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『碧巌録』より 第十五則 雲門倒一説 (その3)
露柱や燈籠といった、目の前の存在物は、禅の存在論の象徴的なものである。それらは、堅固で確かにそこに、そのままむき出しで存在してある。それらは無言でそこにあるのであるが、禅者は、それらに対峙して、それらに入っていかなければならない。
2024/09/30 14:24
『碧巌録』より 第十五則 雲門倒一説 (その2)
「如明鏡臨臺、胡來胡現、漢來漢現」は、禅の本質を垣間見させる、美しい語句だ。明鏡のように、相手の機も境もそのまま、自分の中に映し出す。自分は、認識する上で判断しないからこそ、相手がそのまま写り入って来る。
2024/09/28 20:51
『碧巌録』より 第十五則 雲門倒一説 (その1)
アキレスと亀の話を思い浮かべるのである。足の早いアキレス神でも、亀には追い付けない。なぜなら、前方にいる相手に追いつくには、必ず自分と相手との直線距離上の中間点を通過しなければならない。
2024/09/27 13:57
『碧巌録』より 第十四則 雲門対一説 (その3)
禅は、言葉を軽んじる一方で、言葉による問答を重視し、その問答を契機としてその言葉がひらく真実の世界の体得を目指す。だから、その契機となる「一句」が分かれば、祖仏祖仏たちに負うている恩に報いることができるのだ。
2024/09/25 13:58
『碧巌録』より 第十四則 雲門対一説 (その2)
言葉は、理知から出て、理性を象徴するものである。禅は、ことばによる真実の伝達を嫌い、直接的な個人的体験を重んじるが、その直接的体験にいざなうために、言葉の指示を重んじもする。
2024/09/24 12:19
『碧巌録』より 第十四則 雲門対一説 (その1)
「教外別傳、單傳心印、直指人心、見性成佛」、これがまさに禅宗の標榜するもの。人は誰でも、代々のボサツやブッタのように、苦しみや迷いの世を乗り越え目覚めたものになる可能性を持っている。可能性を目覚めさせその道を登っていく。
2024/09/23 14:03
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その4)
禅は「生き死に」のことである。そして、生きる道、すなわち活路を求めるのであるが、宗匠は求道者を死地に追い込む。死地を自力で主体的に抜け出て来いと、追い落とすのである。
2024/09/20 12:07
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その3)
生き死にのうちに、出身の道があることを示す。だが、その出身のところはどこなのか、巴陵の三転語は取りつきようがない。だが、そこにわずかに啓示がある。よき師を契機にせよと。
2024/09/19 14:04
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その2)
「銀の器に、雪を盛る」とは見事なイメージであるが、ここでは「言語」が何をもたらすかを考えなければならない。
2024/09/17 12:14
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その1)
世界が露わになる瞬間、そういう認識の仕方が禅では求められる。そういう認識方法はどのようにして得るのか。
2024/09/15 11:50
『碧巌録』より 第十二則 洞山麻三斤(その4)
禅の心の働きを、見事にイメージしたもの。わずかなひらめき、かすかな動きにも応じなければ、たちまちそこは死地だということ。そういったぎりぎりのところに応じるために、人はどのような心持を持っていなければならぬのか。
2024/09/12 13:36
『碧巌録』より 第十二則 洞山麻三斤(その3)
毎日毎日、私たちはこんなふうに生きていけるだろうか。人間の心は「境界」に影響されて動じる。だが、心を動ぜず、日々の運行をそのまま心に受けとめ、無心に生きていく。そういう心の持ちようをめざす。
2024/09/11 12:02
『碧巌録』より 第十二則 洞山麻三斤(その2)
仏教では、「仏」とは、特定の時代に生きた、特定の教祖を指して言うのではない。「仏」とは、生死を始め、この世の苦しみを生む諸現象を乗り越え、そこから解放された過去、および現在、および未来のすべての悟ったものをいう。
2024/09/08 15:04
『碧巌録』より 第十二則 洞山麻三斤(その1)
禅は仏教の中で、生死の迷いからの脱却の理解を、学問や身体的苦行に頼らず、過去多くの諸仏たちが得た実体験をそのまま原体験することを目指す宗派である。生死の境を脱却するのだから、殺活の剣の喩えがよく出てくる。
2024/09/04 12:12
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その5)
大中はその後、鹽官和尚の禅寺の修行僧たちの中にあって、書記の役職を務めていた。黃檗も鹽官和尚のもと首座の役職を務めていた。黃檗がある時、仏を礼拝していると、大中がこれを見て言う。
2024/09/02 11:57
2024年9月 (1件〜100件)
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