古書よりも仕入れが困難で高価であるようだ。 庄治の古書店仲間で昔から兄弟のように仲が良かった芳松(よしまつ)が本の下敷き…

  • 『インド夜想曲』アントニオ・ダブッキ|幻想的、魅惑的な独特の世界観

    『インド夜想曲』アントニオ・ダブッキ 須賀敦子/訳 白水社[白水uブックス] 2022.10.30読了 イタリア人作家の本を続けて読むことに。実はダブッキさんの作品はまだ読んだことがなくて、どれから読もうかと迷っていたが、帯にある「内面の旅行記」という言葉に惹かれてこの作品を手に取った。 インドは訪れたい国のひとつである。出来れば若い頃に行って「世界観が変わった」なんて感想を言ってみたかった。そのセリフを言いたいがためにインドに行った人もいるんじゃないかしら。世界観なんて実は数日旅行に行ったくらいで変わるはずがないのに。少しだけインドの奔放さと泥臭さに驚く程度のものではないのか。なんて、行った…

  • 『「幸せの列車」に乗せられた少年』ヴィオラ・アルドーネ|子供の頃には理解できなかった真意

    『「幸せの列車」に乗せられた少年』ヴィオラ・アルドーネ 関口英子/訳 筑摩書房 2022.10.29読了 日本でいう本屋大賞なるものがイタリアにもあるようで、それを2021年に受賞されたのがこの作品である。書店員が選ぶ賞は、作家や専門家が選ぶそれよりも大衆受けするものが多く、より多くの人に読まれている。そんなわけで、やはりとても読みやすく心に響く良い小説だった。 タイトルにある「幸せの列車」あるいは「子供列車」というのは、第二次世界大戦後のイタリアで実際に運行されていた列車だ。イタリア南部の貧困家庭の子供たちを、暮らしの安定した北部の街に届ける列車。この活動により、子供たちは一時的にせよ豊かな…

  • 『青年』森鴎外|自己の内面を見つめて成長していく

    『青年』森鴎外 新潮社[新潮文庫] 2022.10.27読了 確か読んだことないはずだ。夏目漱石さんの作品はほとんど読んでいるが、そもそも森鴎外さんの作品は1~2冊しか読んでいないはず。代表作『舞姫』を読もうとした時、文語体でとてもじゃないと読めないと断念した記憶がある。 主人公の青年の名前は小泉純一(ほとんどの人が元首相小泉純一郎を連想してしまうだろう)、彼は作家を目指して田舎から上京する。住まいに遊びに来る若い女性や謎の未亡人など多くの人との交流のなかで、自己の内面を見つめて成長していく青年の姿が描かれており、教養小説と呼ばれている。 青年期の女性に対する感情が丁寧に綴られる。特に、坂井未…

  • 『シンプルな情熱』アニー・エルノー|人を愛する自分自身をも愛すること

    『シンプルな情熱』アニー・エルノー 堀茂樹/訳 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.10.26読了 今年のノーベル文学賞を受賞されたアニー・エルノーさんは、82歳になるフランス人作家。自伝的作品を多く書き続けている。邦訳されている彼女の作品の中ではおそらくいちばん手に入りやすいのがこの『シンプルな情熱』である。本自体も薄いのに、さらに頁の余白も多い。この文量なら、普通は中編2作まとめて1冊にすると思うが、編集者はそれだけ自信を持って薦めたかったのだろう。 読み始めてすぐに、グロスマン著『人生と運命』の引用があった。この恋愛小説に、あの歴史大河作品が出てくるとはつゆほどにも思わず驚く。『ア…

  • 『あとは切手を、一枚貼るだけ』小川洋子 堀江敏幸|手紙の世界でひとつに繋がる

    『あとは切手を、一枚貼るだけ』小川洋子 堀江敏幸 中央公論新社[中公文庫] 2022.10.26読了 手紙だけでやり取りをする男女の往復書簡小説である。小川洋子さんと堀江敏幸さんがそれぞれのパートを務めている。なんと、事前にストーリーを組み立てることもなく、本当に手紙のやり取りをするかのようにして物語を作り出したらしい。目指す方向性も決めないで、雑誌連載なのに成功するのだろうか?と素人目線では疑ってしまう。 しかし、さすが現代を代表する小説家の両名だけあって、上品で繊細な書簡集に仕上がっている。元々2人の作品はとても好みだったので、スムーズに小説世界に入ることができた。儚げに散りばめられた美し…

  • 『教誨師』堀川惠子|人間はみな弱い生き物である

    『教誨師(きょうかいし)』堀川惠子 ★ 講談社[講談社文庫] 2022.10.24読了 以前から書店で目にして気になっていた本である。教誨師とは「処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場に立ち会うという役回りであり、報酬もないボランティア(12頁)」である。このような任務を担う人がいるのはなんとなく知っていたが、彼らを「教誨師」と呼ぶことはこの本を読み初めて知った。 渡邉普相(ふそう)が教誨師になるきっかけをもたらした僧侶篠田龍雄(りゅうゆう)の説法を読んで心にすとんと落ちた。浄土真宗の「悪人正機説」がもつ通常の思考と正反対の言い回しである。こんな説法なら私も聞いて…

  • 『写字室の旅/闇の中の男』ポール・オースター|記憶の中を彷徨いながら未来を予測する

    『写字室の旅/闇の中の男』ポール・オースター 柴田元幸/訳 新潮社[新潮文庫] 2022.10.22読了 オースターさんがポール・ベンジャミン名義で刊行したハードボイルド作品『スクイズ・プレー』と同時に新潮文庫で刊行されたのがこの本である。2作の中編が収められている。 honzaru.hatenablog.com 『写字室の旅』 ある一人の老人が、写字室にいる。それを見ている私たち。彼に何が起きているのか、過去に彼に何があったのかは、老人が回顧しながら徐々に明かされていく。 小説のなかの人物を書くときに一番必要とされる詳細な描写が、お手本のように細かく炙り出されている。老人の一挙手一投足が、ス…

  • 『地図と拳』小川哲|激動の時代を生きた男たち、知的興奮度が爆発

    『地図と拳』小川哲 ★ 集英社 2022.10.19読了 序章を読んで、一気に引き込まれる。こんな始まり方、カッコ良すぎでしょ。自分に語彙力がないから小川さんの作品を読むたびに同じことを書いてしまうが、天才とは小川さんのような人のことを言う。巧みなストーリーテリングもさることながら、知的興奮度が高まり、程よい緊張感を保ちながら読み進めることができる極上の読書体験だった。 20世紀前半の満洲地域(現代の中国北部)の架空の都市を舞台にした群像劇である。激動の時代を生きる男たちの生き様に強く心を打たれた。現実に起きた戦争や政治的出来事に絡めながら、モノを作り上げる意味、そして「建築」をテーマとした壮…

  • 『アニバーサリー』窪美澄|料理と子育て、女性の社会進出

    『アニバーサリー』窪美澄 新潮社[新潮文庫] 2022.10.15読了 読む前に想像していたのは、現代女性の悩みや生き方が描かれた小説だったのに、75歳でマタニティスイミングを教える昌子の生い立ちが、つまり昭和の初め頃の描写が冒頭からかなり(全体の3分の1ほど)続くので、ちょっと予想外で面食らってしまった。といってもいい意味で裏切られた感じだ。 質屋を営む家庭に育った昌子ではあるが、東京大空襲の影響を受けて家が焼け落ちた。空襲下の疎開先で、友達の千代子と一緒にひもじさを紛らわすために薬を舐めた思い出は忘れならない出来事。その後はとんとん拍子で好きな人と結婚し子供をもうけた。時代の流れが早すぎて…

  • 『ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ100年』マシュー・デニソン|特別な能力のおかげで長く君臨できた

    『ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ100年』マシュー・デニソン 実川元子/訳 カンゼン 2022.10.13読了 エリザベス女王のノンフィクションで、在位70周年間近の2021年に英国で刊行された本である。日本で邦訳が出版されたのは今年の6月だ。エリザベス女王が亡くなられたのは先月のことだから、ほぼ直前までの彼女の軌跡がこの本に収められている。これからまた本当の意味での伝記が出版されると思うが、今現在あるノンフィクションの中では決定版といえるだろう。 イギリスという国が好きである。訪れたこともないのに何がわかるのかと言われそうだが、この好意と羨望は文学から湧き出たものだ。ディケン…

  • 『悪い夏』染井為人|不快さ満載の登場人物たち、一歩間違えれば我が身

    『悪い夏』染井為人 KADOKAWA[角川文庫] 2022.10.9読了 生活保護費の不正受給問題をテーマにした社会派小説である。生活保護が行き渡るべき人にちゃんと届かず、不正な手段で保護費を受け取る人が多い。日本の実態もこうなのかと思うと、情けないし悲しくなる。主人公である26歳の佐々木守は、社会福祉事務所の生活福祉課に勤務する真面目な公務員であるが、ひょんなことから問題に巻き込まれ、ずるずるといってしまう。 いい人しか登場しない小説はおもしろみに欠けることがあるが、悪人しか登場しない小説はまたげんなりとした不快さが残る。この小説はまさにそれだ。悪人だとしても、あまりにも頭の良すぎる知能犯で…

  • 『ロビンソンの家』打海文三|小刻みな会話が軽妙で現代風

    『ロビンソンの家』打海文三 徳間書店[徳間文庫] 2022.10.8読了 軽妙な語り口の青春ミステリー風小説である。人生に早くも飽き足りた17歳のリョウは、田舎町に祖母が建てた「Rの家」で暮らすことになる。そこで出逢った風変わりな従姉妹と親戚の伯父さん。自殺したと思われていたリョウの母親の失踪とその秘密が徐々に明らかになっていく。 ほのぼのとした雰囲気のなか突然人が死んだり、この作品は一体どんな方向に進むのかなと思いながら読む。甘美で少し哲学的。解放的な性生活とトークが繰り広げられているがいやらしさはなく、むしろ清々しくさえある。 パシリを意味する「使い走り」という言葉はよく使われるが、「走り…

  • 『静寂の荒野』ダイアン・クック|自然と同化していく人間の本性

    『静寂の荒野(ウィルダネス)』ダイアン・クック 上野元美/訳 早川書房 2022.10.6読了 雄大な自然の中で人間が生活するとはどういうことか、そのなかで親子の関係はどうなっていくのかを描いた重厚な物語である。近未来SF小説とのことで、この分野が苦手な私は少し身構えていたが、思いのほか読みやすかった。むしろ原始的でさえある。人間が年老いていくのは赤ちゃんに帰るのと同じように、人類ももしかしたら都市から自然に帰っていくのではないかと思う。 都市の環境が悪影響を及ぼし、病気になり死が目前に迫った我が子アグネスのために、両親はある実験に参加することにする。それは、残された最後の自然を有する土地、ウ…

  • 『セロトニン』ミシェル・ウエルベック|孤独を選ぶ人もいる

    『セロトニン』ミシェル・ウエルベック 関口涼子/訳 河出書房新社[河出文庫] 2022.10.3読了 油絵のようなグリーンの挑発的な表紙が目立っていた単行本とはうって変わった印象。文庫本はなかなかカッコいい表紙である。色合い、タイトルと著者名のバランスが個人的にとても好みだ。 セロトニンとは、脳内の神経伝達物質のひとつで、精神を安定させる働きをするものである。セロトニンが低下すると、攻撃的になったり不安感が現れる。タイトルからしてウエルベックさんらしいなぁ、なんて思いながら読み進める。 付き合っている日本人女性ユズの秘密を知ったことから、主人公フロランは「蒸発者」となる。そもそも何故この人物に…

  • 『ドナウの旅人』宮本輝|旅に出て、自分自身を見つめ直す

    『ドナウの旅人』上下 宮本輝 新潮社[新潮文庫] 2022.10.1読了 ドナウ河は、ドイツの西南端に源流があり、オーストリア、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニアの7カ国を流れる3,000kmほどの長さのある河である。読み終えた今、私も旅に出たくなった。できれば、行ったことのない国に。できれば、一人で。 定年退職を迎えた夫がいる50歳になる絹子は、ドナウ河に沿って旅をすると言って、突然家を飛び出した。娘の麻沙子は、追いかけるようにしてかつて5年間住んでいたドイツに向かう。絹子、絹子と一緒に旅をする17歳下の長瀬、娘の麻沙子、そして麻沙子の恋人のシギィの4人は、現実とはか…

  • 『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』S・J・ベネット|愛すべき国民の母が名探偵

    『エリザベス女王の事件簿 S・J・ベネット 芹澤恵/訳 ★ KADOKAWA[角川文庫] 2022.9.25読了 世界で1番キュートで、おしゃれで、慎ましくかつ知的な女性はエリザベス女王で間違いないと思う。つやつやの肌、キラキラした目、全身から光り輝く姿。英国王室の女王に向かってこんなことを言うのは失礼かもしれないけど、あんなにかわいいおばあちゃんはいない。ウィット溢れる発言が醸し出す知性、生涯を国民のために捧げた素晴らしい人間性。一般参列や国葬をメディアで拝見してわかるように、英国民にとっては本当に「母」だったのだ。 そんなエリザベス女王が主役になったこの作品。過去にもエリザベス女王が登場し…

  • 『すべて忘れてしまうから』燃え殻|くすぐったい懐かしさとほっこりする優しさ

    『すべて忘れてしまうから』燃え殻 新潮社[新潮文庫] 2022.9.23読了 燃え殻さんの小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、大人泣き必須ということで話題になり映像化もされた。著者の燃え殻さんは、映像美術の仕事をしながら執筆をしている。現代を象徴するSNS手段を交えた作品でありながらも、昭和や平成初期の懐かしの風物詩が多く、特に同世代の男性から共感する声が多かったようだ。 で、私はその『ボクたちはみんな〜』をなんとなくまだ読んでいない。正直、たぶん好みじゃないだろうなと思って避けていた節がある。だけど、先日文庫の新刊として書店にあったこのエッセイは目に止まった。エッセイだし、薄くてす…

  • 『人生と運命』ワシーリー・グロスマン|自分の人生を切り開くのは自分の歩みによる

    『人生と運命』123 ワシーリー・グロスマン 齋藤紘一/訳 みすず書房 2022.9.22読了 現代ロシア文学の傑作として名高い大作『人生と運命』を読み終えた。全三部作でとても長かったが、タイトルから想像できるように重厚で濃密な読書時間を堪能できた。小説でありながらも記録文学のようで、それは著者が独ソ戦の従軍記者だったことからもうかがえる。 著者のグロスマンが生きている間はこの作品は刊行されなかった。「スターリンの指導のもとにあったときにわが国で起きた過酷なこと、間違ったことのすべてに、新しい力をもって光を当てた(第一巻514頁 解説より)」ために、家宅捜索され原稿は没収されてしまったのである…

  • 『独り舞』李琴峰|台湾人から日本語を教わる

    『独り舞』李琴峰 光文社[光文社文庫] 2022.9.16読了 以前読んだ李琴峰さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』がとても良かったので、デビュー作で群像新人文学賞を受賞されているこの作品を読んだ。テーマは『ポラリス〜』と似ており、性的マイノリティに悩む若者の影と光を描いた小説である。 40年以上生きてきてそれなりに本も読んでいるはずなのに、「風声鶴唳(ふうせいかくれい)」も、「草木皆兵(そうもくかいへい)」も、初めて見知った四字熟語だ。どちらも「少しのことでも驚いて、恐れて怯えること」の意味で故事から来ているらしい。また、そばかすを「雀斑」と漢字で表現するのは見たことがなかった。そんなに難しい漢字…

  • 『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティー|全てが集約される

    『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティー 三川基好/訳 早川書房[クリスティー文庫] 2022.9.15読了 タイトルにある「ゼロ時間」とは、刻一刻と迫る何かのタイムリミットなのか?いや、ここではクライマックスの最後の瞬間のことである。全てが集約されるゼロ時間。普通は殺人事件が最初に起こるのに対して、ここでは逆をいき、ゼロ時間の要因となる現象が次々と展開される。今であればこういう小説は結構多いが、当時は斬新だったと思う。 初めの章で、多くの人物の断片的なエピソードが散りばめられている。てんでバラバラな出来事の数々を読んでいると、この小説にどう関係あるのかと疑問に感じる。しかし、全ては繋がっているのだ…

  • 『君がいないと小説は書けない』白石一文|自己分析を突き止めた到達点がある

    『君がいないと小説は書けない』白石一文 新潮社[新潮文庫] 2022.9.13読了 敬愛する作家の一人、白石一文さんの自伝的小説を読んだ。単行本刊行時から気になっていたが、確かあの時はほぼ同時に刊行された島田雅彦さんの作品(これも自伝的小説)を手に取った記憶がある。 honzaru.hatenablog.com 小説のタイトルだけを読むと、君(妻または恋人)がいないと仕事ができない、つまり「君がいないと何もできない」というように、言ってみれば他人に依存してしか生きられないやわな男を描いたものなのか?と訝しんでいた。しかし、読んでみるとそういう話ではなかった。 なんというか、深淵に迫るものがある…

  • 『だれも死なない日』ジョゼ・サラマーゴ|死がなくなることの恐ろしさと混乱

    『だれも死なない日』ジョゼ・サラマーゴ 雨沢泰/訳 河出書房新社 2022.9.10読了 死はどうして恐ろしいのか。『火の鳥』(手塚治虫著)で永遠の命を欲しいと願っていた人たちは、何故死を恐れ、何のために永遠に生き続けたい(死にたくない)と思っていたのだろうか。 永遠の命なんて欲しくない。そう気付いたのはいつからだろう。自分だけが生き残ってしまうという残酷で孤独な世界を映画で見たり小説で読んだからだろうか。確かに1人生き残ることほど辛いことはない。人間は孤独というものが苦手なのだ。 この世で誰も死ななくなったらどうなるのだろう。恐ろしいことがこの小説の中で起こる。「死」がなくなったときに想定さ…

  • 『むらさきのスカートの女』今村夏子|他人に執着する

    『むらさきのスカートの女』今村夏子 朝日新聞出版[朝日文庫] 2022.9.7読了 今村夏子さんが第161回芥川賞を受賞した作品である。単行本の時から表紙のイラストは同じだが、これなら「水玉のスカートの女」じゃないのかなぁと思っていた。 知り合いでもなんでもないのに、ちょっと気になる人っている。私の場合は毎日通勤電車で見かける人だ。降りる駅は決まっていて、ぐっすり眠っているのに、その駅に着く少し前にビクッと起きてドアに向かうその女性。携帯のアラームをつけているわけでもないのにすごいなといつも思っているのだが、もはや身体にしみついた習慣になってるのだろうか。こんな風に、特に思い出して考えるまでも…

  • 『月の三相』石沢麻依|面の裏側にあるもの|装幀が素晴らしい

    『月の三相』石沢麻依 講談社 2022.9.6読了 芥川賞受賞作『貝に続く場所にて』がとても良かったので、受賞後第一作目となる『月の三相』を読んだ。 旧東ドイツの南マインケロートという街がこの作品の舞台となっている。「面」に惹かれた女性たち、望(のぞみ)、舞踏家グエット、面作家ディアナが主人公である。絵画や文学作品をモチーフにしながら、記憶と歴史を多角的な面(視点)で捉えていくストーリーである。 この街では「眠り病」が流行っているという。ひとたびこの病にかかると、数ヶ月間目を覚まさない。その間に肖像画家が眠り人の肖像を作るならわしがある。この地域ならではの逸話がおもしろい。また、月といえばごつ…

  • 『スクイズ・プレー』ポール・ベンジャミン|もっとオースターさんの探偵ものが読みたくなる

    『スクイズ・プレー』ポール・ベンジャミン 田口俊樹/訳 ★ 新潮社[新潮文庫] 2022.9.4読了 なんと、ポール・オースターさんが別名義で小説を書いていたなんて!Twitterでフォローしている方のツイート見て初めて知ったのだ。しかもこの作品はデビュー作にしてハードボイルドもの。 お決まりの、探偵事務所に依頼人がやってくるところから始まる。タイトルが『スクイズ・プレー』だから野球を連想させる。そう、MVPを取ったこともある元メジャーリーガーのジョージ・チャップマンが依頼主だ。彼のところに命を狙う脅迫状が届いたというのだ。 主人公である探偵マックス・クラインのなんとキザでタフガイなことか!ま…

  • 『ルコネサンス』有吉玉青|透明感と美しさが共存する父娘の物語

    『ルコネサンス』有吉玉青 集英社 2022.9.3読了 著者の有吉玉青さんは有吉佐和子さんの娘である。お母さんの佐和子さんの作品は結構好きで何冊か読んでいるが、娘さんも小説を書いていたのは知らなかった。玉青と書いて「たまお」と読むこの名前がとても素敵だ。自伝的要素を取り入れたフィクションになっている。 「ルコネサンス」という言葉を知らなかったから、最初はルネサンスかと勘違いしてしまった。フランス語で、感謝、再認、承認、告白、偵察、踏査、などの様々な意味がある。 生後すぐに両親が離婚して母親に育てられたから、珠絵(たまえ)は、実の父親に26年間会ったことがない。決して恨んでいたわけではない、顔も…

  • 『優等生は探偵に向かない』ホリー・ジャクソン|「ハイ!みんな!」ピップの爽快な挨拶とひたむきな信念

    『優等生は探偵に向かない』ホリー・ジャクソン 服部京子/訳 ★ 東京創元社[創元推理文庫] 2022.9.1読了 お待ちかねの『自由研究には向かない殺人』の続編である。今年の初めに『自由研究〜』を読んでめちゃくちゃおもしろくて、次回作を楽しみにしていたから期待値半端なく読んだ。 honzaru.hatenablog.com 続編でシリーズ2作めといっても、一続きの作品といっていいほど内容が重なっている。ピップとラディ以外の登場人物も前作とかなりかぶる。だから、これから読む人は絶対に前作から読まないとダメ。そうじゃないとおもしろさは半減すると思う。そして、間を置かずに続けて読むのがおすすめだ。 …

  • 『下駄の上の卵』井上ひさし|人間の本能のところでたくましい

    『下駄の上の卵』井上ひさし 新潮社[新潮文庫] 2022.8.29読了 今年の夏の高校野球の優勝校は宮城県・仙台育英だった。全て観たわけではないが、家にいてテレビをつけていると、やっぱり高校野球っていいよなぁと球児達のプレーや心意気、笑顔と涙に喝采を送りたくなる。東北勢が今まで優勝をしたことがなかったのは意外だった。 この作品で野球少年たちが通っているのは、東北・山形県南部の小さな宿場町にある小学校だ。そう、今年の高校野球で全国制覇を成し遂げた東北が舞台。ただしこの小説では高校生ではなく小学校6年生が主人公である。 無我夢中で野球に励み、大会で勝ち進んでいくようなスポ根の話かと思っていたら、実…

  • 『ロボット・イン・ザ・ガーデン』デボラ・インストール|子供たちに読んで欲しい物語

    『ロボット・イン・ザ・ガーデン』デボラ・インストール 松葉葉子/訳 小学館[小学館文庫] 2022.8.27読了 二宮和也さん主演の映画『タング』が現在公開されている。劇団四季のミュージカルも評判が良かったから、この原作は前から気になっていた。文庫の版はもう23刷だし続編も何冊も刊行されているから、シリーズとして人気のほどがうかがえる。 これは児童文学じゃないかって思うほどとても読みやすかった。主人公は34歳になる中年のベンとロボットのタング。妻のエイミーは弁護士だが、ベンは無職でのらりくらりと生活している。2人の生活にヒビが入りかけた頃、タングが突如自宅の庭に現れたのだ。 子供ロボットのタン…

  • 『水平線』滝口悠生|全ては時空を超えてつながっている

    『水平線』滝口悠生 ★★ 新潮社 2022.8.25読了 あの人と私は、海の彼方でつながってルルル 帯に書かれたこの文章。ルルル?ルルルって…。ハミングしてるのだろうか。この感じが早くも滝口悠生さんっぽい。霊的な力を持つという巫女さんから、名前がよくないと言われて「ル」をくっつけて「重ル(シゲルル)」という名前になった人物が作品に登場する。きっと何か関わってるのだろうと思いながら読む。 滝口さんのほのぼのとした作品かと思っていたら、この『水平線』は小笠原諸島の一つ、硫黄島のことを描いた重厚な物語だった。硫黄島といえば太平洋戦争の激戦地であり、アメリカ軍に占領されていた場所。硫黄島の戦いを描いた…

  • 『杏っ子』室生犀星|親子でありながら、友達、恋人、同志のような関係性

    『杏っ子(あんずっこ)』室生犀星 新潮社[新潮文庫] 2022.8.21読了 小学校か中学校の国語の教科書で室生犀星さんの詩が出てきたのを覚えている。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という書き出しだけで、詩自体の内容は全く覚えていないけど…。詩人、小説家である室生さんだが、思えば小説をちゃんと読んだことがなかった。この機会に自伝的小説と呼ばれている『杏っ子』を手に取った。 室生さんの分身であろう平山平四郎と愛娘の杏子(きょうこ・呼び名が杏っ子)の親子の絆を描いた作品である。作中には芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫、大杉栄まで登場し、文壇にいた室生さんを想像しながら読んだ。古い作品だが、新聞小説だ…

  • 『無垢の博物館』オルハン・パムク|頬擦りしたくなるほど美しい作品を読んでしまった

    『無垢の博物館』上下 オルハン・パムク 宮下遼/訳 ★★★ 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.8.18読了 先日書店に行ったらハヤカワepi文庫で刊行されていて迷わず購入した。とても美しく、身体が痺れてしまうほど素晴らしい作品だった。どうしてこんな小説が書けるのか…。本に対して「愛しい」なんて表現はおかしいかもしれないけれど、私にとっては頬擦りしたくなるほどの小説だ。たまらない! もう、一文づつ、一頁づつ、ゆっくりと丁寧に大切に読んだ。こんな風に一途に何年も1人の女性を愛せるものなのか。これが真実の愛というなら、世間に蔓延る愛と呼ばれるものが薄っぺらに思えてしまう。本当の愛って苦しいけ…

  • 『陽気なお葬式』リュドミラ・ウリツカヤ|周りの全てを好きになること

    『陽気なお葬式』リュドミラ・ウリツカヤ 名倉有里/訳 新潮社[新潮クレスト・ブックス] 2022.8.13読了 タイトルがいい。お葬式が「陽気」だなんて。もちろん大切な人が亡くなることは辛く悲しいことだから悼むことは必要である。だけど、お葬式が「悲しいこと」だという概念がそもそも一般化しすぎているのではないか。もちろん、不慮の事故や事件で命を落とした場合はやむを得ないが、大往生を遂げた人に対するお葬式はもっと明るいものでいいんじゃないだろうか。お葬式のあり方を変えていくべきじゃないかと最近思う。 亡命ロシア人の画家アーリクが重篤な病に侵されている。やがて亡くなる彼の元に、アルコール依存症の妻ニ…

  • 『遠い声 遠い部屋』トルーマン・カポーティ|豊潤な言葉遣いと比喩表現が美しい

    『遠い声 遠い部屋』トルーマン・カポーティ 河野一郎/訳 新潮社[新潮文庫] 2022.8.11読了 アメリカ文学が無性に読みたくなり、手にしたのがこの本。カポーティさんの自伝的小説のようである。表紙の写真からは雄大な土地と空が立体的に感じられ、雰囲気がありとても良い。 母を亡くした13歳のジョエルは、まだ見たこともない父親を探しにアメリカの田舎町を訪れる。父親が住んでいる家にたどり着くが、父親は具合が悪いということでなかなか会わせてもらえない。継母のエイミイ、召使いのミズーリ、近所に住む双子の姉妹、エイミイの従兄弟のランドルフなどと親しくなりながら、まだ成熟していないジョエル少年の精神の成長…

  • 『1R1分34秒』町屋良平|若者の素直な感情が溢れ出す

    『1R(ラウンド)1分34秒』町屋良平 新潮社[新潮文庫] 2022.8.9読了 男の人ってどうしてあんなにもボクシングが好きなんだろう。ボクシングというより格闘技全般か。私なんて、リングの上で誰かが血を流すのを見るだけでも目を背けたくなるのに。道具もなく身体だけを使い、拳を武器に相手に挑む姿勢。ただ1人で強さを競うという競技が、強さへの憧れとなり、自己をも強くなったかのような疑似体験になるのだろうか。 この作品は町屋良平さんが芥川賞を受賞した作品である。文庫にしてわずか170頁あまりの中編小説だ。しがないボクサーである21歳の「ぼく」が、ボクシングをやり続ける意味、生きる意味を自問していくス…

  • 『もう行かなくては』イーユン・リー|人生を振り返るとき誰を想う

    『もう行かなくては』イーユン・リー 篠森ゆりこ/訳 河出書房新社 2022.8.8読了 高齢者施設に住む81歳のリリアが、かつて恋人だったローランドの著作を読みながら過去を回想していくストーリーである。時間軸と構成がけっこうややこしくて難解に思えるけど、リリアのあっけらかんとした語りが時にユーモラスで意外とすらすら読めた。 人生で4回しか会ったことがない相手をこんなにも愛していたと言えるのだろうか。会えない時間が想いを募らせているのだろうか。人が人を想うことは、誰かと比べるものでも図れるものでもない。その人なりの愛し方がある。 一方、ローランドにもとびきりの想いを寄せている人がいた。それは親子…

  • 『本にだって雄と雌があります』小田雅久仁|大阪弁による軽妙な語りと蘊蓄を楽しむ

    『本にだって雄と雌があります』小田雅久仁 新潮社[新潮文庫] 2022.8.6読了 受賞は逃したけれど本屋大賞にノミネートされた『残月記』は、あまり体験したことのない読後感であり、今でも印象深く心に残っている。この小説は、小田雅久仁さんが2012年に刊行した作品である。 奥泉光さんの作風に似てる!というか、夏目漱石さん作品をオマージュして書いた奥泉さん的な感じ。ぐだぐだと、こりゃ長くなりそうだなぁと最初は思いながら読み進めていたが、あれよあれよと言う間にいつの間にか読み終えていた。多分、本好きなら沼ってしまう類の本だ。 本にも雄と雌があり結婚して子供が産まれて本はどんどん増えていく、というよう…

  • 『神学校の死』P・D・ジェイムズ|英国神学校と聞くだけで胸高鳴る

    『神学校の死』P・D・ジェイムズ 青木久惠/訳 早川書房[ハヤカワポケットミステリー] 2022.8.2読了 聖アンセルムズ神学校の住み込み看護婦の手記ではじまる導入部、これがとても引き込まれる。神学校と聞いただけでウンベルト・エーコ著『薔薇の名前』が思い浮かんだ。あれはめちゃめちゃおもしろかった。もう一度読みたい。だからなのか、神学校を舞台にしたこの作品にもおのずと期待してしまう。マントや法衣、司祭や信仰、こんな単語があるだけで胸高鳴る!(聖職者の方には勝手な思い込みで申し訳ないけれど) 一人の神学生が海の近くで砂に埋もれた姿で発見された。事故死と処理されるが、疑問を持った義父はダルグリッシ…

  • 『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子|他人が何を考えているかはわからない

    『おいしいご飯が食べられますように』高瀬隼子 講談社 2022.7.30読了 とても評判が良かったから芥川賞候補に挙がる前から購入していたのに、ついつい読むのが遅くなってしまった。先日第167回芥川賞を受賞された作品。発表前に読みたかったけれど、まぁ特に候補作を読み比べているわけではないからいいか。 ある職場の人間関係を「食」を通じて描いたストーリーである。淡々と仕事をこなし、食に興味がなく生きる為に栄養を摂るという男性二谷さん、か細くてみんなが守りたくなる料理上手の芦川さん、そして、二谷さんのことが気になる仕事が出来て頑張り屋の押尾さん。この3人だけで物語が進むといっても過言ではない。 これ…

  • 『チーム・オベリベリ』乃南アサ|偉大な人物は大成するのが遅い

    『チーム・オベリベリ』上下 乃南アサ 講談社[講談社文庫] 2022.7.28読了 タイトルにある「オベリベリ」とは、北海道・帯広のことである。元々アイヌの土地だったため、アイヌ語でオベリベリ、漢字に「帯広」が当てられているのだ。帯にリアル・フィクションとあるが、つまり史実に基づいた小説で、ノンフィクションに限りなく近いということ。帯広地方を開拓した渡辺(旧姓鈴木)カネと周りの男たちを描いた壮大な作品だった。 明治時代、横浜の女学校で学び、父の薦めで洗礼を受けた鈴木カネは、兄の銃太郎が北海道開拓を挑戦しようとしたことをきっかけにして、自分の人生を考える。このままでいいのか。銃太郎から、開拓仲間…

  • 『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト|言葉にしなくてもわかりあえること、ただ感じるだけで充分なこと

    『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト 小川高義/訳 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.7.24読了 2年半くらい前に、1週間弱の入院をしたことがある。手術も入院も初めてのことだったから、不安と心配との連続だったけれど、終わってみればあっという間だった気がする。入院中は独りで心細くもあった。本を持っていったのに、ほとんど読めなかった。入院している姿なんて誰にも見られたくないとは思っていたものの、お見舞いに来てくれた家族や友人には感謝しかない。 主人公ルーシーは、盲腸が元で原因で入院をする。しかし入院は9週間と長引くことになった。そこに何年も疎遠だった母親がお見舞いにやっ…

  • 『道』白石一文|あの時、ああしていれば

    『道』白石一文 小学館 2022.7.23読了 白石一文さんの小説は、年々柔らかくなってきているような気がする。昔の作品は切れ味鋭く、読むたびに感情を揺さぶられた記憶があるのだが、今はゆったりとした心持ちで読める。それはそれで悪くないと思うのは自分も歳を重ねたからであろう。 帯にもあるように、タイムスリップの話である。娘を交通事故で亡くし、精神に異常を喫した妻と過ごす日々、功一郎は過去を悔やむ。あのときああしていれば、娘の事故は未然に防げたのではないか、妻も自殺未遂をしなかったのではないか。昔一度成し遂げた「あれ」を試し、2年ちょっと昔の自分に戻るのだ。 あり得ないストーリーではあるのだが、妙…

  • 『嘘と正典』小川哲|小川さんの文章はクールすぎる

    『嘘と正典』小川哲 早川書房[ハヤカワ文庫JA] 2022.7.18読了 直木賞候補にもなっていたから単行本刊行時にとても気になっていた本。ようやく文庫になって迷わず購入した。小川哲さんといえば、『ゲームの王国』を読んだ時の衝撃を今でも忘れられないし、こんな天才がいるのか!と読んでいてぞくぞくした。 この本は表題作を含む6作の中短編が収められている。最初の『魔術師』から、小川さんの異才ぶりが発揮されている。手品師(魔術師)の壮大なトリックが長い時間をかけて作り出される。何より小川さんが書く小説自体が一番トリッキーで、まんまとやられるのだけれど! 作品の中で唯一SF要素がない『ひとすじの光』は、…

  • 『ゴルフ場殺人事件』アガサ・クリスティー|ポアロとジロー、ポアロとヘイスティングス

    『ゴルフ場殺人事件』アガサ・クリスティー 田村義進/訳 早川書房[クリスティー文庫] 2022.7.17読了 エルキュール・ポアロシリーズ1作目『スタイルズ荘の怪事件』に続く2作目である。ポアロの友人ヘイスティングスが語る構成は、初回と同じである。それにしてもヘイスティングスはなんとおっちょこちょいというか、間抜けというか、素直すぎるというか…。ポアロにも「きみは相変わらず頭を使わずに話しているね」と言われてしまう。ま、そんな2人のコンビが読んでいておもしろい。 南米の富豪ルノー氏から不穏な手紙を受け取ったポアロは、ヘイスティングスとともに急いでフランスを訪れる。しかし到着した時にはルノーは無…

  • 『喜べ、幸いなる魂よ』佐藤亜紀|独特の世界観で魅了する

    『喜べ、幸いなる魂よ』佐藤亜紀 KADOKAWA 2022.7.12読了 初めて訪れたヨーロッパの国がベルギーだったこともあり、首都ブリュッセルの古き美しき建物の荘厳さがありありと目に浮かぶ。今でもあの感動は忘れない。この小説の舞台は、現ベルギーがある位置のフランドル地方である。時代は18世紀。表紙のイラストはブリューゲルの作品のようであたたかさがこもる。 亜麻糸商ファン・デール氏には、双子の姉弟(姉ヤネケ、弟テオ)がいる。そこに、かつての仕事上の相棒の子供、ヤンを引き取ることになる。3人の子どもたちはまるで家族のように暮らす。性生活に興味を持ったヤネクは、実験を行うようにヤンと性行為を行い子…

  • 『正体』染井為人|人は何をもって真実と図るのだろう

    『正体』染井為人 ★ 光文社[光文社文庫] 2022.7.10読了 は〜、おもしろかった。最初は、よくある脱獄犯の逃亡小説なんだろうなとあまり期待していなかったのだけど、途中から目が離せなくなりぐいぐい持っていかれた。単純にストーリーを楽しみたい、おもしろい小説を読みたいと思っている人にはオススメだ。 拘置所に収監されていた鏑木慶一(かぶらぎけいいち)が脱獄した。彼は1年半前に、埼玉県熊谷市に住む一家3人の惨殺事件を起こし死刑囚となっていたのだ。脱獄した目的は何なのか、彼の正体は何なのか。 いわゆるサイコパス系のストーリーではない。むしろ、それぞれの潜伏先で鏑木と関わる人たちの人間ドラマに心を…

  • 『八甲田山死の彷徨』新田次郎|成功と失敗、組織のリーダーとは|天はわれ達を見放した

    『八甲田山死の彷徨(ほうこう)』新田次郎 ★★ 新潮社[新潮文庫] 2022.7.6読了 これは明治35年に青森で実際に起きた八甲田山の遭難事故を元にして作られた小説である。記録文学に近い。そもそも何の目的でこのような行軍があったのかというと、ロシアとの戦いに備えた極寒での訓練のためであった。 行軍は2つのルートで行われる。弘前ルートを辿るのが、徳島大尉率いる弘前歩兵第三十一聯隊(れんたい)、総勢38名の小規模聯隊である。一方、青森ルートを辿るのが、神田大尉率いる青森歩兵第五聯隊、総勢210名の大規模聯隊だ。この2つの行軍は対照的な結末をたどる。 第五聯隊にいる山田少佐は「雪の中を行く軍(いく…

  • 『うつくしが丘の不幸の家』町田そのこ|対称でありながら非対称

    『うつくしが丘の不幸の家』町田そのこ 東京創元社[創元文芸文庫] 2022.7.4読了 町田そのこさんは『52ヘルツのクジラたち』で昨年本屋大賞を受賞された。感涙小説と絶賛されているから読もう読もうと思いながらも、なんとなく機会を逸してしまっている。 タイトルに「不幸の家」なんてあるから、ホラーやサスペンスかと思っていたけど、読んでみるとほっこりと心温まる家族小説だった。そもそも東京創元社から刊行される作品はどうしてもミステリーのイメージが強い。だけどこの本の文庫のレーベルは「創元文芸文庫」である。よく考えたら「創元推理文庫」しか読んだことがないかも。 この小説は「うつくしが丘」という海を見下…

  • 『らんちう』赤松利市|人間の業をせせら笑いながら見つめているのだろう

    『らんちう』赤松利市 双葉社[双葉文庫] 2022.7.2読了 らんちうとは、奇形の高級金魚「らんちゅう」のこと。なんと一匹200万円もするという。調べてみると、背びれがなく、ずんぐりとした身体を持つ赤い金魚だった。金魚というと、私はお祭りの屋台にある金魚すくいの金魚、細くて小さなイメージがある。または黒い出目金。らんちゅうは、どちらかというと見た目は出目金に近いかな。 田舎の老舗旅館の従業員6人が、総支配人を殺害した。自首した彼らと、旅館関係者が順番に独白していくという構成になっている。殺害動機があまりにも薄っぺらい感じがしたから、誰かが嘘をついているのかと勘ぐっていたのだが、そういうことか…

  • 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』ケヴィン・ウィルソン|親友の語りを聞いているようで楽しくなる

    『リリアンと燃える双子の終わらない夏』ケヴィン・ウィルソン 芹澤恵/訳 集英社 2022.6.30読了 表紙のイラストがとても気になって、パラパラとめくってみる。導入から自分の好みに感じたし、集英社のなめらかな字体が読みやすい。ソフトカバーであることも気軽に持ち歩ける。 女性の方が書いているのかと思っていたら、男性だったとは。主人公リリアンの女性特有の気持ちがリアルで正直でほほえましい。そしてまた、ダルさ加減がおもしろくて共感でき、いつしかリリアンの虜になってしまうのだ。 リリアンは学生時代からの親友マディソンからある依頼を受ける。それは、マディソンの夫ロバーツの先妻との間に産まれた双子の面倒…

  • 『ポラリスが降り注ぐ夜』李琴峰|台湾の方が美しい日本語で小説を書く

    『ポラリスが降り注ぐ夜』李琴峰(り・ことみ) 筑摩書房[ちくま文庫] 2022.6.25読了 台湾出身の李琴峰さんは、昨年『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞された。同時受賞の石沢麻依子さんの『貝に続く場所にて』がとても良かったから李さんの作品を読むことを後回しにしてしまっていた。この本は芥川賞受賞作ではないが、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞された代表作の一つである。 honzaru.hatenablog.com うんうん、なかなか好みの作風だった。石沢さんと同じくらい好きかもしれない。やはり、芥川賞を受賞された作家の本はすぐにチェックしないといけないな。この作品は、新宿二丁目にある「ポラリス」…

  • 『嘘の木』フランシス・ハーディング|純真無垢な心でファンタジーを読む

    『嘘の木』フランシス・ハーディング 児玉敦子/訳 東京創元社[創元推理文庫] 2022.6.22読了 フランシス・ハーディングさんの小説は前から気になっていた。児童文学のようだからちょっと手を出しにくかったのだが、この本が文庫になっていたのでようやく読んでみた。帯には宮部みゆきさんにとって今年(当時2017年)のベスト1と書かれていて、こりゃ期待してしまう。 久しぶりに日常を忘れるようながっつりファンタジーを読んだ。この物語の主人公フェイスはまだ幼い女の子だから、おとぎの国に冒険をしているようで、絵画のようにもやがかかったメルヘンチックな色彩が私の頭の中に映像として帯びていた。 フェイスの父親…

  • 『いるいないみらい』窪美澄|いろいろな家族のかたち

    『いるいないみらい』窪美澄 KADOKAWA[角川文庫] 2022.6.19読了 タイトルの「いる」「いない」とは、自分に子供が「いる」か「いない」かの未来のことである。つまり、赤ちゃんを産むか産まないか、産めるか産めないか、家族をつくるかつくらないか、そういった未来永劫に正解も不正解もなく、結論がわからないテーマに窪美澄さんが真っ向から挑んだ作品である。 そのテーマにまつわる短編が5作収められている。1作めの『1DKとメロンパン』から、ちょっと涙が流れそうになる。今は子供が欲しくないと思う知佳に対して、夫の智宏の受け止め方が優しい。だけど、智宏のような旦那さんばかりとは限らないし、こんな風に…

  • 『マーダーハウス』五十嵐貴久|青春小説風だけど殺人館

    『マーダーハウス』五十嵐貴久 実業之日本社[実業之日本社文庫] 2022.6.18読了 五十嵐貴久さんといえば、ドラマ化もされた『リカ』が有名である。私はドラマも見ていなく小説も読んでいない。結構グロくてサイコパスを描いているというのは何となく知っていた。この『マーダーハウス』は「殺人屋敷」「殺人館」といったところだろうか、読む前から不気味さが漂う。 タイトルからおどろおどしさを予想していたのだけれど、青春小説という感じで拍子抜けした。確かに人が死んだりするけど、ほぼ終盤までサラッとした調子で進むから「あれ?想像と違うな」という感じで読み進めた。 シェアハウスは多くの若者が一度は住みたいと憧れ…

  • 『現代生活独習ノート』津村記久子|単独で学習する現代人

    『現代生活独習ノート』津村記久子 講談社 2022.6.16読了 去年の11月に刊行された津村記久子さんの短編集を読んだ。過去に文芸誌に掲載された8つの作品が収められている。タイトルに「生活独習」とあるように、なんらかの物事を独りで学習するようなストーリーになっている。独身女性が主人公であるものが多い。もちろん中には家族で住む人や子供もいるが生活の土台はみな1人なのだ。 数日前に内閣府の『2022年度版男女共同参画白書』が閣議決定された。現代の家族構成は「単独」の世帯が最も多いという結果だったそう。家族の姿や人々の人生設計が大きく変化し多様化している。どんな家族構成でも経済的自立ができるように…

  • 『長い別れ』レイモンド・チャンドラー|ギムレットと男の友情

    『長い別れ』レイモンド・チャンドラー 田口俊樹/訳 ★ 東京創元社[創元推理文庫] 2022.6.15読了 去年村上春樹さん訳『ロング・グッドバイ』を読んだばかりなのに。過去に清水俊二さん訳『長いお別れ』も読んだことがあるから、この作品を読むのは訳者を変えて3回目となる。もともと海外文学を訳者を変えて読み比べるのは好きなのだが、それも元の作品が素晴らしく再読したいと思えるからこそ。 妙に印象に残る場面がある。一つは作家ロジャー・ロイドを探すため、マーロウが「V」で始まる名前を持つ3人の医者のところへ行くシーン。結局1人を除き本筋には関係ないのだが、チャンドラーさんの人間観察と細かな描写がその人…

  • 『いかれころ』三国美千子|人生なんてそんなもの

    『いかれころ』三国美千子 新潮社[新潮文庫] 2022.6.12読了 三島由紀夫賞と新潮新人賞を同時受賞したということで、単行本刊行時からとても気になっていた作品である。三国美千子さんの文章を読んでみたいと思っていたら今年になりこの作品が文庫化されていた。 四歳の女の子がこんな風に語れるものかなぁ。大人になった奈々子が回想しているとはいえ、こんなに詳細に覚えているものだろうか。私が自分の四歳の時のことを誰かに聞かれても、幼稚園の先生が好きだったとか、送迎バスに並んでいる場面や、家でお化け屋敷ごっこをしたことなどぽわ〜んとした記憶しかない。まして、どう感じていたかなんて言葉に表せられない。ただ、…

  • 『チェスナットマン』セーアン・スヴァイストロプ|息もつかせぬ展開、これはドラマのほうが良さそう

    『チェスナットマン』セーアン・スヴァイストロプ 髙橋恭美子/訳 ハーパーコリンズ・ジャパン[ハーパーbooks] 2022.6.11読了 見慣れないタイトルの『チェスナットマン』という単語は「栗人形」のこと。そもそも栗人形というのが日本では馴染みがないけど、藁人形のようなものだろうか。表紙の写真がそれ。なんか気持ち悪いというかおぞましく嫌悪感がある。 殺された女性の腕が切断されている。そして、殺害現場にはチェスナットマンが置かれている。この事件の謎を解き犯人を突き止めるべく、警察重大犯罪課(通称殺人課)のトゥリーンとヘスの2人の刑事がタッグを組むいわゆる警察ものである。 実は過去の事件と繋がっ…

  • 『高架線』滝口悠生|おもしろい賃貸物件と語りの美学を堪能

    『高架線』滝口悠生 ★ 講談社[講談社文庫] 2022.6.7読了 次の入居者を自分で見つけることが賃貸に住む条件というのはなかなかおもろい。不動産屋を通さずに済むから、貸主も借主も余計な手数料がかからず、その分家賃が破格なのだ。まぁ、契約書やら重要事項説明の読み合わせなんかはどうなるのだろうと考えると現実的には難しいのだけど、小説の中ではありだ。 失踪がまた出てきた!ついこの間読んだ原田ひ香さんの不動産系の小説に出てきたばかりだった。失踪者はけっこういたるところに存在して、あまり騒ぎ立てず戻ってきたときのための空間をさりげなく残しておくのが大事なのに。でもかたばみ荘の住人である三郎を探さない…

  • 『ビブリア古書堂の事件手帖〜栞子さんと奇妙な客人たち〜』三上延|実在の本にまつわる柔らかな謎解き

    『ビブリア古書堂の事件手帖〜栞子さんと奇妙な客人たち〜』三上延 KADOKAWA[メディアワークス文庫] 2022.6.4読了 先日三上延さんの『同潤会代官山アパートメント』を読んだ。その時に気軽に読めるものを欲していたせいか、柔らかな文体に気分をほぐされ、思いの外楽しい読書時間となった。 読者登録をさせていただいているedwalkさんともりっちゃん (id:moricchan24)さんが同著者のビブリアシリーズをおすすめしてくれた。ベストセラーで有名すぎる本なので今更感があるとは思うけれど、私は初読みだ。 別に潔癖症なわけではないが、私はほとんどの本を新刊書店で手に入れる。綺麗な本を手にして…

  • 『シャギー・ベイン』ダグラス・スチュアート|辛く苦しいのに美しい物語

    『シャギー・ベイン』ダグラス・スチュアート 黒原敏行/訳 早川書房 2022.6.2読了 タイトルのシャギー・ベインとは主人公の男の子の名前である。スコットランドのグラスゴーを舞台とした、シャギーが5歳から16歳になるまでを母親アグネスとの関係を中心に描かれた物語である。 読むのが苦しくなるような辛い物語だった。アルコール依存性とはこんなにも救いがないのか。薬物と同じで絶つことは相当に困難なのだろうか。かなり詳細な生活描写でこのボリュームなのに希望の光がほとんど見えない。それなのに、なぜか美しく気高い。静謐な美しさがここにはある。 美貌のアグネスは前夫との間に娘キャサリン、息子リーク産んだ。そ…

  • 『女徳』瀬戸内寂聴|生まれながら男を虜にする性

    『女徳』瀬戸内寂聴 ★ 新潮社[新潮文庫] 2022.5.28読了 先日、窪美澄さん著『朱より赤く』を読み高岡智照尼の存在が気になったのでこの本を読んだ。智照尼のことをもっと知りたくなったのだ。これも小説ではあるが、ほぼ真実に近いとされている。新潮文庫の寂聴さんの本のなかでは一番分厚く、フォントも小さくなかなかのボリュームだったが、智照尼の重厚で濃密な半生が寂聴さんの力強い筆致で書かれており、どっぷりとその世界を堪能できた。 亮子が祇王寺(ぎおうじ)を初めて訪れた時、仕える和三郎を佐助のようだと思った。むろん、谷崎潤一郎著『春琴抄』の佐助である。春琴と佐助の愛。日本の小説で最も尊く美しい関係性…

  • 『事故物件、いかがですか? 東京ロンダリング』原田ひ香|不動産にまつわる数々のドラマ

    『事故物件、いかがですか? 東京ロンダリング』原田ひ香 集英社[集英社文庫] 2022.5.24読了 原田ひ香さんの『三千円のつかいかた』はベストセラーになり書店でもうず高く積み上げられていた。金融関係の本かと思っていたが小説だと知ったのも結構最近である。この本は文庫新刊コーナーで見付けたもの。過去に刊行された『東京ロンダリング』という作品の続きのようだ。 ルームロンダリングとは原田さんが作った架空の職業である。自殺や変死、事件など何らかの曰く付きの事故物件では、通常は不動産の賃貸募集の際に事故物件とは言わず「告知事項あり」という表記をし説明をする。ただ事故後の最初の入居者だけなので、誰かが1…

  • 『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』カズオ・イシグロ|短編を読むのはその作家が好きだから

    『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』カズオ・イシグロ 土屋政雄/訳 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.5.23読了 カズオ・イシグロさんの短編集を読んだ。彼の短編を読むのは初めてである。短編を集めたものではなく書き下ろしの短編が5作収められている。欧米では短編集はあまり売れないらしい(日本でもそれに近いと知って驚く)。イシグロさん自身は「売れ行きのことは気にしない。こういうものが好きな人に楽しんでもらえれば」と言っている。でも短編集を手に取ることは既にその著者が好きで肌に合うのだと思う。こういうものが好き、というよりもその著者が好きだから手に取る。少なくとも私はそうだ。 なかで…

  • 『天才』石原慎太郎|鋭い先見の明で日本を立て直す|そして、絶筆

    『天才』石原慎太郎 幻冬社[幻冬舎文庫] 2022.5.22読了 大物になる人物は得てしてそうであるが、子供の頃の角栄さんも飛び抜けて頭が良く、小さいうちから物事の道理をわきまえ、根回しといったものを自然と覚え骨肉としていった。 何がすごいって、角栄さんは官僚家系からではなく無名の人物で叩き上げで総理大臣にまでのし上がったということ。高等小学校卒(今でいう中卒)という学歴であることも有名である。現職の時は私はまだ子供だったから、彼の功績や何やらは後になって知ったことがほとんどだ。ロッキード事件で逮捕されたこと、長女の田中眞紀子さんが政界で発言する姿が印象に残る。 今当たり前のようにあるテレビと…

  • 『大鞠家殺人事件』芦辺拓|滑稽に語られる大阪船場の物語

    『大鞠家殺人事件』芦辺拓 東京創元社 2022.5.21読了 既に多くの作品を出しているようなのに初めて名前を知った作家さんだ。この作品で日本推理作家協会賞を受賞されたと知り、思わず衝動買いしてしまった。わかりやすくベタなタイトルに意外とオーソドックスでいいのかもと思い、そして大鞠(おおまり)という名前からおどろおどしさを勝手に期待してしまう。 時は明治・大正を通り過ぎ、昭和の初めの戦時下、大阪・船場という商人の街が舞台である。いっとき隆盛した「大鞠百薬館」という化粧品店を営む大鞠家で起こる殺人事件。跡取り息子が失踪したという事件が冒頭にあり、それがこの一族の事件を予感させる。 商家には、丁稚…

  • 『かか』宇佐見りん|この感性とこの文体が訴えかけてくる

    『かか』宇佐見りん 河出書房新社[河出文庫] 2022.5.19読了 冒頭からはっとする。この感性はどうしたものだろう。この文体はどこから湧き出るのだろう。女性にしかわからないであろう、金魚と見紛うその正体は大人の女性になったと実感するものである。 読み始めた時は、この言い回しは方言なのか、幼児言葉なのかと訝っていたが、どうやら「かか弁」という造語らしい。わからなくてもなんとなく察することができる境界ギリギリの言葉遣いがこの作品の一つの魅力になっている。「ですます調」と「である調」もごっちゃに使われているのに、何故かこの不統一が新鮮で心憎いほど深く突き刺さる。 浪人生のうーちゃんが、大嫌いで大…

  • 『水の墓碑銘』パトリシア・ハイスミス|忍耐と狂気の人間ヴィクの心理をさぐる

    『水の墓碑銘』パトリシア・ハイスミス 柿沼瑛子/訳 河出書房新社[河出文庫] 2022.5.18読了 河出文庫からハイスミスさんの小説の改訳版が出た。久しぶりにあのゾクゾク感を味わいたくなった。彼女の小説は2作しか読んでいないが、どちらもおもしろく引き込まれた。 ヴィクは妻のメリンダと娘のトリクシーと3人で暮らす。資産家のヴィクは出版の仕事をしながらカタツムリを飼うなどの趣味を持つ。メリンダは数年前から浮気を繰り返しており、ヴィクはそれを承知しながらも嫉妬心を表に出さず淡々と忍耐強く暮らしている。 ヴィクとメリンダは何故一緒にいるんだろう。ヴィクはこんな我慢を強いられて、メリンダからしても夫へ…

  • 『ブラックボックス』砂川文次|レールにしがみつきながら

    『ブラックボックス』砂川文次 講談社 2022.5.16読了 砂川文次さんといえば、前から『小隊』という作品が気になっていたが、まずはこの第166回芥川賞受賞作から読むことにした。芥川賞授賞式での怒りのコメントが印象に残る。まぁ、田中慎弥さんの会見ほどの衝撃はなかったけれど。 コロナ禍の中、ロードバイクで配達をする若者を描いた物語とは知っていた。てっきり私はウーバーイーツのように食べ物を出前する話かと思っていたが、ここで出てくるのは企業間で重要な契約書を運ぶメッセンジャー、つまりヤマトでいうところの「飛脚便」のようなものだった。そしてこの主人公サクマは非正規雇用である。 ロードバイクだから、自…

  • 『食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート|自分を見つめ直し精神のバランスを取る

    『食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート 那波かおり/訳 早川書房[ハヤカワノンフィクション文庫] 2022.5.15読了 ジュリア・ロバーツ主演の同名映画がとても良かったと最近私の耳に入った。映画自体は2010年に放映された。その原作がこの本である。 文庫本の冒頭には、刊行10年めとして著者のまえがきが収められている。エリザベスさんは「活力と意気込み、可能性が際限なく広がっていくという感覚こそ、"若さ"を定義するうえで重要な要素なのかもしれない」と語る。外見や体力が老いの象徴と捉えられることが多く私もそう思っていたけれど、実は心の問題なんだ。エリザベスさんの言う感覚が実は若さの原動…

  • 『同潤会代官山アパートメント』三上延|くやしさを糧にして生きていく

    『同潤会代官山アパートメント』三上延 新潮社[新潮文庫] 2022.5.11読了 同潤会アパートという単語は何度か目にしたことがある。関東大震災後に作られた耐火・耐震構造の鉄筋コンクリート造のマンションで、当時最先端の集合住宅であった。表参道ヒルズができた時に、数店舗入る隣接した建物が昔のアパートをそのまま残したものだった。あれも確か同潤会青山アパートメントだ。この作品は代官山にあった同潤会アパートを舞台とした小説。なんとこのアパートがあった場所は、現在は高級タワーマンション「代官山アドレス」が建っているというのが驚きだ。 ある家族の4代に渡る年代記である。連作短編集のように、あるワンシーンが…

  • 『メキシカン・ゴシック』シルヴィア・モレノ=ガルシア|館で起こる怪奇世界にようこそ

    『メキシカン・ゴシック』シルヴィア・モレノ=ガルシア 青木純子/訳 ★ 早川書房 2022.5.9読了 ゴシック小説の定義はよくわからないけど、とにかく最初から最後までとてもおもしろく読めた。ストーリー性と重厚さを併せ持つ作品には最近巡り合っていなかったから満足出来た。 メキシコシティで自由奔放に優雅な生活を謳歌していた22歳のノエミは、ダンスパーティの最中に父親から呼び出しをくらう。1年前に英国人ヴァージルのところに嫁いだいとこのカタリーナから奇妙な手紙が届いたとのことで様子を確かめに行って欲しいと言われる。かくしてノエミは山の斜面の街にあるお屋敷を訪れることになったのだー。 舞台はもちろん…

  • 『人間』又吉直樹|色々な人間がいていい

    『人間』又吉直樹 KADOKAWA [角川文庫] 2022.5.7読了 又吉直樹さんの作品は、芥川賞受賞作『火花』だけしか読んでいなかった。当時世間をものすごく賑わせて「芸人が書いたものか〜」「芥川賞も結局話題性を重視して選んだのか」と私も少し勘ぐっていた1人だったのだが、読んでみると思いの外しっかりした文体と美しい表現に感服した。何よりも又吉さんが小説(特に純文学)を溺愛しているのだと思った。 さて、その又吉さんの作品を読むのはそれ以来だ。漫画家になりたかった永山という男性が、シェアハウスに住んでいた過去を回想しながら「人間」とは何なのか、生きる意味を探っていくストーリーである。シェアハウス…

  • 『秘密機関』アガサ・クリスティー|何者をも恐れず突き進む精神

    『秘密機関』アガサ・クリスティー 嵯峨静江/訳 早川書房[ハヤカワクリスティー文庫] 2022.5.5読了 ポアロでもミス・マープルでもないクリスティーさんのもう一つのシリーズものが「トミー&タペンス」で、その1作目がこの『秘密機関』である。私もここまでクリスティー作品にハマらなかったら知らなかった。 トミーとタペンスという2人の若者が国家の重大機密に関わっていくストーリーである。冒険物語というより、スパイ小説と推理小説が合わさったような印象。カップルが主人公になっているものはたいてい女性の方が強く聡明なイメージがある。この2人もその例に漏れず、男性は優しく女性を温かく見守っている。2人の掛け…

  • 『この道』古井由吉|人間の死を悟るように

    『この道』古井由吉 講談社[講談社文庫] 2022.5.1読了 久しぶりに古井由吉さんの本を読んだ。古井さんの文体に触れるときは雨の日が似合う。現在このような静謐な空気をまとう文章を書く人はいないのではないか。 基本的には古井さん本人だと思われる老人の想いや生活について連ねられている。所々に過去の体験が多く導入され、戦時下のこと、入退院を繰り返したことなどが走馬灯のように駆け巡る。古井さんは季節の移ろいを大切に感じ、そして松尾芭蕉をはじめとする詩人を敬愛し古代ローマの神々の意思を尊重している。 物語性は全くない。ただつらつらと、浮き輪がぷかぷかと浮くように、言葉がゆらりと紙面を浮いているようだ…

  • 『メソポタミヤの殺人』アガサ・クリスティー|ポアロのやり方には隙がない

    『メソポタミヤの殺人』アガサ・クリスティー 田村義進/訳 早川書房[ハヤカワクリスティー文庫] 2022.4.29読了 メソポタミ「ヤ」ではなくメソポタミ「ア」ではないのかな?メソポタミア文明と習ったし通常メソポタミアと発音している気がする。どうでもいいけれどタイトルに違和感を覚えてしまった。日本語読みがメソポタミアなだけで、本来の音はメソポタミヤに近いのだろうか。 医学博士ジャイルズ・ライリーが、4年前に起きた事件について看護婦のエイミー・レザランに執筆を依頼する。エイミーが、事件を回想しながら手記を書いているという体になっている。 中近東の遺跡発掘現場が今回の舞台である。どうやらクリスティ…

  • 『回転木馬のデッド・ヒート』村上春樹|ロマンチックでキザなスケッチの数々

    『回転木馬のデッド・ヒート』村上春樹 講談社[講談社文庫] 2022.4.27読了 無性に村上春樹さんの文章に触れたくなった。読むたびに、他の作品で読んだことがあるような既視感(既読感)に遭遇したり、お得意のコケティシュな女の子がまたまた出てきたなと思う。毎回毎回思う。いつも感じることは一緒なのに、どうしてかふとしたタイミングで無性にあの文体が愛おしくなり、春樹ワールドに自ら入り込みたくなるのだ。 とはいえ、村上さんの本はほぼ全て読んでいる。そろそろ2巡目かなと思っていたら、まだ未読のこの短編集があった。村上さんはこの本に収められた文章を「スケッチ」と言う。小説でもノンフィクションでもないから…

  • 『黒牢城』米澤穂信|大河ミステリー、ここにあり

    『黒牢城』米澤穂信 KADOKAWA 2022.4.25読了 第166回直木賞受賞、他にも4大ミステリランキングを制覇した大作である。米澤穂信さんの作品は数冊読んだことがあるが、そもそも現代モノ専門の作家だと思っていたから、歴史モノを書いたということに驚いていた。最近大河作品から離れていたのでついていけるか心配だったけどなんなく読めた。 織田信長、黒田官兵衛は知っている。もちろん明智光秀も。しかし荒木村重(あらきむらしげ)という人物のことは全く知らなかった。この小説は、村重率いる城「有岡城」を舞台にした歴史小説かつミステリ小説である。 村重が信長に対し謀反を起こし有岡城に籠城した。官兵衛の主君…

  • 『時のかなたの恋人』ジュード・デヴロー|夢見る乙女のためのタイムトラベル・ロマンス

    『時のかなたの恋人』ジュード・デヴロー 久賀美緒/訳 二見書房[二見文庫] 2022.4.23読了 タイムトラベルで恋愛ものって、もうそれだけで甘ったるいんだろうな、昼ドラみたいなのかなと予想していたけれど、読んでみると意外とドロドロした感じはなくサラサラだった。 文体を味わうとか行間を読むといった文学の一つの醍醐味を堪能する感じではなく、ただひたすら文章を読みストーリーを追うという読書になったのだが、物語性が豊かで分厚いのにあっという間に読み終えてしまった。結末がどうなるのかはある程度予想がつきほぼその通りだったのに、ラストにはほっこりとした気持ちになった。 恋人とイギリスに旅行中のダグレス…

  • 『世界地図の下書き』朝井リョウ|身体と心、一番成長する時期にどう生きるか

    『世界地図の下書き』朝井リョウ 集英社[集英社文庫] 2022.4.21読了 久しぶりに朝井リョウさんの小説を読んだ。もしかすると直木賞受賞作『何者』以来かもしれない。私の中で朝井さんは、小説界の「時代の寵児」というイメージだ。 両親を事故で亡くし、児童養護施設「青葉おひさまの家」で過ごす太輔(たいすけ)と、同じ養護施設の子供たちの数年間が描かれている。何らかの理由でここに住む彼らは、目に見えない心の傷を負っている。しかし、ここに登場する彼らは希望に溢れている。 麻利は強くなっている。だからもう、人の嘘だって見抜けるし、自分で嘘だってつける。(128頁) 嘘をつくのが悪いこととは限らない。嘘が…

  • 『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』サマセット・モーム|極上の短編集ここにあり

    『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』サマセット・モーム 金原瑞人/訳 新潮社[新潮文庫] 2022.4.21読了 イギリスの文豪モームさんの小説はどれもおもしろく、なかでも名作『月と六ペンス』『人間の絆』は私にとって大切な作品である。実はまだ短編を読んだことがなかったので、新潮文庫から刊行されている評判の良いこの短編集を読んだ。どの作品も余韻に残る一級品で、短編も素晴らしかった。モーム氏の観察眼に感服し、巧みに表現した人間心理が心を震わせる。そしてストーリーがもう抜群だ。表題作を含めた8作が収録されているが、印象に残った2作を簡単に。 『征服されざる者』 フォローしているミモレさんのツイートを…

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