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2017/02/28

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  • 満願滝弁財天(和泉市) 施福寺と一緒にお参りしたい落差50メートルの満願滝!

    西国三十三所霊場の第4番札所である槇尾山施福寺(せふくじ)の登山入り口の近くにある満願滝弁財天。施福寺へお参りした後、参拝に訪れました。手水舎満願滝弁財天の境内案内図意外と広いようで、ちょっとワクワクしてきました(笑))本堂すごい迫力の「満願の滝」に感動です!落差は50mもあるそうで、かなり高いです!水量もあり、想像以上に迫力のある滝を見ることができました。滝の中腹には愛染不動明王、左側には弘法大師、右側には役行者が祀られています。「弘法大師や役行者もこの滝を見てたのかな」っと思うと、感慨深いも

  • 施福寺(和泉市) 心癒される仏像が迎えてくれる西国三十三所霊場の難所!【御朱印】

    施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市槙尾山町にある天台宗の寺院です。山号は槇尾山。西国三十三所第4番札所で、槇尾山とともに大阪みどりの百選に選定されています。施福寺は槇尾山(標高600m)の山腹に位置しています。麓には駐車場はありますが、本堂(標高475m辺り)へお参りするには、標高280m辺りの駐車場から約1キロメートル(所用時間は約30分から40分の登山)もの山道歩かねばなりません。西国三十三所札所のなかでも難所として有名なお寺です。難所・・っと聞くと、どうしても足が向かないものでして・・。ず

  • 大原神社(明日香村) 藤原鎌足の生誕地に残る産湯の井戸

    大原神社(おおはらじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村に鎮座しています。藤原鎌足の生誕地とされていて、境内には鎌足の産湯の井戸があります。大原神社は、藤原鎌足を祀る談山神社への参道の一部としても知られています。境内入り口には、万葉集に収められた天武天皇と鎌足の娘・藤原夫人の歌を刻んだ石碑がありました。それでは、大原神社へ参りましょう。大原神社へと続く道には、たくさんのコスモスが咲いていました。遠くには二上山と畝傍山が重なる風景コスモス畑の向こうには大原神社が見えます。境内由緒藤原鎌足は、「大織冠伝

  • 甘樫坐神社(明日香村) 古代の裁判「盟神探湯」が行われた甘樫丘

    甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村の甘樫丘の麓に鎮座しています。式内大社。推古天皇を主祭神とし、相殿に八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現を祀っています。室町時代の文書「和州五郡神社神名帳大略注解」(通称『五郡神社記』)には、八十禍津日神・大禍津日神・神直日神・大直日神とあり、これが元々の祭神であったようです。境内入り口には鳥居がなく、一見、神社だと気づかず、通り過ぎてしまうかも知れません。それでは、甘樫坐神社へと参りましょう。境内甘樫坐神社は

  • 向原寺(明日香村) 推古天皇が即位された豊浦宮・豊浦寺の遺構が残る寺【御朱印】

    向原寺(こうげんじ)は、奈良県高市郡明日香村にある浄土真宗本願寺派のお寺です。境内地は、百済から日本へ献上された仏像を蘇我稲目が祀った「向原の家(むくはらのいへ)」の故地とされ、日本で最初に仏像が祀られた場所と言われています。向原寺がある一帯は、推古天皇が即位された豊浦宮があり、推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移った後は、豊浦寺が建立されました。向原寺は、豊浦宮・豊浦寺の跡地に建てられています。境内には豊浦寺の遺構が残っており、見学させて頂くことができます。それでは、飛鳥時代の香りが漂う向原寺へと

  • 久度神社(王子町) 奈良から平安京に遷座されたかまどの神様

    久度神社(くどじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町に鎮座しています。続日本紀に延暦二年(七八三年)、官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(九二七年)にも記されている式内社です。御祭神は、久度大神・八幡大神・住吉大神・春日大神。久度神の「久度」は「窖(くど)」の意味で、御厨神の総称であり「竈(かまど)の神」なのだそうです。秋祭りの準備が整った境内は、金木犀の香りで満ちていました。それでは、久度神社へと参りましょう。境内秋祭りの準備が整った参道は、提灯でいっぱいでした。提灯の下をテクテク♪御由緒当社は

  • 吉田寺(斑鳩) 「ぽっくり寺」と奈良県最大の丈六阿弥陀如来さま【御朱印】

    吉田寺(きちでんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町小吉田にある浄土宗のお寺です。山号は清水山。ご本尊は丈六阿弥陀如来(重要文化財)。御本尊である丈六阿弥陀如来の前で御祈祷を受けることによって、長患いをせず、安らかに往生することができると伝えられています。それゆえ、「ぽっくり寺」「ぽっくり往生の寺」として、たくさんの方が訪れています。法隆寺や龍田神社の近くにあり、ずっと気になっていた吉田寺へやっと伺うことができました。それでは、吉田寺へと参りましょう。境内吉田寺への参道がとても良い雰囲気です。吉田寺の創建

  • 玉置神社(奈良県十津川村) 呼ばれた人しか行けない神社で神秘を体感!【御朱印】

    玉置神社(たまきじんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村に鎮座しています。主祭神は国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大御神、神日本磐余彦命。社伝によりますと神社の草創は、神武天皇御東征の折、八咫烏の案内にて熊野より大和の地を目指す途上、この地にて十種神宝を奉じ、身の安全を御祈願されたことに始まるとされ、古誌には第十代崇神天皇の御宇に天下安泰と悪魔退散を祈願して社殿が創建されたと記されています。「呼ばれた人しか辿り着けない」と言われている玉置神社は、今や大人気のパワースポットとなっています。訪れたのは

  • 都祁水分神社(奈良市都祁友田町) 白龍が舞い降りた飛鳥時代からの古社【御朱印】

    都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁友田町に鎮座しています。大和国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)の一つで、古来から水の神として崇拝されてきました。御祭神は、速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)。創建年代は不詳ですが、社伝によると飛鳥時代の創建とされています。当初は都祁山口神社(小山戸)の地に鎮座していたとされ、現在の鎮座地は聖武天皇が行幸の際に使用された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には都介頓宮となり、伊

  • 雄神神社(奈良市都祁白石町) 大神神社の奥の院と称される白蛇が住まう禁足地

    雄神神社(おがじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。御祭神は出雲健男命(いずもたけおのみこと)。雄神神社は本殿がなく、こんもりとした2つの山の雄雅山(右)と雌雅山(左)からなる野野上岳(ののがみだけ)を御神体としています。野野上岳の山頂には白蛇が住んでいると伝えら、現在も禁足地となっています。また、奈良県桜井市に鎮座する大神神社の奥の院とも言われています。それでは、雄神神社へと参りましょう。境内一の鳥居訪れたのは六月。ツツジが綺麗に咲いていました♪扁額一の鳥居から國津神社方面を望

  • 國津神社(奈良市都祁白石町) 古代の信仰を宿す白い石の神社

    國津神社(くにつじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。御祭神は大国主命。かつて、大和国北東部の古代国・闘鶏(つげ、現・奈良県奈良市旧都祁村)は、闘鶏氏が統治していて、闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)が置かれていました。闘鶏氏は神武天皇の皇子である神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔だといわれています。古代ツゲ国の中心地、つげ平野の東方・水湧庄の中央丘陵・字神子尻に大きな白い石があり、古代の信仰を集めていたと伝わります。国つ神として崇敬せられ、社殿を建立、国津大明神と称せられま

  • 龍雲寺(富田林市) お釈迦さまの生涯を実感できる河内西国霊場【御朱印】

    龍雲寺(りゅううんじ)は、大阪府富田林市加太にある黄檗宗のお寺です。山号は智福山。龍雲寺は、かつて河内長野市石見川にある真言宗の古寺でしたが、享保九年(一七二四)狭山藩主北條氏朝の援助のもと、独園和尚が開山となり、黄檗宗に改宗、北條家と狭山藩士ならびに加太新田農民の菩提寺としてこの地に移されました。山門から本堂に続く参道には、お釈迦さまの生涯を実感できるよう、ちょっとしたテーマパーク?的な感じになっている楽しいお寺さんでした。それでは、お釈迦さまの生涯を楽しく学べる龍雲寺へと参りましょう。境内山

  • 陶荒田神社(堺市) 大田田根子の祖先神を祀る古社【御朱印】

    陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に鎮座しています。和泉国大鳥郡の式内社。御祭神は高魂命(たかみむすびのみこと)、劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)。第十代崇神天皇の7年に、素盞鳴命(すさのおのみこと)十世の孫、太田田根子命(おおたたねこのみこと)がこの陶邑(すえむら)に社を建てたと伝えられています。(陶荒田神社の表記に従い「太田田根子」と記載します。)太田田根子命の子孫の荒田直が祖先神をお祀りし、その後、

  • 蟻通神社(泉佐野市) 枕草子に登場する紀貫之ゆかりの神社

    蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座しています。かつては蟻通明神と呼ばれていました。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。社伝によれば第9代の開化天皇の御宇勧請により、弥生時代中期の紀元93年に、五穀豊穣・国土開発を祈る目的で祀られたのが始まりと伝えられています。1942年(昭和17年)に佐野陸軍飛行場を建設するため現在地への移転が始められ、1944年(昭和19年)8月に遷座されました。その際規模は縮小されましたが、社殿・舞殿・門・灯籠などの建造物はほぼ元通りに配置され

  • 新家北向薬師如来堂(泉南市) 平安時代の薬師如来坐像を祀るお堂

    新家北向薬師如来堂(しんけきたむきやくしにょらいどう)は、大阪府泉南市新家にあるお堂で、種河神社と隣接しています。薬師堂の中には平安時代中期から後期の作とされている薬師如来が祀られています。種河神社へお参りした後に訪れました。それでは、新家北向薬師如来堂へと参りましょう。境内種河神社を訪れた際、丁度、「新家北向薬師如来堂」の看板がある辺りの参拝者駐車場を利用しました。その時にこの看板を見つけ、「種河神社にお詣りしてから行こう!」っと思っていましたら、種河神社と繋がっていました(笑))種河神社から

  • 種河神社(泉南市) 無病息災を祈願!夏の茅の輪くぐりと祇園祭り

    種河神社(たねかわじんじゃ)は、大阪府泉南市新家に鎮座しています。御祭神は素盞嗚大神(すさのおおおかみ)、龍王(おかみのかみ)、丹生大神(にうおおかみ)。神社入り口にありました縁起によりますと、年代の記載はありませんでしたが、かつて住民の崇敬が篤い祇園天王(素盞嗚大神)を祀る殿舎があったようです。その殿舎が天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為焼失してしまい、山下・樫木の森(宮村)に假社殿を建立。祇園天王・樫木権現(龍王)・千森の明神(丹生大神)を合祀し、元和九年(1624年)に

  • 岡中鎮守社(泉南市) 一度は見てみたい!天然記念物に指定された樹齢800年以上の大クス

    岡中鎮守社(おかなかちんじゅしゃ)は、大阪府泉南市信達岡中に鎮座しています。御祭神は天照大御神。昔この地は、土壁に囲まれ、樟・槇・松・銀杏・榎・椋の木などの大木に覆われ、日中でも薄暗く「天照太神の宮」と呼ばれた社がありました。明治の終わり頃には信達神社に合祀され、その後、鎮守社の大木の殆どが伐採されましたが、幸い樟と槇の木が保存され、現在も残っています。樟は樹齢800年以上と伝わり、神社境内を覆ってしまう程の大きさにビックリ!!それでは、岡中鎮守社へと参りましょう。境内鳥居岡中鎮守社の由緒ここに

  • 意賀美神社(泉佐野市) 五穀豊穣を願う高龗神を祀る古社【御朱印】

    意賀美神社(おがみじんじゃ)は、大阪府泉佐野市上之郷に鎮座しています。延喜式の古社ですが、創建の時期については詳らかでありません。社伝によりますと、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとあり、社地はかつて上之郷村字布都の山中にありましたが、天正年間に焼失したようです。主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で、竜神、即ち水を支配する神様です。それでは、樫井川にかかる朱色の橋を渡って、意賀美神社へと参りましょう。境内駐車場に車をとめて、こちらの鳥居より参拝させて頂きました。さらに鳥居をくぐって「ニ

  • 意賀美神社(泉佐野市) 五穀豊穣を願う高龗神を祀る古社【御朱印】

    意賀美神社(おがみじんじゃ)は、大阪府泉佐野市上之郷に鎮座しています。延喜式の古社ですが、創建の時期については詳らかでありません。社伝によりますと、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとあり、社地はかつて上之郷村字布都の山中にありましたが、天正年間に焼失したようです。主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で、竜神、即ち水を支配する神様です。それでは、樫井川にかかる朱色の橋を渡って、意賀美神社へと参りましょう。境内駐車場に車をとめて、こちらの鳥居より参拝させて頂きました。さらに鳥居をくぐって「ニ

  • 日根神社(泉佐野市) まくら祭りで安眠祈願!枕神社の安眠お守り【御朱印】

    日根神社(ひねじんじゃ)は、大阪府泉佐野市日根野に鎮座しています。式内社で、和泉五社(大鳥大社・泉穴師神社・聖神社・積川神社・日根神社・泉井上神社(総社))のうちの五の宮。御祭神は鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊(たまよりひめのみこと)。社伝によりますと、神武東征の際、神武天皇が天照大神と素盞嗚尊を祀り、戦勝祈願されたこの地は、太陽の出る根の意から日根と言い、日の神と根の神をお祀りした野原から日根の野、「日根野」と名付け、社名を日根神社とされたと伝わります。日根神社は「まくら

  • 犬鳴山七宝瀧寺(泉佐野市) 滝行体験ができる!日本最古の修験道の聖地【御朱印】

    七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)は、大阪府泉佐野市大木にある真言宗犬鳴派の大本山です。山号は犬鳴山(いぬなきさん)。斉明天皇7年(661年)に役行者によって開山されました。大和大峰山より六年早く開創されたため、元山上と言われる葛城二十八宿修験道の根本道場です。ご本尊は役行者御自作の倶利伽羅大龍不動明王(くりからだいりゅうふどうみょおう)。寺の名前である「七宝瀧寺」は、淳和天皇がこの地を訪れた際に、七つの滝があることから名付けられました。「犬鳴山の溪谷」は「大阪みどりの百選」に選ばれている緑豊かな渓谷

  • 浄瑠璃寺(京都) この世じゃないみたい!浄土の世界が広がる南山城の古刹【御朱印】

    浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町にある真言律宗のお寺です。山号は小田原山。ご本尊は九体阿弥陀仏(西方)・薬師如来(東方)。平安時代の1047年、義明上人により創建されました。創建時のご本尊が薬師仏であったことから、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来となっています。岩船寺へお参りした後、浄瑠璃寺へとやって来ました♪本堂には、九体の阿弥陀如来さまがおられることから九体寺とも呼ばれています。五年に渡る修理を終え、昨年の12月に全てお戻りになられた九体阿弥陀如来さま。九体の阿弥陀如来さ

  • 岩船寺(木津川市) 三重塔とあじさいが織りなす関西花の寺【御朱印】

    岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗のお寺です。山号は高雄山(こうゆうざん)。ご本尊は、行基作と伝わる阿弥陀如来坐像。「岩船寺縁起」によりますと、岩船寺の創立は、天平元年(729年)、聖武天皇が出雲国不老山大社に行幸の時、霊夢があり、大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(鳴河寺)に籠居していた僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まるとされています。岩船寺は、「あじさいの名所」としても知られ、初夏には境内一帯にあじさいが咲き誇り、たくさんの人が訪れる人気のお寺です。

  • 林昌寺(泉南市) 一度見たら忘れられない!サツキが彩る法林の庭【御朱印】

    林昌寺(りんしょうじ)は、大阪府泉南市にある真言宗御室派のお寺です。「岡大師」とも呼ばれています。山号は躑躅山ですが、はてさて、これはなんと読めばいいのか悩んでしまいました(笑)ウィキペディア(Wikipedia)によると、「てきちょくざん」とありますが、林昌寺で頂いたパンフレットによれば、「つつじざん」と明記されています。山つつじがとても綺麗だったことから、第73代堀河天皇が山号を「躑躅」と改められたとか。やはり、「つつじざん」と読みたいかな(笑))林昌寺は、庭園が美しいことで知られるお寺さん

  • 宝山寺(奈良) 霊験あらたかな生駒の聖天さん【御朱印】

    宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗のお寺です。山号は生駒山。ご本尊は不動明王。鎮守神として大聖歓喜天を聖天堂に祀っていることから、地元では「生駒の聖天さん」の愛称で親しまれています。生駒山は役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと伝わり、その当時は「大聖無動寺(だいしょうむどうじ)」という名であったと伝わります。江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興しますが、この時が事実上の開山とされています。現生での利益、特に商売繁盛のご利益があるとして、たくさんの方

  • 西葛城神社(貝塚市) 一村一社令が生んだ歴史が息づく統合神社【御朱印】

    西葛城神社(にしかつらぎじんじゃ)は大阪府貝塚市木積に鎮座しています。西葛城神社は、1910年に木積村にあった「深谷神社」に合祀され、「深谷神社」という名称も「西葛城神社」と改められました。深谷神社は、西暦726年に創建された「木積観音寺」の鎮守として祀られていて、西暦1010年に再建の記録が残っています。さらに、1917年(大正6年)には、かつて楠神社があった地(現在の場所)に遷座され、楠神社を相殿として祀るようになりました。御祭神は、なんと!23柱もの神様!!明治時代に旧西葛城村の全神社を合

  • 孝恩寺観音堂(貝塚市) 国宝建築の美!1300年の歴史を伝える行基の遺産【御朱印】

    孝恩寺(こうおんじ)は、大阪府貝塚市木積(こつみ)にある浄土宗のお寺です。山号は慈眼山。ご本尊は阿弥陀如来。明暦元(1655)年に初代孝恩上人によって、観音寺の隣接地に創建されました。国宝に指定されている観音堂は、もとは「観音寺」と称し、孝恩寺とは別個の寺院でした。聖武天皇が発願し、行基により創建された観音寺ですが、創建当時は金堂や塔、多くの僧房等七堂伽藍が立派にそびえていたと伝えられています。数々の戦火に遭い、境内の建物はすっかり焼失してしまいましたが、唯一、鎌倉時代に再建された観音堂(釘無堂

  • 水間寺(貝塚市) 厄除け観音と恋人の聖地愛染堂【御朱印】

    水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある天台宗の別格本山のお寺で、水間観音、厄除け観音として親しまれています。山号は龍谷山。ご本尊は聖観世音菩薩。天平年間(729年-749年)に、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わります。境内には行基菩薩が聖観音像を授けられたと伝わる「聖観音菩薩出現の滝」があり、パワースポットとなっています。又、恋愛成就や縁結びで有名な愛染堂があり、「恋人の聖地」として若いカップルにも人気です。それでは、見どころがたくさんある水間寺へと参りましょう。境内まずは、

  • 教興寺(八尾市) 信貴山道に佇む聖徳太子ゆかりのお寺【御朱印】

    教興寺(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗のお寺です。山号は獅子吼山(ししくさん)。聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じて崇峻天皇元年(588年)に建立されました。御本尊は弥勒菩薩。中世には荒れ果てていましたが、鎌倉時代に奈良・西大寺の叡尊が復興しました。永禄5年(1562年)には、三好長慶と畠山高政との戦である「教興寺の戦い(きょうこうじのたたかい)」の場所となりました。それでは、教興寺へと参りましょう。近鉄高安駅から教興寺へ近鉄高安駅を降りて、東へテクテク♪外環状線

  • 普賢寺(橋本市) 行基が彫りし白象に乗る普賢延命菩薩【御朱印】

    普賢寺(ふげんじ)は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある真言宗のお寺です。天平9年(737年)、行基菩薩によって創建されました。ご本尊である普賢延命菩薩は、四頭の白象に乗る二十臂の像で、行基自身によって彫刻されたとされ、平安時代の作と伝えられています。由緒は詳らかではありませんが、かつては延命寺と称し(紀伊続風土記)、のちに観音寺となり、さらに普賢寺へと変わって行きました。毎年4月15日にはご本尊が公開される春の大祭が行われます。それでは、普賢寺へと参りましょう。境内駐車場に車を停めて、テクテク♪普賢寺

  • 子安地蔵寺(橋本市) 藤の花に包まれる関西花の寺二十四番札所【御朱印】

    子安地蔵寺(こやすじぞうじ)は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗のお寺です。山号は易産山(いさんざん)。天平9年(737年)、奈良の大仏で有名な東大寺建立に力を尽くした「行基菩薩」によって創建されました。御本尊の地蔵菩薩は、行基自らが彫られたものと伝えられる「日本最勝・日本最古の地蔵菩薩」といわれています。ご本尊は安産祈願の為にこの地に安置されたものなので、「子安地蔵さん」と呼ばれています。また、美しい藤の花で知られており、春の藤の季節には多くの参拝者で賑わいます。丁度、藤の花が咲く頃に訪

  • 流谷八幡神社(河内長野市) 樹齢400年の大イチョウが見守る石清水八幡宮別宮

    流谷八幡神社(ながれたにはちまんじんじゃ)は、大阪府河内長野市天見に鎮座しています。正式名称は「八幡神社」ですが、通称「流谷八幡神社」「八幡さん」と呼ばれています。この地域はかつて、甲斐荘という石清水八幡宮の荘園がありました。石清水八幡宮の根本神領であった河内国錦織部郡甲斐荘山郷流谷に、長暦3年(1039年)1月6日、石清水八幡宮より八幡神(応神天皇、神功皇后、比売大神)を勧請し、社殿を造営したことが神社創建の起源とされています。境内には樹齢400年を超える天然記念物のイチョウがあり、鉄製湯釜な

  • 高石神社(高石市) 古の高師浜の風景が甦る!白砂青松の名残を感じる古社

    高石神社(たかいしじんじゃ・たかしのじんじゃ)は、大阪府高石市高師浜に鎮座する式内社です。創建は白雉元年(650年)、古くは天神の社として知られていました。大阪湾を西に望む松林に建つ高石神社の境内は、昔の高師浜の風景を良く残しています。御祭神は少彦名神、天照皇大御神、熊野坐三社。神社がある高師浜の地名は、白砂青松の美しい海岸として万葉の時代から数々の和歌に詠まれてきました。それでは、古くは白砂青松の美しい景色が広がっていた高石神社へと参りましょう。境内高石神社は、古くは天神社として知られ、古い歴

  • 大鳥羽衣濱神社(高石市) 羽衣伝説と共に砂丘遺跡に鎮座する歴史ある古社【御朱印】

    大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は、大阪府高石市羽衣に鎮座する式内社です。堺市西区鳳北町に鎮座する「大鳥大社」の境外摂社で、井戸之森大明神とも呼ばれています。「大鳥五社明神」の一社で、他の四社は大鳥大社・大鳥美波比神社・大鳥北浜神社・大鳥井瀬神社。神社一帯は、古代人の集落跡「羽衣砂丘遺跡」でもあります。境内には砂浜であった名残を感じる白砂があり、かつてあった「高師の浜」に思いを馳せることができます。また、天女が舞い降りたという「羽衣伝説」があり、このストーリーは多くの人々に愛されて

  • 等乃技神社(高石市) よそでは手に入りにくいお守りって?古事記に登場する歴史ある神社

    等乃伎神社(とのぎじんじゃ)は、大阪府高石市取石に鎮座している式内社です。「等乃伎」の名は、かつてこの地を収めていた中臣氏一族の「殿来連」が由来といわれています。主祭神は天児屋根命。相殿神は誉田別命、菅原道真公、大歳大神、壺大神。こちらの神社では、「よそでは手に入りにくいお守り」があるそうで、どんなお守りがあるのか楽しみにしていました(笑)。それでは、緑豊かな等乃伎神社へ参りましょう。境内等乃伎神社縁起によりますと、古事記下巻仁徳天皇(313~399)の段に記載されている免寸河(とのきがわ)のほ

  • 行興寺くさべ不動尊(堺市) 空海が彫刻した不動明王とともに歴史を刻む

    行興寺くさべ不動尊(ぎょうこうじくさべふどうそん)は大阪府堺市西区草部にある真言宗のお寺です。山号は阿弥陀山。創建時期については詳らかではありませんが、行基菩薩によって建立されました。弘法大師空海がこの地で修行を行い、その後、不動明王を三体を彫られ、一体は滝谷不動へ、一体は淡路島へ渡りその後海外へ、残る一体が現在のご本尊とされている不動明王であると言い伝えられています。それでは、行興寺くさべ不動尊へと参りましょう。境内広い境内最盛期には約一万坪の寺領を拝領し、時の天皇や豪族たちの信仰の対象寺とし

  • 日部神社(堺市) 古事記伝に記された神武東征ゆかりの地【御朱印】

    日部神社(くさべじんじゃ)は、大阪府堺市西区に鎮座している式内社です。明暦年間(1655~57)に火災にあい、旧記・社宝等を焼失したため、創建年代・社歴などは明らかではありません。主祭神は彦坐命(ひこいますのみこと)・神武天皇(じんむてんのう)・道臣命(みちおみのみこと)。彦坐命は日下部氏の祖神で、この一帯を拠点としていた日下部氏が祖神を祀ったものと思われます。日下部氏の子孫の中には、日本のおとぎ話「浦島太郎」のモデルとして知られる「浦嶋子」がいます。浦嶋子の祖先とされている日下部氏は、古代、丹

  • 野々宮神社(堺市) 発火と鎮火の神を祀る火の宮【御朱印】

    野々宮神社(ののみやじんじゃ)は、大阪府堺市中区深井清水町に鎮座しています。創建については不詳ですが、約400年前と言われています。御祭神は、素盞嗚命(すさのおのみこと)・火産霊命(ほのむすびのかみ)・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)。「火の宮」とも称される神社で、火産霊命は発火と鎮火の神として、また菅原道真公は文字の神として信仰されています。境内は緑に包まれ、穏やかな時間と心の安らぎを与えてくれる素晴らしい場所となっています。かわいいお姿をした狛犬にも心癒されること間違いなし!笑それでは、

  • 鷺栖神社(橿原市) 歴史の謎と神秘に満ちた祈りの空間

    鷺栖神社(さぎすじんじゃ)は、奈良縣橿原市四分町に鎮座しています。創建・由緒についての詳細は不明ですが、延喜式神名帳に「鷺栖神社靫」と記されている式内社です。御祭神は天児屋根命、誉田別命、天照皇太神。「古事記」によれば、垂仁天皇の皇子である本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝の折、鷺栖神社にお立寄りになり、御祈願あらせられたと記されています。又、中世より鷺栖八幡と称せられ、武神として崇敬高く、次いで安産の守護神ともなり、信仰をあつめていたと伝わります。それでは、鷺栖神社へと参りましょう。鷺栖神社の前

  • 法貴寺・千万院(田原本町) 仏法を起こし歴史を紡ぐ聖徳太子ゆかりのお寺

    法貴寺・千万院(ほうきじ・せんまんいん)は、奈良県磯城郡田原本町にある真言律宗のお寺です。法貴寺は推古帝の頃、聖徳太子により創立され秦河勝に賜ったもので、その建立は法隆寺より古いと伝わります。仏法を起こす寺として、当初「法起寺」と命名されましたが、後に、法貴寺と呼ばれるようになりました。かつては七堂伽藍を誇る大寺院でしたが、現在は法貴寺の塔頭の一つである千万院の薬師堂を残すのみとなっています。それでは、法貴寺・千万院へと参りましょう。境内千万院の山門と鐘楼跡向こうに見えるのは池坐朝霧黄幡比売神社

  • 池坐朝霧黄幡比売神社(田原本町) 機織の神様を祀る秦氏ゆかりの古社

    池坐朝霧黄幡比売神社(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町法貴寺に鎮座しています。創建年代は不詳ですが、境内にある由緒を記された石碑には、「推古天皇24年(616年)聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏が、その祖神守り神として崇敬した古社である」と記されています。御祭神は、天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと)・菅原道真公。天慶9年(949年)には、北野天満宮より菅原道真公を勧請して相殿に祀ったことから、中世から江戸時代までは「天満宮」の名前で呼ばれ

  • 服部天神宮(豊中市) 足の健康を願う!菅原道真公ゆかりの足の神様【御朱印】

    服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市服部元町に鎮座しています。「服部」という地名は、この辺りに朝鮮より機織の技術を伝えた秦氏が機織部(はたおりべ)として住んでいたことから、機織り(はたおり)から服部(はっとり)に変化し、成り立ったものと考えられています。御祭神は少彦名命・菅原道真公。菅原道真公が大宰府へ左遷され任地へ赴く途中、足の病にかかり、少彦名命に祈りを捧げたところ、足の病からご回復されたことから、「足の神様」として、親しまれています。それでは、服部天神宮へと参りましょう。境内

  • 鎮宅霊符神社(奈良市) ユーモラスなお顔の狛犬が超かわいい!陰陽師の聖地

    鎮宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)は、奈良県奈良市陰陽町に鎮座しています。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。日本神話の天地開闢において登場する神で、「古事記」では、神々の中で最初に登場する神様です。御神徳は、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、災禍除き福運を呼ぶ。鎮宅霊符神社は、「奈良町からくりおもちゃ館」の隣にあるのですが、入り口が小さいので注意して見てないと、通り過ぎてしまうかも?ユニークなお顔をした狛犬は、とっても魅力的でかわいいので必見です!それでは、鎮宅霊符神社へと参りま

  • 飛鳥神社(奈良市) 飛鳥から平城京へ京終に息づく古の祈り【御朱印】

    飛鳥神社(あすかじんじゃ)は、奈良県奈良市北京終町に鎮座しています。御祭神は、明日香三日姫命・天之事代主命・贈大政大臣道真公。菅原道真公をお祀りしていることから、京終天神社、紅梅殿神社とも呼ばれています。奈良時代、平城遷都に際して明日香の飛鳥神社を平城京左京四条の地に分霊し、室町時代の1369(応安2)年になって、北京終町の現在地に移ったと伝わります。それでは、飛鳥神社へと参りましょう。「ならまち」からテクテク歩いて、飛鳥神社へやってきました♪飛鳥神社が鎮座する京終(きょうばて)の地名には、平城

  • 徳融寺(奈良市) 中将姫の伝説が息づく聖地

    徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市にある融通念仏宗のお寺です。御本尊は阿弥陀如来立像。かつては高林院と号する元興寺の塔頭でした。天正18年(1590年)に現在地に移転し、寛文7年(1667年)に休岸上人によって堂宇が整備されました。徳融寺は、右大臣藤原豊成公の旧宅跡に建築され、豊成の娘・中将姫はこの地で生まれ育ったと伝わります。境内の墓地には豊成公と中将姫を祀った二基の石塔があります。それでは、徳融寺へと参りましょう。境内山門入り口に、「おとなの寺小屋」の案内版がありました。奇数月に開催されて

  • 御霊神社(奈良市) 狛犬の足止め祈願と縁結びのご利益【御朱印】

    御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町に鎮座しています。南都御霊神社・木比御霊とも呼ばれています。御祭神は、井上皇后・他戸親王・事代主命・早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊予親王・ 橘逸勢・文屋宮田麿。御霊神社とは、非業の死をとげた人の霊の祟りを恐れて、その霊を鎮めるために祀った神社のこと。奈良時代、平安時代の人々は無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。しかし、その怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考

  • 惣社水分神社 (宇太水分神社上社) 宇陀の水と共に天水分神の歴史を紡ぐ

    惣社水分神社(そうしゃみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野上芳野に鎮座しています。宇太水分神社上社(上宮)とも呼ばれ、正式名称は芳野坐式内惣社宇陀水分神社(ほうのにますしきないそうしゃうだみくまりじんじゃ)。宇陀市には他に2つの水分神社があり、榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。御祭神は、天水分神、国水分神、速秋津比古命、天児屋根命、誉田別命。神社の創建については明確には

  • 宇太水分神社 下社(宇陀市) 天水分神の加護に包まれた古の祈りが息づく場所

    宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)下社は、奈良県宇陀市榛原下井足に鎮座しています。宇陀市には他に2つの水分神社があり、菟田野上芳野の惣社水分神社を「上社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。御祭神は、天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命。神社の創祀は正確な年代が不明ですが、崇神天皇15年(紀元前83年)の勅祭とされる記録が残っており、その起源は非常に古いことがわかります。また、太古の国史「三代実録」(奈良時代~平安時代に編集

  • 宇太水分神社 中社(宇陀市) 国宝本殿にうっとり♪古代からの水の守り神【御朱印】

    宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)中社は、奈良県宇陀市菟田野古市場に鎮座しています。宇陀市には他に2つの水分神社があり、榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、菟田野古市場(うたのふるいちば)の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。御祭神は、天水分神(あめのみくまりのかみ)・速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)・国水分神(くにのみくまりのかみ)。創建は約1700年前、崇神天皇の時代と伝わり、古くから水の守り神として信仰

  • 八咫烏神社(奈良) 神武天皇を導いた八咫烏を祀る最初の神社【御朱印】

    八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)は、奈良県宇陀市に鎮座しています。御祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)。建角身命は、古事記・日本書紀において、吉野山中で困難に見舞われた神武天皇を安全に大和の地へ導いた八咫烏大神です。創建は慶雲2年(705年)、「続日本紀」に八咫烏社を祭ると記されています。境内には、日本サッカー協会のシンボルマークである「八咫烏」の像があり、頭にサッカーボールを乗せたかわいい八咫烏像は見どころの一つです。それでは、清々しい空気が流れる八咫烏神社へと参りましょう。参道一の鳥居をく

  • 光雲寺(奈良) 樹齢1000年の厄除杉がそびえる越智氏の菩提寺【御朱印】

    光雲寺(こううんじ)は、奈良県高市郡高取町にある黄檗宗のお寺です。南朝の忠臣越智氏の菩提寺で、南北朝時代初期の1346年、この一帯を治めていた越智邦澄(おちくにずみ)が出家し、越智家の菩提寺として「興雲寺」の名で建立したことが寺の始まりと伝わります。お寺の入り口には、樹齢1000年になる厄除け杉がそびえていて、明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ今日に至っています。ご本尊は釈迦如来坐像。境内には方丈庭園があり、緑あふれる静かな空間となっています。それでは、異国情

  • 燕神社(御所市) 日本建国の歴史に触れる神武天皇が見た景色

    燕神社(つばめじんじゃ)は、奈良県御所市柏原に鎮座しています。ご祭神は、神倭磐余彦命、豊受大御神、武甕槌命。燕神社は、神武天皇が国見をしたという「嗛間丘(ほほまの丘)」の候補地の一つである本馬山にあります。神武天皇はここからどのような景色をご覧になっていたのでしょう。燕神社は1921年(大正10)、「解放令」50周年を記念して燕会のメンバーによって建立されました。それでは、燕神社へと参りましょう。人権ふるさと公園から歩くことスグ。燕神社へと続く階段があります。階段をテクテク登って行きます♪暫く登

  • 神武天皇社(御所市柏原) 日本の始まりの地はここだった?神武天皇伝説を訪ねて

    神武天皇社(じんむてんのうしゃ)は、奈良県御所市柏原に鎮座しています。ご祭神は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)。初代神武天皇は、畝傍山東南の麓に橿原宮を創建し即位されたと伝わりますが、一説によると、この場所に柏原宮があり、初代神武天皇が即位したと言われています。里の北西方向には本馬山があり、神武天皇が国見をした「嗛間丘(ほほま)の丘」であると伝わります。それでは、歴史の源流を訪ねて神武天皇社へと参りましょう。「掖上の道(わきがみのみち)」を歩いてテクテク♪境内スッキリし

  • 吉祥草寺(御所市) 千年以上の歴史が息づく役行者誕生所【御朱印】

    吉祥草寺(きっしょうそうじ)は、奈良県御所市茅原にある本山修験宗のお寺です。茅原は修験道の開祖である役行者の出生地とされ、吉祥草寺は役行者により開基、舒明天皇により創建されたと伝わります。御本尊は五大尊(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)。境内には役行者産湯の井戸や、役行者の腰掛け石などが残されています。吉祥草寺からは役行者が修行を積んだという葛城山が見え、役行者の足跡を感じる事ができます。それでは、吉祥草寺へと参りましょう。境内山門を額縁に見える本堂茅原は修験道の開祖

  • 金刀比羅神社(富田林市) 大阪千日前からお引越しされてきた金比羅さん

    金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)は、大阪府富田林市嬉に鎮座しています。通称、金比羅さん(こんぴらさん)とも呼ばれています。金刀比羅神社は、香川県にある金刀比羅宮(ことひらぐう)を総本宮とする神社で、海上交通の守り神として信仰されています。御祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)。嬉の金比羅さんは、大阪市内の千日前からお引越しされてきました。賑やかなミナミの繁華街から富田林市へお引越しされてきた金比羅さん。今では、石川を望む長閑な風景の中で見守って下さっています。それで

  • 千代田神社(河内長野市) 菅原道真公の御神体を祀る河内長野の守護神

    千代田神社(ちよだじんじゃ)は、大阪府河内長野市に鎮座しています。ご祭神は菅原道真公、天児屋根命、底筒男命、蛭子命、足仲津彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)、稲田姫命。江戸時代以前の記録が現存していないので創建年代については不詳ですが、御神体である菅原道真公の座像が平安時代末期の作とされていることから、それ以前には存在していたと考えられています。江戸時代の記録によりますと、かつては「天神社」、「天満宮」と呼ばれていました。境内は緑豊かで、とても心地よい空間が広がっていました。それでは、千代

  • 耳成山口神社(橿原市) 大和三山の耳成山を登って古代の神々を訪ねる

    耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市にある耳成山に鎮座しています。耳成山は、香具山・畝傍山とともに大和三山に数えられていて、万葉集にも歌われています。ご祭神は、高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)、大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)。大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)のうちの1社で、皇室の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていました。明治時代以前は、天神社と呼ばれ、雨乞いの神事が行われたと記録が残っています。耳成山口神社があるのは、耳成山の麓ではな

  • 孝霊神社(廬戸神社・田原本) 孝霊天皇の古都に鎮座する法楽寺の鎮守社

    孝霊神社(こうれいじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町黒田に鎮座しています。別名、廬戸神社(いおとじんじゃ)とも呼ばれています。御祭神は、孝霊天皇、倭迹迹日百襲媛命、彦五十狭芹彦命、稚武彦命、他三神。記紀には孝霊天皇の宮として⿊⽥廬⼾宮(くろだいおとのみや)が記されており、この宮跡に建てられたのが法楽寺といわれています。孝霊神社はかつて法楽寺の鎮守社でしたが、明治時代の神仏分離令により、現在の場所に移されました。法楽寺へ訪れた後、歩いて孝霊神社へと向かいました。それでは、孝霊神社へと参りましょう。

  • 法楽寺(奈良) 桃太郎誕生地に建つ聖徳太子ゆかりのお寺

    法楽寺(ほうらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町黒田にある真⾔宗のお寺です。古事記や日本書紀によりますと、この辺りは第7代孝霊天皇の⿊⽥廬⼾宮(くろだいおどのみや)があったと記されています。法楽寺は⿊⽥廬⼾宮跡地に建立され、聖徳太子の開基と伝えられています。ご本尊は⼦安地蔵菩薩⽴像。孝霊天皇の皇⼦である吉備津彦命(きびつひこのみこと)が桃太郎のモデルと⾔われていることから、ここは「桃太郎誕⽣の地」と呼ばれています。それでは、「桃太郎誕生の地」に建立された法楽寺へと参りましょう。境内「桃太郎誕生の地」

  • 瓢箪山稲荷神社(東大阪市) 瓢箪型の古墳斜面に社殿が建つ豊臣秀吉ゆかりのお稲荷さん【御朱印】

    瓢箪山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)は、大阪府東大阪市瓢箪山町に鎮座しています。生駒山麓に群集して築造された山畑古墳群。その中でも最も古い6世紀初め頃に造られた最大の古墳、通称「瓢箪山古墳」の西斜面に、社殿が建っています。ご祭神は保食大神(うけもちのおおかみ)。辻占いの総本社として知られ、日本三大稲荷の一つとも言われています。それでは、古墳の斜面に建つ瓢箪山稲荷神社へと参りましょう。参道近鉄奈良線「瓢箪山駅」からジンジャモール商店街を歩いて行くと、瓢箪山稲荷神社一の鳥居が見えてきます。

  • 綱敷天神社御旅社(大阪市) 梅塚天満宮から始まった菅原道真公との約束【御朱印】

    綱敷天神社御旅社(つなしきてんじんじゃおたびしゃ)は、大阪府大阪市北区茶屋町に鎮座しています。主祭神は菅原道真公。綱敷天神社御本社から境外飛び地末社である歯神社と巡ってきましたが、この御旅社が最後です。「御旅所」というのはよくありますが、「御旅社」って珍しいですね。「御旅所」は神様の別荘地のような仮の神社を指す言葉ですが、「御旅社」は常に神様がいらっしゃるとか。御旅社は元々御本社の南にあり、かつては「梅塚天神」と称さていたようです。それでは、綱敷天神社御旅社へと参りましょう。綱敷天神社御本社→境

  • 歯神社(大阪市) 梅田に鎮座する歯痛によく効く歯の神様【御朱印】

    歯神社(はじんじゃ)は、大阪府大阪市北区に鎮座しています。歯の神様をお祀りする神社で、梅田の氏神さまである綱敷天神社の飛び地末社としてお祀りされています。ご祭神は歯神大神(宇賀御魂神)。歯神社は元々、梅田界隈の田畑をお守りになられるお稲荷さんでした。このお稲荷さんにあった大きな巨石をご神体としてお祀りされたのが始まりと伝えられています。お稲荷さんがいつから歯の神様になったのでしょうか?それでは、その謎を解明すべく、歯神社へと参りましょう。綱敷天神社御本社を参拝後、飛び地末社である「歯神社」へとや

  • 綱敷天神社 御本社(大阪市) 嵯峨天皇・菅原道真公を祀る梅田の氏神さま 【御朱印】

    綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)は、大阪市北区神山町に鎮座しています。ご祭神は嵯峨天皇、菅原道真公。今から1200年ほど昔の弘仁十三年(822)に、第五十二代天皇の嵯峨天皇が当地「喜多埜(きたの)」に御行幸され、現在の御本社のある神山の地に頓宮を構え、一宿された事に由来する神社です。綱敷天神社は御本社とは別に、茶屋町には神様の別荘にあたる「御旅社」、角田町には飛び地末社である「歯神社」がそれぞれ鎮座しています。「綱敷天神社御本社」→「歯神社」→「御旅社」と巡ってきました。まずは、綱敷天神社御本

  • サムハラ神社(大阪) 身を護ってくれる不思議な四文字のお守り【御朱印】

    サムハラ神社(さむはらじんじゃ)は、大阪府大阪市西区に鎮座しています。ご祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすひのおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすひのおおかみ)の造化三神。怪我・災難を除ける護符として伝承される「サムハラ」の文字。サムハラとは四文字の漢字なのですが、この文字にこそ、すごいご加護のお力があるようです。あまりにも恐れ多い文字なので、今回の記事内では「サムハラ」と、カタカナ表記にさせて頂きます。ご利益は災難除け、身体健固、無傷無病、延命長寿など身を

  • 八剱神社(大阪市) 大坂の陣ゆかりの地に鎮座する災難除けの神様

    八剱神社(やつるぎじんじゃ)は、大阪府大阪市城東区に鎮座しています。御祭神は八劔大明神・武速須佐雄大神・罔象女大神。ご利益は「災難除け」。八劔大明神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と同体とされています。須佐之男命は、巨大な大蛇を退治し、来たるべき災難を未然に防ぐことが出来たことから「災難除けの神様」として崇められています。初めて訪れた八劔神社は不思議な体感を感じたり、面白い現象が起こったり?・・と、神様感を感じる神社でした。それでは、八剱神社へと参りましょう。JRおおさか東線「鴫野駅」を降りて

  • 白山神社(大阪市) ご縁をくくる縁結びの菊理媛神【御朱印】

    白山神社(しらやまじんじゃ)は、大阪府大阪市城東区に鎮座しています。御祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)。創建の詳細は不明ですが、古くから白山妙理権現(白山権現)と称され、親子・兄弟・夫婦・家族や友人にいたるまで、全ての仲を守る「和の守護神」として信仰されています。境内にあるイチョウの大木の樹高は約4.5mもあり、大阪府の天然記念物に指定されています。それでは、イチョウの大木が見守る白山神社へと参りましょう。訪れたのは、九がふたつ重なる重陽の節句の日。くく・・っということで(笑)、菊理媛の神様に

  • 梶無神社(東大阪市) アオバズクが飛来する夫婦神を祀る古社【御朱印】

    梶無神社(かじなしじんじゃ)は、大阪府東大阪市六万寺町に鎮座しています。アオバズクの繁殖地として有名で、毎年飛来してきては境内の御神木に巣を作ります。シーズンにはかわいいアオバズクの雛を見ようと、たくさんの方が訪れるようです。御祭神は瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。神社境内は美しい樹木に覆われ、東大阪市の保存樹林に指定されています。それでは、緑が眩しい梶無神社へと参りましょう。境内生駒山の麓の住宅街の中に鎮座されていました。梶無神社略記社伝によると、神武天皇は、ご東征の砌り御船を白肩津から入江深く遡らせ

  • 多観音堂(奈良) 田原本御佛三十三ケ巡礼と江戸時代から続く「ボダイボダイと牛蒡喰行事」

    多観音堂(おおかんのんどう)は、奈良県磯城郡田原本町多にある観音堂です。御本尊は十一面観音菩薩立像。長閑な田園風景が広がる場所にひっそりと佇んでいます。多座弥志理都比古神社→小杜神社→姫皇子神社を参拝した後に訪れました。それでは、多観音堂へと参りましょう。境内田んぼの中の小さな森。観音さまはこの小さな森の中にいらっしゃいました。多観音堂の説明書き御本尊の十一面観音菩薩立像は平安時代後期の作。多観音堂は明治の廃仏毀釈・神仏分離令までは、多座弥志理都比古神社の神宮寺であったようです。多観音堂では江戸

  • 姫皇子命神社(奈良) 多座弥志理都比古神社の皇子神を祀る境外摂社

    姫皇子命神社(ひめみこのみことじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。多座弥志理都比古神社の境外摂社で、延喜式神名帳に記載された式内社です。御祭神は姫皇子命。多坐彌志理都比古神社の四皇子神を祀る神社の一社です。『五郡神社記』では、本社二座と四皇子神を祀る神社をもって「意富(おう)六所神社」と称しています。姫皇子命神社は長閑な田園風景の中にありました。それでは、姫皇子命神社へと参りましょう。姫皇子命神社へ多坐彌志理都比古神社、小杜神社を参拝後、姫皇子命神社を目指します。長閑な田園風景を

  • 小杜神社(奈良) 太安万侶を祀る古事記ゆかりの神社

    小杜神社(こもりじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。多座弥志理都比古神社の境外摂社で、延喜式神名帳に記載された式内社です。多座弥志理都比古神社に残る「多神宮注進状」では、樹森(こもり)神社と呼ばれ、江戸時代には地名をとって木ノ下(このした)神社とも呼ばれていました。御祭神は太朝臣安萬呂(太安万侶・古事記の編纂者)。多坐彌志理都比古神社の四皇子神を祀る神社の一社です。それでは、小杜神社へと参りましょう。多座弥志理都比古神社の前に古事記の碑がありました。小杜神社境内地図多座弥志理都比

  • 多坐弥志理都比古神社(奈良) 古代遺跡の中心に鎮座する神八井耳命を祀る古社

    多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。式内社(名神大社)で、多神社(おおじんじゃ)とも呼ばれています。創建は綏靖天皇2年(紀元前580年)、記紀神話に「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、それが多坐弥志理都比古神社の始まりとされています。御祭神は神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)、神八井耳命(神武天皇皇子)、神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)、姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)、太安万侶。この場所は多氏の拠

  • 家原寺(堺市) 知恵の文殊さんで親しまれる合格祈願のお寺【御朱印】

    家原寺(えばらじ)は、大阪府堺市西区家原寺町にある行基宗大本山のお寺です。飛鳥・奈良時代の高僧行基(668~749)は、この地で生まれました。寺伝によりますと、慶雲元年(704年)、母方の実家のあった誕生地に自ら寺院を建立したのが家原寺の始まりとされています。ご本尊の文殊菩薩は「知恵の文殊」として、一年を通して数多くの参拝者があり、特に受験生が多く、合格祈願に訪れることで有名です。合格祈願の寺として、以前は祈願する際に本堂の壁に直接願い事を書き入れていました。そのため別名「落書き寺」と呼ばれてい

  • 蜂田神社(堺市) 音色で占う千年の歴史と夏を奏でる風鈴まつり【御朱印】

    蜂田神社(はちたじんじゃ)は大阪府堺市に鎮座しています。創建年代については不詳ですが、延喜式神名帳に記されている式内社です。主祭神は天児屋根命。この地方に住居していた蜂田連の一族が、その祖先である天児屋根命を主祭神として祀ったとされています。蜂田連が鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事から、「鈴の宮」とも呼ばれています。境内にはたくさんの風鈴が飾られ、心地良い風鈴の音が響いていました。それでは、蜂田神社へと参りましょう。駐車場では風鈴がお出迎え♪風鈴まつりが行われるようになって今年は9

  • 葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市) 二上山登山口に鎮座する機織りの神さま【御朱印】

    葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山山麓に鎮座しています。創建時期は不明ですが、延喜式神名帳に記されている式内大社で、倭文神社(しずりじんじゃ)とも呼ばれています。主祭神は、天羽雷命(あまはいかづちのみこと)。右殿に摂社・掃守神社(天忍人命)、左殿に摂社・二上神社(大国魂命)を配祀しています。神社横の道は、二上山への登山口になっています。それでは、葛木倭文座天羽雷命神社へと参りましょう。境内二上山登山口を目指してテクテク♪葛木倭

  • 當麻山口神社(葛城市) 映画のロケ地にもなった二上山麓に鎮座する古社【御朱印】

    當麻山口神社(たいまやまぐちじんじゃ)は、奈良県葛城市にある二上山の麓に鎮座しています。延喜式神名帳(901年)にも記されている式内社です。延喜式神名帳には大和の国14ヶ所の山口神社が記され、いずれも式内大社の社格をもち、朝廷から奉納をうけていました。これらの神社は本来、山々の精霊を支配した大山祗命をご祭神としたものとされています。平安時代末期に、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、木花開耶比売姫(このはなのさくやひめのみこと)が合祀されました。それでは、緑豊かな當麻山口神社

  • 長尾神社(葛城市) 龍神・大蛇の神々が宿る神聖なるスピリチュアルスポット【御朱印】

    長尾神社(ながおじんじゃ)は、奈良県葛城市に鎮座しています。創建年代については不詳ですが、延喜式神名帳に記されている式内社です。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおみかみ)、水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)。鎮座地は日本最古の官道である竹ノ内街道や初瀬街道(横大路)、さらに長尾街道などの主要街道が交差する交通の要衝にあり、古来より交通安全、旅行安全の神として篤く信仰されています。三輪明神は蛇の頭で長尾神社が蛇の尾っぽという大蛇の伝承が

  • 波太神社(阪南市) 拝殿の壮麗さに触れる1000年を超える風景【御朱印】

    波太神社(はたじんじゃ)は、大阪府阪南市に鎮座しています。創建年代は不詳ですが、延喜式神名帳(927年)に列せられている式内社です。鳥取部の姓を賜った天湯河板挙(あめのゆかわたな)が、祖先の角凝命(つのこりのみこと)を祭神として、波太の地(現・阪南市桑畑)に祀ったのが波太神社の始まりと伝えられています。壮麗な拝殿は一際目を引きます。それでは、美しい波太神社へと参りましょう。ある日テレビをつけると、こちらの神社の拝殿が映っていて、あまりにも美しい拝殿に一目惚れ(笑))。その数日後、波太神社へとやっ

  • 法楽寺(大阪市) 平安時代から息づく「たなべのお不動さん」で親しまれるお寺【御朱印】

    法楽寺(ほうらくじ)は、大阪市東住吉区にある真言宗泉涌寺派大本山のお寺です。山号は紫金山(しこんざん)、院号は小松院。法楽寺の創建は治承二年(1178年)、平家の棟梁、小松内大臣平重盛公により建立されました。御本尊に大聖不動明王をお祀りし、「たなべのお不動さん」の名で親しまれています。山門をくぐると、とても美しい三重塔が迎えてくれました。それでは、法楽寺へと参りましょう。境内境内図と法楽寺縁起平治の乱に滅びた源氏の棟梁源義朝公の念持仏、如意輪観音像を安置し、怨親平等(おんしんびょうどう・絶対平等

  • 金剛寺(五條市) 美しいぼたん園と古刹の風景【御朱印】

    金剛寺(こんごうじ)は、奈良県五條市野原にある高野山真言宗のお寺です。山号は小松山。御本尊は薬師如来。1173年(承安3年)、平重盛(たいらのしげもり)公により創建されたと伝えられています。ぼたん寺として知られていて、境内は四季折々の花を楽しむことができ、関西花の寺二十五霊場の札所にもなっています。それでは、色とりどりの花が咲く、金剛寺へと参りましょう。境内山門までのアプローチには、弘法大師さまがいらっしゃいました。山門山門には梵鐘梵鐘は1762年(宝暦12年)、近畿一円より10万人の寄進により

  • 長慶寺(泉南市) あじさいと三重塔が織りなす泉州の絶景【御朱印】

    大阪府泉南市にある長慶寺(ちょうけいじ)は真言宗泉涌寺派のお寺です。神亀年間(724年頃)、聖武天皇の勅願寺として行基により、海会宮寺として創建されました。ご本尊は如意輪観世音菩薩。山号は金泉山、院号は慈昌院。境内にはたくさんのあじさいが咲き誇り、「あじさい寺」として人気のあるお寺です。数年前に訪れた事がある長慶寺ですが、あじさいの咲く季節に一度訪れてみたいと思っていました。あじさいの季節に訪れた長慶寺は、「あじさいの小道」や「あじさいの谷」などがあり、とても楽しむ事ができました。それでは、あじ

  • 榮山寺(栄山寺・五條市) 奈良時代にタイムスリップ!八角円堂の仏画に魅せられて【御朱印】

    榮山寺(栄山寺・えいさんじ)は、奈良県五條市にある真言宗豊山派のお寺です。古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等(ふじわらのふひと)の長子である武智麻呂(むちまろ)が養老3年(719年)に創建したと伝わります。境内にある八角円堂(国宝)は、天平宝字年間(757~764)、武智麻呂の子の仲麻呂(なかまろ)が父母の追善供養のために建立したとされ、内陣には美しい仏画などが極彩色で描かれています。通常、八角円堂の内陣は非公開なのですが、特別拝観の頃に訪れることができました。それでは、奈良時代の

  • 御厨子神社(橿原市) 神秘的な月輪石は必見!生気を授けるパワースポット!

    御厨子神社(みずしじんじゃ)は、奈良県橿原市東池尻町に鎮座しています。この辺りは、大和朝廷時代の政治的要地である磐余(いわれ)の地にあたり、境内がある場所は第22代清寧天皇の磐余甕栗宮跡(いわれみかくりのみやあと)の伝承地とされています。御祭神は根析神(ねさくのかみ)、安産霊神(やすむすびのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)。境内には「月輪石」と呼ばれる巨石があります。鬼滅の刃の聖地と言われている「天乃石立神社」に「一刀石」がありますが、こちらの「月輪石」も「一刀石」と似ていてビックリ!!そ

  • みずし観音妙法寺(橿原市) 吉備真備が創建した一願成就のお寺【御朱印】

    御厨子(みずし)観音妙法寺は、奈良県橿原市にあるお寺です。吉備真備(きびのまきび)が、入唐留学によって学芸を修めるとともに、唐から無事に日本に帰ることができたことに感謝し、735年(天平7年)に善覚律師(吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まります。境内は「磐余の池」を望む高台にあり、大津皇子が辞世の句を詠んだ場所とされ、句碑が建立されています。初めて訪れたみずし観音。とても長閑な場所にありました。それでは、みずし観音へと参りましょう。境内みずし観音は一願成就のお寺この坂道をテクテク

  • 鏡作坐天照御魂神社(奈良) 鏡の神様が守る古社【御朱印】

    鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。延喜式神名帳にも記載されている式内大社で、歴史ある神社です。御祭神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)。4世紀から5世紀ごろ、鏡類を製作鋳造していた鏡作部がこの地一体に居住していたと伝わります。それでは、約1700年前からこの地に鎮座されている鏡作坐天照御魂神社へと参りましょう。境内鳥居満開の桜も散り始め

  • 子安阿弥陀寺(和泉市) 光明皇后の歴史に包まれた子授け・安産祈願の古刹【御朱印】

    阿弥陀寺(あみだでら)は、大阪府和泉市大野町にある高野山真言宗のお寺です。子授け・安産祈願のお寺として知られ、子安阿弥陀寺とも呼ばれています。とても歴史あるお寺で、約1200年前、行基が光明皇后の安産に感激して、桜の大樹で阿弥陀如来を彫り、安置したのが始まりとされています。桜の大樹で彫られた阿弥陀如来さま。折しも、桜が咲く美しい季節に訪れる事ができました。それでは、阿弥陀寺へと参りましょう。境内とても素敵な参道です。由緒記当寺は今から1200有余年前、聖武天皇の御妃光明皇后が御産を悩まれていると

  • 男乃宇刀神社(和泉市) 神武東征伝説を体感する神話と神秘の聖地【御朱印】

    男乃宇刀神社(おのうとじんじゃ)は、大阪府和泉市仏並町に鎮座しています。主祭神は、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのすめらみこと・神武天皇)・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)。ここは、彦五瀬命が長髄彦と孔舎衙坂で戦った時に傷を負い余儀なく一時退却した際、この地の豪族である横山彦が迎えたとされる場所です。「男乃宇刀」という名前の「男乃」は兄、「宇刀」は弟の意味であり、兄である彦五瀬命と弟である神日本磐余彦尊を祀っていることに由来しているとか。それでは、

  • 菅生神社(菅生天満宮・堺市) 菅原道真公が澤から生まれた伝説って?【御朱印】

    菅生神社(すごうじんじゃ)は、大阪府堺市美原区に鎮座しています。菅生天満宮とも言われています。創建の時期については不明ですが、延喜式神名帳(927年頃)に記載された式内社であることから、平安中期には創建されていたことが解ります。主祭神は菅原道真公・天児屋根命。境内には、菅原道真公が「澤のほとり」から生まれたと伝わる「菅澤」が今も残っています。えっ?澤のほとりから菅原道真公が生まれた?それでは、おもしろ伝説が残る菅生神社へと参りましょう。境内鳥居扁額には菅生天満宮の文字手水舎拝殿主祭神は菅原道真公

  • 丹比神社(堺市) 樹齢1000年を超える御神木が凄い!反正天皇産湯の井戸が残る古社【御朱印】

    丹比神社(たんぴじんじゃ)は、大阪府堺市美原区多治井に鎮座しています。ご祭神は、火明命(ほのあかりのみこと)、瑞歯別命(みずはわけのみこと・反正天皇)。合祀により菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命。創建時期については不明ですが、延喜式神名帳(927年)にも記載されている式内社であることから、それ以前の創建であることが解ります。境内には「反正天皇産湯の井戸」も残されています。それでは、丹比神社へと参りましょう。境内二の鳥居二の鳥居の前は長い参道になっていて、遠くに一の鳥居

  • 出雲大社大阪分祠(堺市) 悪縁を切り良縁を結んでくれる神様

    出雲大社大阪分祠(いずもおおやしろおおさかぶんし)は、大阪府堺市東区に鎮座しています。出雲大社(島根県)の御分霊を奉斎する分祠です。主祭神は、島根県の出雲大社から分祠した大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)に加えて、大阪分祠となる前からの主祭神である火之迦倶槌大神(ひのかぐつちのおおかみ)。地元では「初芝さん」と呼ばれ、悪縁切り・縁結びの御利益があることで有名です。境内はとても広く、どこからお詣りしたらよいのかと迷ってしまうかも。それでは、出雲大社大阪分祠へと参りましょう。境内大鳥居と社号標大き

  • 萩原神社(堺市) しだれ梅が美しい梅園とかわいい木鷽(うそ)【御朱印】

    萩原神社(はぎわらじんじゃ)は、大阪府堺市東区に鎮座しています。萩原天神(はぎわらてんじん)とも呼ばれています。主祭神は、菅原道真公・天穂日命。創建年代は不詳ですが、社伝によりますと、天穂日命、天櫛玉命、素戔嗚尊の三柱を祀り、「萩原山日置天神」と称したのが萩原神社の起こりと伝わります。梅の花が咲く季節に訪れました。それでは、萩原神社へと参りましょう。境内鳥居をくぐると、参道の両脇に梅の花が咲いていました。梅の花の甘い香りに包まれて、参道を歩きます。御由緒社伝によりますと、かつてこの地は、奈良時代

  • 金山寺(岡山県) 動く襖絵にビックリ!三重塔が美しい岡山の古刹【御朱印】

    金山寺(きんざんじ、かなやまじ)は、岡山県岡山市北区金山寺(かなやまじ)にある天台宗のお寺です。奈良時代の天平勝宝元年(749)、孝謙天皇の勅願により、報恩大師によって創建されました。平安時代には、臨済宗を開かれた栄西禅師が住職を務められました。また、戦国時代には宇喜多直家公の寄進により、本堂(平成24年に焼失)と護摩堂が建築され、伯耆の大山寺と比叡山を復興された名僧の豪円僧正が住職を務められました。岡山県下でも最高の格式と歴史を誇る古刹です。それでは、1300年の歴史を誇る金山寺へと参りましょ

  • 吉備津彦神社(岡山県) 桃太郎と卑弥呼は姉弟だった?桃太郎伝説と出会う岡山の旅【御朱印】

    吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮に鎮座しています。備前国一宮で、「朝日の宮(あさひのみや)」とも呼ばれています。大化の改新の後、吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として創建されました。ちなみに、備中国一宮には「吉備津神社」、備後国一宮には「吉備津神社(福山市)」が鎮座しています。吉備津神社を訪れた後、吉備津彦神社へとやってきました。それでは、桃太郎伝説が残る吉備津彦神社へと参りましょう。吉備津彦神社の主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。吉備

  • 吉備津神社(岡山県) 桃太郎伝説が残る岡山のパワースポット!【御朱印帳と御朱印】

    吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津に鎮座しています。式内社(名神大社)であり、備中国一宮。吉備中山(標高175メートル)の北西麓に北面して鎮座している吉備津神社。吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。吉備津神社と吉備津彦神社があるの?ややこしいですね(笑))吉備津神社と吉備津彦神社の違いを簡単にご説明しましょう。大化の改新後に吉備の国は解体され、備中、備前、備後の三地域に分割されました。吉備の国を守っていた吉備津神社が各地域に分社され

  • 村屋坐彌冨都比賣神社(奈良) 三輪さんだけでは片参り 大神神社夫婦神を祀る縁結びの神様【御朱印】

    村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。延喜式神名帳にも記載のある式内大社。主神は三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)、配祀神として大物主命(オオモノヌシノミコト)が祀られています。日本書記によりますと、三穂津姫命は高皇産霊命(タカミムスビノミコト)の姫神で、大物主命が国譲りをされた時その功に報いるためと、大物主命の二心のないようにという願いから、大物主命へ贈られた神様です。大物主命は大神神社のご祭神、その后神を祀る村屋坐彌冨都比賣神社は大神神

  • 信貴山朝護孫子寺(奈良) 商売繁盛・金運アップ・病気平癒などご利益いっぱいのパワースポット!【御朱印】

    朝護孫子寺は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山のお寺です。読み方は、「ちょうごそんしじ」と読みます。山号は信貴山。ご本尊は毘沙門天。「信貴山の毘沙門さん」として知られ、初詣や「寅まつり(2月)」の時期は多くの参拝客で賑わいます。境内はとても広く、三つの塔頭寺院があります。訪れたのは寅年最後の12月。それでは、朝護孫子寺へと参りましょう。創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後に、その加護に

  • 金山媛神社(柏原市) 日本最古の金属の神様を祀る古社

    金山媛神社(かなやまひめじんじゃ)は、大阪府柏原市雁多尾畑に鎮座しています。地名である「雁多尾畑」は「かりんどおばた」と読みます。創建時期は不明ですが、延喜式神名帳に記載されている式内社です。古代、竜田山を中心とするこの地域は、製鉄業が栄えていたと言われ、丘陵地に位置する金山媛神社は、金属の守護神として祀られていたと考えられています。それでは、金山媛神社へと参りましょう。境内神社入り口には参拝者専用の駐車場があります。車をとめて、石段をテクテク♪振り返ると雁多尾畑の集落が見えます。御由緒ご祭神は

  • 脳天大神龍王院(吉野) 450段の階段はまさに修行!霊験あらたかな首から上の守り神様【御朱印】

    脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峯山寺の塔頭寺院です。昭和26年(1951)、当時の管領五條覚澄(かくちょう)大僧正よって創祀されました。蔵王堂の西方の谷あいにあり、入試合格や頭病平癒など、首から上の願い事に霊験あらたかと伝わります。蔵王堂から450段の階段を下って参拝してきました。それでは、脳天大神龍王院へと参りましょう。御縁起脳天大神様は、金峯山寺初代管長故五條覚澄大僧正が霊威感得されました頭脳の守護神であります。覚澄大僧正はお瀧のある修行の場所

  • 世尊寺(奈良) 飛鳥時代の礎石が残る聖徳太子ゆかりの古刹【御朱印】

    世尊寺(せそんじ)は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗のお寺です。山号は霊鷲山。ご本尊は阿弥陀如来(放光樟像)。31代用明天皇2年(687)勅願によって、聖徳太子が建立されたと伝えられています。古くは「比曽寺(ひそでら)」と呼ばれ、吉野地方で大変栄えた寺院の一つでした。古代最大の内乱とされる「壬申の乱」では、大海人皇子(後の天武天皇)が入寺、平安時代には56代清和天皇、59代宇多上皇が行幸され、空海も参詣されたことが古文書に残されています。境内には飛鳥時代に建立された東塔跡、西塔跡、金堂跡、講

  • 長栄寺(東大阪市) 聖徳太子開基の慈雲尊者ゆかりのお寺【御朱印】

    長栄寺(ちょうえいじ)は、大阪府東大阪市にある新真言宗総本山のお寺です。山号は百済山(ひゃくざいざん)。御本尊は十一面観音立像。聖徳太子の開基と伝えられています。その後、荒廃した長栄寺を延享元年(1744)、27歳の慈雲尊者が中興しました。境内には、慈雲尊者が生駒山中額田谷の長尾の滝上流に隠棲され、修行の為に建てた雙龍庵(双龍庵)の遺構の一つ「禅那台」があり必見です。それでは、長栄寺へと参りましょう。境内門を入ってすぐ左手に見える開山堂手水舎史跡長栄寺境内長栄寺境内は大阪府史跡に指定されています

  • 鴨高田神社(東大阪市) 鴨氏の祖神を祀る歴史ある氏神さま

    鴨高田神社(かもたかだじんじゃ)は、大阪府東大阪市高井田元町に鎮座しています。延喜式神名帳に記載されている式内社。社伝によりますと、古代豪族であった鴨氏がこの地に居住し、673年、祖神である大鴨積命(おおかもつみのみこと)を祀ったのが始まりと伝えられています。境内は広く、歴史を感じる石灯篭や大きな御神木がとても印象的でした。それでは、鴨高田神社へと参りましょう。境内扁額御由緒などの案内版手水舎拝殿【ご祭神】速須佐之男命、大鴨積命、神功皇后、応神天皇別名「八幡社」とも呼ばれていましたが、これは保元

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