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みちのくの風の旅人 https://blog.goo.ne.jp/mitinoku-tentijin

上杉家の城下町米沢から、四季折々の暮らしの中で気付いた事を、公開絵日記の様に書いています。東日本大震災・原子力災害をきっかけに、2011年3月に始めました。

山形県の南の玄関口米沢は、歴史と伝統のある自然豊かな住み易い町です。四季折々の美しい姿と北国の文化を伝えたいと考えています。 ホームページ「新・天空の流れ雲」には、季節の写真をスライドショーで紹介していますので、こちらも是非ご覧ください。

風の旅人
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住所
米沢市
出身
長井市
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2014/09/11

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  • コロナウイルス第4波 (2) ; 山形県内の感染者急増 915人に

    山形県内の感染者が急増し始めたのは、3月中旬になってからだった。2月の1ヶ月間で40名ぐらいと、感染者が0名の日も10日ほどあった。首都圏の緊急事態宣言について、山形県民にとってはよそ事の様に感じていたが、明日31日を残し3月だけで2月の10倍、400名に迫っている。今日も27名の新規感染者、20名を超える日が10日以上続いている。県内の感染者累計915名、残念だが1000名を超えるのは時間の問題となっている。ところで県内では、2月下旬から3月上旬には新たな感染者が数日連続していないか、たまに1・2名いるだけだった。しかし、隣県の宮城県では3月に入り急に感染者が急増し100名を超えた日があったので、山形県にも影響を及ぼすのではないかと、心配していたが現実となってしまった。山形県は直近1週間では、東京以上の感染状...コロナウイルス第4波(2);山形県内の感染者急増915人に

  • 東日本大震災から10年 8:長く厳しい冬だった

    10年前は、3月に入っても真冬の様な日々が続いていて、長く厳しい冬だった。3月11日震災の日の前後も粉雪が舞い大変寒かった。彼岸を過ぎても、今年の倍以上の積雪(40cm位)があったように記憶している。今年の米沢は久しぶりの大雪の年になったが、2月下旬からは穏やかで暖かな日が続いていて、2月半ば1m30cmを越えた積雪も今では、20cm以下になった。田んぼをまだ真っ白な雪が覆っているが、同じ米沢盆地の南陽市や長井市では3月初めに積雪は0cmになっていた。10年前の今頃、ガソリン不足がまだ続き、何十年か振りに自転車で7km弱の職場まで、2・3回往復したことがあった。マイカー通勤に慣れ切っていたので、結構きつかったのを覚えている。当時マイカー通勤の際には、米沢市役所付近を通っていた。道路向かいの市営体育館には福島県か...東日本大震災から10年8:長く厳しい冬だった

  • 東日本大震災から10年 7:震災直後の不安と遅い春

    大震災と津波、そして原発事故、10年前の今頃は普段の生活が出来ていなかった。テレビに映し出されるあまりにも大きな被害の状況に、心を痛めるだけだったように思われる。10年が経過して、記憶がだんだんと薄らいできているが、グログを始めた頃の春彼岸前後の記事を、原文のまま、再掲載しました。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/降る雪や昭和は遠くなりにけり2011-03-2400:31:35 ブログきのうの朝、出勤前に大きな地震があった。震源地は、福島県いわき市付近。7時12分さらに36分頃と、米沢でも震度3を記録した。日...東日本大震災から10年7:震災直後の不安と遅い春

  • コロナウイルス第4波 (1) ; 山形県内の感染者667人に

    山形県内の感染者が急増し始めた。21日には県内で最大の31名、22日には21名、累計667名になった。ところで県内では、2月下旬から3月上旬には新たな感染者が数日連続していないか、たまに1・2名いるだけだった。しかし、隣県の宮城県では3月に入り急に感染者が急増し100名を超えた日があったので、山形県にも影響を及ぼすのではないかと、心配していたが現実となってしまった。22日までのたった1週間で110名の感染者が出た。特に山形市を中心に、いくつものクラスターが発生し、今後連日2桁以上の感染者が出るのではないかと心配している。※現在発生中のクラスター;バスケットボール男子・Bリーグ2部パスラボ山形ワイヴァンズの関係者、形市香澄町1丁目のクラブ「Heaven’sGarden(ヘブンズガーデン)」、山形済生病院の職員、「...コロナウイルス第4波(1);山形県内の感染者667人に

  • 東日本大震災から10年 6:ブログを始めたきっかけ

    東日本大震災直後は、被災地のみならず山形県内もしばらくの間混乱が続いた。津波、原発、大きな余震、ガソリン不足、停電などの不安からだった。津波で何もかも失われてしまう惨状を目にして、自分の生きた記録と震災後の日本の姿を、ずっと残し続けたいと考える様になりました。ちょうど10年前の今日、一歩を踏み出したました。その時の原文を、再掲載しました。追伸;今日の夕方(2021-3-20)再び大きな地震があった。携帯電話に緊急地震速報のアラームが鳴って5・6秒後、震度4の揺れが2・30秒続いた。2月13日以降、10年前の地震の余震がたびたび起こっている。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_...東日本大震災から10年6:ブログを始めたきっかけ

  • 東日本大震災から10年 5:10年経っても大きな余震

    先月半ばの夜、そろそろ寝ようかと思っていた矢先、10年を思い出させるような大きな地震があった。2月13日午後11時過ぎ、この4・5年経験したことの無い様な揺れの地震だった。地震から約2時間後、気象庁の緊急記者会見があった。ついつい、夜更かしをしてしまうことになった。10年前の大震災を引き起こした、「平成23年東北地方太平洋沖地震」の余震であるとの発表があった。米沢は震度5弱、ピアノの上の置物(宮城県登米市の道の駅で6年程前に購入)が倒れたが、我が家では大きな被害はなかった。真冬のど真ん中、米沢では積雪が133cmとなっていた(山形県雪情報システムの画像を参考)。翌朝のテレビには、福島・宮城県沿岸部の被害の様子が映し出されていた。幸い津波の発生は無かったが、揺れの大きさは10年前と変わらないくらいのところもあった...東日本大震災から10年5:10年経っても大きな余震

  • 東日本大震災から10年 4:大地震直後の頻発する余震やガソリン不足

    ブログを開設したばかりの投稿記事に、昼夜を問わず頻発する余震に対する不安の心情が、書き残されています。また、津波被害の全貌がようやく分かり始めた頃だった様です。死者と行方不明者を合わせて3万人を越えるのではないかとの報道があったようです。大津波で仙台湾岸の石油精製所が破壊され、東北全域でガソリン不足が発生した。ガソリンスタンドに長蛇の列ができるとは、全く予測できない事だった。参考までに、気象庁のHPから画像を転載しました。詳細については下のタイトルをクリックして下さい。気象庁|平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(jma.go.jp)震災から10日前後の記事を、原文のまま再掲載しました。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_...東日本大震災から10年4:大地震直後の頻発する余震やガソリン不足

  • 東日本大震災から10年 3:津波と原発事故の号外(電子速報版)

    大震災の翌日、余震が時々発生する中、不安な1日を過ごしていた。東京電力福島第一原子力発電所の爆発と放射能漏れが、深刻さを増しつつあった。全国で停電が発生し、国中が大混乱のただ中にあった。テレビからは通常放送が無くなり、震災一色になった。震災から7年後、当時を振り返って書いた記事があります。原文のまま、再掲載しました。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/東日本大震災から7年~その2震災直後の新聞電子速報版~2018-03-1406:47:50 東日本大震災に寄せる想い日本大震災(2011-3-11)直後の混乱した...東日本大震災から10年3:津波と原発事故の号外(電子速報版)

  • 東日本大震災から10年 2:大地震の前後の緊迫した状況

    東日本大震災から10年が経過して、記憶がだんだんと薄らいできているが、真冬の様な寒さの3月11日の午後、まともに立っていられない様な激しい揺れが襲って来たことだけは、体が覚えている。震災から2年後、まだ記憶が多く残っていた頃、当時を振り返って書いた記事があります。原文のまま、再掲載しました。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/東日本大震災から2年2013-03-1119:34:00 東日本大震災に寄せる想い月日の流れは容赦なく訪れる。ちょうど2年前の2011年3月9日午後、半年から1年振りに米沢で震度3程度の地...東日本大震災から10年2:大地震の前後の緊迫した状況

  • 東日本大震災から10年 1:エピローグ

    東日本大震災から10年が過ぎた。当時60年近い人生の中で、一番ショックを受けた出来事だった。凄まじい津波の破壊力に、ただ茫然としてテレビの画面を見ることしかできなかった。さらに続いて起きた、東京電力福島第一原子力発電所の事故には、言い知れない恐怖の様なものを感じた。今年の米沢の冬は、昨年の記録的な暖冬から一転、厳しい冬だったが、積雪はまだ50cmぐらいあるものの、3月に入ってからは暖かな春らしいのどかな陽気が続いている。しかし、10年前のあの日3月11日は、3月と言うのに真冬並みの雪の舞う寒い日だった。平凡な毎日に不満を持って、つい愚痴を言いだしたくなるが、当たり前のように明日が今日と同じ様に続くことが、一番の幸せだと気付かさせてくれた出来事だった。このブログを開設したのも、大震災がきっかけだった。震災直後の事...東日本大震災から10年1:エピローグ

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