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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
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津幡町
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2015/06/16

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  • 巴里は微睡みの中に。

    もうすぐ8月が過ぎ去ろうとしている。今夏は、よくオリンピックをオンタイムで観戦した。それは、ある意味「ケガの功名」が要因と言える。フランス・パリで大会が開幕した頃、僕は腰を痛めてしまった。体を横たえる時、寝た状態から体を起こそうとする時、激しい痛みに耐えなければならなかった。特に後者が辛い。仰向けから四つん這いになり、辺りの何かしらに掴まり、うめき声を漏らし、脂汗を流し、2本の足で立ち上がり大きな溜息を突くまで2分間。毎回なかなかの大仕事。こうなると寝床に入るのが億劫になり、一人掛けのソファに身を沈め、目を閉じ、浅い眠りに就くのが常態となる。幸いと言うべきだろう。7時間の時差のお陰で、夜通し生中継。うつらうつらしながら、時折TVに目を遣りつつ過ごした。各競技の熱戦の合間、表彰式で目に留まったのがメダルと一...巴里は微睡みの中に。

  • 続・湖国小旅行 2024夏。

    前回投稿の続篇。びわこ競艇場で4つのレースへの投票を終えた僕は、結果を待たず次なる訪問地へ向けハンドルを切った。大津市街中心部から車で20~30分の地点にある「坂本」は、比叡山延暦寺の門前町。昨年は戦国期の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)が築いた石垣(LINK)を見に出かけたが、今年の目当ては「比叡山鉄道坂本ケーブル」である。門前町の坂本と延暦寺を結ぶ比叡山坂本ケーブルの歴史は古い。開業は昭和2年(1927年)。その少し前、大正14年(1925年)に完成したのが、前掲の駅舎だ。往時の姿を留める洋風木造二階建の建物は、国の登録有形文化財に指定されている。雑木林に囲まれ、蝉時雨に包まれた駅舎外観には、風格が漂う。内装も木造のベンチが置かれ、乳白色ガラスの証明が下がるなど雰囲気があったのだが、他のお客さんも多く...続・湖国小旅行2024夏。

  • 湖国小旅行 2024夏。

    猛暑・酷暑の夏、少々夏バテ気味だ。体力・気力が萎え、忙しさにかまけてブログ更新も滞りがち。久しぶりの投稿である。---さて先日、仕事の合間をぬって日帰り旅に出かけた。行先は滋賀県・大津、びわこ競艇場他。賭け事も楽しみなのだが、毎年「夏の琵琶湖」の景観を眺めに行くのは、個人的に欠かせない恒例行事となっている。往路途中に立ち寄った北陸自動車道のPA「杉津(すいず)」。福井県・敦賀市にあるここは、廃線となった国鉄北陸線・杉津駅の跡。かつては機関車が煙を上げて峠をスイッチバックとトンネル群で越え、北陸線屈指の車窓風景とだったと聞く。確かに眺めが良い。駐車場~道路越しに広がる日本海・若狭湾を望み一息ついていると、句碑を発見。名月や北國日和定なき(めいげつやきたぐにびよりさだめなき)芭蕉<芭蕉が月の名所と呼ばれる敦賀...湖国小旅行2024夏。

  • 早朝の水辺で聞いた、夏の音。

    拙ブログには度々登場する「河北潟(かほくがた)」。能登半島の付け根、金沢市~内灘町~かほく市~津幡町、2市2町に跨る水辺だ。かつては東西4km、南北8kmの大きさで日本海の海水が入り込む汽水湖だったが、1963年に始まった国営干拓事業、1980年に設置された防潮水門により完全な淡水に。面積は往時の1/3まで小さくなったが、今なお県内最大の規模を誇る。そんな河北潟に「石川県津幡漕艇(そうてい)競技場」が開設され半世紀以上。1,500メートル×6レーンを有する漕艇コースは日本海側随一と聞く。先日早朝に訪れてみたところ練習風景に出会えた。物静かな湖面で聞こえるのは---水鳥の羽音と鳴き声。跳ね上がる魚の水音。そして、漕艇のリズミカルな掛け声と櫓が水面を叩く音。夏の河北潟らしいサウンドに包まれながら、しばし見学す...早朝の水辺で聞いた、夏の音。

  • 電波は時空を超えて。

    津幡ふるさと歴史館「れきしる」に於いて、企画展「あこがれの電化製品」が始まった。<電化製品は明治時代の末期に登場しましたが、高価であったため家庭で使用されるものは少なかったようです。家庭への電化製品の普及が一般化した昭和30年頃から日常生活の中に深くかかわってきました。戦後の高度成長期を象徴する電化製品ですが、それまで電灯やラジオなど限られた物しかなかった人々の生活様式は大きく変わり、昭和30年代には「三種の神器」(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)があこがれの製品として、急速に広まりました。昭和40年代になると「3C」(カラーテレビ・クーラー・自動車)があこがれの対象となりました。これらの時代の電化製品は高価で月賦で購入する人もいたようですが、それ以上に手に入れられる喜びが大きかったのです。サラリーマンの平均年収...電波は時空を超えて。

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