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2017/02/28

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  • 日部神社(堺市) 古事記伝に記された神武東征ゆかりの地【御朱印】

    日部神社(くさべじんじゃ)は、大阪府堺市西区に鎮座している式内社です。明暦年間(1655~57)に火災にあい、旧記・社宝等を焼失したため、創建年代・社歴などは明らかではありません。主祭神は彦坐命(ひこいますのみこと)・神武天皇(じんむてんのう)・道臣命(みちおみのみこと)。彦坐命は日下部氏の祖神で、この一帯を拠点としていた日下部氏が祖神を祀ったものと思われます。日下部氏の子孫の中には、日本のおとぎ話「浦島太郎」のモデルとして知られる「浦嶋子」がいます。浦嶋子の祖先とされている日下部氏は、古代、丹

  • 野々宮神社(堺市) 発火と鎮火の神を祀る火の宮【御朱印】

    野々宮神社(ののみやじんじゃ)は、大阪府堺市中区深井清水町に鎮座しています。創建については不詳ですが、約400年前と言われています。御祭神は、素盞嗚命(すさのおのみこと)・火産霊命(ほのむすびのかみ)・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)。「火の宮」とも称される神社で、火産霊命は発火と鎮火の神として、また菅原道真公は文字の神として信仰されています。境内は緑に包まれ、穏やかな時間と心の安らぎを与えてくれる素晴らしい場所となっています。かわいいお姿をした狛犬にも心癒されること間違いなし!笑それでは、

  • 鷺栖神社(橿原市) 歴史の謎と神秘に満ちた祈りの空間

    鷺栖神社(さぎすじんじゃ)は、奈良縣橿原市四分町に鎮座しています。創建・由緒についての詳細は不明ですが、延喜式神名帳に「鷺栖神社靫」と記されている式内社です。御祭神は天児屋根命、誉田別命、天照皇太神。「古事記」によれば、垂仁天皇の皇子である本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝の折、鷺栖神社にお立寄りになり、御祈願あらせられたと記されています。又、中世より鷺栖八幡と称せられ、武神として崇敬高く、次いで安産の守護神ともなり、信仰をあつめていたと伝わります。それでは、鷺栖神社へと参りましょう。鷺栖神社の前

  • 法貴寺・千万院(田原本町) 仏法を起こし歴史を紡ぐ聖徳太子ゆかりのお寺

    法貴寺・千万院(ほうきじ・せんまんいん)は、奈良県磯城郡田原本町にある真言律宗のお寺です。法貴寺は推古帝の頃、聖徳太子により創立され秦河勝に賜ったもので、その建立は法隆寺より古いと伝わります。仏法を起こす寺として、当初「法起寺」と命名されましたが、後に、法貴寺と呼ばれるようになりました。かつては七堂伽藍を誇る大寺院でしたが、現在は法貴寺の塔頭の一つである千万院の薬師堂を残すのみとなっています。それでは、法貴寺・千万院へと参りましょう。境内千万院の山門と鐘楼跡向こうに見えるのは池坐朝霧黄幡比売神社

  • 池坐朝霧黄幡比売神社(田原本町) 機織の神様を祀る秦氏ゆかりの古社

    池坐朝霧黄幡比売神社(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町法貴寺に鎮座しています。創建年代は不詳ですが、境内にある由緒を記された石碑には、「推古天皇24年(616年)聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏が、その祖神守り神として崇敬した古社である」と記されています。御祭神は、天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと)・菅原道真公。天慶9年(949年)には、北野天満宮より菅原道真公を勧請して相殿に祀ったことから、中世から江戸時代までは「天満宮」の名前で呼ばれ

  • 服部天神宮(豊中市) 足の健康を願う!菅原道真公ゆかりの足の神様【御朱印】

    服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市服部元町に鎮座しています。「服部」という地名は、この辺りに朝鮮より機織の技術を伝えた秦氏が機織部(はたおりべ)として住んでいたことから、機織り(はたおり)から服部(はっとり)に変化し、成り立ったものと考えられています。御祭神は少彦名命・菅原道真公。菅原道真公が大宰府へ左遷され任地へ赴く途中、足の病にかかり、少彦名命に祈りを捧げたところ、足の病からご回復されたことから、「足の神様」として、親しまれています。それでは、服部天神宮へと参りましょう。境内

  • 鎮宅霊符神社(奈良市) ユーモラスなお顔の狛犬が超かわいい!陰陽師の聖地

    鎮宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)は、奈良県奈良市陰陽町に鎮座しています。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。日本神話の天地開闢において登場する神で、「古事記」では、神々の中で最初に登場する神様です。御神徳は、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、災禍除き福運を呼ぶ。鎮宅霊符神社は、「奈良町からくりおもちゃ館」の隣にあるのですが、入り口が小さいので注意して見てないと、通り過ぎてしまうかも?ユニークなお顔をした狛犬は、とっても魅力的でかわいいので必見です!それでは、鎮宅霊符神社へと参りま

  • 飛鳥神社(奈良市) 飛鳥から平城京へ京終に息づく古の祈り【御朱印】

    飛鳥神社(あすかじんじゃ)は、奈良県奈良市北京終町に鎮座しています。御祭神は、明日香三日姫命・天之事代主命・贈大政大臣道真公。菅原道真公をお祀りしていることから、京終天神社、紅梅殿神社とも呼ばれています。奈良時代、平城遷都に際して明日香の飛鳥神社を平城京左京四条の地に分霊し、室町時代の1369(応安2)年になって、北京終町の現在地に移ったと伝わります。それでは、飛鳥神社へと参りましょう。「ならまち」からテクテク歩いて、飛鳥神社へやってきました♪飛鳥神社が鎮座する京終(きょうばて)の地名には、平城

  • 徳融寺(奈良市) 中将姫の伝説が息づく聖地

    徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市にある融通念仏宗のお寺です。御本尊は阿弥陀如来立像。かつては高林院と号する元興寺の塔頭でした。天正18年(1590年)に現在地に移転し、寛文7年(1667年)に休岸上人によって堂宇が整備されました。徳融寺は、右大臣藤原豊成公の旧宅跡に建築され、豊成の娘・中将姫はこの地で生まれ育ったと伝わります。境内の墓地には豊成公と中将姫を祀った二基の石塔があります。それでは、徳融寺へと参りましょう。境内山門入り口に、「おとなの寺小屋」の案内版がありました。奇数月に開催されて

  • 御霊神社(奈良市) 狛犬の足止め祈願と縁結びのご利益【御朱印】

    御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町に鎮座しています。南都御霊神社・木比御霊とも呼ばれています。御祭神は、井上皇后・他戸親王・事代主命・早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊予親王・ 橘逸勢・文屋宮田麿。御霊神社とは、非業の死をとげた人の霊の祟りを恐れて、その霊を鎮めるために祀った神社のこと。奈良時代、平安時代の人々は無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。しかし、その怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考

  • 惣社水分神社 (宇太水分神社上社) 宇陀の水と共に天水分神の歴史を紡ぐ

    惣社水分神社(そうしゃみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野上芳野に鎮座しています。宇太水分神社上社(上宮)とも呼ばれ、正式名称は芳野坐式内惣社宇陀水分神社(ほうのにますしきないそうしゃうだみくまりじんじゃ)。宇陀市には他に2つの水分神社があり、榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。御祭神は、天水分神、国水分神、速秋津比古命、天児屋根命、誉田別命。神社の創建については明確には

  • 宇太水分神社 下社(宇陀市) 天水分神の加護に包まれた古の祈りが息づく場所

    宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)下社は、奈良県宇陀市榛原下井足に鎮座しています。宇陀市には他に2つの水分神社があり、菟田野上芳野の惣社水分神社を「上社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。御祭神は、天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命。神社の創祀は正確な年代が不明ですが、崇神天皇15年(紀元前83年)の勅祭とされる記録が残っており、その起源は非常に古いことがわかります。また、太古の国史「三代実録」(奈良時代~平安時代に編集

  • 宇太水分神社 中社(宇陀市) 国宝本殿にうっとり♪古代からの水の守り神【御朱印】

    宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)中社は、奈良県宇陀市菟田野古市場に鎮座しています。宇陀市には他に2つの水分神社があり、榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、菟田野古市場(うたのふるいちば)の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。御祭神は、天水分神(あめのみくまりのかみ)・速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)・国水分神(くにのみくまりのかみ)。創建は約1700年前、崇神天皇の時代と伝わり、古くから水の守り神として信仰

  • 八咫烏神社(奈良) 神武天皇を導いた八咫烏を祀る最初の神社【御朱印】

    八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)は、奈良県宇陀市に鎮座しています。御祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)。建角身命は、古事記・日本書紀において、吉野山中で困難に見舞われた神武天皇を安全に大和の地へ導いた八咫烏大神です。創建は慶雲2年(705年)、「続日本紀」に八咫烏社を祭ると記されています。境内には、日本サッカー協会のシンボルマークである「八咫烏」の像があり、頭にサッカーボールを乗せたかわいい八咫烏像は見どころの一つです。それでは、清々しい空気が流れる八咫烏神社へと参りましょう。参道一の鳥居をく

  • 光雲寺(奈良) 樹齢1000年の厄除杉がそびえる越智氏の菩提寺【御朱印】

    光雲寺(こううんじ)は、奈良県高市郡高取町にある黄檗宗のお寺です。南朝の忠臣越智氏の菩提寺で、南北朝時代初期の1346年、この一帯を治めていた越智邦澄(おちくにずみ)が出家し、越智家の菩提寺として「興雲寺」の名で建立したことが寺の始まりと伝わります。お寺の入り口には、樹齢1000年になる厄除け杉がそびえていて、明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ今日に至っています。ご本尊は釈迦如来坐像。境内には方丈庭園があり、緑あふれる静かな空間となっています。それでは、異国情

  • 燕神社(御所市) 日本建国の歴史に触れる神武天皇が見た景色

    燕神社(つばめじんじゃ)は、奈良県御所市柏原に鎮座しています。ご祭神は、神倭磐余彦命、豊受大御神、武甕槌命。燕神社は、神武天皇が国見をしたという「嗛間丘(ほほまの丘)」の候補地の一つである本馬山にあります。神武天皇はここからどのような景色をご覧になっていたのでしょう。燕神社は1921年(大正10)、「解放令」50周年を記念して燕会のメンバーによって建立されました。それでは、燕神社へと参りましょう。人権ふるさと公園から歩くことスグ。燕神社へと続く階段があります。階段をテクテク登って行きます♪暫く登

  • 神武天皇社(御所市柏原) 日本の始まりの地はここだった?神武天皇伝説を訪ねて

    神武天皇社(じんむてんのうしゃ)は、奈良県御所市柏原に鎮座しています。ご祭神は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)。初代神武天皇は、畝傍山東南の麓に橿原宮を創建し即位されたと伝わりますが、一説によると、この場所に柏原宮があり、初代神武天皇が即位したと言われています。里の北西方向には本馬山があり、神武天皇が国見をした「嗛間丘(ほほま)の丘」であると伝わります。それでは、歴史の源流を訪ねて神武天皇社へと参りましょう。「掖上の道(わきがみのみち)」を歩いてテクテク♪境内スッキリし

  • 吉祥草寺(御所市) 千年以上の歴史が息づく役行者誕生所【御朱印】

    吉祥草寺(きっしょうそうじ)は、奈良県御所市茅原にある本山修験宗のお寺です。茅原は修験道の開祖である役行者の出生地とされ、吉祥草寺は役行者により開基、舒明天皇により創建されたと伝わります。御本尊は五大尊(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)。境内には役行者産湯の井戸や、役行者の腰掛け石などが残されています。吉祥草寺からは役行者が修行を積んだという葛城山が見え、役行者の足跡を感じる事ができます。それでは、吉祥草寺へと参りましょう。境内山門を額縁に見える本堂茅原は修験道の開祖

  • 金刀比羅神社(富田林市) 大阪千日前からお引越しされてきた金比羅さん

    金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)は、大阪府富田林市嬉に鎮座しています。通称、金比羅さん(こんぴらさん)とも呼ばれています。金刀比羅神社は、香川県にある金刀比羅宮(ことひらぐう)を総本宮とする神社で、海上交通の守り神として信仰されています。御祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)。嬉の金比羅さんは、大阪市内の千日前からお引越しされてきました。賑やかなミナミの繁華街から富田林市へお引越しされてきた金比羅さん。今では、石川を望む長閑な風景の中で見守って下さっています。それで

  • 千代田神社(河内長野市) 菅原道真公の御神体を祀る河内長野の守護神

    千代田神社(ちよだじんじゃ)は、大阪府河内長野市に鎮座しています。ご祭神は菅原道真公、天児屋根命、底筒男命、蛭子命、足仲津彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)、稲田姫命。江戸時代以前の記録が現存していないので創建年代については不詳ですが、御神体である菅原道真公の座像が平安時代末期の作とされていることから、それ以前には存在していたと考えられています。江戸時代の記録によりますと、かつては「天神社」、「天満宮」と呼ばれていました。境内は緑豊かで、とても心地よい空間が広がっていました。それでは、千代

  • 耳成山口神社(橿原市) 大和三山の耳成山を登って古代の神々を訪ねる

    耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市にある耳成山に鎮座しています。耳成山は、香具山・畝傍山とともに大和三山に数えられていて、万葉集にも歌われています。ご祭神は、高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)、大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)。大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)のうちの1社で、皇室の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていました。明治時代以前は、天神社と呼ばれ、雨乞いの神事が行われたと記録が残っています。耳成山口神社があるのは、耳成山の麓ではな

  • 孝霊神社(廬戸神社・田原本) 孝霊天皇の古都に鎮座する法楽寺の鎮守社

    孝霊神社(こうれいじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町黒田に鎮座しています。別名、廬戸神社(いおとじんじゃ)とも呼ばれています。御祭神は、孝霊天皇、倭迹迹日百襲媛命、彦五十狭芹彦命、稚武彦命、他三神。記紀には孝霊天皇の宮として⿊⽥廬⼾宮(くろだいおとのみや)が記されており、この宮跡に建てられたのが法楽寺といわれています。孝霊神社はかつて法楽寺の鎮守社でしたが、明治時代の神仏分離令により、現在の場所に移されました。法楽寺へ訪れた後、歩いて孝霊神社へと向かいました。それでは、孝霊神社へと参りましょう。

  • 法楽寺(奈良) 桃太郎誕生地に建つ聖徳太子ゆかりのお寺

    法楽寺(ほうらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町黒田にある真⾔宗のお寺です。古事記や日本書紀によりますと、この辺りは第7代孝霊天皇の⿊⽥廬⼾宮(くろだいおどのみや)があったと記されています。法楽寺は⿊⽥廬⼾宮跡地に建立され、聖徳太子の開基と伝えられています。ご本尊は⼦安地蔵菩薩⽴像。孝霊天皇の皇⼦である吉備津彦命(きびつひこのみこと)が桃太郎のモデルと⾔われていることから、ここは「桃太郎誕⽣の地」と呼ばれています。それでは、「桃太郎誕生の地」に建立された法楽寺へと参りましょう。境内「桃太郎誕生の地」

  • 瓢箪山稲荷神社(東大阪市) 瓢箪型の古墳斜面に社殿が建つ豊臣秀吉ゆかりのお稲荷さん【御朱印】

    瓢箪山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)は、大阪府東大阪市瓢箪山町に鎮座しています。生駒山麓に群集して築造された山畑古墳群。その中でも最も古い6世紀初め頃に造られた最大の古墳、通称「瓢箪山古墳」の西斜面に、社殿が建っています。ご祭神は保食大神(うけもちのおおかみ)。辻占いの総本社として知られ、日本三大稲荷の一つとも言われています。それでは、古墳の斜面に建つ瓢箪山稲荷神社へと参りましょう。参道近鉄奈良線「瓢箪山駅」からジンジャモール商店街を歩いて行くと、瓢箪山稲荷神社一の鳥居が見えてきます。

  • 綱敷天神社御旅社(大阪市) 梅塚天満宮から始まった菅原道真公との約束【御朱印】

    綱敷天神社御旅社(つなしきてんじんじゃおたびしゃ)は、大阪府大阪市北区茶屋町に鎮座しています。主祭神は菅原道真公。綱敷天神社御本社から境外飛び地末社である歯神社と巡ってきましたが、この御旅社が最後です。「御旅所」というのはよくありますが、「御旅社」って珍しいですね。「御旅所」は神様の別荘地のような仮の神社を指す言葉ですが、「御旅社」は常に神様がいらっしゃるとか。御旅社は元々御本社の南にあり、かつては「梅塚天神」と称さていたようです。それでは、綱敷天神社御旅社へと参りましょう。綱敷天神社御本社→境

  • 歯神社(大阪市) 梅田に鎮座する歯痛によく効く歯の神様【御朱印】

    歯神社(はじんじゃ)は、大阪府大阪市北区に鎮座しています。歯の神様をお祀りする神社で、梅田の氏神さまである綱敷天神社の飛び地末社としてお祀りされています。ご祭神は歯神大神(宇賀御魂神)。歯神社は元々、梅田界隈の田畑をお守りになられるお稲荷さんでした。このお稲荷さんにあった大きな巨石をご神体としてお祀りされたのが始まりと伝えられています。お稲荷さんがいつから歯の神様になったのでしょうか?それでは、その謎を解明すべく、歯神社へと参りましょう。綱敷天神社御本社を参拝後、飛び地末社である「歯神社」へとや

  • 綱敷天神社 御本社(大阪市) 嵯峨天皇・菅原道真公を祀る梅田の氏神さま 【御朱印】

    綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)は、大阪市北区神山町に鎮座しています。ご祭神は嵯峨天皇、菅原道真公。今から1200年ほど昔の弘仁十三年(822)に、第五十二代天皇の嵯峨天皇が当地「喜多埜(きたの)」に御行幸され、現在の御本社のある神山の地に頓宮を構え、一宿された事に由来する神社です。綱敷天神社は御本社とは別に、茶屋町には神様の別荘にあたる「御旅社」、角田町には飛び地末社である「歯神社」がそれぞれ鎮座しています。「綱敷天神社御本社」→「歯神社」→「御旅社」と巡ってきました。まずは、綱敷天神社御本

  • サムハラ神社(大阪) 身を護ってくれる不思議な四文字のお守り【御朱印】

    サムハラ神社(さむはらじんじゃ)は、大阪府大阪市西区に鎮座しています。ご祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすひのおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすひのおおかみ)の造化三神。怪我・災難を除ける護符として伝承される「サムハラ」の文字。サムハラとは四文字の漢字なのですが、この文字にこそ、すごいご加護のお力があるようです。あまりにも恐れ多い文字なので、今回の記事内では「サムハラ」と、カタカナ表記にさせて頂きます。ご利益は災難除け、身体健固、無傷無病、延命長寿など身を

  • 八剱神社(大阪市) 大坂の陣ゆかりの地に鎮座する災難除けの神様

    八剱神社(やつるぎじんじゃ)は、大阪府大阪市城東区に鎮座しています。御祭神は八劔大明神・武速須佐雄大神・罔象女大神。ご利益は「災難除け」。八劔大明神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と同体とされています。須佐之男命は、巨大な大蛇を退治し、来たるべき災難を未然に防ぐことが出来たことから「災難除けの神様」として崇められています。初めて訪れた八劔神社は不思議な体感を感じたり、面白い現象が起こったり?・・と、神様感を感じる神社でした。それでは、八剱神社へと参りましょう。JRおおさか東線「鴫野駅」を降りて

  • 白山神社(大阪市) ご縁をくくる縁結びの菊理媛神【御朱印】

    白山神社(しらやまじんじゃ)は、大阪府大阪市城東区に鎮座しています。御祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)。創建の詳細は不明ですが、古くから白山妙理権現(白山権現)と称され、親子・兄弟・夫婦・家族や友人にいたるまで、全ての仲を守る「和の守護神」として信仰されています。境内にあるイチョウの大木の樹高は約4.5mもあり、大阪府の天然記念物に指定されています。それでは、イチョウの大木が見守る白山神社へと参りましょう。訪れたのは、九がふたつ重なる重陽の節句の日。くく・・っということで(笑)、菊理媛の神様に

  • 梶無神社(東大阪市) アオバズクが飛来する夫婦神を祀る古社【御朱印】

    梶無神社(かじなしじんじゃ)は、大阪府東大阪市六万寺町に鎮座しています。アオバズクの繁殖地として有名で、毎年飛来してきては境内の御神木に巣を作ります。シーズンにはかわいいアオバズクの雛を見ようと、たくさんの方が訪れるようです。御祭神は瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。神社境内は美しい樹木に覆われ、東大阪市の保存樹林に指定されています。それでは、緑が眩しい梶無神社へと参りましょう。境内生駒山の麓の住宅街の中に鎮座されていました。梶無神社略記社伝によると、神武天皇は、ご東征の砌り御船を白肩津から入江深く遡らせ

  • 多観音堂(奈良) 田原本御佛三十三ケ巡礼と江戸時代から続く「ボダイボダイと牛蒡喰行事」

    多観音堂(おおかんのんどう)は、奈良県磯城郡田原本町多にある観音堂です。御本尊は十一面観音菩薩立像。長閑な田園風景が広がる場所にひっそりと佇んでいます。多座弥志理都比古神社→小杜神社→姫皇子神社を参拝した後に訪れました。それでは、多観音堂へと参りましょう。境内田んぼの中の小さな森。観音さまはこの小さな森の中にいらっしゃいました。多観音堂の説明書き御本尊の十一面観音菩薩立像は平安時代後期の作。多観音堂は明治の廃仏毀釈・神仏分離令までは、多座弥志理都比古神社の神宮寺であったようです。多観音堂では江戸

  • 姫皇子命神社(奈良) 多座弥志理都比古神社の皇子神を祀る境外摂社

    姫皇子命神社(ひめみこのみことじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。多座弥志理都比古神社の境外摂社で、延喜式神名帳に記載された式内社です。御祭神は姫皇子命。多坐彌志理都比古神社の四皇子神を祀る神社の一社です。『五郡神社記』では、本社二座と四皇子神を祀る神社をもって「意富(おう)六所神社」と称しています。姫皇子命神社は長閑な田園風景の中にありました。それでは、姫皇子命神社へと参りましょう。姫皇子命神社へ多坐彌志理都比古神社、小杜神社を参拝後、姫皇子命神社を目指します。長閑な田園風景を

  • 小杜神社(奈良) 太安万侶を祀る古事記ゆかりの神社

    小杜神社(こもりじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。多座弥志理都比古神社の境外摂社で、延喜式神名帳に記載された式内社です。多座弥志理都比古神社に残る「多神宮注進状」では、樹森(こもり)神社と呼ばれ、江戸時代には地名をとって木ノ下(このした)神社とも呼ばれていました。御祭神は太朝臣安萬呂(太安万侶・古事記の編纂者)。多坐彌志理都比古神社の四皇子神を祀る神社の一社です。それでは、小杜神社へと参りましょう。多座弥志理都比古神社の前に古事記の碑がありました。小杜神社境内地図多座弥志理都比

  • 多坐弥志理都比古神社(奈良) 古代遺跡の中心に鎮座する神八井耳命を祀る古社

    多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。式内社(名神大社)で、多神社(おおじんじゃ)とも呼ばれています。創建は綏靖天皇2年(紀元前580年)、記紀神話に「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、それが多坐弥志理都比古神社の始まりとされています。御祭神は神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)、神八井耳命(神武天皇皇子)、神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)、姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)、太安万侶。この場所は多氏の拠

  • 家原寺(堺市) 知恵の文殊さんで親しまれる合格祈願のお寺【御朱印】

    家原寺(えばらじ)は、大阪府堺市西区家原寺町にある行基宗大本山のお寺です。飛鳥・奈良時代の高僧行基(668~749)は、この地で生まれました。寺伝によりますと、慶雲元年(704年)、母方の実家のあった誕生地に自ら寺院を建立したのが家原寺の始まりとされています。ご本尊の文殊菩薩は「知恵の文殊」として、一年を通して数多くの参拝者があり、特に受験生が多く、合格祈願に訪れることで有名です。合格祈願の寺として、以前は祈願する際に本堂の壁に直接願い事を書き入れていました。そのため別名「落書き寺」と呼ばれてい

  • 蜂田神社(堺市) 音色で占う千年の歴史と夏を奏でる風鈴まつり【御朱印】

    蜂田神社(はちたじんじゃ)は大阪府堺市に鎮座しています。創建年代については不詳ですが、延喜式神名帳に記されている式内社です。主祭神は天児屋根命。この地方に住居していた蜂田連の一族が、その祖先である天児屋根命を主祭神として祀ったとされています。蜂田連が鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事から、「鈴の宮」とも呼ばれています。境内にはたくさんの風鈴が飾られ、心地良い風鈴の音が響いていました。それでは、蜂田神社へと参りましょう。駐車場では風鈴がお出迎え♪風鈴まつりが行われるようになって今年は9

  • 葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市) 二上山登山口に鎮座する機織りの神さま【御朱印】

    葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山山麓に鎮座しています。創建時期は不明ですが、延喜式神名帳に記されている式内大社で、倭文神社(しずりじんじゃ)とも呼ばれています。主祭神は、天羽雷命(あまはいかづちのみこと)。右殿に摂社・掃守神社(天忍人命)、左殿に摂社・二上神社(大国魂命)を配祀しています。神社横の道は、二上山への登山口になっています。それでは、葛木倭文座天羽雷命神社へと参りましょう。境内二上山登山口を目指してテクテク♪葛木倭

  • 當麻山口神社(葛城市) 映画のロケ地にもなった二上山麓に鎮座する古社【御朱印】

    當麻山口神社(たいまやまぐちじんじゃ)は、奈良県葛城市にある二上山の麓に鎮座しています。延喜式神名帳(901年)にも記されている式内社です。延喜式神名帳には大和の国14ヶ所の山口神社が記され、いずれも式内大社の社格をもち、朝廷から奉納をうけていました。これらの神社は本来、山々の精霊を支配した大山祗命をご祭神としたものとされています。平安時代末期に、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、木花開耶比売姫(このはなのさくやひめのみこと)が合祀されました。それでは、緑豊かな當麻山口神社

  • 長尾神社(葛城市) 龍神・大蛇の神々が宿る神聖なるスピリチュアルスポット【御朱印】

    長尾神社(ながおじんじゃ)は、奈良県葛城市に鎮座しています。創建年代については不詳ですが、延喜式神名帳に記されている式内社です。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおみかみ)、水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)。鎮座地は日本最古の官道である竹ノ内街道や初瀬街道(横大路)、さらに長尾街道などの主要街道が交差する交通の要衝にあり、古来より交通安全、旅行安全の神として篤く信仰されています。三輪明神は蛇の頭で長尾神社が蛇の尾っぽという大蛇の伝承が

  • 波太神社(阪南市) 拝殿の壮麗さに触れる1000年を超える風景【御朱印】

    波太神社(はたじんじゃ)は、大阪府阪南市に鎮座しています。創建年代は不詳ですが、延喜式神名帳(927年)に列せられている式内社です。鳥取部の姓を賜った天湯河板挙(あめのゆかわたな)が、祖先の角凝命(つのこりのみこと)を祭神として、波太の地(現・阪南市桑畑)に祀ったのが波太神社の始まりと伝えられています。壮麗な拝殿は一際目を引きます。それでは、美しい波太神社へと参りましょう。ある日テレビをつけると、こちらの神社の拝殿が映っていて、あまりにも美しい拝殿に一目惚れ(笑))。その数日後、波太神社へとやっ

  • 法楽寺(大阪市) 平安時代から息づく「たなべのお不動さん」で親しまれるお寺【御朱印】

    法楽寺(ほうらくじ)は、大阪市東住吉区にある真言宗泉涌寺派大本山のお寺です。山号は紫金山(しこんざん)、院号は小松院。法楽寺の創建は治承二年(1178年)、平家の棟梁、小松内大臣平重盛公により建立されました。御本尊に大聖不動明王をお祀りし、「たなべのお不動さん」の名で親しまれています。山門をくぐると、とても美しい三重塔が迎えてくれました。それでは、法楽寺へと参りましょう。境内境内図と法楽寺縁起平治の乱に滅びた源氏の棟梁源義朝公の念持仏、如意輪観音像を安置し、怨親平等(おんしんびょうどう・絶対平等

  • 金剛寺(五條市) 美しいぼたん園と古刹の風景【御朱印】

    金剛寺(こんごうじ)は、奈良県五條市野原にある高野山真言宗のお寺です。山号は小松山。御本尊は薬師如来。1173年(承安3年)、平重盛(たいらのしげもり)公により創建されたと伝えられています。ぼたん寺として知られていて、境内は四季折々の花を楽しむことができ、関西花の寺二十五霊場の札所にもなっています。それでは、色とりどりの花が咲く、金剛寺へと参りましょう。境内山門までのアプローチには、弘法大師さまがいらっしゃいました。山門山門には梵鐘梵鐘は1762年(宝暦12年)、近畿一円より10万人の寄進により

  • 長慶寺(泉南市) あじさいと三重塔が織りなす泉州の絶景【御朱印】

    大阪府泉南市にある長慶寺(ちょうけいじ)は真言宗泉涌寺派のお寺です。神亀年間(724年頃)、聖武天皇の勅願寺として行基により、海会宮寺として創建されました。ご本尊は如意輪観世音菩薩。山号は金泉山、院号は慈昌院。境内にはたくさんのあじさいが咲き誇り、「あじさい寺」として人気のあるお寺です。数年前に訪れた事がある長慶寺ですが、あじさいの咲く季節に一度訪れてみたいと思っていました。あじさいの季節に訪れた長慶寺は、「あじさいの小道」や「あじさいの谷」などがあり、とても楽しむ事ができました。それでは、あじ

  • 榮山寺(栄山寺・五條市) 奈良時代にタイムスリップ!八角円堂の仏画に魅せられて【御朱印】

    榮山寺(栄山寺・えいさんじ)は、奈良県五條市にある真言宗豊山派のお寺です。古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等(ふじわらのふひと)の長子である武智麻呂(むちまろ)が養老3年(719年)に創建したと伝わります。境内にある八角円堂(国宝)は、天平宝字年間(757~764)、武智麻呂の子の仲麻呂(なかまろ)が父母の追善供養のために建立したとされ、内陣には美しい仏画などが極彩色で描かれています。通常、八角円堂の内陣は非公開なのですが、特別拝観の頃に訪れることができました。それでは、奈良時代の

  • 御厨子神社(橿原市) 神秘的な月輪石は必見!生気を授けるパワースポット!

    御厨子神社(みずしじんじゃ)は、奈良県橿原市東池尻町に鎮座しています。この辺りは、大和朝廷時代の政治的要地である磐余(いわれ)の地にあたり、境内がある場所は第22代清寧天皇の磐余甕栗宮跡(いわれみかくりのみやあと)の伝承地とされています。御祭神は根析神(ねさくのかみ)、安産霊神(やすむすびのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)。境内には「月輪石」と呼ばれる巨石があります。鬼滅の刃の聖地と言われている「天乃石立神社」に「一刀石」がありますが、こちらの「月輪石」も「一刀石」と似ていてビックリ!!そ

  • みずし観音妙法寺(橿原市) 吉備真備が創建した一願成就のお寺【御朱印】

    御厨子(みずし)観音妙法寺は、奈良県橿原市にあるお寺です。吉備真備(きびのまきび)が、入唐留学によって学芸を修めるとともに、唐から無事に日本に帰ることができたことに感謝し、735年(天平7年)に善覚律師(吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まります。境内は「磐余の池」を望む高台にあり、大津皇子が辞世の句を詠んだ場所とされ、句碑が建立されています。初めて訪れたみずし観音。とても長閑な場所にありました。それでは、みずし観音へと参りましょう。境内みずし観音は一願成就のお寺この坂道をテクテク

  • 鏡作坐天照御魂神社(奈良) 鏡の神様が守る古社【御朱印】

    鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。延喜式神名帳にも記載されている式内大社で、歴史ある神社です。御祭神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)。4世紀から5世紀ごろ、鏡類を製作鋳造していた鏡作部がこの地一体に居住していたと伝わります。それでは、約1700年前からこの地に鎮座されている鏡作坐天照御魂神社へと参りましょう。境内鳥居満開の桜も散り始め

  • 子安阿弥陀寺(和泉市) 光明皇后の歴史に包まれた子授け・安産祈願の古刹【御朱印】

    阿弥陀寺(あみだでら)は、大阪府和泉市大野町にある高野山真言宗のお寺です。子授け・安産祈願のお寺として知られ、子安阿弥陀寺とも呼ばれています。とても歴史あるお寺で、約1200年前、行基が光明皇后の安産に感激して、桜の大樹で阿弥陀如来を彫り、安置したのが始まりとされています。桜の大樹で彫られた阿弥陀如来さま。折しも、桜が咲く美しい季節に訪れる事ができました。それでは、阿弥陀寺へと参りましょう。境内とても素敵な参道です。由緒記当寺は今から1200有余年前、聖武天皇の御妃光明皇后が御産を悩まれていると

  • 男乃宇刀神社(和泉市) 神武東征伝説を体感する神話と神秘の聖地【御朱印】

    男乃宇刀神社(おのうとじんじゃ)は、大阪府和泉市仏並町に鎮座しています。主祭神は、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのすめらみこと・神武天皇)・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)。ここは、彦五瀬命が長髄彦と孔舎衙坂で戦った時に傷を負い余儀なく一時退却した際、この地の豪族である横山彦が迎えたとされる場所です。「男乃宇刀」という名前の「男乃」は兄、「宇刀」は弟の意味であり、兄である彦五瀬命と弟である神日本磐余彦尊を祀っていることに由来しているとか。それでは、

  • 菅生神社(菅生天満宮・堺市) 菅原道真公が澤から生まれた伝説って?【御朱印】

    菅生神社(すごうじんじゃ)は、大阪府堺市美原区に鎮座しています。菅生天満宮とも言われています。創建の時期については不明ですが、延喜式神名帳(927年頃)に記載された式内社であることから、平安中期には創建されていたことが解ります。主祭神は菅原道真公・天児屋根命。境内には、菅原道真公が「澤のほとり」から生まれたと伝わる「菅澤」が今も残っています。えっ?澤のほとりから菅原道真公が生まれた?それでは、おもしろ伝説が残る菅生神社へと参りましょう。境内鳥居扁額には菅生天満宮の文字手水舎拝殿主祭神は菅原道真公

  • 丹比神社(堺市) 樹齢1000年を超える御神木が凄い!反正天皇産湯の井戸が残る古社【御朱印】

    丹比神社(たんぴじんじゃ)は、大阪府堺市美原区多治井に鎮座しています。ご祭神は、火明命(ほのあかりのみこと)、瑞歯別命(みずはわけのみこと・反正天皇)。合祀により菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命。創建時期については不明ですが、延喜式神名帳(927年)にも記載されている式内社であることから、それ以前の創建であることが解ります。境内には「反正天皇産湯の井戸」も残されています。それでは、丹比神社へと参りましょう。境内二の鳥居二の鳥居の前は長い参道になっていて、遠くに一の鳥居

  • 出雲大社大阪分祠(堺市) 悪縁を切り良縁を結んでくれる神様

    出雲大社大阪分祠(いずもおおやしろおおさかぶんし)は、大阪府堺市東区に鎮座しています。出雲大社(島根県)の御分霊を奉斎する分祠です。主祭神は、島根県の出雲大社から分祠した大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)に加えて、大阪分祠となる前からの主祭神である火之迦倶槌大神(ひのかぐつちのおおかみ)。地元では「初芝さん」と呼ばれ、悪縁切り・縁結びの御利益があることで有名です。境内はとても広く、どこからお詣りしたらよいのかと迷ってしまうかも。それでは、出雲大社大阪分祠へと参りましょう。境内大鳥居と社号標大き

  • 萩原神社(堺市) しだれ梅が美しい梅園とかわいい木鷽(うそ)【御朱印】

    萩原神社(はぎわらじんじゃ)は、大阪府堺市東区に鎮座しています。萩原天神(はぎわらてんじん)とも呼ばれています。主祭神は、菅原道真公・天穂日命。創建年代は不詳ですが、社伝によりますと、天穂日命、天櫛玉命、素戔嗚尊の三柱を祀り、「萩原山日置天神」と称したのが萩原神社の起こりと伝わります。梅の花が咲く季節に訪れました。それでは、萩原神社へと参りましょう。境内鳥居をくぐると、参道の両脇に梅の花が咲いていました。梅の花の甘い香りに包まれて、参道を歩きます。御由緒社伝によりますと、かつてこの地は、奈良時代

  • 金山寺(岡山県) 動く襖絵にビックリ!三重塔が美しい岡山の古刹【御朱印】

    金山寺(きんざんじ、かなやまじ)は、岡山県岡山市北区金山寺(かなやまじ)にある天台宗のお寺です。奈良時代の天平勝宝元年(749)、孝謙天皇の勅願により、報恩大師によって創建されました。平安時代には、臨済宗を開かれた栄西禅師が住職を務められました。また、戦国時代には宇喜多直家公の寄進により、本堂(平成24年に焼失)と護摩堂が建築され、伯耆の大山寺と比叡山を復興された名僧の豪円僧正が住職を務められました。岡山県下でも最高の格式と歴史を誇る古刹です。それでは、1300年の歴史を誇る金山寺へと参りましょ

  • 吉備津彦神社(岡山県) 桃太郎と卑弥呼は姉弟だった?桃太郎伝説と出会う岡山の旅【御朱印】

    吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮に鎮座しています。備前国一宮で、「朝日の宮(あさひのみや)」とも呼ばれています。大化の改新の後、吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として創建されました。ちなみに、備中国一宮には「吉備津神社」、備後国一宮には「吉備津神社(福山市)」が鎮座しています。吉備津神社を訪れた後、吉備津彦神社へとやってきました。それでは、桃太郎伝説が残る吉備津彦神社へと参りましょう。吉備津彦神社の主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。吉備

  • 吉備津神社(岡山県) 桃太郎伝説が残る岡山のパワースポット!【御朱印帳と御朱印】

    吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津に鎮座しています。式内社(名神大社)であり、備中国一宮。吉備中山(標高175メートル)の北西麓に北面して鎮座している吉備津神社。吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。吉備津神社と吉備津彦神社があるの?ややこしいですね(笑))吉備津神社と吉備津彦神社の違いを簡単にご説明しましょう。大化の改新後に吉備の国は解体され、備中、備前、備後の三地域に分割されました。吉備の国を守っていた吉備津神社が各地域に分社され

  • 村屋坐彌冨都比賣神社(奈良) 三輪さんだけでは片参り 大神神社夫婦神を祀る縁結びの神様【御朱印】

    村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座しています。延喜式神名帳にも記載のある式内大社。主神は三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)、配祀神として大物主命(オオモノヌシノミコト)が祀られています。日本書記によりますと、三穂津姫命は高皇産霊命(タカミムスビノミコト)の姫神で、大物主命が国譲りをされた時その功に報いるためと、大物主命の二心のないようにという願いから、大物主命へ贈られた神様です。大物主命は大神神社のご祭神、その后神を祀る村屋坐彌冨都比賣神社は大神神

  • 信貴山朝護孫子寺(奈良) 商売繁盛・金運アップ・病気平癒などご利益いっぱいのパワースポット!【御朱印】

    朝護孫子寺は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山のお寺です。読み方は、「ちょうごそんしじ」と読みます。山号は信貴山。ご本尊は毘沙門天。「信貴山の毘沙門さん」として知られ、初詣や「寅まつり(2月)」の時期は多くの参拝客で賑わいます。境内はとても広く、三つの塔頭寺院があります。訪れたのは寅年最後の12月。それでは、朝護孫子寺へと参りましょう。創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後に、その加護に

  • 金山媛神社(柏原市) 日本最古の金属の神様を祀る古社

    金山媛神社(かなやまひめじんじゃ)は、大阪府柏原市雁多尾畑に鎮座しています。地名である「雁多尾畑」は「かりんどおばた」と読みます。創建時期は不明ですが、延喜式神名帳に記載されている式内社です。古代、竜田山を中心とするこの地域は、製鉄業が栄えていたと言われ、丘陵地に位置する金山媛神社は、金属の守護神として祀られていたと考えられています。それでは、金山媛神社へと参りましょう。境内神社入り口には参拝者専用の駐車場があります。車をとめて、石段をテクテク♪振り返ると雁多尾畑の集落が見えます。御由緒ご祭神は

  • 脳天大神龍王院(吉野) 450段の階段はまさに修行!霊験あらたかな首から上の守り神様【御朱印】

    脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峯山寺の塔頭寺院です。昭和26年(1951)、当時の管領五條覚澄(かくちょう)大僧正よって創祀されました。蔵王堂の西方の谷あいにあり、入試合格や頭病平癒など、首から上の願い事に霊験あらたかと伝わります。蔵王堂から450段の階段を下って参拝してきました。それでは、脳天大神龍王院へと参りましょう。御縁起脳天大神様は、金峯山寺初代管長故五條覚澄大僧正が霊威感得されました頭脳の守護神であります。覚澄大僧正はお瀧のある修行の場所

  • 世尊寺(奈良) 飛鳥時代の礎石が残る聖徳太子ゆかりの古刹【御朱印】

    世尊寺(せそんじ)は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗のお寺です。山号は霊鷲山。ご本尊は阿弥陀如来(放光樟像)。31代用明天皇2年(687)勅願によって、聖徳太子が建立されたと伝えられています。古くは「比曽寺(ひそでら)」と呼ばれ、吉野地方で大変栄えた寺院の一つでした。古代最大の内乱とされる「壬申の乱」では、大海人皇子(後の天武天皇)が入寺、平安時代には56代清和天皇、59代宇多上皇が行幸され、空海も参詣されたことが古文書に残されています。境内には飛鳥時代に建立された東塔跡、西塔跡、金堂跡、講

  • 長栄寺(東大阪市) 聖徳太子開基の慈雲尊者ゆかりのお寺【御朱印】

    長栄寺(ちょうえいじ)は、大阪府東大阪市にある新真言宗総本山のお寺です。山号は百済山(ひゃくざいざん)。御本尊は十一面観音立像。聖徳太子の開基と伝えられています。その後、荒廃した長栄寺を延享元年(1744)、27歳の慈雲尊者が中興しました。境内には、慈雲尊者が生駒山中額田谷の長尾の滝上流に隠棲され、修行の為に建てた雙龍庵(双龍庵)の遺構の一つ「禅那台」があり必見です。それでは、長栄寺へと参りましょう。境内門を入ってすぐ左手に見える開山堂手水舎史跡長栄寺境内長栄寺境内は大阪府史跡に指定されています

  • 鴨高田神社(東大阪市) 鴨氏の祖神を祀る歴史ある氏神さま

    鴨高田神社(かもたかだじんじゃ)は、大阪府東大阪市高井田元町に鎮座しています。延喜式神名帳に記載されている式内社。社伝によりますと、古代豪族であった鴨氏がこの地に居住し、673年、祖神である大鴨積命(おおかもつみのみこと)を祀ったのが始まりと伝えられています。境内は広く、歴史を感じる石灯篭や大きな御神木がとても印象的でした。それでは、鴨高田神社へと参りましょう。境内扁額御由緒などの案内版手水舎拝殿【ご祭神】速須佐之男命、大鴨積命、神功皇后、応神天皇別名「八幡社」とも呼ばれていましたが、これは保元

  • 春日神社(和泉市春木町) 弘法大師が冬籠した歴史ある神社【御朱印】

    春日神社(かすがじんじゃ)は、大阪府和泉市春木町に鎮座しています。御祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経都主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)。神社の起源は、唐国を拠点とした韓国連の祖先を祀る物部布留神社にさかのぼると伝えられています。とても歴史ある神社のようです。それでは、春日神社へと参りましょう。境内鳥居に掲げられた扁額がとても美しいです。手水舎お心を感じる素敵な手水舎です。お花が生けられ、周辺にはお花や観葉植物など彩られていました。

  • 積川神社(岸和田市) 見どころがいっぱい!天然記念物の椋と美しい本殿【御朱印】

    積川神社(つがわじんじゃ)は、大阪府岸和田市積川町に鎮座しています。式内社で、和泉五社(大鳥大社、泉穴師神社、聖神社、積川神社、日根神社)の一社。主祭神は、生井神(いくいのかみ)、栄井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)。天然記念物に指定されている大きな椋が迎えてくれました。それでは、積川神社へと参りましょう。境内崇神天皇の御代に創立されたと伝えられている古社。この場所から少し離れた府道30号線(熊野古道)沿いに、積川神社遥拝所があり

  • 丹生川上神社下社(奈良) 天へと続く階にうっとり!日本最古の水神を祀るパワースポット【御朱印】

    丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)は、奈良県吉野郡下市町長谷(ながたに)に鎮座しています。「丹生川上神社三社巡り」の一社。主祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)。天武天皇によって675年に創建された、雨乞いの神、日本最古の水神を祀る神社として有名です。天空へと続くかのような75段の屋根付き階(きざはし)は必見!白と黒の2頭の神馬にも会うことができました。それでは、丹生川上神社下社へと参りましょう。丹生川上神社下社の前には、清らかな丹生川が流れていて、丁度、鳥居正面あたりから、川に降りる

  • 丹生川上神社中社(奈良) 水神を祀る神武天皇ゆかりのパワースポット【御朱印】

    丹生川上神社中社(にうかわかみじんじゃなかしゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村に鎮座されています。「丹生川上神社三社巡り」の一社。主祭神は罔象女神(みつはのめのかみ)。丹生川上神社中社参拝後、龍神が棲むといわれている「東の瀧」、神武天皇が戦勝祈願のため占いを行ったとされる「夢淵」へも訪れました。水の神様を祀る神社らしく、水がとても美しくて大変感動しました。それでは、丹生川上神社中社へと参りましょう。境内鳥居をくぐろうとした時、今から御祈祷を受けようとされる方と神職さんと一緒になりました。こんな素晴らし

  • 丹生川上神社上社(奈良) 龍神さまを祀る天空のパワースポット【御朱印】

    丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村迫に鎮座されています。式内社(名神大社)及び二十二社(下八社)の論社です。論社とは、延喜式に記載された神社と同一、もしくはその後裔と推定される神社のこと。歴史の渦に巻き込まれた本来一社の丹生川上神社は、江戸から大正時代にかけて三社となり、「丹生川上神社上社」、「丹生川上神社中社」、「丹生川上神社下社」と呼ばれるようになりました。丹生川上神社三社めぐりに行ってきました。それでは、丹生川上神社上社へ参りましょう。境内丹生川上神社上

  • 達磨寺(奈良) 片岡山飢人伝説が残る聖徳太子ゆかりのお寺【御朱印】

    達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派のお寺です。山号は片岡山。開基は聖徳太子。創建に纏わる物語は「片岡山飢人伝説」として今も語り継がれています。「片岡山飢人伝説」って?それでは、「片岡山飢人伝説」と共に、達磨寺へと参りましょう。片岡山飢人伝説とは?まずは、達磨寺創建のきっかけになった「片岡山飢人伝説」からご紹介しましょう。『日本書紀』や『元亨釈書』などによりますと、推古天皇21年12月、聖徳太子が片岡に遊行された際、飢えて瀕死の異人に出会いました。聖徳太子はその異人に当

  • 龍田神社(斑鳩) 風の神様を祀る聖徳太子ゆかりの神社【御朱印】

    龍田神社(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町龍田に鎮座されています。延喜式神名帳(927年)に記載されている式内社です。聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したといわれています。金木犀が咲く秋の日に参拝しました。それでは、龍田神社へと参りましょう。境内龍田神社の前の道は、大坂と奈良を結ぶ街道として、大変栄えていた

  • 大威徳寺(岸和田市) 紅葉が美しい役行者ゆかりのお寺【御朱印】

    大威徳寺(だいいとくじ)は、大阪府岸和田市大沢町にある天台宗のお寺です。修験道の開祖である役行者(役小角)が牛滝山に開いたと伝えられています。ご本尊は大威徳明王。大威徳寺は、紅葉の名所としても知られています。紅葉の季節に訪れました。それでは、紅葉が美しい大威徳寺へと参りましょう。境内駐車場に車をとめ、テクテクと参道を歩いて行くと、山門が見えてきました。扁額は、山号「牛滝山」山門をくぐって中に入ると、美しい紅葉の世界が広がっていました。かわいいお地蔵さん達がお出迎え。ぐちききじぞうさん愚痴を聞いて

  • 茨木神社(茨木市) ドラマチックな歴史あり!神社を守るために隠された神様【御朱印】

    茨木神社(いばらきじんじゃ)は、大阪府茨木市に鎮座されています。御祭神は、建速素盞嗚尊・誉田別命・天児屋根命。境内には式内社の天石門別神社(あまのいわとわけじんじゃ)も鎮座されているという、大変ユニークな神社です。どうして一つの境内に二つの神社が、鎮座されるようになったのでしょうか?それには・・神社を守るために、どうしても隠さなければならない事があったようなのです。それでは、茨木神社へと参りましょう。境内大鳥居の扁額にも、二つの神社の名が記されています。参道では、猫ちゃんが日向ぼっこしていました

  • 墨坂神社(宇陀市) 古事記ゆかりの地に鎮座する日本最古の健康の神様

    墨坂神社(すみさかじんじゃ)は、奈良県宇陀市に鎮座されています。日本書紀の、神武天皇即位4年春の詔に「乃立霊畤於鳥見山中、其地号曰上小野榛原・下小野榛原用祭皇祖天神焉」の記載があり、神武天皇みずから鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、皇祖天神を祭祀し、「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とあります。その上小野榛原が、宇陀市榛原西峠地区内にある、墨坂の地です。墨坂神社は日本最古の健康の神を祀るとも言われていて、境内には水の神様の御神徳を頂ける御神

  • 御井神社(宇陀市)大迫力の杉の木に包まれた美しい神社

    御井神社(みいじんじゃ)は、奈良県宇陀市に鎮座されています。延喜式神名帳に記載されている式内社。御井神社の創祀は明らかでありませんが、式内の制が出来た頃、宇陀十七座の中の一座として選ばれている事をみると、これ以前の創祀と考えられています。長い参道を抜けると、大きな杉が立ち並ぶ、とても神秘的な世界が広がっていました。それでは、御井神社へと参りましょう。境内参道の入り口に、たくさんのザクロが生っていました。御由緒御祭神は、御井神・天照皇大神・天児屋根命・水分神。御井神は、古事記によると素戔嗚命の子で

  • 佛隆寺(宇陀市) 彼岸花と千年桜が美しい奈良の古刹【御朱印】

    佛隆寺(ぶつりゅうじ)は、奈良県宇陀市榛原赤埴(はいばらあかばね)にある真言宗室生寺派のお寺です。室生寺の南門として本寺と末寺の関係にあります。佛隆寺は彼岸花の名所として知られ、山門へと続く約200段の石段の両側を彼岸花が埋め尽くす風景はとても美しいです。また、4月上旬には奈良県最古とされる「千年桜」が開花し、多くの人で賑わいます。少し見頃が過ぎてしまいましたが、彼岸花を見に行ってきました。それでは、彼岸花が美しい佛隆寺へと参りましょう。駐車場の横に無人販売所がありました。ミニ冬瓜やかぼちゃ、赤

  • 聖林寺(奈良) フェノロサによって秘仏の禁が解かれた国宝十一面観音像は必見!【御朱印】

    聖林寺(しょうりんじ)は、奈良県桜井市にある真言宗室生寺派のお寺です。山号は霊園山(りょうおんざん)。聖林寺の創建は古く、奈良時代の和銅5年(712)に、談山妙楽寺(現談山神社)の別院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が建てたと伝えられています。アメリカの哲学者アーネスト・フェノロサによって秘仏の禁が解かれた国宝・十一面観音は必見。それでは、聖林寺へと参りましょう。境内聖林寺の駐車場に車ととめて、坂道を上がっていくと、聖林寺が見えてきました。山門から見える景色は美しく、卑弥呼の墓ともいわれる

  • 龍泉寺(奈良) かつては女人禁制だった!滝行場のある役行者ゆかりのお寺【御朱印】

    龍泉寺(りゅうせんじ)は奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派のお寺です。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に、山上ヶ岳にある大峯山寺の護持院の1つです。龍泉寺の境内には「龍の口」と呼ばれる泉から湧き出る清水が流れていて、修験者たちから「清めの水」とされています。それでは、清水が流れる美しい龍泉寺へと参りましょう。境内総門をくぐって中に入ると、美しい太鼓橋が迎えてくれました。寺伝によりますと、白鳳年間(645〜710)役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯を開山し修行

  • 天河大辨財天社(奈良) 芸能の神様を祀るパワースポット【御朱印】

    天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ・天河神社)は、奈良県吉野郡天川村に鎮座されています。主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。芸能の神様として有名で、芸能関係の方も多く参拝に来られるとか。パワースポットとしても有名で、訪れる人が絶えない人気の神社です。それでは、天河大辨財天社へと参りましょう。境内手水舎朱色の太鼓橋を渡って、いよいよ参拝です♪天河大辨財天社の草創は飛鳥時代に遡ります。役行者の大峯開山の際に、蔵王権現に先立って勧請され、最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られ

  • 等彌神社(奈良) 土偶のような八咫烏の御神像が出土した日本神話のパワースポット【御朱印】

    等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市に鎮座されています。創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に掲載されている式内社で、明治時代までは能登宮と呼ばれていました。社伝によりますと等彌神社が鎮座している鳥見山は、神武天皇(初代天皇)が、即位後の神武天皇4年の春2月に皇祖神及び天津神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)と伝えられています。又、即位後初めて皇祖天神を祀ったという日本書紀の記述から、大嘗会の起源とされています。一の鳥居は平成27年伊勢神宮から拝受したもの。それでは、等彌神社へと参りまし

  • 矢田坐久志玉比古神社(奈良) 楼門にプロペラ?ニギハヤヒ降臨のパワースポット

    矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)は、奈良県大和郡山市矢田町に鎮座されています。御祭神は、櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)・御炊屋姫命(みかしやひめのみこと)。御祭神である櫛玉饒速日命が降臨する際、天磐船(あめのいわふね)から放った3本の矢の内、二の矢が落ちた場所と伝わり、矢落神社(やおちじんじゃ)とも言われています。創建時期の詳細はわかりませんが、式内大社に列せられていることから、平安時代以前から祀られていたと考えられています。初めて訪れた矢田坐久志玉比古神社は

  • 賣太神社(奈良) 『マツコの知らない世界』で紹介された開運神社【御朱印】

    賣太神社(めたじんじゃ、売太神社)は、奈良県大和郡山市に鎮座されています。式内社で、旧社格は県社。古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)、天鈿女命、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀っています。TBS系列『マツコの知らない世界』に出演されていた神社ソムリエ佐々木優太さんが、2022年開運神社スポットとして、こちらの賣太神社をご紹介されていました。芸能の神様とともに、「古事記」の編纂者の稗田阿礼(ひえだのあれ)が祀られているので、Wパワーのご利益がいただけるとか。それでは、賣太神社へと参り

  • 室生龍穴神社(奈良県) 龍神さまに会えそうな凄いパワースポット!【御朱印】

    室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)は、奈良県宇陀市に鎮座されています。延喜式(967)内の古社で、主祭神は雨ごいの神として知られている高龗神(たかおかみのかみ)。この神社は室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれ、龍王寺と呼ばれていました。初めて訪れた室生龍穴神社は、ご神気溢れる素晴らしい神社でした。それでは、室生龍穴神社へと参りましょう。境内室生龍穴神社に到着すると、まず目に入ってくるのが杉の巨木。すごい存在感で、もうここからパワースポット感が凄いです!!鳥居をくぐり中へ入る

  • 室生寺(奈良) 美しい五重塔は必見!女人高野と呼ばれる古寺【御朱印】

    室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山のお寺です。山号は宀一山(べんいちさん)または檉生山(むろうさん)。「宀一山縁起」によりますと、奈良時代の白鳳9年(680)に、天武天皇の勅命により、修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)が初めて建てたと伝えています。久しぶりに訪れた室生寺。美しい新緑がより一層と境内を彩り、見るものすべてが輝いていました。それでは、「女人高野」とも呼ばれている室生寺へと参りましょう。境内お土産物屋や飲食店が立ち並ぶ参道を歩いていると、突如と室生寺への

  • 大野寺(奈良) 童顔でかわいいお姿の大黒天磨崖仏

    大野寺で弥勒磨崖仏を見た後、川沿いを歩いて、大黒天磨崖仏を見に行ってきました。桜井識子さんの本にこちらの大黒天さまの事が書かれていて、一度行ってみたいなぁ~っと思っていました。かなりのお力を持っておられる大黒天さまのようです。それでは、大黒天磨崖仏へと参りましょう。大黒天磨崖仏大野寺から宇陀川沿いをテクテク。向こうに見えるのが大野寺です。とてもきれいな水です。魚が泳いでいるのが見えました♪大野寺から歩くこと10分程でしょうか。左手に何やら見えてきました。おぉ~!!ここが大黒天磨崖仏のようです!!

  • 大野寺(奈良) 凄い迫力!国内最大の線刻弥勒磨崖仏【御朱印】

    大野寺(おおのでら/おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派のお寺です。白鳳9年(681年)、役小角(役行者)によって草創され、天長元年(824年)に空海(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したと伝えられています。ご本尊は弥勒菩薩。枝垂桜の名所としても知られています。境内から望む迫力満点の弥勒磨崖仏は一見の価値あり。それでは、大野寺へと参りましょう。境内山門入山料300円を納めて、中に入ります。境内はきれいに整えられ、静かでとても素敵な雰囲気です。鐘楼カシアバアジサイがき

  • 飛鳥坐神社(明日香村) 陰陽石がいっぱい!子宝・安産・縁結びの神様【御朱印】

    飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ/あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村に鎮座されています。創建は古く日本書記にも記されている式内社で、元伊勢の伝承地とされています。子宝・安産・縁結びの御神徳が高いとされていて、境内にはたくさんの陰陽石も。毎年2月に行われる「おんだ祭」は、奇祭として知られています。それでは、飛鳥坐神社へと参りましょう。境内ご由緒【御祭神】事代主神高皇産靈神飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)大物主神日本書紀において、大国主神の第一子である当社御祭神の八重事代主神は、

  • 飛鳥寺(明日香村) 日本最古の飛鳥大仏と蘇我入鹿の首塚【御朱印】

    飛鳥寺(あすかでら)は、第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された日本最初のお寺です。寺名は法興寺、元興寺、飛鳥寺とも呼ばれていました。見どころは、何と行っても日本最古の飛鳥大仏でしょう。ご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、推古天皇17年(609)、天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像です。それでは、日本最古の飛鳥大仏に会いに参りましょう。境内山門前に立つ飛鳥大仏標石寛政4年(1792年)、飛鳥寺参拝者の道標として彫刻された石碑。

  • 談山神社(桜井市) 桜と紅葉の名所は新緑も美しかった!【御朱印】

    談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座されています。飛鳥・法興寺(現在の飛鳥寺)で行われた蹴鞠会(けまりえ)において出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が、談山神社の裏山で「乙巳の変」の談合をしたと伝わります。多武峰はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり、「談山神社」の社号もここからきています。桜や紅葉の名所として知られている談山神社ですが、新緑の季節もとても美しく、たくさんの元気パワーを頂くことができました。それでは、「大化

  • 阿麻美許曾神社(大阪市) 樹齢500年超のクスノキに心癒される境内【御朱印】

    阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)は、大阪市東住吉区矢田に鎮座されています。古くは「阿麻岐志(あみぎし)の宮」とも言われ、天美の地名の由来となった古社です。創建は平安時代初頭の大同年間(806~809)と伝えられ、延喜式神名帳に記載されている河内国丹比郡の式内社。境内には樹齢500年以上のクスノキがあり、小鳥がさえずり、心癒される空間となっていました。それでは、阿麻美許曾神社へと参りましょう。境内鳥居横には、開運松原六社参りの碑がありました。開運松原六社参りとは、松原市にある阿保神社・阿麻美許

  • 素盞雄神社(桜井市) 奈良県最大のイチョウの巨樹に圧倒!

    素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、奈良県桜井市初瀬に鎮座されています。與喜天満神社を参拝後、裏参道を歩いていましたら、素盞雄神社に出会いました。ピンク色に染まった長谷寺の山々を借景に、突如と現れた素盞雄神社。とてもかわいい狛犬さんに心癒されました。それでは素盞雄神社へと参りましょう。境内手水舎コロナ禍で手水が使えない寺社が多い中、大変有難いです。ご由緒社伝によりますと、今(平成三年)を去ること千四十三年の昔天暦二年に、神殿大夫武麿(こうどのたいふたけまろ)が菅原道真の霊をむかえて與喜天満宮創建の

  • 長谷寺(奈良県) 桜色に染まる花の御寺【御朱印】

    長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派総本山のお寺です。「花の御寺」とも言われていて、一年を通じて季節の花々を楽しむことができます。ご本尊は、高さ10メートル以上ある十一面観音像。美しくとても大きな御姿には感動することと思います。桜が美しい季節に再訪しました。それでは、桜吹雪の中をテクテクと参りましょう。境内訪れたのは満開を過ぎた頃でしたので、桜も少し散り始めていました。それでも、しだれ桜はまだまだ美しいお姿で迎えてくれました。仁王門入口の仁王門から本堂まで399段の登

  • 柴籬神社(松原市) かつて都があった地に鎮座する歯の神様【御朱印】

    柴籬神社(しばがきじんじゃ)は、大阪府松原市に鎮座されています。開運松原六社参り(阿保神社・阿麻美許曽神社・我堂八幡宮・柴籬神社・布忍神社・屯倉神社)の一社。社伝によりますと、6世紀前半に24代仁賢天皇の勅命で創建されたと伝えられています。御祭神は、18代反正天皇(はんぜいてんのう)・依羅宿禰(よさみのすくね)・菅原道真公(すがわらのみちざね)。反正天皇は美しい歯並びであったことから、歯の神様として信仰されている日本でも珍しい神社です。それでは、柴籬神社へと参りましょう。境内南門南門は明治初年ま

  • 屯倉神社(松原市) しだれ梅が美しい菅原道真公ゆかりの神社【御朱印】

    屯倉神社(みやけじんじゃ)は、大阪府松原市三宅中に鎮座されています。平安時代前半の天慶5年(942)、菅原道真公をご祭神として創始されました。菅原道真公を祀る以前は、土師氏(のち菅原氏に改姓)の祖神である天穂日命を祀る穂日の社がありました。初めて訪れた屯倉神社。境内には、たくさんのしだれ梅が咲き誇り、梅のあまぁ~い香りが境内中に広がっていました。それでは、しだれ梅が美しい屯倉神社へと参りましょう。境内鳥居鳥居の前には「開運松原六社参り」の碑がありました。開運松原六社参りとは、松原市にある阿保神社

  • 関西花の寺二十五ヶ所霊場一覧

    関西花の寺二十五ヶ所霊場は、季節の花で名高い、大阪府、兵庫県、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県、の25ヶ寺の霊場が集まり、1993年(平成5年)創設されました。25ヶ寺の境内や参道では、四季折々の花々が訪れる人々を優しく迎えて下さいます。関西花の寺二十五ヶ所霊場は、古刹、名刹、隠れ古寺等の魅力がいっぱい!花を通してお寺のご本尊さまとのご縁をいただくことができる「関西花の寺二十五ヶ所霊場」に出かけてみませんか。心華帖(しんげちょう)心華帖は関西花の寺霊場専用の納経帖です。散る花を見て心の中に散らな

  • 久米御縣神社(橿原市) 久米寺に隣接する久米氏の祖神を祀る古社

    久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)は、奈良県橿原市久米町に鎮座されています。延喜式神名帳(927年)に記されている式内社。創建時期などについて詳細は解りませんが、『日本書紀』垂仁天皇27年に「是歳、来目邑に屯倉を興す」という記述があり、創建もその頃と考えられています。それでは、久米御縣神社へと参りましょう。境内手水舎ご祭神は、高皇産霊神(天地開闢の時、高天原に出現した神)、大来目命(大和朝廷の軍事を掌った久米氏の祖神)、天くし根命(久米氏の祖神と関係の深い神)。この神社は『延喜式神名帳』(9

  • 伯太彦神社(柏原市) 安福寺に隣接する歴史ある古社

    伯太彦神社(はくたひこじんじゃ)は、大阪府柏原市に鎮座されています。創建年代は不詳ですが、延喜式神名帳(927年)に列せられている式内社です。御祭神は伯太彦命、廣國押武金日命。安福寺に隣接するように鎮座されている伯太彦神社。かつて安福寺は伯太彦神社の神宮寺であったようです。それでは、伯太彦神社へと参りましょう。境内鳥居をくぐって石段を登って行くと・・・っと書きたい所なのですが(笑)、安福寺と隣接していたので、安福寺へお参りした後、横から入ってきてしまいました(-_-;)ちなみに鳥居をくぐり、石段

  • 馬場本村のお地蔵さん(桜井市) 子安地蔵尊・ぼけ封じ地蔵尊・脳天地蔵尊が集まる地蔵堂

    馬場本村のお地蔵さんと呼ばれる地蔵堂は、奈良県桜井市三輪にあります。大神神社の摂社である大直禰子神社(若宮社)へ参拝した帰りに、地蔵堂の前を通りました。いつもは素通りしてしまっている地蔵堂なのですが、今回初めて門をくぐって中へ入ってみました。中に入ってみると、そこは、、とても温かく心地よい空間となっていました。それでは、馬場本村のお地蔵さんへと参りましょう。境内写真は寛永三年(1626)に発刊された「大和名所図会」ですが、馬場本村のお地蔵さんは現在と同じ場所に描かれています。子安地蔵尊、ぼけ封じ

  • 国分神社(柏原市) 松岳山古墳下に鎮座する白い石が光る神社【御朱印】

    国分神社(こくぶじんじゃ)は、大阪府柏原市国分市場に鎮座する神社です。創建時期は詳らかでありませんが、古書、口伝によりますと、鎌倉時代、宇多天皇の御代に創建されたと伝わります。御祭神は、大国主命・少彦名命・飛鳥大神。神社の背後の山には古墳時代前期に築造された松岳山古墳があります。それでは、国分神社へと参りましょう。境内少し急な石段を登って行きます。石段途中に狛犬さんがいらっしゃいました。狛犬さんの写真を撮ろうとして、バランスを失い、、、危うく石段から転げ落ちるところでした(-_-;)手すりがあっ

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