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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • カビの宇宙

    秋の陽は釣瓶おとし、陽が落ちるのが早くなった。夜空の月も輝きを増して澄みきっている。夏から秋へと、昼間せめぎあっていた二つの季節が、夜にはすっかり秋の領分になっている。久しぶりに、風が冷たいと感じて窓を閉めた。夏のあいだ開放していた窓を締めきると、どこからともなくカビ臭い匂いがしてきた。いかにも部屋に閉じこめられている感じがする。この感覚は懐かしい。カビの匂いは嫌いではない。カビ臭い部屋にいると、特別な空気に包まれているような安堵感がある。こんな私の習癖を他人に話したら、きっと笑われてしまうだろう。古い民家や寺院などを訪ねると、どこからともなくカビの匂いがしてくることがある。すると、体がすぐにその場の空気に溶け込んで、以前からそこに居たような落ちついた気分になってしまうのだ。生まれた川の匂いを覚えていると...カビの宇宙

  • 彷徨いの果ては

    近くの自然公園で、中年の男が野宿をしていたことがある。男は大きな犬を連れていた。犬には首輪もリードもついていた。かなり長い期間だったと記憶する。夜はどこで寝ていたか、雨の日はどうしていたかなどはわからない。ただ昼間はいつも公園の草むらで犬とぼんやり過ごしていた。男はこの公園にすっかり居ついた風だった。その間に犬はひとまわり大きくなり、毛並みも色艶もよくなったようにみえた。犬にはこの生活が合っているのかもしれなかった。それに比べて男の方は、色が浅黒くなって服装も薄汚れ、体も痩せて小さくなったみたいだった。朝夕、男は犬をつれて公園内を散歩する。犬が嬉々として男を引っ張っている様子は、この公園に住みつく前にあったであろう、ごく平穏な日常生活がそのまま続いているようにみえた。男には家族も家もあり、そんな家をたった...彷徨いの果ては

  • 秋色の向こうに

    母の命日で、天王寺のお寺にお参りに行ってきた。お墓は九州にあるのだが、なかなか帰れないので、分骨して大阪のお寺に納めた。それで秋は母の、春は父の法要をしてもらうことになっている。九州の秋がすっかり遠くなった。最後に母に会ったのはいつだっただろうか。記憶力がすっかり衰えていると聞いていたが、久しぶりに会ったのに特に驚いたふうもなく、私のことはまだ覚えていた。母の口から自然に私の名前がでてきて安心した。それは、なにげない日常の続きのようだった。過去のいくどかの再会の時や、いつだったかの母の病室を訪ねた時と同じだった。変わらずに保たれているものがあることに、そのときは安堵した。何しに来たんやと母が言うので、会いに来たのだと応えた。久しぶりに会ったということを、母はぼんやり意識しているようなので、大阪から別府まで...秋色の向こうに

  • 秋の夕やけ鎌をとげ

    きょうは夕焼けがきれいだった。よく乾燥した秋の、薄い紙のような雲に誰かが火を点けたように、空がしずかに燃えていた。急に空が広くなって、遠くの声まで聞こえそうだった。おうい鎌をとげよ〜と叫ぶ、祖父の声が聞こえてきそうだった。夕焼けの翌日はかならず晴れるので、農家では稲刈りの準備をするのだった。祖父は百姓だった。重たい木の引き戸を開けて薄暗い土間に入ると、そのまま台所も風呂場も土間つづきになっていた。風呂場の手前で野良着を着替えて農具をしまう。その一角には足踏みの石臼が埋まっていて、夕方になると祖母が玄米を搗いていた。土壁に片手をあてて体を支えながら、片足で太い杵棒を踏みつづける。土壁の上の方には、鎌や鍬がなん本も並んで架かっていた。祖父に聞いた話だが、祖父のおじいさんは脇差しで薪を割っていたという。どんな生...秋の夕やけ鎌をとげ

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