若草山の南西山麓に興福寺衆徒が祀った野上社 奈都名集 また野神として記し 現在春日大社末社 祭神 草野媛命があり、毎年若草山山焼きの日この野上社を祭った後、山麓から点火されるが、江戸時代には この山を焼かないと「牛鬼」といふ妖怪が出るというので正月丑の日に山焼きをするとされ...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
外部資料 猿沢池の北東に興福寺へのぼる石段 五十二段と呼ばれている。五十二というのは仏門にはいる修行の階段といわれ善財童子が五十二人の知識人を尋ねまわったという故事にならってこの石段がつくられたのであろう。 この石段を登ると三条大路で興福寺の南門につながり古くは興福寺の参道...
外部資料 奈良町 もとは大乗院に仕えた福智院家の建物であり大正13年に今西家の所有になった。室町時代の様式をよく伝える書院造りの建物で、中世の住宅の名残をよく伝えており 国の重要文化財に指定されている。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ ...
十輪院 外部資料 十輪院もと元興寺の一院であったともいわれる鎌倉時代の南門と優美な本堂があり珍しい石造りの石龕がある。 外部資料 本尊地蔵菩薩 ■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
外部資料 昭和43年(1968)6月 奈良市大和田町追分2223での梅林造成工事中に多くの古瓦・凝灰岩片・小苔薩形の塑像頭部片などが検出された。 橿原考古学研究所関係者によって調査されたが遺構の大部分はすでに破壊されていて基壇などもわからなかった。 軒瓦や平瓦は興福寺のもの...
王竜寺のヤマモモの巨樹 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
海竜山王竜寺 以前にブログしたお寺です。 そこにある巨樹です。 客殿の庭にヤマモモの巨樹がある。 雌株で 高さ10㍍ 主幹は内部が空洞になっているが、目通り260㎝ある。 側幹は、3本あってその最大幹は目通り140㎝ 樹齢約250年とされている。 外部資料 ■ 住所 630...
外部資料 西の京丘陵の西部、富雄川と生駒盆地にはさまれた南北約16㌖に及ぶ細長い丘陵で、奈良市の西境をなす。 高さは南部が高く(南端松尾山316.4㍍)北部は低く250㍍前後 また、その巾も南部が広く約4㌖ 北部は1㌖余りとせくなっている。丘陵地は、一般に分水嶺の東斜面、南...
外部資料コ 佐紀丘陵の南側には、古墳時代前期後半から中期、後期にかけて大小多くの古墳がならんでいる。五神社(神功皇后陵)・佐紀石塚山(成務天皇陵)・佐紀高塚(称徳天皇陵)・佐紀陵山(日葉酢媛命陵)・市庭(平城天皇陵)・ヒシアゲ(盤之媛命陵)・コナベ・ウワナベなど、天皇、大王...
外部資料 奈良市西部を南北に走る矢田・西の京両丘陵の間にはさまれた細長い谷を富雄谷と呼び、この谷を流れるのが富雄川である。 地形は概して、川の東側は、西の京丘陵が迫っているので、急な斜面になっており、西側は、矢田丘陵の麓がなだらかに広がっているので、水田も開けている。 また...
外部資料 佐保川 平城山 那羅山 奈良山 平山 乃楽山など 奈良市北方の丘陵地帯、大和(奈良盆地)と山背(山城盆地)と分ける海抜100㍍前後のゆるやかな丘陵地、国道24号バイパスのあたりで、東部と西部に大きく二分されている。 東部を佐保丘陵、西部を佐紀丘陵と呼ぶ。 古くから...
奈良県の葛城の国(里) 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 奈良県と大阪府の県境にそびえている葛城山系は三輪山とともに、古くから「神の坐す山」として知られ、その東山麓一帯は、早くから文化のひらけた土地であった。 「日本書記」によると、この土地には、身が短く手足の長い蜘蛛がすんでいたのを、神武天皇の軍がカツラの網をかぶせて捕...
外部資料 「日本書紀」の崇神天皇の条に 大彦命と彦国葺の軍が武埴安彦の軍を迎え撃つためナラ山に陣をしいたとき、兵士たちが草木をふみならしたので、その山を 那羅(ナラ)山といった。 という伝説がのせられている。 奈良のつく地名は地名は大和をはじめ全国各地に分布しているし、平(...
佐紀盾列古墳群 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記 日葉酢媛命陵
日葉酢媛命陵 外部資料 平城天皇陵の西約800㍍にある。陵名は狭木之寺間陵で、日葉酢媛命は垂仁天皇の皇后。全長207㍍の前方後円墳。 日葉酢媛命が亡くなった時、古来の習慣によると殉死の悲惨さをさけるために、野見宿禰の発案で、埴輪を作って墳墓の周囲に埋めた。これが埴輪の起こり...
芸亭跡(うんていあと) 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 不退寺の南西、JR関西本線と国道24号線を隔てた一条高校の東側に「芸亭顕彰碑」が建っている。この地がわが国最初の公開図書館芸亭のあったことを記念して建てられたもの。 この地は、大納言石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)(729〜81)が天平宝字5年(761)ころ、私宅を...
宇和奈辺・小奈辺古墳 外部資料 宇和奈辺 古墳 法華寺の400㍍ほど北にある。東が宇和奈辺、西が小奈辺古墳で、いずれも周囲に塀を巡らせた典型的な前方後円墳、宇和奈辺は全長255㍍、高さ19.6㍍。小奈辺は全長204㍍高さは全方部17.5㍍、後円部20㍍。ともに生い茂る松にお...
佐紀縦列古墳群 瓢箪山古墳 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
瓢箪山古墳 外部資料 外部資料 平城宮跡の北約1㌖のところにある、前方後円墳で全長85㍍、前方部の幅47㍍ 後円部径38㍍ 高さ5〜8㍍で南面である。周辺から埴輪円筒や石製品なども出土しており、周辺の大型古墳と同じく、古墳時代前期から中期初頭ころの築造と推定されている。 緑...
外部資料 西大寺古墳群のなかでも一番目立つ古墳 孝謙天皇 称徳天皇陵 前方後円墳であるが 形はややくずれている。こうけんは聖武天皇の第二皇女で、母親は光明皇后 孝謙天皇は749年に即位し、758年に淳仁天皇に譲位したが、764年に再度天皇に即位称徳天皇となった。 ■ 住所 ...
狭城盾列池之陵 外部資料 近鉄平城駅の北側約500㍍に古墳群が存在している。全長275㍍におよぶ巨大な前方後円墳.陵名は狭城盾列池之陵。神功皇后は第4代仲哀天皇の皇后で、仲哀天皇の急死後、朝鮮に出兵して新羅を討ち、百済・高句麗を帰服させたと「日本書紀」にしるされているが伝説...
富雄川沿いの 霊山寺 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 天平8年(736)聖武天皇の勅願により婆羅門僧正(菩提遷那)と行基が開いたといえあれる真言宗の寺。 広い境内には鎌倉時代の本堂(国宝)三重塔(重要文化財)室町時代の鐘楼8重要文化財)など古建築と、昭和36年(1961)完成の白金殿などが建ち、古代現代両方面の芸術文...
富雄川沿い 海竜山王竜寺 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 遣唐使 遣随使 が旅に出る時安全祈願をする寺からこの名前になった といわれている。 寺伝によると、聖武天皇の勅願により創建されたと伝えられる古刹。古くは正月堂と称し、僧坊1,000余を数えたというが、中世には衰退し、慶長20年(1615)の大阪夏の陣で大阪勢に堂宇...
富雄川沿いの杵築神社 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
富雄川は 現在交野市のくろんど池から天の川 が流れ 富雄川もそこから流れていたと考えられる。 その天の川は淀川に通じ大阪湾に繋がる その淀川には 大陸から人 モノが入ってきて 天の川 くろんど池 富雄川 を通じて 大和の都に渡来人が来たと考えられる。 外部資料 明治43年...
明治22年、市町村制が実施された時に、富雄川沿いの二・三碓・中・大和田・石木の五箇村が合併して、富雄村が誕生した。 富雄の地名の起源は、神武天皇を救った金鵄から、鵄邑・登美・鳥見・迹見・富雄といった漢字があてられていたところからと考えられる。 富雄川は今は生駒町高山辺りから...
外部資料 山上通リを西へ 奈良―大阪間を最短距離で結ぶ街道として盛んに利用された。 「大阪へ8里、なら下三条口よりいづる。尼ヶ辻・平松村・小瀬・はぎはら村・ふじ村・にしはたとうげ・・・(中略)大阪玉つくりへ人、これを「くらがりとうげこえ」という。 暗峠は 奈良⁻大阪間8里の...
外部資料 奈良県と大阪府の県境にそびえている葛城山系は、三輪山とともに、古くから「神の坐す山」として知られ、その東山麓一帯は、早くから文化のひらけた土地であった。 「日本書記」によると、この地には、身が短く手足の長い土蜘蛛が住んでいたのを、神武天皇の軍がカツラの網をかぶせて...
外部資料 赤人墓の北東約1kmの山中にある。聖徳太子の創建と伝える古刹だか、寺歴は明らかではない。現在の本堂・庫裏などは、幕末の元治元年(1864)の再建。 鐘楼門にかかる梵鐘は、池の間の四面に十ニ神将を鋳出した珍しいもの。正応4年(1291)の銘があり、国指定の重要文化財...
外部資料 近鉄大阪線 榛原駅の北東約3.5km 国道165号線から1kmほど北西に入った、額井岳東麓の東海自然歩道沿いの雑木林のなかにある。 山部赤人は奈良時代初期の宮廷歌人。万葉巻3の「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は零ける。」の歌が有名である。このほ...
大和富士(額井岳) 外部資料 大和富士とよばれる 県内で唯一の「富士」という名称がつく山。旧火山 宇陀市の額井崋山郡の主峰を従えた端正なピラミッド形で樹木は少なく展望も美しい。 東海道自然歩道は、南麓を東西に通っており、秋の紅葉はことのほか絶景。眺めは大王方面からが最もよい...
先日から 清澄の里の 寺々をかいた。 この辺りの地形は春日断層の下に発達した台地や尾根の地になる。 菩提山と呼ばれる古くから仏教聖地とされ、現在も ゲンジ蛍が飛び交う山里である。 これからは紅葉の名所として 錦の里 とも言われている。 これらの地域には、弥生式文化(中期〜後...
お薦めの本 外部資料 紀伊山地 日本の歴史古代には欠かせない所。そして今も人々は吸い寄せられている。 そのお話が記載されている。 今月の 本のある喫茶店 うのん の予定 営業時間 9:00am 〜 4:30pm 営業時間変更日 勉強会の為 9:00am 〜 12:00p...
外部資料 円照寺から南で1.5KM 寺伝によると弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅願で 弘法大師空海を開山とし、小野たかむら が伽藍を造営し、大師が自刻の虚空蔵大菩薩を本尊として安置したのが起こりと伝えられている。もと寺号は「虚空蔵」と称し、現在の地名もこれによるという。室町時...
外部資料 奈良市南の端に 円照寺は位置する。 俗に「山村御殿」とよばれ、中宮寺 法華寺とならぶ大和三問跡の一つである。開山の大通文智大師は後水尾天皇の第一皇女の文智内親王、寛永18年(1641)大和の八島に移り、さらに寛文9年(1669)今の場所に移った。 境内に円通殿とよ...
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若草山の南西山麓に興福寺衆徒が祀った野上社 奈都名集 また野神として記し 現在春日大社末社 祭神 草野媛命があり、毎年若草山山焼きの日この野上社を祭った後、山麓から点火されるが、江戸時代には この山を焼かないと「牛鬼」といふ妖怪が出るというので正月丑の日に山焼きをするとされ...
聖武帝髪を埋納されているといわれている御髪塔 三月堂と手向山神社の間に建っている ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-8152
丹生神社 奈良市丹生町にある雨乞に霊験あらたかな丹生神社 三日地蔵と付属品を持って隣家にゆく。 厨子の中には地蔵二体 三日地蔵を床の前でおまつりしている。 丹生は昔から仏教(真言宗)の盛んなところで、勝王寺 福王寺 平等寺 が残っていたが、明治19年(1886)に、村を拳げ...
12月 薬師寺 最寄り駅 近鉄西の京駅に掲げられた 藥師寺の行事の紹介です 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ℡ 0742-43-8152
その昔井戸屋形の天井に蛇を描いた紙が貼ってあった。土地の人が云うことに井戸の水面に蛇が映っていた。この井戸に小石を投げ入れると池面に波が立ち池面映っている蛇がゆれて ゆれる蛇を診て蛇が躍るといってたのしんだ。 現在写経のときだけ 井戸の水が使われる。 ■ 住所 630-80...
外部資料 平城天皇が退位の後 余生を送った菅の御所であったところに,美男で有名な藤原業平が自作の観音像を安置し平安初期(847に寺にしたと伝えられている。そのため不退寺は寺というよりこじんまりとした貴族の別邸といった趣ふぁある。業平が幾久しく法輪を転じて退かずと発願して命名...
外部資料 奈良で最も美しいたたずまいの尼寺といわれる興福院 現在の場所に移されたのは寛文五年(1665)江戸時代初期。その前は伏見の里近鉄尼ヶ辻駅付近にあった。美しい石畳を踏んで山門をくぐると手入れの行き届いた境内の左手には茶人長闇堂ゆかりの茶室が生垣の刈込み沿いに進むと重...
外部資料 西大寺東門の外に石落神社の社殿がある。建長三年(1215)大和西大寺の領検注帳には右京一条三坊三坪のうち一反が「石落神敷地」となっているので これ以前の鎮座と考えられる。「続日本記」で宝亀元年二月二十二日の条に東塔心礎を破却した解き石の祟りを恐れて小片に割り道路に...
東の東大寺 西の西大寺 と言われた。 西大寺東塔跡宝亀三年四月二十九日西塔が震動 その後修理したが平安時代に入り西大寺の堂塔は次々に被災し 延長六年(928)七月十一日東塔に落雷焼失し再建はされなかった。 今に残る東塔基壇跡と塔石 西大寺薬師堂 西大寺芝町一丁目にある薬師堂...
外部資料 学問の神様菅原道真の産湯に使った 池。 菅原神社 から200㍍ほど北にある。 こじんまりとした池である。 この近くに 埴輪の釜跡もあり、土師師の存在がこのあたりにあったことが感じられる。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 07...
外部資料 菅原という地名が文献にあらわれるのは日本書記垂仁天皇九十九年にアンコウ天皇即位三年八月九日になくなられ「三年の後に菅原伏見陵に云々と…」更に推古天皇十五年冬に古事記にはこの天皇(垂仁天皇)中略」 御陵は菅原之御立野の中に在り…さらに続日本記には元明天皇和銅元年の頃...
外部資料 3月第二日曜日と11月23日町内の家庭から持ち寄ったぬいぐるみの猿を供えて無病息災 商売繁盛 夫婦円満を祈るという行事。当日参拝客には こんにゃくの味噌煮田楽がふるまわれる。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-...
外部資料 奈良時代吉城川の上流月日の磐と呼ばれているあたりに米を貯蔵する氷室を造り氷室神社をたてた。建保五年(1217)現在の土地に移された。仁徳天王闘鶏稲置大山主命 額田大中彦皇子をまつる。毎年五月一日に恒例の献氷祭がある。十月一日に秋祭が催される。毎年」世話係りを当番で...
外部資料 鑑真和上の創立といわれている。この辺りは貴族の住所となっていたと考えらえる。本尊不空羅索観音坐像は鎌倉時代作といわれている。であるため 寺の創建は鎌倉時代以前と推察される。この本尊は興福寺南円堂の本尊の試みの像ともいわれている。 駆け込み寺とも呼ばれ格式の高い寺で...
外部資料 光明皇后が聖武天皇のご病気平癒祈願のため天平19年(747)建立された寺といわれている。創建当時は七堂伽藍の完備された手。あったようであるが宝亀11年(780)の火災に合いその後 再建されずわづかに本堂(昔の食堂)だけを残すんのみとなった。従って現在本堂に安置の薬...
外部資料 外部資料 「延喜式神名帳」に赤穂神社とあり、二月堂の修二会に読まれる神名帳にも赤穂明神を記している。「大和志料」にはこの神社は春日大社の攝社紀伊社に合祀とある。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11 ■ ℡ 0742-43-8152
奈良公園から東の高い位置にある、尾上町にある施基親王の創建とも。また勒操創立の岩渕寺干坊の一院ともいわれている。この寺で毎年4月8日に一切経の転読がおこなわれている。町内の俗謡に「暑さ寒さも彼岸までまだあるわいな一切経」というのを残している。 現在鎌倉時代の本堂に阿弥陀三尊...
元興寺塔跡の表門 元興寺塔跡基壇 基礎石 元興寺 極楽坊 奈良時代に建てられた元興寺の僧坊1244年頃本堂と禅堂の二つに分けて再建された。 数少ない僧坊の遺構であち、中世庶民の信仰資料の宝庫である。 ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11 ■ ℡ 0742...
外部資料 奈良公園 春日大社の参道である三条通を上がっていくと 一の鳥居がある。 この鳥居をくぐり、参道を注意深く見ると、低く巾の広い 馬出橋が目にはいる。祭りの日競べ馬の止点である。本殿に近づくと馬止橋が3か所ある。奈良公園のなかに参道があるので注意深くみて頂きたい。 ■...
今月お薦めの本 年の最期のお祭り 春日若宮おん祭り の紹介です。 平安時代から五穀豊穣を願い一度もかけることのお祭り今年で889回目です。 今月のお知らせ 営業時間 9:00am 〜 4:30pm 営業時間変更日 勉強会の為 9:00am 〜 12:00pm 3日(火)...
今月のお薦めの本 12月15日から始まり 17日にお渡り式が行われる内容を詳しく書かれています。
今月のお薦め本 奈良全体の世界遺産を紹介されています。 近くの薬師寺も紹介されてます ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
今月のお薦め本 秋本番 正倉院展の季節です。 素晴らしい宝物をみることができます。
今月のお薦めの本 毎月 ご覧頂きたく 紹介させて頂いてます。 NHK 大河に因んででしょうか? 徳川家康と大和 がメインテーマです。 徳川家康とその家臣が大和で果たした功績が紹介されてます。 ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
まだまだ暑い日々 今月のお休み予定 4日(月)5日(火) 11日(月)12日(火) 17日(日)18日(月)19日(火) 25日(月)26日(火) ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
木津川の祈祷念仏 8月18日 外部資料 空也上人によってはじめられた。一遍上人によってひろめられた踊念仏は、多くの人々が集まって金鼓を打ちならし、念仏を唱えながら踊躍し、念仏三昧の境地に達するもので、室町時代に入り、念仏が民衆の間に徹底するともない、都鄭を問ず大流行し、念...
元興寺の地蔵会 8月23日24日 外部資料 外部資料 元興寺(極楽坊)はもと明日香の地に蘇我馬子が聖徳太子の協力を得て建てた我国最初の寺で、法興寺(一名飛鳥寺)と呼ばれていたが、和銅3年(710)都が平城にうつされるにつれ、この寺も現在の地に移建され、名を元興寺と改められた...
大柳生の太鼓踊り 外部資料 大柳生の里に祭られている夜支布山口神社は、スサノオの命を祭神とする水のかみさまだという。上出 塔坂 西の三垣内が宮座をつくり、永く敬虔に祭祀を営んでいる。この宮座は年長順に二十人が二十人衆とよばれ、一年交代で順番に当屋をつとめる。十一月一日に頭渡...
阪本踊り 外部資料 盆になると、大塔村の阪本、小代、簾、天辻、中原、天川村の塩野 塩谷地区では、風流踊りに夜をあかす。昔は旧盆の17日の前後から、盆の月中および八朔、旧8月15日夜の月見などに地蔵堂や薬師堂、あるいはお宮の庭などで踊られた。 踊りの中に「政吉」というのがあ...
十津川 大踊り 8月13日~15日 外部資料 奥吉野十津川では、中世以来の伝統をもつ風流踊りが今に伝えられ、あちらこちらの村で毎年行われている。その代表的なものが十津川村の武蔵・小原・西川で盆踊りとして踊られる「大踊り」である。 8月13日は小原の大踊りで、午後8時ごろから...
大文字送り火 8月15日 奈良市高円山 外部資料 奈良の大文字送り火は昭和35年(1960年)8月15日から当時の知事の発願によってはじめられ 36年からは行事の主催が新しく組織された奈良大文字保存会にうつされた。 奈良市の東方、春日山の南につづく高円山の山腹に太く大きく点...
東坊城のほうらんや祭り 8月15日 外部資料 東坊城の八幡神社と弓場の春日神社の氏子の垣内は八幡神社が七つ、春日神社が四つあるが、それぞれの垣内で自分の氏神の方へ大きなたいまつを作って、みんなで荷たってゆき、ここで火をつけて燃えさかるたいまつを、たくさんの氏子で かつぎ回る...
二月堂の 「おくよ」 外部資料 外部資料 二月堂 といえば お水取りを思いうかべますが 他にも行事はあります。 特に8月9日を「おくよ」と呼び、この日参拝すると、四万六千回参拝したと同様の功徳が得られるといわれているので、この日の参詣は多い。 「おくよ」の起源についてもつま...
東大寺 大仏 お身拭い 今年はコロナの影響で3年ぶりの お身拭い 8月7日7時から9時半頃に行われる。 外部資料 江戸時代では、十二月十三日を「ことをはあじめの日」と呼び新年を迎える諸準備をはじめる日と決められたようで、「続江戸砂子温故名跡志」に「十二月十三日、御煤払 屋敷...
高原の法悦祭 8月7日から16日 外部資料 川上村の土地柄は、さきに後南朝自天王をまつる「お朝拝式」で紹介したごとく、格式の高い古風な行事であるが、ことに高原区では品格の高い数々の行事がとり行われていることは注目すべきである。 この区独自の朝拝式と御南朝忠義王をまつる行事と...
今月のお勧めの本 毎月お勧めしているなららです 空海 弘法大師と奈良の寺々のつながりが紹介されてます。 本のある喫茶店 うのん 今月の予定 お休み予定 1日(火) 7日(月)8日(火) 13日(日)14日(月)15日(火) 21日(月)22日(火) 28日(月)29日(火)
御祓祭り 7月30日31日 外部資料 綱越神社は桜井市三輪町の温祓(おんばら)にあり、大神神社の摂社である。昔は初瀬川がこの付近を流れており、舟で来ても、また西の大泉の方から歩いて来ても、ここからまっすぐに大神神社へ参ったのである。社のほとりに、「駒つなぎの松」があってこれ...
畝火山口神社夏祭り お峰デンソソ 7月28日29日 外部資料料 畝傍山の山麓(昔は頂上)に鎮座する畝火山口神社の夏祭りは、毎年7月28日29日の両日行われ、俗に「お峰デンソソ」といわれて、近在からの参詣者も多く、参道には露店が立つ並ぶ。昔は近在42村の郷社であった。農家では...
灯籠流し 吉野郡上市町 7月下旬 外部資料 上市は下市とともに古くから吉野奥地との交通の足だまりで、物資の集散市場として多くの商店が栄えてきた。これらの商店が自家の取り扱う商品を組み合わせて、舟や車などで、様々の姿を作って組み立て、祭りの催しとしていた。大正6年、上市実業協...
帯解寺の子安地蔵会 7月23日 24日 外部資料 子安山帯解寺は千二百年前の神護景雲二年(768)の創建といわれている。文徳天皇の御妃染殿皇后が久しく御子なく、御憂慮の時に皇后の祖神である春日明神の夢の御告げによって、この寺の本尊子安安地蔵菩薩にご立願あらせられた。そして皇...