音楽のジャンルというものに詳しくないので、これを「ブギー」と称するのが正しいのかはよくわかりませんが、聞いているとスウィングしたくなるので、私にとってはこれは「ブギー」であります。 本当は動きをつけてアニメ
音楽のジャンルというものに詳しくないので、これを「ブギー」と称するのが正しいのかはよくわかりませんが、聞いているとスウィングしたくなるので、私にとってはこれは「ブギー」であります。 本当は動きをつけてアニメ
絵を描くとき、色をどう塗り重ねていくかでその仕上がりは随分と変わるものだけれど、音楽をつくるときも同じで、様々な音色やメロディ、リズムを、どう重ねていくかが重要なのだということに、最近ようやく気が付いた。
子守歌のような曲を作ってみようと思い、作ってみました。歌詞のない曲なのですが、詩を作ったので添えておきます。情景を想像しながら聞いてもらえたらうれしいです。 < 詩 > お星さま きら
数年前から、家の庭に黄色い野菊が自生している。何本か切り取り、白い摺りガラスの花瓶に入れて、洗面台の窓辺に置いた。 自然のままに育った茎は、太陽を求めて、うねるように伸び上り、その身につけているたくさんの花
なくしてなど、いない。見えないだけだ。 いつだって、そばにいる。私とともに、生きている。 疑うことなく、自信をもって、そう言い切ることができるのに、「肉体がない」という、たったひとつの
月に一度、父のお墓参りに行く。 今月の供花は、農協で買った三色の小菊。そこに、家の庭に生えてるローズマリーやナンテンの葉、ムラサキゴテンという宿根草を加えた。 連日続く酷暑のせいか、小
オリジナルキャラクター「たけちゃんろろちゃん」のテーマ曲を作ってみました。たけちゃんろろちゃんは、私が「ただゆめこ」として絵を描き始めたころによく描いていたキャラクター。大きなシイタケのたけちゃんと、小さ
最近の絵は、オイルパステルを使うことが多い。ちょうどいい大きさの紙がなかったので、昔のスケッチブックの表紙に描いてみた。 ハードカバーの本とか梱包材のボール紙とか、厚い紙を手にすると妙にうれしくなる。頑丈な
原爆の日、終戦の日。78年が経ってもなお、世界から争いは絶えない。核兵器もなくならない。なぜなんだろう。無知な自分を恥じ、悶々と考えているうちに、お盆が過ぎ、チッタの命日を迎える…ここ数年、そんな夏を繰
紙粘土で作った、愛猫ぶーちゃん。中央に小さな隙間があって、小花が挿せるようになってる。作ったのは、もう何年も前のこと。花を抱えてるような感じにしたかったのだけども…ぶーちゃんが亡くなった翌年に、私はミカ
鹿の子模様の、赤い座布団の上が好きだった。所々破れて、すっかりボロボロだったけど、そこで丸まってるミカちゃんは、本当に本当に、とびっきり可愛かった。
何気なく描いた絵に、ふと、自分自身が励まされてる。なんの意図も、たくらみもない。ただ黙って、抱きしめるように描いた絵こそ、愛おしい。
ねえ、ミカちゃん。ミカちゃんはね、最初、こ〜んなに ちっちゃかったんだよ。奇跡みたいに、とつぜん 我が家にやってきて、本当に、笑っちゃうくらい 可愛くって、大事に 大事に 育てようって、私が絶対、絶対、守るんだって、
まるまって、 まるまって、ともに、眠る。わたしたちは一つの、 魂 と なって。 朴材を使った木彫りです。 &nb
ミカちゃん、 ミカちゃん、わたしを 置いて、 星に なった。もう少しで、14才になれる はずだった のに。あのとき、あんなことさえ、しなければ自分さえ、もっと しっかり、していたなら
Youtubeに次の曲を投稿しました。「祈り」をテーマに作った曲です。本当は3.11の東日本大震災の日までに完成させたかったのですが、細かな部分を修正していたら全然間に合わず、やっと今日投稿完了することができました。 ジャケット用
私のイラストやハンドメイド作品の画像を無断で転載し、作品名や作家名を記載してあたかもそこで受注販売を行っているかのような「詐欺サイト」が複数存在していることがわかりました。 過去に「タダユメコーボ」というショップ名で自作のポストカ
突然ですが、YouTube始めました。「ベートーベン・ウィルス」をきっかけに、音楽への思いがいよいよ高まり、ついに本物へと、昇華したからです。 自分なりの音楽というものを、真剣に追求してみようと思います。作曲するだけではなく、パソ
韓国ドラマ『ベートーベン・ウィルス』に再びハマり、のめり込んでいます。2008年の作品で、私が最初に見たのは2011年のこと。指揮するカン・マエが惚れ惚れするほど本当にかっこよくて、音楽の美しさも相まって、他のことが
念ずれば、月 いずる己の 心に、宇宙を 見たり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これは、1年前に撮った写真。2021年、中秋の名月。この日の月は、本当に見事だった。連日病院通いをしてい
10月のお墓参りに行ったときのこと。近くに農協のお店があって、お花はいつもそこで買うのだけれど、その日行ったら、何とも立派なアフロのポットマムが2つ、店先のひな壇でスタンバっていました。 その幅
「何をどんなに頑張っても、自分の罪は、決して消えない」私は長い間ずっと、その虚無感のなかで、もがくように生きてきた。けれど今朝、ふと気がついた。まるで思い出したかのように。「いや、ちがう。そうじゃない。消
先月下旬からNHKでやってる「夜ドラ」がすごくいい! 『あなたのブツが、ここに』 そのいかにも今風なタイトルを最初に見たときは、これは苦手な類のテンションのやつかもな〜と思ったのだけど
以前利用していたseesaaブログのスマホ広告があまりに酷くて我慢できず、旧ブログの記事を丸ごとライブドアブログに引っ越しさせました。 現在更新しているこのブログはJUGEMの有料プランを利用していて、ここならスマホも全部広告なし
青空文庫で野口雨情の作品を読んでいたら、「鳥渡」という言葉がでてきた。右隣に小さな文字で、「ちょっと」と、ふりがなが振ってある。へぇ〜っと、思わず声が出た。「鳥が渡る」と書いて、「ちょっと」と読むのか…
たぶん、10年以上前に描いた絵。読書週間のポスターに使うためのイラストコンテストみたいなのがあって、それに応募した作品。 フラミンゴたちが、本を読んでいる・・・なぜフラミンゴなのかというと、ちょうどその頃、
コロナという、深刻で危機的な状況の中にあってもなお人の世から、戦争がなくならないのは、なぜなのだろう。 何を どんなに 手に入れようと、いずれは死んでしまうのに、その限られた時間の、かけがえのない瞬間を、争
だいぶ前に描いた水彩画。子供のころのアルバムに貼ってある、お気に入りの一枚を描いたもの。幼き日の姉と私。たぶん、お正月なのだろう。着物を着せてもらって、近所の道をお手手つないで歩いてる。 実際の写真には、手
お正月らしい絵を載せることもなく、1月も残り1週間となってしまった。 今年こそ、今年こそは… と、今年も懲りずに、一人つぶやく。
かなり久しぶりとなりましたが、新しい絵本を作りました。ページ数は見開き8枚分。短いです。ちょっと断片的な感じなので、ストーリーのある絵本というよりも絵を添えた詩のようなもの…といったほうがいいかもしれません。なんと
「イラストAC」にて、イラストの配布を始めました!→イラストAC(ただゆめこ) イラストACは、無料でイラストのダウンロードやアップロードができるストックイラストサイトです。以前からその存在は知っ
さらに1か月が経過。チロは毎日猫ダッシュを見せるほど、元気になってくれた。あんなに危うい状態だったのが、まるで幻のよう。つい安心しきってしまいそうになる自分がいるけれど、油断は禁物。いつまた再発してもおかしくはない。ここまで元気を取り戻して
スヌーピーのキャラクターでおなじみの 漫画『ピーナッツ』その膨大な数の4コマ漫画のうちの一つに、「真実の愛なんてものは、人と犬の間でしか成り立たない…」といった感じのセリフがある。数年前、テレビ番組で紹介されていたのを見ただけ
何気なく描いた絵ほど、愛おしく思える。そこには、何の意図も、企みもない。 無垢な人間には、到底なれないけれど、せめて絵だけは、そうでありたいと思う。
「ビリジアン」という色の名前を初めて知ったのは、中学のころ。どこか奇妙で、謎めいたその響きが、とても好きだ。 「ビリジアン」は、ちょっと青みがかった緑色をしている。それだけだと、不自然で人工的な
プライムビデオで、「シャッターアイランド」というサスペンス映画を観た。 舞台は1954年、ボストンハーバー。精神を患った犯罪者だけを収容する施設から、一人の女性患者が突然いなくなる。連邦保安官で
お月様をみつけると、なんだか無性にうれしくなる。 「だいじょうぶ。ここにいるよ」 そう言ってくれているような気がして。
古いスケッチブックを ペラリペラリとめくっていたら、描きかけの顔が、そこにあった。 青い目をした、小麦色の肌。髪はなく、ぼわっと滲んだ紫が、顔の上と下に無造作に置かれている。水彩を始めたばかりに
こころに、虹を。 いつの日も どんなときも
せつなくて、あたたかくて、いとおしい。 これはまるで、私の「色」だなと、思う。 絵を描くことで 私は、私自身の孤独を、 抱きしめているのかもしれない。
今日の夜8時43分頃だと思う。NHKで番組の合間に流れたコロナのCMが、ものすごく胸に響いた。 それはまるで、若者の心のうちを代弁するかのような作品。 ひとり言のように淡々と、早口につぶやく小さな
あの日と 変わらぬ 空響き渡る サイレン祈りの中に、無数の星が、見える。 どうすればいい。 こぼれおちる その涙を、どうすれば、ひとつ残らず、受け止めることができるだろう。 同じ命が、
久しぶりに描いた、カバの絵。なんかすごくかわいいな〜と思い、妙に気に入っている。 カバといえば、旭山動物園の「かば館」が有名かもしれない。設立されたのは2013年。私は行ったことはな
部屋の流し台の上に備え付けの戸棚があるのだけれど、扉を完全に取り外して、チロ&ミカちゃんが棚の中に飛び乗れるようにしている。 ある晩のこと。「ボンッ」という聞き慣れた音とともに、棚へと飛び移るミ
阪神・淡路大震災から26年。朝の情報番組を見ていたら、黙とうを捧げる人々の様子が映し出された。 一人の女性が、インタビューに応えている。「しんどいたびに、私は亡くなった人のぶんも今を生きてるんやって、思いま
今年の干支の絵を載せてなかったので。 コロナ禍の大変な世にあって、無事に新年を迎えられただけでも本当に、有難いことだと思う。 医療や介護福祉をはじめとする様々な現場において、自らの使命感を支えに、
先日、日テレの『ぶらり途中下車の旅』をなんとなく見ていたら、とても素敵な女性鷹匠さんが現れた。 御年まだ二十歳。富士を背に鷹を飛び立たせる姿は、冬の澄んだ空気のごとく、神聖で美しい。 木漏れ日のよ
テレちゃんとポポちゃんの命日に合わせて買った、3本のユリの切り花。 買ったときは、11個のつぼみをつけていた。 ひとつも咲いていなくて、ぜんぶ、つぼみだったのに、花瓶に生けた翌日から、
大地、つむぐ。 すべては、いのちの、かたまり。
「ポットマム」は、鉢植え用につくられたキクの園芸品種。背丈が低く、分枝の多いのが特徴で、こんもり生い茂った緑枝に、たくさんの花を、ぎっしり咲かせてくれる。 花のつぼみは、まるで、「微笑み」のよう
コスモスの 花の中に、 みつけた。 小さな、星。 なんという、神秘。 こんなにも 小さいのに、 まるで、宇宙だ。 自然の美しさには、果てしがない
去年彫った「たいよう」の木彫り。ちょっと色が薄かったので、少し色を濃くしてみた。 そして・・・ 「きたかぜ」を彫った。&nb
モックンが出てる、JR東海のCMが好き。 すごくいいCMだな〜と、見るたびそう思う。コンセプトが秀逸。すべてが絶妙。押しつけがましくなく、とてもナチュラルだ。 とにかくモックンがいい。
パソコンはいつも兄のおさがりを使わせてもらっているのだけれど、昨年末に譲り受けたパソコンが異常なほど動作が遅く、もはや開くのすら嫌になり、年間契約したadobeの「illustrator」も全く使わぬまま、毎月の使用
だいぶ前になるけれど、テレビ朝日の『あいつ今何してる?』で、さかなクンがゲスト出演していたときのこと。 さかなクンのリクエストで紹介されたのは、中学時代の大親友。「マンボウ」というあだ名を、さか
カフカの『変身』は、本棚のどこかに眠ったままだけれど、あのカマキリはその後、無事外へ逃がしてやることができた。 夜中、居間に行ったときのこと。机の上のコップを取ろうと手を伸ばしたら、そのコップの
音もなく立ち昇る、ひとすじの 白き花火。空へ 空へと 龍のごとく、ただ、一心に。 それは、まるで 祈り。それは、天に捧げし、無垢なる花。 咲け!どこまでも、高く、高く。
ぜったい、ちがう。 そんなはず、ない。 たとえ それが、本当のことだとしても、 わたしは、信じない。 ちがう真実が、どこかに、あるはずだ。 きっと、ずっと、問いつづける。&nbs
5日ほど前から、1匹のカマキリが、我が家に滞在している。 いつも壁の高いところか天井にいるし、どうせなら台風が去ってから外に逃がしてあげようと思っているうちに、今日になってしまった。
きのうまで、何も、聞こえなかったはずなのに、 今宵の静寂は、秋を告げる虫たちの音に、つつまれている。 いったい、どこに、隠れていたのだろう。 不思議だ。 本当に、不
最近テレビで 時折見かける「無印良品」のCMすごく、いいなぁ・・・ なんの台詞も テロップも入らないけれど、だからこそ、ものすごく、伝わってくる。 何気ない 穏やかな日常が、どうか一日
コアラの親子と、キャンプする夢を みた。ただのコアラじゃぁ、ないよ。おすもうさんみたいに、とびっきり でっかいの。どうやら、夜らしい。たき火の灯りが、ぼぅっと、辺りをオレンジに照らしてる。 コアラパパは、た
毎日毎日、うんざりするほど 暑い。 仏壇に飾っている「ひまわり」の花も、だいぶしおれ、あと数日と、もたないだろう。 無風の部屋の中に座り、しばらくじっと、みつめていた。枯れ行く姿まで、
チッタの命日に、今年も黄色いひまわりを飾った。一緒にカサブランカのつぼみも入れていたのだけれど、2日後、驚くほど見事な花を、大きく開かせてくれた。 てっきり白いのかと思っていたら、淡い黄色の花色
目を、ぎゅっと つぶり祈りの中に 身を投じれば 湧きたつ、蝉たちの声。 それは、揺るぎなき 生命の叫び。生きる! 生きる! 命、ある限り。 私には、そう聞こえる。
この空に、虹の かかるとき わたしは 風となって 愛しい魂を 抱き、天を 旅する。 虹は 瞬きの中に 儚く 消えて なくなっても、 この胸に 息づく 温も
この訃報は、到底、受け入れられない。「ご冥福をお祈りします」だなんて、そんな言葉は、聞きたくない。恐怖にも似た、悲しみ。どうして? なんで!!ああ、叫びたいくらい。その心に、いったい何を、抱えていたのだろう。NHKの再放送、録画した。こんな
積み重ねられた、赤き肉たち。じっと冷やされ、整然と、清らかに並ぶ。 まるでそれは、あたかも、はじめから肉であったかのように、人々は肉の沈黙に甘んじ、その叫びを見ようともしない。 思いを
庭のホオズキがだいぶ伸びてきたので、支柱を立てていたら、 その隣に植わっているローズマリーの枝元に、小さなトカゲがいるのをみつけた。 最初、ものすごい小さなヘビの赤ちゃんが
ノートをペラペラめくっていたら、だいぶ前に見た夢のことが書いてありました。突拍子のない内容。殴り書きの文章と絵が、なんだか妙に可笑しくて、一人爆笑。ちぐはぐな文なので、人が読んでも意味不明かと思いますが、気に入ったので、そのままブログに載せ
こたつをまだ片づけていないのだけれど、朝・晩、時折冷えると、チロが隅っこで丸まっていたりする。 どこに行ったのかな〜と思い、こたつ布団をまくり上げたら、もぐりこんでいたチロの目が、まあるくキラリ
心、解き放て。 空は、逃げたりしない。 つながっている。どこまでも。 思い馳せれば、 どこへだって、飛んで行ける。 想像力は、無限の翼。 &nb
次から、次へと…ああ、もう本当に、勘弁してくれ。これ以上の悲しみは。頼む。頼む。お願いだから。「ステイホーム」の本当の意味するところを、深く、理解してほしい。家で過ごすということ。家にとどまるということ。それは、自分が感染しないために求めら
「note」という投稿型のwebサイトがあり、以前から気になっていたのですが、本日、コラム的な記事を初投稿しました。 「note」はわかりやすく言うと、web版の同人誌のような感じです。文章やイラストだけではなく、音楽や映像など、
すべてが、幻のように思える。けれど、何度目覚めても、悪夢は終わらない。ああ、そうだった。これが現実なのだと、我に返る。朝は、ちゃんとやってくるのに。空きらめく、鳥の歌声。花は時を逃すことなく、静かに咲いている。美しい。こんなにも、美しいのに
志村けんさんが、亡くなった。信じられない。信じたくない。あまりにも急すぎる。あんまりだ。子供の頃、「8時だョ!全員集合」を毎週楽しみに見ていた。ひげダンスが大好きだった。巨大な急坂を駆け登るコーナーが好きだった。「志村どうぶつ園」で躊躇なく
ダウンタウンの松ちゃんが、よく鼻を鳴らして笑うけれど、私の鼻の奥にも小さな小さな子ブタが住んでいて、私が身をよじらせて大笑いをすると、ここぞとばかりに「ブヒッ!」と鳴く。 自分の鼻に子ブタが潜んでいることに
3日ほど前だったか、早朝のNHKニュースで見たVTRのこと。 東日本大震災から9年。漁港を背に佇むその人は、自分の気持ちを、こう答えた。 「この町は、ずっと海と一緒に、生きてきた町だから・・・」と
先日の続きを、もう少し。どうしても、書いておきたいことがあって。 小野正嗣さんの著書『九年前の祈り』には、表題を筆頭に4つの話が収録されている。その2番目にあたるのが『ウミガメの夜』という話なのだけれど、私
窓の外。 はるか遠くに、白く陰った入り江が見える。 逆光に浮かぶ、大きな山のシルエット。 瑠璃の岩絵の具を流し込んだような 濃い「青」が、山の上に、どっしりと、のっかっている。 そんな、夢
愛しき猫を 背にのせて少女は 柔らかに 己を 包み込むともに とけゆかんほのかなる 眠りのとき
時折見る怖い夢というのが、まだ他にもいくつかあって、その一つに、「電話をかける夢」というのがある。 正しくは、「電話をかけようとする夢」だ。 シチュエーションは様々だけれど、とにかく私
確か学生の頃だったか、「針を拾う夢」というのを時折見ることがあり、それがとても怖かった。 床一面に 無数の針が散らばっていて、それを必死になって拾う夢。 針が刺さるのが怖いとか、そういうことではな
空に 祈りの 満ちるころ、 朝の女神は やってくる 山裾のドレス 光り くゆらせ はじまりの ときを、そっと 告げ行く しとやかに 目覚める 草花たち大地は 息吹に 薫り姿な
空に 祈りの 満ちるころ 朝の女神は やってくる 山裾のドレス 光り くゆらせ はじまりの ときを そっと 告げ行く しとやかに 目覚める 草花たち大地は 息吹に
Eテレの「日曜美術館」が好きで、ときどき観てるんですが、そこで司会を務めている小野正嗣さんが、最近すごく好きです。 小野さんが司会になったのは2018年からで、私は当初、この方の存在というものを全然知らなか
ミカちゃんのお耳を触るのが好きです。ビロードのようになめらかで、そして絶妙なやわらかさ。 ムニムニ、ムニュムニュ。ぺたんとすると、まあるいお顔がさらに可愛くなって、たまりません。 いつものようにお
年末の実感伴わぬまま、あっという間に新年を迎えてしまいました。 12年前にも、「HAPPY CHU YEAR」という賀詞を使って年賀状を作ったっけな。なんて思いながら、描いた絵です。 歳を重ねるご
今年は姪っ子や甥っ子たちの誕生日に何も贈ることができなかったので、急きょ、ゴム板に似顔絵を彫ってハンコを作り、クリスマスにプレゼントしました。 来年は子年ということで、ネズミの耳の帽子を被ってる感じにしたか
ある日見た夢の話。 遥か彼方、見知らぬ土地の駅にいて、どうやって帰ればよいのか、困っている。 構内のエスカレーターを下へ下へと おりていくと、海のような、川のような、湖のような、素晴し
これは昨年の秋、11月30日のことである。 その日私は、入院している母の病院へと向かっていた。母は不整脈の治療をすべく、2泊3日の手術入院をしていた。幸い手術は無事に済み、明日には退院できる。私
本日より、ブログを新しくすることとしました。副題はそのままに、これからも浮きつ沈みつ、ただひたすら、自問自答の自己満足を追求してまいりたいと思います。 ▼引っ越し前の旧ブログはこちら「藍色の星た
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音楽のジャンルというものに詳しくないので、これを「ブギー」と称するのが正しいのかはよくわかりませんが、聞いているとスウィングしたくなるので、私にとってはこれは「ブギー」であります。 本当は動きをつけてアニメ
絵を描くとき、色をどう塗り重ねていくかでその仕上がりは随分と変わるものだけれど、音楽をつくるときも同じで、様々な音色やメロディ、リズムを、どう重ねていくかが重要なのだということに、最近ようやく気が付いた。
子守歌のような曲を作ってみようと思い、作ってみました。歌詞のない曲なのですが、詩を作ったので添えておきます。情景を想像しながら聞いてもらえたらうれしいです。 < 詩 > お星さま きら
数年前から、家の庭に黄色い野菊が自生している。何本か切り取り、白い摺りガラスの花瓶に入れて、洗面台の窓辺に置いた。 自然のままに育った茎は、太陽を求めて、うねるように伸び上り、その身につけているたくさんの花
なくしてなど、いない。見えないだけだ。 いつだって、そばにいる。私とともに、生きている。 疑うことなく、自信をもって、そう言い切ることができるのに、「肉体がない」という、たったひとつの
月に一度、父のお墓参りに行く。 今月の供花は、農協で買った三色の小菊。そこに、家の庭に生えてるローズマリーやナンテンの葉、ムラサキゴテンという宿根草を加えた。 連日続く酷暑のせいか、小
オリジナルキャラクター「たけちゃんろろちゃん」のテーマ曲を作ってみました。たけちゃんろろちゃんは、私が「ただゆめこ」として絵を描き始めたころによく描いていたキャラクター。大きなシイタケのたけちゃんと、小さ
最近の絵は、オイルパステルを使うことが多い。ちょうどいい大きさの紙がなかったので、昔のスケッチブックの表紙に描いてみた。 ハードカバーの本とか梱包材のボール紙とか、厚い紙を手にすると妙にうれしくなる。頑丈な
原爆の日、終戦の日。78年が経ってもなお、世界から争いは絶えない。核兵器もなくならない。なぜなんだろう。無知な自分を恥じ、悶々と考えているうちに、お盆が過ぎ、チッタの命日を迎える…ここ数年、そんな夏を繰
紙粘土で作った、愛猫ぶーちゃん。中央に小さな隙間があって、小花が挿せるようになってる。作ったのは、もう何年も前のこと。花を抱えてるような感じにしたかったのだけども…ぶーちゃんが亡くなった翌年に、私はミカ
鹿の子模様の、赤い座布団の上が好きだった。所々破れて、すっかりボロボロだったけど、そこで丸まってるミカちゃんは、本当に本当に、とびっきり可愛かった。
何気なく描いた絵に、ふと、自分自身が励まされてる。なんの意図も、たくらみもない。ただ黙って、抱きしめるように描いた絵こそ、愛おしい。
ねえ、ミカちゃん。ミカちゃんはね、最初、こ〜んなに ちっちゃかったんだよ。奇跡みたいに、とつぜん 我が家にやってきて、本当に、笑っちゃうくらい 可愛くって、大事に 大事に 育てようって、私が絶対、絶対、守るんだって、
まるまって、 まるまって、ともに、眠る。わたしたちは一つの、 魂 と なって。 朴材を使った木彫りです。 &nb
ミカちゃん、 ミカちゃん、わたしを 置いて、 星に なった。もう少しで、14才になれる はずだった のに。あのとき、あんなことさえ、しなければ自分さえ、もっと しっかり、していたなら
Youtubeに次の曲を投稿しました。「祈り」をテーマに作った曲です。本当は3.11の東日本大震災の日までに完成させたかったのですが、細かな部分を修正していたら全然間に合わず、やっと今日投稿完了することができました。 ジャケット用
私のイラストやハンドメイド作品の画像を無断で転載し、作品名や作家名を記載してあたかもそこで受注販売を行っているかのような「詐欺サイト」が複数存在していることがわかりました。 過去に「タダユメコーボ」というショップ名で自作のポストカ
突然ですが、YouTube始めました。「ベートーベン・ウィルス」をきっかけに、音楽への思いがいよいよ高まり、ついに本物へと、昇華したからです。 自分なりの音楽というものを、真剣に追求してみようと思います。作曲するだけではなく、パソ
韓国ドラマ『ベートーベン・ウィルス』に再びハマり、のめり込んでいます。2008年の作品で、私が最初に見たのは2011年のこと。指揮するカン・マエが惚れ惚れするほど本当にかっこよくて、音楽の美しさも相まって、他のことが
念ずれば、月 いずる己の 心に、宇宙を 見たり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これは、1年前に撮った写真。2021年、中秋の名月。この日の月は、本当に見事だった。連日病院通いをしてい
Youtubeに次の曲を投稿しました。「祈り」をテーマに作った曲です。本当は3.11の東日本大震災の日までに完成させたかったのですが、細かな部分を修正していたら全然間に合わず、やっと今日投稿完了することができました。 ジャケット用
私のイラストやハンドメイド作品の画像を無断で転載し、作品名や作家名を記載してあたかもそこで受注販売を行っているかのような「詐欺サイト」が複数存在していることがわかりました。 過去に「タダユメコーボ」というショップ名で自作のポストカ
突然ですが、YouTube始めました。「ベートーベン・ウィルス」をきっかけに、音楽への思いがいよいよ高まり、ついに本物へと、昇華したからです。 自分なりの音楽というものを、真剣に追求してみようと思います。作曲するだけではなく、パソ
韓国ドラマ『ベートーベン・ウィルス』に再びハマり、のめり込んでいます。2008年の作品で、私が最初に見たのは2011年のこと。指揮するカン・マエが惚れ惚れするほど本当にかっこよくて、音楽の美しさも相まって、他のことが
念ずれば、月 いずる己の 心に、宇宙を 見たり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これは、1年前に撮った写真。2021年、中秋の名月。この日の月は、本当に見事だった。連日病院通いをしてい
10月のお墓参りに行ったときのこと。近くに農協のお店があって、お花はいつもそこで買うのだけれど、その日行ったら、何とも立派なアフロのポットマムが2つ、店先のひな壇でスタンバっていました。 その幅
「何をどんなに頑張っても、自分の罪は、決して消えない」私は長い間ずっと、その虚無感のなかで、もがくように生きてきた。けれど今朝、ふと気がついた。まるで思い出したかのように。「いや、ちがう。そうじゃない。消