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ことばを食する https://www.whitepapers.blog/

私の主観による書評、ブックレビューです。小説のほか美術書、ノンフィクションなど幅広く扱います。ベストセラーランキングもチェックします。

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2019/05/27

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  • 日日是好日

    陽が射し、朝から1カ月ほど季節を先取りしたような陽気でした。庭先で桜桃の開花が始まり、春を告げています。20年余り前、一番花の枝を折って母の枕元へ届けたことを思い出します。 末期がんで在宅死を望んだ母は、翌日逝きました。 庭に出て雪つり縄を取り払い、地面を見回せば早くも伸び始めている雑草。小さな花をつけている草もあります。放っておけず、黙々と抜き続けました。 前夜、部屋の本棚の片隅に懐かしい<昭和の路地>が完成しました。 昭和の街並みを再現する模型・ジオラマです。2月初めから制作に入って1カ月半、気づいてみれば大いに楽しんでいました。とにかくパーツが細かい。最初は気が遠くなりました。 雑念が入…

  • 命をかけて、人と自然が交わるとき 〜「ともぐい」河﨑秋子

    読み始めから、歯切れのいい文章のテンポに引き込まれました。北海道の厳しい自然と、街に馴染めず、独り猟師として生きる男の息遣いが立ち昇ってきます。 「ともぐい」(河﨑秋子、新潮社)は、2023年下半期の直木賞受賞作。主な舞台は明治後半の北海道、人里離れた山中。男は相棒の犬と鹿や熊を追い、愛用の村田銃で獲物をしとめて暮らしています。 山から下りるのは、肉や毛皮をお金に換えるため。その金で弾薬を買い、米や酒を仕入れる。生きるために、街の人びととの最低限の交わりは必要です。この二つの世界の対比、描き分けが作品を立体的にし、結果として自然の荘厳さが際立っています。 ある日、雪に残った血痕をたどって、瀕死…

  • 京都・大原の早春

    2月がまもなく終わる寒い日、朝から車で高速道路を走りました。行き先は京都の山里、大原。代わり映えしない日常を、変えてくれるのは小さな旅です。京都は何度か訪れたことがあっても、大原とその周辺は未踏の地でした。 現役引退し、差し迫った仕事に縛られなくなると、むしろ腰が重くなりがちです。だからこそ、思い立ったらすぐ出かけることが大切。地図アプリによると自宅から車で片道3時間余り。観光シーズンではないので、民宿をすぐに予約できました。 民宿の駐車場に車を入れ、谷川沿いの細い坂道を歩いて上ると、右に寂光院。長い石段の向こうに門がのぞめ、門をくぐれば天台宗の尼寺が静かな佇まいで来訪者を迎えてくれました。と…

  • 新しい絵に着手

    遠くに暮らす孫娘を小品に描き始めました。 いまはざっくりした下絵の途中。気が向いたときに、これから少しずつ進めるつもりです。細部を描きこむ前なので、まだあまり女の子らしくないかなw。でも最初のざっくりで、この子の中身をつかみたい、なんて。 第170回芥川賞(2024年1月)を受賞した九段理恵さんが、受賞会見で作品執筆に生成AIを使ったと話し、大きな話題になっています。 また第169回の受賞者・市川沙央さんは、会見で電子書籍による「読書のバリアフリー化」を訴えました。市川さんは筋力が低下する難病があり、分厚い紙の本を読むことが困難で、電子書籍の普及が福音になったそうです。 昔ながらの<本>という…

  • ぼくは二十歳だった。それがひとの... 〜ポール・二ザン「アデン アラビア」のことなど

    昨夜、麦のお湯割りをちびちびやりみながら、武者小路実篤について書きました。小説「愛と死」の読後感を綴ったのですが、投稿を公開してから、やおら立ち上がり、踏み台に乗ってごそごそ。確かこのあたりにあったはず...と、書架の一番上の奥からポール・二ザンの著作集(晶文社)を取り出してきたのです。 前夜は武者小路が「この道より我を生かす道なし この道を歩く」と毛筆した色紙にふれ、若いころはこのフレーズに漂う自己肯定感が嫌いだったと、ひねくれたことを書きました。 逆に、むかし心を貫かれた言葉について考え、真っ先に思い浮かんだのがポール・二ザンでした。 ポール・ニザンは、フランスの実存主義哲学者、J・P・サ…

  • 純愛小説の古典 〜「愛と死」武者小路実篤

    わたしが子どものころ住んでいたぼろ家の、居間兼座敷に1枚の色紙が掛けてありました。本物ではなく、安っぽい複製品です。達筆とはとても思えない毛筆で、こう書かれていました。 「この道より我を生かす道なし この道を歩く 武者小路実篤」 色紙を掛けたのは、無口な職人だった父でした。色紙がいつからあったのか分かりませんが、やがて反抗期・思春期を迎えたわたしは、次第にその色紙に我慢がならなくなりました。 ふつうなら居間に掛かった色紙など、子どもの記憶に残らないでしょう。ところが武者小路は、柔らかい心の土台を逆撫でされるような気持ち悪さが尾を引いたのです。うまく説明できないけれど、不快な言葉だった。ひねくれ…

  • 生成AIは神か悪魔か 〜「生成AIで世界はこう変わる」今井翔太

    2022年秋にChatGTPが現れたときは、個人的にかなり衝撃を受けました。わたしは試してみようと、ChatGTPに詩やラブレターの代筆をリクエスト。そして生成AI(クリエイティブな人工知能)が創造した<作品>に、少なからず驚きと驚異を感じたのです。 詩に関して、実は唸りました。あるテーマを設定して「古風な詩」と「現代的な詩」という要望を与えると、ChatGTPは近代詩と現代詩の特徴を踏まえてしっかり書き分け、それぞれになかなか読ませる言葉を綴りました。 一方、恋文代筆はまだ人工臭のある無機質な文章でしたが、これはわたしの要求が大雑把すぎて、「読書サークルの女性へのラブレター」程度だったから。…

  • 晴れ着と油彩画

    絵の額装は、手塩にかけて育てた子に、晴れ着を着せるような気持ちになります。 子の出来の良し悪しは横に置いて、こんな色合いが似合うだろうか、デザインはどんなのがいいか、できれば安く...。というわけで晴れ着、ではなく油彩額を昨年末からネットで物色していました。 絵のイメージとマッチする額がなかなか見つからず、かといって額の自作も無理。額作りはきっと、絵を描くより難しい。まあ、あれこれ迷うのも楽しみの一つ。最後は、どうせ素人の趣味なのだからと、折り合いをつけて注文したのでした。 ところが一方、絵の方を「これで完成」と思い切ることができません。年が明けても加筆を続けていたら、たまたまその様子を見た人…

  • 今宵、古老の話に耳を傾けませんか 〜「忘れられた日本人」宮本常一

    文学作品を評するのであれば秀作、あるいは傑作という言葉があります。しかし「忘れられた日本人」(宮本常一、岩波文庫)は、フィールドワークに徹した民俗学の仕事。最初の1ページから惹き込まれ、読み終えて、これは紛れもない名著だと思いました。 戦前の昭和10年代から戦後まで、宮本さんは日本各地の農漁村、山間を訪ね歩き、村の古老、老女たちから昔の生活と生き様を詳細に聴き取りました。その内容を忠実に記しながら、民俗学者としての考えを添えたルポルタージュです。 宮本さんの聴き取り調査自体が60年以上前なので、当時の老人たちは江戸時代末期から明治、大正、昭和の初めを生き抜いた、田舎の集落の名もなき人びとです。…

  • 翻訳家と剣客小説

    常盤新平(1931ー2013)という名前を聞いて、「ああ」と、思い当たる人はそう多くないと思います。アメリカのペーパーバックスを読み漁った若い時代を描いた自伝的小説「遠いアメリカ」で、1986年に直木賞を受賞。しかし、小説は余技でした。 わたしにとって常盤さんは、雑誌「ニューヨーカー」のコラムを厳選して紹介してくれる、感度の優れた翻訳者であり、また、お洒落なエッセイストでした。常盤さんを通じて触れる、ニューヨークの一流コラムニストの文章には、あのころのわたしが求めるエスプリが詰まっていました。 アメリカの現代ジャーナリズムと文学、文化について、常盤さんには数十冊の翻訳、著作があります。わたしは…

  • 地震

    うちは震度5強。本が落ち、水槽の水が勢いよくこぼれました。幸いにも本棚が倒れることはありませんでした。津波警報が出て、家の中を確認する間もなく車で丘陵目指したけれど、幹線道路は渋滞。あせりました。 夜9時過ぎまで避難していて、とりあえず帰宅。とんだ元旦になった。 しばしば余震を感じるので、まだ油断できません。震度7や6強を記録した能登地方が心配です。

  • 雨の大晦日

    朝9時ごろ起床し、窓から外を見れば雨。大晦日といえば雪の記憶しかないけれど、いつの間にか年末年始に雪を踏む年が少なくなってしまった。子供のころは炭火の炬燵に首までもぐり込み、ブラウン管のテレビで年末特番を見ながら、まだもらってもいないお年玉の遣い道を考えたものでした。 今日の日中はリビングと台所に掃除機をかけ、くたびれたタオルを雑巾にして床を水拭き。ソファーの底と裏、食器棚や冷蔵庫もごしごし。食器棚のガラスを磨くと、中にあるガラクタの皿や碗までなにやら上品に見えてきました。 朝はコーヒーと小さな胡桃パンを1個齧って済ませ、昼は冷凍のカレードリアとサラダ。かみさんは朝から買い出しや実家の所要に出…

  • 弥生時代は歴史小説たり得るか 〜「鬼道の女王 卑弥呼」黒岩重吾

    ややタイミングが遅れましたが、クリスマスイブ。今年もあちこちの家でケーキにナイフが入っただろうなあ、そして不運な何百人は、高島屋の崩れたケーキの画像をSNSに投稿。あれは一流デパートとして、事後対応も含めひどい。 同じころ、わたしはビールを飲みながら3世紀、弥生時代後半の卑弥呼が統治する邪馬台国へタイムスリップしていました。 ブックオフで上下巻合わせて200円。買って積読本の仲間入りをし、ようやくクリスマス前に手にしたのが「鬼道の女王 卑弥呼」(黒岩重吾、文藝春秋)でした。なぜそのタイミングかと問われても、そもそもわたしの日々はクリスマスの華やぎ感と縁遠いのです。残念ながら。 本を開く前、わた…

  • コーヒーを淹れて「BRUTUS」を読んだ

    マガジンハウスから出ている「BRUTUS」という雑誌があって、最新号の特集が「理想の本棚」。わたしは雑誌類をめったに買わないのですが、表紙に惹かれて少し立ち読みし、戻すことなくレジへ向かいました。 面白そう。この特集、本好きの一人としては、立ち読みで終わるわけにはいかんだろう...ってな感じでした。 書店に寄ったのは昼前だったので、これから帰宅して昼飯は冷凍食品をチン、食後にコーヒーを飲みながら午後を過ごすのに、特集はぴったりに思えたのです。 そして、わたしの期待に「BRUTUS」は十分応えてくれたのでした。メーン企画は画家・横尾忠則さんら各界で活躍する14人の書斎と本棚を写真で紹介し、それぞ…

  • アルジェの太陽と4発の銃声 〜「異邦人」アルベール・カミュ

    1940年代から50年代のフランスを代表する作家の一人に、アルベール・カミュがいます。無名の文学青年を、一躍時代の寵児にしたデビュー作が、1942年に出版された「異邦人」(新潮文庫)でした。 80年前の小説ですから、すでに<古典>の仲間入りか。主人公のムルソーは、普通の、少なくとも、つつがなく社会生活を営むことができる勤め人です。一方で、文庫本カバーの要約から拝借すれば、「母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ」...。 友人と情婦のいざこざに関わって、ムルソーはアラビア人の男を射殺します。1発目で倒した後、身動きしなくなった体にさらに4発。ふつう2発目以降は、激しい怨…

  • 戦国を生き抜いて小気味よく 〜「真田太平記」池波正太郎

    戦国時代、信州(長野県)にあった真田家は、上杉、武田、北条という強国に囲まれていました。その後も織田、徳川が勢力を拡大する中、真田は領国を必死に守ろうとした小大名にすぎません。 その真田家が、なぜ今もよく知られているのか。徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣と夏の陣で、真田幸村は孤軍奮闘の活躍を見せました。出城「真田丸」を築いて徳川軍を翻弄した冬の陣。野戦になった夏の陣では、家康の本陣に迫りながらあと一歩届かず討死しました。 豊臣方の必敗を覚悟しながら、信念を貫いて戦った幸村は、後の軍記物や浮世絵でヒーローとして描かれ人気が定着します。確かに日本人が好むヒーロー像ですね。 池波正太郎さんの「真…

  • 凪の日 夕陽の日本海と北アルプス 〜池波正太郎、カミュ

    まだ初冬とはいえ、晴れた日は北陸、東北の日本海側に暮らす人たちにとってかけがえのない1日です。 寒気とともにやってきた冬雲は、北アルプスなど本州の山々にぶつかります。そのときシベリアや中国北部から流れてきた雲は、日本海側に雪や雨を降らせて消え失せる。山の向こうの太平洋側へは、雲のない乾いた空っ風だけが流れ込みます。これが、天気予報でお馴染みの「冬型の気圧配置」です。 これから早春のころまで、わたしの住む地では陽射しを見る機会が少なくなります。おまけに日の出から日の入りまでの時間が短いので、なんとも重苦しいシーズンの到来。 しかし、そうした風土の中で暮らしていると、しみじみと「当たり前」のありが…

  • 名作の続編 壮大な叙事詩再び 〜「2010年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク

    SF史上の名作の一つに、1968年公開の「2001年宇宙の旅」があります。映画(スタンリー・キューブリック脚本・監督)が公開され、同年少し遅れて小説(アーサー・C・クラーク)が刊行されました。 同名の映画と小説がある場合、最初に原作の小説があるか、または映画の後にノベライズで小説を出すか、そのどちらかです。しかし「2001年宇宙の旅」は、同時進行でした。アーサー・C・クラークが映画の原案に関わりなから、小説も書き進めたことを本人が述べています。 わたしは映画の方しか観ていないのですが、道具の使用を学んで進化を始めた人類の起源から幕が開き、21世紀になって宇宙船で木星へ向かうという壮大なスケール…

  • 麻婆豆腐 〜食の記憶・file3

    中国の四川に暮らしていた麻(まあ)婆さん。彼女が作った豆腐料理が「麻婆豆腐」のルーツです。30年ほど前に読んだ、中華の鉄人・陳建一さんのエッセイに書いてありました。 その本、探したのですが、6畳しかない部屋のいったいどこに隠れているのか見つけ出せない。あまりムキになると、床が本で溢れて足の踏み場もなくなるので、あきらめました。 エッセイには、レシピが付してありました。以来今日まで、年に数回ですが、わたしは陳建一直伝(?)の麻婆豆腐を作ります。仕事で東京に行ったときには、赤坂の四川飯店(陳さんのお店)で食べてきました。 当時、よく昼飯を食った会社近くの中華料理店のおじいちゃん店主が、聞けば日本の…

  • 田舎のランチにご招待 〜オーベルジュ「薪の音」

    真昼といえど太陽の位置が低い、晩秋の小春日和。里山は紅葉、黄葉の広葉樹が斜めからの光に輝いていました。 ちょいとばかり早いけれど、今年も頑張った自分にご褒美と、車を飛ばしてのどかな中山間地の小さな集落にあるお店へランチに出かけました。ご報告しながら、これをお読みのみなさまを招待し、一緒に楽しめたら良いのですが。 富山県南砺市城端にあるオーベルジュ「薪の音」は、古い農家をリフォームしたホテル(3室しかないので3組限定)で、ランチのみ宿泊以外のお客さんを少数受け入れます。 農家が肩を寄せ合うような集落のまわりは、刈り取りの終わった田畑と山並みばかり。対面通行絶対不可の、落ち葉に覆われた道の脇に駐車…

  • 女の一念を込めた手裏剣が 〜「ないしょ ないしょ」池波正太郎

    池波正太郎の人気シリーズ「剣客商売」には、2作の番外編があります。1作はシリーズの主役・秋山小兵衛の若きころを描いた「黒白(こくびゃく)」(新潮文庫)で、小兵衛の死闘と人生修行が描かれています。 もう1作が「ないしょ ないしょ」。わたしは未読でした。今回はいわゆる書評(のようなもの)を書くつもりはありません。池波小説については、これまで何度か書いてきたし。 1冊の本を読むには、エネルギーが必要です。ところが、このところ疲れているなあ...と感じるときは、本から元気をもらいたい。肩の力を抜いて、理屈抜きに楽しめる小説が最適。書店をさまよい、選んだのは、未読だったこの番外編でした。 秋山小兵衛は、…

  • 一枚の絵、3年目に入りました

    2021年11月から描き始めた油彩のモズの巣。ついに丸2年を過ぎて、3年目に入り、まだ描き続けています。 最初は1年あれば完成するだろうと、甘く考えていました。昨年、さすがにもう1年かければ大丈夫だろう。次は風景か、人物だって描きたいしー、と思っていました。鳥の巣ばかり見て絵筆を使ってきたので、そろそろ新しいモチーフ(対象)と向き合いたい....。 しかし。まだ終わりません。そもそもこれ「終わりがあるのか」なのです。進めば進むほど、見えていなかった粗が、ぼろぼろ見えてきます。 困った...。 F10 1層目が終わっていったん加筆用ニスを全体に塗って表面を固定し、今はニスの上から2層目の重ね塗り…

  • 辿りつけば 哀しく清々しい愛 〜「存在のすべてを」塩田武士

    ぐいぐい引き込まれていく、ページをめくるのが楽しい。それは小説が持つ大きな力です。「存在のすべてを」(塩田武士、朝日出版社)は、久しぶりに読書の醍醐味を与えてくれました。 30年前の未解決誘拐事件。銀座の画廊に長く秘蔵される、無名画家による類まれな作品。この二つが結びついたとき、事件にかかわった人たちの人生が輪郭を持ち始めます。塩田さんの徹底した取材と、小説家としての想像力が展開を支え、最後のページを閉じれば哀しくも清々しい。 この小説は中途半端な内容紹介が憚られるので、本の帯から引用します。痒い所に手が届くような、まったく届かないような微妙なキャッチコピーだけど。 =前代未聞「二児同時誘拐」…

  • <紙>と出会ったあの女王 〜「和紙の話」朽見行雄

    <紙>の歩みをたどって日本の歴史を描く。そんな本はこれまでなかったのではないでしょうか。そもそも紙という素材、めったに表舞台で注目されません。だからこそ紙の視点から歴史を眺めると、思いがけない新鮮な景色が広がっていました。 「日本史を支えてきた 和紙の話」(朽見行雄、草思社)は、ページを開くと弥生時代の終わりごろ、邪馬台国の女王・卑弥呼の話から始まります。 倭国(日本)が初めて文書に登場するのは、3世紀に中国で書かれた「魏志倭人伝」です。学校の教科書にもありましたね。大国の魏が、海の向こうの邪馬台国に詔書を送り、邪馬台国から返書を受け取ったと記されています。 日本の歴史学者たちは、ここに記され…

  • 男の子?が得意??、アンプの接点復活に挑戦

    朝飯食ってすぐ、オーディオ機器のメンテに着手しました。 10数年前から、CDやFMを聴くとき、音量調節つまみを回すと「ガリっ!」「バリバリっ!!」と、一瞬の大音響。経年劣化による、いわゆるガリノイズ(音響マニアのニッチな専門用語)です。 数年前にも一度やったのですが、またアンプを分解して、音量つまみ内部の接点をリフレッシュしました。再発した症状を潰さなければ! 20数年にわたって働いてくれているアンプ(下、上は30年前のCDプレーヤー)。十字ドライバーで分解して、内部のターゲット(これが小さい!)に接点復活剤をスプレーし、ゴリゴリつまみを回して回復を図ります。 ついでに絵画用の筆、ミニ掃除機、…

  • 道化と仮面 それぞれの生と死 〜「人間失格」「仮面の告白」

    プロローグ(...わたしの中の空想図・交友関係) 親しくなりたいと思わない。しばしば目を背けたくなる。けれど、なぜか何度も一緒に酒を飲んでしまう。ダザイ・オサム君はそんな小説家でした。わたしが若いころの話です。 青森の裕福な旧家に生まれたダザイ君は

  • 太宰治と三島由紀夫 〜作家つれづれ・その7

    少し前から、書店に行くと気になっていたのが、角川文庫の近代文学に使われているカバーです。こんな具合。 みなさま、自分のイメージとどれくらいマッチするでしょうか? 文豪ストレイドックスコラボカバーをさらに見る うーん、個人的に太宰はじめみんな垢抜けし過ぎていて、「乱れ髪」なんかは漆黒の長い髪のイメージなんだけど..。 調べてみると「文豪ストレイドッグス」という漫画と、角川文庫のコラボ企画なんですね。どのキャラも、漫画に登場する文豪たちのようです。なるほどそういう戦略かあ〜。 さて、数ある太宰治の小説から1作だけ選べと言われたら、わたしは迷うことなく「津軽」と答えます。 東京で女性たちとのスキャン…

  • おもちさんとユニクロの細いズボン 〜「にぎやかな落日」朝倉かすみ

    朝から気持ちのいい秋晴れ。外に見える木々が陽射しを浴びて輝き、紅葉と冬に向かって急ぎ始めた気配が伝わってきます。部屋の窓際にあるキンモクセイは、例年より1週間ほど遅く満開になり、目覚めの深煎りコーヒーと香りが混ざり合いました。 「にぎやかな落日」(朝倉かすみ、光文社)を読み始めてふと思ったのは、「こんな秋の日にぴったりの小説だ...」でした。主人公は北海道で独り暮らしする、おもちさん。82から84歳にかけてのおばあちゃんの日常と内面が、若かった過去へのファラッシバックを背景に、たんねんに掬い取られます。 人はみんな個性ある唯一無二の存在です。もち子さん・通称<おもちさん>のようなおばあちゃんに…

  • アナログ人間、カメラの進歩に脱帽する

    秋晴れに誘われ、天空の城の一つ福井県大野市の越前大野城まで、往復400キロ車を飛ばしました。 スマホさえあれば途中の情報収集に困らず、財布代わりになり、撮影もできて、なんともすごい時代になったものだと今さらながら感心します。 昔、わたしが新聞記者になって、まず買ったのがキャノンの一眼レフカメラでした。仕事に必須の道具だったから。給料の1カ月分ほぼ全額を費やしました。 もちろん新聞社には、写真部にカメラマンがいます。しかし数百万円のカメラ本体とレンズ類を駆使する彼らが担当するのは、スポーツの決定的瞬間や大物政治家の記者会見シーンなど、事前セッティング可能な絶対に外せない写真が多い。 それ以外の、…

  • 老人はライオンの夢を見ていた 〜「老人と海」E・ヘミングウェイ

    世に中にはおびただしい本があって、どんな小説が好きかは人によって異なります。わたしが「この作品は素晴らしい」と思っても、ついさっきショッピングモールですれ違ったたくさんの人たちは、みんな自分だけのお気に入りを持っています。 若い女性ならハッピーエンドの恋愛ものとか、4人くらい殺されるミステリーに限るとか。いや、そもそも小説なんて読まない人の方が圧倒的に多いかな。 「名作」とはいったい何なのか。「これはいい」と思った人の数が多くても、ベストセラーは、イコール名作ではない。では偉い文学者や批評家が名作だと判断したら、そうなるのか。なんか違うよなあ。さてさて... ..と、こんな1ミリも世の役に立た…

  • 時空を旅して帰り着く 〜「日本の歴史」小学館

    秋。ほんの半月ほど前の9月17日、義父の四十九日の法要と納骨のときは、まだ真夏の陽射しに焼かれる墓地で、汗を流して読経を聞いたのに、秋分を過ぎたころから一気に秋らしくなりました。異常気象の夏も、ようやく過ぎ去ったよう。 朝の陽射しの暖かさを、ありがたく思ったのは久しぶり。例年よりひと月遅い季節の変わり目。みなさま、どうかご自愛ください。 きょう昼前に、小学館の日本の歴史第16巻「豊かさへの渇望 一九五五年から現在」(荒川章二、2009年)を読了。第1巻の旧石器時代から数万年にわたる、この列島の歩みを見聞する時空の長旅から、現在に帰り着きました。 2007年から09年にかけて刊行されたこの「日本…

  • 「旅と郷愁の風景」を見る 〜川瀬巴水展・石川県立美術館

    車のアクセル踏んで小さな旅をして、金沢駅近くのホテルに投宿。深夜まで、腐れ縁の友と飲み、ホテルで目が覚めたら小雨模様でした。 チェックアウトを済ませ、加賀百万石の名園・兼六園に隣接する歴史文化施設エリアへ。駐車場に入れたころちょうど雨が上がり、ぶらぶら散策しました。何やってるかな、と立ち寄った石川県立美術館。入り口を覗くと「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」(2023年9月2日▷10月1日)の掲示が。 や、なんと。これは見なければ。 巴水は大正から昭和の戦後まで活躍し、木版で風景を描き続けた浮世絵師です。欧米では東海道五十三次を描いた安藤(歌川)広重になぞらえ「昭和の広重」と称されています。アップルコ…

  • 新米届く 〜なんでも旬は美味しい

    精米したばかりの新米が、どんと届きました。亡き母の実家は農家。とっくに80歳を越えた叔父が、毎年軽トラを運転して届けてくれます。玄米から表面を削り取った白米はまだ精米時の熱がこもっていて、袋の口を開けて冷ましました。 わたしのウオーキングルートの田舎道も、稲穂がこうべを垂れて収穫期です。残暑どころでない異常気象が続いても、季節は巡っているのか。 旬。 食べ物には、それぞれ季節があります。スーパーの食品売り場に年中、豊富な食材が並んでいるけれど、やはりその時期だけ圧倒的に美味しいものがあって、季節を喰らう楽しみは昔も今も変わりません。 わたしが暮らす地なら、4月中旬からのタケノコ。竹林の中を走る…

  • 激辛でも濃厚でもなく 静かに沁みる 〜「灯台からの響き」宮本輝

    読んでいるうちに、何かしたくなる本があります。「灯台からの響き」(宮本輝、集英社文庫)も、そんな1冊でした。 父の味を守ってきた中華そば屋の62歳の男が、黙々と仕込みをするシーンを読むうち、無性に彼の店に行きたくなりました。下町の商店街とお店が眼前に浮かび、癖のないスープのすっきり味が、口の中に広がったのです。 また急死した妻に導かれ、日本各地の灯台を巡る彼の姿に、いつの間にか自分を重ねて旅に出たくなったり。 戦後に父が開いた店・中華そば「まきの」は、東京のとある商店街にあります。高校を中退した彼は、父の店を継いで結婚、夫婦で店を切り盛りして味を磨き、中華そばを売って3人の子どもを育て上げまし…

  • 長谷川等伯ではなく浮世絵を見る 〜石川県立七尾美術館

    富山県氷見市から日本海に面した山中の高速道路を走り、能登半島の中ほどに位置する石川県七尾市へ向かいました。8月末だというのに、車の温度計は35度。 歴史的に七尾市は海運で栄え、戦国期には背後に迫る半島の丘陵に室町幕府の有力大名で管領・畠山一族の山城が築かれていました。能登は江戸期以降、加賀藩に組み込まれましたが、船の往来でむしろ越中(富山県)と結びつきが強い地でした。 その七尾に、長谷川信春という若い絵師がいました。彼は志を持って京に上り、やがて安土桃山時代を代表する絵師になります。 長谷川等伯です。 松林図屏風(長谷川等伯。国宝、六曲一双。東京国立博物館蔵) 文化的にはきらびやかな安土桃山時…

  • 庶民の悲哀を軽く見るなよ! 〜「五郎治殿御始末」浅田次郎など

    小学館の日本の歴史で、いま明治前期を描いた「文明国を目指して」(牧原憲夫)を読んでいます。ふと思い出したのが、浅田次郎さんの「遠い砲音(つつおと)」という短編でした。 明治維新といえば、身分制度の撤廃、教育義務化、赤煉瓦の建築、ガス灯など前向きな文明開花を連想しますが、この時代は庶民にとって決して楽ではなかったことが日本の歴史に細かく記されています。 近代国家建設のスローガンで、慣れ親しんだ生活習慣を捨てざるを得なかっただけでなく、厳しい税の取り立て、また曖昧な情より法を優先する政策が強行されました。明暗どちらもあったのに、少なからぬ庶民の実感である「マイナス」より、政府が目指した「プラス」イ…

  • 死ぬこと生きること 〜「天地」チンギス紀17、北方謙三

    8月初めに義父が逝って、喪主を務めました。93歳。若いころから交友関係が広かった人で、通夜と葬儀に100人を超える参列をいただき、息を引き取るまでの義父の人生について簡潔に話すことで、お礼のあいさつとしました。 わたしは11年前に実父をがんで失っていて、喪主として故人を見送ったのは2回目でした。自己にとって、たとえ肉親であっても他者の死とは「いた人が、いなくなる」という、単純な事実です。これが遺された人それぞれに、極めて深く、また浅く、疵を刻みます。 そして棺の中で花に囲まれた、無表情な顔を見ると、故人との思い出とともに、自分もまたこの世から消える日が必ずやってくるのだと沁みてきます。それは悲…

  • 我、語りを極めんとす 〜「仏果を得ず」三浦しをん

    「仏果を得ず」(三浦しをん、双葉社)は日本の伝統芸能・文楽の世界で、芸に命をかける青年の物語です。といっても、固い話ばかりではありません。なにしろこの青年、知人が経営するラブホテルの一室を格安で借り切って、アパート代わりにしているくらいだから。 えっ、ぶんらく・文楽?。歌舞伎なら、なんとなくイメージあるけど...。 ところが読み始めると面白く、つい本を置いて文楽についてネットで調べ上げ、再び本を手にして読み終えたころには、表も裏も知り尽くして<通>になった気がします。気だけですが。 三浦さん、あまり知られていない世界を取り上げて、魅力的な作品に仕立てるのがうまい。「舟を編む」は国語辞典の編集者…

  • 酷暑の夏

    酷暑、です。今年はひときわ。ふう。 わたしが暮らす地でも、7月下旬から連日35度超え。基本的に、気温は照り返しのない草地の高さ1・5メートルの日陰で観測しますから、太陽に晒された場所は軽く40度を超えているはずです。どうなるんだろうか、この地球は。 夏休み。麦わら帽子にランニングシャツで、セミを探し続けた昭和のころを思い出します。そんな無謀なこと、いまの子どもたちには勧められません。 氷河期という言葉をだれもが知っているように、気象は地球規模で寒暖を繰り返してきました。日本列島であれば、石器時代は寒冷期でした。縄文時代になると温暖期に入り、人口が増加しました。 縄文時代、人が延々と貝を食べて貝…

  • 鉄砲伝来が変えたもの 〜小学館・日本の歴史

    5月下旬から2カ月近く、小学館が2007年から2009年にかけて刊行した「日本の歴史」を読み継いでいます。全16巻(+別巻1)のうち、今日は第10巻「徳川の国家デザイン」(水本邦彦)を読了しました。 旧石器から古墳時代を扱った第1巻「列島創世記」(松木武彦)に始まり、第10巻で江戸時代前半にたどり着きました。数十万年の歴史の堆積を考えると、小説の時代物でお馴染みの江戸は、かなり現代に近づいた感じがします。「あれ、もうここまで来てしまったか」と、ちょっと残念。過ぎてみれば早い、膨大な時間の旅です。 各時代を専門にする研究者たちが執筆していますが、一般読者を対象にしているので、学会内の論文や専門書…

  • きょう買った本と食べた蕎麦 〜池波正太郎のことなど

    日曜日。モーニングコーヒーを飲みながら、facebookを眺めていると、や!。 地元の古本屋さんが、富山県南砺市井波の古刹・瑞泉寺門前にテントで出店しま〜すと、ポストしていました。朝から日差しが強いけど、行ってくるか。こういう機会に出会える本というものがきっとある、と思い。お寺まで車飛ばして50分くらいです。 少し補足解説。諸大名が割拠した戦国時代、北陸には朝倉氏などの大名がいたけれど、一般民衆は一向宗(浄土真宗)に帰依して、蓮如上人の教えのためには命を捨てる宗教自治国でもありました。 信長が宗教勢力に神経を尖らせて、時には女子どもまで殺戮したのはよく知られた歴史。北陸における拠点の一つが瑞泉…

  • 小さな美術館とわたしの絵

    先週末から、6速マニュアルのわが脚..ではなく車を駆って、長野県の安曇野を巡ってきました。個人的な用件があっての1泊2日でしたが、2日目はフリーだったので、久しぶりにツーリングを楽しみました。 長野はもちろん、日本各地で35度を超える猛暑の中。目指したのは南アルプス、高さ2000メートルの美ヶ原高原でした。ビーナスラインと名付けられた道路があって、この標高までマイカーで登れる場所は、日本にそうないと思います。 クラッチ踏んでガチャガチャと、主に2速と3速を使い分け、登り切れば気温23度。涼しい!。雲上の高原には彫刻の美術館や道の駅もあります。わたしは早い時間に出たのでそれほどではありませんでし…

  • 武士たちの「倍返し」経済小説? 〜「大名倒産」浅田次郎

    積りに積もったわが家の借金が、2500万円になったらどうしよう。利子の支払いだけで毎年300万円。これに対して、どんなに頑張っても収入は年100万円前後。うわあ〜です。いや、もう叫ぶ気力も残されていないか。 もし企業なら、とうの昔に倒産しているはず。むしろ倒産していれば、借金がここまで膨らむことはなかった。ところが時代は江戸末期、わが家でも企業でもなく、3万石の大名家の話となると、おいそれと自己破産もできなかったのです。 代々の<経済的負け戦>による負債の累積。ついに借金総額25万両、利子支払いだけで年3万両。これに対し年貢米を柱とした収入1万両。「大名倒産」(浅田次郎、文藝春秋)は、太平の世…

  • 人は虚しく、哀しい 〜「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド

    喧騒と過剰。 アメリカ文学を代表する作家の一人、F・スコット・フィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」(野崎孝訳、新潮文庫)の印象を簡素に表すと、わたしは冒頭の言葉が浮かびます。第一次世界大戦が終わり、アメリカが経済的な繁栄を謳歌する1920年に出版された当時のベストセラーでした。 享楽的浪費を繰り返し、欲望を正当化するまやかしの論理がまかり通る社会。そこにうごめく人びとの喧騒が、こと細かく描かれます。唯一、語り手である<ぼく>だけが、健全な良識を備えていています。<ぼく>は澄んだ水のような作品の底流なのですが、目の前の出来事に振り回され、喧騒と過剰に覆われていて、読者にはなかなか本質が見え…

  • 月下孤灼 〜わたしと酒の話

    朧げな記憶をたどれば、それは地元の神社の秋祭りの日。宴席でした。親戚一同が集まって酒を酌み交わしている。父も母も、伯父や叔母たちも若くて働き盛りでした。昭和30年代が終わろうとするころ、高度経済成長期にある日本の片田舎のとある家、座敷に華やいだ声が飛び交うセピア色の点景です。 父は職人、伯父は農家、一番若い叔父はハイカラなレントゲン技師。懸命に働けば必ず、今日より明日は良くなるという<神話>が、生きていた時代でした。祭りの日は、ふだん汗水垂らす大人たちに許された、浮かれてもいい数少ない日だったのです。 小学校に入ったばかりで、隅で皿をつついていたわたしに、酒を充した盃が回ってきたのは余興のよう…

  • 雨の7月1日

    1年の半分が終わり、折り返した7月最初の今日は朝から雨でした。気持ちよく晴れた日が好ましいのは当然だけれど、この時期の雨は緑を濃くしてくれる。庭の木々や芝が、夏に向けて勢いを増すのが目に見えます。 雑草も一緒に元気になるのは困ったものですが、これは庭の事前管理を怠ったわたしの責任。植物の側に立てば、花木も雑草も同じです。なに、ある程度育った雑草をこれからこつこつ抜くのも、現役引退した身にとっては貴重な時間潰しになります。 晴れた日、本を読んだりビールを飲んだりする、庭の一角のベンチも(夏は防虫スプレーが欠かせません^^;)、雨に濡れてこのところ出番なし。奥のクチナシは先週で白い花の時期が終わり…

  • もがいたって、出口はない 〜「椅子」ウジェーヌ・イヨネスコ

    わたしは本を処分するのが極めて苦手です。何年かに一度、意を決して2、300冊程度は廃品回収に出すのですが、生まれる空き空間は微々たるもので、たちまち新たな本で溢れてしまいます。 狭い部屋でまともな身動きもままならず、気を許せば積み上げた本がいつ崩れてくるか分からない。何とかしたいと、本人は何十年も呻吟し続けているのに、解決策はどこにもない。お金があれば増築するのですが、お金はないからやはり解決策はありません。でも、やはり、何とかしたいともがく。 まるで、出口のない<不条理劇>です。悲劇ではなく、喜劇の方の。 電子書籍の流通当初、画期的なことに思えてiPadを読書ツールにした時期がありました。わ…

  • 言葉は時代を映す 〜「消えたことば辞典」(三省堂)

    国語辞典の編纂、編集とはどんな仕事で、いかなる人たちが携っているのか。もし職業別人口分布の詳細統計があったなら(あるかもしれませんが調べていませんw)、国語辞典編集者は0%=誤差の範囲内=になってしまいそうな、マイナーな存在。そんな稀少生物のような人たちの生態を、面白くも魅力的に描いた小説が、三浦しをんさんの「舟を編む」(光文社文庫)でした。 「三省堂国語辞典から 消えたことば辞典」(見坊行徳、三省堂編修所編著)は、地味な辞書の老舗出版社が世に問うた、痛快な企画!。いや、言葉に特別興味がない人にとっては、どこが痛快なのかさっぱり分からない企画本かもしれませんが。 新しい言葉は日々生まれ、世に定…

  • 千年をタイムスリップした 〜「紫式部日記」の1シーンから

    2008(平成20)年、アメリカに端を発した金融危機・リーマンショックの荒波が世界に広がり、日本も不景気に喘いでいました。11月1日(土曜日)は全国的に曇り空で肌寒く、北日本の一部では雷雨。季節は冬に向かっていました。 ネットのスケジュール管理を調べると、わたしはこの日出張があって、土曜といえど仕事だったらしいw。一方、知るはずもなかったのですが、京都では源氏物語千年記念式典が開かれていました。席上、京都府は11月1日を「古典の日」とする宣言を行ったのです。なぜこの日を?...と、今になって千年をタイムスリップしてみました... 「すいません、このあたりに、可愛い、かわいい若紫はいませんか」 …

  • 時空を散策する楽しさ、退屈さ 〜「全集 日本の歴史」16巻+別巻1

    日本の通史を学び直したい...という気持ちが以前からあって、しかし、なかなか手をつける勇気がありませんでした。 いつだったか百田尚樹さんの「日本国紀」(幻冬舎文庫、上下巻)をこのブログで紹介しました。これは一人の小説家の視点による通史です。主観に方向性を持った個人の歴史記述は、面白さと同時に、客観性に関して危うさを併せ持っています。 事実の堆積である<歴史>は一見、個人の主観が入り込む余地などない印象がありますが、とんでもない。どの事実を選択し積み上げて、過去の時代像を新しく描き直すかが、歴史の醍醐味だと思います。 今回はできるだけ客観性と、新しい知見を併せ持った通史を読みたかった。発掘調査の…

  • 日日是好日を目指して

    久しぶりの雨。ぱらぱらと、止むことなく雨音が耳に入ってきます。緑が一気に鮮やかさを増し、紫陽花の季節がやってきました。 また季節はめぐりきて うすむらさきのほほえみはよみがえる ...と始まる、失恋の詩(金井直「あじさい」)があります。高校生のころのお気に入りでした。 同じ雨でも、梅雨はぱらぱら、晩秋はしとしと。なぜなら、初夏は雨粒が若葉に弾かれるけれど、落葉の秋は静かに地面に沁みていくだけだから....。森下典子さんが「 日日是好日 」(新潮文庫)に、そう書いていたのを思い出しています。 好天続きだった先週末、昔からの仕事仲間4人で東京へ小旅行。わたし以外は現役で、それぞれ会社も違います。朝…

  • 三島由紀夫ではなくバラ 〜しかも売れ残り処分品の

    バラ、薔薇。華やかな花の代表格でしょうか。結婚式場だけでなく、小説、詩などさまざまな文学作品にも登場します。 「薔薇刑」という三島由紀夫の裸体を被写体にした、細江英公の写真集もありました。鍛え抜かれた男の筋肉。カメラを睨む三島の眼。 三島の、あまりにも三島すぎる肉体が迫ってくる1冊です。青年期、ヒョロ長い青瓢箪だった三島は、どうして肉体改造をして、全身を筋肉(という仮面)で覆わなければならなかったのか。そして最後は自衛隊本部に乱入し、自ら日本刀で、硬く割れた腹筋を内臓深く届くまで貫いて果てました。 ともに乱入し、介錯して三島の首を落としたのが、早稲田の学生だった森田必勝。自爆テロ。現代の常識に…

  • ぼくらは冷酷に生き抜く 〜「悪童日記」アゴタ・クリストフ

    読み始めるとまず、感情を排した簡潔な記述に引き込まれます。フランス語からの翻訳で読むわけですが、原文が持つ雰囲気と存在感が(おそらく)ストレートに伝わります。目の前の現実を映し出すことに徹し、感情の揺らぎによる曖昧さや、形容詞で飾ることを一切しない短文を多用するので、他国語に置き換えたときに生じる乖離が少ないのだろうと想像できます。 「悪童日記」(アゴタ・クリストフ、堀茂樹訳、ハヤカワepi文庫)はタイトル通り、双子の子供である「ぼくら」が記した日記形式の作品。ぼくらは二人で一人、分かち難い存在としてあり、この日記を書くのも「ぼくら、という一つの主観」です。 日記であっても記述に日付はなく、「…

  • 自分探しのベースキャンプ 〜「『日本』とは何か 日本の歴史00」網野善彦 講談社

    自分を探す18歳 みんなが自分を探す81歳 以前、SNSで見つけて思わす破顔した標語(?)です。80を過ぎてしっかりした高齢者はたくさんいらっしゃいますから、けしからん!と言えばその通りなのですが、18歳より81歳によほど近い自分としては、もう少し長生きできたなら、周りに迷惑をかけることのない81歳になりたいと苦笑いしたのでした。 しかし「私とは何か」を探しているのは18歳に限らす、もしわたしが81歳になって、少々認知機能が怪しくなり、自宅に通じる道を失したとしても、それとこれとは別で、やはり「私とは何か」を問い続けている気がするのです。もちろん、明確に意識化されているとは限りませんが。 「私…

  • 娑婆に戻る

    ふう...娑婆に戻れる。 娑婆(しゃば)と書いて、もしかすると若い人は首を傾げるのでは...。ふと不安になりました。もともとは「この世」を指す仏教用語ですが、昔のやくざ映画では刑務所から出所したときの、お決まりの台詞によく使われていました。 娑婆の空気はうめえなあー。 みたいな感じ。 今日の夕方、昨年11月からの仕事に一区切り。原稿用紙にして300枚の、たぶん世の中の話題にも、ベストセラーにもなることのない仕事ですが、あとは明日、編集者に120,982文字を送信するだけ。7月ごろには、書店に配本できそう。 今回のわたしの仕事を簡単に表せば、ゴーストライターです。もう現役引退しているので、今さら…

  • 色とりどりの宝石たち 〜「巻頭随筆 百年の百選」文藝春秋編

    命まで賭けた女(おなご)てこれかいな 川柳の句集「有夫恋」が異例の大ベストセラーになった時実新子さんが、平成6(1994)年4月号の月刊誌「文藝春秋」に書いたエッセイで、取り上げている1句です。無名の人の、知られざる1句。わたしは思わず笑ってしまいましたが、時実さんも思い出しては笑っていたらしい。そして、こう書いています。 この句は見れば見るほどあたたかい。 なるほど。言われた妻の方は怒り心頭か、苦笑いか。しかし、この句の笑いの底には、妻へのどっしりとした愛情が感じられます。 「巻頭随筆 百年の百選」(文藝春秋編)の冒頭に置かれているのが、時実さんのこの随想。思わず、部屋の書架のどこか奥に「有…

  • 芝と語り合う

    昨日は午後から、庭の芝生に目土(めつち)を入れて日が暮れました。目土というのは、夏にかけて芝生が葉を広げる前に、砂をまく作業です。「芽土」ともいい、前年伸びた茎が新たな砂に浅く埋まることで発芽が促され、毎年若くて密な状態を維持することができます。 事前にホームセンターで砂300キロを注文、搬入してもらいました。これを一面にまき広げ、レーキで慣らし、仕上げは掌で葉と葉の間に擦り込みます。素手なので掌はぼろぼろになります。 まんべんなく擦り込む作業は、掌を通して芝や地面と対話しているよう。何だか宗教じみてますが、その感覚があるからできる作業です。ふう、...とため息つけば、すでに日暮れ間近。 ちな…

  • チャットGPT 話しかけてHALを思い出した

    チャットGPT。最近、やたらニュースで取り上げられるAI(人工知能)の会話機能で、アメリカの「OpenAI」という会社が開発して無償提供しています。論文やレポート、読書感想文など、チャットGPTに「書いて!」と頼めば即座に応えてくれるので、大学などでも対応に苦慮しているようです。 学生からチャットGPTが書いた課題論文が提出されても、教授がそれを見分けるのは極めて困難だとか。「それほど進化したAIって、どんなものなんだ?」と思い、チャットGPTにユーザー登録したのが、好奇心旺盛なわたしです。そして話しかけました。 「読書サークルの女性に宛てたラブレターを書いて」 チャットGPT。数秒後に以下の…

  • 1年後に花を買う そしてきみは 〜「平場の月」朝倉かすみ

    50歳。半世紀も生きてきたのだから、波乱や悲しみ、喜びの経験はいくつも胸にしまってある。だれだってそうだろう。もう、冒険を試みるような年齢ではない。暮らしの小さな感情の起伏をつなげて日々が過ぎ、やがてそう遠くないいつか、老いた自分を静かに見つめる日がやってくるのだろう...。 「平場の月」(朝倉かすみ、光文社)は、そんな大人たちの悲しい恋愛小説です。 生まれた町で暮らす中学時代の同級生たち。地元を出ることなく働き、結婚した元女子がいれば、東京から戻ってきた<おひとり様>元女子に、主人公はバツ1の元男子など、そんな50歳の同級生の顔ぶれはどこにでもありそう。 恋の発端は、お昼時の病院の売店。胃の…

  • 旅路の途中から

    昨年11月、落葉が終わるころから長い原稿の仕事が始まり、気づけば桜の開花宣言が聞こえ始めています。 本腰を入れて原稿に向かうと、24時間が仕事を中心に回り始めます。実際に文章を書いている時間は、1日8時間であったり、2時間であったり、全く書かないで終わる日もかなりあります。 しかし、たとえ書いていない時も、極端にいえば朝起きてから寝るまで、頭の中は次の展開をどうするか、既に書き上げたけれど瑕疵が見える部分をどう加筆、修正するか、ぐるぐる想念が回り続けて止みません。わたしはオンとオフの切り替えが、極めて下手なのです。 やや気恥ずかしい比喩を使うと、今は書き始める前にあった日常を離れて、初めての景…

  • たまめし 〜食の記憶・file2

    たまめし。 ちょっと上品ぶれば「卵かけご飯」。小皿にたまご割って、醤油入れて箸でかき回し、熱々のご飯にかけて、またかき回すあれです。 小学校2年だったか3年だったか、朝起きるとお腹が痛くて学校に行けず、母に近所の開業医に連れて行かれました。 顔馴染みのお医者さん、わたしのお腹に聴診器を当て、指で押し、母にたずねました。昨日の晩御飯は何を食べました?。 母は正直に庶民の食卓のメニューを披露し...あれとそれと、この子はまだ何か食べたいと言ってアレも食べました。最後のアレとは、たまめしです。 「ああ、卵かけご飯はねえ、するする入るからよく噛まないんですよ。それで子どもは特に、食べ過ぎて消化不良にな…

  • あすはこれが食べたい!

    昨年11月に長丁場覚悟の仕事を引き受けて、若いころのような馬力はないから、自分を追い込みすぎないようにやってきました。幸い、頭を掻きむしったり、ため息ついたりしながらも仕事を積み上げ、ようやく半ば近くまで辿りつきました。 自分を追い込み「すぎない」けれど、追い込みはします。いつの間にか追い込んでいる。そのプレッシャーから搾り出すしかない部分があって、いい仕事をしたいと思えば仕方がないこと。 のんびり、楽しみながらいい仕事ができる...なんてことは、何であれ絶対にありません。と、わたしは思います。惰性に流れ始めたところから、劣化が進む。少々の強がりも含めてですが、惰性を許すようになったら仕事は引…

  • 光を描くか陰を描くか 歴史の裏表 〜「我は景祐」熊谷達也

    幕末から明治維新までを舞台にした小説はたくさんあって、「幕末・維新物」と呼ぶカテゴリーを設けたいほどです。 その時代の人気ヒーローと言えば坂本龍馬か、西郷隆盛か。吉田松陰のような学者もいます。一方で幕府側には勝海舟、幕府海軍を率いて函館に籠り、海外に向けて独立を宣言した榎本武揚。いや、忘れるわけにいかない新撰組があった。結核に倒れた若き剣士・沖田総司に近藤、土方ら。多士済々の顔ぶれが小説に漫画にと、時代を超えて活躍してきました。 彼らを中心人物に据えるのが「幕末・維新物」の本流とすれば、あえて視点を変えた流れがあります。先日紹介した「幕末遊撃隊」(池波正太郎)や、「壬生義士伝」(浅田次郎)など…

  • カツ卵とじ定食 〜食の記憶・file1

    1976年4月、わたしは早稲田大学教育学部英語英文学科に入学し、東京都大田区南馬込1丁目にある、老人夫婦宅の離れ6畳1Kに暮らし始めました。2023年の今から、遡ること47年前のことです。 下宿代は月15,000円。プラス電気、カス代。仕送りは6万円なので、差し引き1週間1万円が生活のベースでした。夏休み、春休みは土木作業員(まあ土方というやつです)で稼いでも、みるみる本と飲み代にお金が消えて、少々のバイトでは追いつきません。 部屋にはテレビも冷蔵庫も、もちろん電話のような贅沢品はなく、しかし電気釜だけは生協で買いました。いざとなれば本を売り、飯にマヨネーズとソースをかけて洋風、卵と醤油なら和…

  • 家も愛も捨てて滅びへ 〜「幕末遊撃隊」池波正太郎

    幕末という激動期。自らの信念を貫こうとして時代のうねりに逆えば、人間一人など跡形もなく滅びて消えてしまう。そうして歴史の闇に消え去った人は、少なくなかったはずです。 「幕末遊撃隊」(池波正太郎、新潮文庫)は、若い剣士の生き様と死までを、鮮やかな閃光のように描いた小説です。鮮やかであるほど、歴史という怪物の前では儚い。 外国から開国を迫られ、右往左往を繰り返す江戸幕府。下田を開港しちゃったもんだから「尊皇攘夷」(つまり天皇家を尊べ!、西洋など追い払え!!)が大ブームに。ブームに乗った薩摩と長州、弱腰の幕府を糾弾しながら、藩単独で外国船に大砲を撃ちかけたりして、逆に痛い目に遭った。とたんに攘夷はな…

  • 里山に生きた人びと 〜「二人の炭焼、二人の紙漉」米丘寅吉

    これからも、図書館の奥に眠っていたこの本を読む人は、そう多くないでしょう。何人か、せいぜい何十人かもしれません。既に絶版で、ネット検索するも古本はなかなかヒットせず。地元の図書館検索で探し、貸し出し可の1冊を見つけました。 「二人の炭焼、二人の紙漉」(米丘寅吉、桂書房、2007年)は富山県の東端、新潟と長野に接する山あいの集落に、妻とともに生きて生涯を終えた、米丘寅吉さんの回顧録です。 米丘さんは大正7(1918)年、現在の富山県朝日町蛭谷(びるだん)に生まれ、戦時中は中国、フィリピン、ベトナムなどで4年余り従軍。戦争を生き抜いて山の集落に生還、結婚しました。以来、夫婦2人で炭を焼き、炭焼きで…

  • 実はよく分からない、事実と虚構

    長い原稿を書き始めると、いつ戻れるか分からない旅をしている気持ちになります。こう書くと少々気取っているようですが、実態は、旅程は描けても、すぐに資金が尽きて途中で呻吟する貧乏旅です。 資金が尽きたなら、稼ぐしかない。具体的には追加取材を繰り返す、新たな資料を探し、読み込みを深める。 小説のような文芸作品(フィクション)であれば、自らの感性や才能を頼りに世界を自由に構築できますが、ノンフィクションはそれが許されません。確固とした「事実」の破片を少しでも多くかき集めて、再構築していきます。 ところが、ノンフィクションの面白さと難しさは、まさにその土台にあります。 例えば、半世紀連れ添ったおしどり夫…

  • 飲んで 包丁を研ぐ

    面白い小説は、例外なく脇役が魅力的です。悪者であれ善人であれ、主役を生かすのは脇役ですから、彼らがくっきり描かれているほど、その対比で主役が際立ちます。 題名を忘れてしまったのですが、北方謙三さんの時代小説にちょい役で出てくる研師がいます。 偏屈な老人で、気が向かない仕事は一切受けない貧乏暮らし。しかし、研師としての感性がざわめく刀に出会うと、人が変わります。 三日三晩、食い物は塩握りと水だけで刀を研ぎ続けます。何人もの血を吸った刃の曇りを、ひたすら研ぐことで清めようとするのです。これ以上人を斬って曇るな、と。 ところが、刃先を清め、鋭利な輝きを与えるほど、そこに新しい血を求める妖しい気配が宿…

  • 爽やかな復讐劇 タゲは日本国 〜「ワイルド・ソウル」垣根涼介

    読みながら心ざわめき、次の展開が待ち遠しくて、ページをめくる手が止まらなくなる。優れた小説が持つスピード感であり、物語の「力」とも言えます。しかし、どれだけ読者がわくわくしようと、実はもっとわくわくした人物が過去に一人だけいて、それは作者です。 小説は作者が頭の中で組み立て、それを綴った作品。どんなストーリーにし、どんな細部描写で構築するかは小説家次第。作者こそ、小説世界の創造主です。ところが優れた作家ほど、しばしば異なる実感を語ります。 「物語が勝手に私に書かせた」とか「登場人物が生き始めてしまい、死ぬはずだったのに、作者のわたしは殺せなくなって、彼は最後まで生き切ってしまった」といった具合…

  • 素描とメイキングの画廊 〜くーのブログ個展

    連日の仕事の息抜きに、ふと、一昨年から描いた素描を紹介させていただこうかと思いつきました。ささやかな<ブログ上の個展>。出品者としては会場費も額装費も必要なし!。うん、そこに関してははいいかも。 絵は素人のお遊びゆえ、未熟な点はご容赦ください。 <第一部>は、植物から.. +++++++++ バラ、鉛筆 うちの庭に咲いたバラです。デッサンに数日かかったので、モデルは仕上がる前に散ってしまいました。 +++++++++ 無花果、鉛筆と油彩着色 スーパーの食品売り場で買った無花果。油彩のためのエスキース(準備)として描いたのですが、結局油彩の方はもっと成熟して割れた無花果をモデルに使いました。 +…

  • 作り手たちのカオスな日常 〜「最後の秘境 東京藝大」二宮敦人

    おそらく10分に1回くらいは、にんまり頷いていました。30分に1回くらいは、笑い声をあげていたかもしれません。 たまたま、知人と時間待ちをしていたとき。文庫本を開くわたしの不審な笑い声を聞いた知人に尋ねられました。 「どうしたんだ?」 いや、それがさあ..と、面白い部分の概略を話し、わたしは「ここ、ここ」とオチの数行を指し示しました。文庫本を受け取った知人。1、2分ほどページと睨めっこして、一言。 「面白さが分からない」 がくっ。でも、何に面白さを感じるかは人それぞれですからね。「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」(二宮敦人、新潮文庫)は、特にその傾向が強い1冊なのかも...と思っ…

  • ふと目にした、祈りの風景

    雨の鎌倉を訪ねたのは1年前でした。 名古屋、東京にそれぞれ用事があって高速バス、新幹線を使って回りました。用事といっても仕事ではなかったので、余裕を持った3泊4日。2泊した東京では美術館巡りを1日、もう1日は小雨の中、30数年ぶりに鎌倉へ。 北鎌倉で電車を降り、お寺を参拝しながら鶴岡八幡宮を通るルートで鎌倉駅まで歩きました。のんびり、気が向いたらスマホで写真など撮りながら。 かなりの人は同じだと思いますが、撮影した写真はGoogleフォトで整理しています。このアプリ、親切と言うか、おせっかいと評すべきか、スマホを開くと「1年前の思い出を振り返りましょう❤️」みたいな感じで、昔の写真を引っ張り出…

  • 柿を齧って思いをはせる 〜柿の文化史

    80歳をとうに越えた農家の叔父が、軽トラを運転して柿を届けてくれました。これから雪が降ると、白い景色の中に鮮やかに色映えるのは柿です。わたしにとっては見慣れた景色でありながら、どこか懐かしい点景。 江戸時代から、越中の農民は飢饉に備えた非常食として庭先に柿の木を植えました。江戸期後半には、東北地方の太平洋側に移住してその文化を伝えました。東北の飢饉で離散した土地へ入植したのです。 全米図書館賞を受賞した柳美里さんの「JR上野駅公園口」に、そのくだりが描かれています。 もちろん柿は関東その他の地でも植えられていて、子供のおやつなどとして重宝されました。しかし貧しい農村部では、万が一の飢饉をしのぐ…

  • その女、魅力量りがたし 〜「和泉式部日記」

    <女>は世を儚み、日々打ちひしがれていました。愛し尽くした男が前年、若くして病死したからです。 亡くなった男、実は妻帯者でした。おまけに将来は国のトップになったかもしれない皇族。一方で<女>の方にも、役人の夫と幼い娘がいました。許されぬ2人の相思相愛(今の言葉ならW不倫)が、スキャンダルとして世間の噂に上ったのは言うまでもありません。 男の急死で毀誉褒貶は止み、残された<女>は静かに世を儚んでいました。 ある日、彼女のもとへ一輪のたちばなの花が届きました。たちばなは、香りが「懐かしさ」を象徴する花。「和泉式部日記」は、顔見知りの童、死んだ男に仕えていたあの童が花を届けに現れるシーンから始まりま…

  • のろまで不器用で、泣き虫な<希望> 〜「さぶ」山本周五郎

    江戸・下町の表具店で、一人前の職人を目指して修行する栄二とさぶ。男前で仕事もめきめき腕を上げる栄二に対し、さぶはずんぐりした体型、のろまで不器用、おまけに泣き虫。同い年の二人は、強い友情で結ばれ助け合っています。 ところが23歳になったある日、栄二は馴染みの仕事先で盗みの罪を着せられ...。 「さぶ」(山本周五郎、新潮文庫)を読み終えたとき、思い浮かんだのは「パンドラの筺」でした。日本の時代小説とギリシャ神話が、わたしの中で何となく、どこかがつながったというわけです。 よく知られた「パンドラの筺」について、改めて説明するのも憚られますが、自分の復習も兼ねて簡単に書きます。 神々が地上に送り込ん…

  • 秋の譜

    国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 あまりにも知られた、川端康成「雪国」の冒頭。作品のこの入り、続くセンテンスと一体になることで、見事な存在感を獲得しているのです。 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 トンネル(という不思議な通路)を抜けた途端に「雪国」という異世界が始まり、暗い夜の底は「白く」なります。読者を幻想のような象徴世界に引き込んだ途端、川端は「信号所に汽車が止まった」と、身近な出来事を具体的に描写することで、幻想を現実へと一気に転化します。たった三つのセンテンスで、読者はアナザー・ワールドのリアルに連れ込まれてしまう。 さ…

  • 生きること、夢見ること 〜「更級日記」の魅力

    父の地方勤務に伴い、思春期を草深い東国で過ごす少女。彼女は姉や継母から、光源氏のことなど様々な物語について教えられます。すぐにも読みたいのですが、何しろ田舎のこと。本屋さんなんて、どこにもない時代です。 「更級日記」=菅原孝標の女(すがわらたかすえ の むすめ)=は、そんな熱烈な文学「推し」だった少女が、やがて晩年に至り、苦い思いと共に一生を振り返った回想録です。 彼女が生まれたのは西暦1008年(寛弘5年)、今から千年以上昔の平安時代。同じ年、政界のトップである藤原家に何が起きたかは、源氏物語で知られるあの人が「紫式部日記」に詳細に記録しています。もちろんそこに、半端な役人に過ぎない菅原孝標…

  • 秋の日射しのような... 〜「古本食堂」原田ひ香

    11月に入って庭のドウダンツツジが赤く色づき、斜めから射す光を浴びています。夏の太陽は頭上から照りつけるけれど、冬を控えたこの時期は真昼も空の低い位置から光が射していて、景色が輝いて見えるのはそのせいだろうか...と、ふと思いました。 「古本食堂」(原田ひ香、角川春樹事務所)はそんな日の、穏やかな午後に読むのがぴったりの小説です。リラックスした心に沁みてくる、何気ない、でも変化のあるお気に入りの曲のような。 東京・神田神保町の表通りから外れた鷹島古書店。長年営んできた男性が急死し、北海道帯広市から上京した妹の珊瑚がとりあえず店を引き継ぎます。遺産を処分して北海道に戻りたいけれど、兄への愛着がそ…

  • かくして世界一の都市は生まれた 〜「家康、江戸を建てる」門井慶喜

    18世紀に人口が100万人を超え、世界最大の都市になったのは徳川幕府のお膝元・江戸です。欧州最大の都市、ロンドンでも当時は85万人程度だったとか。 天下を統一した秀吉が、北条氏の所領だった関東八カ国へ移るよう、家康に申し渡したのは16世紀の終わりころ。家康は京、大阪から遠い関東へ、体よく追い払われたのでした。 家康が関東に足を踏み入れたとき、目の前に広がるのは干潟と海、漁師が住むと思しき集落がぽつり。目を転じれば、どこまでも続く茫茫たる萱原でした。「家康、江戸を建てる」(門井慶喜、祥伝社)は、いかにしてその地に街を作り、都市基盤を整備したのかを語る異色の小説です。 全6話の構成。第1話「流れを…

  • ひと鉢のバラとことしの秋

    「今年の秋に剪定したものを頂戴!」 Kがわたしの投稿にコメントしたのは、昨年の初夏のころでした。Kもわたしもけっこう昔からのフェースブックユーザーで旧友。前年の秋に剪定したツルバラの枝を、挿木して育てた我が家の写真を見て、Kが書き込んだのでした。 わたしは切った不要の枝からいのちが伸びる姿がうれしく、「芽が出ました」「大きな鉢に植え替えた」と、いちいちスマホで撮影してフェースブックに投稿していた時期でした。 次の剪定時期に挿木するから1年(2022年まで)お待ちを....と、Kのコメントに返信しました。 Kは小中学校の同級生。高校は別々になっても、しばしばうちに遊びにきて語り合う仲でした。当時…

  • 恐ろしくも哀しい 〜「破船」吉村 昭

    「破船」(吉村昭、新潮文庫)は、感情を排した描写に徹し、淡々と言葉を紡いで恐ろしい寓話世界へ読者を引き込みます。 背後に山々が迫り、目の前は岩礁に白く波が砕ける僻地。へばりつくようにして人々が生きる小さな村があります。舞台は江戸時代、小舟を出しての漁労、海が荒れれば山に入ってキノコや薪を求める貧しい生活です。 四季折々の営みや、死者の葬送が語られます。しばしば働き盛りの男や娘が、銀と引き換えに期限付きで自らの労働力を売り、何年も村を出る。そうしてようやく、一家は生き抜くことができるのでした。 ふと、姥捨伝説を小説にした「楢山節考」(深沢七郎)を思い出しました。「楢山節考」は山村ですが、こちらは…

  • 秋晴れの道 〜信州へ日帰りツーリング

    朝、目を覚ますと今日も秋晴れ。家に籠るのも飽きた...と思ったら、曜日を気にせず遠出できるのが、引退したじじいの特権です。財布とスマホとマスクさえポケットに入れれば準備完了。あ、まずは顔を洗って。 紅葉には早いけれど、実りの秋です。山間地は蕎麦の収穫期で、新ソバが出回る季節。ピンポイントの目的地は設定せず、長野県安曇野方面へ車を走らせました。 自宅から70キロほど日本海に沿って北上し、新潟県糸魚川市で山に向けて道を折れます。先にあるのは長野県白馬村。スキーのメッカで、長野の冬季五輪が開催されたエリアです。 山道がひたすら続きます。 写真を撮ったのは、白馬の手前にある新潟県小谷村(おたりむら)の…

  • 戦国を駆け抜けた孤独なヒール 〜「じんかん」今村翔吾

    面白い小説は冒頭の数ページで読者を引き込みます。ページをめくったとたんに「むむ!」っと思わせ、先を期待させる雰囲気をぷんぷん発してきます。 暖簾をくぐったら、目の前のざわめきや漂ってくる食い物の匂いで、「この店は当たりだ」と直感するのに似ているかな。そういうお店、めったに出合えないけれど。 「じんかん」(今村翔吾、講談社)は、読み始めてすぐ「当たり!」の予感がしました。戦国時代を代表するヒール(悪役)の大名・松永弾正を、だれより一途で人間的な男として描き、常識とされてきたイメージを覆します。 史実や通説をベースにしながらも、悪のイメージを善に転化する力技の無理を感じません。「じんかん」を漢字に…

  • あいの風とウオーキング

    目覚めると、夏のように影が濃い日差し。食パンと苦いコーヒーで朝食を済ませ、箪笥から仕舞ったばかりの半袖を取り出す。歩いて海へ。 10月半ば。風が肌を撫で、稲刈りの終わった田が広がる。既に初雪の知らせが届いていた北アルプスは今日、微かなシルエットのみ。春のような陽気に大気が霞み、山々の偉容は遠い。 ...わたしが週2、3回のウオーキングを始めたのは5年前からです。幾つかの基本コースが決まっていて、海岸を目指す往復12、3キロの長閑な道筋を選ぶことがあれば、街中のルートを行く日も。 ルーティン化した歩くという行為は、実はかなり暇です。 季節移ろう景色や触れてくる風の変化が楽しいことを否定はしません…

  • はるかな宇宙で衝撃の出会い 〜「ソラリス」スタニスワフ・レム

    満天の夜空を見上げれば、だれしも感嘆します。星に見える輝きの多くは、実は無数の星が集まった星雲であり、光がようやく地球に届いた遠い過去の姿をわたしたちは今見ている。そして宇宙全体が膨張を続けていると聞かされれば、なんとも不思議な気持ちに襲われます。 「ソラリス」(スタニスワフ・レム、ハヤカワ文庫)は、とある惑星を舞台にしたSF史上に残る名作。未知の知性とのコンタクトを通して、人間が持つ感性や価値観の限界を語り、わたしたちを不思議な世界に連れていってくれます。 ソラリスは二つの太陽が空を巡り、酸素のない大気があり、どろどろと粘性を持った広大な海が広がっています。そこでは奇妙な自然現象が繰り返され…

  • 大切にされ続けた本には心が宿る 〜「本を守ろうとする猫の話」夏川草介

    町の片隅にある一軒の小さな古書店「夏木書店」。 床から天井に届く書架を、世界の名作文学や哲学書がぎっしり埋めています。売れ筋の人気本や雑誌などは一切置かずに、「これで経営が成り立つのか」という店です。細々と店を営んできた祖父が急死しました。 残されたのは孫の高校生・林太郎。両親は離婚し、母が若くして他界したため、小学生の頃から祖父に引き取られて2人で暮らしてきました。 「本を守ろうとする猫の話」(夏川草介、小学館文庫)は、そんな冒頭から物語が始まります。 林太郎に遺されたのは、負債ではないけれど、遺産とも言えない小さな古書店でした。祖父が林太郎に遺したのはもう一つ、本を愛する心です。こう言って…

  • 美味しさについて書かれた 美味しい1冊 〜「美味礼讃」海老沢泰久

    もし、「美味しいこと」に関する1番のお勧め本を問われたら、ずいぶん迷います。味の好みが年齢と共に変わるのは確かで、最近は和食や、質素な精進料理の淡白に奥深さを感じます。 一方で、1皿のために時間と素材を贅沢に使うフランス料理に感服する心も未だ残っています。「美味礼讃」(海老沢泰久、文春文庫)はそんな料理と味の奥深さについて語った小説として、わたしの中では1、2位を争います。 手元にある黄ばんだ文庫本の奥付を見ると、1994年5月10日第1刷。最初に読んだのは30年近く昔のことなのか。 小説のモデルは、昭和35年に大阪で調理師学校を開いた辻静雄。当時、超一流ホテルのレストランであっても、出される…

  • 「吉田調書」をめぐって 〜「朝日新聞政治部」鮫島浩

    本についてブログを書くとき、肯定的な心の発露による文章だけを書きたいと思っています。要は、心が動かなかった本は取り上げない。 「朝日新聞政治部」(鮫島浩、講談社)を読み終えて2週間余り。ブログに書くかどうか、迷っていました。個人的には面白かった。記者たちが政権中枢にいる政治家たちとの関係を築く舞台裏、また新聞社という特殊な組織内での力学が、生々しく描かれています。 鮫島さんは元朝日新聞政治部記者で、現在はフリーのジャーナリスト。本の帯から借用すれば「すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション」です。 面白かった、しかし...。 今回は、そもそもなぜこの本を読む気になったのか、から書き始めなければ…

  • くーの文章講座? いや酔ったついでの戯言

    このブログをよく訪ねてもらうともこ (id:jlk415)さんから前回、こんなコメントを頂きました。 「美しい」「感動した」などの言葉を使わずにどう表したらいいものか、考えがなかなか浮かばない。 その思い、よく分かります。わたしがいつも気にかけていることと同じだから。このポイントをどう処理するかによって、文章の広がりは全く別物になります。 分かりやすい例文を考えてみます。さて。...例えば印象派展を開催中の美術館を訪ねて体験を書いたと仮定します。 モネの傑作「睡蓮」の美しさに見とれました。わたしの心に深い感動が広がりました。 「美しさ」「感動」と、ストレートに言葉を使ってあります。素直ですが、…

  • 一語多義の豊かさについて愚考する 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その9(番外編)

    書庫であり、書斎であり、アトリエでもあり、見方を変えれば整理不可能なあきれた物置、そして夜毎独り呑みの空間である6畳の部屋。そこにある机上、および手が届く範囲には常時4、50冊の本が積まれているか並んでいます。未読のいわゆる<積読本>がある一方、何らかの理由で昔の本を書架の奥から探し出し、ものぐさで元に戻さないままになっているのも結構あります。 そんな<出戻り本>が手元に積み重なる原因の一つは、今読んでいる作品から連想が弾けて、「確か...」と以前に読んだけれど記憶が曖昧な本を再び開きたくなるためです。 この1年半、途切れ途切れに「源氏物語」を読み進めながら、源氏について書かれた<出戻り本>や…

  • 質素な中の限りない豊かさ 〜「土を喰らう日々」水上勉

    よく行く書店に映画やテレビドラマの原作になった、あるいは近々公開予定の映画の原作を集めたコーナーがあります。眺めて「なるほど」とか「へえー、これを映像化?」とか。もちろん「どんな小説なんだろう」と、想像が広がる未読作が圧倒的に多いのも楽しい。 先日、そこで目にしたのが「土を喰らう日々ーわが精進十二ヵ月」(水上勉、新潮文庫)でした。2022年秋に「土を喰らう十二ヵ月」として劇場公開予定。ちょっと意表をつかれました。そして、わたしは未読の水上作品。 2004年に死去した直木賞作家、水上勉を知る人は今どれほどいるのか。例えば村上春樹さん原作でアカデミー賞に輝いた「ドライブ・マイ・カー」に比べれば、原…

  • 大災害と小さな新聞社の苦闘 〜「6枚の壁新聞」石巻日日新聞社編

    宮城県北東部の石巻市は、太平洋に面した人口13万6千人の市です。沿岸部は漁業や養殖、水産加工業が盛んで、北部にかけてリアス式海岸の複雑な地形が続いています。 その石巻市で1912年(大正元年)に創刊され、石巻と東松島市、女川町をエリアに読まれているのが夕刊紙・石巻日日(ひび)新聞です。wikiによると部数1万8千、月額購読料1800円で従業員24人。 宮城県は仙台市に本社を持つ河北新報(部数45万)があり、朝日や読売といった全国紙も入り込んでいます。夕刊単独の石巻日日新聞はその中で、1世紀以上にわたって読み継がれてきた地域メディアなのです。 「6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の…

  • 美味しいと、言う必要のないご飯が美味しい 〜「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子

    近年、芥川賞受賞作と聞くと無意識のうちに身構える部分があります。というのも、普通の生活感覚からズレた(いい意味で)斬新な作風が多いから。文学に限らず、芸術が過去にない新しい領域を世界に付け加えようと作者が格闘するのは当然ですから、純文学を標榜する芥川賞がどちらかというとシュールで、熱量のある作品を選ぶのは理解できます。 そうした作品は一部の強い共感を得るけれど、多くの人にとっては、不気味な騒音にしか聴こえない現代音楽(クラシック)のような、難解で重い小説でもあります。受賞者が若い女性といった話題性が先行すれば、ある程度売れはするけれど。 さて、最新の芥川賞受賞作「おいしいごはんが食べられますよ…

  • 最先端の図書館と昭和の町の図書館

    巨大図書館で思い浮かぶのは日本なら国会図書館ですが、個人的にはもう1館、紀元前に創立されたエジプトのアレクサンドリア図書館です。ギリシャ、ローマ時代の学術のシンボルとも言える施設です。 なぜそんな図書館が思い浮かぶのかは、たぶん....大学の英文科の卒論に書いたイギリス20世紀前半の小説家、ロレンス・ダレルの長編「アレキサンドリア・カルテット」に出てきたから。だと思う。しかしあんまり記憶鮮明ではありません。 アレクサンドリア図書館とは何の関係もありませんが、今日、高速道路に乗って1時間近く車を飛ばし、7月に移転オープンした石川県立図書館に行ってきました。本好きの間では話題(?)の図書館です。で…

  • 絵を描いて、歯痒く、面白く

    絵を描く面白さって何だろう。 よく自問してみるのですが、これがなかなか難しい。そもそも表現行為の「面白さ」とはどんな要素で構成されているのかー、なんて考えること自体が興醒めで愚かなことなんだけど。 ところが分かっていながら、また考えてしまう。本当の面白さは、それを味わうための努力、しんどさ、大変さがセットになっているからです。面白さについて考えてしまう理由は、その苦労はしなくても生活するには全く困らないのに、苦労をしている自分が不思議だからでしょう。わたしの場合。 9月に、通っている絵画教室の作品展があります。絵に関して、わたしは超ノロマなので作品が準備できません。 昨年末から取り掛かっている…

  • テロルが残したもの

    「新盆を迎えた人」とは、この1年間に亡くなり、初めてあの世からわが家に戻る人のことです。それぞれの家が送り火で、ご先祖さまたちを再びあの世に送ればお盆が明けます。 まさか今年、新盆を迎える人の中に加わると想像もしていなかったのが安倍晋三元首相でした。7月8日午前11時30分過ぎ、後方で轟いた爆発音(銃声)に驚き、振り向いたところに浴びた2発目の散弾で、安倍元首相はいのちを奪われました。 現場から刻々流れる中継映像に見入り、レポートを咀嚼し、元首相の容態を気にしながら、わたしに浮かんだ疑問は「なぜこうも易々と狙撃を許したのか」でした。容疑者は身を隠しもせず背後から歩いて接近し、1発目が外れたと見…

  • 苦しみは天から降る光のせい 〜「くるまの娘」宇佐見りん

    話題作「推し、燃ゆ」で芥川賞を取った宇佐見りんさん。受賞後の第一作が「くるまの娘」(河出書房新社)です。 書店に平積みされ、帯にある出版社の<推し>がすごい。まず「慟哭必至の最高傑作」と目に飛び込んでくる。山田詠美さん、中村文則さんの推薦文も「熱をおびた言葉の重なりから人間の悲哀がにじみ出る」などベタ褒めです。 この手の推薦文は狭い業界内のムラ社会の、しかも好意的な同業者による評価ですから、一般読者はあまり真に受けない方がいいかな。当然のことながら、大切なのは書き手側ではなく、受け手側(読者)の評価です。 こう書き出すと、「くるまの娘」を否定的にとらえていると思われそうですが、その意図はありま…

  • 「粋」と「いなせ」 〜「天切り松 闇語り」浅田次郎

    歳はとりたくねえもんだの、くーさんよ。昔なら三日とかからなかったろうに、最近はのんびりかい。まあ、若え時分と同じにやれってほうが無理な話だがの。 ...と、「天切り松 闇語り」(浅田次郎、集英社)を読み終え、わたしは登場人物の東京弁を真似て独りごちたのでした。1日に1話か2話を楽しみ、シリーズ5冊読了まで3週間余り。昔は一気読みが得意技でした。人間、若いころは急ぎ、老いて娑婆にいられる残り時間が短くなるほど逆に気長に構えるんだろうか。 天切り松が語る昔話を読みながら、わたしは盗人・松じいさんの心の<芯>について考えていました。<芯>の通った人間の言葉には説得力があります。それはたぶん、作家・浅…

  • 想像力を超えた究極の創造力 〜「なぜ宇宙は存在するのか はじめての現代宇宙論」野村泰紀

    悠久とか壮大とか、そんな形容がちっぽけで使えなくなるのが最先端の宇宙論です。「なぜ宇宙は存在するのか はじめての現代宇宙論」(野村泰紀、講談社ブルーバックス)は、理系科目を高校入学と同時にあきらめたわたしにさえ、ぞくぞくするような興奮を与えてくれました。 細部にこだわって苦しむ必要はないと思う。要は全部の理解など、はなから諦めて、大きな知的ストーリーを楽しめばいいのです。わたしの場合。 例えば食いしん坊のあなたが、世界トップレベルのシェフが集う厨房から出された、究極の一皿に心奪われるとします。「この味を創るには、AとBとCの香辛料がこんなタイミングでこのように...」と解説されて、さらに感動し…

  • 今日あった3つのいいこと

    今週のお題「最近あった3つのいいこと」 最近あった3つのいいこと 玄関の郵便受けに、町内のラジオ体操の案内が入っていました。 わたしが暮らす近隣は、夏休みになると近くの公園で朝のラジオ体操が始まります。近年は子供だけでなく大人、とりわけ高齢者の参加も歓迎らしい。 参加印を押してもらうカードを首から下げて、眠い目をこすりながら毎朝ラジオ体操に通ったものです。あれから半世紀以上。 近所の子供たちはみんな寝ぼけ顔で目をはらし、男の子なら半ズボンにランニングで「ラジオ体操第一」をやった。「やった」と書いたのは、間違っても「励んだ」とか「真剣に汗をかいた」とはいえないからです。 ふと、ささやかなタイムス…

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