仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
81年間の奈良の天気 梅雨の開け 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 外部資料 日本列島に沿って長々と延びていた梅雨前線は、太平洋高気圧の勢力が強くなるにつれて日本海側押し上げられ、遠のいて梅雨明けとなる。基本的にはこの様に梅雨はあけるが、これは、10年6回ぐらい。一度日本海側に上がった前線が舞い戻ってきて、太平洋で消滅するのが、2...
81年間の奈良の天気 梅雨 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 梅雨という言葉を聞くと6月上旬から雨の続く時期を思いうかべられることと思います。 日本は四季の変化が顕著に表れることで有名である。4つの季節の他に、「梅雨期」「秋霖期」を加えたい。秋霖期は梅雨期ほどハッキリしない年もあるが、梅雨期は春から夏へ移行する通過儀礼。 立...
81年間の奈良の天気 甘雨を祈る神々 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
都祁村南之庄 国津神社の 雨請願満 のお礼に奉納された御手洗 雨乞いでまず挙げ荒れるのは、都祁村白石の雄神(おが)神社だろう。この社は中白石の東方・深江川を隔てて600㍍余りの所にある。神殿はなく雄雅山を神体山とした大神神社と同じ形態をとっていて、土地の人達から「三輪さんの...
81年間の奈良の天気 田植え始まる 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
古い写真です 田植えの終わった都祁村の水田 ゴールデンウイークあたりの奈良市都祁村と奈良市平野部との気温差は3度程低い。高度差は約350㍍都祁村が高い。 都祁村は平野部に比べ、東山中であって冷涼いな地域である。しかし、ゴールデンウイークをまちかねたように田植えが始まる。そ...
81年間の奈良の天気 鯉のぼりを揚げ得る日 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 鯉のぼり 早いですが 5月5日は子供の日 晴上がった空に泳ぐ鯉のぼりを見上げると 喜びが満ち溢れてくる。 それを、揚げるのは、天気を気にしながらである。 その天気を昭和54年(1979年)から10年間昭和63年(1988年)までの4月16日から5月31日までの奈良...
81年間の奈良の天気 五月晴れ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
5月晴れ 急に5月の天候と思われる方がいらっしゃると思う。 5月は抜けるような青空の続くこともあれば、肌寒い雨の日が続くこともる。梅雨のはしりの顕著な年は月末に近づくと、うっとうしい日の続くことになる。 81年間調べてみると、 晴 快晴の日の数は9日 少しでも雨の降るひは4...
81年間の奈良の天気 ツバメが低く飛ぶと 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
南の国から、はるばる飛んで来たツバメは、地面や田んぼの水面すれすれに飛び交うのを見かける時がある。低気圧が近づいてくると、気温や湿度が高くなり、昆虫の発生も増してくる。発生したばかりの虫たちは、低い所を低迷しているため、ツバメはここぞとばかり、これをとびながら捕らえ、ひなの...
81年間の奈良の天気 花粉症 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
杉花粉に絞って 外部資料 花粉症は季節性アレルギー性鼻炎 と呼ばれている。二ホンスギのかふんが体に入ることで抗体ができ、その抗体が新たに入ってくる花粉などの抗原にたいして反応を起こす 抗原抗体反応の一つといわれている。 花粉症は戦前はあまり見られなかったが、戦後の食事はタン...
81年間の奈良の天気 黄砂 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 モンゴル地方も含め黄土地帯は降水量が少ないため土地が乾燥し 砂やチリが舞い上がりやすい。加えて季節が進むにつれて、太陽の日射が次第に強くなり、地面の温度が上昇すると、大気の対流が起こりやすくなる。この様な時 砂やチリは大量に吹き上げられ大量の砂塵が空中高く舞い上が...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
雨にこだわって 傘を必要とした日数 昭和37年(1962年)から平成3年(1991年)4月で、出勤時刻を朝7時から9時 帰宅時間を夕5時から7時までのそれぞれ2時間と仮定し傘を必要とする0.5㍉以上雨の降った回数を調べると、どちらも114回 朝 雨が降ってなかったが、夕刻に...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
4月の雨 時刻と雨 外部資料 雨のよく降るのは、1日の内で何時ごろが多いか?傘を必要とする回数は?と調べた 天気予報に降水確率を導入する前、街角で雨具の使用状況を観察した結果はレンコートの襟を立てるだけで我慢して出掛けたが、用心深い人は、時間雨量が0.5㍉以上になると傘を差...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
4月の天気 外部資料 佐保川沿いの桜 本格的に春を感じ 学校では新学期が始まり 花に誘われて外出の機会も多くなる。4月は快晴の日が多い。 昭和26年1951年)から昭和53(1978年)までの4月の降水量で最も多いのが下北村 前鬼で353㍉ 最も少なかったのが橿原市八木で1...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
春をよぶお水取り ② 「本当の春は二月堂さんのお水取りがすんでから」お水取りは温かい春へと向かう引き金役となっているのでしょうか?昭和29年(1954年)から63年(1988年)までの35年間 お松明期間とお松明後の気温の変化を調べると、気温の上昇が平年並みに上がった回数は...
春をよぶお水取り① 外部資料 3月に入ると、日中の気温は10度を超えて来る。冬至が過ぎて約40日 立春から約30日 3月初めには差す日の光が強くなる感じさえする。しかし まだまだ寒い日もある。 東大寺二月堂で行われる「お水取り」良弁僧上の弟子実忠が笠置山におこもりした夜、夢...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
桜の開花予想 1月 2月は鍋底型の気温変化で寒さが厳しい。そこから徐々に気温が上がって きて3月となる。そこか桜の開花予想が3月3日の桃の節句の日に各地方気象台では、奈良県では 吉野の染井吉野の1回目の開花予想を発表します。 標本木から無作為に桜のつぼみを50個ずつ採種し、...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
春めいて花と鳥と虫 最も寒い日々から少し春の便りを耳にする日になったと感じています。 3月は日増しに華やかさが増してくる。気象台では、鳥の初鳴きや初見、虫の活動開始を観察して記録を続け気象調査に役立てます。 生物季節観測 という。 中国長安に都があったころ、季節の目安として...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大和の雪景色 外部資料 西高東低の冬型気圧配置になると北陸、山陰地方ではいとも簡単に雪が積もる。県内は山陰地方で降り残した雪がちらちらと時には冷たい風に乗って横なぐりに粉雪の舞うこともあるが、全域的に積もることは少ない。県内が季節風タイプになって雪が積もるのは、次の5つの条...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 霜折れ 冬の日が暮れて南の空にオリオン星が輝く翌朝は、霜が降りて細かな結晶が目に映る。東の空に太陽が昇るにつれ、日の差す所から、区切られたように霜が解けていく。このような日は、日中暖かく天気も良い。それにひきかえ、前夜から降りていた霜も明け方には、雲が広がり、太陽...
81年間の奈良の天気 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
最低気温の現れるころ 一般に最低気温を観測するのは、日の出時刻の少し前ごろ、太陽が顔を出すと、下がりきっていた気温はわずかづつだが、上向きになる。冬の間にこのようなサイクルが狂うと天気もくるってくる。 上の図一年を通じて最も低い気温を記録した日を調べた。一月半ば過ぎから下旬...
2月にはいると、日の出時刻はやや早くなり(月始め6時45分末には6時28分)日の入りも遅くなって(月始め17時25分末には17時57分)冬至のころと比べて 昼間の時間は随分と長くなっている。天気は周期変化することが多い。 日中の気温は15℃を越すこともあり、春への胎動が感じ...
県内の大雪は昭和26年(1956年2月14日)次は38年(1963年)である。 江戸時代後期からの記録をみると、寛保2年(1842年)12月5日近畿地方は大雪 天保9年(1838年)3月3日現天理市大雪が降った記録がある。 明治10年には 大和の国は稀になる大雪にて3月3...
奈良県下が氷漬けとなった日 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
昭和56年(1981)の冬は寒い日の多い寒冬年だった。なかでも2月26日は県下全域、終日氷点下の一日だった。このため奈良市内でも戸外に放置の観葉植物の多くは枯死状態になるなど、思わぬ被害も出た。奈良市内の再興気温はマイナス0.2℃ 県内の最高気温は上図である。 当日は東京で...
外部資料 都祁村の氷室(再現) 生駒氷は明治23年から大正の始めごろまで、北生駒村谷田で冬の厳寒期に天然氷を作って販売した記録がある。 山陰や林陰になった水田に1㍍ぐらいの土手を築き、内側に板を張って板囲いの池をつくり、底に綺麗な川砂を薄く敷く。水質はただ見るだけの簡単なも...
奈良は底冷えのきつい所である。昭和30年代(1955年)始め頃から奈良市周辺では人口が増えててきた。新しい奈良周辺の住民達から「京の底冷えは聞いていたが、奈良がこんなに冷えるとは知らなかった。」と漏らす声をよく耳にした。 そこで視野を広げ、2月の奈良近隣(近畿地方)月平均気...
外部資料 忍坂の字宮山にある村社忍坐生根神社は延喜式内社であり、祭神は少彦名命、額田部氏の祀るところである。三輪の大神神社と同じく本殿がなく忍坂山としている。従って拝殿 鳥居 玉垣のみを設けている社だ。境内には陰陽石が一基あり、宮座も古風を伝えている。 この社の南約100m...
外部資料 延喜式内山口神社は、全部で14社で内13社まで県下にある。なかでも式祝詞(しきのりと)に示す飛鳥・石寸・忍酒・長谷・畝火・耳無の六山口社が最も大切にまつられてきた。 ここ赤尾大字の子字宮の下にある山口坐神社は、この六社のひとつである。 室町時代足利義満が京都北山の...
お薦めの本 毎月お勧めしている ならら です。 毎年2月は、二月堂の修二会 お水取り の紹介です。 修二会創始の実忠和尚の話が記載されています。 営業時間 9:00am 〜 4:30pm 2月の日営業日 8日(土)9日(日) 13日(水)15日(土)16日(日) ...
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仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
一昨日からのまとめになるが、多武峰を中心とする地域 榛原 長谷の特別地、曽爾 御杖区域 都祁区域 北倭区域 月ヶ瀬方面 あるいは五条市を中心とする区域、さらに上北山西原や高見山」ろく地など、みな特殊の気候状態を示している。気候資源という言葉があるとしたら、我々はあまりにも温...
奈良 南の庄 寺垣内の3地の気温変化をみると、案外奥吉野の気温の高いことがわかる。都祁 宇陀方面の丘陵抗原地の気温は低く、ことに冬季は季節風のため風も予想外に強い。大和平野各地はだいたい奈良に似たようなものである。県内各地とも8月がもっとも暑く、最寒月は1月2月のうちいずれ...
気温の年変化型は理想的な内陸性変化を示しているが数字から得られる気温統計だけでは、県内の気温分布の実相を知ることはできない。大和平野および北東丘陵地は、西部生駒金剛山越気流の影響を受けて、気温年変化を起こすが、吉野山間部とくに東吉野区域はこれら一般気流の影響を受けるというよ...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...
大台ケ原山 雨で女学生立ち往生 外部資料 大大教会 外部資料 昭和21年(1946年)7月27日田原本高等女学校の生徒が約50名が大台ケ原山の頂上まで登った。台風は四国はるか南方洋上を西進し、本土に向かうようにはおもえない。しかし、大台ケ原では、すでに雨が降りだしていた。2...
大台ケ原の大雨 大台にて気象観測を長年行っていた方からの話 昔は大台ケ原は魔の山といわれ、古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に、登る人も少ない未踏の山で全くその様子が分からなかった。 大台には大きな池があって東風の時はその水があふれ、西風の時は宮川へ、北風になれば...
大和の水害 雨量の少ない北部にはなはだしさは起こっていた。 これは、大和川をはじめ各河川の河床が高く、破堤という災害現象が起こるからである。災害に関しては、流域雨量と水位の関係を知ること望ましい。河床の傾斜 河川の曲折などがあって 河川の巾も大きくなく 土壌の流入などにより...