私が初めて「折伏(しゃくふく)」という言葉を使ったのは何時頃だったのだろうか。これは恐らく私が19歳で男子部という組織に入ってからの頃だった。当時教わったのは、折伏とは相手の邪義を徹底的に破折(論理的に否定)し、正しい教えに屈服をさせることを折伏と呼び、法華経では摂受(しょうじゆ)と折伏の二つの修行法が説かれていて、日蓮大聖人は末法の修行法は折伏だと教えている。だから創価学会は折伏精神を持って弘教拡大に努めてきたと言うのである。何も知らない私はこの先輩の言葉を信じて、友人に片っ端から仏法対話を行ってきたが、そこでやったのは相手の生き方を徹底的に否定して、創価学会の生き方こそ正しいという事だった。しかし結果として多くの友人をここで失ってしまった。しかしこれは先輩に言わせると「お前から離れていったのは、真の友...折伏は無意味だ