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書に耽る猿たち https://honzaru.hatenablog.com/

本と猿をこよなく愛する。本を読んでいる時間が一番happy。読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる色々な話をしていきます。世に、書に耽る猿が増えますように。

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2020/02/09

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  • 『1984』ジョージ・オーウェル|人は愛されるよりも理解されることを欲するのかも

    『1984』ジョージ・オーウェル 田内志文/訳 KADOKAWA[角川文庫] 2024.04.22読了 文庫本の表紙はルネ・マグリットの絵である。顔の前にあるりんごのせいでよく見えないが、実はよーく注視すると左目が少しだけ見えていて薄ら怖い。人から常に「見られている」という警告、ビッグ・ブラザーにすべてを監視されているという近未来。テレスクリーンにより昼夜を問わず監視されているこの世界だけれども、人の心の中までは見ることができない。人の考え、心の奥底にある、本人にすら謎に満ちている思考は外からはわからない、はず…。 何度読んでもおもしろい。こんなにスリリングで刺激的な作品があるだろうか。しかも…

  • 『ドードー鳥と孤独鳥』川端裕人|好きなことに真剣に取り組めばそれだけで楽しい

    『ドードー鳥と孤独鳥』川端裕人 国書刊行会 2024.04.17読了 なんて素敵な装幀なんだろう。これこそまさにジャケ買いに近い。本の美しさを最大限表現しているし函入りというのがまた良い。国書刊行会は値段も良いけれど装幀にはかなり凝っていて、紙の本が廃れないようにという強い気概が感じられる。うっとりするような本に一目ぼれし刊行されてすぐに買っていたがあたためていたままだった。先日、はてなブログで読者になっている方の記事を読んで思い出した。 orbooklife.hatenablog.jp 房総半島の田舎町で小学生のうちの約3年間を過ごしたタマキ。自然あふれるこの町には「つくも谷」と「百々谷(ど…

  • 『TIMELESS』朝吹真理子|たいせつになったなりゆき

    『TIMELES』朝吹真理子 新潮社[新潮文庫] 2024.04.15読了 朝吹真理子さんの芥川賞受賞作『きことわ』を実はまだ読んでいない。芥川賞作品は思いたったら速攻読まないと結構忘れてしまうことが多い。確か親族だったと思うけど朝吹さんという方の翻訳された作品を目にしたことがある。Wikipediaを見たら、親族欄に多くの名前が載っているのに驚いた。文化人家系。 うみとアミは女性同士だと勝手に想像していた。なんでだろう、『きことわ』が「きこ」と「とわこ」の女性2人のストーリーだからだろうか。そしてなんと「うみ」が女性で「アミ」が男性だった。2人は、恋愛をすっ飛ばして結婚をする。結婚の意味、人…

  • 『そこのみにて光輝く』佐藤泰志|文章から嗅ぎ取れる土の匂い

    『そこのみにて光輝く』佐藤泰志 河出書房新社[河出文庫] 2024.04.12読了 自ら死を選んだ人が書いた小説に対して、独特の緊張感を持って読み始めるのは私だけだろうか。昔は自死する作家が多かった。かつての文豪たちは、死ぬ方法は違えど、自死をすることが誉れと信じて、そうするのがさも綺麗な終わり方だと思い旅立った。今はそういう風潮はほとんどない。 佐藤泰志さんは41歳という若さで自ら死を選んだ。彼の作品は芥川賞候補に何度も選ばれている。何が彼を死に向かわせたのか。Wikipediaで彼の名前を検索したが自死の理由はわからない。たとえ記載があったとしても、本当のことは本人にしかわからないだろうけ…

  • 『アウトサイダー』スティーヴン・キング|事件はどう解決するのか|もはや「ホッジズ」シリーズものでは!

    『アウトサイダー』上下 スティーヴン・キング 白石朗/訳 文藝春秋[文春文庫] 2024.04.11読了 さすがのキング!冒頭から疾走感がありおもしろかった。何より上下巻ぎっしりと読み応え満載で、キングを読むときは次の本選びを気にしなくて良い(というか楽)。つまり、すぐに読み終わらないということ。 恐ろしくも無惨に殺害された少年フランク・ピータースン。多くの証言から犯人だと疑う余地のないテリー・メイトランドは、彼がコーチをする少年野球の試合の最中、公衆の面前で逮捕された。しかし彼には完璧なアリバイがあった。これは、不当に罪をなすりつけられたテリーとその家族が冤罪を晴らすストーリーなのか? 実は…

  • 『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』クライスト|翻訳家も読者も熟練でないとなかなか難しい

    『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』ハインリヒ・フォン・クライスト 岩波書店[岩波文庫] 2024.04.06読了 ドイツ人作家の小説を読むのはなんと久しぶりだろう。名前は知っていたがクライストの作品は初めてだ。作家たちが好む、つまりプロの文筆家が好むのがクライスト。この文庫本には、表題作2作ともう一つの全3作の中短編が収められている。「他一篇」とするなら、もう一つもタイトルにしてしまえばいいのに、と思うのは私だけだろうか。ちなみにもう一つの題名は『サント・ドミンゴでの婚約』である。 まず一作目『ミヒャエル・コールハース』というのは馬商人の名前で、ある不当な扱いを受けた彼が復讐を試…

  • 『方舟を燃やす』角田光代|誰かの人生、こんな風に物語になる

    『方舟を燃やす』角田光代 新潮社 2024.04.04読了 昭和の時代から、平成、令和へと駆け巡る。グリコ森永事件、御巣鷹山の飛行機墜落事故、テレクラの大流行、オウム真理教、色々な事件があったよな。「ノストラダムスの予言」のことは家でも学校でも話題になったが、「口裂け女」の記憶はない。小学校ではコックリさんみたいなのが流行っていたけれど、コックリさんではなくて名前が違っていた気がするんだよなぁ。とにもかくにも私が生きた時代と重なる部分が多かったから、なにやら懐かしい気持ちになった。 1960年代に産まれた柳原飛馬(やなぎはらひうま)と望月不三子(もちづきふみこ・旧姓谷部)の視点が交互に入れ替わ…

  • 『影をなくした男』アーデルベルト・フォン・シャミッソー|誰にでもあるものが欠ける恐ろしさ

    『影をなくした男』アーデルベルト・フォン・シャミッソー 池内紀/訳 岩波書店[岩波文庫] 2024.04.01読了 村上春樹さんの『街とその不確かな壁』では、影を奪われた男が登場する。影を持つ、持たない、なくす、そんなようなストーリーは日本だけでなく世界に多くある。その原作というか、初めに考えだした人がこのシャミッソーであり、この作品が原型である。解説によると、ヨーロッパの18世紀から19世紀にかけて影が大流行したそうで、シャミッソーはまさにこの時代を生きたのだ。影絵もこの時に人気があったようだ。 灰色の男に、自分の影を褒められたシュミレールは、お金に目が眩み自分の影と交換してしまう。シュミレ…

  • 『我が友、スミス』石田夏穂|肉体をいじめ倒す快感

    『我が友、スミス』石田夏穂 集英社[集英社文庫] 2024.03.31読了 筋トレ小説ってなんだろう?と芥川賞候補になっていたときに気になり、「スミス」というのが人の名前ではなく筋トレマシーンの名前だと知った。もう文庫本になるなんて、早い。 カーリング選手の藤澤五月さんが、ボディビルコンテストのために身体を鍛え上げた写真を見たときは私も驚いた。どちらかというと女性らしいふっくらとした姿が藤澤さんらしくて好きだったのだが。しかし彼女は元々ボディビルに興味があったそう。数ヶ月であれだけの身体を作ったことに、尊敬の眼差しになった。ものすごく芯があるなと。筋肉ってなかなかつかない。というか、外に見えて…

  • 『ゴッドファーザー』マリオ・プーヅォ|敵にしたら一発アウト、味方にしたら超強力

    『ゴッドファーザー』上下 マリオ・プーヅォ 一ノ瀬直ニ/訳 ★ 早川書房[ハヤカワ文庫NV] 2024.03.30読了 男の人が好きな映画として挙げることが多いのが『ゴッドファーザー』だと常々感じている。だいたいにおいてマフィアとかヤクザものが好きだから、そういう意味でも人気があるんだろうなと思う。私は昔テレビで放映されているのをぼんやりと観て、アル・パチーノのべっとりした髪型と暗ーいイメージしかなかった。確かに子供が観てもなんのこっちゃかわからないよな。 何これ、なにこれ、なんだこれは!!個人的にマフィアとか極道系の話はあまり好まない(むしろ苦手な方)と感じていたのに、冒頭からかなりハマった…

  • 『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック|夢は壮大、現実は残酷

    『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック 大浦暁生/訳 新潮社[新潮文庫] 2024.03.24読了 スタインベックの名作の一つであるが、まだ読んでいなかった。勝手に子ども向けのストーリーかと思っていたのだが、ラストは息を呑むほど苦しくなり心がえぐられそうになった。こうなるしかなかったのだ。この短い作品でこれだけの強烈な印象を残す小説は世にそんなに多くはない。 身体の大きさも頭の良さもまるで正反対のジョージとレニーは、日雇い労働者として各地を放浪している。2人には大きな夢があった。土地を買い、小さな家を持ち、自分たちの楽園としてのびのびと暮らす。レニーはウサギを飼って面倒をみる。 図体が大…

  • 『冬の旅』立原正秋|強い精神があれば、周りから何を思われようが、どんな境遇にいようが成長できる

    『冬の旅』立原正秋 新潮社[新潮文庫] 2024.03.23読了 罪を犯し少年院に入った宇野行助(ぎょうすけ)が、青春の日々約2年間を少年犯たちとの閉塞された集団生活に捧げることで、自己の内面を見つめ、罪とは何か、生きるとは何かを問いた作品である。良作であった。 こんなに優秀な模範囚はいるのかと疑ってしまうほどだ。それもそのはず、行助は本当の意味で罪を犯していない。義兄の修一郎が、母親を凌辱しようとするのを目撃し、なにかの弾みで修一郎を刺してしまうのだ。それでも刺した理由を語らず、内に秘めた復讐心を育む。頭の中に食い込むという手錠の感覚、とても良い。 もしかしたら俺はこの冷たさと重さを生涯忘れ…

  • 『名誉と恍惚』松浦寿輝|芹沢一郎の運命と生き様に魅了される

    『名誉と恍惚』上下 松浦寿輝 ★★ 岩波書店[岩波現代文庫] 2024.03.21読了 数年前に上海1泊3日の弾丸ツアーをしたことがあって、上海ディズニーランドだけを目的に楽しむという旅だった。泊まったホテルも出来たばかりのトイ・ストーリーホテル。日本のディズニーランドに比べると待ち時間も全然耐えられるし人の多さもそんなに気にならない。圧巻だったのが「カリブの海賊」で、これは2回も乗り今でも鮮明に憶えている。 と、、上海といえば私の中でその記憶が新しいのだが、近代史からみると上海事変など日本とは重要な関わりを持っている。この物語の舞台は1937年、日中戦時下の上海で、日本人警官芹沢一郎は陸軍将…

  • 『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン|何かと折り合いをつけていくのが生きるということ

    『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン 斎藤真理子/訳 河出書房新社[河出文庫] 2024.03.13読了 表紙のイラスト、家の洗面台そっくりなんですよね…。これになんだか親近感が湧いてしまう。それに斎藤真理子さんが訳してる!と思ってついつい手に取った。でもこの洗面台の棚、左側にしかモノが置かれていないのがちょっと気になる。精神的になのか肉体的になのか、所有者に偏ったものがあるのだろうか。韓国文学は定期的にというか、思い出した頃に読んでいる感じ。そろそろ読むタイミングみたいだ。 本国で刊行された『優しい暴力の時代』という短篇集に、もう1作『三豊(サムブン)百貨店』を収めた日本独自の短篇集になって…

  • 『二人キリ』村山由佳|みんな大好き阿部定の生き方

    『二人キリ』村山由佳 ★ 集英社 2024.03.11読了 ここ半年以内に、NHKの松嶋菜々子さんがプレゼンテーター役をしている番組で、阿部定事件のことが放映されているのを見た。昔世間を騒がせた事件だが、不思議と阿部定に同情を寄せたり敬する声も多い。こんなにも情熱的になれるのか、自分もこんなふうに愛し愛されたい、と思うからか。捕まって刑期を終えてからはずっとなりを潜めていた定さんが、高齢になってから身を明かし、料理屋をやっていたのは知らなかった。 村山由佳さんが書いた伊藤野枝の評伝『風よあらしよ』がとてもおもしろかったので、この作品も期待して読んだ。前作よりもフィクション感が強めだったけれど、…

  • 『御社のチャラ男』絲山秋子|日本の会社ってこんなだよな

    『御社のチャラ男』絲山秋子 講談社[講談社文庫] 2024.03.09読了 大谷翔平選手の話題で持ちきりの毎日である。彼の好みの女性のタイプに「チャラチャラしていない人」というのがあるらしい。マスコミが言ってるだけかもしれないけれど。「チャラい」っていうのはここ30~40年くらいで浸透した言葉だろうか。 オリエンタルラジオの藤森さんがその筆頭かなと思う。彼はキャラクターにしているだけだけど。この本で書かれるチャラ男は、私が想像していたようないわゆる軽薄な「チャラ男」とは少し違っていた。 地方にあるジョルジュ食品という小さな会社が舞台である。三芳部長(彼が「チャラ男」と呼ばれている)を中心にして…

  • 『タスマニア』パオロ・ジョルダーノ|戦争と原爆、今この本を読む意義と運命

    『タスマニア』パオロ・ジョルダーノ 飯田亮介/訳 ★ 早川書房 2024.03.07読了 最近どうも広島や長崎、つまり戦争や原爆にまつわる書物をよく目にするし、自分でもおのずと選んでしまっている気がする。それだけ心の奥底で意識しているということだろうか。この『タスマニア』は、敬愛する作家の一人、パオロ・ジョルダーノさんの作品だから読んだのだが、原爆のことが主題として私にのしかかる。 しかも、広島への原爆投下について結構な分量が割かれているのだ。アメリカ人が書いた伝記にはほとんどなかったのに、イタリア人が書いたこの本には、原爆投下後の凄まじさがありありと書かれていた。身体から垂れる皮膚、白い火傷…

  • 『フランス革命の女たち 激動の時代を生きた11人の物語』池田理代子|ベルばらを読みたくなってきた

    『フランス革命の女たち 激動の時代を生きた11人の物語』池田理代子 新潮社[新潮文庫] 2024.03.04読了 子供の頃大好きだった漫画の一つが『ベルサイユのばら』である。女子はたいていハマっていた。文庫本の表紙にある、奮い立つオスカルとそれを守ろうとするかのようなアンドレの姿を久しぶりに見て、ベルばらを思い出した。あの漫画は本当に名作だ。フランス革命のことも、ベルばらから学んだようなもの。 この本はベルばらの著者池田理代子さんが、マリー・アントワネットらの有名どころの人物はもちろん、フランス革命の激動の時代を生きた女性たちにクローズアップして書いた本だ。それぞれの肖像画や当時を描いた絵画が…

  • 『ミトンとふびん』吉本ばなな|さぁ、旅に出ようか

    『ミトンとふびん』吉本ばなな 幻冬舎[幻冬舎文庫] 2024.03.03読了 この本、単行本のサイズが特殊だったのと表紙の色が鮮やかだったから、書店でかなり目立っていた。ちょうど永井みみさんの『ミシンと金魚』が並べられていて、タイトルが少し似ているからごちゃまぜになっていた。「ミシンとふびん」だっけ、とか「ミントがなんとか」だっけ、とか…。意外とそういうことが記憶に残るものだ。 今月の新刊文庫本として積み上げられていたから思わず手に取る。さらっと読めるし、今かな、と(この本の前に『オッペンハイマー』を読んでいたから若干疲れ気味なのよね)。やはり、ばななさんの文章は日常に佇むほんのりとした幸せと…

  • 村上春樹×川上未映子「春のみみずく朗読会」に行ってきた

    先週のことになるが、3月1日(金)に、早稲田大学大隈記念講堂にて開催された「村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会」に行ってきた。おそらく、私の書に耽る関連では今年のメインイベントの一つになるであろう。 早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)に基金をするという形で開催されたイベントである。1/15にサイトを開いてちょっと悩んだけど、たぶんこれを逃すと、特に村上春樹さんに生で会えることは二度とないかもしれないと思い、えいっと決断してポチリ。一般の先着は700人とかだったからうかうかしていたらすぐ埋まっちゃったと思う。 実はオーディオブックとかは苦手(というか、オーディブルとか聴いたことな…

  • 『オッペンハイマー』カイ・バード マーティン・J・シャーウィン|愛国心が強すぎた彼は何と闘ったのか

    『オッペンハイマー』[上]異才[中]原爆[下]贖罪 カイ・バード,マーティン・J・シャーウィン 山崎詩郎/監訳 河邉俊彦/訳 ★★ 早川書房[ハヤカワ文庫NF] 2024.03.02読了 昨年広島旅行をした。広島を訪れるのは初めてで、観光名所を中心に見どころを押さえたが、何よりも原爆ドームと原爆資料館は印象的だった。辛い気持ちになったが、日本人として見てよかったと心から思う。 原爆が投下されたのは広島と長崎のみ。日本は唯一の被爆国である。原爆を開発したのが「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーだ。日本人なら嫌悪感を抱く人が多いだろう。ましてや、当時原爆のせいで亡くなった人、被爆した人…

  • 『さびしさについて』植本一子 滝口悠生|いろんな感情を大切にしたい|滝口さんの思想がたまらんく好き、んで、植本さんのことも好きになった

    『さびしさについて』植本一子 滝口悠生 ★ 筑摩書房[ちくま文庫] 2024.02.23読了 読んでいるあいだ、ずっと胸がいっぱいで、喜びと苦しさとが一緒くたになったような気持ちになった。儚いけれど心地の良い往復書簡だ。 滝口悠生さんの本だ!と嬉しくなって買った本だが、共著の植本一子さんの名前は知らなかった。植本さんは写真家である。それなのに、なんて淀みのない素直であたたかい文章を書く人なんだろうと思った。文筆業でもやっているんじゃないかなって思っていたら、やはりエッセイストでもあるようで既に何作か刊行されている。 滝口さんがフィクションを書く理由というか小説観をこんなふうに記していた。これが…

  • 『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス|自分が自分になるために

    『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス 鈴木美朋/訳 ★ 文藝春秋 2024.02.21読了 文章になっていて句点もついているし「なんだかタイトルがださいな〜」と思っていたけれど、全世界で600万部も売れているというこの小説。よくX(旧Twitter)で読む本の参考にさせていただいている方のレビューを見ると絶賛していたので読んでみた。 エリザベス・ドットと一緒に、笑って泣いて怒って、本当に物語のおもしろさがギュッとつまった小説だった。読み終えると勇気を貰える、そんな(意外と)稀少な本。アメリカのテレビドラマみたいに(そんなに観たことがあるわけではないが)エリザベスをはじめ、登場人物らの大…

  • 『新版 思考の整理学』外山滋比古|寝かせる、忘れる、考える

    『新版 思考の整理学』外山滋比古 筑摩書房[ちくま文庫] 2024.02.18読了 東大生、京大生に一番読まれた、とかなんとかの帯を外して、安野光雅さんの素敵なイラストのジャケット姿をパシャリ。ちくま文庫で長らくベストセラーとなっていた『思考の整理学』に、2009年の「東大特別講義」を巻末に収録した新版である。やはり長く読み継がれている本というのは、それなりの理由がある。それが小説であれ、評論であれ、何であれ。 ひとつめの章「グライダー」を読んだだけで、目から鱗が落ちたという感じ。まさに「もっと若いうちに読んでおけばよかった」というキャッチコピーそのまんま。できれば論文を書く学生の時に読むのが…

  • 『哀れなるものたち』アラスター・グレイ|生きることは哀れさを競うようなもの

    『哀れなるものたち』アラスター・グレイ 高橋和久/訳 早川書房[ハヤカワepi文庫] 2024.02.17読了 映画でエマ・ストーン演じるベラと、圧倒される衣装やセットが話題になっている『哀れなるものたち』の原作を読んだ。旅の道連れとして選んだ本だったのだが、いつも通り旅中ではほとんど読めず、読了するのに随分と時間がかかってしまった。 ベラ・バクスターとは一体何者なのか 一度命を絶ったベラは、天才医師バクスターの手により蘇る。身体は大人の女性なのに脳は胎児という歪な姿に蘇ったベラは、庇護された元を飛び出し駆け落ちをする。世界を旅した彼女は何を見て何を知り何を感じたのか。無垢で自由奔放で、性への…

  • 『東京都同情塔』九段理江|時代の先端を突き進む

    『東京都同情塔』九段理江 新潮社 2024.02.11読了 なんて端切れの良いスカッとするラストなんだろう。たいてい芥川賞受賞作を読み終えたときは「ふぅん」「そうかぁ」「上手い文章で良いものを読んだとはわかるけど、イマイチ何を伝えたかったのかわからない」みたいな感想になることが多い。しかしこの作品はわかりやすかった。時代の先端を突き進んでいて、鋭さと新しさが物語に共存する。 通称「東京都同情塔」を建築することになる38歳の牧名沙羅(まきなさら)、美しい容姿から牧名に声をかけられた高級ブティック店員22歳の拓人、そしてジャーナリストのマックス・クライン、3人が入れ替わり語り手となる。マックス・ク…

  • 『みどりいせき』大田ステファニー歓人|小説って自由なんだな

    『みどりいせき』大田ステファニー歓人 集英社 2024.02.09読了 タイトルも著者の名前も個性的だからひときわ目立つ。第42回すばる文学賞受賞作であることよりも彼の名前を知らしめたのは、その受賞スピーチであろう。「なんかおもしろそうな人が出てきたよ」と知人に教えてもらい、誰かがUPした音声だけのYouTubeを聞いた。出だしの「うぇいー」という挨拶、最近結婚したことともうすぐ父親になるという寿話、そして圧巻の詩の朗読。 何かの記事で、歓人さんは川上未映子さんと町田康さんの文体に影響を受けたと書いてあった。「小説って何でもありなんだな」と感激したそうだ。確かに2人が書く文章に近いものがある。…

  • 『変な家』雨穴|間取りを見るのは生活を見ること|今売れている本を読むこと

    『変な家』雨穴(うけつ) 飛鳥新社 2024.02.07読了 昨年から、どんな書店に行っても目立つところに積み上げられているから、確かに気にはなっていた。けれど、自分が読みたいジャンルの本じゃないと思っていた。それでも、文庫になったからついつい…。朝この本を鞄に入れ、行きの通勤電車、珈琲を飲みながらの朝読書、そしてランチをしながらの読書、それでもう読み終えてしまった(いつも2冊持ち歩いても結局読めないから1冊しか持たなかったが…今回ばかりは後悔気味)。 不可解な間取りをめぐり推理をしていくミステリータッチの小説である。私は曲がりなりにも一応不動産系の会社に勤務しているので、かなりの頻度で家の図…

  • 『イギリス人の患者』マイケル・オンダーチェ|読み終えてから押し寄せる余韻

    『イギリス人の患者』マイケル・オンダーチェ 土屋政雄/訳 東京創元社[創元文芸文庫] 2024.02.06読了 タイトルだけ見ても気付かないかもしれないが、これはあの有名な映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作である。私は実は映画を観ていない(あんなに名作と言われているのに何故観ていないんだろう…)。単純な恋愛映画だと思っていたのが、原作を読むと一筋縄ではいかない多重的な作品であった。 第二次世界大戦が終わる頃、イタリアのある廃墟にハナという若い看護師と、全身に火傷を負った名もない謎の男性患者がいた。そこに、かつてハナの父親と親しかった元泥棒のカラバッジョと、爆弾処理班の工兵シンが加わる。…

  • 『シャーロック・ホームズの凱旋』森見登美彦|ワトソンなくしてホームズなし

    『シャーロック・ホームズの凱旋』森見登美彦 中央公論新社 2024.02.03読了 そもそも、ホームズとワトソンが何故京都にいるんだ?そして、ホームズがまさかのスランプだと?寺町通に二条通、四条大宮に嵐山、南禅寺、下鴨神社、、京都の名だたる名所を駆け巡る…。これは一体何なのだ!?日本の、それも歴史ある街並みにイギリス人らしき人がいる違和感。でもそんな気持ちもいつの間にか気にならなくなって森見ワールドにずぶりと引き込まれていく。 モリアーティ、ハドソン夫人、メアリーなど、お馴染みの登場人物たちがわんさか登場する。ホームズものを全て読んだわけではないけれど、登場人物の名前には見覚えがあって、懐かし…

  • 『星月夜』李琴峰|漢字は読みたいように読んでもいいかも

    『星月夜(ほしつきよる)』李琴峰(り・ことみ) 集英社[集英社文庫] 2024.01.30読了 日本語って本当に難しいと思う。最初に出てくる日本語の文法問題では、私たち日本人なら当たり前にわかることでも、多言語を使っている人からしたら相当難しいだろうなとつくづく感じる。言語って勉強しようと思って身につくというより慣れるしかないものだと思う。まさに「習うより慣れよ」だ。 道を歩いていて、電車に乗って、飲食店でご飯を食べて。隣にいる人が日本人ではないことなんて、今はざらにある。30年くらい前には、外国人がいるだけで振り向いてしまったのに。中国人、台湾人、韓国人、ベトナム人。昔はアジア人だとほぼ中国…

  • 『滅ぼす』ミシェル・ウエルベック|政治、死、そして愛について

    『滅ぼす』上下 ミシェル・ウエルベック 野崎歓 齋藤可津子 木内暁/訳 ★ 河出書房新社 2024.01.29読了 ウエルベックの小説ってどうしてこんなにカッコいいんだろう。ストーリーも文体も、登場人物の会話も、もう何もかも。鋭く光るセンスは誰にも真似出来ない。この本はジャケットもカッコいい。言わずもがな、現代フランス作家のなかで最も影響力のある一人だ。去年の暮れに、浅草の鮨屋で隣り合ったフランス人とウエルベックについて話が盛り上がったのを思い出す。 経済財務大臣補佐官のポール・レゾンが主人公。大統領選を間近に控えた中、テロ事件が勃発し政治の世界がスリリングに描かれる。また一方で、ポールの父親…

  • 『雨滴は続く』西村賢太|貫多は行くよどこまでも

    『雨滴は続く』西村賢太 文藝春秋[文春文庫] 2024.01.25読了 西村賢太さんの遺作であり、最大の長編作が文庫になった。このろくでなしの堕落した北町貫多がまたもや主人公、そしてもちろん私小説。西村さんの作品は短編であれ中編であれほぼ私小説だから、貫多はもちろんのこと、多くのエピソードに「あ、あの時の場面だな」という既読感がある。それをまるっとまとめたものがこの大長編私小説だ。おんなじところをグルグルとループしているようで読み進めるのに結構時間がかかった。 根が江戸川の乞食育ちで、中卒の日雇い人足上がりの貫多は、或いはそれは殆ど彼の生来の僻み根性から依って来たるところの感覚なのかもしれぬ(…

  • 『十年後の恋』辻仁成|恋をしよう

    『十年後の恋』辻仁成 集英社[集英社文庫] 2024.01.22読了 フランスに住むマリエは、10年ほど前に離婚をし、子育てをしながら仕事をする怒涛の日々を送ってきた。そんな中突然現れた歳上のアンリという男性。もう恋なんてしない(槇原敬之さんの歌を連想しますよね…笑)と思っていたのに。まるで女学生に戻ったように、自分のすべてが相手に翻弄される。恋をしている自分自身に恋をしているかのよう。とっても辛いのに、幸せなこのひととき。 この作品でマリエは「愛」と「恋」を明確に線引きしている、というか、したがっている。フランス語では「amour」一つしか存在しないのに、なぜ日本語には「愛」と「恋」が存在す…

  • 『ミステリウム』エリック・マコーマック|この幻想的、怪奇的、魅惑的な雰囲気を味わうべし

    『ミステリウム』エリック・マコーマック 増田まもる/訳 東京創元社[創元ライブラリ] 2024.01.21読了 こういう幻想的かつ怪奇的、そして魅惑的な世界観ってどうやったら書けるのだろう。イギリスを筆頭にして幻想文学というジャンルがあるけれど、彼もスコットランド出身だからその流れを受け継いでいると思う。日本でいうと、山尾悠子さんなんかがこのジャンルなのかな。まだ彼女の作品は読んだことがないけれど、根強いファンが多いイメージだ。 ある炭鉱町に水文学者を名乗るカークという男性が現れてから、不審なことが次々と起こる。住人たちは奇怪な病で次々と亡くなってしまう。果たして、ここでは何が起きているのかー…

  • 『パディントン発4時50分』アガサ・クリスティー|隣を走る列車の殺害現場を見てしまったら

    『パディントン発4時50分』アガサ・クリスティー 松下祥子/訳 早川書房[クリスティー文庫] 2024.01.19読了 並行して走る電車をぼうっと見てしまうことは誰しもがあるはずだ。私が住む関東では、JR東海道線と京浜東北線はほぼ同じ車窓、隣の線路を走るから、時折り速度を緩めているとゆらゆらと揺れながら隣の車両の中を見ることができる。または、並行して走っていなくても、駅に止まった反対側の車両をまんじりともせずぼうっと見てしまうことがある。 しかしたいていは「覗こう」として見ているわけではないから、その場でなんとなく目を向けてしまうだけ。ただ視覚に入ってしまうだけ。だから、たぶん10分後には忘れ…

  • 『チーム・オルタナティブの冒険』宇野常寛|素直な文章で淡々と独白されるがこれがハマる

    『チーム・オルタナティブの冒険』宇野常寛(つねひろ) 集英社 2024.01.17読了 知らない作家の知らない小説を読みたいなと思って書店をうろうろ物色していたら気になった本がこれである。目にしたことはあったような気がするが読んだことがない作者。宇野常寛さんは評論家で、批評誌「PLANETS」編集長、大学の講師も務めている。批評本をはじめ刊行された本は多数あり、テレビにもコメンテーターとして登場されることもあるようだ。名前はなんとなく見たことあるような。この作品は彼が初めて書いた長編小説である。 主人公は高校生の森本理央(りお)。彼の語りにより、つまり一人称で展開されるわけだが、読んでいて詰ま…

  • 『冬の日誌/内面からの報告書』ポール・オースター|若かりし日から思慮深かった彼は、最初から言語の世界にいた

    『冬の日誌/内面からの報告書』ポール・オースター 柴田元幸/訳 ★ 新潮社[新潮文庫] 2024.01.15読了 もともと単行本は1冊づつ刊行されていたが、文庫化に伴い1冊に収められた。ノンフィクションだけど私小説やエッセイとも取れる。自身の身体のことを書いた『冬の日誌』、精神のことを書いた『内面からの報告書』、この2つの作品は対をなしている。とても読み心地が良くていつまでも浸っていたかった。あぁ、幸せ。観念的で難しめの作品もあるけれど、オースターの作品は総じて好きだ。いつか全集とか出たら買ってしまいそうなほど。 『冬の日誌』 ある冬の日々に、ポール・オースター自身が自分の人生を振り返る。幼い…

  • 『無暁の鈴』西條奈加|転落した人生のその先にあるものは

    『無暁の鈴(むぎょうのりん)』西條奈加 光文社[光文社文庫] 2024.01.10読了 主人公の数奇な運命、転落していく物語は確かに読者を魅了し熱狂させる。人の不幸を嘲笑いたいわけでも、自分のほうがマシだと安心したいわけでもないと思う。この先、彼がどうやって起死回生するのか、どのように生きるよすがを見つけるのかをしかと見届けたいのだ。 無暁は、この小説のラストに辿り着くまでに何度も死にかけた。死にそうになったというよりも、自ら命を絶つことがあり得たという意味で。思うに、人は苦しみや悲しみが大きければ大きいほど、その先には必ず大きな喜びを感じることができる。生きていれば誰しもが感じる小さな小さな…

  • 『人形』ボレスワフ・プルス|翻弄されるヴォクルスキ、ワルシャワの社会構造

    『人形〈ポーランド文学古典叢書第7巻〉』ボレスワフ・プルフ 関口時正/訳 未知谷 2024.01.08読了 このどっしりとした佇まいよ…。ジャケットの高貴な衣装に身を包んだ女性が座る画も、凛とした厳かな風貌で物語の重厚さを予感させる。写真だけでは伝わらないだろうけど、この本はなんと一冊だけで1,230頁もあり、重たい鈍器本だ。これはさすがに持ち運びできないからと、年始の休暇にゆっくり読むことにした。結局正月休みだけでは読み終えられなかったけど。 ポーランド文学といえば、、とすぐに思い浮かぶ作家が出てこなくてググってみた。読んだことがあるのはスタニスワフ・レム『ソラリス』とオルガ・トカルチュク『…

  • 2023年に読んだ本の中からおすすめ10作品を紹介する

    (2023.12 東京都台東区にある古書店「フローベルグ」の書庫 この洞穴みたいな空間は地下に続いていて、乱雑に積み上げられた本たちに囲まれた書店員さんがなんだか羨ましくなった) もうこんな時期に来てしまった。一年があっという間だという陳腐な言葉にもほとほとうんざりする。このブログを続ける限りは年に一度はこの企画をやろうと決めているので、今年も、昨年2023年に読んだ本の中から個人的なおすすめ10作品を読み終えた順(ランキング形式ではなく)に紹介しようと思う。 第1作目 『ネイティヴ・サン アメリカの息子』リチャード・ライト 2023年に入って最初に読み終えた1冊。これが今年のベストになるだろ…

  • 『日本蒙昧前史』磯﨑憲一郎|あの時代に確かにあった、あんなこと、こんなこと

    『日本蒙昧(もうまい)前史』磯﨑憲一郎 文藝春秋[文春文庫] 2024.01.02読了 タイトルにある「蒙昧」とは「暗いこと。転じて、知識が不十分で道理にくらいこと。また、そのさま。(goo辞書より)」という意味である。ということはつまりこの作品は、日本の曖昧なぼんやりとした前史(ここでは昭和の時代)ということであろうか。 日本の歴史になぞらえて小説に落とし込む語り口は、奥泉光さんの『東京自叙伝』を彷彿とさせる。あの時こうだったな、この時代にはそんなこともあったな、あんなに深い意味があったのか、と懐かしみながら、また知らないことは新たな発見をし楽しく読み進められた。私たちが目にする切り取られた…

  • 『誘拐の日』チョン・ヘヨン|日本人では到底考えつかないようなストーリー

    『誘拐の日』チョン・ヘヨン 米津篤八/訳 ハーパーコリンズ・ジャパン[ハーパーBOOKS] 2023.12.30読了 韓国俳優のイ・ソンギュンさんが亡くなったというニュースを見て驚いた。どうやら自殺だったようだ。韓流にそんなに詳しくはないけれど、『パラサイト 半地下の家族』を観ていたから、あのお金持ちでイケメンのIT社長がそうなんだ、、と残念な気持ちになった。 その『パラサイト〜』で登場する豪邸から連想したのか、前に手に入れていたこの『誘拐の日』を引っ張り出した。表紙の感じがまさにそれ。映画では半地下の家族が家庭教師に行くのだけれど。 なんとも奇妙奇天烈なストーリーである。ある理由のために大金…

  • 『ガリバー旅行記』ジョナサン・スウィフト|旅行記・冒険譚と名のつくもので間違いなく一番おもしろい

    『ガリバー旅行記』ジョナサン・スウィフト 柴田元幸/訳 ★★ 朝日新聞出版 2023.12.27読了 小さい頃に『ガリバー旅行記』を読んだ記憶はある。とはいえ、大男が地面に横たわり、その周りを多くの小人たちがぞろぞろ歩いてるような挿絵を覚えているだけと言った方が正しいかも。 その小人たちが住む国の場面しか印象になかったが、実はそのエピソードは旅の一つ目の国「リリバット国」での出来事だったのだ。タイトルに「旅行記」とある通り、ガリバーが訪れた各地のことが書かれている。小人たちが住むこの国(挿絵)のインパクトが強すぎた。大きさは人間の12分の1だ。 なんと次にたどり着いた「ブロブディングナグ国」は…

  • 『存在のすべてを』塩田武士|引き摺り込まれる抜群のおもしろさ

    『存在のすべてを』塩田武士 ★ 朝日新聞出版 2023.12.21読了 この殺風景な表紙が不思議だ。何が表されているのだろう。帯にある久米宏さんの「至高の愛」という言葉も気になる。 神奈川県で起きた二児同時誘拐事件、この導入から早速引き込まれる。身代金受渡しに伴う警察による追跡劇は息をもつかせぬ緊迫感だ。私は横浜の地に、しかもこの現場周辺に住んでいたことがあるので土地勘があり、なおさら引き摺り込まれた。 誘拐事件に謎を残したまま30年の年月が流れた。当時捜査一課でマルK指導(身代金受渡し時の現金持参人に指示をする立場)を担った中澤の訃報により、中澤が死ぬ間際まで解決に挑んでいたことを知った大日…

  • 『関東大震災』吉村昭|天災には怒りや恨みをぶつける相手がいない

    『関東大震災』吉村昭 文藝春秋[文春文庫] 2023.12.17読了 今年は関東大震災から100年が経ったということで、装い新たに(というか文庫カバーの上にぐるりと更なるカバーがかけられている)書店に並べられていた。天災は人間の力で防ぎようがない。それでも、その記録から事実を理解し教訓とし、我々が今後なすべき事を考えるためには、語り継がれなくてはならないのだ。 日本は言わずと知れた地震大国である。一つ前に読んだ山本文緒さんの短編集のなかの『バヨリン心中』の中に、大地震を経験したポーランド人が日本人の妻と子を捨てて自国に帰ってしまったというのを思い出した。それだけ、大地震は恐怖なのだ。地震を知ら…

  • 『ばにらさま』山本文緒|日常にひそむ虚無感とままならなさ

    『ばにらさま』山本文緒 文藝春秋[文春文庫] 2023.12.15読了 表題作を含めた7作の短編がまとめられた本。なんて小気味良くて、心を掴まれる文章なんだろう。日常にひそむちょっとした不安定さを掬い取り、虚無感と生きることのままならなさを絶妙に描く。どの作品も、山本文緒さんらしさが光る唯一無二の作品たちだ。山本さんは短編も良いなぁ。 『ばにらさま』 雑誌から飛び出したモデルのような容姿端麗な美女。色がとても白いことから友だちが「ばにらさま」とあだ名をつけた彼女と付き合っている「僕」は、彼女の気持ちがわからない。読んでいて、主人公の「僕」よりも「ばにらさま」がどういう気待ちなのか、今度どうやっ…

  • 『野生の棕櫚』ウィリアム・フォークナー|交わらないのにお互いを高め合う二つの作品

    『野生の棕櫚(やせいのしゅろ)』ウィリアム・フォークナー 加島祥造/訳 中央公論新社[中公文庫] 2023.12.12読了 フォークナーの小説を読むときは心を静謐に保ち、雑音を排除する必要がある。そうしないと頭に入ってこないのだ。タイトルにある漢字の「棕櫚」は見慣れないが、カタカナで「シュロ」と書かれているのはまれに目にする。そう、椰子の木のことである。 二つの異なる長編小説が交互に書かれている。今であれば当たり前のように小説の構成としてあるものだが、これが刊行された時には斬新なスタイルだったのか、文学界に激震が走ったようだ。 タイトルでもある「野生の棕櫚」と「オールド・メン」という二つの作品…

  • 『ウィンダム図書館の奇妙な事件』ジル・ペイトン・ウォルシュ|保健師探偵イモージェンが魅力的

    『ウィンダム図書館の奇妙な事件』ジル・ペイトン・ウォルシュ 猪俣美江子/訳 東京創元社[創元推理文庫] 2023.12.06読了 保健室の先生って、優しかったよなぁ。小学校でも中学校でもその記憶はある。私は保健室に入り浸る生徒ではなかったけれど、包容感のあるあの部屋と先生の雰囲気はどこでも同じなのだろうか。若くて綺麗な先生であれば男子生徒は甘えるだろうし、ある程度歳をとった方であっても、その独特の優しさには安心感を覚える。 この小説の主人公は、セント・アガサ・カレッジの学寮付き保健師イモージェン・クワイである。小中学校の保険の先生とは少し異なる立ち位置だが、やることは同じで、主な仕事は学生たち…

  • 『がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木一麻|結局、がんというのは何ものなの?

    『がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木一麻 宝島社[宝島社文庫] 2023.12.04読了 副題の一部になっている「寛解(かんかい)」の意味は、医学用語で「がんの症状が軽減したこと」である。つまり、完全寛解とは、がんが完全に消滅して検査値も正常を示す状態のことである。 (目次の次頁に記載) 岩木一麻さんのデビュー作にして第15回このミス受賞作である。ドラマ化もされていたみたいだけど、全然気付かなかった。久々の医療ミステリで存分に楽しめた。ただ、こういった「がん」を扱うなど生死に関わる医療がテーマとなると、身近で辛い思いをする人がいる場合に、どうしても心から楽しめない自分がいる。しかし小説なのだから…

  • 『結婚/毒 コペンハーゲン三部作』トーヴェ・ディトレウセン|情熱的なトーヴェの生き方こそ詩的だ

    『結婚/毒 コペンハーゲン三部作』トーヴェ・ディトレウセン 批谷(ひたに)玲子/訳 ★ みすず書房 2023.12.02読了 デンマークの作家といえば、アンデルセンがぱっと思い浮かぶ。というか、他に誰がいるだろう?首をひねっても出てこない。このトーヴェ・ディトレウセンという作家は日本ではほとんど知られていないと思うが、デンマークでは国民的作家であるらしい。挑発的で、そしてなんともカッコいい姿で煙草をくわえるこの表紙の方こそ、トーヴェ本人だ。詩人・小説家である彼女が残した自伝的小説『子ども時代』『青春時代』『結婚/毒』の三部作を、一冊にまとめあげたのが本書である。 『子ども時代』 儚げでもろい、…

  • 『田舎教師』田山花袋|退屈なのに名作

    『田舎教師』田山花袋 新潮社[新潮文庫] 2023.11.28読了 田山花袋といえば『布団』である。布団の匂いを嗅ぐ中年男性の姿がよく取り上げられており、花袋の名前だけは知っている方は多いだろう。実は私も名前を知っていただけで、花袋の作品を読むのは初めてだ。この『田舎教師』も『布団』同様に花袋作品の中で代表作である。 タイトルの『田舎教師』からは、先生と生徒の触れ合いや子供と自身の成長が書かれている物語かと想像していたが、全く異なっていた。もちろん小学校での出来事も随所には書かれているが、ほんの僅かだ。それよりもメインとなるのは、1人の青年の心の機微のありのままの姿、捉えどころのないただのなん…

  • 『夢みる宝石』シオドア・スタージョン|切なく儚い幻想的な世界

    『夢みる宝石』シオドア・スタージョン 川野太郎/訳 筑摩書房[ちくま文庫] 2023.11.25読了 この作品はスタージョンの最初の長編小説で1950年に刊行された。もともと早川書房から邦訳されていたが、この度新訳としてちくま文庫から刊行されたものである。スタージョンの作品は過去に河出文庫から出ている『輝く断片』を読んだことがあるのに、ほとんど覚えていない。もしかしたら途中で断念してしまったのか。 虐待を受けていた孤児のホーティーが家を飛び出し、新たに出逢った人たちとの交流を通して成長していく物語である。超常現象的な要素もある。SF作家として知られているスタージョンだが、この小説はファンタジー…

  • 『スモールワールズ』一穂ミチ|『世にも奇妙な物語』のようなドラマにぴったり

    『スモールワールズ』一穂ミチ 講談社[講談社文庫] 2023.11.24読了 一穂ミチさんの作品は直木賞候補や本屋大賞候補にもなったから、気になっていた作家さんの1人だ。単行本と同じジャケットで、初版限定で特製しおりが挿入されていた(写真で本の上にあるもの)。最近、こういう半透明なしおりが好き。薄ければ薄いほど良い。 何気ない日常の中に潜む闇や残酷さが浮かび上がる。ディズニーランドの「イッツアスモールワールド」みたいなタイトルだから、あんな世界観なのかなと想像していたのだけど、良い意味で期待を裏切られる。「え!そうなっちゃうの」という展開に持っていかれる話が多く、ぞわっとする。 この本には6つ…

  • 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』川本直|真実と虚構の間を彷徨い、頭がぐらぐら。それが楽しい。

    『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』川本直 河出書房新社[河出文庫] 2023.11.23読了 いやはや、文庫になるの早すぎでしょ。単行本が出てから2年あまりで文庫化されている。読売文学賞を受賞しているからか。ともあれ単行本を買うかかなり悩んでいた私にとっては、河出文庫からこれが出たのは朗報だった。ナボコフ著『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』のオマージュなのかとか(読んでないけど)、いろんな意味で気になっていたのだ。 ジュリアン・バトラーという架空の作家のことを、同じく架空の作家アンソニー・アンダーソンが書いた回想録が『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』で、これを邦訳したのが川本直さんという…

  • 『ルポ路上生活』國友公司|太ったホームレスがいるんです

    『ルポ路上生活』國友公司 彩図社 2023.11.20読了 住む場所の近くに、散歩やジョギングが出来るような道があるかどうかは私にとって結構大きなポイントになる。できれば信号を渡る回数が少なく、なるべく見晴らしがいいコースが良い。そうでないと、家を出るのにおっくうになる。今の住居に移り住み、最初にコースの散策をした時(夜遅い時間)に、何も知らずに川沿い(ちょうど高架下)の奥の方を歩いたら、ホームレスの家(家というかテント)がたくさん並んでいるエリアに入った。何をされるわけでもないと思うが、夜間で照明もほとんどなく、暗くて静けさが不気味だったから少し怖い思いをした。 近隣の人であれば知っていただ…

  • 『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』ガブリエル・ゼヴィン|愛おしい友愛の物語

    『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』ガブリエル・ゼヴィン 池田真紀子/訳 ★ 早川書房 2023.11.19読了 私は今まで生きてきて、ゲームに関わった時間はほんの僅かしかない。小学生の頃に姉妹で一緒にゲームボーイを持っていたのと、友達の家でファミコンやプレステで多少遊んだりしたくらい。ゲーセンには5年に1度行けばいい方だし、話題の作品も名前しか知らない。 だからこの小説を読んでも楽しめるか自信がなかった。それでも、あまりにも評判が良いのと、本屋大賞翻訳部門を受賞作『書店主フィクリーのものがたり』(まだ読んでいない)を書いている方だったから手にしてみた。表紙に葛飾北斎の絵もあ…

  • 『神よ憐れみたまえ』小池真理子|百々子の数奇な運命はいかに

    『神よ憐れみたまえ』小池真理子 新潮社[新潮文庫] 2023.11.15読了 久しぶりに小池真理子さんの小説を読んだ。彼女の本は恋愛コテコテのものが多くてなんとなく遠のいていたのだけど、この本はどっぷりと物語世界に浸れるなかなか骨太の作品であった。表紙の雰囲気からはなまめかしさを感じるけれど。というか表紙と内容が合ってないような。 導入部から凄惨な夫婦の惨殺事件で幕を開ける。ミステリ、サスペンスのようでスリルあふれる展開に引き込まれていく。一夜にして両親を奪われた美貌の少女百々子の数奇な運命が綴られていく。お決まりの家政婦が登場するから、この「たづさん」が不穏な人物なのか、または「家政婦は見た…

  • 『ドラキュラ』ブラム・ストーカー|精神医学の見地から解き明かす

    『ドラキュラ』ブラム・ストーカー 唐戸信嘉/訳 ★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.11.12読了 ドラキュラって、ちゃんと原作を読んだことないよなぁ…。夜になると人間の血を吸う吸血鬼になること、黒いマントをたなびかせ牙を剥く姿、そしてディズニー映画や怪物くんのイメージしかないかも。そもそも、原作者のブラム・ストーカーの名も初めて知った。 ロンドンのある屋敷の不動産手続きをするために、弁護士ジョナサン・ハーカーは、トランシルヴァニアの城に住むドラキュラ伯爵を訪れる。そこでハーカーは幽閉されてしまう。恐ろしい体験をしたハーカーはどうなるのか。ドラキュラはロンドンに居を移し、壮大な目的のた…

  • 『サキの忘れ物』津村記久子|本は「おもしろい」とか「つまらない」だけではない

    『サキの忘れ物』津村記久子 新潮社[新潮文庫] 2023.11.7読了 サキという人が忘れた物のことではない。O・ヘンリーと並んで短編の名手とも言われている「サキ」という海外小説家の本が喫茶店に忘れられていた。私はサキの作品はまだ読んだことがない。 小説家からすると、小説を全く読まない人の視点にたった話はさぞや難しいんじゃないかと思ったんだけど、もしかしたら本を読むきっかけとなった体験も含まれているのかな。 その話を読んでいて、千春は、声を出して笑ったわけでも、つまらないと本を投げ出したわけでもなかった。ただ、様子を想像していたいと思い、続けて読んでいたいと思った。本は、千春が予想していたよう…

  • 『亡霊の地』陳思宏|思考すればするほど安楽から遠のく

    『亡霊の地』陳思宏(ちんしこう) 三須祐介/訳 早川書房 2023.11.5読了 最近台湾関連の作品は数多い。台湾人が書いたものもあれば日本人が書いたものも多い。どれもがゆるやかで優しいイメージがつきまとう。どこか馴染みのある、妙に落ち着く印象を持つのは、かつて日本統治時代があった歴史故であろうか?台湾という土地がもたらすイメージだろうか? 台湾の2大文学賞を受賞したこの作品は、あらすじだけを読むとかなりおもしろそうで、でもAmazonや読メのレビュー数は極端に少ないから不思議だった。外国文学の中でも中国や台湾の作品になると漢字が多いからとっつきにくいのもあるだろう。 同性愛者の陳天宏(チェン…

  • 『心淋し川』西條奈加|淋しさは人間独特の感情で、良いじゃないか

    『心淋し川(うらさびしがわ)』西條奈加 ★ 集英社[集英社文庫] 2023.11.2読了 第164回直木賞受賞作品である。文庫になってからなのでだいぶ遅くなってしまったが、心温まり気持ちが晴れやかになる充実した読書時間となった。連作短編は読みやすい反面しばし単調になりやすいのだが、この作品は江戸の情緒あふれる人間模様がしみじみと味わい深く、寂しいような悲しいような、だけどどこか優しさが残る作品群で、どれも良かった。 「誰の心にも淀みはある。時々を流しちまった方がよほど楽なのに、こんなふうに物寂しく溜め込んじまう。でも、それが、人ってもんでね」(44頁) 江戸の千駄木町の一角にある心町(うらまち…

  • 『運河の家 人殺し』ジョルジュ・シムノン|シムノン独特の文体でゾワリと怖気立つ

    『運河の家 人殺し』ジョルジュ・シムノン 森井良/訳 幻戯書房[ルリユール叢書] 2023.10.31読了 著者ジョルジュ・シムノンは、フランスの大作家である(国籍はベルギー)。ハヤカワ文庫で「メグレ警視」シリーズが新訳で復刊されているのを見て、恥ずかしながら最近になって知った。有名なのはそのメグレ警視のシリーズもの(なんと全50巻まであるらしい!)だが、これはシムノン初期の中編2作が収められた本である。 『運河の家』 怖かった。暗く不穏な気配がひたすら漂っていた。何だろう、この感じ。日本でいういわゆる「イヤミス」ではなく、ホラー感がより強い。両親を亡くしたエドメは叔父の家に住むことになるが、…

  • 『コスモポリタンズ』サマセット・モーム|毎日寝る前に1作づつ読みたい

    『コスモポリタンズ』サマセット・モーム 龍口直太郎/訳 筑摩書房[ちくま文庫] 2023.10.29読了 アメリカの月刊雑誌『コスモポリタン』に1924年から1929年にかけて掲載された短編をまとめたものである。序文のなかでモームは「ただこれらの物語を面白いと感じてくれること以外には何ひとつ読者に要求していない」と述べている。モームは生涯の全ての作品にこの意志を貫いていると思う。 特に気に入ったのは次の2作である。 『弁護士メイヒュー』 弁護士として働いていたメイヒューがイタリアから帰ってきたばかりの友達からカリブ島にある見晴らしの良い家の話を聞き、職を捨てその地で暮らすことになる話だ。彼の生…

  • 『惑う星』リチャード・パワーズ|人間以外の生き物が何を感じているか

    『惑う星』リチャード・パワーズ 木原善彦/訳 新潮社 2023.10.26読了 一瞬、星が惑うとはどういうことだろうと考えてしまう。タイトルは「惑星」のことだが、「惑う星」とあるといささか戸惑う。地球を含めた恒星(一番近いのは太陽)のまわりにある天体にはどうして「惑星」という名前がついているんだろう? 宇宙生物学者シーオと、9歳になる息子ロビンをめぐる父子の物語である。母親を亡くし情緒不安定で心が弱ってしまったロビンは、学校で問題を起こしてしまう。向精神薬の治療はしたくないシーオは脳のデータに基いた訓練、神経フィードバック治療を始める。その過程の中でロビンはどうなっていくのかー。挿入される自然…

  • 『神秘』白石一文|自分を労わること、原因を突き止めること|記憶とは感覚による部分が大きい

    『神秘』上下 白石一文 毎日新聞出版[毎日文庫] 2023.10.24読了 読んだことがあるという予感があったが、それでもいいやと思い手に取った。再読も辞さないと思える白石一文さんの作品だから。特に私は昔の作品が好きである。とはいえ、この小説は2014年に刊行されたものだからそんなには古くないか。 癌に犯されて余命一年を宣告された54歳の菊池は、20年前に会話をした女性を探すために、住んでいた東京・神楽坂の地を離れ、兵庫・神戸へと移り住む。彼女は思いのままに人の病を治すことができる不思議な手を持っていたのだ。 余命ってどうなんだろう。自分がいつ死ぬかは神のみぞ知ることであって、仮に1年と余命宣…

  • 『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』瀬戸内寂聴|強烈な個性を発揮する人物らの生き様に惚れ惚れする

    『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』瀬戸内寂聴 ★ 岩波書店[岩波現代文庫] 2023.10.21読了 村山由佳さんの『風よあらしよ』を読んで、伊藤野枝さんの熱い人間性とその生き方に圧倒された。この作品は、故瀬戸内寂聴さんが94歳の時に、ご自身が「今も読んでもらいたい本をひとつあげよ」と問われたとしたら『階調は偽りなり』と合わせて真っ先にあげると述べている。 副題に「伊藤野枝と大杉栄」とつけられているが、続編の『階調は〜』とこの『美は乱調にあり』は対になっている。『美は~』にはあの有名な日陰茶屋事件までが書かれており、なんとなんと大杉栄は最後の4分の1位からしか登場しない。まだ二人のことは序盤…

  • 『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョセフ・ノックス|読んで自分がどう感じるか、それがすべて

    『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョセフ・ノックス 池田真紀子/訳 新潮社[新潮文庫] 2023.10.17読了 被害者も関係者も、作者自身すら信用できない。語りを中心に構成される文章(メールやSNSもある)、そして挿入される作中作。私の苦手なものが満載であんまり読む気が起きなかったのだが、、間を空けてしまうと積ん読まっしぐらな予感がするので、分厚いけど意を決して読み始めた。 マンチェスターの女子学生ゾーイ・ノーランが6年前に失踪したまま未解決事件となっていた。これをイヴリン・ミッチェルという作家が関係者に取材し、その結果をインタビューという形式のノンフィクションにまとめた書籍が『トゥルー・…

  • 『柴田元幸翻訳叢書 ブリティッシュ&アイリッシュ・マスターピース』|怪奇小説よりの粒揃いの名作短編

    『柴田元幸翻訳叢書 ブリティッシュ&アイリッシュ・マスターピース』柴田元幸/編訳 スイッチ・パブリッシング 2023.10.14読了 愛でたくなるような美しい本だ。柴田元幸さんが厳選し自ら訳した英文学の短編傑作が12作収められている。この叢書シリーズには、姉妹編として『アメリカン・マスターピース古典編』という本があるようだ。 ひとつめのジョナサン・スウィフト著『アイルランド貧民の子が両親や国の重荷となるを防ぎ、公共の益となるためのささやかな提案』という短編にまず驚いた。まぁ、そもそもタイトルがやたらと長い。で、中身はというと、一歳になる子供を食用にするという、なんたる提言かよ…。しかし読み進め…

  • 『鵼の碑』京極夏彦|蘊蓄たらたらがこのシリーズの醍醐味

    『鵼の碑(ぬえのいしぶみ)』京極夏彦 講談社[講談社ノベルス] 2023.10.11読了 本が好きなら大抵の人が一度はハマったことがあるだろう京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズ。中禅寺、榎津、関口、木場など懐かしの登場人物たちが勢揃い。ベストセラーを生み出した作家のほとんどは、何年も経つと筆が衰えてしまう。そんなの読者の勝手な期待であって本人からすると余計なお世話だろうけど、偉大な作家であればあるほど期待が高まってしまうのだ。 それでも、この作品は変わることなくおもしろかったのである。もう、まずは17年ぶりに刊行してくれたというただそれだけで満足している読者がほとんどであろう。相変わらず荒唐無稽で…

  • 『マルナータ 不幸を呼ぶ子』ベアトリーチェ・サルヴィオーニ|読んでいる間守られている感がある

    『マルナータ 不幸を呼ぶ子』ベアトリーチェ・サルヴィオーニ 関口英子/訳 河出書房新社 2023.10.8読了 小中学生の頃、学年に2〜3人は悪ガキ男子がいた。どうしてか決まって彼らは見た目も良いことが多くて人気があった。そして女子も同じ。周りの友達よりも抜きん出て悪そうで、突っ張っているけどなんかカッコよくて、私もどこかで憧れるような気持ちを持っていた。そういう子達と付き合うのはあんまり良くないと大人たちは思っていたけれど。 小説の語り手である12歳のフランチェスカはお嬢様のように、品行方正に育てられていた。しかしフランチェスカは過去の弟の死に対する自分の想いに罪悪感を持っていた。近所に住む…

  • 『沙林 偽りの王国』帚木蓬生|科学者集団「オウム真理教」が目指したものとは

    「沙林 偽りの王国』上下 帚木蓬生 新潮社[新潮文庫] 2023.10.5読了 弁が立つ人、屁理屈を捏ねる人のことを「あぁ言えば、上祐」という言葉で揶揄するのが当時流行っていた。オウム真理教元教団幹部・上祐史浩(じょうゆうふみひろ)のあの嘘八百に、饒舌なトークと堪能な英語力に、日本中が翻弄された。上祐史浩はテレビ番組に引っ張りだこでタレント然としていた記憶がある。 自分が今まで生きてきた中で、最も印象深く忘れられない事件の一つがオウム真理教による地下鉄サリン事件である。当時はまだ中高生だったが強烈だった。オウム真理教による一連の事件、宗教観、そして教祖松本智津夫については、多くの関連文章が出さ…

  • 『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』リチャード・オスマン|エンタメ感増し増しの作品に

    『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』リチャード・オスマン 羽田詩津子/訳 早川書房[ハヤカワポケットミステリー] 2023.10.1読了 シリーズ3作めとなる。年1くらいで自分の好きな海外シリーズがコンスタントに翻訳されて読めることは本当に嬉しい限りだ。このシリーズに限らないけれど、作者と同時代に生きてリアルタイムで読めるのは素晴らしいこと。 今回の殺人クラブが調査対象にしたのは、人気報道番組で10年ほど前にサブキャスターを務めていたペサニー・ウェイツ殺人事件だ。ある詐欺事件を調べていた最中に彼女は車ごと海に転落し、遺体は上がっていないままの未解決事件である。この事件だけでなく、同時進行でエリザベス…

  • 『緋文字』ナサニエル・ホーソーン|胸に刻まれた緋文字の正体

    『緋文字』ナサニエル・ホーソーン 小川高義/訳 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.9.28読了 母国では学校の課題図書として読まれるほど、アメリカ文学史のなかでは定番であり名作と言われている。刻まれた文字、過ちを償う、キリスト教などの言葉が並び、ちょっととっつきにくいイメージがあってまだ読めていなかったのだが、名翻訳家小川高義さんの訳が光文社から刊行されていたので読んでみた。ようやく読めたという安堵感。 そもそも『緋文字』が「ひもんじ」と読むのか「ひもじ」なのかわかっていなかった。どうやらこの本は「ひもんじ」が正解というか、出版物には読み方を確定しなくてはならないから、光文社古典新訳文庫…

  • 『百年の子』古内一絵|小学館の矜持

    『百年の子』古内一絵 小学館 2023.9.25読了 この本の出版元である小学館を舞台にした100年に渡る大河小説である。書き下ろし作品だしなんとなく小学館なんだろうなという予想はしていが、猫型ロボットに触れられている箇所で「あぁ、やっぱり小学館だ!」となる。しかしドラさんというよりも、この作品は『小学一年生』などの学年誌を扱う編集部が舞台だ。そういえば確かに学年別になってるそんな雑誌あったよな~と思い出した。紙の本や雑誌やらは減る一方、どうやら小学校一年生の雑誌だけは今も残っているらしい。 明日花(あすか)は若い女性をターゲットにしたファッション誌「ブリリアント」の編集部にいたが、「学年誌創…

  • 『琥珀の夏』辻村深月|大人の理想と子どもの期待

    『琥珀の夏』辻村深月 文藝春秋[文春文庫] 2023.9.24読了 子どもの頃は自分の周りだけが世界の全てだ。小学生のほとんどは、家族と学校だけでそれ以外の世界は知らない。その小さな世界で自分がどう思われているか、一人ぼっちになったら、嫌われたら、親から愛を感じなかったら。そんな不安を誰しもが抱える。しかもその想いをうまく言葉に出来ないから誰かに伝えることもできない。そんな痛いほどの気持ちを辻村さんは繊細かつ深く書く。彼女は私とほぼ同世代なのに、どうしてこんなにも子どもの頃の気持ちがわかるんだろう。 自己啓発セミナー、はてはカルト宗教団体のような〈ミライの学校〉という学び舎で起きた子どもたちの…

  • 『フリアとシナリオライター』マリオ・バルガス=リョサ|大人が青春を懐かしみながら読むコメディタッチの物語

    『フリアとシナリオライター』マリオ・バルガス=リョサ 野谷文昭/訳 ★ 河出書房新社[河出文庫] 2023.9.21読了 これがリョサの作品だとは思えないほどポップな青春ものだった。どうやら半自伝的小説とのことで、主人公の名もマリオ(リョサ自身)そのもの。フリアというのは義理の叔母であり恋に落ちた相手。そしてもう1人、ペドロ・ガマーチョという名うてのラジオ作家がいる。 はじめは、マリオのパートと、もう一つ別の人物の物語が同時進行となり交互に描かれているのかと思っていた。しかし、章の終わりも不思議な感じで何かがおかしい。実は〈もう一つの〉というのは、ペドロが創作したシナリオ、つまりラジオ劇場なの…

  • 『未見坂』堀江敏幸|心が和みある種の懐かしさを感じる

    『未見坂』堀江敏幸 新潮社[新潮文庫] 2023.9.18読了 ふとした時に読みたくなる作家の一人が堀江敏幸さんである。心が落ち着く時間、それだけをただ欲して堀江さんの奏でる小説世界に足を踏み入れる。 この本は『雪沼とその周辺』に連なる連作短編集であり、ある架空の土地に住む人々の他愛もない日々の営みが書かれている。『雪沼と〜』といえば私が堀江さんの作品に触れるきっかけとなった本であり、かつ彼の作品群の中で一番好きな小説である。 表題作を含めて9つの短編が収められている。どの作品もほっと心が和み、ある種の懐かしさを感じる。『苦い手』では45歳になる太っちょで不器用な肥田さん(名前も体格を表してい…

  • 『グレート・サークル』マギー・シプステッド|壮大な愛の物語

    『グレート・サークル』マギー・シプステッド 北田絵里子/訳 ★ 早川書房 2023.9.16読了 飯嶋和一さんの作品に、江戸時代に初めて飛行機を飛ばした人を描いた『始祖鳥記』という小説がある。大空を自由のまま鳥のように飛びまわりたいという願い。この『グレート・サークル』を読む前にその作品が頭に思い浮かんだ。あぁ、これは同じように空を飛ぶことに魅入られた人の話だろうなと。 タイトルからして壮大な世界が思い浮かぶ。800頁超えの単行本で鈍器本に近いと言っても差し支えないほど。ブッカー賞候補作とのことで期待をしていたが、それに違わずこの物語世界に、マリアンらの生き方に虜になる。 1950年、1人の女…

  • 『失われたものたちの本』ジョン・コナリー|子どもの心に戻り夢中になれるファンタジー

    『失われたものたちの本』ジョン・コナリー 田内志文/訳 ★★ 東京創元社[創元推理文庫] 2023.9.10読了 プラスチックゴミ削減のために、スーパーやコンビニのビニール袋が有料になってから結構経つが、最近は削減のためというよりも、節約しようという思いが先にきて本来の目的を忘れている。まぁ、それでも結果削減になれば良いという国の思惑は間違っていない。でも、便乗して紙袋や割り箸、スプーンなんかも有料になっているのはなんだかなぁと思う。 この前、5,000円以上購入すれば紙袋が無料で貰えるという書店にいた。あと300円ほどだったので「どうせならあと1冊何か買うか」とレジの近くにあったこの本(宮崎…

  • 『湖の女たち』吉田修一|異質だと思っていたものがそうではなくなる

    『湖の女たち』吉田修一 新潮社[新潮文庫] 2023.9.5読了 吉田修一さんの小説を読むのは久しぶりだったけれど、やはり文章もストーリーも淀みなく上手いなぁという印象だ。作品としては『悪人』や『怒り』には到底及ばないがさすがの筆致で読ませるものがある。 介護療養施設「もみじ園」で100歳の寝たきりの男性が亡くなった。人工呼吸器停止による不審死事件である。一体誰が何のために。施設に勤める豊田佳代と、事件を追う刑事濱中圭介をメインにして現代社会がはらむ様々な問題を提起していく。 佳代の年齢や顔かたちが何故か全く想像できなかった。一見真面目でおとなしそうな人物描写だったのに、佳代の変貌に驚く。圭介…

  • 『八月の御所グラウンド』万城目学|青春香る成長譚、大人にこそ読んでほしい

    『八月の御所グラウンド』万城目学 文藝春秋 2023.9.3読了 まだまだ猛暑が続いているから9月に入ったとは到底思えない。今日は台風の影響で関東地方は比較的ひんやりとしている。本当は8月中に読もうとしていたのにうっかりしていた。万城目さん自身もきっと8月に合わせて刊行したんだろうに。 京都を舞台にした青春スポ根小説なのかなと思っていたが、スポーツ根性!とまでは言えない。どちらかというと、青春香る成長譚だ。表題作の中編小説ともう一つ『十二月の都大路上下ル(カケル)』という、女子高校生の駅伝の物語が収められている。主人公坂東(さかとう)の方向音痴ぶりがおもしろく、またある歴史上の人物が出てきて「…

  • 『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ|騙された!を味わいたかった

    『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ 平岡敦/訳 集英社[集英社文庫] 2023.9.1読了 クリスティーへの挑戦作なんて帯に書かれていたら、クリスティー好き、英国ミステリ好きとしては放っておけなくなる(これはフランス人作家の作品だけれど)。表紙のイラストも気になり手に取ってみた。 私はポール・ゴーギャンの絵画が大好きだ。ゴッホよりも好き。晩年タヒチに移り住んだ彼の描くその土地のふくよかな女性を描いた絵画を観ていると、なんとも言えない哀愁と朗らかさに包まれる。そして情熱が半端ない。この作品の舞台がその南国タヒチの島である。 フランスのベストセラー作家が、島の創作アトリエに募った作家志望の5人の参…

  • 『魯肉飯のさえずり』温又柔|心が繋がっていれば、言葉が通じなくてもわかりあえる

    『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』温又柔(おん・ゆうじゅう) 中央公論新社[中公文庫] 2023.8.29読了 あれ、魯肉飯って「ルーロンハン」って読むんじゃなかったかな。日本には台湾料理店も多く魯肉飯は結構浸透していてルーロンハンで通ってる。「ロバプン」と振ってあるけど、これは台湾読みなのか?いや、「ロバプン」が漢字をそのまま読んだ日本語読みで母国の読み方が「ルーロンハン」だろうか?そして、鳥じゃないのにご飯が「さえずる」って?タイトルを見てあれこれ思っちゃう。 台湾人の母親と日本人の父を親に持つ桃嘉(ももか)と、台湾で出逢った日本人と結婚して日本に住む台湾人の母雪穂(ゆきほ)の視点が交互にな…

  • 『高熱隧道』吉村昭|自然の脅威、人間との確執

    『高熱隧道』吉村昭 新潮社[新潮文庫] 2023.7.27読了 数年前に黒部・立山アルペンルートを含めて富山を旅行した。黒部ダムの勢いよく放出される水に圧倒された。なかでも、立山の景色の素晴らしさが本当に忘れがたく、なんなら日本で観光した景色で一番といってもいいくらい感動した。 この作品は、黒部第三発電所建設工事第三工区、水路・軌道トンネルの掘削を描いた事実に基づく記録文学である。旅路で通ったあのトンネルの掘削はこんなにも過酷で苦しいものだったなんて思わなかった。 工事進捗途中に、これまでの掘削経過を祝い、また今後の無事故を祈って岩盤に清酒ニ升を注いだが、たちまち音を立てて水蒸気に化してしまっ…

  • 『ゴリオ爺さん』オノレ・ド・バルザック|すべてが真実なのである

    『ゴリオ爺さん』オノレ・ド・バルザック 中村佳子/訳 ★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.6.24読了 実は過去にこの作品を読んだとき、断念した経験がある。海外文学にまだ心酔していなく、訳された文章にまだ慣れていなかったこともあるかもしれない。確か100頁に満たないうちに投げ出したのだ。でも、去年『ラブイユーズ』を読んで、バルザックの才能とおもしろさに飛びあがりそうになるほど驚いた。 訳者の中村佳子さんによると、光文社古典新訳文庫に新訳で刊行することが決まったとき、編集の方から「序盤の読みにくい部分をわかりやすくしてほしい」と注文があったそう。難題だと思った中村さんだが、この冒頭こそが…

  • 『新古事記』村田喜代子|戦争が行われていると同時に平和な場所もある

    『新古事記』村田喜代子 講談社 2023.8.20読了 どうして『新古事記』なんだろう。『古事記』と関係があるのかしら。書店で気になり何気なく頁をパラパラすると、太平洋戦争の頃の話らしい。『古事記』とどう関わっているのか。最近『古事記転生』なる本がベストセラーになっているし、ちょっと気になるから読んでみるか。 日系三世のアデラは、付き合っているベンジャミンから遠い土地に行くことになったと告げられる。アデラもその地に一緒に行くことになるが、ベンジャミンら科学者たちの仕事は秘密裏で、親に住所すら告げられない。 サーシャお祖母さん(アデラの祖母)の日記に、日本の文字はおもしろいと書かれている。象形文…

  • 『野性の探偵たち』ロベルト・ボラーニョ|一つの作品で自分の思考が逆転するというなんとも稀有な読書体験

    『野性の探偵たち』上下 ロベルト・ボラーニョ 楢原孝政・松本健二/訳 白水社[エクス・リブリス] 2023.8.19読了 はらわたリアリズムってなんのことだろう?内臓現実主義?どうやらこの小説のポイントになるのがはらわたリアリスト=前衛詩人のことである。予想はしていたけれど、最初から難解だ。それでも、じっくり、じわりじわりと読み進めていった。 最初の章「メキシコに消えたメキシコ人たち」は、フアン・ガルシアという若者の日記になっている。詩と文学とセックスのオンパレードで、ちょっと戸惑い気味。 偶然だと!偶然など何の役にも立たん。肝心なことは何もかもすでに書かれている。それをギリシア人どもは運命と…

  • 『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎|猫に翻弄される人間たち

    『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎 新潮社[新潮文庫] 2023.8.13読了 昭和8年に『春琴抄』を書いた谷崎潤一郎さんは翌年にこの短編を刊行した。文庫本で150頁にも満たないこの小説はさらりと読み終えられるので、谷崎文学をこれから読もうとしている人にもおすすめだ。 飼い猫を前妻に譲ってしまうか否か。猫を人間よりも大事にする庄造のせいで、女たち(現在の妻の福子と前妻の品子)が猫に嫉妬している。そんな内輪揉めのような、ある意味どうでもいいような話なのだが、これが谷崎さんにかかると、人間の関係性を非常に上手く捉えた作品が出来上がる。 この作品では、猫、庄造、福子、品子の4人(厳密には1匹と3人…

  • 『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』川上未映子|母娘の関係性、身体の生理現象

    『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』川上未映子 筑摩書房[ちくま文庫] 2023.8.8読了 挑発的なタイトルと表紙である。この本は「詩集」とジャンル分けされている。頁をめくると確かに詩に見えるものもあるが、短編のようにも感じられる。『乳と卵』で芥川賞を受賞した翌年に刊行された本で、表題作を含めた7つの作品が収められている。 表題作『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』は、中原中也賞(詩の賞にはあまり詳しくないけれど…)を受賞された。圧倒的な迫り来る濡れた文体が脳髄を刺激する。女子の先端とはつまり挿入されうる先端であり充血し膨らむところ。一見卑猥なのに、川上未映子さんにかかると文学的…

  • 『レイチェル』ダフネ・デュ・モーリア|愛する相手への疑惑を抱え続ける

    『レイチェル』ダフネ・デュ・モーリア 務台夏子/訳 東京創元社[創元推理文庫] 2023.8.7読了 大好物の19世紀のイギリスを舞台としたゴシックロマンスミステリーである。刊行当時も絶大なる人気を誇ったダフネ・デュ・モーリア。私は過去に『レベッカ』を読んだことがあるが、実はそんなに覚えておらず、これを読んで再読しようと思った。 コーンウォール州を舞台とした作品には既読感があり、カズオ・イシグロ著『日の名残り』を初め多くの小説に登場する。荒涼たる陰鬱な風景はまさしくこのサスペンスにぴったり。古いけど、日本のドラマでいえば「火曜サスペンス劇場」に出てくるようなおどろおどろしい雰囲気だろうか。もし…

  • 『見ること』ジョゼ・サラマーゴ|白票の意味するところは|賢明な言葉による豊穣さに心躍る

    『見ること』ジョゼ・サラマーゴ 雨沢泰/訳 ★ 河出書房新社 2023.8.5読了 敬愛する作家の一人、ジョゼ・サラマーゴさんの小説が河出書房から新刊で刊行された。2004年に刊行された本書は、著者晩年81歳の時の作品で『白の闇』と対をなす物語となっている。 投票率は高いのに、白紙表が85%という驚異的な数字となってしまった。投票しないのではない。わざわざ足を運んで投票しに行ったのに、何も記入せずに票を投じるのだ。日本では白紙投票は無効になるが、どうやらこの国では有効となるらしい。この国の市民は、政治について、社会制度についてどう考えているのか。 おもしろいのが「白紙投票」のせいで、「白」とい…

  • 『武蔵野夫人』大岡昇平|武蔵野の雄大な自然と、登場人物の絶妙な心情の変化を読み解く

    『武蔵野夫人』大岡昇平 新潮社[新潮文庫] 2023.8.2読了 武蔵野の雄大な風景が鮮やかに浮かび上がる。武蔵野とは、明確な定義はないものの、多摩川と荒川、埼玉を流れる入間川に囲まれ、東京と埼玉にまたがっている台地(日本地名研究所事務局長・菊地恒雄さんより)のことをいうらしい。地名でいえば武蔵小金井、国分寺、立川、青梅などが思い浮かぶ。 武蔵野の中で富士山の見える高台「はけ」に住む秋山忠雄・道子と、大野英治・富子の二組の夫婦がいた。そこに、道子の従弟で学徒招集でビルマに赴いていた勉は、生まれ育った地「はけ」に帰ってきた。道子らの家で暮らしながら富子の娘に英語を教えていたが、いつしか道子と勉は…

  • 『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子|完成された物語性

    『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子 新潮社 2023.7.31読了 胸のドン突きにあるもの。胸の奥深くの突き当たりにあって自分の意志じゃどうにもならないもの。これに反する気持ちを抱こうとしても、何かが喉に引っかかったような、もどかしい気持ちになりすっきりしない。だから、胸のドン突きにしっくりくる生業に辿り着きたいと、木戸芸者の一八(いっぱち)は思うのだった。 2年前に木挽町で起きたあだ討ち事件について、ある人物が聞き取りをし何人かの証言を取る。仇討ちの真意は何だったのか。大柄な博徒作兵衛は何故あのように決闘に敗れたのか。そして、作兵衛の首を取り、その後闇に姿を消した菊之助とは一体何者なのかー。 一…

  • 『灯台』P・D・ジェイムズ|孤島のミステリー、ダルグリッシュのロマンスもあり

    『灯台』P・D・ジェイムズ 青木久惠/訳 早川書房[ハヤカワ・ポケット・ミステリ] 2023.7.30読了 今年に入って初めて、久しぶりのジェイムズ作品。この作品は、2005年に彼女がなんと85歳の時に刊行された小説だ。筆の衰えを全く感じさせない、濃密なミステリーで存分に満足できた。 イギリス・コーンウォール沖のカム島という架空の孤島が舞台である。ここには住人もわずか、招かれる人もVIPな限られた人たちだけ。周囲を海に囲まれたこの島である人物が不穏な死を遂げる。タイトルにもなっている灯台で何が起きたのか、誰がこの事件に関わってくるのかー。 ダルグリッシュ警視や、相棒であるケイト・ミスキン警部、…

  • 『ミチクサ先生』伊集院静|遠回りになろうとも、多くの経験は無駄にはならない

    『ミチクサ先生』上下 伊集院静 講談社[講談社文庫] 2023.7.26読了 ミチクサ先生とは、国民的作家夏目漱石のこと。幼少期から、生家と養家を往来し、学校を何度も変わり、ミチクサをしてきた。ミチクサは、大人になってからも続いた。 勉学も生きることも、いかに早くてっぺんに登るかなんてどうでもいいことさ。いろんなところから登って、滑り落ちるものもいれば、転んでしまうのもいる。山に登るのはどこから登ってもいいのさ。むしろ絡んだり、汗を掻き掻き半ベソくらいした方が、同じてっぺんに立っても、見える風景は格別なんだ。ミチクサはおおいにすべしさ。(下巻396頁) 5〜6年ほど前に、東京・新宿にある「漱石…

  • 『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ|お洒落で都会的、ポップなアメリカ文学

    『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 村上春樹/訳 新潮社[新潮文庫] 2023.7.23読了 ポップで爽快感のあるアメリカ文学を読みたくなった。村上春樹さんが訳したものを欲していたという理由もある。新潮文庫の100冊とか、今回のようなプレミアムカバーに選ばれる本の常連の『ティファニーで朝食を』を読むのは2回目だ。やっぱり名作であることに疑いはない。 こんな風変わりで西部劇的な出だしだったっけ?もう、とにかく良い。語り手の「僕」は、かつて同じアパートに住んでいたある人物が、アフリカでホリー・ゴライトリーに生き写しの彫像を見つけたという話をバーで聞く。ここから、かつてニューヨークに出て…

  • 『それは誠』乗代雄介|青春まっさかり、バカバカしい笑いがたまらんのよね

    『それは誠』乗代雄介 文藝春秋 2023.7.22読了 私は関東地方に住んでいるので、中学生のときは京都、高校生の時は北海道が修学旅行先だった。札幌も楽しかったけど圧倒的に記憶に残っているのは中学生の時の京都旅行だ。今でも連絡を取り合う仲の良い友達と一緒だったこともあるし、旅行から帰ってからは「手作りのアルバムを作成する」という課題があったから、なおのこと印象に残っている。大人になってから自由に行ける旅行はもちろん楽しいが、子供の頃に行く旅は一大イベントだ。 この小説は、高校3年生の佐田誠が体験した東京への修学旅行についての物語。男女7人の班で、男の子4人だけで別行動をする冒険譚である。その別…

  • 『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ|心の声を聴くこと

    『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ 中央公論新社[中公文庫] 2023.7.20読了 2021年の本屋大賞受賞作。気になりつつも読めていなかったが、文庫化されてさっそく手に取った。クジラの形をした栞がかわいい。「感動した」とか「泣きながら読んだ」と絶賛されているけれど、読む前は大袈裟だな~と思っていた。 そんな想いは杞憂に終わる。読み終えた今、心を揺さぶられ、とてもあたたかい気持ちになれる良作だと感じた。書店員が選ぶ本屋大賞、つまり作家や批評家などのプロが選ぶのではない、本が好きな一般大衆が選ぶというのがうなずける。圧倒的に読みやすく共感できるのだ。ちなみに、文庫本カバーの裏にスピンオフ作品…

  • 『ローラ・フェイとの最後の会話』トマス・H・クック|父親と息子の確執、記憶のたぐり寄せ

    『ローラ・フェイとの最後の会話』トマス・H・クック 村松潔/訳 早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫] 2023.7.19読了 語り手のルークは、自身とその家族を悲しみの底に突き落とす原因となったローラ・フェイと再会しお酒を飲み交わすことになった。事件が起こってから20年後、しがない学者になったルークだったが、彼女と話をしていくうちに、悲劇を生んだかつての謎が雪解けのように明かされていく。過去の出来事と心情がフラッシュバックする巧みな構成に読み手は翻弄される。 以前読んだ『緋色の記憶』同様に、記憶をたぐるミステリーでぞくぞく感がたまらなかった。誰が事件を引き起こしたか、誰が真犯人なのか、という謎解…

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