私と怪物、一心同体。喰って、喰われて呑み込んで、吐き出して大きくなったり、小さくなったり支え合いながら、今日も この世をがんばって、生きています。
私と怪物、一心同体。喰って、喰われて呑み込んで、吐き出して大きくなったり、小さくなったり支え合いながら、今日も この世をがんばって、生きています。
ねんねの ミカちゃん まあるくなって、ほほえんで。 わたしと おんなじ ときの なかを きっと、夢 みてる。
4/12(土)に放送されたフジテレビの「カギダンススタジアム」むちゃくちゃ感動し、昨日3度目の視聴。 「カギダンススタジアム」は、高校ダンス部と芸能人がタッグを組んで挑むダンス大会。ダンスのかっ
昨日の夜11時くらいだろうか。窓の方をふと見たら、白熱灯みたいな色をした、大きなお月さまがいつもよりだいぶ下のほうに、ぽっかり、浮かんでた。 「あ!」と、 思わず、声がでる。 ほとんど
先日、NHKスペシャル「新ジャポニズム 第4集」を興味深く視聴。日本人建築家がデザインしたという中国の美術館が紹介されたときにちょこっとだけ映った、3匹の魚らしき生物の動きが、とてもユニークでおもしろかっ
こっちの曲は、最初ピアノ曲として作ったのだけれど、なんかイマイチだな〜と思い、そのまま放置すること8か月。 久しぶりに聞き直し、ピアノではなく、クラリネットと、ビブラフォンという楽器の音色に変えてみたらば、
こちら、新しく作った曲。とても気に入っております。10年以上前に描いた「ことりのじゃんけんマッチ」のイラストをタイトル画像に使用。 音質はちょっと悪いのだけれど、むしろ、そこがいいなと思う。ノイズの混じった
「祈る」という行為に、ある種のバツの悪さを感じるようになったのはいつからだろう。それは年々日々強まり、最近では苦痛すら、感じるようになってしまった。 自分でも、嫌になるほど、よくわかっているのだ
ある日見た、夢の話。 自宅の和室で、父が寝ている。「そろそろ夜空でも見ましょうか」母がそう言って、父を起こす。「ちゃんと柱につかまっててね」足元のおぼつかない父に、私は大きな声で言う。 天井は、ど
黒毛のチロ。もともとはノラちゃんだったので、正確な年齢はわからないけど、家猫にしてから16年は経ってるから、現在推定17才。高齢になり、一年前くらいから、人間でいうところの白髪のようなものが、チラホラと出てくるように
昭和レトロな、ステンドグラス風のイラストをイメージして描いたものが他にも4つほどありまして。 先日の水彩風と同じく、これもタッチサンプル用。いずれもずっと前に、とある仕事の案件に応募するために描
スキャンした水彩画の色味を、Photoshopを使って切り取り、貼り付けるという、デジタル的「貼り絵」の手法と仕上がり具合が気に入ったので、その表現の可能性を探るべく、もうちょっと追求してみようと思う。 そんなわけで、「パンドラの
ちょっと、水彩風のタッチサンプルが必要になったので、久しぶりにペンタブを使ってデジタルで制作してみた。「にじみ」や「ぼかし」はあまりなくて、版画やハンコっぽい雰囲気。手法的には「描く」というより、「切り取る」といった
あふれる、あふれる満面の、うふふ。たいせつなたいせつな、わたしの ミカちゃん。ここに、いるよ、いつだってずっと、ずっと。
終わらぬこの夏に、じっと手を合わせ、不条理に奪われた無数の命の、その無念を、ひとつでも多く、我が身に刻み込み、必ずや、必ず… と、ほかの誰でもない、自らの命にかけて、心から、誓う。 どんなにつ
YKKグループが提供している「世界の窓」という番組が好き。毎回必ず見ているわけではないけれど、その「5分」にタイミングよく遭遇するとおっ!と思って、ちょっとうれしい。(ちなみに、あの素敵なCMもその前後に
5月も終わりかけた、ある日の午後。家の近くで、「ぐわっぐわっぐわっ」と、普段は聞かない声がしたのでなんだ?と思い、窓の外を覗いてみたらば、向かいのお家の、そのまた隣りのお家の屋根の上になんだか、ずんぐりむ
家の近くにある遊水地が、巨大な温泉施設へと再開発される夢をみた。 いよいよ温泉が完成し、これから放流するというので、私は見学に来ている。温泉と言っても、そこに柱や屋根などは一切ない。今思えば、そ
いつからだろう。得体の知れぬ怪物に、私は夜な夜な、自らの肉を与えている。悲しみと苦しみ。ときには切ない愛しさで味付けしたそれは、一体 どんな味がするのか。 はじまりはきっと、シミのように小さかっ
混濁した意識の中で、ミカちゃんは苦しみ、じっと耐えていた。目もくぼみ、開かなくなって、まぶたは重く閉じたままなのに、少しは見えているのか、それとも気配を感じているのか、おもむろに突然すっくと立ちあがり、た
ミカちゃん。姿なき今なら、どこへだって、一緒に行けるよ。さあ、今日は どこへ行こうか。 近所の公園の いちばん大きな木で、木登りをしよう。ミカちゃんは、きっと絶対、木登りが得意に 違いない。バリ
解き放たれし、魂たちの詩(うた)
音楽のジャンルというものに詳しくないので、これを「ブギー」と称するのが正しいのかはよくわかりませんが、聞いているとスウィングしたくなるので、私にとってはこれは「ブギー」であります。 本当は動きをつけてアニメ
絵を描くとき、色をどう塗り重ねていくかでその仕上がりは随分と変わるものだけれど、音楽をつくるときも同じで、様々な音色やメロディ、リズムを、どう重ねていくかが重要なのだということに、最近ようやく気が付いた。
子守歌のような曲を作ってみようと思い、作ってみました。歌詞のない曲なのですが、詩を作ったので添えておきます。情景を想像しながら聞いてもらえたらうれしいです。 < 詩 > お星さま きら
数年前から、家の庭に黄色い野菊が自生している。何本か切り取り、白い摺りガラスの花瓶に入れて、洗面台の窓辺に置いた。 自然のままに育った茎は、太陽を求めて、うねるように伸び上り、その身につけているたくさんの花
なくしてなど、いない。見えないだけだ。 いつだって、そばにいる。私とともに、生きている。 疑うことなく、自信をもって、そう言い切ることができるのに、「肉体がない」という、たったひとつの
月に一度、父のお墓参りに行く。 今月の供花は、農協で買った三色の小菊。そこに、家の庭に生えてるローズマリーやナンテンの葉、ムラサキゴテンという宿根草を加えた。 連日続く酷暑のせいか、小
オリジナルキャラクター「たけちゃんろろちゃん」のテーマ曲を作ってみました。たけちゃんろろちゃんは、私が「ただゆめこ」として絵を描き始めたころによく描いていたキャラクター。大きなシイタケのたけちゃんと、小さ
最近の絵は、オイルパステルを使うことが多い。ちょうどいい大きさの紙がなかったので、昔のスケッチブックの表紙に描いてみた。 ハードカバーの本とか梱包材のボール紙とか、厚い紙を手にすると妙にうれしくなる。頑丈な
原爆の日、終戦の日。78年が経ってもなお、世界から争いは絶えない。核兵器もなくならない。なぜなんだろう。無知な自分を恥じ、悶々と考えているうちに、お盆が過ぎ、チッタの命日を迎える…ここ数年、そんな夏を繰
紙粘土で作った、愛猫ぶーちゃん。中央に小さな隙間があって、小花が挿せるようになってる。作ったのは、もう何年も前のこと。花を抱えてるような感じにしたかったのだけども…ぶーちゃんが亡くなった翌年に、私はミカ
鹿の子模様の、赤い座布団の上が好きだった。所々破れて、すっかりボロボロだったけど、そこで丸まってるミカちゃんは、本当に本当に、とびっきり可愛かった。
何気なく描いた絵に、ふと、自分自身が励まされてる。なんの意図も、たくらみもない。ただ黙って、抱きしめるように描いた絵こそ、愛おしい。
ねえ、ミカちゃん。ミカちゃんはね、最初、こ〜んなに ちっちゃかったんだよ。奇跡みたいに、とつぜん 我が家にやってきて、本当に、笑っちゃうくらい 可愛くって、大事に 大事に 育てようって、私が絶対、絶対、守るんだって、
まるまって、 まるまって、ともに、眠る。わたしたちは一つの、 魂 と なって。 朴材を使った木彫りです。 &nb
ミカちゃん、 ミカちゃん、わたしを 置いて、 星に なった。もう少しで、14才になれる はずだった のに。あのとき、あんなことさえ、しなければ自分さえ、もっと しっかり、していたなら
Youtubeに次の曲を投稿しました。「祈り」をテーマに作った曲です。本当は3.11の東日本大震災の日までに完成させたかったのですが、細かな部分を修正していたら全然間に合わず、やっと今日投稿完了することができました。 ジャケット用
私のイラストやハンドメイド作品の画像を無断で転載し、作品名や作家名を記載してあたかもそこで受注販売を行っているかのような「詐欺サイト」が複数存在していることがわかりました。 過去に「タダユメコーボ」というショップ名で自作のポストカ
突然ですが、YouTube始めました。「ベートーベン・ウィルス」をきっかけに、音楽への思いがいよいよ高まり、ついに本物へと、昇華したからです。 自分なりの音楽というものを、真剣に追求してみようと思います。作曲するだけではなく、パソ
韓国ドラマ『ベートーベン・ウィルス』に再びハマり、のめり込んでいます。2008年の作品で、私が最初に見たのは2011年のこと。指揮するカン・マエが惚れ惚れするほど本当にかっこよくて、音楽の美しさも相まって、他のことが
念ずれば、月 いずる己の 心に、宇宙を 見たり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これは、1年前に撮った写真。2021年、中秋の名月。この日の月は、本当に見事だった。連日病院通いをしてい
10月のお墓参りに行ったときのこと。近くに農協のお店があって、お花はいつもそこで買うのだけれど、その日行ったら、何とも立派なアフロのポットマムが2つ、店先のひな壇でスタンバっていました。 その幅
「何をどんなに頑張っても、自分の罪は、決して消えない」私は長い間ずっと、その虚無感のなかで、もがくように生きてきた。けれど今朝、ふと気がついた。まるで思い出したかのように。「いや、ちがう。そうじゃない。消
先月下旬からNHKでやってる「夜ドラ」がすごくいい! 『あなたのブツが、ここに』 そのいかにも今風なタイトルを最初に見たときは、これは苦手な類のテンションのやつかもな〜と思ったのだけど
以前利用していたseesaaブログのスマホ広告があまりに酷くて我慢できず、旧ブログの記事を丸ごとライブドアブログに引っ越しさせました。 現在更新しているこのブログはJUGEMの有料プランを利用していて、ここならスマホも全部広告なし
青空文庫で野口雨情の作品を読んでいたら、「鳥渡」という言葉がでてきた。右隣に小さな文字で、「ちょっと」と、ふりがなが振ってある。へぇ〜っと、思わず声が出た。「鳥が渡る」と書いて、「ちょっと」と読むのか…
たぶん、10年以上前に描いた絵。読書週間のポスターに使うためのイラストコンテストみたいなのがあって、それに応募した作品。 フラミンゴたちが、本を読んでいる・・・なぜフラミンゴなのかというと、ちょうどその頃、
コロナという、深刻で危機的な状況の中にあってもなお人の世から、戦争がなくならないのは、なぜなのだろう。 何を どんなに 手に入れようと、いずれは死んでしまうのに、その限られた時間の、かけがえのない瞬間を、争
だいぶ前に描いた水彩画。子供のころのアルバムに貼ってある、お気に入りの一枚を描いたもの。幼き日の姉と私。たぶん、お正月なのだろう。着物を着せてもらって、近所の道をお手手つないで歩いてる。 実際の写真には、手
お正月らしい絵を載せることもなく、1月も残り1週間となってしまった。 今年こそ、今年こそは… と、今年も懲りずに、一人つぶやく。
かなり久しぶりとなりましたが、新しい絵本を作りました。ページ数は見開き8枚分。短いです。ちょっと断片的な感じなので、ストーリーのある絵本というよりも絵を添えた詩のようなもの…といったほうがいいかもしれません。なんと
「イラストAC」にて、イラストの配布を始めました!→イラストAC(ただゆめこ) イラストACは、無料でイラストのダウンロードやアップロードができるストックイラストサイトです。以前からその存在は知っ
さらに1か月が経過。チロは毎日猫ダッシュを見せるほど、元気になってくれた。あんなに危うい状態だったのが、まるで幻のよう。つい安心しきってしまいそうになる自分がいるけれど、油断は禁物。いつまた再発してもおかしくはない。ここまで元気を取り戻して
スヌーピーのキャラクターでおなじみの 漫画『ピーナッツ』その膨大な数の4コマ漫画のうちの一つに、「真実の愛なんてものは、人と犬の間でしか成り立たない…」といった感じのセリフがある。数年前、テレビ番組で紹介されていたのを見ただけ
何気なく描いた絵ほど、愛おしく思える。そこには、何の意図も、企みもない。 無垢な人間には、到底なれないけれど、せめて絵だけは、そうでありたいと思う。
「ビリジアン」という色の名前を初めて知ったのは、中学のころ。どこか奇妙で、謎めいたその響きが、とても好きだ。 「ビリジアン」は、ちょっと青みがかった緑色をしている。それだけだと、不自然で人工的な
プライムビデオで、「シャッターアイランド」というサスペンス映画を観た。 舞台は1954年、ボストンハーバー。精神を患った犯罪者だけを収容する施設から、一人の女性患者が突然いなくなる。連邦保安官で
お月様をみつけると、なんだか無性にうれしくなる。 「だいじょうぶ。ここにいるよ」 そう言ってくれているような気がして。
古いスケッチブックを ペラリペラリとめくっていたら、描きかけの顔が、そこにあった。 青い目をした、小麦色の肌。髪はなく、ぼわっと滲んだ紫が、顔の上と下に無造作に置かれている。水彩を始めたばかりに
こころに、虹を。 いつの日も どんなときも
せつなくて、あたたかくて、いとおしい。 これはまるで、私の「色」だなと、思う。 絵を描くことで 私は、私自身の孤独を、 抱きしめているのかもしれない。
今日の夜8時43分頃だと思う。NHKで番組の合間に流れたコロナのCMが、ものすごく胸に響いた。 それはまるで、若者の心のうちを代弁するかのような作品。 ひとり言のように淡々と、早口につぶやく小さな
あの日と 変わらぬ 空響き渡る サイレン祈りの中に、無数の星が、見える。 どうすればいい。 こぼれおちる その涙を、どうすれば、ひとつ残らず、受け止めることができるだろう。 同じ命が、
久しぶりに描いた、カバの絵。なんかすごくかわいいな〜と思い、妙に気に入っている。 カバといえば、旭山動物園の「かば館」が有名かもしれない。設立されたのは2013年。私は行ったことはな
部屋の流し台の上に備え付けの戸棚があるのだけれど、扉を完全に取り外して、チロ&ミカちゃんが棚の中に飛び乗れるようにしている。 ある晩のこと。「ボンッ」という聞き慣れた音とともに、棚へと飛び移るミ
阪神・淡路大震災から26年。朝の情報番組を見ていたら、黙とうを捧げる人々の様子が映し出された。 一人の女性が、インタビューに応えている。「しんどいたびに、私は亡くなった人のぶんも今を生きてるんやって、思いま
今年の干支の絵を載せてなかったので。 コロナ禍の大変な世にあって、無事に新年を迎えられただけでも本当に、有難いことだと思う。 医療や介護福祉をはじめとする様々な現場において、自らの使命感を支えに、
先日、日テレの『ぶらり途中下車の旅』をなんとなく見ていたら、とても素敵な女性鷹匠さんが現れた。 御年まだ二十歳。富士を背に鷹を飛び立たせる姿は、冬の澄んだ空気のごとく、神聖で美しい。 木漏れ日のよ
テレちゃんとポポちゃんの命日に合わせて買った、3本のユリの切り花。 買ったときは、11個のつぼみをつけていた。 ひとつも咲いていなくて、ぜんぶ、つぼみだったのに、花瓶に生けた翌日から、
大地、つむぐ。 すべては、いのちの、かたまり。
「ポットマム」は、鉢植え用につくられたキクの園芸品種。背丈が低く、分枝の多いのが特徴で、こんもり生い茂った緑枝に、たくさんの花を、ぎっしり咲かせてくれる。 花のつぼみは、まるで、「微笑み」のよう
コスモスの 花の中に、 みつけた。 小さな、星。 なんという、神秘。 こんなにも 小さいのに、 まるで、宇宙だ。 自然の美しさには、果てしがない
去年彫った「たいよう」の木彫り。ちょっと色が薄かったので、少し色を濃くしてみた。 そして・・・ 「きたかぜ」を彫った。&nb
モックンが出てる、JR東海のCMが好き。 すごくいいCMだな〜と、見るたびそう思う。コンセプトが秀逸。すべてが絶妙。押しつけがましくなく、とてもナチュラルだ。 とにかくモックンがいい。
パソコンはいつも兄のおさがりを使わせてもらっているのだけれど、昨年末に譲り受けたパソコンが異常なほど動作が遅く、もはや開くのすら嫌になり、年間契約したadobeの「illustrator」も全く使わぬまま、毎月の使用
だいぶ前になるけれど、テレビ朝日の『あいつ今何してる?』で、さかなクンがゲスト出演していたときのこと。 さかなクンのリクエストで紹介されたのは、中学時代の大親友。「マンボウ」というあだ名を、さか
カフカの『変身』は、本棚のどこかに眠ったままだけれど、あのカマキリはその後、無事外へ逃がしてやることができた。 夜中、居間に行ったときのこと。机の上のコップを取ろうと手を伸ばしたら、そのコップの
音もなく立ち昇る、ひとすじの 白き花火。空へ 空へと 龍のごとく、ただ、一心に。 それは、まるで 祈り。それは、天に捧げし、無垢なる花。 咲け!どこまでも、高く、高く。
ぜったい、ちがう。 そんなはず、ない。 たとえ それが、本当のことだとしても、 わたしは、信じない。 ちがう真実が、どこかに、あるはずだ。 きっと、ずっと、問いつづける。&nbs
5日ほど前から、1匹のカマキリが、我が家に滞在している。 いつも壁の高いところか天井にいるし、どうせなら台風が去ってから外に逃がしてあげようと思っているうちに、今日になってしまった。
きのうまで、何も、聞こえなかったはずなのに、 今宵の静寂は、秋を告げる虫たちの音に、つつまれている。 いったい、どこに、隠れていたのだろう。 不思議だ。 本当に、不
最近テレビで 時折見かける「無印良品」のCMすごく、いいなぁ・・・ なんの台詞も テロップも入らないけれど、だからこそ、ものすごく、伝わってくる。 何気ない 穏やかな日常が、どうか一日
コアラの親子と、キャンプする夢を みた。ただのコアラじゃぁ、ないよ。おすもうさんみたいに、とびっきり でっかいの。どうやら、夜らしい。たき火の灯りが、ぼぅっと、辺りをオレンジに照らしてる。 コアラパパは、た
毎日毎日、うんざりするほど 暑い。 仏壇に飾っている「ひまわり」の花も、だいぶしおれ、あと数日と、もたないだろう。 無風の部屋の中に座り、しばらくじっと、みつめていた。枯れ行く姿まで、
チッタの命日に、今年も黄色いひまわりを飾った。一緒にカサブランカのつぼみも入れていたのだけれど、2日後、驚くほど見事な花を、大きく開かせてくれた。 てっきり白いのかと思っていたら、淡い黄色の花色
目を、ぎゅっと つぶり祈りの中に 身を投じれば 湧きたつ、蝉たちの声。 それは、揺るぎなき 生命の叫び。生きる! 生きる! 命、ある限り。 私には、そう聞こえる。
この空に、虹の かかるとき わたしは 風となって 愛しい魂を 抱き、天を 旅する。 虹は 瞬きの中に 儚く 消えて なくなっても、 この胸に 息づく 温も
この訃報は、到底、受け入れられない。「ご冥福をお祈りします」だなんて、そんな言葉は、聞きたくない。恐怖にも似た、悲しみ。どうして? なんで!!ああ、叫びたいくらい。その心に、いったい何を、抱えていたのだろう。NHKの再放送、録画した。こんな
積み重ねられた、赤き肉たち。じっと冷やされ、整然と、清らかに並ぶ。 まるでそれは、あたかも、はじめから肉であったかのように、人々は肉の沈黙に甘んじ、その叫びを見ようともしない。 思いを
庭のホオズキがだいぶ伸びてきたので、支柱を立てていたら、 その隣に植わっているローズマリーの枝元に、小さなトカゲがいるのをみつけた。 最初、ものすごい小さなヘビの赤ちゃんが
ノートをペラペラめくっていたら、だいぶ前に見た夢のことが書いてありました。突拍子のない内容。殴り書きの文章と絵が、なんだか妙に可笑しくて、一人爆笑。ちぐはぐな文なので、人が読んでも意味不明かと思いますが、気に入ったので、そのままブログに載せ
こたつをまだ片づけていないのだけれど、朝・晩、時折冷えると、チロが隅っこで丸まっていたりする。 どこに行ったのかな〜と思い、こたつ布団をまくり上げたら、もぐりこんでいたチロの目が、まあるくキラリ
心、解き放て。 空は、逃げたりしない。 つながっている。どこまでも。 思い馳せれば、 どこへだって、飛んで行ける。 想像力は、無限の翼。 &nb
次から、次へと…ああ、もう本当に、勘弁してくれ。これ以上の悲しみは。頼む。頼む。お願いだから。「ステイホーム」の本当の意味するところを、深く、理解してほしい。家で過ごすということ。家にとどまるということ。それは、自分が感染しないために求めら
「note」という投稿型のwebサイトがあり、以前から気になっていたのですが、本日、コラム的な記事を初投稿しました。 「note」はわかりやすく言うと、web版の同人誌のような感じです。文章やイラストだけではなく、音楽や映像など、
すべてが、幻のように思える。けれど、何度目覚めても、悪夢は終わらない。ああ、そうだった。これが現実なのだと、我に返る。朝は、ちゃんとやってくるのに。空きらめく、鳥の歌声。花は時を逃すことなく、静かに咲いている。美しい。こんなにも、美しいのに
志村けんさんが、亡くなった。信じられない。信じたくない。あまりにも急すぎる。あんまりだ。子供の頃、「8時だョ!全員集合」を毎週楽しみに見ていた。ひげダンスが大好きだった。巨大な急坂を駆け登るコーナーが好きだった。「志村どうぶつ園」で躊躇なく
ダウンタウンの松ちゃんが、よく鼻を鳴らして笑うけれど、私の鼻の奥にも小さな小さな子ブタが住んでいて、私が身をよじらせて大笑いをすると、ここぞとばかりに「ブヒッ!」と鳴く。 自分の鼻に子ブタが潜んでいることに
3日ほど前だったか、早朝のNHKニュースで見たVTRのこと。 東日本大震災から9年。漁港を背に佇むその人は、自分の気持ちを、こう答えた。 「この町は、ずっと海と一緒に、生きてきた町だから・・・」と
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私と怪物、一心同体。喰って、喰われて呑み込んで、吐き出して大きくなったり、小さくなったり支え合いながら、今日も この世をがんばって、生きています。
ねんねの ミカちゃん まあるくなって、ほほえんで。 わたしと おんなじ ときの なかを きっと、夢 みてる。
4/12(土)に放送されたフジテレビの「カギダンススタジアム」むちゃくちゃ感動し、昨日3度目の視聴。 「カギダンススタジアム」は、高校ダンス部と芸能人がタッグを組んで挑むダンス大会。ダンスのかっ
昨日の夜11時くらいだろうか。窓の方をふと見たら、白熱灯みたいな色をした、大きなお月さまがいつもよりだいぶ下のほうに、ぽっかり、浮かんでた。 「あ!」と、 思わず、声がでる。 ほとんど
先日、NHKスペシャル「新ジャポニズム 第4集」を興味深く視聴。日本人建築家がデザインしたという中国の美術館が紹介されたときにちょこっとだけ映った、3匹の魚らしき生物の動きが、とてもユニークでおもしろかっ
こっちの曲は、最初ピアノ曲として作ったのだけれど、なんかイマイチだな〜と思い、そのまま放置すること8か月。 久しぶりに聞き直し、ピアノではなく、クラリネットと、ビブラフォンという楽器の音色に変えてみたらば、
こちら、新しく作った曲。とても気に入っております。10年以上前に描いた「ことりのじゃんけんマッチ」のイラストをタイトル画像に使用。 音質はちょっと悪いのだけれど、むしろ、そこがいいなと思う。ノイズの混じった
「祈る」という行為に、ある種のバツの悪さを感じるようになったのはいつからだろう。それは年々日々強まり、最近では苦痛すら、感じるようになってしまった。 自分でも、嫌になるほど、よくわかっているのだ
ある日見た、夢の話。 自宅の和室で、父が寝ている。「そろそろ夜空でも見ましょうか」母がそう言って、父を起こす。「ちゃんと柱につかまっててね」足元のおぼつかない父に、私は大きな声で言う。 天井は、ど
黒毛のチロ。もともとはノラちゃんだったので、正確な年齢はわからないけど、家猫にしてから16年は経ってるから、現在推定17才。高齢になり、一年前くらいから、人間でいうところの白髪のようなものが、チラホラと出てくるように
昭和レトロな、ステンドグラス風のイラストをイメージして描いたものが他にも4つほどありまして。 先日の水彩風と同じく、これもタッチサンプル用。いずれもずっと前に、とある仕事の案件に応募するために描
スキャンした水彩画の色味を、Photoshopを使って切り取り、貼り付けるという、デジタル的「貼り絵」の手法と仕上がり具合が気に入ったので、その表現の可能性を探るべく、もうちょっと追求してみようと思う。 そんなわけで、「パンドラの
ちょっと、水彩風のタッチサンプルが必要になったので、久しぶりにペンタブを使ってデジタルで制作してみた。「にじみ」や「ぼかし」はあまりなくて、版画やハンコっぽい雰囲気。手法的には「描く」というより、「切り取る」といった
あふれる、あふれる満面の、うふふ。たいせつなたいせつな、わたしの ミカちゃん。ここに、いるよ、いつだってずっと、ずっと。
終わらぬこの夏に、じっと手を合わせ、不条理に奪われた無数の命の、その無念を、ひとつでも多く、我が身に刻み込み、必ずや、必ず… と、ほかの誰でもない、自らの命にかけて、心から、誓う。 どんなにつ
YKKグループが提供している「世界の窓」という番組が好き。毎回必ず見ているわけではないけれど、その「5分」にタイミングよく遭遇するとおっ!と思って、ちょっとうれしい。(ちなみに、あの素敵なCMもその前後に
5月も終わりかけた、ある日の午後。家の近くで、「ぐわっぐわっぐわっ」と、普段は聞かない声がしたのでなんだ?と思い、窓の外を覗いてみたらば、向かいのお家の、そのまた隣りのお家の屋根の上になんだか、ずんぐりむ
家の近くにある遊水地が、巨大な温泉施設へと再開発される夢をみた。 いよいよ温泉が完成し、これから放流するというので、私は見学に来ている。温泉と言っても、そこに柱や屋根などは一切ない。今思えば、そ
いつからだろう。得体の知れぬ怪物に、私は夜な夜な、自らの肉を与えている。悲しみと苦しみ。ときには切ない愛しさで味付けしたそれは、一体 どんな味がするのか。 はじまりはきっと、シミのように小さかっ
混濁した意識の中で、ミカちゃんは苦しみ、じっと耐えていた。目もくぼみ、開かなくなって、まぶたは重く閉じたままなのに、少しは見えているのか、それとも気配を感じているのか、おもむろに突然すっくと立ちあがり、た
いつからだろう。得体の知れぬ怪物に、私は夜な夜な、自らの肉を与えている。悲しみと苦しみ。ときには切ない愛しさで味付けしたそれは、一体 どんな味がするのか。 はじまりはきっと、シミのように小さかっ
混濁した意識の中で、ミカちゃんは苦しみ、じっと耐えていた。目もくぼみ、開かなくなって、まぶたは重く閉じたままなのに、少しは見えているのか、それとも気配を感じているのか、おもむろに突然すっくと立ちあがり、た
ミカちゃん。姿なき今なら、どこへだって、一緒に行けるよ。さあ、今日は どこへ行こうか。 近所の公園の いちばん大きな木で、木登りをしよう。ミカちゃんは、きっと絶対、木登りが得意に 違いない。バリ
解き放たれし、魂たちの詩(うた)
音楽のジャンルというものに詳しくないので、これを「ブギー」と称するのが正しいのかはよくわかりませんが、聞いているとスウィングしたくなるので、私にとってはこれは「ブギー」であります。 本当は動きをつけてアニメ
絵を描くとき、色をどう塗り重ねていくかでその仕上がりは随分と変わるものだけれど、音楽をつくるときも同じで、様々な音色やメロディ、リズムを、どう重ねていくかが重要なのだということに、最近ようやく気が付いた。
子守歌のような曲を作ってみようと思い、作ってみました。歌詞のない曲なのですが、詩を作ったので添えておきます。情景を想像しながら聞いてもらえたらうれしいです。 < 詩 > お星さま きら