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ちょっと台湾で暮らしてみる https://changgang0816.hatenablog.com/

半年間、台湾師範大学に留学したシニア。帰国後も、ときどき台湾で暮らしています。 台湾留学、台北情報、中国語、台湾人、外国人や日本人留学生との交流を書いていきます。

三國爺爺
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2020/01/28

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  • 民権路(大正橋通) 番外編

    大同国小 1898年に、日本人児童のみを対象とする台中小学校が日本政府によってこの地に設立され、台湾人児童と区別して教育が行われていた。 1919年に台中第一尋常高等小学校と改称、 1932年に再び明治尋常高等小学校と改称された。 現在は大同国民小学となっている。 写真は、1919~1933年の間の台中第一小学校の正門である。 1923年に裕仁親王(後の昭和天皇)が訪れ、その後に明治小学校と名前を変えている。ちょうどマンツーマン授業を受けている老師の母校であり、話が聞けた。参観時間は限られており、土、日曜日には昼間も校内を見て回る事ができる。美術に力を入れており、一棟ごと「美術楼」のように使わ…

  • 大正橋通(民権路→台中路)

    2025/02/21(星期五)小説「台湾漫遊鉄道のふたり」、ラストで日本人作家が歩いた大正橋通(民権路)を歩く。 林之助紀念館 林之助紀念館は昔の台中教育大学の南(川端町)にあり、日本人作家が住んでいた「柳川の家」のモデル? 家の前を柳川が流れている 民権柳橋(平和橋) 大正橋通りは現在の民権路である。 日本統治時代にこの通りを南北の境界線にして、町を命名した。 写真遠くは台中駅方向で、 右のドーム建築は台中市役所である。 民権緑橋を挟んで、柳川の整備度合いが違う 台中醫院 病院の前の歩道には、日本統治時代を含む写真が展示されている 台中州庁 1914年から1934年までの20年間で、4回の増…

  • 台中留学がスタート

    2025/02/20(木) 台中歴史散歩1日目。宿舎付き「台湾talk台中校」の短期留学は今回で3回目。朝6時に家を出て、午後3時半には学校に着いた。空港から台中直行の統聯バスは学校近くにも停まるので便利だ。荷物を部屋に運び入れ、まだ時間があるので直ぐに出かけた。 台中駅前広場の奥に広がる街並みは、とても台湾第二の都市の駅前とは思えないくらい雑然とした感がある。道路が何本も通っているが、ちょっと見ではどの道路か見分ける事は難しい。台中駅は交通の中心ではあるが、確実に開発から取り残されている。 それが良いんだけどね。 台中の旧城区(東、西、南、北、中区)はあちこちで建物の取り壊しが進んでいるが、…

  • 台中歴史散歩(橘町) メモ

    台中駅の旧駅舎(手前)は2016年に役目を終えた 台中市街地は、京都のように街並みが碁盤の目状になっているが、鉄道を挟んで、碁盤がずれているため隙間ができ、台中駅はその歪みにある せっかく造ったバスターミナルは数年で取り壊されたが、また新しいビルを造っているようだ。将来はMRT(捷運)藍線が乗り入れる 台中駅かろ建国路を過ぎ、緑川までが橘町。人通りが多く、雑然とした雰囲気になっており、人気の宮原眼科も緑川端にある。建国路以南には台中駅と駅前広場、そして台湾鉄道縦貫線(台中線)などがある。せっかく造ったバスターミナルビルはすぐに取り壊し、また造っているようだ。将来はMRT(捷運)藍線が乗り入れる…

  • 台中歴史散歩(緑川) メモ

    統治する側とされる側の友情はーー「台湾漫遊鉄道のふたり」(楊双子作、中央公論新社)の冒頭部分で、日本人作家と台湾人通訳が出遭った干城橋(現在の成功路)。日本帰国前に二人が別れたのが大正橋(民権緑橋)。二つの橋をつなぐ緑川は整備され、今も市民の散歩道だ。 緑川 台中市は日本統治時代に「小京都」と称されていた。それは、市内中心部を流れる緑川と柳川の両岸にしだれ柳が植えられ、まるで京都の鴨川、桂川のようだったからである。写真は、栄橋から新盛橋方面を眺める景色である。 干城橋通(成功路) 干城橋は緑川を跨ぐ、街灯の台座のない2連アーチ橋である。1907年に開設された第一市場に隣接している。1990年代…

  • 台中歴史散歩(大正町) 準備メモ

    台中城区歴史散歩(準備編②) 自由路(明治町→大正町→台中公園) 台中旧城区散歩のきっかけになった「綺譚花物語」 台中市の旧町名をネットで調べていたら、「カクヨム」の黒木夏兒(なつこ)さんのページに迷い込んだ。初めは「台中大正町」で検索したと思うが、いきなり「第6話 昭和台中市~大正町」が出てきて、内容がめちゃくちゃ詳しい。そして、黒木さんは「綺譚花物語」の訳者だと分かった! 結果、「綺譚花物語」を買ってしまった😅。 今回は漫画を交えながらGoogleマップで散歩する。 【明治町】(前回の記事) 台中刑務所(国家漫画博物館) 明治小学校(大同国小) 台中高女(台中女中) 幸女子公学校(跡地は居…

  • 台中歴史散歩(準備編)明治町

    1937年(昭和12年の台中市地図) 台中旧城区は台中駅を中心に碁盤の目状に、民権路を境に西側は官庁街、東側は商店街になっていた。台中駅右上の干城町周辺には陸軍の関連施設が集まっており、台中公園(台中神社もあった)は、街の外れ。明治町通(自由路)は大正町通に名前を変えて台中神社まで続く表参道だ。学校が集中しており、私にとっては通り過ぎるだけの街だった。台中の歴史を調べてみると、その学校群は日本統治時代から続く名門校ばかりで、当時の建物も一部残っている事が分かった。 国家漫画博物館 自由路に面した明治町は、外れである7丁目の旧刑務所関連施設が2023年12月に国家漫画博物館(東館側基地)としてオ…

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