奈良の鹿 ⑤ 藤原京から平城京に都が遷都されて 建設ラッシュによって 寺院創建に比べ、荒廃したの山と、労務に打ち拉された農民を残し、百年の歳月と共に都は京都に移った。天皇が支えていた大寺も都が平安京にあっては、天皇の権力も眼が行き届かず、衰退の一途をたどった。しかしながら、...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
奈良の鹿 ⑤ 藤原京から平城京に都が遷都されて 建設ラッシュによって 寺院創建に比べ、荒廃したの山と、労務に打ち拉された農民を残し、百年の歳月と共に都は京都に移った。天皇が支えていた大寺も都が平安京にあっては、天皇の権力も眼が行き届かず、衰退の一途をたどった。しかしながら、...
奈良の鹿 ④ 天皇と白い鹿の出会いを記録からみると 推古天皇6年 598年 天武天皇元年 691年 天武天皇慶雲3年 706年 神護景雲2年 768年 神護景雲3年 769年 宝亀元年 770年 貞観4年 862年 以上7頭 献上を受けた後どのようにしたのだろうか?不明であ...
奈良の鹿 ③ 今鹿の棲み処と認識されている 春日野は平城京の時代万葉集から考えてきると、宮廷人達の生活の中で、楽しむ場所として利用されていたと思われる。古代から生息していた鹿を捕獲され尽くし、現在の鹿の姿にまで至ってるのは、「白い鹿」の歴史を遡ってみたい。 日本書記(110...
奈良の鹿 ② 奈良で平城後 大仏造立である。 その為の工人はのべ二百六十万人 工期三年の人数である。当時日本国民は約50万人の時代 常住人口は十万から二十万人説がある。この状態は日本国始まって以来過密状態の地であった。これらの人口を支える食料調達はどうであったか?食料事情が...
奈良の鹿 ① 6月奈良公園には今年生まれたバンビ―が可愛い姿で目にすることが多いでしょう。 この鹿が今増えすぎています。奈良の風景にはなくてはならない存在です。 奈良の鹿の歴史記録からは、馴化された鹿は、千年近く前から存在していたと考えられる。権力者により保護されていた時代...
奈良 西ノ京ロータスロード 蓮の季節 朝咲いて夕方には閉じるその儚さが日本人の心にストライク的に入ってくるのでしょうか?仏教とも深いかかわりあり、寺々で目にされた方々は多いと思います。 その蓮の見ごろに 奈良 西の京の四ヶ寺共通拝観券がある。 西大寺 喜光寺 唐招提寺 薬...
6月の行事 石上神社の神剣御渡御祭と夏越しの祓い 6月30日 石上神社から、同宮の境外末社である三島の神田神社へ神剣を奉持して御渡するお祭りである。神田神社の鎮座の地一ヘクタールの田は、昔は石上神社の神田であった。1576年の記録では、「宇神田御旅所六月晦日明神御神幸」と...
6月の行事 スモモの荒神祭り 橿原市 6月28日 中和の地方の夏祭りは 俗に言う スモモの荒神さん という荒神祭りがる。ちょうど巣もイモの出る時期なので、この名が生まれた。 この荒神さんは、飛鳥川堤防にあった西蓮寺に安置されていたが、度重なる洪水で、流され、のちに、入鹿神社...
6月の行事 虫送り 6月16日 天理市 誘蛾灯が設置される以前の農民の豊作への祈願であり、日本人の神まつりの一つである。 天理市山田町の以前の虫送りを紹介する。 山田町は上中下の三部落に分かれている。この日は各自の家から一人づつ出て、それぞれの檀家寺でおこもりをする。おこも...
6月の行事 率川(いさがわ)神社の三枝祭り(さいぐさまつり) 6月17日 三枝祭りは 俗にユリ祭りと呼ばれている。この祭りは暑気に向かう頃に花をもって悪厄を鎮めようとする祭りである。 奈良朝以前 文武天皇のころに大宝令にこの祭りは記載されている。 神祇令に「三枝の花を以って...
唐招提寺の舎利会 6月5日〜6日 幾度か唐招提寺のことはブログに載せてます。 その創建した 鑑真和上の命日が6月6日 和上の舎利を供養する舎利会がおこなわれる。あわせて、和上の高徳を偲ぶ法要がおこなわれる。 講堂で舎利会が行われた後、その後御影堂と和上の墓に参る。この期間は...
奈良県磯城郡の蛇巻 磯城郡の今里と鍵では 豊穣祈願と男子の成人を祝って 「蛇巻」の神事が行われる。 昔 今里には雄の竜がいて村中の娘を食い、赤児も食い、果ては農作物まで食い荒らした。一人の僧が通り村人たちに、「五月の節句に、菖蒲で太刀をつくって家々に飾るとよい」と教えた。竜...
6月の行事 野神祭り 芝辻町 近鉄奈良線新大宮駅辺りは農家が多くった。 その西側には野神領という場所があってその近くにクスの大木で祭りを行う。祭りを取り仕切るのは当番制でその年の当番は 前日にチマキを作り 10本を一束にして二束づつ各家に配る。今は牛を飼う農家はないが、盛時...
6月昨日ブログ始めると なぜか ウイルスの様なものが潜入の気配 そのため ブログ中止いつぃました。 6月の行事の紹介 野神祭りという農耕に関する行事がある。 現在は見かけることは 殆どなくなっているが五穀豊穣を願う農民のお祭りである。 旧奈良町周辺の 三条 油坂 芝辻 法蓮...
薬師寺周辺 薬師寺周辺ろしながら 少し離れた大和郡山市筒井です。 戦国時代僧兵として有名な 筒井順慶の平城跡があった所です。 その城跡近くには 環濠集落が2か所あります。 番条環濠集落 稗田環濠集落 掘りに囲まれ 今も人々が生活しています。稗田環濠集落には、日本書記編纂した...
薬師寺周辺 薬師寺から大和郡山城 豊臣秀長の城といわれている。この城は当初筒井順慶が織田信長の命により建てその途中に 信長死後 秀吉の時代になってから 弟秀長が建て完成させた。 この筒井順慶は 近鉄電車橿原神宮線で大和郡山駅一駅南側 筒井駅近くに筒井氏の建てた平城跡地がある...
薬師寺周辺 秋篠川と郡山城 今nhkの大河ドラマ その主人公の城 郡山城 この城の堀には 秋篠川から引かれた。 現在堀は天守閣の周りのみ残っているが、築城当時は現在の大和郡山市の市街地を囲む堀であった。今散歩道になっているので、歩いてみると、秀長の町造りも知ることが出来ると...
薬師寺周辺 薬師寺の近くには、秋篠川が北から南へと流れている。その秋篠川は古代の時代に佐保川と繋ぎ 物流やその船着き場には市があった。秋篠川と佐保川が合わさった近くには、平城京の時代の 羅城門跡ある。広く公園になっている。平城京の南西になり 現在は奈良口 と呼ばれている。 ...
薬師寺周辺 秋篠川沿い 水源を大渕池(学園前)の秋篠川は南に流れ 奈良口辺りで 東に角度を変えている。平城京の時代に川の流れを人工的変え 佐保川に繋いだ。それにより、物資の流れを作った。船着には、市があったあ。また 郡山城築城の際には堀の水は秋篠川から引かれた。 ■ 住所 ...
薬師寺周辺 水鏡神社(天満神社) 尼ヶ辻駅東側 弘法井戸から南に行くと 唐招提寺がある その北側 唐招提寺の一部かとも見える ところに 天満神社 がある。 この神社は 管原道真公が太宰府に流される前に 顔を映した池があると言われている。 現在 近隣住民によって 手入れはされ...
薬師寺周辺 弘法大師 豊臣秀長の妻 お藤さんのお墓から南に歩いて 10分足らずの場所に 弘法井戸がある。 こじんまりとした井戸で、清掃されている。近隣の人々が手入れされ愛されている井戸であることがよくわかる。井戸の横にお地蔵さんが祀られている。 掃除されている方々でも 弘法...
薬師寺周辺 大和西大寺駅から秋篠川沿いを南へ 豊臣秀長の妻 お藤さんのお墓から 尼ヶ辻駅をはさんで西側に 垂仁天皇陵(宝来古墳)がある。この御陵から南には纏向遺跡の遺跡がある。 政を司っていた纏向を望み 高台になるこの宝来に御陵がある。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈...
薬師寺周辺 大和西大寺から西ノ京へ 菅原天満社から喜光寺その前の阪奈道路を渡ると目の前が 垂仁天皇陵(現在 宝来山古墳)が目に入ってくる。それを見ながら 近鉄橿原神宮線 尼ヶ辻駅東側 住宅地の中に 興福院旧地がある。そこに 豊臣秀長の妻 お藤さんのお墓ある。そこには 他の人...
大和西大寺から西ノ京へ 秋篠川が北から南へ流れています。 その川沿いに歩いていくと 知られて知られていないモノ 場所を発見できます。 管原天満宮 管原道真をお祀りしている神社 その東側には 生まれた時に使った産湯の井戸 池の様に見えますが あります。 管原道真は 生まれた...
薬師寺周辺 西大寺から南へ 近鉄大和西大寺駅から秋篠川に沿って歩いて南に歩くと、埴輪の窯跡がある。 小さいな埴輪釜跡軍公園がある。 こじんまりとした、子供達の遊びに適していると思われる様な公園である。埴輪の焼いた跡がはっきりと見ることが出来る。 ■ 住所 630-8053 ...
唐招提寺 ⑧ 毎年5月19日は うちわまきが行われる。国宝の鼓楼 にて行われる 以前ブログした 金堂に千手観音菩薩立像が配されている。この観音様には千手ある。 千手観音菩薩像を42手が殆どである。中央で合掌した2本の手以外40手となる。25有世界の生き物を救うとされるので ...
唐招提寺 ⑦ 薬師寺から北へ 秋篠川沿いを歩いていくと 左手に唐招提寺が見える。 その川沿いの土手の右側 東側には 宿院の跡がる。 天皇がこの土手を行幸の折 この場所が平城京のなかで 「西の、京」と言われた所で 「西の京」という地名になったといわれている。 唐招提寺へは ...
唐招提寺 ⑥ 御影堂 境内の北側に位置する。この建物は 旧一乗院の宸殿は興福寺の別当として創建された。焼失を数度経験し、1650年に再建されたものを、昭和37〜38年(1962年〜1964年)移築さた。 この御影堂には 鑑真和上坐像 東山魁夷画伯の描かれた襖絵などが治め...
唐招提寺 ⑤ 鼓楼 鎌倉時代に再建された建物 二層の建物になっていて、鑑真和上が唐から持って来た仏教関係のこ古文書などを安置しているところから「舎利殿」とも言われる。 毎年 5月19日には、鎌倉時代戒律を復興した大悲菩薩覚盛上人の中興忌(ううちわまき)がおこなわれる。 ■ ...
唐招提寺 ④ 唐招提寺 金堂の北側にある 講堂 この建物は 平城京にあった東明集殿を朝廷より賜り移築したものである。現在平城宮跡には創建当時の建築物はない。この講堂が唯一宮殿建築の遺構である。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742...
唐招提寺 ③ 戒壇 境内の西側 にある。創建当時築かれた。今は石壇のみが残っている。中世に廃されその後再建されたが焼失した。戒壇は僧となるための授戒が行われる場所である。 鑑真和上が来日して初めて正しい仏教の戒律を教えるために建てたのが、東大寺戒壇堂である。そこで、鑑真和上...
唐招提寺 ② 唐招提寺は 唐から招いた鑑真和上による寺である。 その鑑真和上は 日本へ渡来される時 幾度の苦難に会い 盲目となられた。和上が亡くなられた後 和上への敬慕を想い 鑑真和上像を弟子たちが刻んだ。そのお姿は失明されているので 両眼は閉じられているからこそ、総てに透...
唐招提寺 ① 南大門ひと一段一段髙い階段を上っな案大門をくぐり そこには金堂 おおきな屋根左右のカーブも大きく 唐の雰囲気が中へ入っただけで感じられる。金堂の中には 廬舎那仏 右側に薬師如来 左側には千手観音立像がお祀りされている。この千手観音は「真数千手観音」で大迫力があ...
藥師寺から唐招提寺 薬師寺から北へ行くと唐招提寺 唐招提寺は学校の歴史で学んだ様に 鑑真和上が建てたお寺である。唐から仏教を伝える為に日本に来た 鑑真和上は最初大安寺 そして東大寺ですごしていたが、自分自身のお寺を持つことを望み、唐招提寺の創建になった。お寺を建てる地は唐の...
薬師寺 ⑪ 薬師寺は周辺の土地より低い 奈良盆地におぴても 低い位置に建てられている。 南側にある 勝間田池より低い。薬師寺を建立時点で、土地が低いので、土砂を他から運んだ,そのため、出来たのが勝間田池と言われたりもする。これはただの言われである。薬師寺と勝間田池の関係が深...
薬師寺 ⑩ 大海人皇子の皇子は壬申の乱の戦に勝利をおさめ、飛鳥浄御原宮に天武天皇として即位 そして680年に皇后が病に倒れ、創建されたのが薬師寺。それから7年後 薬師寺は完成せずに天皇は亡くなり、その意思を継いだ 皇后 から天皇に即位した持統天皇によって698年に遂に完成に...
薬師寺 ⑨ 薬師寺金堂には必ず入り薬師三尊にお詣りされると思います。 その後ろに 仏足石がある。 お釈迦様が亡くなった後三〜四百年の間は、仏像がなく、仏様を形に現わすのは、もったいないとの考えからであったと思われる。 その代わり、仏様の足跡を石に彫ったり、菩提樹の下、石上に...
薬師寺 ⑧ 薬師寺は 元は藤原の地に創建されたことは知られ渡っていると思う。 その藤原京に680年に薬師寺建立を発願 そして710年平城遷都に伴い718年伽藍を平城京現在の地に移された。その藤原京時代の本藥師寺 と呼ばれ橿原市 に礎石が残っている。 二ヵ所を回ってみるのも興...
薬師寺 ⑦ 古老からの話。 近鉄橿原神宮線 西ノ京駅から藥師寺に向かう道 元は薬師寺境内 勝間田池近くの 今は国立病院の付近は 戦後までは、馬場であった。また生駒山に戦車部隊があった。その馬・戦車を通すために 薬師寺の境内に道を通した。その馬 戦車を通し 当時も陸軍本部(現...
薬師寺 ⑥ やっと良いお天気 薬師寺に来られた方々も 足取り軽いかと思われます。 世界遺産の東塔は 細っそりした外観 修復もすみ堂々とした輝きがあります。 その西側には 西塔 1981年に再建され45年 東塔よりは堂々とした趣がありますが、他のお寺の塔より細い感じ 南側に涅...
薬師寺 ⑤ 是非立ち寄って頂きたい薬師寺周辺のことをブログで書きました。 この勝間田池から北西には赤膚焼き窯元があります。 赤膚山には焼物には良い土があり、そこで焼物が育ちました。 埴輪から発生しした焼物です。そして豊臣秀長が茶器として赤膚焼きを有名にしました。 奈良が誇る...
薬師寺 ④ 昨日は 薬師寺南大門から西側 勝間田池の南側を紹介 この池は古代からあり 天平時代の宮人からも池の周りを散歩していたと言われている。 池北側には 野々宮天満社 がある。この社は 管原道真とその祖先の野見宿禰(のみのすくね)をお祀りしている。野見宿祢は相撲の祖と言...
薬師寺 ③ 薬師寺南大門から東には秋篠川 そして大安寺 その南大門を西に行くと 万葉集にもうたわれた勝間田池 その池西側からの光景は 奈良市の景観指定になっており、若草山 東大寺大仏殿 高円山 薬師寺双塔 金堂が 奈良の枕詞であり 青垣と共に一望できる。 その勝間田池南側に...
薬師寺 ② 奈良西ノ京に建立された薬師寺 その南門を東に行くと 大安寺 その手前に 秋篠川 南に行くと ほぼ90度に曲がって 東側を流れる佐保川に繋がっている。 古代はモノを運ぶ大切な川 平城京時代秋篠川の流れを変えて 平城京に、また平城京から 物資の輸送をした。その秋篠...
薬師寺 このブログで 幾度も薬師寺は取上げている。 ゴールデンウイークに入り、薬師寺を訪れる方々も多くなってきている。 地元に住んでいる私からの提案です。 車で来られた方々は駐車場から南大門から入られています。 電車を使用して西ノ京駅からは北から入られていますが 是非本来の...
金剛山葛木神社の大楠公祭り 5月25日 楠木正成は南北朝の戦いにおいて 四条畷にて戦士した。 その後楠木正成を神都市て祭った神社であったが 荒れていたのを、1381年に再建の発願し本堂を建立 宿坊をひらいた。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■...
当麻寺の練供養会式 5月14日 北葛城郡 当麻寺は、中将姫の伝統であまりにも有名である。中将姫がこの当麻寺で、現身のまま成仏されたという伝承を、再現して演じるこの練供養にあるらしい。 この來迎練供養は、聖衆來迎練供養会式と呼び、念仏の信者が没するとき、西方極楽浄土より、二十...
唐招提寺のうちわまき 5月19日 唐招提寺 唐招提寺は聖武天皇の招きで日本に来られた中国の僧 鑑真和上一行の手によって創建された寺で、律宗の総本山となっている。 この寺では毎年5月19日にハート形のうちわをまく行事がある。この寺で最も重要視されている梵網経を講讃する法要が行...
薪能 5月第3金曜日 土曜日 興福寺 薪能は興福寺南大門前の芝生で演ぜられてきたものを指し、各地の薪能は戦後これにならったものである。 薪能の起源については種々の説がある。新年に当たって神聖な松をかかげて土地の神ふぁ堂上をたずね、その席上で祝福の芸能を舞うという民族が新春の...
蛇穴の汁かけ祭り 5月5日 御所市 御所市蛇穴(さらぎ」では 汁かけ祭りという 野口大明神 の祭がある。 五穀豊穣を願ってのお祭りである。藁を大蛇に見立てて それを 集落を練り歩く。その出発時に 大蛇の見立てた 藁に汁を掛けることで この名がついた。 ■ 住所 630-80...
野依のオンダ祭り 5月5日宇陀市 御田植え祭りで、田圃での作業を神事としておこなわれる、五穀豊穣を祈る祭りである。 野依のオンダ祭りは、もともと旧5月5日の行事であった。そのころはちょうど田植えの最中にあり、しかも昔からの伝承で、5月5日は神様の田植えの日であるから、この日...
久米寺の会式 5月3日 橿原市 久米寺は593年に久米仙人を中興の祖ともいわれ、頗る名高い寺院である。5月3日はその会式で、練供養が行われる。来迎練供養は念仏の信者が没するとき、西方極楽より、阿弥陀仏が観音・勢至等二十五菩薩を隋えて迎えに来るということをしめしたものである。...
大峰山の戸開け式 5月3日 修験というのは修行して徳を験す意味であり、理論より実践が尊ばれる。入峯修行は山伏の本領であり、もっとも重要な行事であった。平安時代から中世にかけて、本山派、においては熊野から大峯へ、あるおいは金峯から大峰への道筋を通っていたのであるが、金峯 大峯...
東大寺の聖武天皇祭 5月2日 聖武天皇は国ごとに国分寺、国分尼寺 をお建てになり、その中心として総国分寺の東大寺を建立された、「咲く花のにほふがごとし」とうたわれた天平文化顕現の御鴻業をしのび、その御霊をまつる祭式がこの聖武天皇祭である。 天皇は大仏開眼供養もすんだ天平勝宝...
氷室神社の献氷祭り 5月1日 奈良市 社伝によると、元明天皇が都を平城に移された7107月22日に、春日山のふもとの現在の月日の窟を祭場として、氷の神三社を奉祀し、谷間を利用して、氷池をつくり、吉城川清流を引き入れて、厳寒に結氷させ、氷室に貯蔵し、平城京へ氷を献上することと...
笠の荒神祭 4月28日 桜井市 荒神は良弁僧正参篭の時荒神現形し給う。僧正小板に図せられる。 明治維新に際して神仏分離のため竹林寺より笠山の山頂へ神殿をうつし 笠山神社を建設。笠村の鎮守天満社とは無別格として、拝殿 社務所 水屋などを建設し講社を結成し、毎年1月4月9月に大...
釜の口お大師さん 天理市 長岳寺 4月21日 山之辺の道を歩くと 休憩をするのにも またお花が多く心惹かれるお寺である。 毎月の縁日のうちでも、特に平戸ツツジが真っ盛りで、大縁日として多くの参詣者がいる。 午後一時から大師堂で、御影供厳修され、そのあとで本堂前の広場で大紫灯...
山村御殿の奉華絵 4月第二日曜 円照寺 これを山村御殿と呼ぶ。 中宮寺 法華寺 と大和三門跡の一つ。 円照寺を創めた文智女王は自然をこよなく愛され 草木本来の美しさを活かした華道を生み出された。それが 山村御流である。 当日は奉華法要がおこなわれる。 美しいお庭との尼寺です...
矢田寺のお練り供養 4月第三日曜日 今は休止中 矢田寺は天武天皇の時代吉祥天女を安置して、知通僧正が開いた名刺。 嵯峨天皇の時代小野篁がこの寺に詣で、 矢田寺にいた満米上人に地獄の閻魔王から地獄の戒師として菩薩戒を受けたいと伝えた。上人がその召に応じ冥府にいくと、上人は閻魔...
嶽のぼり 4月23日 二上山山麓 大和には古くから ダケ あるいは ダケ山 と呼ばれている特別な山があちこちにある。これらの山々は多く「嶽の山に雲がかからねば雨は降らない」などといわれるように、日照りりの年には、附近の村々から水をもらいに登るのが慣わしになっていれう。二上山...
長谷寺のぼたん祭り 4月18日〜5月10日 万葉集に隠口(こもくり)の初瀬小国といわれた初瀬は、四囲山をめぐら去れた勝景の小盆地である。天武天皇に愛されたこのゆかりの地に、最初、西の岡に三重塔婆(多宝塔)を建て僧道明によって朱鳥元年(686)に開かれた本長谷寺である。これが...
大安寺も弘法大師御影供 4月21日 大安寺は、飛鳥の地にあった大官寺を平城遷都とともに今の地に移された。奈良仏教の発祥の寺とも称せられ、当時海外から来朝した高僧達はほとんどこの寺に立ち寄ったと言われる。最澄 空海もこの寺で修行に励んだ。空海は後にこの寺の別当に補され「吾後生...
林神社の饅頭祭り 4月19日 奈良市の中央を南北に通じる大通りの中ほどに 鳥居があるのが 漢国神社で、その境内饅頭の祖神をまつる林神社がある。ここで全国から饅頭に関係ある業者の代表が集まって饅頭祭が行なわれる。 日本ではじめて饅頭をつくったという林浄因やその子孫である宗二ら...
大神神社の花鎮祭り 4月18日 由緒の深い花鎮祭りは毎年4月18日に大神神社の本社で厳かにおこなわれる。疫病を防ぐための祭事である。 はなしずめのまつりは 一名「ちんかさい」ともいう。特にこの祭りには神饌中にユリの根とスイカズラの薬草が供えられる。そのため 一名 薬まつり ...
興福寺の放生会 4月17日 放生会は中国の天台山の麓にあった海面を放生池とし、魚介放ち、法華経をとなえて功徳をほどこしたたのが始まりと言われてうる。わが国でも殺生を禁じていたが、仏教の渡来とともに放生会が伝わってきた。 興福寺の放生会は猿沢池にコイ フナ カメを放つ ■ 住...
西大寺の大茶盛 4月第二土曜日 日曜日 南都の七大寺のひとつとして栄えた西大寺は称徳天皇の勅願による寺で、毎年桜の花が咲き誇る時期に大茶盛が行われる。 この行事の起こりは、この寺の中興の高僧と仰がれた叡尊が延応元年(1239)正月の修正会をおえたあと鎮守の八幡神社に参拝した...
弘仁寺の十三参り 4月13日 弘仁寺は弘仁五年(814)嵯峨天皇勅願の霊場で本尊虚空蔵菩薩は日本三躰虚空蔵尊の一つである。嵯峨天皇の御夢に一老人が現れ「奈良の南方数里のところに過去七仏の舎利山があります。諸仏常に現れ誦経の声が絶えることが7ありません。陛下こいねがわくば、伽...
吉野 金峯山寺の蔵王堂の花供懴法 4月11日12日 吉野山の花供懴法の由来は古く、昔はなかなか盛んなものであった。 桓武天皇が長岡の宮で御病のかかられた時、吉野山宝塔院の髙算上人を召されて、御病平癒の祈祷を命じられた。上人は急いで都に上がり、加持し奉ると、さしもの御病もたち...
大神神社の大神祭り 4月9日 大神神社の大神祭りは二千年来の由緒ある祭礼である。そのむかし崇神天皇が磯城瑞離宮のころから祭りがおこなわれている。後醍醐天皇の御時に延喜式が制定さられ 大神祭は毎年4月と12月の上卯の日に祭りを行ない、勅使の御差遣、弊帛 神饌 神馬 の奉納があ...
花鎮め祭り 水谷神社 4月5日 医学の幼稚だったころ、桜の花が咲き 若葉の香がたたようころになると、疫病が流行り出すといわれ、こんぽ神を慰め疫病の流行を防ぐ祭りが鎮花祭りで京都では やすらい祭り と呼んでいる。 延喜式 には、大神社と狭井社で鎮花祭りの行われたことが記されて...
灌仏会 4月8日 釈迦様のお誕生日をお祝いする行事で一般に花会式と呼ばれているが、仏生会とも、竜華会とも呼ばれ、東大寺 興福寺をはじめとし、奈良県下の寺院で行われる。興福寺では浴像会と称し、古くから行われていた。 藍毘尼園の無憂樹の下で摩耶夫人の脇から蓮華の上にお釈迦様が生...
新薬師寺 お松明 4月8日 747年光明皇后の眼病平癒を祈願して新薬師寺を建立 寺は東大寺の別院として 別格本山と称されている。二月堂のお水取りにおける お松明は有名であるが、これに次ぐ お松明が行ている。参詣者は一切除厄をこい願って訪れる。二月堂のお水取りがすんだら春とい...
奈良市 法華寺のひな会式 4月1日~7日 法華寺は法華滅罪之寺と称し、奈良時代に藤原不比等の居宅をその娘である光明皇后が建立した大寺であえう。本尊である十一面観音菩薩立像は光明皇后のお姿をうつしたと言われている。 この寺に天平の昔からおこなわれていた ひな会式が伝えられてい...
大和神社のちゃんちゃ祭り 4月1日 天理市 祭はじめはちゃんちゃん祭り 祭りおさめはおん祭り と大和の諺にもあるように、ちゃんちゃん祭りは春のはじめの大和の大きな祭りである。 大和神社は 大国魂大神 八千戈大神 御年大神を祀っている。 戦艦大和の船内にも 大和神社を祀ってあ...
薬師寺 再建 天武天皇が皇后後の持統天皇の病気平癒のために 藤原京に薬師寺を創建された。その後天武天皇が亡くなり、その意思を継いで 持統天皇が薬師寺七堂伽藍を697年に完成された。今は元薬師寺として藤原京の地に礎石が残っている。その後 平城遷都に伴い 今の西ノ京の地に伽藍が...
薬師寺 花会式 明日3月31日が修二会の結願の日です 金堂の周りを 鬼が5匹松明を振り回し走ります。 お天気が気になります。 こちらは古いですが 修二会で使われた大きな松明の一部です。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-...
薬師寺 講堂 寺というものは、法を説き、教えを学び、行を練る場所である。金堂は仏教者としてのお勤めや行を行う場所でもり、講堂は教えを学ぶところでえある。経蔵は図書館であり、僧坊は僧侶の寄宿舎にあたる。全寮制の学校であったといえる。そして、ここでは南都六宗(倶舎 三論 法相 ...
薬師寺 お写経の功徳 日本人の浄らかな心の結晶を、白鳳時代の堂塔伽藍のたたずまいとして子孫に残すことができ、それが今の人々の心の救い、浄らかな心の喜びのお手伝いになるならばという願いのもと、昭和43年(1968年)から始められた般若心経の写経勧進により金堂が 西塔が復興され...
薬師寺 休ヶ岡八幡宮 薬師寺 南大門の南には 休ヶ岡八幡がある。古来からの神道と外来の仏教とが信仰的に併存し、伽濫守護のための鎮守神として祀るようになった。平安初期に造られた三神が祭られている。 薬師寺を車で来れれた方は駐車場から藥師寺南大門途中にある神社になる。 ■ 住所...
仏足石 薬師寺ご本尊の後ろには仏足がある。 そこには 歌碑がる。 その歌碑には、仏足礼賛と生と死の歌が刻まれている。 歌五七五七七七で、万葉仮名にて刻まれている。 美阿止都久留 伊志乃比鼻伎波 阿米爾伊多利 都知佐閉由須礼 知々波々賀多米爾 毛呂比止乃多米爾 みあと造る ...
薬師寺 花会式 花会式として行われている修二会関係の文章は 「修二月造花人注文」といわれる文章が、1717から1850まで百年以上にわたる130通もの同じ形式の文章として貼り継がれている。 薬師寺には色々な法会があるが それぞれ文章が引き継がれている。これは 薬師寺の僧侶が...
薬師寺 修二会花会式 花会式の名前で親しまれている修二会は 練行衆が17日間悔過作法をする法要である。 悔過とは 知らず知らずの間に犯した罪を懺悔することである。 堀川天皇の皇后の病気平癒を願いそれが叶い宮中の女官と共に 造花を造り それを翌年の修二会に供えられたのが始まり...
薬師寺の景観 薬師寺の場合は 勝間田池(通称大池)から望んだ景観がすばらしい と平山邦夫の言葉にある。フェノロサが 凍れる音楽 とたたえた東塔は、白鳳の姿を凛として伝えている この姿は白鳳時代から続いている。 青垣籠れるの青垣には若草山 高円山がありそれを背景に 東大寺の大...
薬師寺の花会式 花会式の起源は 堀川天皇が皇后の病気平癒のためと伝えられている。一方では鳥羽院(堀川天皇の第一皇子御願 という説もある。この伝承は12世紀初め白河院政期に、古代以来の薬師悔過の何らかの見直しがあり、修二会維持のためではないかとも言われている。また、修二会と...
薬師寺の花会式 ⑤ 法会を始めて7日目の結願の日 最も見応えのある式がある。 初夜に先立ち練行衆はまず、金堂の東側基壇に出仕し、「神供」をする。東を向いてお経を読んだ後、春日明神への献灯として一本づつ持った松明を振り回して前方へ投げる。堂内に戻って最後の初夜の作法や「呪師...
薬師寺の花会式 ④ 花会式の行法は、時導師(悔過導師)による悔過の作法 大導師による、祈願の作法 呪師による呪禁の作法から構成され、さらに満行の日に結願の作法がある。 3月28日は、本尊に供える餅を搗く。 その餅米を蒸した湯で本尊のお身ぬぐいが行われる。 3月29日...
藥師寺の花会式 ③ 法会には十名の僧が練行衆となって出仕する。その中心となるのが大導師・堂司・呪師の三役で、他の七名の僧は大衆と呼ばれる。さらに堂内の準備や行法の舞台裏の一切を取り仕切りる堂童子役や練行衆が籠もる地蔵院での食事や参詣者の世話などをする納所(なっしょ)の人々が...
薬師寺の花会式 ② 薬師悔過と練行衆 花会式は毎年3月末から4月5日まで行われる(日程は薬師寺HPを毎年参照してください)17日(七日間)の行法である。一日を六時に分けて六回の行法が行われるが、六時とは、初夜・半夜・後夜・晨夜・日中・日没・のことで、薬師悔過作法による読誦が...
薬師寺の花会式 天武9年(680)皇后 後の持統天皇の病気平癒のために薬師寺は発願された。この薬師寺の法会のなかで、もっとも重要な最勝会で 維摩会(ゆいまえ) 御斎会(ごさいえ)とともに南京三会の法会の一つある。しかし 講堂の焼失などで中絶した。平成15年(2003)大講堂...
レンゾ 又はレンド 3月~5月 春の訪れとともに広く農家である行事である。 今レンゾは寺院た神社に関連した行事であると思いがちであるが、本来の行事作法は、漣やヨモギなどの香りの強いものを食べて体内の毒気を祓い、身体を浄め、ツツジなどの木や春には降臨刷する田の神様を山に迎えに...
文殊会 興福寺 興福寺は藤原氏の氏寺として、藤原不比等(ふひと)が厩坂(うまやさか)にあった厩坂寺を平城の地に移した寺である。藤原氏が隆昌におもむくにつれ、この手も盛大となり、寺領も全国に及び、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶も三千の多数であった。 ■ 住所 630-8053 奈良...
文殊会 3月25日 26日 桜井市 安倍文殊院 丹後の切戸 奥州の永井とともに日本三大文殊の一つとして知られている。 安倍の文殊は知恵文殊 とうたわれているように、文殊菩薩の知恵にあずかろうといつのが子供たちの願いであり、親のねがいでもある。 獅子背上に座し、右手に降魔の利...
法隆寺会式 ② この法要で珍しいのは大壇と須弥壇の間にある須弥山を型どった大山立で、2.5㍍もある大きなもの。その先には割り竹に団子で造った五色の鳥を飾り、その下に火焔をあらわした餅や日月をあらわした餅で囲み、さらに梅 水仙 みかん 柿などで壮厳されたものをおおきな三宝にの...
法隆寺会式 ① 3月22日〜24日 この会式は正徳太子の霊をまつりご聖徳を迫慕奉賛する法要で、寺では聖霊会と称し、一般に法隆寺会式と呼んでいる。 この起源については詳かではないが、「古記」によると夢殿を再建した行信僧都が聖武天皇の勅許を得て 太子のご命日の旧暦2月22日にお...
子供ねはん ② 奈良県の田原地区では公民館にて 子供ねはん講の話や紙芝居などゲームや工作などがおこなわれる予定です。 昔は、天理市、山添村、都祁村では「子供入り」といって男の子が生まれた家が宿になって、村中の子供仲間にご馳走する。田原村では、子供のおとな入り といって子供仲...
子供ねはん 春分の日 釈迦入滅の日といわれる旧暦2月15日に村々の寺で涅槃会が営まれる。明治の改暦以降多くの村々年では、3月15日に行うようになった。涅槃会は、年寄りが参詣してお勤めをする風習は各地にみられるが、これが「子供涅槃」といって、子供の営む行事になっているところが...
春日大社の御田植祭 ② 3月15日午前10時からはじまる。五穀豊穣を祈る祝詞を秦し、祭ははじまる。その後神楽男 八乙女 田主 などがお祓いを受けて 田圃を耕す所作をおこなう。 神事が終わった後、参拝者の希望により、松苗を授ける。この松苗は江戸時代に白毫寺村の杉町の松葉を用い...
春日大社の御田植祭 ① 3月15日 五穀豊穣を祈願する祭典 御田植祭と御田植神事からなっている。 二条天皇の時代(1163)正月の申の日にはじめておこなわれた。 祭典の方法についおては詳しい記録が無いので定かではない。その中で比較的詳しい記録を伝えているのは、 1740年村...
春日大社の春日祭(申祭り)③ 賀茂祭、石清水祭、春日祭、の三祭の復興はそれぞれの祭祀に特徴があるからである。加茂祭は行粧の美と、一般祭祀の典型であり、石清水祭は仏教の放生会を加味した祭り、そして春日祭は氏神祭の遣風の多分に含まれている祭祀として 三祭祀保存の意義がある。 春...
春日大社の春日祭り(申祭り)② 貞観年間には祭典は殿舎、すなわち車舎(くるまたどり)着到殿、幣殿、舞殿、直会(なおらいでん)竈殿(かまどの)、酒殿、内侍殿、などが完備し、社頭はいよいよ壮厳を加えた。貞観儀式は、祭の数日前に河頭祓があり、斎女は車に駕し左右の兵士及び衛符などが...
奈良の鹿 ⑤ 藤原京から平城京に都が遷都されて 建設ラッシュによって 寺院創建に比べ、荒廃したの山と、労務に打ち拉された農民を残し、百年の歳月と共に都は京都に移った。天皇が支えていた大寺も都が平安京にあっては、天皇の権力も眼が行き届かず、衰退の一途をたどった。しかしながら、...
奈良の鹿 ④ 天皇と白い鹿の出会いを記録からみると 推古天皇6年 598年 天武天皇元年 691年 天武天皇慶雲3年 706年 神護景雲2年 768年 神護景雲3年 769年 宝亀元年 770年 貞観4年 862年 以上7頭 献上を受けた後どのようにしたのだろうか?不明であ...
奈良の鹿 ③ 今鹿の棲み処と認識されている 春日野は平城京の時代万葉集から考えてきると、宮廷人達の生活の中で、楽しむ場所として利用されていたと思われる。古代から生息していた鹿を捕獲され尽くし、現在の鹿の姿にまで至ってるのは、「白い鹿」の歴史を遡ってみたい。 日本書記(110...
奈良の鹿 ② 奈良で平城後 大仏造立である。 その為の工人はのべ二百六十万人 工期三年の人数である。当時日本国民は約50万人の時代 常住人口は十万から二十万人説がある。この状態は日本国始まって以来過密状態の地であった。これらの人口を支える食料調達はどうであったか?食料事情が...
奈良の鹿 ① 6月奈良公園には今年生まれたバンビ―が可愛い姿で目にすることが多いでしょう。 この鹿が今増えすぎています。奈良の風景にはなくてはならない存在です。 奈良の鹿の歴史記録からは、馴化された鹿は、千年近く前から存在していたと考えられる。権力者により保護されていた時代...
奈良 西ノ京ロータスロード 蓮の季節 朝咲いて夕方には閉じるその儚さが日本人の心にストライク的に入ってくるのでしょうか?仏教とも深いかかわりあり、寺々で目にされた方々は多いと思います。 その蓮の見ごろに 奈良 西の京の四ヶ寺共通拝観券がある。 西大寺 喜光寺 唐招提寺 薬...
6月の行事 石上神社の神剣御渡御祭と夏越しの祓い 6月30日 石上神社から、同宮の境外末社である三島の神田神社へ神剣を奉持して御渡するお祭りである。神田神社の鎮座の地一ヘクタールの田は、昔は石上神社の神田であった。1576年の記録では、「宇神田御旅所六月晦日明神御神幸」と...
6月の行事 スモモの荒神祭り 橿原市 6月28日 中和の地方の夏祭りは 俗に言う スモモの荒神さん という荒神祭りがる。ちょうど巣もイモの出る時期なので、この名が生まれた。 この荒神さんは、飛鳥川堤防にあった西蓮寺に安置されていたが、度重なる洪水で、流され、のちに、入鹿神社...
6月の行事 虫送り 6月16日 天理市 誘蛾灯が設置される以前の農民の豊作への祈願であり、日本人の神まつりの一つである。 天理市山田町の以前の虫送りを紹介する。 山田町は上中下の三部落に分かれている。この日は各自の家から一人づつ出て、それぞれの檀家寺でおこもりをする。おこも...
6月の行事 率川(いさがわ)神社の三枝祭り(さいぐさまつり) 6月17日 三枝祭りは 俗にユリ祭りと呼ばれている。この祭りは暑気に向かう頃に花をもって悪厄を鎮めようとする祭りである。 奈良朝以前 文武天皇のころに大宝令にこの祭りは記載されている。 神祇令に「三枝の花を以って...
唐招提寺の舎利会 6月5日〜6日 幾度か唐招提寺のことはブログに載せてます。 その創建した 鑑真和上の命日が6月6日 和上の舎利を供養する舎利会がおこなわれる。あわせて、和上の高徳を偲ぶ法要がおこなわれる。 講堂で舎利会が行われた後、その後御影堂と和上の墓に参る。この期間は...
奈良県磯城郡の蛇巻 磯城郡の今里と鍵では 豊穣祈願と男子の成人を祝って 「蛇巻」の神事が行われる。 昔 今里には雄の竜がいて村中の娘を食い、赤児も食い、果ては農作物まで食い荒らした。一人の僧が通り村人たちに、「五月の節句に、菖蒲で太刀をつくって家々に飾るとよい」と教えた。竜...
6月の行事 野神祭り 芝辻町 近鉄奈良線新大宮駅辺りは農家が多くった。 その西側には野神領という場所があってその近くにクスの大木で祭りを行う。祭りを取り仕切るのは当番制でその年の当番は 前日にチマキを作り 10本を一束にして二束づつ各家に配る。今は牛を飼う農家はないが、盛時...
6月昨日ブログ始めると なぜか ウイルスの様なものが潜入の気配 そのため ブログ中止いつぃました。 6月の行事の紹介 野神祭りという農耕に関する行事がある。 現在は見かけることは 殆どなくなっているが五穀豊穣を願う農民のお祭りである。 旧奈良町周辺の 三条 油坂 芝辻 法蓮...
薬師寺周辺 薬師寺周辺ろしながら 少し離れた大和郡山市筒井です。 戦国時代僧兵として有名な 筒井順慶の平城跡があった所です。 その城跡近くには 環濠集落が2か所あります。 番条環濠集落 稗田環濠集落 掘りに囲まれ 今も人々が生活しています。稗田環濠集落には、日本書記編纂した...
薬師寺周辺 薬師寺から大和郡山城 豊臣秀長の城といわれている。この城は当初筒井順慶が織田信長の命により建てその途中に 信長死後 秀吉の時代になってから 弟秀長が建て完成させた。 この筒井順慶は 近鉄電車橿原神宮線で大和郡山駅一駅南側 筒井駅近くに筒井氏の建てた平城跡地がある...
薬師寺周辺 秋篠川と郡山城 今nhkの大河ドラマ その主人公の城 郡山城 この城の堀には 秋篠川から引かれた。 現在堀は天守閣の周りのみ残っているが、築城当時は現在の大和郡山市の市街地を囲む堀であった。今散歩道になっているので、歩いてみると、秀長の町造りも知ることが出来ると...
薬師寺周辺 薬師寺の近くには、秋篠川が北から南へと流れている。その秋篠川は古代の時代に佐保川と繋ぎ 物流やその船着き場には市があった。秋篠川と佐保川が合わさった近くには、平城京の時代の 羅城門跡ある。広く公園になっている。平城京の南西になり 現在は奈良口 と呼ばれている。 ...
薬師寺周辺 秋篠川沿い 水源を大渕池(学園前)の秋篠川は南に流れ 奈良口辺りで 東に角度を変えている。平城京の時代に川の流れを人工的変え 佐保川に繋いだ。それにより、物資の流れを作った。船着には、市があったあ。また 郡山城築城の際には堀の水は秋篠川から引かれた。 ■ 住所 ...
薬師寺周辺 水鏡神社(天満神社) 尼ヶ辻駅東側 弘法井戸から南に行くと 唐招提寺がある その北側 唐招提寺の一部かとも見える ところに 天満神社 がある。 この神社は 管原道真公が太宰府に流される前に 顔を映した池があると言われている。 現在 近隣住民によって 手入れはされ...
神武天皇像序幕式の際の豪雨 昭和3年(1928年)8月は月量では、大台ケ原山の記録の第二位で雨量3070㍉に達した。大正15年に計画され大阪市で製作されていた高さ4㍍の神武天皇の銅像の除幕式が8月19日に大台ケ原山頂で行われた. ところが山頂は連日の豪雨で式典の準備がことの...
外部資料 昔大台ケ原は魔の山と言われていた。古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に 登人もない未開の山であって、まったく山の様子がわからなかった。 大台ケ原には大きな池があって、東風の時は、その水があふれ西風で宮川へ、北風になれば、熊野川へ 雨がふらなくとも川は増水...
地滑り事故 大和国は地すべりで各所に被害を生じる。そのおもなものは、昭和7年の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪への峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ、部落の民家を倒し、トンネルを壊し、最後は対岸の道路も隆起させて流水をせき止めた。そのため上...
雪災ひゃ雪国に比べれば大したことはない。明治41年2月11日 昭和21年3月10日昭和26年2月14日ぐらいである。平野で30㎝つもれば記録モノである。インフラにも被害が及んだ。しかし農作物には大きい被害はなかった。 火災も大都市大火災というほどのモノで3はない。奈良市では...
雷 水害 風害 干害の他にあげられるものは雷災 雪災 地震などである。 雷災は古文書のも相当残っておりかつ伝説も多いところから考えると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中核をなしていたものであるから記録...
31年周期の干ばつは大和平野に限ったものであって南部にはこの様な災害は少ない。さらに奇異の感を抱くのは農業試験場の豊凶考作試験の結果や農業従事者古老の言で 「大和平野の干ばつには世に伝えられるほどの大減収を招来しない」 ということである。大正2年の大旱魃でも70万石余年の稲...
31年周期 大和の干ばつは31年周期でやってきているようである。 文政6年(1822)には植えつけ困難の大旱魃 その後31年目の嘉永6年(1853))は植えつけ後の大旱魃 さらに明治16年(1884)には日照つづきで二百石取りの田圃にも5石しかとれぬありさま。大正2年(19...
大和のため池はサラ状で表面積は広く、容積は少ないので池面からの蒸発量は案外多く、貯水の目的には十分な効果を上げているものとはいえない。タメ池は表面積が小さく、底が深く、日陰の場所を理想的とし、倉橋ため池などが出現したのはよく科学的要求にこたえたものである。米作りに重要な水の...
大和各地の旧家文書をみていると、「旱損定免」の文字がいたるところに出てくる。いかに昔は旱魃に困った かがうかがわれる。推古天皇15年に気候の異和不順に備えてタメ池wくぃお造り、食料を確保しようとする計画さえあった。今にいたるも大和平野のやめ池の多いのは有名である。旱魃に祈雨...
平野風は局地性暴風雨として非常に珍しい例でもある。平野風の予報はきわめて簡単であることが分かった。台風や強い低気圧が九州に接近したり本州の南岸沿いに東進したりすると必ず吹くようである。つまり大台山系一帯に南東ないしは東寄りの強風気流が吹き上げたときである。この様な時には大台...
平野風 吉野郡東吉野村平野では、ときどき非常に強い風が吹いて家屋が破損したり、農作物に被害を生じている。しかもこの強い風は平野部落の狭い区域に限られていて、隣の部託は何ら風害をうけていないという特殊なものである。 これは東側にそびえる高見山を越えてくる山越気流である。 土地...
傾斜地の農業 奈良盆地の周辺は山麓傾斜地や小丘陵をなしているところが多く、耕作地は階段状の小面積のものに区切られている。気候上から気温はやや低く雨量は多少増加するが、地域によては局地性気候をおびる傾向が非常に強い。もちろん耕作面積は小さく、一時水田に対する畑地の割合が増加す...
農業 外部資料 大和の産業生産額は低く全国の中でも下位になると聞いているが、直接われわれの耳目に触れる特産物の種類は相当ある。 これらの中で、とくに気象と密接な関係のある。 どの地域でも平野部と山岳部が入り混じって地形によって 農業経営は変わってくる。 平野部の農業 奈良で...
地震の災害の種類 直接的被害 振動 建造物破壊 火災 人災 流砂現象 建造物破壊 噴砂現象 建造物破壊 津波 建造物破壊 人災 副次的被害 落石 地割れ 斜面崩壊 山腹崩壊 土地の隆起 土地の沈下 地下水位の変化 温泉の枯渇 雪崩 平地に住んでいるからとい...
奈良の地質の形状です。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
奈良県の断層の断面図 地震大国と言われる日本 普段から対応をしておきましょう 今月のお薦めの本 豊臣秀長 秀吉の弟 大和郡山の城主 兄の陰になって歴史上では表舞台には、出てこなかった。 しかし、来年のNHK大河で描かれることになり 楽しみと期待 秀長は文化にも貢献している。...
奈良には断層活火山が無いと聞いている。 大きな地震もなく平穏にくらしているが 昔はあったことは事実で その断層跡は 切り立った山やガケ余り多くないが 目にする時には じっくりながめるのも 自然災害への対策に関心を持つきっかけになりませんか ■ 住所 630-8053 奈良県...
奈良県に住んでいると 自然災害が少ないと感じるという声があるが、 奈良市周辺のみであって 奈良県全体ではその考えは当てはまらないと考える。 歴史的に見た地震の分布であるが 周辺でまた影響のあった地震は決して少ないとはいいがたいのではないでしょうか? 南海トラフが起こるであろ...
4 中震 家屋の動揺が激しく、すわりの悪い花瓶など倒れ、器内の水はああふれ出る。 器内の水はあふれ出る。また、歩いている人にも感じられ、多くの人々は戸外に 飛び出す程度の地震。 眠っている人は飛び起き、恐怖感を覚える。 電・立木などのゆれるのがわかる。...
階級 0 無感 人体に感じないで地震計にされる程度。 吊り下げ物のわずかにゆれるのが目視されたり カタカタと音がきこえても、体にゆれをかんじなければ無感である。 1 微震 静止している人に感ずる程度のもので 戸障子がわずかに動くのが分かる ...