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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
出身
津幡町
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2015/06/16

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  • 時をこえる旅人。

    現在(2025/02/22)津幡ふるさと歴史館「れきしる」に於いて、歴史資料巡回展を開催中。石川中央都市圏(金沢市・白山市・かほく市・野々市市・内灘町・津幡町)の史跡や歴史・考古資料を集めた第7弾、江戸時代編である。津幡町からは津幡宿宿場町関連資料として旅の携帯道具を展示。今投稿では、その一部を紹介したい。尚以下<>内の記述は、館内説明パネルより抜粋/引用した。<津幡は加賀・能登・越中の分岐点にあたる宿場町です。交通の要衝であり、竹橋(たけのはし)宿とともに倶伽羅峠をひかえる立地条件から、加賀藩内で最も多い駅馬が備えられた宿場町です。関ヶ原合戦ひかえた慶長4年(1599年)に、戦支度の一環として前田家はつつがなく物資の輸送を行うために領内整備を行いました。津幡宿はその際、周辺4ヵ村をもって町立ちされた宿場...時をこえる旅人。

  • 幕末のボーイ ミーツ ガール。

    鎌倉時代から700年続いた武士が治める世から、王政復古へ。国のグランドデザインを大きく書換え、近代化を目指した。「明治維新」をおおまかに言えばそうなるかもしれない。以降、天皇を中心とした国家という歴史的価値観---「皇国史観」は、教育や政策の中で用いられるようになったが、昭和20年8月15日を以て終焉。歴史家たちは、戦争に突き進んだ日本の近代を批判的に評価するようになり、近代の出発点・明治維新もネガティブに捉える風潮が強まった。しかし、いわゆる高度成長期を経た頃、人心は180度転換。あの出来事を痛快なサクセス・ストーリーとして考え出したのだ。低い身分の出身ながら、志をもって動乱の社会で活躍した「志士」に、戦後復興を成し遂げ経済大国の一員となった当時の自分たちを重ね合わせたのである。こうして、すっかり有名に...幕末のボーイミーツガール。

  • 津幡短信vol.128. ~ 令和七年 如月。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、以下の1本。【凍晴の街歩き。】今投稿の内題に選んだ「凍晴(いてばれ)」は、冬の季語である。2月の記事には相応しくないが、まさにピッタリ。放射冷却によって凍りつくように寒い快晴の今朝、久しぶりに小一時間の散歩を楽しんだ。最初の写真はご近所の歩道の様子。あちこちに雪が融け残っている。無理もない、ほんの1週間前は一面の雪景色だったのだ。左手前、薄氷がお分かりになるだろうか?路面のちょっとした窪みに張った氷は、一種のトラップ。気付かずに勢いよく踏み出し滑ったりしたら、転倒~ケガに繋がりかねない。故に、歩みは自然とスローテンポに。また、不安定な一本足の滞空時間を短くするため歩幅は狭くなる。安全第一。僕は慎重に津幡川を目指して進んだ。対岸から「弘願寺...津幡短信vol.128.~令和七年如月。

  • 透かして耐える。

    「透かす(すかす)」という言葉を辞書で引くと、以下のような解説がある。1.物と物との間隔を少しあける。すきまをつくる。2.こんでいるものを間引いてまばらにする。間隔を粗くする。3.あけておく。時間をあける。4.タイミングをはずして、肩すかしをくわせる。5.減らす。6.場をはずす。7.機嫌をとって、こちらの言うことを聞き入れるようにさせる。8.言いくるめてだます。9.相手をうまくその気にさせる。おだてる。---まあ、あまり堂々としていない印象だ。わが石川県の方言で、除雪・雪かきを「雪すかし」という。個人的には言い得て妙だと思っている。天が降らせる膨大な雪は、止めることなどできない。着雪してしまったら全てを消し去ることもできない。解決には、やはり天恵の太陽と温暖を待つしかない。ささやかな抵抗として、人は雪をす...透かして耐える。

  • 冬将軍のお出まし。

    日本列島を基点とし西に高気圧、東に低気圧がある状態。いわゆる「西高東低の気圧配置」になると、ユーラシア大陸(シベリア)からの乾燥した冷たい季節風が吹く。相対的に暖かい日本海から水蒸気や熱をもらい、次第に雲が発達。この雲が風に乗って流れ込み日本海側の各地に雪を降らせる。今が典型的なそれだ。<昨2/5早朝撮影>寒さが厳しくなると耳にする表現「冬将軍の到来」。これは寒気の集団を擬人化したもの。由来は19世紀初頭、フランス皇帝「ナポレオン」のロシア遠征だ。1812年9月、40万の大軍でモスクワを占領したナポレオン軍だったが、兵站の補給を断たれ撤退を決意。寒冷・食糧不足・ゲリラの襲撃に悩まされる帰路、38万の兵力を失う。遠征の大失敗はナポレオン没落の始まりとなった。この敗北にイギリスの新聞が見出しをつける。「ナポレ...冬将軍のお出まし。

  • 没後、1年。

    それはちょうど一年前の事だった。長年(15年間)連れ添い、共に時間を過ごした愛犬が死んだ。名前は僕のブログネームと同じ「りくすけ」という。彼と出会い、散歩をするようになり、わが町の風景を撮り始めた。彼と出会わなければ、こうして貴方に出会うことはなかったのだ。最期は、同じ寝床に就き僕の腕枕で眠りながら旅立ってしまった。当時の衰えぶりを見るにつけ、覚悟は固めていたつもりだったが、いざ「その時」を迎えてみると喪失感の深さは筆舌に尽くし難く、深い哀しみに苛まれたのを、数時間前の出来事のように思い出す。震える寒い冬、うららかな春、暑い夏、錦秋。思い出を積み重ねながら共に歩を進めてきた。上記2つの画像は、よく彼と一緒に訪れた所。わずか数日前に撮影した時は、明るい陽の下。既に報道などでご存じの通り今は一面の白銀。思い出...没後、1年。

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