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奈良薬師寺近くの本のある喫茶店 うのん https://unon.muragon.com/

奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店

奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました

うのん
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奈良市
出身
奈良市
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2017/05/14

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  • 大和の古文化財と気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...

  • 大和の古文化財と気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...

  • 大和の古文化財と気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...

  • 大和の諸災害 地すべり 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...

  • 大和の諸災害 大火の誘因は気象状況 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...

  • 大和の諸災害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...

  • 吉野群山の降雨機構 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...

  • 吉野山群の降雨う機構

    大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...

  • 吉野群山の降雨機構 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...

  • 気象観測網とその変遷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...

  • 気象観測網とその変遷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...

  • 気象観測網とその変遷 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...

  • 奈良県の地形概観 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...

  • 奈良県の地形概観 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...

  • 奈良県の地形概観 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...

  • 奈良県の地形概観 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...

  • 高い奥吉野の気温 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    一昨日からのまとめになるが、多武峰を中心とする地域 榛原 長谷の特別地、曽爾 御杖区域 都祁区域 北倭区域 月ヶ瀬方面 あるいは五条市を中心とする区域、さらに上北山西原や高見山」ろく地など、みな特殊の気候状態を示している。気候資源という言葉があるとしたら、我々はあまりにも温...

  • 高い奥吉野の気温 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良 南の庄 寺垣内の3地の気温変化をみると、案外奥吉野の気温の高いことがわかる。都祁 宇陀方面の丘陵抗原地の気温は低く、ことに冬季は季節風のため風も予想外に強い。大和平野各地はだいたい奈良に似たようなものである。県内各地とも8月がもっとも暑く、最寒月は1月2月のうちいずれ...

  • 高い奥吉野の気温 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    気温の年変化型は理想的な内陸性変化を示しているが数字から得られる気温統計だけでは、県内の気温分布の実相を知ることはできない。大和平野および北東丘陵地は、西部生駒金剛山越気流の影響を受けて、気温年変化を起こすが、吉野山間部とくに東吉野区域はこれら一般気流の影響を受けるというよ...

  • 大和は天気予報発祥の地 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大和辺に西吹きあげて雲はなれ退き居りとも吾忘れや これは仁徳天皇の寵愛うけた黒姫の方の歌で、黒姫は皇后の嫉妬にたまりかねて郷里に逃げて帰ったが、たまたま天皇の訪問を得て、天皇還御の際に奉ったものである。大和では西風が吹くと雲は山から離れてしまう。黒姫はこの雲のように陛下から...

  • 大和は天気予報発祥の地 ② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    昨日のブログ 佐井川よ雲立ちわたり畝火山 木の葉さやぎぬ風吹かむす 畝火山昼は雲とひ夕されば 風吹かむと木の葉さやげる これは神武天皇の皇后伊須気余理比売の歌で、歌そのものは天気予報の歌ではないが、天気の変化にことよせて人事の変を知らせようとしたものである。神武天皇崩御の後...

  • 大和は天気予報発祥の地 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    天気は人類の生活に密接な関係がるので、近代科学による天気予報法が生まれる前から、人類はいろいろの経験即を用いてきた。これが天気の諺でありそのため観天望気が行われた。西欧では西紀前350年にアリストテレスが、その著書に気象現象を自然哲学的に説明している。ところで、日本固有の天...

  • 大台ケ原の豪雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    雨の中の大男 大雨の中かに異様な姿をした大男が現れた。頭からビショヌレ 水の中から引き揚げたような姿であった。多分疲れているらしいので、着ているモノを脱がし、着替えをさせた。なぜ大台ケ原にそれも大雨の中登ってきたのか話を聞いた。陸軍士官学校の秀才であったが、勉強をやりすぎて...

  • 大台ケ原の大雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    昭和7年8月4日フィリピン沖に発生した台風は、北上を続け11日九州南東海上に達した。ここで15日まで迷走を続け、16日紀伊半島沖を、北東に進んだ。大台ケ原では、9日kじゃら豪雨となり、12日の雨量は432㍉を最多として15日までに1900㍉を観測した。この間上市では6㍉八木...

  • 大台ケ原の大雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    女学生山で立ち往生 大台ケ原山では荷造りの細引のような雨が降り続いている。時しも終戦後で、食料事情のもっとわるい時であった。大和の米どころ田原本女学校の登山隊も、もともと不足の携行食糧が予定外の滞在で遂に食料不足になってしまった。かわいそうに女学生は米を薄い粥にして空腹を満...

  • 大台ケ原の大雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    女学生 山で立ち往生の豪雨 昭和21年7月27日 田原本高等女学校の生徒が50名余りが登山した。台風は、四国のはるか南方洋上を西進し、本土を襲うようには思えないが、大台ケ原山では、すでに雨が降りだしていた。28日台風は北に転じ、背降りの本能を現わす九州南東海上にせまった。2...

  • 大台ケ原の大雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大台ヶ原の大雨になると、完全に雨を防げる雨具はない。風が強いので、雨は上から降るばかりでなく、上下四方から降るので上着から肌着まで余すとろろなく濡れてしまう。平常はチョロチョロ水の小谷もひざを没する急流となりむしろ瀑布といったほうが適切なモノ凄い激流となり、道は谷に早変わり...

  • 大台ケ原の大雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    神武天皇像序幕式の際の豪雨 昭和3年(1928年)8月は月量では、大台ケ原山の記録の第二位で雨量3070㍉に達した。大正15年に計画され大阪市で製作されていた高さ4㍍の神武天皇の銅像の除幕式が8月19日に大台ケ原山頂で行われた. ところが山頂は連日の豪雨で式典の準備がことの...

  • 大台ケ原の雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    外部資料 昔大台ケ原は魔の山と言われていた。古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に 登人もない未開の山であって、まったく山の様子がわからなかった。 大台ケ原には大きな池があって、東風の時は、その水があふれ西風で宮川へ、北風になれば、熊野川へ 雨がふらなくとも川は増水...

  • 大和の災害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    地滑り事故 大和国は地すべりで各所に被害を生じる。そのおもなものは、昭和7年の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪への峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ、部落の民家を倒し、トンネルを壊し、最後は対岸の道路も隆起させて流水をせき止めた。そのため上...

  • 大和の災害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    雪災ひゃ雪国に比べれば大したことはない。明治41年2月11日 昭和21年3月10日昭和26年2月14日ぐらいである。平野で30㎝つもれば記録モノである。インフラにも被害が及んだ。しかし農作物には大きい被害はなかった。 火災も大都市大火災というほどのモノで3はない。奈良市では...

  • 大和の災害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    雷 水害 風害 干害の他にあげられるものは雷災 雪災 地震などである。 雷災は古文書のも相当残っておりかつ伝説も多いところから考えると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中核をなしていたものであるから記録...

  • 大和の干害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    31年周期の干ばつは大和平野に限ったものであって南部にはこの様な災害は少ない。さらに奇異の感を抱くのは農業試験場の豊凶考作試験の結果や農業従事者古老の言で 「大和平野の干ばつには世に伝えられるほどの大減収を招来しない」 ということである。大正2年の大旱魃でも70万石余年の稲...

  • 大和の干害 ③ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    31年周期 大和の干ばつは31年周期でやってきているようである。 文政6年(1822)には植えつけ困難の大旱魃 その後31年目の嘉永6年(1853))は植えつけ後の大旱魃 さらに明治16年(1884)には日照つづきで二百石取りの田圃にも5石しかとれぬありさま。大正2年(19...

  • 大和の干害 ② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大和のため池はサラ状で表面積は広く、容積は少ないので池面からの蒸発量は案外多く、貯水の目的には十分な効果を上げているものとはいえない。タメ池は表面積が小さく、底が深く、日陰の場所を理想的とし、倉橋ため池などが出現したのはよく科学的要求にこたえたものである。米作りに重要な水の...

  • 大和の干ばつ① 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大和各地の旧家文書をみていると、「旱損定免」の文字がいたるところに出てくる。いかに昔は旱魃に困った かがうかがわれる。推古天皇15年に気候の異和不順に備えてタメ池wくぃお造り、食料を確保しようとする計画さえあった。今にいたるも大和平野のやめ池の多いのは有名である。旱魃に祈雨...

  • 大和の局地気象② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    平野風は局地性暴風雨として非常に珍しい例でもある。平野風の予報はきわめて簡単であることが分かった。台風や強い低気圧が九州に接近したり本州の南岸沿いに東進したりすると必ず吹くようである。つまり大台山系一帯に南東ないしは東寄りの強風気流が吹き上げたときである。この様な時には大台...

  • 大和の局地気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    平野風 吉野郡東吉野村平野では、ときどき非常に強い風が吹いて家屋が破損したり、農作物に被害を生じている。しかもこの強い風は平野部落の狭い区域に限られていて、隣の部託は何ら風害をうけていないという特殊なものである。 これは東側にそびえる高見山を越えてくる山越気流である。 土地...

  • 大和の産業と気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    傾斜地の農業 奈良盆地の周辺は山麓傾斜地や小丘陵をなしているところが多く、耕作地は階段状の小面積のものに区切られている。気候上から気温はやや低く雨量は多少増加するが、地域によては局地性気候をおびる傾向が非常に強い。もちろん耕作面積は小さく、一時水田に対する畑地の割合が増加す...

  • 大和の産業と気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    農業 外部資料 大和の産業生産額は低く全国の中でも下位になると聞いているが、直接われわれの耳目に触れる特産物の種類は相当ある。 これらの中で、とくに気象と密接な関係のある。 どの地域でも平野部と山岳部が入り混じって地形によって 農業経営は変わってくる。 平野部の農業 奈良で...

  • 地震災害 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    地震の災害の種類 直接的被害 振動 建造物破壊 火災 人災 流砂現象 建造物破壊 噴砂現象 建造物破壊 津波 建造物破壊 人災 副次的被害 落石 地割れ 斜面崩壊 山腹崩壊 土地の隆起 土地の沈下 地下水位の変化 温泉の枯渇 雪崩 平地に住んでいるからとい...

  • 奈良の地質 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良の地質の形状です。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152

  • 奈良の活断層 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県の断層の断面図 地震大国と言われる日本 普段から対応をしておきましょう 今月のお薦めの本 豊臣秀長 秀吉の弟 大和郡山の城主 兄の陰になって歴史上では表舞台には、出てこなかった。 しかし、来年のNHK大河で描かれることになり 楽しみと期待 秀長は文化にも貢献している。...

  • 奈良県の断層 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良には断層活火山が無いと聞いている。 大きな地震もなく平穏にくらしているが 昔はあったことは事実で その断層跡は 切り立った山やガケ余り多くないが 目にする時には じっくりながめるのも 自然災害への対策に関心を持つきっかけになりませんか ■ 住所 630-8053 奈良県...

  • 近畿地方と周辺の地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良県に住んでいると 自然災害が少ないと感じるという声があるが、 奈良市周辺のみであって 奈良県全体ではその考えは当てはまらないと考える。 歴史的に見た地震の分布であるが 周辺でまた影響のあった地震は決して少ないとはいいがたいのではないでしょうか? 南海トラフが起こるであろ...

  • 震度階級 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    4 中震 家屋の動揺が激しく、すわりの悪い花瓶など倒れ、器内の水はああふれ出る。 器内の水はあふれ出る。また、歩いている人にも感じられ、多くの人々は戸外に 飛び出す程度の地震。 眠っている人は飛び起き、恐怖感を覚える。 電・立木などのゆれるのがわかる。...

  • 震度の階級 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    階級 0 無感 人体に感じないで地震計にされる程度。 吊り下げ物のわずかにゆれるのが目視されたり カタカタと音がきこえても、体にゆれをかんじなければ無感である。 1 微震 静止している人に感ずる程度のもので 戸障子がわずかに動くのが分かる ...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    長岡地震 昭和36年 (1961年)震度5.2 直径2㌖の範囲に被害集中 死5 全壊220 広島県北部 昭和45年(1970年)震度4.6 最小級の被害地震で希な例 落石 納屋破損など ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    兵庫県南西部 昭和59年(1984年) 震度5.6 山崎断層の一部 ガラス割れなど家屋損傷多し 松代地震 昭和41年(1966年)震度5.4 群発地震全体でM6.3に相当 傷15 全壊10 島根県中部 昭和52年(1987年) 震度5.3 ...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    河内大和地震 昭11年(1936年)震度6.4 死9 傷5 全半壊148 大阪府下被害多い 鳥取県中部 昭和58年(1983年)震度6.2 倉吉、三朝周辺で地割れ 家屋損傷 軽傷5 和歌山県中部 昭和48年(1973年)震度5.9 ...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    長野県西部地震 昭和59年(1984年)震度6.9 死不明29 全壊13 御岳山山腹大崩壊 吉野地震 昭和27年 (1952年)震度6.8 60㌖のやや深い地震、死9 傷139 全壊20 但馬地震 大正14年(1925年) 震度6...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    新潟地震 昭和39年(1964年)震度7.5 死26 地盤液状化による被害顯著 津波発生 日向灘地震 昭和43年(1968年)震度7.5 死1 傷15 津波発生 日向灘地震では最大級 北丹後地震 昭和2年 (1927年)震度7.3 死2925...

  • 日本付近の被害地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    三陸沖地震 昭和8年(1933年)震度8.1 大津波発生 死3008 地震動による死者なし 南海道地震 昭和21年 (1946年)震度8.0 死不明1432 和歌山県、四国湾岸大津波 東南海地震 昭和19年 (1944年)震度7.9 死9...

  • ♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1948年6月15日 (昭和23年)日高川地震(和歌山県中部) 震度6.7 和歌山県・奈良県南部で小被害。全体で死者2人(十津川署管内)、 家屋倒壊60 地すべり・崖崩れなど。 奈良市では被害はなかったが、春日大社などの石燈籠...

  • ♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1944年12月7日 (昭和19) 地震名 東南海地震 (南海トラフ) 震度7.9 戦争末期に起こった巨大地震。東海地方で軍用機工場ほぼ全滅などの大 被害。近畿地方にも被害及ぶ。全体で死者998人、全壊6130。 奈良県...

  • ♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1891年1028日 (明治24年) 地震名 濃美地震(岐阜県南西部) 震度8.0 日本内陸で起こった地震としては最大級。岐阜・愛知県で大被害 根尾谷を通る大断層を生じた。全体で死者72763人、全壊14万。 奈良県では死1人...

  • 奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1707年10月28日 (宝永 4年10月4日) 地震名 宝永地震〔南海トラフ〕 震度8.4 我国地震史上最大級の地震の一つ。 震害と津波の被害は東海道から九州に及び、全体で死者4900人 潰家29,000 大和国では死...

  • 奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1596年9月5日(文禄5年 〈慶長1〉7月13日) 地震名 伏見桃の地震 (京都および畿内) 震度7.9 三条より伏見の間被害最も多く、伏見城天守大破、約600人圧死 諸寺民家の倒壊死傷多し。堺で死者600人 奈良では...

  • 奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1494年6月19日 (明応3年5月7日) 地震名奈良 震度6.4 東大寺・興福寺・藥師寺・法花寺・西大寺破損。矢田庄(郡山の西) の民家多く破損。余震翌年に及ぶ。5月中は連日余震。 1498年9月20日 (明応7年8月25日) 地震名 ...

  • 奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1361年8月1日 (天平16年6月22日) 地震名 畿内諸国 震度ー この月の18日より、京都付近に地震多く、この日の地震で、法隆寺の 築地多少崩れる。次の地震の前震か。 1361年8月3日 (正平16年6月24日) 地震名 畿内・土佐・阿...

  • 奈良県は地震に安全か 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1099年2月22日 (承徳3〈康和1〉1月24日) 地震名 南海道〔南海トラフ〕震度 8.0 興福寺西金剛小破、大門と廻廊が倒れた、摂津天王寺に被害。土佐で田千 余町海に沈む 1177年11月26日 (治承 1年10月2...

  • 奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    1070年12月1日 (延久2年10月20日) 地震名 山城 大和 震度6.4 東大寺の巨鐘の鈕切れ落つ。京都では、家々の築垣を損ず。 諸国の寺塔も被害を受ける。 1091年9月28日 (寛治5年8月7日)地震名 山城 大和 震度6.2 ...

  • 奈良に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    855年6月26日(斉衛2年5月5日) 地震名 奈良 震度不明 東大寺大仏の頭落つ。ただし これは地震によるものかどうか疑わしい点がある。 887年8月26日 (仁和3年7月30日) 地震名 五畿七道 (南海トラフ)震度8.6 京...

  • 奈良県に起きた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    地震 カミナリ 火事 親父 という諺がある様に 地震は前触れがなくやってくる その地震の 奈良県下に起こったものを紹介していく。 古いところから 各日3件づつでブログにする。 599年 (推古7年 4月27日)地震名 大和 M7.0 倒壊家屋を生...

  • 81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    気象用語 晴れのち曇り 予報した前半晴 後半曇り 曇り一時雨 予報した時間の4分の1未満が雨の時 曇り時々雨 予報した期間の4分の1以上 2分の1未満が雨のとき 朝のうち 日の出から9時ごろまで 夕方 日没前後それぞれ1時間ぐらい 夜半 0時前後 週...

  • 81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    地震用語のうち 震度 はその人がその場で感じる揺れの強さを表すものである。 奈良は地震による大きな被害が ない と言われる方も少なくはないが 近い将来起こると考えられている 南海トラフトは10回 天武天皇の時代から起こっている。この地震による被害も大きいものであった。 有名...

  • 81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    不快指数の算出法 不快指数=0.72×(気温+湿球温度)+40.6 68〜69 最も快適 70〜74 不快感を持つ人も出始める 75〜79 半数以上の人が不快感を持つ 80〜84 全員不快 86〜 もう我慢できない ※湿球温度とは、温度計の球部にガーゼを巻き湿らせて測っ...

  • 81年間 奈良の気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    冷房デグリーデは冷房に要するエネルギーを見積もるための指数である。家庭冷房では 梅雨の終わりを冷房開始日とすること考えられる。 梅雨の間は、雲が多く日照が少ないので除湿は必要であるが、梅雨明けとともに強い日差しが加わり、急に気温が上昇する。大阪を例にとると過去の梅雨明け前5...

  • 81年間奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    気象用語 ♯気圧の谷 本州を挟んで太平洋側と中国大陸の気圧は高く 日本海北部から朝鮮海峡 更に東シナ海にかけて気圧は低くなっています。一方、東経120度から140度にかけて北緯35度線を輪に切ると図のようになります。中央部で低く前線に沿って谷の帯が北東から南西に流れています...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯益田池 碑の代石 弘法大師の築造の益田池は現在は存在しない。 昭和36年(1961年)にその樋と思われるものが掘り出された。 「和州旧跡幽考」益田池碑銘の条に 碑銘はなくなりて 台と見えし石あろい。俗に岩船といh。東西三丈二 三尺(約3.8㍍)高さ二丈五、六尺もありけむ。...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    橿原市 益田池 外部資料 中世の大和における興福寺や東大寺など寺院の強大な権力を持っていいた。;その時代も仏教界に革命的な変革をもたらしたのは、最澄と弘法大師空海であった。とくに大和においては弘法大師空海だった。南都と密接な関係を持ちながら、空海が開いた、真言宗を広めていっ...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    今月のお薦めの本 5月の営業日 3日(土)4日(日)5日(月) 9日(金)10日(土)11日(日) 16日(金)17日(土)18日(日) 22日(木)24日(土)25日(日) 30日(金)31日(土)6月1日(日) 26日(土)27日(日)は臨時休業いたします ...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    平安京と長谷寺 外部資料 平安時代において 藤原家の力が優勢のいなり その力の御蔭で春日大社 興福寺の勢力が大きくなった。かすがは摂政につぐ大荘園領主となった。 寛弘4年(1007年)時の関白藤原道長は京都から大和路に入り、大安寺 軽寺 壷阪寺 などに泊まり 金峰山に着き埋...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    外部資料 中世の大和で圧倒的な勢力を持ったのは興福寺であった。平安時代から次第にその勢力を増大し、大和一国の支配につながる。その基盤となったのは、この寺を氏寺とする藤原氏の政治権力と経済力があった。藤原氏の保護で寺領も拡大していた。 大化改新で大きな業績を残したことで、藤原...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯藤原京 2 外部資料 持統 文武 元明と三代16年にわたって栄えた藤原京だったが、都が平城に移ってからは衰退の一途をたどることになった。は平城遷都の翌年には大官大寺とともに消失。甍を並べていた都の建物もやがて崩れ落ちて土中に埋まり、中世 近世 現在 へと、千三百年という長...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯藤原京の年表 飛鳥村の天武持統両天皇陵 外部資料 わが国で初めて造営された本格的都城・藤原京。中国唐の長安を模して都造り。わずか16年で奈良平城京へ遷都した。その間には女帝持統天皇の崩御 そして孫の文武天皇の崩御があった。また海外との交流も盛んで、遣唐使や朝鮮半島の新...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯藤原京 ① 外部資料 畝傍 耳成 香久山の大和三山に囲まれた地に、わが国初の本格的な都・藤原京があったことを疑う人は今でこそいないが、それが確定するまでは時間がかかった。 藤原京は和銅三年(710)廃都となり、まもなく周り一帯はあ田園となった。そして時とともに忘れ去られて...

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    古都の都 ♯万葉集 外部資料 日本初の歌集「万葉集」には、仁徳天皇の后から平城京の歌人まで約4516首の歌を収めている。万葉集は全20巻の構成で、4つの時期に分けられる。一期は大化の改新から壬申の乱まで。二期は元明天皇の奈良遷都まで。三期は聖武天皇 天平9年(737)が孝謙...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑱ 大宝律令№2 外部資料 この律令は文武天皇の時代に発布され、藤原京の朝堂院で盛大な儀式が営まれた。この律令の公布で、以来こんにちまで元号が制定され、貴族の位階も、この時の規定が近世まで長くつかわれた。後世に与えた影響は、誠に大きなものがあるとはいえ、すべての規...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑰ 大宝律令 外部資料 律令の令は政治機構についての規定がある。 二官八省 の制度である。天皇のもとで、天皇のもとに神祇官 と太政官を設置した 太政官の下に 八省のもとに業務を担当する多くの宮司が置かれた。 この二官八省が行政の組織、機構とすると それとは別に統治...

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    古都の都⑯ 大宝律令 不kじゃさ 外部資料 律令の撰定にあたったのは、天皇の皇子にあたる刑部(おさかべ)親王をはじめ、藤原不比等ら19人。遣唐使として渡り、その学識の深さが唐の正史にも記録された当代の学者・栗田真人(まひと)もいた。天皇はこの法典に先立って飛鳥浄御原令も画し...

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    古都の都 ⑯ 大宝律令 外部資料 藤原京は建都からわずか16年で奈良の平城京に移転した。天武天皇が中国の律令制度に基づいた国造りを決意し、その新しい国にふさわしい都として藤原京の造営を考えたが、新都は天武天皇のきさきだった、持統天皇をはじめ文武 元明の三代の天皇の間、存続し...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑯ ♯藤原京 大管大寺 外部資料 外部資料 藤原京には左京には大官大寺が建立された。 創建については、日本書記の天武二年に「小柴美濃王 小錦下紀巨詞多麻呂をもって、高市大寺造る司に拝す。今の大官大寺、是なり」とあるが、文武朝(697〜707)と考えられている。また...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑭ ♯藤原京紀寺 藤原京には平城の紀寺の前身になる寺で、現在地は明日香村小山にあった。創建は藤原京が造営される前の7世紀後半。寺地の周辺には築地大垣があったとみられ、東西 南北の一辺の長さが約226㍍に及ぶ。本藥師寺と同じ程度の規模と考えられている。 伽藍が南から...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑬ 橿原市 藤原京の時代には 大きな寺が建立された 本藥師寺 大官大寺 紀寺など今は建物は残ってないが、平城京に建立された官寺に四敵する立派な寺だった。 本藥師寺 建立は天武天皇が皇后の病気平癒を祈って創建した。国営の官寺である。しかしながら工事は天武天皇が亡くな...

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    古都の都 ⑫ 藤原京 外部資料 藤原京において疫病が流行った。 日本書記などには、文武2年(698)から諸国では疫病の発生したことが多く記されている。 これは国家が疫病対策を事業として取り上げたことのほか、藤原京の建設で疫病が流行りやすい場が作られたためとしている。そのため...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑪ 藤原京市場 外部資料 諸国から集まった食料や、生活用品を販売した場が管設市場として、東市と西市の二つがあり 食料品や繊維製品 手工業製品などを売っていた。これらを監督する 市司 がおかれた。この市場については 扶桑略記 に記されている。平城京に遷都する三年前の...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑩橿原市♯藤原京人々の暮らし 外部資料 庶民の食事 外部資料 下級貴族 外部資料 高級貴族 藤原京時代の人口は2〜3万人。 平城京になると、人口は約20万人 当時としては 世界でも有数の都市になったが、その全身の藤原京も、日本では初めて多くの人々が集まった都市にな...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑨ ♯橿原市 外部資料 藤原京は朱雀大路によって 西の右京と東の左京に分かれている。南北路は、このほか右京 左京双方に、一坊、二坊 三坊の各大路が走る。東西路は北から一条 二条 三条と続いて、十一条大路まである。その東西 南北の間にはそれぞれ小路が1本づ通り、大...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑧ ♯橿原市 藤原資料館のジノラマから 天の香久山近くにあります。 藤原京の条坊が東西八坊、南北十二条だったことは、大宝令の規模定から知ることができる。天皇が住んだ内裏がある藤原宮の周囲には、貴族、役人、庶民の家が並んでいた。京の規模は東西2.1㌖、南北3.2㌖...

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    古代の都 ♯橿原市藤原京 外部資料 藤原京の 大極殿 朝堂院など主な建築物の周囲には役人たちが執務した建物があり、下級官吏数千人が働いていたとされている。そこに 舎人官 陶官 民部省 馬寮 左右馬寮 大膳職 内膳司 膳職 弾正台 造酒司 など二十八種を挙げている。 役人の勤...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑥ ♯橿原市 外部資料 朝堂院を北へ行くと大極殿がある。天皇が政治や儀式を行った建物であ、間口が約45㍍ 奥行が約21㍍ 高さ25㍍ 藤原京内最大の建物で当時の日本でも最大の大きな建物であった。 現在藤原京の跡地の木の茂った小高い場所が大極殿の基壇がある。 大宮基...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑤ 橿原市 ♯藤原京 朝堂院 外部資料 宮の玄関 朱雀門から中に入ると 回廊に取り囲まれた朝堂院がある。そして朝堂院を中にして、北に大極殿、南には控えの場である朝集殿を配している。朝堂院は儀式のとき、貴族や役人たちが集まった所で、官庁街にあたる地区。この東西側にそ...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ④ 橿原市 外部資料 外部資料 日本で初めて造営された本格的な都 藤原京の中心は藤原宮。この宮で文武天皇 元明天皇が即位している。そしてここには天皇が住んだ内裏と、それを取り巻く官庁の建物があった。天皇が儀式を行った建物は大極殿と呼ばれ、高さは3階建てのビルに相当...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ③ ♯橿原市 外部資料 天武天皇の遺志を継いだ 持統天皇が橿原市で藤原京を造営したと考えられるが、日本書記では、持統天皇5年の記事で藤原京を 新益京(あらましのみやこ)と呼んでいる。これは当然、天皇が住んでいた飛鳥の都に対し新たに造営される都のこと考えられる。 藤...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古代の都 ♯橿原市 ② 外部資料 天武天皇は即位(673)後 都を移す計画を立てたが、実現せず、律令体制の整備と中国との通交が頻繁になるにつれて 都かあった飛鳥では狭く、新たに中国式の大規模な都が必要になり、難波遷都に着手した。が飛鳥地方の人々の反対で中止せざるを得なかった...

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古代の都 ♯橿原市 ① 以前 生活し学校に通い友人と遊び 橿原市 懐かしく 地である。 その橿原市は歴史の宝庫 今になって知りえることである。 外部資料 橿原市の中心部に七世紀の末日本で初めて本格的な都城・藤原京が出来た。存続したのは平城京に都が遷るまでの 16年 しかし...

  • ♯奈良公園の父 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯前部重厚 歴史を感じる大木 その間に芝と鹿 その東には山並み 寺社仏閣が見渡せる風景は他に類を見ないものである。 ♯奈良公園がほぼ現在の姿になったのは、明治の末 日本の古美術研究家として知られている アメリカのフェノロサが、九鬼隆一男爵の案内で奈良公園を散策 その日一日中...

  • 雨に纏わる話 ⑦ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯野神行事 外部資料 雨を期待する農家の人々が今もって素朴な信仰のもと「蛇」を祭っている野神行事がある。 奈良県平野部は米の産地にもかかわらず生育に必要な水の確保は難しい。このため「お田植えまつり」や「おんだ祭」また「砂掛け祭」も豊作につながる水への願いを込めて祈念の祭りが...

  • 雨に纏わる話 ⑥ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    水を支配する竜蛇 竜穴神社 外部資料 大和の国の「気象」と「民族」のかかわりを調べると、農業が主な産業であった古代から近代まで、稲が必要とする「水」の量は、空から降ってくる雨だけでは半分にも満たず農家の人たちは水を確保するため、水路を開き、井戸を掘り、池を築くなど、あらゆる...

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