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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
出身
津幡町
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2015/06/16

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  • 休止のお知らせ。

    拙ブログをご覧の皆様へ本来なら最新投稿は1週間前に足を運んだ名古屋旅、「ディープNAGOYA」の続篇のはずだった。そのための準備も進めていたが、gooブログ終了発表を受けて心変わり。店じまいが決まった場所の暖簾をくぐる気になれないのだ。万物流転は世の常。何事も永遠には続かないし、終わりは(始まりも)いつも突然やって来る。カイシャが運営しているなら、尚更である。真に残念だが、責める気にはならない。ご意見様々あるだろう。ならば止めてしまおうと考える方もいるだろう。僕は、新天地へ移住することにする。データ移行がスムーズにできなかったら、いちから出直すつもりだ。始まりは、すでに世を去った愛犬との出会いだった。町の記録。季節の記録。自然災害の記録。個人旅行の記録。拙いイラストと雑文。ブログは「僕自身の記録」であり「...休止のお知らせ。

  • ディープ NAGOYA<序>。

    この投稿は、旅先のビジネスホテルの部屋で行っている。場所は愛知県・名古屋市。僕が学生時代を過ごした街だ。大学を卒業してから何度か足を運んでいるが、いずれも目的ありき。いわば「訪問」である。路銀と時間を使い自分のためだけに動く意味では「初めての旅」になる。これから名古屋の裏町、下町、横町を歩き回ってみたい。名古屋を離れて40年あまり。何かしら記憶の中の面影が見つかることを期待している。その序章として、昨夜(2025/04/11)ご無沙汰していた先輩と盃を傾けた。お互い年を取ったと笑い合いながら、実に楽しいひと時を過ごす。日中は毎度おなじみ「常滑競艇場」で、首までどっぷりギャンブルの湯に浸かった。本場で賭け事に熱中したのは、ずい分久しぶり。頭を悩ませた甲斐あって収支はまあまあプラス。これもまた実に楽しかった。...ディープNAGOYA<序>。

  • サボタージュの終焉。

    (2025年)昨年度末~4月一週目まで、僕は忙殺されていた。朝早くから夜遅くまで仕事に追われ、休む間もない日々が続いた。記事更新はおろかフォローブログのチェックもままならず、随分とご無沙汰してしまった。しかし、何事にも終わりは来る。ようやくひと心地付けるようになり、こうして投稿を再開。今後もどうぞよしなに。サボっている間に季節は春へ。やゝ肌寒い気温ではあるが、桜(染井吉野)が目を楽しませてくれている。上記掲載画像は、街中心部の小高い丘「大西山」で撮影。拙ブログでは何度も紹介しているとおり、ここはわが母校が建っていた地点。1枚目の背景に写っているのは忠魂碑。2枚は桜の枝越しの小学校グラウンド。日曜日だけあって静謐な時間が流れる。明日・4月7日(月)の入学式を過ぎれば子供たちの元気な声が帰ってくるだろう。同じ...サボタージュの終焉。

  • 営みは春へと向かう、人も、花も。

    ここ数日は「余寒」と言っていいだろう。最高気温が一桁を超えるに至らず、屋外では厚手の服が、屋内では暖房が欠かせない。明日(2025/03/10)は、全国的に春らしい陽気になる予想。2日ほどで天気は下り坂となるが、来週は二桁の暖かさが望めそうだ。やゝゆっくりとではあるが、ここ北陸の季節も歩みを進めている。駐車場の残雪。アスファルト接地面が濡れているのは融け出している証拠なのだが、未だ消雪には至っていない。町から地区ごとに分配された除雪車。この冬、ずいぶん助けてもらった。唸りをあげ雪を吹き飛ばす雄姿は忘れられない。枝から取り外された「雪吊り」。雪の重さから木々を護る頼もしい縄張りが彼方此方で見受けられたが、どうやら役目を終えたようだ。津幡川沿い、護岸で風に揺れる水仙。日本での名称の由来は、美しい立姿や清々しい...営みは春へと向かう、人も、花も。

  • 花萌し、春兆す。

    まるで一週間前が嘘のようだ。かれこれ一ヶ月近く行く手を阻み忍従を強いていた雪が、わずか数日で消えた。気温が上がれば融けるのは道理と分かっていて、何度も経験していても劇的に映るのである。まだ肌寒くはあるが、ようやく春の兆しが垣間見えてきた。それを象徴するのが、道端の寒桜だ。春爛漫の桜花には比べる程のこともない寂しげな桜は、あたり一面冬枯れの中に灯がともったような感慨を与えてくれる。濡れそぼり風に揺れる小さく可憐な花が、逞しく思えた。花萌し、春兆す。

  • 時をこえる旅人。

    現在(2025/02/22)津幡ふるさと歴史館「れきしる」に於いて、歴史資料巡回展を開催中。石川中央都市圏(金沢市・白山市・かほく市・野々市市・内灘町・津幡町)の史跡や歴史・考古資料を集めた第7弾、江戸時代編である。津幡町からは津幡宿宿場町関連資料として旅の携帯道具を展示。今投稿では、その一部を紹介したい。尚以下<>内の記述は、館内説明パネルより抜粋/引用した。<津幡は加賀・能登・越中の分岐点にあたる宿場町です。交通の要衝であり、竹橋(たけのはし)宿とともに倶伽羅峠をひかえる立地条件から、加賀藩内で最も多い駅馬が備えられた宿場町です。関ヶ原合戦ひかえた慶長4年(1599年)に、戦支度の一環として前田家はつつがなく物資の輸送を行うために領内整備を行いました。津幡宿はその際、周辺4ヵ村をもって町立ちされた宿場...時をこえる旅人。

  • 幕末のボーイ ミーツ ガール。

    鎌倉時代から700年続いた武士が治める世から、王政復古へ。国のグランドデザインを大きく書換え、近代化を目指した。「明治維新」をおおまかに言えばそうなるかもしれない。以降、天皇を中心とした国家という歴史的価値観---「皇国史観」は、教育や政策の中で用いられるようになったが、昭和20年8月15日を以て終焉。歴史家たちは、戦争に突き進んだ日本の近代を批判的に評価するようになり、近代の出発点・明治維新もネガティブに捉える風潮が強まった。しかし、いわゆる高度成長期を経た頃、人心は180度転換。あの出来事を痛快なサクセス・ストーリーとして考え出したのだ。低い身分の出身ながら、志をもって動乱の社会で活躍した「志士」に、戦後復興を成し遂げ経済大国の一員となった当時の自分たちを重ね合わせたのである。こうして、すっかり有名に...幕末のボーイミーツガール。

  • 津幡短信vol.128. ~ 令和七年 如月。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【凍晴の街歩き。】今投稿の内題に選んだ「凍晴(いてばれ)」は、冬の季語である。2月の記事には相応しくないが、まさにピッタリ。放射冷却によって凍りつくように寒い快晴の今朝、久しぶりに小一時間の散歩を楽しんだ。最初の写真はご近所の歩道の様子。あちこちに雪が融け残っている。無理もない、ほんの1週間前は一面の雪景色だったのだ。左手前、薄氷がお分かりになるだろうか?路面のちょっとした窪みに張った氷は、一種のトラップ。気付かずに勢いよく踏み出し滑ったりしたら、転倒~ケガに繋がりかねない。故に、歩みは自然とスローテンポに。また、不安定な一本足の滞空時間を短くするため歩幅は狭くなる。安全第一。僕は慎重に津幡川を目指して進んだ。対岸から「弘願寺...津幡短信vol.128.~令和七年如月。

  • 透かして耐える。

    「透かす(すかす)」という言葉を辞書で引くと、以下のような解説がある。1.物と物との間隔を少しあける。すきまをつくる。2.こんでいるものを間引いてまばらにする。間隔を粗くする。3.あけておく。時間をあける。4.タイミングをはずして、肩すかしをくわせる。5.減らす。6.場をはずす。7.機嫌をとって、こちらの言うことを聞き入れるようにさせる。8.言いくるめてだます。9.相手をうまくその気にさせる。おだてる。---まあ、あまり堂々としていない印象だ。わが石川県の方言で、除雪・雪かきを「雪すかし」という。個人的には言い得て妙だと思っている。天が降らせる膨大な雪は、止めることなどできない。着雪してしまったら全てを消し去ることもできない。解決には、やはり天恵の太陽と温暖を待つしかない。ささやかな抵抗として、人は雪をす...透かして耐える。

  • 冬将軍のお出まし。

    日本列島を基点とし西に高気圧、東に低気圧がある状態。いわゆる「西高東低の気圧配置」になると、ユーラシア大陸(シベリア)からの乾燥した冷たい季節風が吹く。相対的に暖かい日本海から水蒸気や熱をもらい、次第に雲が発達。この雲が風に乗って流れ込み日本海側の各地に雪を降らせる。今が典型的なそれだ。<昨2/5早朝撮影>寒さが厳しくなると耳にする表現「冬将軍の到来」。これは寒気の集団を擬人化したもの。由来は19世紀初頭、フランス皇帝「ナポレオン」のロシア遠征だ。1812年9月、40万の大軍でモスクワを占領したナポレオン軍だったが、兵站の補給を断たれ撤退を決意。寒冷・食糧不足・ゲリラの襲撃に悩まされる帰路、38万の兵力を失う。遠征の大失敗はナポレオン没落の始まりとなった。この敗北にイギリスの新聞が見出しをつける。「ナポレ...冬将軍のお出まし。

  • 没後、1年。

    それはちょうど一年前の事だった。長年(15年間)連れ添い、共に時間を過ごした愛犬が死んだ。名前は僕のブログネームと同じ「りくすけ」という。彼と出会い、散歩をするようになり、わが町の風景を撮り始めた。彼と出会わなければ、こうして貴方に出会うことはなかったのだ。最期は、同じ寝床に就き僕の腕枕で眠りながら旅立ってしまった。当時の衰えぶりを見るにつけ、覚悟は固めていたつもりだったが、いざ「その時」を迎えてみると喪失感の深さは筆舌に尽くし難く、深い哀しみに苛まれたのを、数時間前の出来事のように思い出す。震える寒い冬、うららかな春、暑い夏、錦秋。思い出を積み重ねながら共に歩を進めてきた。上記2つの画像は、よく彼と一緒に訪れた所。わずか数日前に撮影した時は、明るい陽の下。既に報道などでご存じの通り今は一面の白銀。思い出...没後、1年。

  • スポーツの未来は何処へ。

    明日から大寒を迎えるのに10℃を超える小春日和の本日(2025/01/19)、「一般社団法人津幡町スポーツ協会」設立10周年記念式典が開催された。会場は「津幡町文化会館シグナス」大ホール。1階638席の埋まり具合は6~7割。僕も観客の1人となる。集客の呼び水なったのは「金城梨紗子(きんじょう・りさこ)」「恒村友香子(つねむら・ゆかこ)」両氏。旧姓「川井」姉妹によるトークショーだと思う。お2人はわが津幡町出身。小中と地元公立学校に通う傍ら、母がコーチを務めるレスリングクラブで競技を始め、姉・紗子選手がリオ、東京2大会連続でオリンピック金メダル。妹・友香子選手も東京大会で金メダルを獲得した。同会場1階ロビーには、その軌跡と偉業を称える展示もある。「一般社団法人津幡町スポーツ協会」は、平成26年4月に法人格を取...スポーツの未来は何処へ。

  • 津幡短信vol.127. ~ 新春風物詩。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【新春の風物詩。】先日(2025年)1月4日のこと。朝から午前の仕事を終えた帰路「住之江橋」に差し掛かると、下流側の欄干に人だかりが出来ていた。『人が川に落ちたのか?』『熊や猪など大型獣でも現れたのか?』近くに車を停め、捕物や捜索を思い浮かべながら近づいてみるも然に非ず。僕を含めた野次馬の目当ては「河北郡市消防団連合会出初式」だった。近隣一帯から総動員された消防車が物々しくサイレンを鳴らしながら集結。津幡川河川敷道路に渋滞整列し、次々とホースを川面に下ろす。身を切るような寒風が吹き抜ける中、下帯姿の男たちが身構える。対岸の指揮車が旗振りに合わせ一斉放水。観客からも拍手が上がった。続いては本日(2025/01/13)「清水八幡神...津幡短信vol.127.~新春風物詩。

  • 物の怪は、愛の化身

    寒中お見舞申し上げます。寒の入りとともに、列島は広く雪模様。拙ブログをご覧の皆さまは、お変わりございませんでしょうか。健康にご留意のうえ、くれぐれもご自愛くださいませ。さて、僕は「雪」に対し畏敬の念を抱いています。それは北陸で生まれ育ったせいかもしれません。とは言え、当初はいいイメージではありませんでした。厚い鉛色の雲に閉ざされた空から舞い落ちる冷たい雪は、草木を覆い尽くし、色彩をモノトーンで蹂躙する「白い死神」。子供だった僕には、この世が滅ぼす恐ろしい存在に思えたものです。ところが、ある科学読み物をキッカケに一新しました。<土の中にはたくさんの目に見えないび生物がいます。その一部は、冬も生きていてかつどうしています。秋、地面に落ちた葉っぱなどには栄養がいっぱいあり、び生物たちが冬のあいだに土のようぶんに...物の怪は、愛の化身

  • 津幡短信vol.126. ~ 令和七年 正月。

    新年おめでとうございます。今年も拙ブログをどうぞよろしくお願いいたします。令和7年(2025年)最初の投稿は、津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【元旦叙景。】『弁当忘れても、傘忘れるな』ご存じの向きもあるだろうが、北陸から山陰にかけそんな諺が伝わる。陽が差しているかと思えば、にわかに搔き曇り風が吹き始め、雨や雪が落ちてきて、ひとしきり降りが続いたらまたブレイク。目まぐるしく変化する冬の天気を指す言葉だ。元日の空模様も不安定だったが、朝方~午前は晴れ間が覗いた。「おやど橋」から津幡川越しに「弘願寺(ぐがんじ)」を望む。微風が残りさざ波が立ってしまったが、辺りの景観と空が川面に映る。撮影したのは午前6時半頃だったか。車も人も通らない早朝、穏やかな北陸の片田舎らしい...津幡短信vol.126.~令和七年正月。

  • 未だ過ぎ去らず。

    思えば今年は震災から幕を開けた。元日夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」である。度重なる緊急地震速報。何度も襲い掛かってくる震え。その度に柱や壁がミシミシと音を立てる---。怖ろしくて仕方のない日々は、忘れられない記憶だ。「あの日」から明日で丸一年が経つが、それは「過去」ではない。わが津幡町から車で20分あまりの内灘町・西荒屋。能登半島地震では、激しい揺れとともに地下から水や砂が噴き出し、家は沈み、道路は広範囲で波打ったような状態となった。応急危険度判定で「危険」と判定された建物も少なくない。上掲画像は1ヶ月ほど前に撮影したもの。現在は応急復旧工事が完了し「おおむね」平坦になったと聞くが、元通りとなるには道半ばである。甚大な被害が出た奥能登地域の道路事情も同様。きのう(2024/1...未だ過ぎ去らず。

  • これもまた旅打ちの醍醐味也。

    金沢発22:50。梅田着翌6:00。現場入15:00。2024年12月22日・日曜日、旅打ちのためやって来た大阪。「住之江競艇場」に向かうまで、9時間の猶予があった。夜まで然したる当てもない。何の下調べもしていない。が---1つだけ知っていることがあった。『谷町というところに「近松の墓」があるらしい』「近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)」は、江戸時代前期から中期に活躍した職業作家。武士や貴族を主人公にした江戸期以前の物語---“時代物”。町人を主人公に市井の義理人情を描いた物語---“世話物”。幅広い作風で手がけた数は、浄瑠璃なら130作以上、歌舞伎狂言は30作あまり。後に、多くの傑作を世に送り、時代の寵児となる彼は、承応2年(1653年)、現:福井県・鯖江市に生まれた。過去、拙ブログに投稿したとおり...これもまた旅打ちの醍醐味也。

  • 旅打ちの醍醐味。

    金沢発22:55。梅田着翌6:00。夜行バスから降り立った大阪は暗がりの中で微睡んでいた。程なく朝日が昇ると、街が目覚め、人々が群れをなして動き始める。次第に活気を帯びてゆく大都会に身を置いた僕は、孤独で自由だった。「その時」を迎えるまで、まだ半日以上。夜まで然したる当てもない。何の下調べもしていない。梅田~谷町九丁目~日本橋~難波~中之島---。地下鉄を乗り継ぎ、気ままにぶらつき、腹が減ったら飯を喰った。聞き馴れないイントネーションの会話と笑い声。理由は判然としないが物凄い剣幕で駅員を怒鳴りつける男。客引きの猫なで声。クラクション、歩行者用青信号の誘導音。あちこちから流れてくるクリスマスナンバー。さんざめく街のノイズに包まれながら、心はどこか上の空。「毒島誠(ぶすじま・まこと)」から届いた「白い招待状(...旅打ちの醍醐味。

  • 白い招待状。

    本日(2024/12/21)は一年で最も日照時間が短く、夜が最も長い「冬至」。増してゆく寒気が身に染みる。拙ブログをご覧の皆様はいかがお過ごしだろうか?体調管理に気を配り、どうか健やかにお過ごしくださいませ。僕はと言えば不眠不休という程ではないが、記事投稿を怠る位には忙しい日々が続く今日この頃。そんな中でも常に頭を過るのが「競艇グランプリ」である。年に8回開催されるSG(スペシャルグレード)競走の1つにして最高峰。優勝賞金額は1億1千万円。今年の1月~11月までの獲得賞金額上位18名が覇を競う。2024年の開催場は、大阪府大阪市にある「ボートレース住之江」。寒風吹き抜け、冷気が支配する水面で5日間に亘り熱戦が繰り広げられ、いよいよ明日が優勝戦。最後の檜舞台に「毒島誠(ぶすじま・まこと)」が乗った。彼から届...白い招待状。

  • ダンス・ライク・トーキング。

    個人的に好きなアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の冒頭ナレーションは、故「木村幌(きむら・あきら)」氏のテノールがこう語り始める。『無限に広がる大宇宙』宇宙の大きさは、未だ解明されていない。但し「ヒトが観測できる宇宙の大きさ」は分かっていて「137億光年」だという。秒速30万kmで進む光が到達まで137億年かかる距離。しかも膨張を続けているらしい。やはり「宇宙は無限」と考えて差し障りないように思えるスケール感だ。それだけ広い宇宙に星は幾つあるのだろう。わが太陽系だけで、惑星・衛星・小天体が5000個程度。太陽系を含む銀河系は、自ら光を発する恒星だけで2000億個あまり。それぞれに5000が付属すると仮定して、概算1000兆個以上。更に、宇宙には銀河系並みの集合体が数千億個あるとか。何しろ膨大な星の海である。どこかに...ダンス・ライク・トーキング。

  • 震える夜。

    今投稿(2024/11/27未明)の数時間前、大地が大きく震えた。<26日午後10時47分ごろ、石川県西方沖を震源とするマグニチュード6.4の地震がありました。気象庁によりますと、この地震によって若干の海面変動はあっても津波被害の心配はないということです。各地の震度は震度5弱が石川県の輪島市、志賀町、震度4が石川県珠洲市、加賀市、富山県の富山市、高岡市、福井県の福井市などとなっていて、震度3は新潟県や岐阜県、滋賀県、兵庫県などで観測されました。また、この地震で長周期地震動の「階級2」を石川県津幡町と金沢市西念で観測しています。原子力規制庁によりますと、石川県の志賀原発、福井県の大飯原発、美浜原発、高浜原発で異常はないとの報告があったということです。>(※<>内、ANNニュースより引用/原文ママ)僕が暮らす...震える夜。

  • 小品、時は師走へ向かう。

    おととい(2024/11/24)、僕は「金沢競馬場」を訪問した。コロナ前以来、かれこれ5年ぶりになるかもしれない。目的は「馬券のお使い」。この日「東京競馬場」で開催されたG1レース「ジャパンカップ」の代打ちの為、ほんの短時間だけ滞在した。久しぶりに足を踏み入れた場内の景観が変わっていないことに安堵し、やはり久しぶりに軽食街の一角「たこ勝」にて「ペア(お好み焼きと焼きそば)」を注文。変わらない味、(物価高騰の中)変わらない値段に安心する。当日、競馬以外の公営競技、競輪、競艇でもビッグレースが開催された。個人的な主戦場・競艇のそれは「第27回チャレンジカップ」。静岡支部の「河合佑樹(かわい・ゆうき)」が最上位グレードSGを初制覇。実に堂々たる勝ちっぷり。シリーズの名称に相応しく挑戦者として下克上を成し遂げ、年...小品、時は師走へ向かう。

  • 小品、晩秋の彩り。

    明日(2024/11/22)は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。暦の上では「寒くなって雪が降る頃」を表す。雲の中にある細かい氷の粒に、周囲の水蒸気がついたものが、雪。地上付近が暖かければそれは雨になり、気温が2℃以下だと、雪やみぞれとして降ることが多くなる。石川・金沢の「初雪平年日」は11月24日。冬支度を急がねばならない時期になってきた。近所のイチョウ並木は黄色い葉を落とし、染井吉野も紅葉が舞い散るこの頃。にわかに彩り豊かになった晩秋の道を小学生たちが歩く。彼らが背負ったランドセルも多彩。男子は黒、女子が赤はもう昔のハナシだ。この週末、日本の上空は冬型の気圧配置。上空には強い寒気が流れ込み、列島を広く覆う予報だ。日中も風が冷たく全国的に冬用コートが手放せなりそう。一方、来週の中頃は、南から暖気が入り...小品、晩秋の彩り。

  • 献呈、秋の夜長にジャズを。

    拙ブログの不定期連載『手すさびにて候』は、今投稿で242回を数える。お絵描きの好きなオジサン(僕)が、あるテーマに基づき手描きしたイラストと文を披露。それは私的な趣味の発露であり、個人的には大いに楽しんで作成しているのだが、最近、気になる点がある。---長い。話題の選定が偏るのは仕方がない。コレは個人ブログだから。だが長文に過ぎるのは、読み手に対し不謹慎・不親切なのではないか?文章量が多くなるのは内容の充実を図りたい一心からではあるが、もう少し簡潔にした方が、より良い読後感に浸ってもらえるのではないか?そう考え今回は「いつもより短くを心掛け」つつ、最後に音楽を楽しんでもらう趣向としてみた。どうか、時間と都合がつけばお付き合いくださいませ。ほんの手すさび手慰み。不定期イラスト連載第二百四十二弾「ヘレン・メリ...献呈、秋の夜長にジャズを。

  • 津幡短信vol.125. ~ 令和六年 霜月。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の2本。【冬支度、始まる。】このところ北陸は「小春日和」が続いている。小春は「春のような陽気の晩秋から初冬」を指し、日和は「空模様、天気(よい天気)」の意。朝晩は程々に涼しく、日中は晴れ程々に暖かい。こんな理想的な気候がいつまでも続けばいいのにと思うが、そうは問屋が卸さない。季節は真冬に向かって進んでいる。穏やかで過ごし易い時間を有効に使い、冬支度が始まった。上掲1枚目は「消雪装置点検作業の告知看板」。ご存じのとおり、雪を地下水で融かしグリップの効くアスファルト面を確保する備え。当然、春~秋に出番はなく、このタイミングで動作確認・修理を行う。雨のない日にハンドルを握り濡れた道を走るのは、冬接近を実感する。上掲2・3枚目は「ホームセンタ...津幡短信vol.125.~令和六年霜月。

  • 猛き君へ(平安ダークサイド)。

    今は昔何れの御世の頃であろうか。大柄で逞しく赤ひげを蓄えた侍がいた。夕暮れ時、その男が都の裏道を歩いていると---『チュッチュッチュッ』何処からか鼠鳴きが聞こえてきた。声のする方を見遣ると、ある家の窓から差し出された形のいい手が招く。『もし、こちらへ。閂(かんぬき)はかけておりません』訝しく思いながらも、男は誘われるまま足を踏み入れた。御簾(みす/すだれ)の向うから、お香の甘い匂いが漂ってくる。覗き込んだ薄暗い部屋の中には、美しい女が一人。脇息(きょうそく/肘掛)に躰を預け横臥していた。耳朶をくすぐる衣擦れ。投げ出された白い両脚。濃密さを増す甘い香り。口角上げた無言の頷き。男が理性を失うまで大した時間は必要なかった。それからというもの、上げ膳据え膳、至れり尽くせり。振舞われる食事を愉しみ、しなやかな肢体を...猛き君へ(平安ダークサイド)。

  • 記憶を刺激する記録 ~ れきしる企画展。

    僕の記憶は総じて「朧気」である。いい例が「風景」。わが津幡町は、変化のスピードが緩やかな北陸の片田舎ながら、見慣れた場所でも建物が壊されたり替わったりすると、以前の様子は曖昧模糊に。拙ブログタイトルに付随した概要記載『いつか、失われた風景の標となれば本望』とは、自分自身へ投げかけたメッセージでもある。その意味で「記録」は大切な記憶装置。特に、繰り返し観察・考察できる「文章」や「写真」は、脳の奥、海馬に眠っていた過去を呼び覚ましてくれるのだ。上掲は「津幡中学校」旧校舎の一部。体育館と教室棟をつなぐ渡り廊下だ。紅白枠で囲まれた横一文字看板には「祝津幡町合併十周年」。2度目の合併により現在の町域が整い10年の節目を迎えた昭和41年(1966年)、同校で開催された記念式典のスナップである。思えば少年時代、ここを何...記憶を刺激する記録~れきしる企画展。

  • 1年遅れの催事。

    わが津幡町北部の丘陵地から三国山(みくにやま)にかけて広がる「石川県森林公園」。総面積1,150ヘクタール(東京ドームの246倍)に及ぶ広大な園地を有するそこは、昭和48年(1973年)5月、石川県政100周年記念事業の一環として開園した。本来、同園50周年の節目は令和5年(2023年)なのだが、同年7月、津幡町を襲った豪雨災害の爪痕深く、記念イベントを延期。先日11月2日(土)~3日(日/祝)、1年遅れで開催の運びとなった。「森のインクルーシブフェスティバル2024」【インクルーシブ(Inclusive)】とは「包括」の意。多様性を排除せず積極的に受入れ、一体感を持って関わり合う姿勢を指すという。【渾然一体(こんぜんいったい)】に類似する印象を抱く。石川県森林公園が目指すのはインクルーシブ。多様な自然・...1年遅れの催事。

  • 小品、戦い終えて。

    2つの決戦が終わった。1つは「第50回衆議院議員総選挙」---結果は言わずもがな。小選挙区と比例代表をあわせた465議席のうち、与党勢力が過半数割れ。自民党191、公明党24、計215に留まった。今後、諸般の事情で自民党からの公認を得られないまま当選した「無所属候補」に、追加で公認を出す可能性はあるが、それは経緯を思えばやり難いだろう。一方、野党勢力は「維新」「共産」を除き、アップ。投票率は53.85%、前回よりダウン。選挙の経緯・分析、今後の政局の行方などについてご意見様々あるだろうが、まずはこのリアルがすべてだ。もう1つは「第71回ボートレースダービー」。優勝戦の組み合わせは---1号艇:峰竜太(佐賀)2号艇:毒島誠(群馬)3号艇:桐生順平(埼玉)4号艇:関浩哉(群馬)5号艇:佐藤翼(埼玉)6号艇:馬...小品、戦い終えて。

  • 小品、決戦の日。

    本日(2024/10/27)は「第50回衆議院議員総選挙」の投票日である。きのう総務省は、公示日翌日から10日間のうちに、およそ1643万人が小選挙区の期日前投票を終えたと発表。地域差はあるだろうが全体では有権者の15.77%に相当。僕も既に済ませた。この数字、前回に比べ1.15%減となった。新首相就任から投開票までの日程は、1ヶ月未満。準備期間の短かさが、影響を与えたのかもしれない。“急いで今のうちにやってしまえ!”という思惑が見え隠れする印象が拭えない。争点は、政治とカネの問題、物価高騰と経済・税制政策、政権選択など。焦点は「自公過半数」。個々色々とご都合はあるだろうが、未投票の方は、一人でも多く投票所へ足を運んで欲しい。たかが一票、されど一票。自分自身の意志を示す大切な機会だ。個人的には、そう思って...小品、決戦の日。

  • 旅の空の下、2024秋 第三弾。

    <はじめに>先日、旅をした。その様子を投稿する続篇。(⇒前々回コチラ/⇒前回コチラ)個人的な視点で綴る記録だが、何かしら共感や関心を呼び起こし、思いを致してもらえたなら嬉しい限りである。<本編>旅の2日目、投宿したのは京都府・福知山市(ふくちやまし)のビジネスホテル。由良川流域の福知山盆地にひらける市域は、東西37.1km、南北34.3km。丹波地方中ほど、京都府北部に位置し、日本海側気候で豪雪地帯。多くの幹線、鉄道が交錯する北近畿の交通の要衝である。福知山の名付け親は戦国大名「明智光秀(あけち・みつひで)」という説が有力。天正7年(1579年)、織田信長の命で丹波国を平定した光秀は、砦跡を利用して福知山城を築き、以来、城下町として栄えてきた。築城後、光秀は娘婿「明智秀満(ひでみつ)」を城代に据え統治を任...旅の空の下、2024秋第三弾。

  • 旅の空の下、2024秋 第二弾。

    <はじめに>先日、旅をした。その様子を投稿する続篇。(⇒前回コチラ)個人的な視点で綴る記録だが、何かしら共感や関心を呼び起こし、思いを致してもらえたなら嬉しい限りである。<本編>旅の初日、石川県・津幡町を出発した僕は、兵庫県南部・加西市(かさいし)を経て北上。朝来市(あさごし)のビジネスホテルで草鞋を脱いだ。ここは但馬地方の南端で、兵庫県南北の分水嶺。南北およそ32km、東西24kmあまりの範囲に2万7千の人々が暮らす。2日目、まず目指すは“天空の城”、国史跡「竹田城(たけだじょう)跡」だ。---がその前に、往路で“いい景観”に出会った。播但自動車道の和田山JCTと和田山PAの間に架かるアーチ橋、「虎臥城大橋(とらふすじょうおおはし)」(名称の由来は竹田城別名)。前夜に降った雨が上がり、湿潤な空気に満ちた...旅の空の下、2024秋第二弾。

  • 旅の空の下、2024秋。

    <はじめに>先日、旅をした。行先は兵庫~京都、かつて播州・但馬・丹波・丹後と呼ばれたあたり。これから数回に亘り、旅の様子を投稿したい。個人的な視点で綴る記録だ。冗長や偏りを感じたりするだろうが、よろしかったらお付き合いください。そして、何かしら共感や関心を呼び起こし、思いを致してもらえたなら嬉しい限りである。ではいざ---。<本編>最初の訪問地は、兵庫県南部の播州平野ほぼ中央に位置する加西市(かさいし)。人口4万人あまりの市域は、東西12km強、南北20km弱。瀬戸内式気候に属する穏やかなそこには、昔、飛行場があった。第二次世界大戦時、戦局が悪化しはじめた昭和18年(1943年)、パイロットを養成する「姫路海軍航空隊」の基地が開設されたのだ。訓練飛行に加え、ランウェイに隣接した工場で組立てた機体の試験飛行...旅の空の下、2024秋。

  • 津幡短信vol.124. ~ 令和六年 神無月。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の2本。【深まる、秋と思慮。】10月の声を聞いた途端、めっきり涼しくなった。汗を拭うハンドタオルが手放せなかった頃は、今は昔。拙ブログをご覧の皆さま、気温の変化に体調を崩したりせぬようご自愛ください。津幡町ふるさと歴史館「れきしる」前で撮影した「曼珠沙華」。夏、地上部を枯らして休眠しているが、秋、暑さが落ち着いてきたなと思うとまず花を咲かせる。冬、葉だけになって春を待つ。葬式花(そうしきばな)、墓花(はかばな)、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)---。不吉な別名を持つ花の姿は、妖しくも美しい。この花を見かけると僕は「山口百恵」さんの歌を思い出す。涙にならない悲しみのある事を知ったのはついこの頃形になら...津幡短信vol.124.~令和六年神無月。

  • 花も花なれ 人も人なれ。

    2024年、米テレビ界最高峰とされる「エミー賞」に於いて、ドラマ『SHOGUN将軍』が18部門を受賞と話題になっている。主演/プロデューサーは「真田広之」氏。日本人役には日本人、または日本にルーツを持つ役者を起用。日本から時代物に精通したスタッフを招聘。劇中7割が日本語の台詞で進行。時代考証を重んじ、衣装・美術を細部まで作り込んだアメリカ的サムライ像とは一線を画す“ハリウッド版戦国エンターテイメント”だ。物語の舞台は、関ヶ原前夜。英国人航海士「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」、「徳川家康」「石田三成」「豊臣秀吉」など歴史上の人物を元ネタにしたキャストが登場。今投稿ではそれらの中から、ストーリーの核となる女性を取り上げてみたい。ドラマでは「按針」の通訳を務める主演女優のモデルである。ほんの手すさび手慰み。...花も花なれ人も人なれ。

  • 9・21悲喜交々。

    「悲喜交々(ひきこもごも)」とは、この事である。本日(2024/09/21)、わが津幡町出身の関脇「大の里」が、大相撲・秋場所14日目で2度目の幕内最高優勝を決めた。結びの一番---対戦相手は大関「豊昇龍」。過去、土俵で顔を合わせた3度の対戦は全て敗れていた“天敵”に、一旦は“待った”を誘発する仕切りで揺さぶられたが、迷わず双手で突いて出て、一気に土俵の外へ押し出し白星。これで、場所後の大関昇進を確実にしたと断言していい。初土俵から所要9場所での昇進は、昭和以降では最速。出世の早さに髪の伸びが追いつかず、大銀杏(おおいちょう)を結えない、前代未聞の“ちょんまげ大関”の誕生に拍手を送った。---しかし---。歓喜の瞬間を伝えるモニターには、悲しい現実も映し出されていた。南から流れ込んだ温かく湿った空気が北か...9・21悲喜交々。

  • 令和六年の獅子が舞う。

    令和二年(2020年)と令和三年(2021年)は、コロナ禍によって。昨・令和五年(2023年)は、津幡町の豪雨災害の影響によって。近年は図らずも「自粛」が重なった秋季大祭だが、今年は本日(2024/09/15)、無事催行。昨夕から、大きな獅子が町内を練り歩いている。加賀の獅子舞は、獅子の胴が長い。「カヤ(蚊帳)」と呼ばれる布で構成されるそれは巨大で、内部には布を張る「胴竹」が通常3本ほど渡され、10数名が支える。また、更にカヤの周囲を数名が引っ張りながら波打たせ勇壮な動きを演出。この胴長の獅子に相対する演者が刀や薙刀などの武器を手にして獅子退治。「獅子殺し」は霊獣である獅子そのものを滅するのではなく、獅子に宿った災厄を祓い落すことが目的。一旦は武器を持つ演者(棒振り)の前にひれ伏すが、また復活して次へと移...令和六年の獅子が舞う。

  • 牛に惹かれて河合谷参り。

    前回投稿では、わが津幡町の最北部に位置する地区「河合谷(かわいだに)」の風景を紹介した。木窪川(きのくぼがわ)と瓜生川(うりゅうがわ)。二本の川が合流する地点を「河合」といい、地名になったと伝わる河合谷は、標高400~500mの山々が連なり森に守られたような地形。間近に熊や鹿、猪などの野生獣が生息する山懐は、薪・炭などの燃料源となり、山菜や果実といった食糧採集の場所にもなる。危険と恩恵が共存するそこは、俗な街中からすれば別天地。長年、人と山が深く関わり合いながら暮らし、古くから伝わる文化・伝統を継承してきたと推測する。同地区、河合谷ふれあいセンター内の「祭事の館」で、その一端が窺えた。展示ホールには、河合谷の各集落で受け継がれてきた祭具、獅子頭、神輿(みこし)、面、雅楽の楽器などが並ぶ。河合谷は、昭和29...牛に惹かれて河合谷参り。

  • 夏と秋 季節が融け合う 河合谷。

    日本の国土を地形別に分けてみると、山地と丘陵地を合わせおよそ7割。標高500m以上の地域が国土全体の4分の1を占める。また、国土のおよそ3分の2が森林。世界の森林率(国土面積に占める森林面積)の平均は30%程度だから、日本は“山と森の国”と捉えていいかもしれない。わが津幡町の最北部に位置する「河合谷(かわいだに)」は、その典型の1つ。車でわずか30分余り。面積の8割を森林が占める山村地域には、街中とは趣の違う世界が広がる。一般社会から隔絶した異界としての高山という訳ではないが、山と森に守られたような地形と景観は、やはり独特の雰囲気を有しているのだ。そんな河合谷は、実りの季節を迎えようとしている。日中の暑熱はまだ高いが、吹き抜ける風が孕む湿度は左程でもない。棚田の四方をぐるりと囲む山からは蝉の声。首を垂れ黄...夏と秋季節が融け合う河合谷。

  • 巴里は微睡みの中に。

    もうすぐ8月が過ぎ去ろうとしている。今夏は、よくオリンピックをオンタイムで観戦した。それは、ある意味「ケガの功名」が要因と言える。フランス・パリで大会が開幕した頃、僕は腰を痛めてしまった。体を横たえる時、寝た状態から体を起こそうとする時、激しい痛みに耐えなければならなかった。特に後者が辛い。仰向けから四つん這いになり、辺りの何かしらに掴まり、うめき声を漏らし、脂汗を流し、2本の足で立ち上がり大きな溜息を突くまで2分間。毎回なかなかの大仕事。こうなると寝床に入るのが億劫になり、一人掛けのソファに身を沈め、目を閉じ、浅い眠りに就くのが常態となる。幸いと言うべきだろう。7時間の時差のお陰で、夜通し生中継。うつらうつらしながら、時折TVに目を遣りつつ過ごした。各競技の熱戦の合間、表彰式で目に留まったのがメダルと一...巴里は微睡みの中に。

  • 続・湖国小旅行 2024夏。

    前回投稿の続篇。びわこ競艇場で4つのレースへの投票を終えた僕は、結果を待たず次なる訪問地へ向けハンドルを切った。大津市街中心部から車で20~30分の地点にある「坂本」は、比叡山延暦寺の門前町。昨年は戦国期の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)が築いた石垣(LINK)を見に出かけたが、今年の目当ては「比叡山鉄道坂本ケーブル」である。門前町の坂本と延暦寺を結ぶ比叡山坂本ケーブルの歴史は古い。開業は昭和2年(1927年)。その少し前、大正14年(1925年)に完成したのが、前掲の駅舎だ。往時の姿を留める洋風木造二階建の建物は、国の登録有形文化財に指定されている。雑木林に囲まれ、蝉時雨に包まれた駅舎外観には、風格が漂う。内装も木造のベンチが置かれ、乳白色ガラスの証明が下がるなど雰囲気があったのだが、他のお客さんも多く...続・湖国小旅行2024夏。

  • 湖国小旅行 2024夏。

    猛暑・酷暑の夏、少々夏バテ気味だ。体力・気力が萎え、忙しさにかまけてブログ更新も滞りがち。久しぶりの投稿である。---さて先日、仕事の合間をぬって日帰り旅に出かけた。行先は滋賀県・大津、びわこ競艇場他。賭け事も楽しみなのだが、毎年「夏の琵琶湖」の景観を眺めに行くのは、個人的に欠かせない恒例行事となっている。往路途中に立ち寄った北陸自動車道のPA「杉津(すいず)」。福井県・敦賀市にあるここは、廃線となった国鉄北陸線・杉津駅の跡。かつては機関車が煙を上げて峠をスイッチバックとトンネル群で越え、北陸線屈指の車窓風景とだったと聞く。確かに眺めが良い。駐車場~道路越しに広がる日本海・若狭湾を望み一息ついていると、句碑を発見。名月や北國日和定なき(めいげつやきたぐにびよりさだめなき)芭蕉<芭蕉が月の名所と呼ばれる敦賀...湖国小旅行2024夏。

  • 早朝の水辺で聞いた、夏の音。

    拙ブログには度々登場する「河北潟(かほくがた)」。能登半島の付け根、金沢市~内灘町~かほく市~津幡町、2市2町に跨る水辺だ。かつては東西4km、南北8kmの大きさで日本海の海水が入り込む汽水湖だったが、1963年に始まった国営干拓事業、1980年に設置された防潮水門により完全な淡水に。面積は往時の1/3まで小さくなったが、今なお県内最大の規模を誇る。そんな河北潟に「石川県津幡漕艇(そうてい)競技場」が開設され半世紀以上。1,500メートル×6レーンを有する漕艇コースは日本海側随一と聞く。先日早朝に訪れてみたところ練習風景に出会えた。物静かな湖面で聞こえるのは---水鳥の羽音と鳴き声。跳ね上がる魚の水音。そして、漕艇のリズミカルな掛け声と櫓が水面を叩く音。夏の河北潟らしいサウンドに包まれながら、しばし見学す...早朝の水辺で聞いた、夏の音。

  • 電波は時空を超えて。

    津幡ふるさと歴史館「れきしる」に於いて、企画展「あこがれの電化製品」が始まった。<電化製品は明治時代の末期に登場しましたが、高価であったため家庭で使用されるものは少なかったようです。家庭への電化製品の普及が一般化した昭和30年頃から日常生活の中に深くかかわってきました。戦後の高度成長期を象徴する電化製品ですが、それまで電灯やラジオなど限られた物しかなかった人々の生活様式は大きく変わり、昭和30年代には「三種の神器」(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)があこがれの製品として、急速に広まりました。昭和40年代になると「3C」(カラーテレビ・クーラー・自動車)があこがれの対象となりました。これらの時代の電化製品は高価で月賦で購入する人もいたようですが、それ以上に手に入れられる喜びが大きかったのです。サラリーマンの平均年収...電波は時空を超えて。

  • 津幡短信vol.123. ~ 令和六年 文月晦日。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【夏の風物詩。】先日(2024/07/28)、津幡小学校傍の常設相撲場に於いて、「第53回全国選抜社会人相撲選手権大会」と、「津幡町子ども会相撲大会」が開催された。僕は仕事の関係があり社会人大会には間に合わず、後者を観戦する。土俵上では子供たちの力を尽くしたぶつかり合い。周囲の応援席からは惜しみない拍手と歓声。それらの放つ熱気が、屋根から四方へ伸びたオレンジ色の日除け布に吸い込まれてゆく。津幡町の夏の風物詩の1つである。例年に比べ、熱量が大きく感じたのは僕だけではないはず。やはり津幡町出身「大の里センパイ」の活躍が影響しているのは明らかだろう。ちょうど当日は大相撲名古屋場所の千秋楽。新関脇で望んだ大の里関は、序盤連敗でスタート...津幡短信vol.123.~令和六年文月晦日。

  • 暑中見舞い ~ 心象、夏の銀幕。

    暑中お見舞い申し上げます。大暑の候拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。列島各地から梅雨明けの便りが届いています。ここ北陸も程なく夏本番。くれぐれも夏バテや熱中症にはお気をつけくださいませ。猛暑・酷暑の今日(こんにち)。「無理せずエアコンを使いましょう」が常套句になって久しいですが、少年時代を思い返すと、冷房装置は高根の花でした。生家はもちろん、学校、役所などは皆無に近く、交通機関の車内も扇風機が関の山。そんな中、比較的早くクーラーを導入した場所の1つは「映画館」かもしれません。そこは眩い光が支配する外界と隔たれた、薄暗い異世界。冷気に満ちた快適な空間で、肘掛け、背もたれが付いた椅子に身を沈めるひと時は、とても贅沢な心持ちになったものです。幼い僕が映画館に連れて行ってもらえる機会は夏休み。本津...暑中見舞い~心象、夏の銀幕。

  • 令和の新関脇と、昭和の名古屋場所。

    この投稿の少し以前(2024/07/07)の事になるが、わが津幡町で、新関脇「大の里」の祝賀パレードが行われた。大の里は今年5月の夏場所で持ち前の体格の良さを生かし、幕下付け出しとしては歴代最速となる所要7場所で初優勝。津幡町によれば、沿道には2万人以上が詰めかけたという。僕も観衆の1人となった。パレードは、当日午後4時半ごろスタート。コースは、津幡町文化会館シグナスと町役場を結ぶ1キロ未満。オープンカーには、主役と「二所ノ関親方」が乗り込み、激励と応援の声、拍手に手を振っていた。ここは少年時代の彼が何度も行き来した道。きっと懐かしい顔も少なくなかっただろう。感慨を抱いたであろうことは想像に難くない。喜びにあふれたひと時から10日余り、新関脇は苦しんでいる。4日目を終え1勝3敗と、落胆の色(黒星先行)は明...令和の新関脇と、昭和の名古屋場所。

  • 夏の宵、高岡戸出にて。

    わが石川県のお隣・富山県は、大まかに二分されるという。境となるのが、富山県のほぼ真ん中に位置する呉羽(くれは)丘陵。“呉羽山”の通称で親しまれている標高100m程の小高い山から、西が「呉西(ごせい)」、東は「呉東(ごとう)」と呼ばれるのだ。『越中の野は、鶴がつばさをひろげたかっこうで富山湾を抱いている。野の中央に、呉羽山という低く細ながいナマコ形の丘陵が隆起しており、この平野の人文を東西にわけている。(中略)東西は方言もちがい、生活意識や商売の仕方などもすこしずつちがっている。人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない。』(※「司馬遼太郎」著エッセイ『街道をゆく4』より)富山県民ではない僕には今一つピンと来ない。ただ、それぞれの対抗意識の話題は耳にする。もしかすると、かつて加賀藩と富山藩に分か...夏の宵、高岡戸出にて。

  • 謹んでお披露目いたします。

    僕のブログ名「りくすけ」は、自己紹介欄にあるとおり愛犬の名前だ。そのチワワは、今年(2024年)の立春に亡くなった。過去投稿でも書いたが、僕はまだ彼の死に納得していない。寝起きする部屋の隣に置いた骨壺と献花を毎日目にしても、どうも腑に落ちていないのである。しかし、時は流れ少し変化が訪れた。縁あって、新しい相棒がやって来た。名を「うみのすけ」という。犬種は「トイ・プードル」。生後4か月の雄である。少々調べてみたところプードルは、元々、水鳥の狩猟に従事する水猟犬だったとか。人が仕留めた鴨などを岸辺から泳いで捕りに行くのに、浮力を上げ、身体を護るためカールした体毛を備えたという。原産はハッキリしないが水猟が盛んだった地域、フランス~ドイツあたりで盛んに用いられたそうだ。プードルは知能が高く、鋭い嗅覚をもつ犬種と...謹んでお披露目いたします。

  • 今は昔、失われたよそおい有りけり。

    拙ブログをご覧の貴方は「化粧」をした事がおありだろうか。【紅 (べに) や白粉(おしろい)などを使って、顔を美しく見えるようにすること】辞書に掲載された定義に従うなら、僕は「ない」。将来、機会があるとすれば「死化粧」。昭和生まれからすると“化粧は女性がするもの”という感覚なのだ。しかし歴史を振り返れば、その意識が一般的になったのは明治の頃である。また、近年メンズ美容・メイクの需要が高まっているという。ジェンダーレス意識の推進により性の垣根が取り払われつつある。SNSの発達、コロナ禍を経たオンラインの発達により「映え意識」が根付く。他、様々な要因によって人心に変化が起こっているようだ。ともあれ、ヒトは長きに亘り化粧をしてきた種族である。今回は、昔日の粧いについて拙作・拙文を投稿してみたい。ほんの手すさび手慰...今は昔、失われたよそおい有りけり。

  • 津幡短信vol.122. ~ 令和六年 入梅。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【雨に憂いて。】本日(2024/06/22)気象庁は、北陸(新潟、富山、石川、福井各県)と、中国地方(鳥取、島根、岡山、広島各県)が梅雨入りしたとみられると発表した。梅雨前線を押し上げる太平洋高気圧の北への張り出しが弱かった影響で、中国は平年より16日、昨年より24日遅く、北陸は平年より11日、昨年より13日遅い記録となった。ようやくレイニーシーズンを迎え季節は通常運転。ホッとする反面、嫌な記憶も頭を過る。およそ1年前の令和5年7月12日、石川県内で初めての線状降水帯が発生。津幡町では1時間80ミリの猛烈な雨が降り、4つの河川で氾濫が認められた。人的被害がなかったのは不幸中の幸いだが、物的損害は小さくない。住宅全壊7棟、大規模...津幡短信vol.122.~令和六年入梅。

  • 入梅前の津幡町。

    現在(2024/06/17)列島の梅雨入りは、沖縄・奄美・九州南部・四国止まり。太平洋高気圧の北への張り出しが弱く、梅雨前線がなかなか本州付近まで北上しない。その為、入梅のタイミングがかなり遅れているとの事。よく知られているとおり梅雨の定義は「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる期間」。一昔前は、始まりと終わりに明確な「宣言」を出していたが、実情は、長期間続く気象現象のため区切りの特定は難しく「~したとみられる」と表されるようになって久しい。わが北陸は、平年のスケジュールから1週間あまり経つものの、まだ梅雨入りしたとみられて「いない」のだ。気温は高いが、湿度は低くカラッとした体感。辺りは夏の装いである。本津幡駅近くに湧く泉「しょうず(清水)」が流れ込む「蓮田」。踏切越しにの走るのは「IRいしかわ鉄道...入梅前の津幡町。

  • 津幡短信vol.121. ~ 令和六年 芒種。

    それなりに暑い日もあるが、おおむね過ごし易い日が続く北陸である。津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【アスリートたちのトピック。】わが「津幡町」は、南北に長い石川県の中央に位置している。金沢市・かほく市・内灘町・宝達志水町・富山県高岡市・小矢部市の4市2町と隣接。面積は110.59平方キロメートル。人口は3万7千あまり(2024/04現在)。住みやすく利便性も高いが、決して大規模とは言い難い。そんな北陸の片田舎からトップクラスのアスリートが出現したのは「特筆」に値する。まずは、大相撲五月場所で幕内初優勝を飾った、小結「大の里」関だ。町内には、彼の偉業を祝うムードが満ちている。散歩中に撮影した上掲スナップ---町役場壁面の大懸垂幕、書店のウインドー、商店街のワンコ...津幡短信vol.121.~令和六年芒種。

  • 惑い、未だ拭えず。

    「令和6年能登半島地震」の発災から5ヶ月が経過した。時が流れ、日に日に報道の露出は減少。スポットを当てる対象は「復活」の話題にシフトし始めている。大きなダメージから立ち上がる地域、企業、人が増えていくのは、とても喜ばしい。心から頑張って欲しいと思う。微力ながら助勢は惜しまない。しかし---。復興ではなく復旧さえ道半ばで惑うところが少なくないのも、現実である。きのう(2024/6/01)久しぶりに奥能登・輪島へ出向く機会があった。訳あってほんの短時間の滞在に過ぎなかったが、そこで目にした様子を記録しておきたい。能登にアクセスする大動脈・自動車専用道路「のと里山海道」は、地震で道路の一部が崩落するなど大きな被害を受け、一部区間は北行きだけの一方通行。所々で路面が波打ち、蛇行箇所も多くスピードは出せない。関係各...惑い、未だ拭えず。

  • 解放と歓喜の夕べ。

    昨夕(2024/05/26)2人の若武者が栄冠を手にした。まずは大相撲夏場所に於いて幕内初優勝を飾った新小結、「大の里泰輝(おおのさと・だいき)」である。単独トップで千秋楽を迎えた「大の里」関。勝てば初優勝が決まる大一番。押し出しで「阿炎(あび」関を破り、12勝3敗で初優勝。幕下付け出しデビューとしては、初土俵から7場所目での史上最速記録となった。出身地・わが津幡町では町役場でパブリックビューイングが行われ、400人余りが観戦。優勝が決まると笑顔と歓喜が広がったという。取り組みの現場、両国国技館でも同様。ニューヒーロー誕生に惜しみない拍手と歓声が降り注いだ。僕が印象に残ったシーンは、それら喧噪と一線を画するもの。対戦相手を土俵の外へ押し出した直後、彼は両眼を閉じ、天を仰ぐ。その刹那、若武者の周りだけが静謐...解放と歓喜の夕べ。

  • 選ばれて在ることの恍惚と不安、二つ我に在り。

    今夕(2024/05/26)2人の若武者が栄冠に挑戦する。それぞれ異なる競技のハナシだが、共に23歳。僕は、一方には諸手を挙げて声援を送り、もう一方には複雑な感情を抱きつつ行方を注視している。まずは、大相撲夏場所・千秋楽だ。わが津幡町出身の力士、新小結「大の里」関が幕の内初優勝に王手をかけた。新入幕から3場所連続となる11個の白星を積み上げ、きのう時点で単独トップに立つ。星の差1つで後を追う4人にも逆転の可能性を含むものの、本割で「阿炎(あび)」関に勝てば栄冠を手にする。歓喜と落胆が交錯した14日間の戦いを経て迎えた千秋楽。---『最後の一番を取り切るだけ』---「大の里」本人はそう口にしているそうだ。雑念を振り払った相撲の先に待つ快挙を期待して止まない。次は、競艇SGレース「ボートレースオールスター」だ...選ばれて在ることの恍惚と不安、二つ我に在り。

  • ルーブルの女神。

    今投稿から2ヶ月後、世界の耳目は“花の都”に集まる。2024年7月26日「パリ・オリンピック」が開幕するからだ。フランスに上陸した聖火は、現在、各地の観光名所を経由しながらリレー中。市内に入って以降は全20区をくまなく回るそうだ。ルートの1つとして外せないのは「ルーブル美術館」だろう。その歴史は古く、12世紀まで遡る。日本ではちょうど鎌倉幕府が成立して間もない頃。国王・フィリップ2世の命令により城塞として建てられ、後に王の邸宅に改築された。正式にミュージアムとなったのはフランス革命の勃発から4年後、1793年。館内には、先史時代~19世紀まで様々な人類の遺産が並ぶ。すべてを鑑賞するには1週間を要すると言われるほどの点数を誇る。たとえ美術ファンならずとも知る有名な作品も多い。3万点以上の常設展示から、三大美...ルーブルの女神。

  • 津幡短信vol.120. ~ 令和六年 小満。

    それなりに暑い日もあるが、おおむね過ごし易い日が続く北陸である。レイニーシーズン前の津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は以下の2本。【柿の花。】明治時代に『俳句革新運動』を興した文人、「正岡子規(まさおか・しき)」は柿を題材にした歌を多く残している。代表的な一句はこれだろう。柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺樹上で赤く熟した柿の実をもぎガブリ。豊かな甘みが口いっぱいに広がったところで聞こえる梵鐘の音。古都・奈良の秋が思い浮かぶ。「子規」の代表作の1つであり、時代の風化に耐え、時代を超えた名句だと思う。また、彼はこんな歌も詠んだ。柿の花土塀の上にこぼれけり柿の花は夏の季語の1つ。梅雨のころ、柿は黄みがかった白色の花をつける。若葉と一緒に咲くため遠目にはあまり目立たない。あなたはご覧にな...津幡短信vol.120.~令和六年小満。

  • いしかわ動物愛護センター見学記。

    我が愛犬「りくすけ」が無くなってから3ヶ月以上になる。彼の命日は今年(2024)の立春・2月4日。季節は流れ本日(2024/05/19)は立夏の末。時は止まらず、季節は巡り、過去はどんどん遠のき忘却してゆくのが常だ。しかし、まだ愛犬の死は記憶として脳裏に刻まれていて鮮明である。しかも、奇妙なことに実感が極めて薄い。僕の腕の中で息絶えた姿はハッキリ覚えているのに、どうも腑に落ちないのである。やはり生き物は二度死ぬのだと思う。一度目は、生命を維持できなくなり迎える肉体の死。二度目は、その死を受入れてから訪れる精神の決別。どうやら僕にはまだ、彼の二度目の死は到来していないようだ。---さて、枕が長くなってしまった。人生の相方とも言えるペットだが、犬と猫に限っても、国内に於ける飼育頭数は1,600万近い。数が増え...いしかわ動物愛護センター見学記。

  • 俳聖、やはり旅人也「松尾芭蕉」②。

    同カテゴリーの先回は「俳句」と「松尾芭蕉」について投稿した。執筆のキッカケになったのは、先月(2024/04)出かけた西美濃への小旅行。訪問地の1つ岐阜県・大垣市は「芭蕉」と縁が深い。彼が足を運んだ履歴を時系列に沿って並べれると、以下のとおり。貞享元年(1684年)秋。元禄元年(1688年)春。元禄二年(1689年)秋。元禄四年(1691年)秋。僅か7年ほどのうちに都合四度も来訪している。うち三度目のそれが、あの大旅行の結び。江戸・深川~関東~東北(奥州)~北陸と延べ2,400km、およそ150日を費やした『奥の細道』のゴールに選んだのである。大垣に「格別の思い」を抱いていたであろう事は、想像に難くない。当時の大垣は、城主の文教奨励もあり俳句をたしなむ気風が充満。リーダーは自分の弟子で俳友。早くから「芭蕉...俳聖、やはり旅人也「松尾芭蕉」②。

  • 俳聖も、同じ人也「松尾芭蕉」①。

    先月(2024/04)、僕は西美濃へ小旅行に出かけた。訪問地の1つ、岐阜県・大垣市は「松尾芭蕉」が、有名な旅を終えた地である。326年前のちょうど今時分。元禄2年旧暦3月27日に門人を伴い江戸深川を出発した「芭蕉」は、関東~東北(奥州)~北陸と、和歌の題材になった名所・旧跡「歌枕」を訪ね歩いた。およそ150日間、2,400kmに亘る大旅行の紀行文が『奥の細道』。そこに収められた60余りの歌の幾つかは、発表から長い時を経た今日(こんちに)でも、容易に思い浮かべることができる。『夏草や兵どもが夢のあと』(なつくさやつわものどもがゆめのあと)『閑さや岩にしみ入る蝉の声』(しずかさやいわにしみいるせみのこえ)『五月雨をあつめて早し最上川』(さみだれをあつめたはやしもがみがわ)『無残やな甲の下のきりぎりす』(むざん...俳聖も、同じ人也「松尾芭蕉」①。

  • スイッチ。

    本日(2024/05/01)で「令和6年能登半島地震」発災から4ヶ月が経った。節目にあたり、各種メディアやネットで話題になる機会は少なくない。当然だが、その露出回数、度合いは徐々に縮小している。時は決して止まらず、何事も次第に過去へと押し流されてゆくのは避けようがない。僕自身も以前に比べれば、地震について考えていない時間が増えた。だが「あの日」。僕の心には「スイッチ」ができた。いつでも「あの恐怖」を思い出せる誠にもって厄介な装置なのだ。・何度も襲い掛かってくる大地の震え。・何度も繰り返し耳にした大津波警報。・音を立てて軋む中で物が倒れる光景。・ただ無事を祈るしかない無力な自分。---それらの記憶を明瞭に蘇らせることができ、少しだけ動悸が早くなる。『おい、忘れるんじゃねえぞ』まるで普段は心の牢獄に閉じ込めた...スイッチ。

  • 小品、花曼荼羅。

    本日(2024/04/28)は、本州付近に暖かい空気が流れ込み各地で気温が上昇。全国的に「夏日」。今年初の「真夏日」となったところも少なくない。この先、明日・昭和の日も暑さが続く予報。体が暑さに慣れていない時期は、熱中症に注意が必要と聞く。最高気温が25℃程度でも体内の熱を放出しにくく、体調を崩す要因になり得る。大型連休中は屋外で過ごす時間が長くなりがち。お互いに熱中症対策を疎かにしたくないものだ。さて、そんな陽気のお陰か---津幡町内では「サツキツツジ」が盛りを迎えている。名前からも分かる通り、本来の開花時期は皐月。一足早く咲いた格好だ。何と鮮やかな紅(くれない)だろうか。主張の強い咲きっぷりは、花曼荼羅とでも形容したくなる。小品、花曼荼羅。

  • 企画展「あそびの道具」に寄せて。

    わが津幡町の施設「津幡ふるさと歴史館れきしる」に於いて、企画展「あそびの道具」が始まった。<昔から、土地の風土や文化に根付いた多くの玩具が作られてきました。縁起物として子供に買い与えられたり、身近な素材で作ったりと、玩具の文化から子供たちへのやさしいまなざしが感じられます。木製のコマやガラス製のおはじき、手作りの木馬やブリキ製のおもちゃなどが中心であった昭和時代。そして平成に入ると電子機器を利用した遊び・おもちゃの道具へと様変わりしてきました。今回は、大切に使われたおもちゃや手作りのおもちゃなど、貴重なものをお借りできました。主な展示品は、手作りおもちゃ、動かして遊ぶおもちゃ、カードゲームやミニカー、テレビゲームなど263点余です。懐かしいおもちゃや今でも使っている、遊んでいるおもちゃがあります。時代によ...企画展「あそびの道具」に寄せて。

  • 月日は百代の過客~大垣散策 昭和風味~

    岐阜県西南部「西美濃の旅」続篇2。“偏った視点の街歩き”である。今回の旅で草鞋を脱いだ大垣市の位置は、岐阜県の濃尾平野・北西部。県庁所在地の岐阜市に次いで2番目の人口(15,000あまり)を有する。異名は「水の都」。木曾川・長良川・揖斐川など木曽三川を利用した舟運(しゅううん)が盛んで、江戸~明治にかけ重要な交易ルートとして活用されていた。また、地下自噴水も豊かで今も上水道の水源となっている。一方、豊かな自然は、時に「脅威」にもなり得る。水が付きやすい土地で発達したのが「輪中(わじゅう)」。読んで字のごとく輪の中のことで「低地集落を堤防で囲んだ」のだ。大垣市も、度重なる水害に悩まされてきた。そして、戦時下の昭和20年、6度の空襲を受ける。特に7月28日から29日にかけての第6回目の空襲は、苛烈。上空に飛来...月日は百代の過客~大垣散策昭和風味~

  • 夢は枯野をかけ廻る~関ヶ原にて。

    岐阜県西南部「西美濃の旅」続篇。大垣市で一泊した僕は、隣接する「関ヶ原町」へ向けハンドルを切った。関ケ原町は人口6000あまり。岐阜県の西端に位置し、北は伊吹山地、南は鈴鹿山脈に囲まれている。平野部でも海抜100m~200mの高低差があり、変化の多い地形が特徴。ここでは、天下分け目の戦いが二度行われた。一度目は古代日本最大の内戦「壬申の乱」。二度目が、かの「関ケ原合戦」である。取り分け後者は有名だからご存じの向きも多いだろうが、簡潔にあらましを振り返るところから、筆を起こそう。<戦場>主戦場は、美濃国関ヶ原(現:岐阜県関ケ原町)。東西およそ4km、南北2km、標高130メートルの関ヶ原台地で展開された。岐阜と滋賀の県境に近く、現在も東海道新幹線や名神高速道路などが通るここは、古くから北国街道、中山道、伊勢...夢は枯野をかけ廻る~関ヶ原にて。

  • さまざまの 事おもひ出す 桜かな~大垣紀行~

    <はじめに>正直、心身共に疲れを覚えていた。令和6年能登半島地震に始まり、愛犬の死、災害ゴミ受け入れ業務---。年が明けてから休まらない日々が続いた。また先月まで寒さが長引いたことも、気を滅入らせた一因だったかもしれない。しかし、幸い暖かくなってきた。僕は、春の陽気に誘われ小旅行に出かけた。行先は岐阜県南西部「西美濃」。これから3回シリーズでその記録を掲載したい。まず訪れた「大垣市」では、散際の桜が出迎えてくれた。大垣市の位置は、岐阜県の濃尾平野北西部。県庁所在地の岐阜市に次いで2番目の人口(15,000あまり)を有する。面積206.57km²のうち「平成の大合併」で編入した旧・上石津町と旧・墨俣町は、旧・大垣市の面積より大きく、更に飛地となっている。大垣には「水の都」の異名もある。かつては河川を利用した...さまざまの事おもひ出す桜かな~大垣紀行~

  • 小品、桜花爛漫の候。

    桜の代名詞といえる「染井吉野(ソメイヨシノ)」が江戸時代に誕生した栽培品種で、明治以降、接ぎ木苗により普及したクローンなのは有名なハナシだ。列島の西から始まった桜前線は北陸に到達。今まさに盛りを迎えようとしている。きのう(2024/04/06)撮影した、本津幡駅前の「一本桜」は5~6部咲きといったところ。程なく枝一面に鈴生りの景観が拝めるだろう。当駅は明治31年(1898年)春の開設。周辺発展を祈念して植樹されたうちの唯一の生き残りだ。毎年、その咲きっぷりを鑑賞するのは僕の楽しみの1つ。個人的な「春の標準木」と捉えている。また、大西山で咲く桜も見栄えがいい。かつて花の背景にあった母校の校舎がなくなってしまったのは寂しいが、忠魂碑やグラウンドとの取り合わせは昔のままだ。さて、平安時代前期の歌人「在原業平(あ...小品、桜花爛漫の候。

  • 城址や 兵どもが 夢の跡。

    津幡町から中能登町の災害ゴミ受け入れ現場へ向かう際、必ず通過するのが「宝達志水町(ほうだつしみずちょう)」だ。宝達志水町の場所は、石川県の中部。上掲地図画像を見てお分かりのように、能登半島の付け根---旧能登国最南部に近く「口能登」(くちのと)に位置する。北は羽咋(はくい)市、南はかほく市と津幡町。西は日本海、東は富山県氷見(ひみ)市と高岡市に隣接。平成17年(2005年)3月1日、羽咋郡志雄町(しおまち)と押水町(おしみずまち)が合併して発足した。行き帰りの道すがら、常々気になっていたのが「末森城址」の大看板。先日、よく晴れた日の西日が傾き始めた頃、城址を訪問した。歴史ファン、戦国ファンならご存じの通り、ここは戦いの舞台となったところ。「前田利家」と「佐々成正」の軍勢が刃を交えた「末森合戦」である。『末...城址や兵どもが夢の跡。

  • 熱気、未来へ続く。

    きのう(2024/03/24)大相撲春場所・楽日、一般公開観戦(パブリックビューイング)会場に大勢の津幡町民が集った。マスコミ各社がカメラやマイクを構える中、幕の内最高優勝の行方を見守りつつ声援を送った。拙ブログでも何度か掲載した通り、今場所の優勝争いの一角を担った西前頭5枚目「大の里」関は、津幡町出身。星取り勘定では不利な位置だったが、わずかに賜杯を手にする可能性が残っていた。しかし、成績トップを走る「尊富士」関が本割で対戦相手を押し倒し、勝負あり。観戦の現場では、さぞ大きな溜息が漏れたことだろう。「大の里」関も肩の力が抜けてしまったかもしれない。結びの1番前に土俵へ上がるも、大関の右下手投げに屈し、11勝4敗の成績で場所を終えた。ざんばら髪での優勝は成らなかったが、敢闘賞、技能賞のダブル受賞。技能賞に...熱気、未来へ続く。

  • <追記>心変わりと心残り。

    ※以下本文:3月20日午前7時投稿今夕(2024/03/20)埼玉県・戸田市の「戸田競艇場」に於いて、艇界のビッグレース優勝戦が行われる。年間9つある格付け最高位・スペシャルグレード(通称SG)の1つ、「第59回ボートレースクラシック」だ。---今年の元日、僕は現地へ出向くつもりで、計画を立て始めていた。16時10分までは。最大震度7を記録した「令和6年能登半島地震」。何度も襲い掛かってくる震えに揺さぶられ、恐怖しながら胸中に浮かんだ思考の中には、「埼玉行断念」も含まれていた。発災以降、周囲も生活も変わってしまった。誠にもって残念だが、やはり致し方ないのである。だが、僕は変わらわず競艇ファン。本日の優勝戦を楽しみにしている。5日間に亘る激闘(4日目・強風荒天でSG初の中止打ち切りもあった)を勝ち抜き、最後...<追記>心変わりと心残り。

  • 中日(なかび)に送るエール。

    現在(2024年3月)大阪で開催中の「大相撲三月場所」に於いて、わが津幡町出身の幕内力士が奮闘している。前頭五枚目「大の里(おおのさと)」関は、身長192センチ・体重183キロの恵まれた体格をを活かし、立ち合いから圧倒。初日から5連勝し、6日目は不戦勝を得て6つの白星を重ねた。取り口は粗削りながら、入幕2場所目にして桁外れの才能を解放させはじめた感がある。2023年5月の夏場所で初土俵。幕下を2場所で通過し十両昇進。十両も2場所で通過し幕の内へ。新入幕で迎えた昨1月場所では、途中優勝争いに絡む11勝4敗の好成績を挙げ、大相撲三賞の1つ「敢闘賞」を受賞した。津幡町文化会館「シグナス」では、そのトロフィー、表彰盾、表彰状が展示されている。きのう7日目は、前頭八枚目・阿武咲(おうのしょう)にいなされ土俵を割り初...中日(なかび)に送るエール。

  • 小品、ボクシング。

    (2024年)3月も10日になるというのに、北陸の最高気温は一桁止まり。まだ真冬の装いだ。上掲画像は、前回投稿で書いた「中能登町」へ通う際に通る道、石川県・七尾市~金沢市を結ぶ「国道159号線」で撮影。羽咋市(はくいし)辺りのスナップである。積雪こそ少ないものの、霙(みぞれ)交じりの氷雨や、霰(あられ)が降ることも珍しくない。慎重にハンドル握りつつ運転する道すがら、「その看板」に気付いたのは1ヶ月ほど前の事だった。いわゆる“キリスト看板”の下、色褪せたサインボードには「角海老ボクシングジム」の文字。上部、白抜きなってしまったところには、左右にボクシンググローブ、中央にチャンピオンベルトが描かれていたと推測。看板の最下部には、ジムの住所や連絡先が配されていたと考えられるが、文字も絵柄も消えてしまっている。こ...小品、ボクシング。

  • 能登の春、遠きに在りて。

    石川県・能登半島の中ほど。「中能登町(なかのとまち)」が誕生したのは、今からちょうど19年前、平成17年(2005年)3月1日。鳥屋町(とりやまち)、鹿島町(かしままち)、鹿西町(ろくせいまち)、3つの町がいわゆる“平成の大合併”により1つになった。同町HPには以下の通り紹介されている。『中能登町は邑知地溝帯を中心に平野部が広がり、東側が石動山(せきどうざん)、西側は眉丈山(びじょうざん)をそれぞれ中心とし、日本の原風景とも言える田園地帯と、それを取り巻く丘陵地の緑、潤いある河川などの身近な自然環境、旧街道沿いの集落や、神社・寺院群、それらを舞台とした祭りなどの伝統文化を地域の重要な資産とした素晴らしい「中能登町」です。』(※ほゞ原文ママ/一部編集)縁あって、僕は最近、その中能登町へ通う日々を送っている。...能登の春、遠きに在りて。

  • 小品、紅梅。

    このところ北陸の気温は低空飛行が続いている。少し以前は春の陽気に包まれたが、今週に入り一変。冷たい雨に霙(みぞれ)が混ざる事もあり、まだ暖房・防寒具は手放せそうにない。そんな中、寒さに負けるなと励ましてくれる1つが「梅」の花だ。俗に「梅は百花の魁(さきがけ)」と言う。先頭を切って咲き、春を告げる花枝の下に身を置けば、馥郁たる香りが実に心地いいのだ。現代では、花見で愛でる花といえばもちろん桜のこと。しかし、かつて奈良・平安時代の花の鑑賞といえば、梅を指す。その人気ぶりをうかがえるのが『万葉集』。桜を詠んだ歌が43首に対し、梅を詠んだ歌は110を数える。一例を挙げてみよう。残りたる雪にまじれる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも作者は「大伴旅人(おほとものたびと)」。地上の雪と樹上の梅の花を対比して詠った。梅...小品、紅梅。

  • 時を紐解く愉しさ。

    今(2024/02)津幡町ふるさと歴史館「れきしる」にて、企画展「石川中央都市圏考古資料展~古代編」を開催中。先日、足を運び見学してきた。南北に長い石川県の真ん中あたりに隣接した4つの市と2つの町、金沢市、白山市、かほく市、野々市市、津幡町、内灘町の「石川中央都市圏」では、古くから人々が生活し、文化を築いてきた。それぞれ、縄文から近世までの史跡や考古資料が数多く残されている。これからの歴史遺産の保存活用のため4市2町が連携。考古資料の巡回展を行っている。その中から、津幡町の「北陸道」に関連する展示を取り上げてみたい。古代の北陸道は、都が置かれた畿内と日本海側中部を結ぶ官道。上掲地図赤丸に位置するわが津幡町は、ちょうど越前⇔加賀・能登⇔越中の中継分岐点である。道往く人馬の拠点---宿泊場所、馬の補給地になっ...時を紐解く愉しさ。

  • 女たちのブルーズ。

    古くから近世に至るまで、日本人は「眼疾」に悩まされてきた。江戸時代、安永4年(1775年)に来日した外国人医師は、薪炭の煙と、トイレの臭気・ガスが原因と記している。その指摘が全てではないが、確かに氷山の一角。囲炉裏から立ち上る火の粉や煤煙、未舗装路から舞い上がる土埃。低い栄養状態に起因するビタミンの欠乏。極端に暗い照明、対抗薬のない様々な疫病など、現代に比べ眼を病む要素が身近に溢れていた。運悪く盲目になれば、職業の選択肢は限られる。鍼や按摩で生計を立てるか、あるいは遊芸で糧を得るか。---今投稿の主役は後者。光を失い、生きる為に旅をして、歌を届けた越後の女性たちを取り上げてみたい。ほんの手すさび手慰み。不定期イラスト連載第二百三十四弾「瞽女(ごぜ)」。「この下に高田あり」冬になると豪雪に埋もれる新潟県上越...女たちのブルーズ。

  • 立春、りくすけ(犬)逝く。

    それは今朝の事だった。長年(15年間)連れ添い、共に時間を過ごした愛犬が死んだ。去勢雄のチワワ、名前は僕のブログネームと同じ「りくすけ」。極めて私的な不幸ではあるが、このブログを立ち上げるキッカケを与えてくれた意味で、記録しておきたいと考えた次第である。彼と出会い、散歩をするようになり、わが町の風景を撮り始めた。彼と出会わなければ、こうして貴方に出会うことはなかったのだ。最期は、同じ寝床で右腕に頭を乗せ眠りながら旅立ってしまった。最近の衰えぶりを見るにつけ、覚悟は固めていたつもりだったが、いざ「その時」を迎えてみると喪失感の深さは筆舌に尽くし難い。生きとし生けるものは必ず死ぬ。それは自明の理と分かっている。しかし情けないことに、今はまだ現実を受け止められないでいる。寒い冬、うららかな春、暑い夏も錦秋も。思...立春、りくすけ(犬)逝く。

  • 遠い道のり。

    一昨日、昨日(2024/01/26~27)の2日間、石川県・輪島市を訪問。令和6年能登半島地震の被災地で避難所設置の業務に従事した。久しぶりに足を運んだそこは、幾つかの意味で「遠いところ」に感じた。「距離的・時間的な間遠」。そもそも能登半島は広い。日本海側の海岸線で突出する半島としては最も面積が大きく、金沢-輪島間の距離は100キロを超える。平時でも車で2時間ほどを要するのだが、到着まで倍以上の時間を費やした。地震によって道路状況が悪化、所々凹凸やヒビ割れが発生、片側交互通行も。加えて、季節は冬。降雪、路面凍結、渋滞が行く手を阻む。奥能登は一層の遠隔地となり、支援が届き難いのは納得するしかない。能登半島の奥に進むに従い、空気が重苦しくなってゆく。上掲2つの画像にある様な「山滑り」や「倒壊家屋」が視界に。そ...遠い道のり。

  • 北陸は憂いながらも、生きている。

    最大震度7を観測した「令和6年能登半島地震」の発災から20日あまりが経った。この間、滲む涙を何度拭ったことだろう。未だ悲しみは深く、落ち着かない日々が続いている。石川県によると、全壊や半壊、一部破損を含む住宅被害棟数は、2024年1月20日現在で3万1659棟。自治体別では、七尾市で8342棟、能登町で5000棟、志賀町で3454棟、金沢市で3034棟など。これまで集計が追いつかず「多数」となっていた奥能登・輪島市は、少なくとも870棟が被害を受けたと明らかに。珠洲市は引き続き「多数」となったまま。被害の全容は明らかになっておらず、住宅被害の数字は今後大きくなってゆく。わが津幡町も無縁ではない。実数は不明ながら、各所で建物の損壊が見受けられる。また、地盤の液状化によると思われる地盤沈下や隆起も少なくない。...北陸は憂いながらも、生きている。

  • 揺籃の地は異界。

    中国大陸の奥、遥かチベット高原の氷河に源を発し、6000kmもの旅を経て東シナ海へそそぐ「長江」。その大河の最下流「黄浦江」沿いに位置する大都会が「上海」。20世紀初頭のそこは一種のブラックホール。世界中から人と富を呑み込み、妖しい魅力を放っていた。川沿いに立ち並ぶ堂々とした欧風建築。摩天楼の灯りが濁った水面に揺らめく。陸に上がれば、人の海。鞭髪、黒髪、金髪、赤毛、ブルネット。丈の長い中国服、白いリネンのスーツ、チャイナドレス。人種も服装も様々。乗用車やトロリーバスの間を縫って走る人力車や馬車、大八車に移動式屋台。それらが混ざり合う混沌が表の顔だとすれば、裏側はさらに複雑怪奇。渦巻く権謀術数、生と死、欲望が醸す臭気が漂い、あらゆる快楽がひしめいていた。美酒、美食、阿片、売春、賭博。---そして「ジャズ(J...揺籃の地は異界。

  • 小品、冬鷺。

    冷たい雨が降る昨日(2024/01/12)の午後、金沢へ向かい車を走らせていたところ助手席に置いたスマホが鳴った。電話をかけ直すため、一旦バイパス下の運動公園を目指す。そこは冬季閉鎖されていて駐車場には入れない。側道に車を停めようとすると路面を歩く白い鳥を発見。大鷺(ダイサギ)である。体長は1m近く。羽毛は白一色で、脚と首、嘴(くちばし)が長い。かなり近づいても悠然と闊歩している。彼は解っているのだ。人っ子一人いない冬は、ここが害のない「楽園」だということを。大鷺は、アジア南部~オーストラリア~南北アメリカなどに広く分布。日本には夏鳥として渡来する個体もいて夏の季語の1つだが、季節的な移動をせず、同じ地域に一年中生息し繁殖をする「留鳥」も少なくない。これを「冬鷺」とか「残り鷺」と呼ぶとか。鷺の食物は、魚類...小品、冬鷺。

  • 自戒の念。

    きのう(2024/01/06)の拙ブログ投稿で「令和6年能登半島地震」について書き、以下の文面で締めくくった。『全力を尽くして助けようとする人がいる一方、窮地から容赦なく剝奪しようとする輩もいる。これが浮世の現実なのだ。』被災地での火事場泥棒的な犯罪や悪質商法の具体的な事例として、オンライン記事へのリンクも添えた。その内容は以下のとおり。<地震被災者の避難所となっている県立穴水高校で自動販売機が壊され、中から飲料と金銭が盗まれていたことが5日、目撃者の証言でわかった。被害を目撃した避難者の30歳代男性や同校によると、発生したのは地震発生直後の1日夜。当時、避難者が続々と校内に集まり、100人ほどが身を寄せ合っていた。学校は地震の揺れでほとんどのガラスが割れており、誰でも自由に入れる状態だった。同日午後8時...自戒の念。

  • 遣る瀬無い現実。

    今朝(2024/01/06_5:26頃)、また大きな地震が発生した。震源は石川県能登地方、マグニチュード5.3、最大震度5強を観測。僕のいる所も結構揺れた。気持ちは一向に落ち着かない。用事で近場へ出かけると、壁が剥がれた土蔵、道路の陥没・ひび割れなど、町内各所に地震の爪痕が見受けられる。そして「令和6年能登半島地震」による石川県内の地震による死者が三桁に到達。---悲しいことだがそれは想定の範囲内。まだ安否不明は200名を越えていて、避難者は五桁。孤立状態の集落も残っている。人的被害を表す数字は刻々と変わってゆくだろう。他方、土砂崩れなどで寸断された道路の一部で復旧作業が進み、ようやく救援物資の輸送が本格化し始めた。地域によって差異があり、避難所や孤立地域へ届ける人手や安全な輸送手段も課題だ。こうした現状...遣る瀬無い現実。

  • 止まない心の震え。

    令和6年能登半島地震の発生から、現時点(2024/01/03)で丸2日が経った。大きな悩みだった「断水」は、少なくとも僕の住む地域一帯は概ね復旧(したと思う)。一方、まだ充分に解消していない所もあるようだ。ご近所のコインランドリーでは洗濯ができなかった(今朝段階)。乾燥機は動いていた。溜まった自分の洗濯物を乾かしに出向いた時、仕上がりを待つ間に、何人もの方が汚れ物を抱えて訪れ、張り紙を見て肩を落とし帰って行った。町役場周辺には給水車が待機。豊田市、豊橋市、岡崎市など愛知県から駆けつけてくれたようだ。水道局、県内外自治体、関係各位のご尽力のお陰で、わが津幡町は徐々に平穏を取り戻しつつある。心から御礼申し上げます。しかし、120km以上離れた震源地~能登半島一帯は、まだ渦中の只中。群発地震は続いていて、ライフ...止まない心の震え。

  • 震えは止まない。

    大地の震えは続いている。きのう(2024年元日)夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」は、今現在(2024年1月2日)鎮まる気配を見せていない。過去24時間に観測された最大震度5弱以上の地震は10回を数えている。震源地から距離のある津幡町でも、かなりものだった。度重なる緊急地震速報。何度も襲い掛かってくる震え。柱や壁がミシミシと音を立てる。ラジオから聞こえる津波への強い警告が切迫感を煽る。『東日本大震災を思い出してください!』『ためらわず今すぐ避難!』『少しでも高い所へ避難!』時間を追うごとに陽が翳り周囲の様子も分からず、ただ身を固くして耐えるしかない。怖ろしい夜だった。今朝早く、夜明けを待って周辺を散策してみた。所々、地面の液状化と思われる陥没が見受けられた。また、瓦屋根やブロック...震えは止まない。

  • 震える幕明け。

    突然、大地が震えた。震えは断続。今のところ無事。津幡町に津波は心配ない(多分)。不安に苛まれる夜が来る。数日は要警戒。---また揺れた。もう勘弁して欲しい。震える幕明け。

  • 津幡短信vol.119. ~ 令和五年 大晦日。

    今投稿のタイミングは、令和5年(2023年)12月31日。大晦日である。「みそか」は月末にあたる『三十日』を指していて、「おお」は『1年のクライマックス』を表している。拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしだろうか。わが津幡町の天気は雨模様だが、好天に恵まれたきのう(2023/12/30)の散歩中に見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けしたい。【ああ川の流れはゆるやかに。】画像は、津幡川に架かる「川尻水門橋」。川は奥から手前に向かって流れている。若干さざ波が立っているものの大変穏やか。護岸の枯野がむき出しになっていて雪もない。付近をねぐらにする鴨たちが起こす泳跡派が扇状に広がる様子から、静水面が見て取れる。さて、先日「2023年津幡町10大ニュース」が発表された。一席は<県内初めての線状降水帯による被害甚大...津幡短信vol.119.~令和五年大晦日。

  • 1'56"5の愉悦。

    今年の艇界ナンバー1を決めるレース、賞金王決定戦競走「第38回ボートレースグランプリ」が終わった。住之江競艇場の夜空に最後まで輝いていた星の名は「石野貴之(いしの・たかゆき)」。自身4年ぶり2度目の戴冠となった。今投稿のタイトルにした「1′56″5」とは、優勝戦での彼のゴールタイム。ファンならお分かりのことと思うが「かなり遅い」。通常に比べ10秒は長く走っていたことになる。原因は「転覆事故」だ。競争水面上に事故艇又は救助艇がある場合は、それらと安全な間隔を保ち、追い抜き禁止、安全第一で航走しなければならないのがルール。つまり、事故が起こった時点の状態で、着順は確定すると言っていい。後は、ゆっくりコースを3周するだけ。後は、トップを走るレーサーの独り舞台。スリルに起因する興奮は消えたが、祝福が呼び起こす高揚...1'56"5の愉悦。

  • 住之江流星群。

    大坂「住之江競艇場」に於いて開催されてきた賞金王決定戦競走「第38回ボートレースグランプリ」は、本日(2023/12/24)が最終日。1600人余りのレーサーたちの中から選ばれた今年のトップ18が火花を散らした5日間。敗者は流星となって流れ去り、6つの輝きだけが残った。1号艇:石野貴之(大阪)2号艇:平本真之(愛知)3号艇:峰竜太(佐賀)4号艇:磯部誠(愛知)5号艇:池田浩二(愛知)6号艇:茅原悠紀(岡山)彼らとて、ここに名を連ねるまでの道程は楽ではなかった。幾つもの不運と幸運が交錯し、天国と地獄を行き来して辿り着いたのだ。最有力は1号艇に陣取る、地元「石野」。昨夜の予選最終日11レース、4号艇・4カドからの一撃は見事だった。これぞ“浪速の快男児”たる面目躍如。自力でポールポジションを掴み取った。そして、...住之江流星群。

  • 小品、雪。

    「日本海寒帯気団収束帯(JapanseaPolarairmassConvergenceZone)」。「JPCZ」の呼称を耳にし始めたのは、ここ数年のことと記憶している。これは、冬季に日本海で形成される長さ1,000km程度に亘る気団の収束帯のこと。朝鮮半島や中国大陸の高い山々を避けるように吹く風がぶつかることで雲が急速に発達。低気圧を発生させることもあるという。その気団が、今(2023/12/22)わが津幡町にも襲来している。---正直、過ごし辛くはあるのだが美しい。---と言うと不謹慎だろうか?厚い雲に遮られた光が地に届く量は限られ、白い雪が浮かび上がる様相は、あたかも「水墨画」のよう。墨の濃淡を利用して描いた絵画は、色彩のバリエーションこそ少ないものの諧調深く表情豊か。それに似た世界は、やはり趣きがあ...小品、雪。

  • 届かなかった招待状。

    「招待状」は届かなかった。昨夜、大阪「住之江競艇場」に於いて開催中の賞金王決定戦競走「ボートレースグランプリ(THEGRANDPRIX)」一次予選が昨夜終わり、二次予選へ進むレーサーが決まった。そこに僕が応援するレーサー「毒島誠」の名前はない。彼が最終日(2023/12/24)の優勝戦まで辿り着けたら、現地へ駆けつけ声援を送るつもりだったが、その予定はなくなった。上掲3つの画像は、過去に訪れたグランプリ会場の記録写真。いずれも住之江競艇場。今年もこの坩堝に身を置きたかったが致し方ない。行こうと思えば行けるのだが、北陸の地に留まり行方を見守るとしよう。ShowMustGoOn、戦いは続く。今夜からは、一次予選を勝ち上がった6名と、年間賞金ランク上位6名が火花を散らす。また「毒島」をはじめとした敗退者たちは、...届かなかった招待状。

  • 乾坤一擲。

    本日(2023/12/19)より、大阪「住之江競艇場」に於いて賞金王決定戦競走「ボートレースグランプリ(THEGRANDPRIX)」が始まる。昭和61年(1986年)の創設から38回目を数えるそれは、文字通りの大一番だ。今年1年間の獲得賞金上位18人が鎬を削り合い、ビッグマネーと日本一の栄冠を目指す。開催は6日間。■1日目、2日目は年間賞金ランク7位~18位による「一次予選」。⇒ここで半数がふるい落とされる。■3日目~5日目は一次を勝ち上がった6名と、年間賞金ランク1位~6位による「二次予選」。⇒ここでも半数が脱落する。■最終日・6日目は生き残った6名による「優勝戦」。⇒優勝者は賞金1億1000万円を獲得しチャンピオンが決まる。勿論、興味のない方は関心もないだろうが、僕(ファン)はその行方が気になって仕方...乾坤一擲。

  • 古(いにしえ)のてがみ。

    世界最古の「紙」は、紀元前150年頃のものだという。古代中国「前漢」時代に編み出された大変貴重で高価な「紙」が普及する前、世界各地では様々な媒体が利用されたきた。例えば、古代メソポタミアの粘土板、古代エジプトのパピルス。古代ギリシャなどのオストラコン、西アジア・ヨーロッパの羊皮紙などがそれだ。日本や東アジアでは、木の板に墨で文字をしたため、通信ツールや、記録メディアにしてきた。いわゆる「木簡(もっかん)」である。わが津幡町・加茂(かも)遺跡で発見された木簡---「加賀郡ぼうじ札(さつ)」は、平安時代(西暦800年代半ば)の国内最古のお触書。当時の人々の暮らしが窺える重要な資料なのだ。また、同遺跡からは他にも複数の木簡が出土している。そんな縁もあり、時空を超えた「古(いにしえ)からの手紙」をリメイクするイベ...古(いにしえ)のてがみ。

  • 小品、冬の散歩道

    今投稿のタイトルは洋楽ナンバーに由来している。昭和41年(1966年)「サイモン&ガーファンクル」が発表したもので、日本で知られる曲名は邦題。現題は「AHazyShadeofWinter」。“仄暗く霞んだ冬”とでも意訳すればいいだろうか。作者の2人「ポール・サイモン」と「アート・ガーファンクル」は共にアメリカニューヨーク出身。日本の青森と同じくらいの緯度にある彼の地の冬は寒冷と聞くが、2023年12月前半は最高気温10℃前後。今のところ暖冬傾向のようだ。わが津幡町も似たり寄ったり。先日「ABlueSkyofWinter」の散歩を楽しんだ。上掲画像は街中の小道。背の低い門柱にアートを配してあり、個人的に気に入っている。きっと所有者は趣味のいい人なのだろうと推測。また、途中に建つ造形物---「嘆きの天使」と勝...小品、冬の散歩道

  • そして、歌声が残った。

    「美しい歌声」とはどんなものか?一般的には、聞いていて気持ちがいい、耳当たりがいい、伸びやかな高音、豊かな低音---などを連想するかもしれない。また、ハスキーな声(だみ声)、裏声、枯れた声などに魅力を感じる人もいる。嗜好は様々で、美の基準は主観的。民族や言語、時代やジャンルによっても異なるだろう。万人が認めるそれを決めるのは困難と言える。だが、概ね多数が納得することは無きにしも非ず。定冠詞付きの声---「TheVOICE」と呼ばれた男のそれは、その1つだ。ほんの手すさび手慰み。不定期イラスト連載第二百三十二弾「フランク・シナトラ(withbunnys)」。かつて歌手の必須条件は「大きな声」だった。舞台から客席へ肉声を届けるには、バックバンドに負けない声量が求められた。目いっぱい声を張り上げる歌唱法は、迫力...そして、歌声が残った。

  • 津幡短信vol.118. ~ 令和五年 師走。

    先回(2023/12/03)では、寄る季節の足音を感じつつ、自戒を促す意味を込めて冬に備える論調で投稿したものの、今のところ的外れ。わが津幡町の空はよく晴れ、雪は影も形もない。本日(2023/12/09)の日の出は6:53、日の入りが16:37。太陽運行のスケジュールだけは冬らしいが、陽気は穏やかである。そんな昨今の津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は以下の3本。【クリスマスの装い。】津幡中央銀座商店街のワンコディスプレイはツリーをバックに赤いおべべ。すっかりクリスマス仕様になって、道行く人を見詰めている。コロナが明け(たと思う)賑わいは戻るのかと思いきや、物価高が冷や水。今年も物静かな師走になるのだろうか?とは言え、イベント事だ。「スガイ書店」ではサンタコスプレで書籍を届け...津幡短信vol.118.~令和五年師走。

  • 弁当忘れても、傘忘れるな。

    師走になった。令和5年(2023年)も残すところ1カ月あまり。「卯年」だからという訳ではないだろうが、過ぎるスピードはどことなく速く感じる。拙ブログをご覧の皆さまは、いかがお過ごしだろうか?このところ北陸のお天気は、雨風、雷が増えてきた。「弁当忘れても、傘忘れるな」---“とにかく傘だけは持っておけ”の言い伝えどおり、晴れていたと思ったら土砂降りになるなど、短時間で変化が目まぐるしい。また、雷雨の発生もしばしば。石川県の年間雷日数は日本有数で、特に冬の雷が多く観測される。先日、山間の道を走行中に突然風が強くなった。風に乗って大量の落ち葉が横断する光景に遭遇。思わず路肩に車を停め、シャッターを押す。列島上空が「西高東低」の気圧配置になると、太平洋側は天気に恵まれ乾燥。落ち葉が風に煽られ地面に接触すると、カラ...弁当忘れても、傘忘れるな。

  • 艶姿“戦国”ナミダ娘。

    「彼女」の事を知った時、脳裏に「歌のタイトル」が浮かんだ。ちょうど40年前、昭和58年(1983年)にヒットした『艶姿ナミダ娘』。リリース当時のシンセ・サウンドを纏うポップで軽快なアレンジとは裏腹に、マイナーキーを活用した旋律は、どこか後ろ向きな印象を抱かせる。歌詞の字面を追ってみよう。艶姿ナミダ娘色っポイねナミダ娘色っポイね夕暮れ抱きあう舗道みんなが見ている前であなたの肩にチョコンとおでこをつけて泣いたのあなたは淋しくないの?離れて淋しくないのBakaだね明日また会えるよと余裕があるのねダーリン、ダーリン、ダーリン、MyLove意味深ILoveyou(×2)なぜなの涙がとまらないあなたを見ているだけ艶姿ナミダ娘色っポイねまつ毛もぬれてて色っポイねわたしはアヤフヤだけど少しも迷っていない恋して抱き合うこと...艶姿“戦国”ナミダ娘。

  • 悲喜交々。

    きのう(2023/11/26)福井県坂井市三国町の「三国競艇場」に於いて、「SG第26回チャレンジカップ」優勝戦が行われた。年末の大一番「グランプリ」への出場をかけた最終トライアル競走で、1月1日から10月31日迄の獲得賞金上位者34名が参戦。5日間の激闘を経て優勝戦は以下のメンバーとなった。1号艇:片岡雅裕(香川)2号艇:池田浩二(愛知)3号艇:峰竜太(佐賀)4号艇:今垣光太郎(福井)5号艇:山口剛(広島)6号艇:茅原悠紀(岡山)僕は4号艇を駆る地元・福井支部の金看板にして大ベテラン、“北陸の蒼き狼”の1着に銭を張った。『たぶん、ボクが三国で走る最後のSG。今まで〝大会を盛り上げられたらいい〟という気持ちで走っていたけど、今回は〝優勝かそれ以外か〟のつもり。優勝を意識して走ります!』戦前、そう語っていた...悲喜交々。

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