chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

後藤和弘のブログ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/30

arrow_drop_down
  • 「あるドイツの友人の旅立を悲しむ」

    人間は後期高齢者になると友人たちが一人一人と旅立って行きます。自分と同じ位の年齢の友人が先に逝ってしまうのは淋しいものです。ドイツの友人のグーデナウさんが2019年に亡くなりした。彼との交友の思い出を書きます。冥福を祈りつつ書きます。彼と最初に会ったのは1970年にドイツ西部のアーヘン工科大学を訪ねた折でした。アーヘン工科大学には鉄冶金の研究で有名なシェンク教授がいたので憧れていたのです。しかしシェンク教授は引退してしまって会えませんでした。その代わり私を暖かく歓迎してくれたのがグーデナウさんだったのです。彼は私と同じくらいの年齢でしたので自然と友情が生れたのです。1974年に再びアーヘンを訪問したときは彼は自分のスポツカー、ポルシュに私を乗せあちこちに連れて行ってくれたのです。まずアーヘン市内の古代ロー...「あるドイツの友人の旅立を悲しむ」

  • 「縄文時代の丸木舟を現在も使用している諏訪湖の文化」

    この記事の題目は正確ではありません。正しくは、「縄文時代の丸木舟の形の舟を現在も使用している諏訪湖地方独特な地方文化」です。表題として長すぎるので短縮いたしました。1964年、諏訪湖へ行ったとき六斗川の湖へ出る河口に丸木舟の形をした漁船がびっしり並んでいたのです。何か異様なものを見てしまったような、不思議な感情に打たれましたた。一本丸木を刳り抜いたものではありませんが、完全に木造で竿と櫂で動かすらしい。それから44年の2008年に、まだ有るだろうかと探して見ました。そうしたら彼方此方の舟溜まりに2、3艘ずつ舫ってあります。同じ形の木造の船体の上にプラスチックが厚くコーテイングされていて、船尾には5馬力の船外機が付いています。その時撮った写真を示します。1番目の写真は2008年に撮った諏訪湖の丸木舟の形をし...「縄文時代の丸木舟を現在も使用している諏訪湖の文化」

  • 「日本の旧石器時代、縄文時代、弥生時代の人々の生活の実態」

    昔の人々の生活ぶりに私は強い興味があります。昔のことを知ると現在の豊かさがしみじみ分かります。幸福感につつまれます。そこで今日は日本の旧石器時代、縄文時代、弥生時代の人々の生活を書いてみたいと思います。日本に人間が住み着き始めたのは何時の頃からでしょうか?日本に人間が住んでいた確かな証拠は人の手で加工された石器です。それが多数、確実に出土するのは2万年、3万年前からです。それ以前の石器も少数ながら出土しているのでまあ大雑把に言えば4万年前から人間が住んでいたと考えても大きな間違いがないようです。そうして時代区分は以下のようなものが一般的です。旧石器時代;約4万年前ー紀元前14000年頃(16000年前)縄文時代;前14000年頃–前3世紀頃弥生時代;前3世紀頃–後3世紀中頃古墳時代;3世紀中頃–7世紀頃飛...「日本の旧石器時代、縄文時代、弥生時代の人々の生活の実態」

  • 「青森県にあった縄文時代の驚異的な生活の実態と社会組織」

    青森県と北海道の南部に実に面白い縄文時代の遺跡があります。三内丸山遺跡です。今日は写真を主にして縄文時代の驚異的な社会組織と文化の発達をご紹介します。三内丸山遺跡をご紹介致します。まず縄文時代の村落の中心にあった大型の建物の写真をご覧下さい。1番目の写真は200人以上の人が集会を開くことが出来る大きな広間のある建物です。三内丸山遺跡に復元してあります。青森県で、縄文時代前期中頃から中期末葉まで存在した大規模集村落跡を復元したものです。2番目の写真はこの大型の建物の内部の写真です。中に3人の現代人が立っていますので、建物の大きいことが良く分かります。この縄文時代の大規模集村落は復元されいて誰でも見ることが出来ます。詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/三内丸山遺跡をご覧下さい...「青森県にあった縄文時代の驚異的な生活の実態と社会組織」

  • 「小金井公園の今日の黄葉」

    小金井公園の今日の黄葉の写真をお送り致します。先程散歩に行きました。樹々が美しく黄葉していました。その写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「小金井公園の今日の黄葉」

  • 「バンコックの中心を流れるチャオプラヤー川」

    バンコックの中心を流れるチャオプラヤー川」の15の橋のうち13橋は日本の経済援助で出来たのです。写真はチャオプラヤー川です。インターンットからお借りしました。「バンコックの中心を流れるチャオプラヤー川」

  • 「年老いて振り返る我が人生(17)いろいろな外国に旅した人生だった」

    年老いて我が人生を振り返るといろいろな外国に旅した人生だったと思います。アメリカとドイツには2度留学しました。スエーデンにも留学しました。短期お旅ながらインドネシア、ベトナム、タイ、ミャンマーのアジア諸国にも行きました。中国や韓国には何度も行きました。大学生の時読んだルース・ベネデクト著の文化人類学の本に感動したのが原因でした。世界のいろいろな外国の文化を自分の目で見る決心をしたのです。それは仙台の東北大学に行っていた頃でした。「年老いて振り返る我が人生」という連載記事の(17)の最後は南米の少数民族を取り上げたいと思います。アマゾン地域の少数民族と山岳地域に住むケチュア族です。ブラジルの大地にはアジアから移住して行ったモンゴル系の先住民族の暮らしがありました。1500年当時の先住民族の人口はブラジル全土...「年老いて振り返る我が人生(17)いろいろな外国に旅した人生だった」

  • 「年老いて振り返る我が人生(17)いろいろな外国に旅した人生だった」

    年老いて我が人生を振り返るといろいろな外国に旅した人生だったという感慨がわいてきます。アメリカやドイツには2度留学しました。スエーデンにも留学しました。イギリス、フランスをはじめ西洋の国々からいんど「年老いて振り返る我が人生(17)いろいろな外国に旅した人生だった」

  • 「今日の散歩道の風景」

    今日の散歩道の風景です。午後から武蔵野公園まで散歩しました。冷たい風が吹いていました。冬到来です。散歩道の風景の写真をお送り致します。「今日の散歩道の風景」

  • 「写真で見ると分かり易い韓国の文化」

    韓国は隣の国ですが我々は意外にその歴史と文化を知りません。学校で新羅、百済、高句麗の三国の名前だけは習いますが、それ以外のことは一切習った記憶がありません。そこで今日は韓国の歴史と文化を写真で見てみようと思います。何事も写真で見ると分かり易いものです。さて朝鮮の歴史は大雑把に言うと高句麗、新羅、百済の三国時代の後に統一した高麗時代が長く続きやがて李朝朝鮮になるのです。朝鮮のことを英語でコリア、Koreaと言いますが、これは高麗時代から来ているのです。高麗時代は重要な時代ですが、多くの日本人はこの時代のことは知りません。その上、朝鮮に花咲いた文化についても多くの日本人は知りません。朝鮮に古代からあった郷歌のことや百済、新羅、高句麗の三国時代の『三国史記』や『三国遺事』のことも多くの日本人は知りません。日本に...「写真で見ると分かり易い韓国の文化」

  • 「韓国のお寺と墓地の風景・・・我々と同じような人間が住んでいます」

    韓国には我々と同じような人間が住んでいます。父母、祖父母、知人や友人の死を悲しむのは全く同じです。そして亡くなった親しい人はあの世で必ず生きていると信じたいのです。惜別の悲しみを少しでもやわらげてくれるのが宗教です。そして死者を土葬にしてお墓を大切に守るのです。その心情を思いやれば日韓の間の交流も楽しくなります。より親密になります。韓国は50%が無宗教で、30%がキリスト教で残り20%が仏教です。韓国の仏教は中国の道教の北斗七星に対する妙見信仰や風水と習合しています。日本の神仏混淆と同じことです。日本の宗教風景と非常に違うところはシベリア大陸の原住民のシャーマニズムが現在でも強く残っていることです。それは巫俗という原始宗教です。本質的に一神教的でが、精霊が住む世界の信仰が先史時代にまで遡る韓国人の宗教生活...「韓国のお寺と墓地の風景・・・我々と同じような人間が住んでいます」

  • 「今日は四谷のイグナチオ教会のミサにあずかりました」

    今日は待降節第一の主日です。インターネットを通して四谷のイグナチオ教会のミサにあずかりました。その写真をお送り致します。「今日は四谷のイグナチオ教会のミサにあずかりました」

  • 「韓国人はお祭りやイベントが好き」

    韓国人は祭りやイベントを開催して楽しく暮らしているのです。日本人の祭り好きとよく似ています。そんな韓国の祭りの様子は政府の文化体育観光部が公表している「韓国のお祭り2014」に数多く紹介してあります。その中から私の気に入った祭りを5つ選んでご紹介いたします。http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_5.jsp?cid=977374を開けてみて、あなたのお好きな祭りを選んでみるのも楽しいと思います。(1)ソバの花が主役の祭り:平昌孝石文化祭り韓国現代文学の大家、李孝石(イ・ヒョソク)の故郷である平昌(ピョンチャン)郡の蓬坪にある孝石文化村は彼の代表作である「蕎麦の花の咲く頃」の舞台でもあります。この祭りでは、作品に登場する地域を巡るコースや様々な民俗体験...「韓国人はお祭りやイベントが好き」

  • 「私は知らなかった朝鮮の歴史、特に高麗と李氏朝鮮」

    日本人は中国の歴史は良く知っていますが隣の韓国の歴史や文化をよく知りません。日本人が学校で習うのは百済、新羅、高句麗の三国だけです。その後の歴史は殆ど習いません。そこで今日は韓国の歴史について調べたことを書きます。朝鮮の歴史は中国と同じような王朝の興亡の歴史なのです。それは天皇と幕府の二つの権威が並存する日本の歴史とは非常に違うのです。百済、新羅、高句麗の三国の後の朝鮮ではいろいろ戦乱があり、918年、後高句麗の豪族の健が新羅を滅ぼして王位を奪い、高麗という王朝を建国したのです。この高麗は現在の韓国の英語名のKoreaになったのです。この高麗王朝は918年から始まりましたが、この高麗は1259年にモンゴル帝国の元に屈し属国化します。そして元の皇帝の女婿の国になるのです。高麗は1274年、1281年の元の2...「私は知らなかった朝鮮の歴史、特に高麗と李氏朝鮮」

  • 「年老いて振り返る我が人生(16)韓国と日本は運命共同体」

    韓国と日本はともに民主国家です。共韓国は産党独裁の中国と北朝鮮と軍事的に対抗しています。ですからこの韓国は日本と運命共同体なのです。そんな事情は皆が知っている自明のことです。ところが韓国と日本は必ずしも友好関係にあるとは言い難いのです。大局的に東アジアの真の平和のためには韓国と日本の完全な友好関係が必要です。そこで今日は韓国と日本の関係を考えてみたいと思います。昔から日本は中国や朝鮮の文化を学んで来ました。推古天皇3年(595年)に朝鮮半島の高句麗から渡来した恵慈は聖徳太子の師でした。そして恵慈は飛鳥時代の日本仏教界で活躍した朝鮮の人でした。時代は飛びますが日清戦争の頃の朝鮮は大韓帝国として近代的な独立国になっていました。しかし1910年に日本は朝鮮半島を併合して、日本の固有の領土にしたのです。その併合は...「年老いて振り返る我が人生(16)韓国と日本は運命共同体」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?

ハンドル名
後藤和弘のブログさん
ブログタイトル
後藤和弘のブログ
フォロー
後藤和弘のブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用