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ことばを食する https://www.whitepapers.blog/

私の主観による書評、ブックレビューです。小説のほか美術書、ノンフィクションなど幅広く扱います。ベストセラーランキングもチェックします。

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2019/05/27

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  • 終着駅の春

    家を出て車で2時間半、豪雪地でもある福井県大野市(越前大野)は、盆地にある古い城下町です。北陸自動車道福井北ICから、岐阜方向へ中部縦貫自動車道に折れます。30分ほど山間部を貫く道を走ると目の前が開けて、大野市に着きます。 人口3万人弱の静かな市。市街地を囲む山頂に越前大野城があって、気候次第で「雲上の城」になります。一部のファンには知られていますが、外国人観光客が訪れることも少なく、市街地には寺院群や、お洒落なお店と昭和そのままのお店が同居しています。 (越前大野城公式HPから) 名物の一つが、地元の和菓子店・伊藤順和堂の「いもきんつば」。餡の代わりにサツマイモを使ったきんつばで、昼過ぎには…

  • タケノコのこと

    わたしがよく使う田舎の県道は、途中1キロほど竹林の中を通ります。毎年4月下旬から5月の連休明けまで、その区間にタケノコ直売所がいくつも開店し、風物詩になっています。今年もシーズンに入りました。 直売所はどれも屋根と売り台があるだけ、形ばかりの粗末な小屋です。竹林を所有する農家のばあちゃんたちが、朝から土の付いたタケノコを台に並べて売っています。背後の竹林では、じいちゃんが黙々とタケノコを掘っていたり。 タケノコご飯、昆布と一緒にした味噌煮。それから...。 春の味覚としてこの時期、食いしん坊には外せないご馳走です。年金が主たる収入である高齢者は、高級店の料理などとうてい無理ですが、旬の味で季節…

  • 女性たちの心に棲む永遠の「女の子」? 〜「赤毛のアン」モンゴメリ

    みなさんご存知「赤毛のアン」(モンゴメリ、村岡花子訳、新潮文庫)。わたしは漠然と、少女向けの児童文学だとイメージしていました。ところが予想外に分厚い文庫本を手にしてみれば、500ページ超の長編。しかも続編を含めシリーズ11作という、堂々たる大作ではありませんか。 1908年の出版以来、世界中で1世紀以上も読み継がれ、2025年の今年はNHK Eテレでアニメ化もされたお化けのような小説です。これに比べるなら、日本だけでも年間どれだけの小説が刊行され、虚しく消えていることか。 国籍や歳月を超えて、乙女心を鷲掴みにする少女なのですね。アンは。 カナダのとある島が舞台です。孤児院から男の子を引き取るは…

  • 写実絵画はなにを語るか 〜画集「増補|磯江毅|写実考」

    高齢者の仲間入りをしたわたしが、趣味で油絵を始めたのは、パンデミックのコロナ禍に世界が震撼した2020年春でした。気づけば5年になります。この間、仕上げた油彩は数枚、鉛筆などの素描(デッサンやクロッキー)20点くらいか。どれも「これ以上続けてもきりがないから筆を置いた」というのが実態です。 毎日のように描いているのに、自分でもあきれるほど寡作ですが、まあ、そんな楽しみ方もあるだろうと割り切っています。 絵画は乱暴に言えば、抽象から具象までいろいろな世界があります。年齢を考えると、自分がどんな絵を目指すか、試行錯誤する時間は残されていません。ごく自然に目指したのは具象の、しかも写実でした。 個人…

  • 春の譜 2025年 〜赤毛の女の子のことなど

    今年も桜の季節がやってきて、3月末からSNSやテレビのニュースに、見事な映像があふれています。日本人は桜が好きですね。もちろん、わたしも。うちの庭にも1本の桜があって、開花を毎年楽しんでいます。 30数年前、地元に陶芸館が建設されたとき、市が周囲にソメイヨシノを植栽しました。たまたま仕事で、建設途中の陶芸館を訪ねたわたしは、打ち捨てられた1本の苗木を見つけました。現場の人に尋ねると、生育が悪い苗木なので使わなかったとのこと。 廃棄するくらいなら...と言ったわたしに 「植栽指定された場所は植え終わった。もらってもらえるなら、むしろ棄てる手間が省けるよ」 こうして、うちに桜が1本やってきたのです…

  • 感度の高い言葉の共鳴函 〜「内部」エレーヌ・シクスス

    「ことばを食する」と題し、本や言葉をテーマにしたこのブログを始めたとき、いつか書きたいと思いながら、果たしていない作品がいくつかあります。「内部」(エレーヌ・シクスス、新潮社、絶版)が、そう。かつて20歳代前半のわたしに、精神的な暴力に近い衝撃を与えた小説です。 シクススの「内部」、そしてベケットの戯曲「ゴトーを待ちながら」や「モロイ」をはじめとした小説は、わたしにとって刺激的であればあるほど、深刻で絶望したくなる作品群でした。 高校のころからわたしは、純粋な読み手である「読者」ではなく、自らも言葉に大切なことを託す「書き手」として、あらゆる本に接していました。特に意識したわけでなく、気づけば…

  • 子午山 過去も未来も風になり 〜「岳飛伝」北方謙三

    中華の北、深く長い山嶺に子午山(しごさん)があります。実在する山だと思いますが、ネットでざっと検索した程度では、確信が得られません。しかし「子午山」という言葉にヒットする情報はあふれています。 尾根をいくつか越えると川があり、川を渡った先の台地に庵があります。いま暮らしているのは、老いた二人の女性と、戦で孤児になった子どもたち、そして犬。かつて心に深い傷を負った多くの子どもたちがここで立ち直り、山を下りて行きました。 それが子午山。北方謙三さんが小説の中に創り上げた理想郷です。北方さん自身は、子午山を母の胎内に例えています。世の中から切り離され、人が生まれ変わり、生き直すための地である清々しく…

  • インテリげんちゃんの、夏やすみ。

    昔買った本を手に取ると、ときに思わぬものが挟まれています。映画や美術展の使用済みチケットをしおり代わりに使い、そのままだったり。数年前には、書架の奥に眠っていた洋書から、はらりと大学時代の元カノの写真が落ちてきたこともありました。あのときはびっくりしたなあ。 チケットだろうと写真だろうとほかの何かだろうと、書架に戻すとき、たいていは同じように挟みます。いつかまたその本を開くことはあるのか、ないのか。分からないけれどそれでいい。 今日は、新潮文庫が小さなタイムカプセルでした。挟まれていたのは特別なものではなく、当時の折り込み案内「新潮文庫 今月の新刊」です。キャッチコピーは インテリげんちゃんの…

  • 今年のガーデニング事始め バラを植える

    目が覚めると、陽が射していました。数日前まで庭に残雪があったのに、窓から外を見るともう雑草が目に入ります。たくましい奴らよ。苦笑いしながら思う。「ようやく春らしくなったな」と。 早々に朝食を済ませて着替え、作業小屋で除草フォーク、シャベル、集草容器、地べたに座るための尻当てを持って、いちばん雑草が目立つハーブ花壇周辺の芝地へ。今日が2025年のガーデニング始めでした。 芝は茶色に枯れたままでも、芝を割って、緑鮮やかに数種類の草が生えています。草は広葉、針葉それぞれで、少しでも早く抜いておかないと、後から大変な思いをすることになります。 ガーデニングはどんな作業であろうと、数週間、数カ月、場合に…

  • 人生の蛮勇とは何だろう 〜「バルセロナで豆腐屋になった」清水建宇

    2月も下旬に入ったというのに、景色を白く埋めて今も降り続ける雪を、窓の外に見ながら思いました。蛮勇とは何か。 一か八かのギャンブルは、勇気でなく弱さの裏返しというのはよくある話。あるいは窮鼠が猫を噛む開き直りだけれど、開き直ったネズミがネコに勝った話なんて聞いたことがありません。 本物の勇気というのは、案外難しい。しかもとびっきりのやつとなると、とびっきりに。蛮勇を実現する本人は、いちいち勇気とは何かなんて考えていないのだろうけれど。 「バルセロナで豆腐屋になった」(清水建宇)は、岩波新書の新刊。体験談、ノンフィクションです。清水さんは、定年退職後にスペインのバルセロナに住みたいと思っていまし…

  • 最近の芥川賞3作を読む 〜「DTOPIA」「ゲーテはすべてを言った」「バリ山行」

    いろいろある文学賞の各受賞作品について、わたしに「追っかけ」や「推し活」趣味はありません。でも、次に読む本がなかなか決まらないとき、あるいは品切れで再版待ちをしているとき、それなら最新の芥川賞作を読んでみようか...という程度には意識しています。 先日発表された第172回芥川賞は、「DTOPIA デートピア」(安藤ホセ)「ゲーテはすべてを言った」(鈴木結生=ゆうい)の2作が受賞。いつものこととして「文藝春秋」今月号に選評を含めて全文掲載されています。各選考委員はどんな評価をしたのか、それぞれの個性が読み取れて、選評もけっこう面白い。 「DTOPIA」。文章のエネルギーがすごい。 南の島で各国か…

  • 立春大寒波

    立春を過ぎた火曜日から、大雪に見舞われています。今冬は12月が寒く、1月は逆に早春のような気候でした。寒の入りのころ、雪のない庭には緑の雑草がぽつぽつ見え始めていました。 ところが2月になると、1月の気候と入れ替わったよう。一昨日、目覚めると50センチを超える積雪でした。一夜で、雪国です。 こうなると、長靴と防寒具程度で新雪をかき分けて歩くことは不可能。最低限、玄関口から道路まで除雪しないと孤立状態になります。車を使うなら車庫前も。 わたしが暮らす住宅団地内の道路は、地下水が噴出して流れる融雪装置が埋め込まれていますが、一般道は夜を徹してフル稼働する除雪車だけが頼り。降雪が続けば除雪が追いつか…

  • 静かに 小さな勇気をもらう 〜「青い絵本」桜木紫乃

    人の心の在処など深追いしない 心細やかな人ほど、そして懸命に厳しい現実に立ち向かって生きているほど、そう思うのではないでしょうか。人の心の在処を深追いしないと決めた。その代わりだれにも、迷惑はかけないつもりだ。だから、自分が本当はどう思っているかも、勝手に想像してもらいたくない。 潔く、孤独です。 「青い絵本」(桜木紫乃、実業之日本社)は、5人の女性の人生の一端を切り取った短編集です。歯切れのいい短いセンテンスの流れが生むリズム。淡々とハードボイルドで、しかし男の作家には書けない女性の心のざわめきが、一筋の水脈のように走っています。 音楽でいえば、桜木さんは短調の曲が得意な作家です。哀しい曲調…

  • さざんか さざんか さいたみち 〜冬の童謡と絵

    🎵〜 さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき 「あたろうか」「あたろうよ」 きたかぜ ぴいぷう ふいている この童謡の題名、すぐに浮かんだ人は、かなり年配の方でしょうか。ん、題名、なんだっけ..と、遠くを見る目になった方もきっといるでしょう。 「たきび」です。昭和になって作られた歌なのですが、野焼きが法律で禁止され、最近は田舎であってもおいそれと焚き火はできません。 実は、ちょっと意地悪をして、冒頭に紹介したのは2番の歌です。 1番は「かきねの かきねの まがりかど/たきびだ たきびだ おちばたき〜」ですね。 わたしは冬の散歩中、知らない家の庭先に咲く花を見て、山茶花(…

  • 犯行動機は 償いか愛か 〜「白鳥とコウモリ」「架空犯」東野圭吾

    東野圭吾さんの「架空犯」(幻冬舎)が刊行されたのをきっかけに、未読だった前作「白鳥とコウモリ」(2021年)を書店で買い、新刊である「架空犯」はネットで古本を注文しました。ん、新刊の方が古本かよ。 どちらも刑事、五代努が殺人事件の真犯人を追い詰めていく謎解きです。そしてどちらも、止まらなくなって一気読みでした。 読書の醍醐味は、いろいろな魅力の総合力で成り立っていますが、1丁目1番地の基本は「面白い」か否か、です。わたしにとって。文学書だろうと宇宙物理学の入門書だろうと、面白いから読む。 他方で「面白くない」本の代表格は小学校から高校までの教科書だった。あれほど読み手を無視して、中身を押しつけ…

  • 激動の幕末 薬売りの青年は 〜「潮音」第1巻、宮本輝

    越中富山の薬売り。江戸時代から全国津々浦々を巡り、こどもたちに紙風船や錦絵を配り、配置薬のうちの、使った分だけお金を頂き、新しい薬を補充して次の家に行きます。 幕府の隠密さえ生きて出られなかったという薩摩藩にも、越中の薬売りは出入りが許されていました。薬売りを束ねる越中の薬種問屋、そして薩摩藩は、密貿易という決して表に出せないつながりで結びついていたからです。 北海道ー越中ー薩摩ー琉球、そして中国。この密貿易ルートで薩摩藩は昆布を売った膨大な利益で窮状を脱しただけでなく、経済的な基盤を得ることで、幕末の討幕へ向かう歴史の主人公になりました。 一方で、北海道から薩摩までのルートを差配した富山の薬…

  • 転々とつながる人間模様 〜「青い壺」有吉佐和子

    ほぼ半世紀前に書かれた小説が、いま静かな人気になっていると知り、「青い壺」(有吉佐和子、文春文庫)を手にしました。 無名の陶芸家が焼いた、美しい青磁の壺。売られ、贈られ、盗まれ、京都の露天の骨董市に並び、果てはスペインに渡り。転々とする青い壺と関わった人たちを描いた13話の小説です。 多くが戦争を体験した世代の話でも、古びた感がありません。喜怒哀楽の人間模様は、時代と関係がないから。いまとなってはむしろ、薄く歴史のベールに飾られて、作品に面白さを加えている気がします。出来のいい壺が、時を経るほど味わいを増すのに似ていますね。 第一話は壺の誕生です。陶芸家自身が驚くような出来に焼き上がった、一つ…

  • 本についての やれやれ...

    わたしが若かったころですから、ずいぶん昔になります。身動きもままならない大都市の非人道的?な通勤電車は別として、ふつうの電車内では、吊り革につかまりながら大人たちが器用に新聞を広げ、学生や高校生は参考書か文庫本を読んでいました。 活字を追いながら、降りるべき駅と時間はしっかり意識にあって、だれも乗り過ごしたりはしません。そそくさと新聞や本をしまい、人の流れに乗ってホームに降りる。1日はそんなふうに始まり、わたしもそんな光景の中の一人でした。 いま電車に乗れば、老いも若きも見つめているのはスマホです。もう少し時代が進めば、みんなサングラス型のウェアラブル端末をかけ、黙々と前を見ているようで、実は…

  • 色の日めくり 〜2025年

    明けましておめでとうございます。正月はとうに過ぎましたが、わたしは今日がブログ始めです。 新しい年になったからといって、特に目新しいことがあるはずもなく。むしろ妙に急かされた気になる年末の方が、いろいろ頑張るのではないでしょうか。わたしの場合は、大晦日まで4日かけて包丁を3本研いだり、この本だけは年内に読了したい、描きかけの絵はここまで進めたい... とか。そして毎年恒例、年末ジャンボの結果に深く失望し、たった1枚、300円の当選券以外は紙屑になった宝くじをしまい、失った2700円を噛み締めて粛々と新年を迎えました。 唯一、変わったのはカレンダーです。今年は日めくりにしました。1年365色、ア…

  • 能登の絵師 震災から1年の大晦日

    あと数時間で、2025年を迎えます。1年前の元旦夕方、能登半島地震が起きました。わたしが暮らす地は能登に近く、震度5強。初めて体験する強い揺れが長く続き、直後に津波警報が出ました。自宅は海岸線から4、5キロ離れていますが、近くを川が流れ、海抜は1メートルほどしかありません。 外に出ると、ふだん見ることのない海鳥が飛来して、鳴きながら夕空に乱舞。「これはまずい」と、浮き足立ったのを思い出します。 能登の被害は甚大でした。復興が進まない中、9月には豪雨災害に襲われました。わたしは夏以降2度、能登へ行きました。七尾市では潰れた家、ひび割れた街中の道路がそのままでした。 尾張国で織田信長が生まれた5年…

  • 絵に夢を託した画家たち 〜「近代絵画史」高階秀爾

    年末になり、たまたま見ていたテレビ番組で、指揮者の小澤征爾さん、詩人の谷川俊太郎さんら2024年に亡くなった著名人を取り上げて1年を振り返っていました。個人的には、美術史家で評論家の高階秀爾さんも忘れられません。10月17日、92歳の生涯を閉じられました。 「近代絵画史 ゴヤからモンドリアンまで」(高階秀爾、中公新書上下2冊)は、半世紀前に刊行され、今なお名著だと思います。 普通の通史ではなく、印象派をはじめ次々に生まれた運動は、どんな必然性があって現れ、画家たちがどんな苦闘をしたのか。そしてやがて、抽象絵画につながっていくまでの面白さ。分かりやすく分析、解説され、まるで近代絵画をテーマにした…

  • 信仰ということ 〜「沈黙」遠藤周作

    祖母だったかほかのだれかだったか、確かな記憶はないけれど、子どものころこう言われました。 「隠れて悪さをしても、ののさまは見ていらっしゃる」 仏様のことを、わたしが暮らす地方では子ども言葉で「ののさま」と呼びます。「見ている人がいないからといって、悪いことをしてはいけません。仏様は全てご存知です」と、諌められたのです。 ませた子だったからか、真に受けませんでしたが、以来、何かよからぬことを考えると、どこか上の方から人を超えた眼に見つめられている気がしたものです。ののさまとは、どんな方なのか。毎日仏壇に蝋燭を灯し、お経を読む祖母のイメージが浮かびました。最初で、たぶん最後の、ささやかな宗教体験で…

  • 本についてのあれこれ

    初代iPadが日本で発売されたのは2010年5月です。発売初日、銀座のアップルストアには開店前から長い列ができ、ニュースになりました。 同じ日の午前中、田舎に暮らすわたしの自宅には宅配便でiPadが届きました。アップルの公式サイトで、事前に購入予約していたのです。タブレット端末というものが、日本で初めて世に出た日でした(アメリカでは一足早く発売されていた)。 事前予約までしてiPadを求めたのは、わたしが筋金入りのアップルファンだったことに加え、「これで本を買わなくてもいいのではないか」という希望を抱いたからです。iPadを読書端末にし、新刊本も電子書籍で買えばいい。 当時すでに、狭い部屋は本…

  • 河の流れとうたかた 〜「方丈記」鴨長明

    長く生きると、次第に「若さ」をまぶしく、うらやましく思うようになります。もし自分に再び若さが与えられたなら、ああするだろう、こうするだろう...と思い。しかし、それは後出しじゃんけんと同じで、実に身勝手な夢想にすぎません。 仮に若返ったとしても、また歳月を経て行き着いた先にきっと大差はないでしょう。苦い思いを噛み締め、再び「若さ」を求めるだけで。わたしという人間の器はその程度です。 一方、もう「若さ」は真っ平だという思いもあります。夢に振り回され、傷つきやすくて傲慢で、だから人も傷つけ、あれほどしんどい時期は人生1回きりでたくさんだ!ーと、だれかが言えば、わたしは深く頷きます。 こんな愚にもつ…

  • 無力な人 寄り添う人 〜「イエスの生涯」遠藤周作

    これは評伝なのか、小説なのか。「イエスの生涯」(遠藤周作、新潮文庫)を読めば、だれもがそう思うでしょう。紀元前3年に生まれ、ナザレの町で貧しい大工として働き、短い生涯の晩年に弱きものへの愛を説き、33歳ごろ十字架の磔になって刑死したイエス・キリスト。 評伝であれば、イエスという神格化された存在を地上に引き戻し、一人の生身の男としてとらえなければ成立しません。 できる限り死までの事実や証言を調べ、真偽を確定する必要がありますが、ベースにできる史料は極めて限定的です。主に、イエスの死後に使徒がまとめた4つの福音書を中心とした新約聖書。しかし聖書には、「事実」と、「宗教的な真実」、もしくは後世の信者…

  • 蕎麦 飛騨路と剣客商売 〜食の記憶・file7

    特段、蕎麦にこだわりはないけれど、あの歯触りと淡白で微妙な味、喉越しはうまいと、60歳を過ぎてから知りました。十割、八割、それぞれの風味があります。 地元の駅の立ち食いだって捨て難い。これは立ち食いが激務だった人生のさまざまな記憶と結びついているからで、「おいしさ」にはそんな要素も大きいと思います。 うどんだって好きで、特に寒くなってくるこれからは、天ぷらと玉子を割り入れて、ぐつぐつ煮立っているのが運ばれてくる鍋焼きなんてのが実にいい。冷えたビールと。 しかし年々、うどんより蕎麦を食べることが多くなってきました。 思うに、わたしは蕎麦の味の奥深さを、年齢を重ねることでようやく分かったのか。エネ…

  • ドタバタに笑い、じんわり胸にきて.. 〜「赤めだか」立川談春

    春から50号のキャンバスに風景を描き続けて、一向に完成のめどが立ちません。心のエネルギーと時間を、延々と費やしています。 わたしの場合、何時間も一心不乱に描き続けることは到底できません。細部まで妥協しない写実を目指していると、こんをつめて筆を使います。30分も描くと集中力が持たなくなり、はあー。と、息を吐いて暫時休憩。この休憩中のリフレッシュに、重宝しているのがエッセイ本です。 小説は、よろしくない。面白かったりすると、絵を忘れて一気読みモードに入ってしまう。暫時休憩が、暫時で終わらなくなります。それでは「本末転倒」で、この場合の「本」は絵で、「末」は本(小説)なのでややこしい。 他方、評論の…

  • 風景論 〜追悼 谷川俊太郎

    風景論 夢のなかで空を飛んでいるとき、鳥になっているわけではない。 わたしはいつも人のかたちをし、不器用に苦しんで宙をさまよい、地に戻れないでいる。 西暦2024年11月19日。運転中の交差点で、 銀杏並木の向こうに、山脈と空を見た。 鳥になって、風になって、そこへ還りたいと思った。 醒めた目に映る風景の中に、求めていた夢の断片を見つけたから。 そしてあなたは、どこへ還っていったのか。 谷川俊太郎さんが亡くなりました。己をわきまえず「追悼の詩」などと思ったのですが、こんなのしかできません。詩人じゃないし。はあ..。写真はその日、わたしが暮らす地のワンショット。 下はむかし書いた谷川さんの記事で…

  • 読めば食したく、また飲みたくなり 〜日本の名随筆26「肴」池波正太郎編

    食べ物について書かれた文章の良し悪しは、簡単に判断できます。あくまで個人的基準によって、ですが。読んで食したくなるかどうか。目で文字を追いながら、口中に唾が滲んでくるようであれば名文です。 多少日本語として乱れを感じたとしても、評価は揺るぎません。逆にどんな名文家の手になる作品でも、食欲を刺激されなければ駄文に等しい。 さて、例えば小説なら、さり気なく出てくる食べ物がおいしそうであれば、例外なくその小説は面白い。池波正太郎さん、北方謙三さんらが代表格ではないでしょうか。 「日本の名随筆26『肴』」(池波正太郎編、作品社1984年刊行)は、酒の肴についての1冊。昭和の時代に活躍した作家、映画監督…

  • 民宿で痛飲の朝、海に光射す 〜家持歌と芭蕉から

    脂がのった海の幸・寒ブリで知られる、富山県氷見市の民宿に一泊しました。和室の部屋は海に面し、窓を閉めても潮騒の音が聞こえてきます。階段を降りると露天風呂。ここからも海と、海の向こうに冠雪した北アルプスを一望できました。 痛飲して畳に敷かれた布団に入り、翌朝はまだ薄暗いうちに起床。露天風呂に行くと、もう5、6人の先客がいました。目的はみんな同じです。山々の向こうから朝焼けが始まり、やがて海が輝き始める光景を、露天風呂から眺めようという魂胆です。 目前に広がるのは、古典文学の世界で代表的な歌枕の一つ、有磯海(ありそうみ)。 ところがわたしは、稜線がくっきり浮かび始めたあたりで、急いで部屋に戻りまし…

  • 古代史を巡った6日間 〜ぶらぶら歴史好きの奈良路

    10月最後の月曜日から11月初めにかけて、奈良を巡ってきました。朝に車で家を出て、昼食や休憩をはさんで5時間。JR奈良駅に近いホテルに早めにチェックインしました。 大和国(やまとのくに=奈良県)は、古代史の中心舞台です。これまでわたしは2回しか訪ねたことがありません。中学時代に1日、家族で奈良観光。法隆寺などぼんやりとした記憶が残るのみ。30年前に出張で1泊したときも、取材先を訪ねてとんぼ返りでした。 日本という国の故郷のような土地ですから、一度はしっかり見たいと思っていたのです。行こうと決めたのは春でした。歴史学者の桃崎有一郎さんが「邪馬台国はヤマトである」という新説を発表(「文藝春秋」3月…

  • 夜食に切り餅と青紫蘇を食う 〜食の記憶・file6

    夕食後、食器を洗ってから部屋に行き、焼酎お湯わりを飲みながら、読書やオンラインゲーム、油彩のお絵描きで過ごすのが日常になっています。合間を見つけて風呂に入り。 本が面白いと、すぐに午前1時2時になってしまう。翌朝の出勤時間を気にしなくていいのは、会社勤めから解放された老いの贅沢です。 肴もなしにちびちび飲み続けていると、深夜に小腹が空いてくる。普段はせいぜい煎餅を1、2枚齧る程度で我慢するのですが、昨夜は一皿作ることにしました。と言っても、たいそうな料理ではありません。 切り餅をオーブントースターで焼き、青紫蘇の実の醤油漬けを乗っけただけ。漬け醤油も少々垂らして。わたしは紫蘇の実が好物で、あの…

  • そこのヒト、リンゴ食べたいの? 〜「母なる自然のおっぱい」池澤夏樹

    書架の奥にある(はずの)本を探すため、周辺に堆積した単行本やら文庫やらをよけているうち、つい目的外の1冊を開いてしまうことがあります。ページをめくり、そのうち、本来探していた本は後回しになってしまい。 「母なる自然のおっぱい」(池澤夏樹、新潮文庫)は、かくして机上に再登板した予定外の本でした。自然と人間に関する12の論考からなる、知的で創造的な1冊。読売文学賞受賞作。内容はすっかり忘れていたけれど、のっけから面白い。ある友人の話.... 人影まばらな小雨の動物園で、友人はオランウータンの檻の前で立ち止まりました。幼さの残るオランウータンがリンゴをおいしそうに食べています。なにしろ暇だったので、…

  • 読書の秋、芸術の秋

    春から50号のキャンバスに油彩で風景を描いていて、苦労して神経を削りながらも、まあ(たぶん)楽しんでいます。50号は一般的には大作でないけれど、わたし的には大作〜!というサイズなのです。 完成まで何年かかるか。描くほど、ゴールか遠くなっていきます。なにせ前作は、わずか10号のキャンバスに、鳥の巣一つ描くだけで2年数カ月かかったのだから。 風景はまだとてもお見せできませんが、息抜きに鉛筆で孫の顔をデッサンしています。描き込み段階。こちらは今年中に「それなり」の鉛筆画にしたい。 (「ひなちゃん」制作途中、スケッチブックに鉛筆、木炭、白鉛筆) *********** こんな具合なので、読書傾向が様変…

  • 生きて、書いて、愛した人 〜「放浪記」林芙美子

    一気に通読するだけが、「放浪記」(林芙美子、新潮文庫)の読み方ではないと思います。わたしは併読本として、気が向いたときに少しずつ読み進み、気づけば2カ月余り。ページを開くといつも、林芙美子という魅力的な女性に再会し、大正時代の日本社会の雑踏の空気を吸いました。 小説のようなストーリー展開はありません。(○月×日)で始まる日記形式の身辺雑記と、思いの吐露。下女、カフェーの女給、セルロイド人形の絵付けなど、職を転々として、なんとも貧乏。なにせ、長続きしないのだから。 みかん箱の机で詩や童話を書いて売り込み、たまに採用されると溜めた下宿代を払い、コメと魚を買って幸せに浸る。困窮極まると水を飲んで腹を…

  • あの人はわたしのすべてだった 〜「冷静と情熱のあいだ」江國香織

    純粋、切ない、優しい、強い。弱い、かたくな、そして残酷。 どれも、「冷静と情熱のあいだ」(江國香織、角川文庫)の主人公<アオイ>について考えたとき、思い浮かんだ言葉です。そして全部、だれしもが持つ人の本性かもしれません。 単行本帯のキャッチコピーによれば「今世紀最後の、最高の恋愛小説」。1999年刊行なので25年前、20世紀の終わりですね。 <アオイ>は、イタリアのミラノに暮らし、ナイーブなアメリカ人と付き合っています。舞台はおしゃれだけれど、小説の雰囲気は冒頭からさみしげで、イタリアというより北欧の静かな短調の調べ。当時、すでに普及し始めていたメールは出てこなくて、手紙の世界です。 読み進み…

  • 「レダと白鳥」〜レオナルド・ダ・ヴィンチの失われた傑作

    空き部屋になった2階の子供部屋に、春から画材を運び上げ、画集など絵画関連の書籍もすべて移してアトリエにしました。いま、とてもお気に入りの空間です。 絵筆を持つと集中力が必要で、30分前後描くと限界に達するので、中入りの休憩を3、40分。その繰り返しになります。で、休憩時間には軽い読書や画集を眺めてリラックスします。 きょうたまたま、「世界素描体系」(講談社、全6巻)のイタリア編めくっていて、15世紀後半に活躍した画家・彫刻家、ヴェロッキオのデッサンに目が留まりました。なんだか見覚えがあって。ルネッサンス期イタリアのヘアースタイリスト?が、腕を振るったのであろう女性の頭部像です。 ところで。 天…

  • Curry カレー 〜食の記憶・file5

    昭和は子供から大人まで、日本の国民食の一つがカレーライスでした。わが家では母が、わたしの好みに合わせて「ジャワカレー」(ハウス食品)の中辛を作ってくれた。 なにしろ田舎。フレンチやイタリアンは当然、和食という高級料理などつゆ知らず、カレーと日清の即席麺「サッポロ1番」が、腹を空かせた少年の王道でした。 そんなわたしにとってレトルトの「ボンカレー」や「カップヌードル」の出現は、大いなるカルチャーショックでした。「鉄腕アトムの21世紀が確実に近づいている!」みたいなわくわく感があって。 1970年代後半、大学生になって東京で下宿生活を始めたわたしは、近所の肉屋さんでトンカツを買い、部屋のガスコンロ…

  • 壮絶な記録文学 300余の人柱 〜「高熱隧道」吉村 昭

    壮絶な記録文学です。北アルプスの黒部峡谷は、峻厳な地形や豪雪が人の侵入を拒み続けてきた秘境。その峡谷に水力発電のダムを建設するため、人や資材を運ぶ隧道(トンネル)の掘削が始まりました。 ところが地下火山の影響で、掘り進むと岩盤温度は160度を超え、熱湯が絶えず吹き出してトンネル内は灼熱地獄になります。 「高熱隧道」(吉村昭、新潮文庫)は丹念に工事記録を調べ、現場責任者である技師の視点から、自然と人間の闘いを描き出した作品です。 あまりの高温に、発破のダイナマイトが自然発火して、人夫たちは逃げる間もありません。坑道の最深部、バラバラになった肉塊を抱き上げてトロッコ3台に積み、外に出してムシロに並…

  • 食い道楽 日の丸お粥に中華そば 〜食の記憶・file4

    ふと、ある食べ物が思い浮かび、無性に食べたくなる...こと、ありませんか? 若いころは洋食に中華、和食、創作料理、B級グルメまで、いろいろ情報を見て食べくなったものです。思い浮かべるだけで、口にじわっと唾がたまる感じ。体が、食物を求めていたのだと思います。 けれど、年齢とともにそんなことは少なくなった。だから、なにかを食べたいという欲求自体、じじいになった今はけっこう新鮮です。 昨夜。炊飯器の残り飯を見ているうち、無性に朝のお粥を食したくなりました。冷蔵庫にある、塩が効いて酸っぱい自家製梅干をのせて。かみさんにその旨を告げ(=わたしの朝食は準備しなくていいと伝える必要がある)、珍しくわくわくし…

  • 届かない恋心 切ない大人の童話 〜「やさしい訴え」小川洋子

    「やさしい訴え」(小川洋子、文春文庫)を読みながら、読み終えて、しばし考えました。この小説について、なにか書くべきなのか...。以前、このブログである恋愛小説を取り上げたとき、以下の趣旨のことを書きました。 いい恋愛小説はただ共感できるか否かであり、それ以外の小賢しい評は蛇足でしかない、と。今思えば「偉そうに...」wwなんですが、本によって、読者が接すべき態度が異なるのは当然だと思います。 この作品に関して書くことは、共感を離れて、意地悪な客観的視線で見直すことになります。野暮ですよね〜。それでは、できるだけ野暮にならないよう努力して簡潔に蛇足を記します。 <わたし>は一人、林の中にある古い…

  • 極限状態、冷徹な人間観察 〜「野火」大岡昇平

    ウクライナ、パレスチナのガザ地区など、世界のあちこちで戦争が絶えません。有史以来、国と国は武器を執って争い、21世紀になっても変わることがない。 幸い、日本はしばらく戦争に直面していないけれど、「戦後」という言葉が過去になったわけではありません。改めて言うまでもありませんが、この場合の戦争は第二次世界大戦であり、日本にとっては主に太平洋戦争。東京など主要都市への焼夷弾、沖縄戦、さらに広島と長崎への核爆弾投下で、人びとが焼き殺され、粉々に吹き飛ばされました。 一方で青壮年の男たちは召集され、補充兵として戦地に投入されました。軍人でない彼ら民間人に即席の軍事教育を施し、最前線へ。しかも食料補給さえ…

  • 思えば遠くへ来たもんだ

    たまたまSNSと、とあるブログで相次ぎ、手塚治虫が1970年に描いた同じ画像を見ました。人の一生を男女別の図にしていて、なんと10歳過ぎまでと50歳以降は、男も女もないことになってます。 手塚センセイ、多少のアイロニーを込めて描いたと想像しますが、半世紀以上を経た現代とはあまりに違う。いま年金支給の開始年齢は65歳、しかも「まだ働け」という風潮です。ところが図は、そんな年齢自体が対象外です。 厚生労働省のデータを調べると、1970(昭和45)年、日本人の平均寿命は男69.31、女74.66歳でした。夏に大阪万博があり、秋には三島由紀夫が自決した年です。 当時のわたしは中学生で、色気づいて?きた…

  • 百年を経て妖になった面々 〜「つくもがみ貸します」畠中恵

    私たちが日常に使う道具類、百年の年月を経ると魂が宿って妖(あやかし)になるという。これが付喪神(つくもがみ)です。 茶碗なんてすぐ割れるし、木製品だってガタがくる。たいていの道具、器物はとても百年持ちません。しかし一方で、精巧な細工を施した文机とか、名工の手による香炉とか、何百年も使用、もしくは保存されている道具も珍しくありません。 いやそんな銘品でなくても、何世代かにわたって稗や粟や、正月くらいはお米を盛った薄汚れた茶碗も、奇跡的に百年使い続けると付喪神が宿るのです。ふだんは静かにしているけれど、人目がなくなると悪戯を始める...。 長い年月を経たモノに魂が宿るという精神文化が、日本固有なの…

  • いちまいの絵

    40年近く前、1週間ほどパリを訪れました。ガイドブック片手に、移動手段は地下鉄の回数券を買い、バスに乗り、郊外へは駅からフランスの国鉄で。あとは徒歩。旧ルーブル美術館は朝から夕方まで費やしてとても回り切れなかったり、アポリネールの詩「ミラボー橋」を渡り、学生街カルチェラタンのカフェでサンドイッチ齧ってビールを飲んだりしました。 そしてモンマルトルの画廊で、水彩を1枚買いました。確か、当時の日本円で1万円ほどだった。 日本の古本屋さんみたいな雰囲気の画廊で、一角に何十枚もの水彩画やスケッチが裸で平積みされていていました。100円均一本のような扱いで、さすがに100円ではなかったけれど。 推測です…

  • 長い逃亡劇の果て 彼女が見つけたもの 〜「ヒロイン」桜木紫乃

    「ヒロイン」(桜木紫乃、毎日新聞出版)は、23歳から17年間にわたる逃亡の物語です。華やかなタイトルと裏腹に、殺人罪の指名手配写真を気にしながら、次々と別人になりすまして世間を欺く長い旅。そこにも男との出会いと死があり、最後にようやく、ヒロインは自らを縛る過去の呪縛から抜けることができます。 生きるとは何か。幸せはどんな姿をしているのか。逃亡の生き様を描くことで、わたしたちの普段の生き方に裏側から光を当て、問いかけているようでもあります。 1995年3月、新興カルト教団による白昼テロが発生しました。実際の事件と教団をモデルにしていることは、だれにも分かります。当日、何も知らされないまま、ただ教…

  • ああこんな夜 また酔ってゐる 〜「続・吉原幸子詩集」など

    梅雨入りし、蒸し暑い日が続きます。 最近処方された薬の副作用に、「眠気」があります。そのせいなのか、寝る前に飲むと深く眠れて朝寝坊になりました。本来の効能より、そちらに感謝したいくらい。 そして明け方によく夢を見ます。幸いにも、いい夢であることが多い。幸せな夢を見たときは、目覚めてしまうのが悔しい。窓から朝陽が射す布団の中で、半覚醒の自分のバランスをもう一度、眠りの海底に沈めたいと願います。 結局は、流木かごみのように、現実という砂浜に打ち上げられてしまうんですけど。やがて「もうこんな時間か」と、わたしは経年劣化が進んだ上体を起こします。 よっこらしょ。う、腰が... 目覚めて しばらくは 夢…

  • 心を白紙に、物語に身を任せて 〜「ナミヤ雑貨店の奇蹟」東野圭吾

    日々の暮らしで、つい肩に力が入り、いつの間にか疲れているとき、心の重さを解き放ってくれるのもフィクションが持つ力の一つです。 「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(東野圭吾、角川文庫)を読み終えて、わたしは久しぶり清々しい気持ちになりました。心がぎすぎすしているとき本を読むと、つい「そんな展開、リアルではあり得んだろ」と突っ込みを入れたくなるものですが、この小説、気づけば心地よく物語に身を任せていました。 繁華街から外れた1軒の雑貨店。廃業して久しく、看板の文字もようやく判別できる元店舗兼住宅の一軒家です。 ネットも携帯もない時代、ここには妻を亡くし、老いた店主が独りで暮らしていました。雑貨店としてより、密…

  • この迷宮におそらく解答はない 〜「箱男」安部公房

    6月中旬にして今日は真夏日の予報。朝から冷房の効いた喫茶店に逃避し、モーニングセットを食べ、いまノートPCを開いてこれを書き始めました。 このところ、読了した本はそれなりにあっても、ブログに書くのが億劫になっています。理由は単純で、油彩で風景の大作に着手して、時間とエネルギーをそっちに持っていかれるから。でも、たまには何か書いておかないと...ということで。 「箱男」(安部公房、新潮文庫)は、斬新で難解な安部作品の中でも、ひときわ手の込んだ迷宮のような小説です。読み進むほど<?>が積み重なり、登場人物の行動や思考、言葉に違和感を覚えながら、しかし読むのをやめられませんでした。 箱男は、名称通り…

  • 澄んだ水脈に 心ひたすような 〜「月まで三キロ」伊与原新

    気づいたら、泣いていましたーと、文庫本の帯にあったけれど、なるほど泣くかどうかは別にして、いい短編集だと思いました。「月まで三キロ」(伊与原新、新潮文庫)です。 表題作を含め7篇が収めてあり、どれも冷たい渓流の流れを掬って飲むよう。飲んで初めて、自分は喉が渇いていたのだと気づく澄んだ味。 世の中、味付けと効能に工夫を凝らし、ときには奇抜で怪しげな飲料さえ溢れています。そんなドリンク類や酒に慣れてしまうと、喉が渇いているなどと思いもしない。ところが実は....と、はっと気づかせてくれました。 もちろんいま、飲料に例えて小説の世界について話しています。 新しい表現や世界観に挑むのが芸術の最先端だと…

  • 不忍池 上野公園を歩いて

    仕事を通じて知り合い、20年来の友になった4人で2泊3日、東京への「お上りさん」を楽しんできました。帰宅したらブログに書こうと思っていたのに、昨夜キーボードを叩いて記したのは、なぜか駅で買った古本のことでした。あれ。 「お上りさん」は、年に1回の庶民の贅沢なのです。出発駅のホームに立ったときはすでに、缶ビールを1本消費しており。花の東京に着けば、友人が苦労して探し出した銀座の安ホテルにまず荷物を預け、近くで和食のランチ。ビールも飲んで4000円以下は、昨今の物価高と場所を考えればリーズナブルなのかな。 しっとり薄味の上品な食事でした。 夜は神宮球場、ビールで唐揚げパクつきながら、ヤクルトの4番…

  • 本との出会い、そして古本屋さん

    週末にかけて東京に出かけ、両国、翌日の夜は銀座の端で、友人たちと飲みました。2泊して夕方の新幹線で富山駅に帰着。改札を出ると、駅の南北をつなぐ自由通路で恒例の古本市<BOOK DAY とやま>が開かれていました。年数回、地元の古本屋さんたちがこぞって出店する催しです。 ローカル線との接続時間の合間に慌ただしく見て回り、2冊を衝動買い。どちらも初めて知った本です。夜、部屋でちびちび飲みながら、それぞれの表紙を眺め、ぱらぱら拾い読みし、巻末の奥付けで刊行年月日を調べ。古本との出会いを楽しむわけです。 「ベケット・放浪の魂」(堀田敏幸、沖積社、2017年刊)。定価3,500円が、1,600円。 「安…

  • 風景を描き始めて

    このところ、本を読むより絵を描く時間が多いのです。わたしにとって「描く」とは、自分の感性とか、絵画的な効果を考えるとか、そうした類のあらゆる人為的なフィルターを排除すること。 愚直に写実です。描く対象(モチーフ)を見続けて、それが現実に存在することの当たり前、その凄さに、すべてを委ねた絵が理想。どんな細部であれ、形態や色彩に素人の芸術家気取りの改変などあり得ない。 描くに当たって自己の感性を否定すると、これがなんとも清々しい。同時に、自分の技量のなさに常にがっかりして、モチーフに申し訳ない。モチーフを生かすために、わずかでもスキルを高めたいと思います。 もちろん、素人であっても具象、抽象、どん…

  • 日常を破壊する現代の童話 〜「砂の女」安部公房

    「白雪姫」をはじめ、童話や昔話の原典をたどると実は残酷な話が多い....というのは、けっこう知られていると思います。 では、残酷な童話を現代小説として創作すればこうなるのではないか。 安部公房の「砂の女」(新潮文庫)を読んで、最初に思ったのがそれでした。ただし、母が娘の美しさを妬んで殺そうとするとか、内臓を食ってしまいたいとか、グリムのような素朴な残酷は出てきません。 広大な砂浜の寒村。都会から昆虫採集にきた平凡な教師の男が、足元の砂が崩れるように、深い穴の底の異世界に閉じ込められます。そこに暮らす一人の女。 残酷とは、簡略化すればわたしたちの常識から外れた行為、もしくは出来事です。そして童話…

  • 春の譜

    久しぶりに会う約束をした友人から、待ち合わせ場所に着く直前にメッセージが入りました。 「病院にいる。すまん」 彼はある病気と長く付き合いながら仕事を続けています。事情をよく知っているから、怒る気になれないし、必要以上に心配もしません。ときどき悪化して激しい痛みに襲われる。しかし、そのまま命に直結する病気ではない。 悪化すると処方されている鎮痛剤では効きめがなく、病院のベッドで点滴の鎮痛剤を入れて、ひたすら耐えるしかないようです。キャンセルが遅れたのは、直前までなんとか約束を守れないかと考えていたのでしょう。 想像してわたしの心も痛むけれど、元気になったときにまた会えばいい。そんなふうにして、ず…

  • SF小説の古典 名作なんだけど... 〜「華氏451度」レイ・ブラッドベリ

    「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ、ハヤカワ文庫)は、1953年に書かれたディストピア(=ユートピアの反対語)小説の名作。アメリカのSFの大家、レイ・ブラッドベリの代表作といえばこれか、「火星年代記」でしょう。 書物を読むこと、所持することを禁止された近未来社会が舞台です。あらゆる図書館は破壊されて本は焼き払われ、大学などの高等教育機関も閉鎖されています。家では室内の壁が巨大なスクリーンになっていて、人びとはそこに流れる映像や音に慰めを見い出して生きています。 民衆を愚民化するための、徹底した管理社会。 密かに本を隠し持つ人がいると通報され、即座に<ファイアマン>が出動して犯罪者を拘束、有無…

  • 哀れ 恋心 自堕落 そして生きること 〜「山の音」川端康成

    旧友を酒に誘い、夕方から早めに出かけました。会社を離れて田舎に引っ込むと、街中に行く機会があまりありません。約束の時間まで、久しぶりに駅前の大型書店とBook・offをはしごして、荷物にならないよう1冊だけ買い、<スタバ読書>で時間を潰そうという魂胆でした。 川端康成の「山の音」を選んだのは、未読だったから。加えて、騒がしい店で飲む前に、川端の静かに張りつめた文章を読むのは、なんとなく合っているようにも思えました。 魅力を伝えようとして、どうにも伝えることが難しい作家がいます。わたしにとって川端康成はそんな一人です。以前、このブログで「雪国」について書きましたが、あのときも書き手の感触として消…

  • 美しすぎるものを焼き尽くせ 〜「金閣寺」三島由紀夫

    幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。 三島由紀夫の「金閣寺」はさらりと、物語の悲劇を暗示して始まります。1956年に雑誌連載後、単行本として刊行されたこの作品は、三島に対して懐疑的だった一部の批評家たちを黙らせ、海外でも翻訳されました。 代表作の一つになり、近代日本文学の傑作に数えられています。その7年前、「仮面の告白」で実質的文壇デビューを果たした三島を、一気に日本を代表する作家の一人に押し上げたのが「金閣寺」でした。 いま読めば、そうした出来事は歴史の一コマになっています。社会状況も人の感性も違う以上、当時と同じ受け止めはできなくて当然です。同時に、やはり色褪せない魅力があるのは確…

  • だから歴史は面白い 〜「磯田道史と日本史を語ろう」

    「磯田道史と日本史を語ろう」(文春新書)は、雑誌に掲載された12本の対話をまとめた1冊です。磯田さんと語り合うのは養老孟司さん、半藤一利さん、浅田次郎さん、阿川佐和子さんら。1対1の対談だけでなく、2、3人の専門家たちと語り合う対話もあります。 「信長はなぜ時代を変えられたか」「幕末最強の刺客を語る」など多彩なテーマで、磯田さんと専門家たちの異なる視点が行き来し、交錯します。一人の著者の脳内で完結する歴史本と違い、会話形式なので読みやすく、視点が外に開かれていて面白い。音楽ならソロではなく、セッションの魅力ですね。 磯田さんは1970年生まれの気鋭の歴史学者。長くNHKBSの「英雄たちの選択」…

  • 繰り返し読む本、読まない本

    本好きは、常に新しい出会いを求めています。書店で、図書館で、目立つよう平積みされた本をチェックし、次は林立した書架にぎっしり並ぶ背表紙を眺めてうろうろ。事前の情報収集で、読みたい本が決まっていれば、真っ直ぐお目当ての1冊に向かうこともあるでしょう。 読んで面白かった本があり、またがっかりする場合もあります。本選びは、作品内容と自分とのマッチングを推測する「目利き」のようなもので、読書の楽しみはもうそこから始まっています。 ときには、読み終えるのが惜しい本に出会います。ところがそんな1冊でさえ、再読することはめったにありません。 音楽なら、お気に入りの曲を繰り返し聴きます。20代にLPレコードで…

  • 日日是好日

    陽が射し、朝から1カ月ほど季節を先取りしたような陽気でした。庭先で桜桃の開花が始まり、春を告げています。20年余り前、一番花の枝を折って母の枕元へ届けたことを思い出します。 末期がんで在宅死を望んだ母は、翌日逝きました。 庭に出て雪つり縄を取り払い、地面を見回せば早くも伸び始めている雑草。小さな花をつけている草もあります。放っておけず、黙々と抜き続けました。 前夜、部屋の本棚の片隅に懐かしい<昭和の路地>が完成しました。 昭和の街並みを再現する模型・ジオラマです。2月初めから制作に入って1カ月半、気づいてみれば大いに楽しんでいました。とにかくパーツが細かい。最初は気が遠くなりました。 雑念が入…

  • 命をかけて、人と自然が交わるとき 〜「ともぐい」河﨑秋子

    読み始めから、歯切れのいい文章のテンポに引き込まれました。北海道の厳しい自然と、街に馴染めず、独り猟師として生きる男の息遣いが立ち昇ってきます。 「ともぐい」(河﨑秋子、新潮社)は、2023年下半期の直木賞受賞作。主な舞台は明治後半の北海道、人里離れた山中。男は相棒の犬と鹿や熊を追い、愛用の村田銃で獲物をしとめて暮らしています。 山から下りるのは、肉や毛皮をお金に換えるため。その金で弾薬を買い、米や酒を仕入れる。生きるために、街の人びととの最低限の交わりは必要です。この二つの世界の対比、描き分けが作品を立体的にし、結果として自然の荘厳さが際立っています。 ある日、雪に残った血痕をたどって、瀕死…

  • 京都・大原の早春

    2月がまもなく終わる寒い日、朝から車で高速道路を走りました。行き先は京都の山里、大原。代わり映えしない日常を、変えてくれるのは小さな旅です。京都は何度か訪れたことがあっても、大原とその周辺は未踏の地でした。 現役引退し、差し迫った仕事に縛られなくなると、むしろ腰が重くなりがちです。だからこそ、思い立ったらすぐ出かけることが大切。地図アプリによると自宅から車で片道3時間余り。観光シーズンではないので、民宿をすぐに予約できました。 民宿の駐車場に車を入れ、谷川沿いの細い坂道を歩いて上ると、右に寂光院。長い石段の向こうに門がのぞめ、門をくぐれば天台宗の尼寺が静かな佇まいで来訪者を迎えてくれました。と…

  • 新しい絵に着手

    遠くに暮らす孫娘を小品に描き始めました。 いまはざっくりした下絵の途中。気が向いたときに、これから少しずつ進めるつもりです。細部を描きこむ前なので、まだあまり女の子らしくないかなw。でも最初のざっくりで、この子の中身をつかみたい、なんて。 第170回芥川賞(2024年1月)を受賞した九段理恵さんが、受賞会見で作品執筆に生成AIを使ったと話し、大きな話題になっています。 また第169回の受賞者・市川沙央さんは、会見で電子書籍による「読書のバリアフリー化」を訴えました。市川さんは筋力が低下する難病があり、分厚い紙の本を読むことが困難で、電子書籍の普及が福音になったそうです。 昔ながらの<本>という…

  • ぼくは二十歳だった。それがひとの... 〜ポール・二ザン「アデン アラビア」のことなど

    昨夜、麦のお湯割りをちびちびやりみながら、武者小路実篤について書きました。小説「愛と死」の読後感を綴ったのですが、投稿を公開してから、やおら立ち上がり、踏み台に乗ってごそごそ。確かこのあたりにあったはず...と、書架の一番上の奥からポール・二ザンの著作集(晶文社)を取り出してきたのです。 前夜は武者小路が「この道より我を生かす道なし この道を歩く」と毛筆した色紙にふれ、若いころはこのフレーズに漂う自己肯定感が嫌いだったと、ひねくれたことを書きました。 逆に、むかし心を貫かれた言葉について考え、真っ先に思い浮かんだのがポール・二ザンでした。 ポール・ニザンは、フランスの実存主義哲学者、J・P・サ…

  • 純愛小説の古典 〜「愛と死」武者小路実篤

    わたしが子どものころ住んでいたぼろ家の、居間兼座敷に1枚の色紙が掛けてありました。本物ではなく、安っぽい複製品です。達筆とはとても思えない毛筆で、こう書かれていました。 「この道より我を生かす道なし この道を歩く 武者小路実篤」 色紙を掛けたのは、無口な職人だった父でした。色紙がいつからあったのか分かりませんが、やがて反抗期・思春期を迎えたわたしは、次第にその色紙に我慢がならなくなりました。 ふつうなら居間に掛かった色紙など、子どもの記憶に残らないでしょう。ところが武者小路は、柔らかい心の土台を逆撫でされるような気持ち悪さが尾を引いたのです。うまく説明できないけれど、不快な言葉だった。ひねくれ…

  • 生成AIは神か悪魔か 〜「生成AIで世界はこう変わる」今井翔太

    2022年秋にChatGTPが現れたときは、個人的にかなり衝撃を受けました。わたしは試してみようと、ChatGTPに詩やラブレターの代筆をリクエスト。そして生成AI(クリエイティブな人工知能)が創造した<作品>に、少なからず驚きと驚異を感じたのです。 詩に関して、実は唸りました。あるテーマを設定して「古風な詩」と「現代的な詩」という要望を与えると、ChatGTPは近代詩と現代詩の特徴を踏まえてしっかり書き分け、それぞれになかなか読ませる言葉を綴りました。 一方、恋文代筆はまだ人工臭のある無機質な文章でしたが、これはわたしの要求が大雑把すぎて、「読書サークルの女性へのラブレター」程度だったから。…

  • 晴れ着と油彩画

    絵の額装は、手塩にかけて育てた子に、晴れ着を着せるような気持ちになります。 子の出来の良し悪しは横に置いて、こんな色合いが似合うだろうか、デザインはどんなのがいいか、できれば安く...。というわけで晴れ着、ではなく油彩額を昨年末からネットで物色していました。 絵のイメージとマッチする額がなかなか見つからず、かといって額の自作も無理。額作りはきっと、絵を描くより難しい。まあ、あれこれ迷うのも楽しみの一つ。最後は、どうせ素人の趣味なのだからと、折り合いをつけて注文したのでした。 ところが一方、絵の方を「これで完成」と思い切ることができません。年が明けても加筆を続けていたら、たまたまその様子を見た人…

  • 今宵、古老の話に耳を傾けませんか 〜「忘れられた日本人」宮本常一

    文学作品を評するのであれば秀作、あるいは傑作という言葉があります。しかし「忘れられた日本人」(宮本常一、岩波文庫)は、フィールドワークに徹した民俗学の仕事。最初の1ページから惹き込まれ、読み終えて、これは紛れもない名著だと思いました。 戦前の昭和10年代から戦後まで、宮本さんは日本各地の農漁村、山間を訪ね歩き、村の古老、老女たちから昔の生活と生き様を詳細に聴き取りました。その内容を忠実に記しながら、民俗学者としての考えを添えたルポルタージュです。 宮本さんの聴き取り調査自体が60年以上前なので、当時の老人たちは江戸時代末期から明治、大正、昭和の初めを生き抜いた、田舎の集落の名もなき人びとです。…

  • 翻訳家と剣客小説

    常盤新平(1931ー2013)という名前を聞いて、「ああ」と、思い当たる人はそう多くないと思います。アメリカのペーパーバックスを読み漁った若い時代を描いた自伝的小説「遠いアメリカ」で、1986年に直木賞を受賞。しかし、小説は余技でした。 わたしにとって常盤さんは、雑誌「ニューヨーカー」のコラムを厳選して紹介してくれる、感度の優れた翻訳者であり、また、お洒落なエッセイストでした。常盤さんを通じて触れる、ニューヨークの一流コラムニストの文章には、あのころのわたしが求めるエスプリが詰まっていました。 アメリカの現代ジャーナリズムと文学、文化について、常盤さんには数十冊の翻訳、著作があります。わたしは…

  • 地震

    うちは震度5強。本が落ち、水槽の水が勢いよくこぼれました。幸いにも本棚が倒れることはありませんでした。津波警報が出て、家の中を確認する間もなく車で丘陵目指したけれど、幹線道路は渋滞。あせりました。 夜9時過ぎまで避難していて、とりあえず帰宅。とんだ元旦になった。 しばしば余震を感じるので、まだ油断できません。震度7や6強を記録した能登地方が心配です。

  • 雨の大晦日

    朝9時ごろ起床し、窓から外を見れば雨。大晦日といえば雪の記憶しかないけれど、いつの間にか年末年始に雪を踏む年が少なくなってしまった。子供のころは炭火の炬燵に首までもぐり込み、ブラウン管のテレビで年末特番を見ながら、まだもらってもいないお年玉の遣い道を考えたものでした。 今日の日中はリビングと台所に掃除機をかけ、くたびれたタオルを雑巾にして床を水拭き。ソファーの底と裏、食器棚や冷蔵庫もごしごし。食器棚のガラスを磨くと、中にあるガラクタの皿や碗までなにやら上品に見えてきました。 朝はコーヒーと小さな胡桃パンを1個齧って済ませ、昼は冷凍のカレードリアとサラダ。かみさんは朝から買い出しや実家の所要に出…

  • 弥生時代は歴史小説たり得るか 〜「鬼道の女王 卑弥呼」黒岩重吾

    ややタイミングが遅れましたが、クリスマスイブ。今年もあちこちの家でケーキにナイフが入っただろうなあ、そして不運な何百人は、高島屋の崩れたケーキの画像をSNSに投稿。あれは一流デパートとして、事後対応も含めひどい。 同じころ、わたしはビールを飲みながら3世紀、弥生時代後半の卑弥呼が統治する邪馬台国へタイムスリップしていました。 ブックオフで上下巻合わせて200円。買って積読本の仲間入りをし、ようやくクリスマス前に手にしたのが「鬼道の女王 卑弥呼」(黒岩重吾、文藝春秋)でした。なぜそのタイミングかと問われても、そもそもわたしの日々はクリスマスの華やぎ感と縁遠いのです。残念ながら。 本を開く前、わた…

  • コーヒーを淹れて「BRUTUS」を読んだ

    マガジンハウスから出ている「BRUTUS」という雑誌があって、最新号の特集が「理想の本棚」。わたしは雑誌類をめったに買わないのですが、表紙に惹かれて少し立ち読みし、戻すことなくレジへ向かいました。 面白そう。この特集、本好きの一人としては、立ち読みで終わるわけにはいかんだろう...ってな感じでした。 書店に寄ったのは昼前だったので、これから帰宅して昼飯は冷凍食品をチン、食後にコーヒーを飲みながら午後を過ごすのに、特集はぴったりに思えたのです。 そして、わたしの期待に「BRUTUS」は十分応えてくれたのでした。メーン企画は画家・横尾忠則さんら各界で活躍する14人の書斎と本棚を写真で紹介し、それぞ…

  • アルジェの太陽と4発の銃声 〜「異邦人」アルベール・カミュ

    1940年代から50年代のフランスを代表する作家の一人に、アルベール・カミュがいます。無名の文学青年を、一躍時代の寵児にしたデビュー作が、1942年に出版された「異邦人」(新潮文庫)でした。 80年前の小説ですから、すでに<古典>の仲間入りか。主人公のムルソーは、普通の、少なくとも、つつがなく社会生活を営むことができる勤め人です。一方で、文庫本カバーの要約から拝借すれば、「母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ」...。 友人と情婦のいざこざに関わって、ムルソーはアラビア人の男を射殺します。1発目で倒した後、身動きしなくなった体にさらに4発。ふつう2発目以降は、激しい怨…

  • 戦国を生き抜いて小気味よく 〜「真田太平記」池波正太郎

    戦国時代、信州(長野県)にあった真田家は、上杉、武田、北条という強国に囲まれていました。その後も織田、徳川が勢力を拡大する中、真田は領国を必死に守ろうとした小大名にすぎません。 その真田家が、なぜ今もよく知られているのか。徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣と夏の陣で、真田幸村は孤軍奮闘の活躍を見せました。出城「真田丸」を築いて徳川軍を翻弄した冬の陣。野戦になった夏の陣では、家康の本陣に迫りながらあと一歩届かず討死しました。 豊臣方の必敗を覚悟しながら、信念を貫いて戦った幸村は、後の軍記物や浮世絵でヒーローとして描かれ人気が定着します。確かに日本人が好むヒーロー像ですね。 池波正太郎さんの「真…

  • 凪の日 夕陽の日本海と北アルプス 〜池波正太郎、カミュ

    まだ初冬とはいえ、晴れた日は北陸、東北の日本海側に暮らす人たちにとってかけがえのない1日です。 寒気とともにやってきた冬雲は、北アルプスなど本州の山々にぶつかります。そのときシベリアや中国北部から流れてきた雲は、日本海側に雪や雨を降らせて消え失せる。山の向こうの太平洋側へは、雲のない乾いた空っ風だけが流れ込みます。これが、天気予報でお馴染みの「冬型の気圧配置」です。 これから早春のころまで、わたしの住む地では陽射しを見る機会が少なくなります。おまけに日の出から日の入りまでの時間が短いので、なんとも重苦しいシーズンの到来。 しかし、そうした風土の中で暮らしていると、しみじみと「当たり前」のありが…

  • 名作の続編 壮大な叙事詩再び 〜「2010年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク

    SF史上の名作の一つに、1968年公開の「2001年宇宙の旅」があります。映画(スタンリー・キューブリック脚本・監督)が公開され、同年少し遅れて小説(アーサー・C・クラーク)が刊行されました。 同名の映画と小説がある場合、最初に原作の小説があるか、または映画の後にノベライズで小説を出すか、そのどちらかです。しかし「2001年宇宙の旅」は、同時進行でした。アーサー・C・クラークが映画の原案に関わりなから、小説も書き進めたことを本人が述べています。 わたしは映画の方しか観ていないのですが、道具の使用を学んで進化を始めた人類の起源から幕が開き、21世紀になって宇宙船で木星へ向かうという壮大なスケール…

  • 麻婆豆腐 〜食の記憶・file3

    中国の四川に暮らしていた麻(まあ)婆さん。彼女が作った豆腐料理が「麻婆豆腐」のルーツです。30年ほど前に読んだ、中華の鉄人・陳建一さんのエッセイに書いてありました。 その本、探したのですが、6畳しかない部屋のいったいどこに隠れているのか見つけ出せない。あまりムキになると、床が本で溢れて足の踏み場もなくなるので、あきらめました。 エッセイには、レシピが付してありました。以来今日まで、年に数回ですが、わたしは陳建一直伝(?)の麻婆豆腐を作ります。仕事で東京に行ったときには、赤坂の四川飯店(陳さんのお店)で食べてきました。 当時、よく昼飯を食った会社近くの中華料理店のおじいちゃん店主が、聞けば日本の…

  • 田舎のランチにご招待 〜オーベルジュ「薪の音」

    真昼といえど太陽の位置が低い、晩秋の小春日和。里山は紅葉、黄葉の広葉樹が斜めからの光に輝いていました。 ちょいとばかり早いけれど、今年も頑張った自分にご褒美と、車を飛ばしてのどかな中山間地の小さな集落にあるお店へランチに出かけました。ご報告しながら、これをお読みのみなさまを招待し、一緒に楽しめたら良いのですが。 富山県南砺市城端にあるオーベルジュ「薪の音」は、古い農家をリフォームしたホテル(3室しかないので3組限定)で、ランチのみ宿泊以外のお客さんを少数受け入れます。 農家が肩を寄せ合うような集落のまわりは、刈り取りの終わった田畑と山並みばかり。対面通行絶対不可の、落ち葉に覆われた道の脇に駐車…

  • 女の一念を込めた手裏剣が 〜「ないしょ ないしょ」池波正太郎

    池波正太郎の人気シリーズ「剣客商売」には、2作の番外編があります。1作はシリーズの主役・秋山小兵衛の若きころを描いた「黒白(こくびゃく)」(新潮文庫)で、小兵衛の死闘と人生修行が描かれています。 もう1作が「ないしょ ないしょ」。わたしは未読でした。今回はいわゆる書評(のようなもの)を書くつもりはありません。池波小説については、これまで何度か書いてきたし。 1冊の本を読むには、エネルギーが必要です。ところが、このところ疲れているなあ...と感じるときは、本から元気をもらいたい。肩の力を抜いて、理屈抜きに楽しめる小説が最適。書店をさまよい、選んだのは、未読だったこの番外編でした。 秋山小兵衛は、…

  • 一枚の絵、3年目に入りました

    2021年11月から描き始めた油彩のモズの巣。ついに丸2年を過ぎて、3年目に入り、まだ描き続けています。 最初は1年あれば完成するだろうと、甘く考えていました。昨年、さすがにもう1年かければ大丈夫だろう。次は風景か、人物だって描きたいしー、と思っていました。鳥の巣ばかり見て絵筆を使ってきたので、そろそろ新しいモチーフ(対象)と向き合いたい....。 しかし。まだ終わりません。そもそもこれ「終わりがあるのか」なのです。進めば進むほど、見えていなかった粗が、ぼろぼろ見えてきます。 困った...。 F10 1層目が終わっていったん加筆用ニスを全体に塗って表面を固定し、今はニスの上から2層目の重ね塗り…

  • 辿りつけば 哀しく清々しい愛 〜「存在のすべてを」塩田武士

    ぐいぐい引き込まれていく、ページをめくるのが楽しい。それは小説が持つ大きな力です。「存在のすべてを」(塩田武士、朝日出版社)は、久しぶりに読書の醍醐味を与えてくれました。 30年前の未解決誘拐事件。銀座の画廊に長く秘蔵される、無名画家による類まれな作品。この二つが結びついたとき、事件にかかわった人たちの人生が輪郭を持ち始めます。塩田さんの徹底した取材と、小説家としての想像力が展開を支え、最後のページを閉じれば哀しくも清々しい。 この小説は中途半端な内容紹介が憚られるので、本の帯から引用します。痒い所に手が届くような、まったく届かないような微妙なキャッチコピーだけど。 =前代未聞「二児同時誘拐」…

  • <紙>と出会ったあの女王 〜「和紙の話」朽見行雄

    <紙>の歩みをたどって日本の歴史を描く。そんな本はこれまでなかったのではないでしょうか。そもそも紙という素材、めったに表舞台で注目されません。だからこそ紙の視点から歴史を眺めると、思いがけない新鮮な景色が広がっていました。 「日本史を支えてきた 和紙の話」(朽見行雄、草思社)は、ページを開くと弥生時代の終わりごろ、邪馬台国の女王・卑弥呼の話から始まります。 倭国(日本)が初めて文書に登場するのは、3世紀に中国で書かれた「魏志倭人伝」です。学校の教科書にもありましたね。大国の魏が、海の向こうの邪馬台国に詔書を送り、邪馬台国から返書を受け取ったと記されています。 日本の歴史学者たちは、ここに記され…

  • 男の子?が得意??、アンプの接点復活に挑戦

    朝飯食ってすぐ、オーディオ機器のメンテに着手しました。 10数年前から、CDやFMを聴くとき、音量調節つまみを回すと「ガリっ!」「バリバリっ!!」と、一瞬の大音響。経年劣化による、いわゆるガリノイズ(音響マニアのニッチな専門用語)です。 数年前にも一度やったのですが、またアンプを分解して、音量つまみ内部の接点をリフレッシュしました。再発した症状を潰さなければ! 20数年にわたって働いてくれているアンプ(下、上は30年前のCDプレーヤー)。十字ドライバーで分解して、内部のターゲット(これが小さい!)に接点復活剤をスプレーし、ゴリゴリつまみを回して回復を図ります。 ついでに絵画用の筆、ミニ掃除機、…

  • 道化と仮面 それぞれの生と死 〜「人間失格」「仮面の告白」

    プロローグ(...わたしの中の空想図・交友関係) 親しくなりたいと思わない。しばしば目を背けたくなる。けれど、なぜか何度も一緒に酒を飲んでしまう。ダザイ・オサム君はそんな小説家でした。わたしが若いころの話です。 青森の裕福な旧家に生まれたダザイ君は

  • 太宰治と三島由紀夫 〜作家つれづれ・その7

    少し前から、書店に行くと気になっていたのが、角川文庫の近代文学に使われているカバーです。こんな具合。 みなさま、自分のイメージとどれくらいマッチするでしょうか? 文豪ストレイドックスコラボカバーをさらに見る うーん、個人的に太宰はじめみんな垢抜けし過ぎていて、「乱れ髪」なんかは漆黒の長い髪のイメージなんだけど..。 調べてみると「文豪ストレイドッグス」という漫画と、角川文庫のコラボ企画なんですね。どのキャラも、漫画に登場する文豪たちのようです。なるほどそういう戦略かあ〜。 さて、数ある太宰治の小説から1作だけ選べと言われたら、わたしは迷うことなく「津軽」と答えます。 東京で女性たちとのスキャン…

  • おもちさんとユニクロの細いズボン 〜「にぎやかな落日」朝倉かすみ

    朝から気持ちのいい秋晴れ。外に見える木々が陽射しを浴びて輝き、紅葉と冬に向かって急ぎ始めた気配が伝わってきます。部屋の窓際にあるキンモクセイは、例年より1週間ほど遅く満開になり、目覚めの深煎りコーヒーと香りが混ざり合いました。 「にぎやかな落日」(朝倉かすみ、光文社)を読み始めてふと思ったのは、「こんな秋の日にぴったりの小説だ...」でした。主人公は北海道で独り暮らしする、おもちさん。82から84歳にかけてのおばあちゃんの日常と内面が、若かった過去へのファラッシバックを背景に、たんねんに掬い取られます。 人はみんな個性ある唯一無二の存在です。もち子さん・通称<おもちさん>のようなおばあちゃんに…

  • アナログ人間、カメラの進歩に脱帽する

    秋晴れに誘われ、天空の城の一つ福井県大野市の越前大野城まで、往復400キロ車を飛ばしました。 スマホさえあれば途中の情報収集に困らず、財布代わりになり、撮影もできて、なんともすごい時代になったものだと今さらながら感心します。 昔、わたしが新聞記者になって、まず買ったのがキャノンの一眼レフカメラでした。仕事に必須の道具だったから。給料の1カ月分ほぼ全額を費やしました。 もちろん新聞社には、写真部にカメラマンがいます。しかし数百万円のカメラ本体とレンズ類を駆使する彼らが担当するのは、スポーツの決定的瞬間や大物政治家の記者会見シーンなど、事前セッティング可能な絶対に外せない写真が多い。 それ以外の、…

  • 老人はライオンの夢を見ていた 〜「老人と海」E・ヘミングウェイ

    世に中にはおびただしい本があって、どんな小説が好きかは人によって異なります。わたしが「この作品は素晴らしい」と思っても、ついさっきショッピングモールですれ違ったたくさんの人たちは、みんな自分だけのお気に入りを持っています。 若い女性ならハッピーエンドの恋愛ものとか、4人くらい殺されるミステリーに限るとか。いや、そもそも小説なんて読まない人の方が圧倒的に多いかな。 「名作」とはいったい何なのか。「これはいい」と思った人の数が多くても、ベストセラーは、イコール名作ではない。では偉い文学者や批評家が名作だと判断したら、そうなるのか。なんか違うよなあ。さてさて... ..と、こんな1ミリも世の役に立た…

  • 時空を旅して帰り着く 〜「日本の歴史」小学館

    秋。ほんの半月ほど前の9月17日、義父の四十九日の法要と納骨のときは、まだ真夏の陽射しに焼かれる墓地で、汗を流して読経を聞いたのに、秋分を過ぎたころから一気に秋らしくなりました。異常気象の夏も、ようやく過ぎ去ったよう。 朝の陽射しの暖かさを、ありがたく思ったのは久しぶり。例年よりひと月遅い季節の変わり目。みなさま、どうかご自愛ください。 きょう昼前に、小学館の日本の歴史第16巻「豊かさへの渇望 一九五五年から現在」(荒川章二、2009年)を読了。第1巻の旧石器時代から数万年にわたる、この列島の歩みを見聞する時空の長旅から、現在に帰り着きました。 2007年から09年にかけて刊行されたこの「日本…

  • 「旅と郷愁の風景」を見る 〜川瀬巴水展・石川県立美術館

    車のアクセル踏んで小さな旅をして、金沢駅近くのホテルに投宿。深夜まで、腐れ縁の友と飲み、ホテルで目が覚めたら小雨模様でした。 チェックアウトを済ませ、加賀百万石の名園・兼六園に隣接する歴史文化施設エリアへ。駐車場に入れたころちょうど雨が上がり、ぶらぶら散策しました。何やってるかな、と立ち寄った石川県立美術館。入り口を覗くと「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」(2023年9月2日▷10月1日)の掲示が。 や、なんと。これは見なければ。 巴水は大正から昭和の戦後まで活躍し、木版で風景を描き続けた浮世絵師です。欧米では東海道五十三次を描いた安藤(歌川)広重になぞらえ「昭和の広重」と称されています。アップルコ…

  • 新米届く 〜なんでも旬は美味しい

    精米したばかりの新米が、どんと届きました。亡き母の実家は農家。とっくに80歳を越えた叔父が、毎年軽トラを運転して届けてくれます。玄米から表面を削り取った白米はまだ精米時の熱がこもっていて、袋の口を開けて冷ましました。 わたしのウオーキングルートの田舎道も、稲穂がこうべを垂れて収穫期です。残暑どころでない異常気象が続いても、季節は巡っているのか。 旬。 食べ物には、それぞれ季節があります。スーパーの食品売り場に年中、豊富な食材が並んでいるけれど、やはりその時期だけ圧倒的に美味しいものがあって、季節を喰らう楽しみは昔も今も変わりません。 わたしが暮らす地なら、4月中旬からのタケノコ。竹林の中を走る…

  • 激辛でも濃厚でもなく 静かに沁みる 〜「灯台からの響き」宮本輝

    読んでいるうちに、何かしたくなる本があります。「灯台からの響き」(宮本輝、集英社文庫)も、そんな1冊でした。 父の味を守ってきた中華そば屋の62歳の男が、黙々と仕込みをするシーンを読むうち、無性に彼の店に行きたくなりました。下町の商店街とお店が眼前に浮かび、癖のないスープのすっきり味が、口の中に広がったのです。 また急死した妻に導かれ、日本各地の灯台を巡る彼の姿に、いつの間にか自分を重ねて旅に出たくなったり。 戦後に父が開いた店・中華そば「まきの」は、東京のとある商店街にあります。高校を中退した彼は、父の店を継いで結婚、夫婦で店を切り盛りして味を磨き、中華そばを売って3人の子どもを育て上げまし…

  • 長谷川等伯ではなく浮世絵を見る 〜石川県立七尾美術館

    富山県氷見市から日本海に面した山中の高速道路を走り、能登半島の中ほどに位置する石川県七尾市へ向かいました。8月末だというのに、車の温度計は35度。 歴史的に七尾市は海運で栄え、戦国期には背後に迫る半島の丘陵に室町幕府の有力大名で管領・畠山一族の山城が築かれていました。能登は江戸期以降、加賀藩に組み込まれましたが、船の往来でむしろ越中(富山県)と結びつきが強い地でした。 その七尾に、長谷川信春という若い絵師がいました。彼は志を持って京に上り、やがて安土桃山時代を代表する絵師になります。 長谷川等伯です。 松林図屏風(長谷川等伯。国宝、六曲一双。東京国立博物館蔵) 文化的にはきらびやかな安土桃山時…

  • 庶民の悲哀を軽く見るなよ! 〜「五郎治殿御始末」浅田次郎など

    小学館の日本の歴史で、いま明治前期を描いた「文明国を目指して」(牧原憲夫)を読んでいます。ふと思い出したのが、浅田次郎さんの「遠い砲音(つつおと)」という短編でした。 明治維新といえば、身分制度の撤廃、教育義務化、赤煉瓦の建築、ガス灯など前向きな文明開花を連想しますが、この時代は庶民にとって決して楽ではなかったことが日本の歴史に細かく記されています。 近代国家建設のスローガンで、慣れ親しんだ生活習慣を捨てざるを得なかっただけでなく、厳しい税の取り立て、また曖昧な情より法を優先する政策が強行されました。明暗どちらもあったのに、少なからぬ庶民の実感である「マイナス」より、政府が目指した「プラス」イ…

  • 死ぬこと生きること 〜「天地」チンギス紀17、北方謙三

    8月初めに義父が逝って、喪主を務めました。93歳。若いころから交友関係が広かった人で、通夜と葬儀に100人を超える参列をいただき、息を引き取るまでの義父の人生について簡潔に話すことで、お礼のあいさつとしました。 わたしは11年前に実父をがんで失っていて、喪主として故人を見送ったのは2回目でした。自己にとって、たとえ肉親であっても他者の死とは「いた人が、いなくなる」という、単純な事実です。これが遺された人それぞれに、極めて深く、また浅く、疵を刻みます。 そして棺の中で花に囲まれた、無表情な顔を見ると、故人との思い出とともに、自分もまたこの世から消える日が必ずやってくるのだと沁みてきます。それは悲…

  • 我、語りを極めんとす 〜「仏果を得ず」三浦しをん

    「仏果を得ず」(三浦しをん、双葉社)は日本の伝統芸能・文楽の世界で、芸に命をかける青年の物語です。といっても、固い話ばかりではありません。なにしろこの青年、知人が経営するラブホテルの一室を格安で借り切って、アパート代わりにしているくらいだから。 えっ、ぶんらく・文楽?。歌舞伎なら、なんとなくイメージあるけど...。 ところが読み始めると面白く、つい本を置いて文楽についてネットで調べ上げ、再び本を手にして読み終えたころには、表も裏も知り尽くして<通>になった気がします。気だけですが。 三浦さん、あまり知られていない世界を取り上げて、魅力的な作品に仕立てるのがうまい。「舟を編む」は国語辞典の編集者…

  • 酷暑の夏

    酷暑、です。今年はひときわ。ふう。 わたしが暮らす地でも、7月下旬から連日35度超え。基本的に、気温は照り返しのない草地の高さ1・5メートルの日陰で観測しますから、太陽に晒された場所は軽く40度を超えているはずです。どうなるんだろうか、この地球は。 夏休み。麦わら帽子にランニングシャツで、セミを探し続けた昭和のころを思い出します。そんな無謀なこと、いまの子どもたちには勧められません。 氷河期という言葉をだれもが知っているように、気象は地球規模で寒暖を繰り返してきました。日本列島であれば、石器時代は寒冷期でした。縄文時代になると温暖期に入り、人口が増加しました。 縄文時代、人が延々と貝を食べて貝…

  • 鉄砲伝来が変えたもの 〜小学館・日本の歴史

    5月下旬から2カ月近く、小学館が2007年から2009年にかけて刊行した「日本の歴史」を読み継いでいます。全16巻(+別巻1)のうち、今日は第10巻「徳川の国家デザイン」(水本邦彦)を読了しました。 旧石器から古墳時代を扱った第1巻「列島創世記」(松木武彦)に始まり、第10巻で江戸時代前半にたどり着きました。数十万年の歴史の堆積を考えると、小説の時代物でお馴染みの江戸は、かなり現代に近づいた感じがします。「あれ、もうここまで来てしまったか」と、ちょっと残念。過ぎてみれば早い、膨大な時間の旅です。 各時代を専門にする研究者たちが執筆していますが、一般読者を対象にしているので、学会内の論文や専門書…

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