仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
近畿地方と周辺の地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
奈良県に住んでいると 自然災害が少ないと感じるという声があるが、 奈良市周辺のみであって 奈良県全体ではその考えは当てはまらないと考える。 歴史的に見た地震の分布であるが 周辺でまた影響のあった地震は決して少ないとはいいがたいのではないでしょうか? 南海トラフが起こるであろ...
4 中震 家屋の動揺が激しく、すわりの悪い花瓶など倒れ、器内の水はああふれ出る。 器内の水はあふれ出る。また、歩いている人にも感じられ、多くの人々は戸外に 飛び出す程度の地震。 眠っている人は飛び起き、恐怖感を覚える。 電・立木などのゆれるのがわかる。...
階級 0 無感 人体に感じないで地震計にされる程度。 吊り下げ物のわずかにゆれるのが目視されたり カタカタと音がきこえても、体にゆれをかんじなければ無感である。 1 微震 静止している人に感ずる程度のもので 戸障子がわずかに動くのが分かる ...
長岡地震 昭和36年 (1961年)震度5.2 直径2㌖の範囲に被害集中 死5 全壊220 広島県北部 昭和45年(1970年)震度4.6 最小級の被害地震で希な例 落石 納屋破損など ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡...
兵庫県南西部 昭和59年(1984年) 震度5.6 山崎断層の一部 ガラス割れなど家屋損傷多し 松代地震 昭和41年(1966年)震度5.4 群発地震全体でM6.3に相当 傷15 全壊10 島根県中部 昭和52年(1987年) 震度5.3 ...
河内大和地震 昭11年(1936年)震度6.4 死9 傷5 全半壊148 大阪府下被害多い 鳥取県中部 昭和58年(1983年)震度6.2 倉吉、三朝周辺で地割れ 家屋損傷 軽傷5 和歌山県中部 昭和48年(1973年)震度5.9 ...
長野県西部地震 昭和59年(1984年)震度6.9 死不明29 全壊13 御岳山山腹大崩壊 吉野地震 昭和27年 (1952年)震度6.8 60㌖のやや深い地震、死9 傷139 全壊20 但馬地震 大正14年(1925年) 震度6...
新潟地震 昭和39年(1964年)震度7.5 死26 地盤液状化による被害顯著 津波発生 日向灘地震 昭和43年(1968年)震度7.5 死1 傷15 津波発生 日向灘地震では最大級 北丹後地震 昭和2年 (1927年)震度7.3 死2925...
三陸沖地震 昭和8年(1933年)震度8.1 大津波発生 死3008 地震動による死者なし 南海道地震 昭和21年 (1946年)震度8.0 死不明1432 和歌山県、四国湾岸大津波 東南海地震 昭和19年 (1944年)震度7.9 死9...
♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1948年6月15日 (昭和23年)日高川地震(和歌山県中部) 震度6.7 和歌山県・奈良県南部で小被害。全体で死者2人(十津川署管内)、 家屋倒壊60 地すべり・崖崩れなど。 奈良市では被害はなかったが、春日大社などの石燈籠...
♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1944年12月7日 (昭和19) 地震名 東南海地震 (南海トラフ) 震度7.9 戦争末期に起こった巨大地震。東海地方で軍用機工場ほぼ全滅などの大 被害。近畿地方にも被害及ぶ。全体で死者998人、全壊6130。 奈良県...
♯奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1891年1028日 (明治24年) 地震名 濃美地震(岐阜県南西部) 震度8.0 日本内陸で起こった地震としては最大級。岐阜・愛知県で大被害 根尾谷を通る大断層を生じた。全体で死者72763人、全壊14万。 奈良県では死1人...
奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1707年10月28日 (宝永 4年10月4日) 地震名 宝永地震〔南海トラフ〕 震度8.4 我国地震史上最大級の地震の一つ。 震害と津波の被害は東海道から九州に及び、全体で死者4900人 潰家29,000 大和国では死...
奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1596年9月5日(文禄5年 〈慶長1〉7月13日) 地震名 伏見桃の地震 (京都および畿内) 震度7.9 三条より伏見の間被害最も多く、伏見城天守大破、約600人圧死 諸寺民家の倒壊死傷多し。堺で死者600人 奈良では...
奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1494年6月19日 (明応3年5月7日) 地震名奈良 震度6.4 東大寺・興福寺・藥師寺・法花寺・西大寺破損。矢田庄(郡山の西) の民家多く破損。余震翌年に及ぶ。5月中は連日余震。 1498年9月20日 (明応7年8月25日) 地震名 ...
奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1361年8月1日 (天平16年6月22日) 地震名 畿内諸国 震度ー この月の18日より、京都付近に地震多く、この日の地震で、法隆寺の 築地多少崩れる。次の地震の前震か。 1361年8月3日 (正平16年6月24日) 地震名 畿内・土佐・阿...
奈良県は地震に安全か 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1099年2月22日 (承徳3〈康和1〉1月24日) 地震名 南海道〔南海トラフ〕震度 8.0 興福寺西金剛小破、大門と廻廊が倒れた、摂津天王寺に被害。土佐で田千 余町海に沈む 1177年11月26日 (治承 1年10月2...
奈良県に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
1070年12月1日 (延久2年10月20日) 地震名 山城 大和 震度6.4 東大寺の巨鐘の鈕切れ落つ。京都では、家々の築垣を損ず。 諸国の寺塔も被害を受ける。 1091年9月28日 (寛治5年8月7日)地震名 山城 大和 震度6.2 ...
奈良に被害を与えた地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
855年6月26日(斉衛2年5月5日) 地震名 奈良 震度不明 東大寺大仏の頭落つ。ただし これは地震によるものかどうか疑わしい点がある。 887年8月26日 (仁和3年7月30日) 地震名 五畿七道 (南海トラフ)震度8.6 京...
地震 カミナリ 火事 親父 という諺がある様に 地震は前触れがなくやってくる その地震の 奈良県下に起こったものを紹介していく。 古いところから 各日3件づつでブログにする。 599年 (推古7年 4月27日)地震名 大和 M7.0 倒壊家屋を生...
81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
気象用語 晴れのち曇り 予報した前半晴 後半曇り 曇り一時雨 予報した時間の4分の1未満が雨の時 曇り時々雨 予報した期間の4分の1以上 2分の1未満が雨のとき 朝のうち 日の出から9時ごろまで 夕方 日没前後それぞれ1時間ぐらい 夜半 0時前後 週...
81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
地震用語のうち 震度 はその人がその場で感じる揺れの強さを表すものである。 奈良は地震による大きな被害が ない と言われる方も少なくはないが 近い将来起こると考えられている 南海トラフトは10回 天武天皇の時代から起こっている。この地震による被害も大きいものであった。 有名...
81年間 奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
不快指数の算出法 不快指数=0.72×(気温+湿球温度)+40.6 68〜69 最も快適 70〜74 不快感を持つ人も出始める 75〜79 半数以上の人が不快感を持つ 80〜84 全員不快 86〜 もう我慢できない ※湿球温度とは、温度計の球部にガーゼを巻き湿らせて測っ...
81年間 奈良の気象 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
冷房デグリーデは冷房に要するエネルギーを見積もるための指数である。家庭冷房では 梅雨の終わりを冷房開始日とすること考えられる。 梅雨の間は、雲が多く日照が少ないので除湿は必要であるが、梅雨明けとともに強い日差しが加わり、急に気温が上昇する。大阪を例にとると過去の梅雨明け前5...
気象用語 ♯気圧の谷 本州を挟んで太平洋側と中国大陸の気圧は高く 日本海北部から朝鮮海峡 更に東シナ海にかけて気圧は低くなっています。一方、東経120度から140度にかけて北緯35度線を輪に切ると図のようになります。中央部で低く前線に沿って谷の帯が北東から南西に流れています...
♯益田池 碑の代石 弘法大師の築造の益田池は現在は存在しない。 昭和36年(1961年)にその樋と思われるものが掘り出された。 「和州旧跡幽考」益田池碑銘の条に 碑銘はなくなりて 台と見えし石あろい。俗に岩船といh。東西三丈二 三尺(約3.8㍍)高さ二丈五、六尺もありけむ。...
橿原市 益田池 外部資料 中世の大和における興福寺や東大寺など寺院の強大な権力を持っていいた。;その時代も仏教界に革命的な変革をもたらしたのは、最澄と弘法大師空海であった。とくに大和においては弘法大師空海だった。南都と密接な関係を持ちながら、空海が開いた、真言宗を広めていっ...
今月のお薦めの本 5月の営業日 3日(土)4日(日)5日(月) 9日(金)10日(土)11日(日) 16日(金)17日(土)18日(日) 22日(木)24日(土)25日(日) 30日(金)31日(土)6月1日(日) 26日(土)27日(日)は臨時休業いたします ...
平安京と長谷寺 外部資料 平安時代において 藤原家の力が優勢のいなり その力の御蔭で春日大社 興福寺の勢力が大きくなった。かすがは摂政につぐ大荘園領主となった。 寛弘4年(1007年)時の関白藤原道長は京都から大和路に入り、大安寺 軽寺 壷阪寺 などに泊まり 金峰山に着き埋...
外部資料 中世の大和で圧倒的な勢力を持ったのは興福寺であった。平安時代から次第にその勢力を増大し、大和一国の支配につながる。その基盤となったのは、この寺を氏寺とする藤原氏の政治権力と経済力があった。藤原氏の保護で寺領も拡大していた。 大化改新で大きな業績を残したことで、藤原...
♯藤原京 2 外部資料 持統 文武 元明と三代16年にわたって栄えた藤原京だったが、都が平城に移ってからは衰退の一途をたどることになった。は平城遷都の翌年には大官大寺とともに消失。甍を並べていた都の建物もやがて崩れ落ちて土中に埋まり、中世 近世 現在 へと、千三百年という長...
♯藤原京の年表 飛鳥村の天武持統両天皇陵 外部資料 わが国で初めて造営された本格的都城・藤原京。中国唐の長安を模して都造り。わずか16年で奈良平城京へ遷都した。その間には女帝持統天皇の崩御 そして孫の文武天皇の崩御があった。また海外との交流も盛んで、遣唐使や朝鮮半島の新...
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仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
一昨日からのまとめになるが、多武峰を中心とする地域 榛原 長谷の特別地、曽爾 御杖区域 都祁区域 北倭区域 月ヶ瀬方面 あるいは五条市を中心とする区域、さらに上北山西原や高見山」ろく地など、みな特殊の気候状態を示している。気候資源という言葉があるとしたら、我々はあまりにも温...
奈良 南の庄 寺垣内の3地の気温変化をみると、案外奥吉野の気温の高いことがわかる。都祁 宇陀方面の丘陵抗原地の気温は低く、ことに冬季は季節風のため風も予想外に強い。大和平野各地はだいたい奈良に似たようなものである。県内各地とも8月がもっとも暑く、最寒月は1月2月のうちいずれ...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...
大台ケ原山 雨で女学生立ち往生 外部資料 大大教会 外部資料 昭和21年(1946年)7月27日田原本高等女学校の生徒が約50名が大台ケ原山の頂上まで登った。台風は四国はるか南方洋上を西進し、本土に向かうようにはおもえない。しかし、大台ケ原では、すでに雨が降りだしていた。2...
大台ケ原の大雨 大台にて気象観測を長年行っていた方からの話 昔は大台ケ原は魔の山といわれ、古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に、登る人も少ない未踏の山で全くその様子が分からなかった。 大台には大きな池があって東風の時はその水があふれ、西風の時は宮川へ、北風になれば...
大和の水害 雨量の少ない北部にはなはだしさは起こっていた。 これは、大和川をはじめ各河川の河床が高く、破堤という災害現象が起こるからである。災害に関しては、流域雨量と水位の関係を知ること望ましい。河床の傾斜 河川の曲折などがあって 河川の巾も大きくなく 土壌の流入などにより...