皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
あるときスマホのGoogleレンズを使って花の名前を調べた。シャッターを押せば一瞬で画像検索が終了する。「これはマツバギク」。便利になったものだと思う。子供の頃はいちいち野草図鑑(しかも写真じゃなくてカラー絵のやつ)で調べていたのになあ、と
足が痛くて立てなくなった母。昨日はベッドでオムツ交換しかできなかった。ところが今日は、痛みはあるもののなんとか立てている。トイレも使えている。痛みのきっかけも良くなった原因もぜんぜんわからないが、まあ助かった。明日はもっと良くなっていますよ
母をトイレに連れていったら「立てない」と言いだした。「右足が痛くて立てない!」ケガをしたわけじゃない。骨とか関節を傷めたのではない。脳卒中後疼痛。脳出血の後遺症で、日によって体のあちこちが痛む。麻痺のある左手足が痛むことが多いけれど、今日の
猫とのんびりした昨日とは真逆の一日だった。怒涛の一日だった。戦場だった。実務者研修が過酷すぎた・・・。介護福祉士への道のりがこんなに険しいとは思わなかった!しんどいけど新しいことに挑戦するのは楽しいし、初めて出会う人たちと一緒に頑張るのはも
今夜は母がショートにお泊まりです。用事も終わったので、後はゆっくり。プロジェクターで映画をみながら、猫とのんびり横になる。今夜はキアヌ・リーブス!なんて幸せ!お母さんごめんな!
母はショートステイが苦手だ。デイと違ってつまんないそうだ。退屈だから本を読んでいると「次々に人がきて『なに読んでるの?』とか聞いてきて集中できない」それに夜は「隣の部屋の人がうるさくて眠れない」と、ぼやいてばかりいる。それでも、ときどきは行
私は粗忽者である。とにかく、そそっかしい。しょっちゅうモノを失くす。不思議なことに大事なモノほどよく失くすのだ。どれくらい酷いいかっていうと財布を失くして大騒ぎすなんて日常茶飯事で、オヤジのために買ったはずのtile(紛失防止タグ)を今では
新型コロナウィルスのワクチン接種。皆様は、ご家族は、もう済まされましたでしょうか。予約はとれましたでしょうか。うちの自治体では5月のはじめに予約が始まって、始まったとたんに終了した。用意された10回線に6万件以上のアクセスが殺到してパンクし
ようやく晴れた!1週間ぶりの晴れ!梅雨の晴れ間は大忙しだ。朝から何回も洗濯機をまわして、シーツも布団も干せるだけ干して。できる限りをやっておこう。洗濯だけじゃない。両親を散歩につれていこう。コロナのせいか近頃はすっかり出不精になって、散歩に
在宅介護を助けてくれるグッズはいろいろある。オムツ臭をシャットダウンするBOSのビニール袋とか。消臭ストロングシリーズとか。あと百均のベビー用品各種とか。だが、こんなにも切実に「あってよかった」「買ってよかった」と思ったモノは他にない。これ
母がデイサービスから帰る時間には、必ず家にいて、母を受け取らなければいけない。これは簡単なようでいて難しいことだ。仕事が時間どおりに終わらないこともあるし、家の手前で渋滞にあうこともある。毎日わりとギリギリだ。以前ならオヤジが受け取ってくれ
介護福祉士の資格をとるためのスクーリングに行ってきた。週1の研修で、今日が第1回。なんていうか・・・新鮮だ。どっちを向いても若くて元気な人ばっかりだー!いや、受講生の年齢はいろいろだったんだけど、普段が普段なものだからね。なにしろ楽だった。
皆さんはどうしますか。もし、「このクスリやったら世界が変わるよ」と言われたら?どう聞いてもヤクの売人の言葉だが、これは皮膚科の医師にいわれた言葉なのだ。私はそこそこのアトピー持ち。といっても自殺したくなるほどの重度じゃないし、本人はほとんど
明後日から、介護の資格をとるための学校(研修)に週1で通うことになった。本当は去年の春に通うはずだったのに、コロナとオヤジの体調のせいで二転三転、七転八倒、こんなに遅くなってしまったのだ。介護しながら仕事するだけでもややこしいのに、加えて学
私は人の話を聞くことが大好きだが、ときどき分からない。その方が何の・・・誰の話をしてるのか、わからない。主語を省いてしゃべるからだ。「最近太っちゃって」というから自分自身が太ったのかと思ってたら「ダイエットさせようと頑張ってるんだけど、なか
介護がつらいという理由のひとつに「変わり果てた姿を見るのがつらい」というものがある。頼もしかった夫が何もできなくなり、優しかった親が暴言と暴力に走る。病気のせいだとわかってはいるけれど、「昔はあんなに器用だったのに」「あんなに優しかったのに
コロナ以前の話だが、友達とぷらぷら散歩しながら、よくこんな会話をしたものだ。「あの家は大変そう!」「隣はそのままで大丈夫やのにな」「こっちの家は、玄関は厳しいけど掃き出し窓なら出入りできるかも」「うわあ、あの家、絶対にスロープつけられないよ
天気予報がこう言った。「今日のお天気は、晴れ。この先、雨の日がずーっと続いて梅雨に入りますから、今日の太陽を有効につかってください。洗濯日和です!」そうか今日は洗濯日和か。来週ずっと雨が降るんなら、これはちょっと頑張らねばならぬ。そう思って
デイサービスの送迎時のできごと。私は運転手として利用者さんをお宅までお連れしていた。「さあ、Aさん家に到着で~す」と車を降りたとき、足元を見たらシロツメクサが群れていた。いや、あれはクローバーと呼ぶべきか。四つ葉のクローバー。「わあ、四つ葉
我が家は築34年の一戸建て。母の部屋だけバリアフリーに改造したけど、オヤジのエリアは古いまんまだ。トイレもお風呂も段差がえぐい。浴槽も低すぎてバスボードが使えない。足の覚束ないオヤジがえっちらおっちら使うのは無理がでてきた。「よし、リフォー
誰でもそうだが、母も立ち上がるときに「よっこいしょ」と掛け声が必要だ。トイレで立位をするときはとくに力をこめるので「どっこらしょー!」とか「どっこらよっこいしょー!」とか「いち、にの、さーん!」とか、盛大に声をあげる。掛け声はそのときによっ
利用者さんでも両親でも、「言った」「言わない」で揉めるのは不毛なことだ。「さっき言ったでしょ!」と怒っても。「そんなこと言ってないです!」と腹が立っても。不毛なことだ。だって覚えてないんだから。改ざんされた記憶は戻らないんだから。それは仕方
今日は母の日。妹たちが花やお菓子を送ってくる。けれど私はとくに何もあげない。せいぜい母の好物をこしらえるくらいである。だって忙しくて、それろころじゃない!今年も仕事が待っている。さくらんぼジャムを作るという大仕事が。先日も記事にしたが、庭の
猫は規則正しい生活が好きだ。多くの猫は、毎朝きまった時間に起こしに来る。「ごはんの時間だよー!」と。にゃんこの目覚まし機能は便利だし、可愛い。だが我が家の目覚ましにゃんこ・シシィさんのスケジュール管理はより高性能である。細かなルーティーンま
息子さんに「最近、物忘れがひどくなったね。いよいよボケてきたね!」とか言われた利用者さんがこんなふうに返した。「俺はもう90才だ。90年も生きてるから、脳みそはもう満杯なんや。たくさんの知識と思い出がぎゅうぎゅう詰めに詰まっとる。今さら、些
我が家にはサクランボの木がある。それまでほとんど実をつけなかったのに、ちょうど母が倒れた年からよく生るようになった。今年も鈴なりだ!完熟まであともうちょっとというところ。だがぼんやりしているとヒヨドリに食べつくされてしまう。私はオヤジにミッ
今日も一日雨だった。レインシューズは歩きにくいけど、ひとけがないので散歩がはかどる。せっかくだから今日は雨粒を愛でよう。利用者さんの悲しい気持ちに触れてしまって、私も悲しくなってしまった。たぶん誰も悪くない。みんながその人のためにと考えてい
介護をしながらよく思い出す言葉がある。『鬼滅の刃』の台詞だ。老いや死をあざわらう敵に対し、煉獄杏寿郎が放つ一言。「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」なかなか言える台詞じゃない。ヒーローだから言えるんだろうか。漫画の作者
ワクチン接種の予約が始まった。私の地元ではまず75才以上の高齢者から。そして今日からは65才以上の人たちも予約できる。うちの両親は2人とも70代前半なので、今日からだ。予約は電話とネットで朝9時から。どうせ電話はつながらないだろう、とスマホ
雨あがりで肌寒い日曜日。相変わらずの緊急事態でどこにも行けない。外食もできない。買い物も最低限。もうずっとそんな日が続いている。けれどうちの母はぐちを言わない。けして言わない。ぐちや弱音をはくと余計につらくなると信じているからだ。むしろ逆に
母が通うデイも入っている施設でコロナ陽性がでた。「事務所の人なのでデイとは直接関係なし」という保健所の判断でデイも営業を続けているそうだが、事務所とデイは同じフロアである。職員さんの検査結果もまだ判明していない。「どうされますか、来所されま
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------