デビューから7場所で初優勝した大の里。これは最短記録であることは広く知られるところである。公式の優勝制度で、新小結の優勝は安念山と二人だけである。大の里が狙える記録はほかにも様々ある。つぶさに検証して
三月場所千秋楽、足のケガをおして出場した尊富士は豪ノ山に勝利して優勝を決めた。感動的な新入幕優勝となった。五月場所の尊富士の番付は5枚前後が予想される。5枚目だと微妙で横綱・大関との対戦圏内ではなくな
Q 幕内力士が最も多かったのはいつですか。 A 昭和32年春場所です。東西23枚で58人いました。当時の横綱は千代の山・栃錦・吉葉山・鏡里でした。 <栃錦のブロマイド> Q 旧両国国技館はどれくらい災
大阪府立体育館では異例の応援があった。「宮城野部屋がんばれー」が宮城野部屋力士登場に対しての声援だった。また館内の客席の壁に宮城野部屋がんばれの紙が貼られていた。さらに、宮城野部屋閉鎖反対の署名サイト
3月24日は尊富士栄光の日であった。三月場所優勝表彰式は20ある。これに君ケ代、優勝インタビューが加わる。現代は写真で見せる時代。テレビにうつらない表彰も含めていくつかピックアップしてみた。
三月場所は新入幕尊富士が優勝、入幕2場所目の大の里が最後まで優勝を争った。これと似た場所はあったのか。似て非なる場所が思い出される。その前に110年ぶりと称する新入幕優勝についてふれておきたい。 それ
★今場所の優勝争いについて 結局新入幕尊富士と入幕2場所目の大の里の争いとなった。まだ大銀杏をゆえない二人となった。尊富士・大の里はよくやったし、期待できる逸材であることは間違いない。しかし、ほかの力
予想番付ではなく、私製番付であることをまずお断りしておく。幕内といっても横綱・大関と対戦する力士とそうでない力士に分かれる。それを同一に扱うのは合理性に欠ける。またケースによって横綱・大関との対戦数が
大阪府立体育館向こう正面二階通路にメディア関係者が集結していた。何をしているのか聞いてみると「取材」と答えた。推測すると前日足を負傷した尊富士は休場か出場かの情報交換をしているのでは。なお、大阪府立体
貴景勝が8勝したとたん休場した。令和2年七月場所以来2度目である。印象は良くないが、やむを得ない面がある。情報通によるとケガの状態がよくなく、勝ち越せば休場すると聞かされていた。このあたりが貴景勝の限
本日取組開始は11時15分だったが、30分前に館内にはいいった。大阪の知り合い達と日本酒を酌み交わしながら相撲談義。土俵の目撃者をよく読んでくださる読者に感激。三段目途中まで一緒に観戦した。元幕下の千
尊富士を止めるのは誰かが焦点になると書いた。残りの対戦相手で最も可能性のある力士が大関豊昇龍であった。また対戦があとになればなるほど研究できる。ただ、どういう相撲になるかはまったく予想できない。ひょっ
難波に着いたら強風が吹き荒れていた。木々の枝は曲がり、のれんは巻き付き、帽子は脱ぐかおさえていないと間違いなく飛ばされる状況だった。何かの予兆なのか。何がおきても不思議でない相撲が起きている。 <尊富
京都の古いなじみの方と大阪府立体育館で再会した。メールをいただいて座っている位置は把握していた。マニアックな大相撲問題をいただいた。続いて大阪在中の宇良ファンと再開した。名古屋や東京で会うこともある。
東京からまた一人、相撲仲間が大阪府立体育館にやってきた。一月場所以来の再会である。しかも席が近かった。いつも差し入れ本当にありがとうございます。 ●尊富士対小結阿炎新入幕尊富士が幕内後半に登場した。小
大相撲は中日を迎えた。大阪府立体育館内は熱気であふれた。東京から相撲仲間が再び来た。大阪の知り合いとも再会した。 ●尊富士対竜電新入幕尊富士の勢いが止まらない。今日は竜電相手に押しから右四つ。常に前に
2勝4敗3連続金星を配給した照ノ富士がついに休場した。今場所はやたらもろ差しになられ、なすすべなく敗れた。この状態を続けるわけにはいかなかった。しかし、照ノ富士は先場所の優勝者である。こうも様変わりし
●横綱照ノ富士対隆の勝剣翔、金峰山に次いで照ノ富士の休場が危ぶまれたが、出場した。出場する以上、横綱にふさわしい相撲を、と期待したがそれはことごとく裏切られた。まず、隆の勝に簡単にもろ差しを許した。も
チケットをもぎられ、館内に入ると3点セットが渡される。取組表、地方場所特有のカラー読物、そして特別号外のパノラマ大相撲三月場所である。さらに進んで左に曲がると千代の国、石浦の引退大相撲のチケット売り場
座席を探す方が必ずいるものである。大阪府立体育館の座席は協会が独自で指定している。土俵に向かかって右ら左に数字が増えていく。外国人だと正・東・西・向の漢字がわからず、混乱することがある。4日目も当然満
冷たい雨がふりしきる大阪。普段なら外出は控えるところだが、大相撲があるなら話は別である。台風のときも雪のときも国技館に通った。館内に入るといつもより出足が遅いが、幕内にはいると満員になった。 ●大関霧
3月とはいえ、まだ肌寒い大阪。熱戦であったまるかというとそうはいかなかった。 霧島は熱海富士に右差し低い体勢をつくった。左上手が取れない熱海富士だが動かない。胸があった体勢から熱海富士がいくぶん頭をつ
チケットはすでに完売御礼である。15日間満員御礼が続くことになる。コロナ後最速で売り切れた。八角(元北勝海)理事長の協会ご挨拶でも触れたほどである。珍しいことである。 さて、今場所最大の注目は新大関の
土俵の目撃者をいつもご愛読いただき誠にありがとうございます。足を使い、この目で見た生の大相撲をお届けするために、三月場所の初日から千秋楽まで大阪府立体育館で観戦します。 ホテルはいつも大阪府立体育館へ
1横綱4大関で迎える三月場所。層が厚くなったことで平幕優勝は難しくなった。混迷の時代は終わったのか。場所前誰が優勝するか予想できない、という意味では終わっていない。 <優勝照ノ富士> 昨年照ノ富士は優
一月場所の新入幕大の里は大活躍であった。横綱照ノ富士、大関豊昇龍、優勝同点の関脇琴ノ若と対戦した。力及ばず敗れたものの11勝4敗の好成績をあげた。人によっては横綱戦はやりすぎという見方があった。 これ
昨年12月元寺尾の錣山が死去した。60歳という若さだった。近年定年前に亡くなる親は少ない。一月場所、所属力士は錣山部屋で土俵にあがった。場所後元豊真将の立田川が正式に錣山となった。 <霧島> 今年の4
三月場所、琴ノ若は新大関として登場する。新大関はどこまでやるか。先輩大関貴景勝は途中休場、霧島は6勝、豊昇龍は8勝で終わっている。けして期待に応えたとはいいがたい実績である。勢いがある時は誰でもよく見
元栃錦は任期がまだあるなか、理事長をライバルの元若乃花の二子山に禅譲した。それだけに子山理事長の任期は約3年2カ月と短期になった。立ち合いの待ったに罰金を導入したが、悪いのは待ったしたほうとは限らない
三月場所初日まで1週間に迫った。すでにチケットは完売である。多くの相撲ファンはテレビで観戦になる。しかし、その大相撲中継が通常とは異なることになりそうである。 <大阪場所の相撲風景> 大相撲中継の天敵
昭和36年1月年寄の定年制が始まった。元元双葉山の時津風から対象になった。その時津風理事長は思いもよらず昭和43年12月に逝去した。巨星堕ちる。56歳だった。 <時津風(元双葉山> 翌年元羽黒山の立浪
さる一月場所、休場続きだった照ノ富士が復活優勝を遂げた。それも琴ノ若を追いかける展開となって自力で並んだ。さらに優勝決定戦でも琴ノ若を一蹴し、9回目の優勝となった。ここまできたら10回目を目指すのは当
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デビューから7場所で初優勝した大の里。これは最短記録であることは広く知られるところである。公式の優勝制度で、新小結の優勝は安念山と二人だけである。大の里が狙える記録はほかにも様々ある。つぶさに検証して
50という数は丁度いい数字としてよく対戦50回以上が取り上げられる。しかし、北の湖には50回以上の対戦者はいない。ただ、45回以上の対戦は3人いる。貴ノ花、輪島、2代目若乃花である。 そのなかでも拮抗
昭和49年から昭和終焉まで初優勝者でいえば北の湖から旭富士までである。この範囲で新入幕から初優勝まで1ケタ場所目はいない。もっとも最短だった力士は怪童北の湖である。13場所目だった。 <北の湖> 輪島
三月場所新入幕優勝した尊富士は五月場所思いもよらず全休した。足の負傷が治りきっておらず、これからの相撲人生を考えたら無理をしなかった。その結果五月場所を全休したわけだが、これによって七月場所は十両陥落
以前の企画の続編です。新しい力、実力者が加わりました。若いころの写真を探し出すのはかなり時間を要しました。写真を何度も加工してようやくカタチにしました。その成果が下記です。 アマ横綱中村→大の里 新序
6場所制 昭和33年から40年代年6場所制で新入幕を果たした力士が対象である。引き続き新入幕から初優勝までの場所数をみていこう。 新入幕大鵬は初日から11連勝と快進撃。大鵬の止め役を小結柏戸が担うこと
戦後編ここでいう戦後は、新入幕力士が年6場所制以前の場所までを指す。年6場所は実質昭和32年九月場所から始まった。それ以前の新入幕力士かつ初優勝下力士が対象になる。引き続き初優勝まで何場所目かみていこ
五月場所が終了したことで今年の場所も半分が消化した。混迷の時代の年間最多勝は低レベルになりがちである。昨年は霧島が62勝でトップになった。 今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか、調査して
★横綱3代明石・綾川・丸山は横綱ではなかった 現在歴代横綱と称して一覧になっているものは幕末の陣幕が作成したものであった。陣幕は相撲史に通じていたわけでなく、人の知恵を借りたようである。これを鵜呑みに
戦前編三月場所、尊富士は新入幕で優勝した。さる五月場所は大の里が入幕3場所目で優勝した。混迷の時代だからこそできた初優勝かもしれない。だが、記録は記録である。そこで公式優勝制度以降、新入幕から何場所目
相撲部屋は現在44ある。このなかに宮城野(元白鵬)部屋は含まれていない。復活を待望するファンがいる一方、人によっては別の見方をする方もいる。会社なら宮城野はクビである。復活は現在の幹部が退くまでとなる
6月8日、千代の国の断髪式が行われた。正式には千代の国引退佐ノ山襲名披露断髪式である。千代の国断髪式のチケットは大阪府立体育館内で本人から直接購入した。6000円全自由席である。把瑠都の引退相撲が70
かつて立浪(元安念山=2代目羽黒山)から独立した部屋にあった。元旭國の大島部屋である。旭鷲山、旭天鵬などはそこの弟子だった。時は流れ2012年4月元旭國の大島は定年を迎えた。そのとき部屋を継ぐ者はいな
混迷の時代はいつ始まったのか。混迷の時代は場所前から優勝予想ができなく、意外な力士が優勝することである。それは令和4年一月場所からである。ノ照富士の神通力が失われたときである。これによって絶対的強者が
元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋
若乃花といえば土俵の鬼といわれた横綱によって名前をクローズアップさせた。若乃花は栃錦とともに相撲の黄金時代を築いた横綱でもあった。体は小さいが豪快な相撲を取った。なお、大関7場所目までは若ノ花であった
また暑い七月場所がやってくる。昨年は関脇豊昇が優勝して大関昇進を決めた。大関になった豊昇龍は優勝がないまま1年が経過しようとしている。優勝がないだけでなく、優勝争いさえしていない。 おじの朝青龍は大関
五月場所は超スピードでチケットが完売した。わずか半日である。平日チケットさえままならなかった。コンビニでイス席が購入できた方はいた。ただコンビニは席を指定できない。 続く七月場所はどうか。七月場所のチ
6月1日、石浦の引退相撲が行われた。しかし、それは異例の中での実施となった。何が異例かというと出身母体の宮城野部屋ではなく、伊勢ヶ濱部屋付親方としての引退相撲であるからだ。そのいきさつはこれまで触れて
現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代
幕内は42人定員である。そのうち学生勢力は13人である。学生出身とは大学の相撲部に籍をおいて卒業した入門者である。約31%である。3人に1人弱である。割合はそれなりに占めている。 <御嶽海> それでい
関脇以下の力士はまず、勝ち越しが目標になる。勝ち越したらそこから勝ち星を積み重ねていくことが大事になる。そこで現役の幕内力士を対象に関脇以下の連続勝ち越し数を調査してみた。大関・横綱時代は責任勝ち星が
引き続き昭和戦前の大関誕生のあき間隔をみていこう。 双葉山・鏡岩から2場所あけて前田山が大関に昇進した。前田山は小結からの大関であった。前田山が張り手旋風で横綱双葉山・大関羽黒山の強豪を撃破し、殺気あ
横綱10大史の10番目に外国人横綱誕生を筆者はかつてあげた。外国人初の大関は小錦だった。重量級のパワーはさらに横綱をうかがう成績をあげていく。小錦は13勝優勝、12勝、13勝優勝というチャンスを見送ら
霧馬山は霧島に改名したが、大部分は霧馬山で成長し、活躍してきた。あらためて霧馬山のあの日あのときを写真でふり返ってみる。 <2015年5月 新序出世披露> <三段目優勝> 三段目時代湘南乃海と対戦して
きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これは2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことになる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関誕生の間隔は
最高位大関の優勝は極めて珍しい。最高位大関で優勝経験のない大関はけっこういる。琴ヶ濱、豊山などである。そんななかで今年(2023年)の一月場所貴景勝が通算3回目の優勝を成し遂げた。そのとき義父の北天祐
昭和40年一月場所といえばこれまでの系統別総当たり制から部屋別総当たり制に変わり、実施された場所である。これによって本家と分家及び分家同士の関係による部屋同士の対戦がおこなわれた。なお、系統は一門とは
2023年は半分の3場所を終えた。年間最多勝は昨年若隆景が57勝33敗で獲得した。今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか。レベルはあがるのか。調査してみた。それが以下である。単なる数字の比
2021年十一月場所、霧馬山は新小結に昇進した。しかし、1横綱、2大関、2関脇に全敗した。トータル6勝9敗で小結転落となった。2021年は45勝45敗となった。横綱戦2敗、大関戦4勝7敗だった。上位は
朝乃山は十両で14勝1敗優勝、13勝2敗で幕内に復帰した。十両では力の違いを見せた。それは幕内下位でも続いた。平幕相手に11勝1敗、三役、横綱相手に1勝2敗であった。トータル12勝3敗はよくやった、と
■霧馬山で慣れ親しんだのになぜ霧島に改名する必要があったのか? 確かに大関になっての改名は違和感を感じる。霧馬山は霧馬山でここまで成長したのだから、その四股名を大事にしてほしかった。霧島は霧島のイメー
2代目霧島こと霧馬山が入幕したのは2020年一月場所である。このとき25歳であった。大関までは20場所を要したことになる。新入幕の場所11勝4敗で敢闘賞を受賞している。 <新入幕で敢闘賞受賞> この年
七月場所のチケットは五月場所中の14日目に発売された。以前は12日目、さらにそれ以前は5日目発売のことがあった。どうも場所中の販売は歓迎しにくい。場所に集中できない。また予定がたちにくいという面がある
休場続きで序二段60枚目まで番付を下げていた石浦が引退した。そして年寄間垣を襲名した。間垣は先代宮城野であった元竹葉山が再雇用されていた時の年寄名である。それを石浦に譲った。これは何を意味するのか。
晴れ渡った日、勢引退春日山襲名披露大相撲にとっては快適な開催となった。鶴竜引退相撲同様、はさみをいれる方は正門から、一般のお客さんは南門からの入場になった。勢、伊勢ノ海(元北勝鬨)親方が迎える対象はは
6月3日、雨やまないなか鶴竜の引退断髪披露大相撲が行われた。各地にもたらした大雨は、東海道新幹線を止め 、深夜バスをの到着を大幅に遅らせた。相撲仲間Aは12時に国技館に着いた。相撲仲間Bはそのころ沼津
霧馬山改め霧島が大関に昇進した。同時に次の大関を狙う動きが始まっている。豊昇龍 8勝-10勝-11勝大栄翔 10勝-12勝-10勝若元春 9勝-11勝-10勝 3場所33勝が目安としたら豊昇龍・若元春
十両は千秋楽を迎え、1敗豪ノ山・落合、2敗熱海富士というハイレベルな優勝争いとなった。3力士が好成績というのはなかなかお目にかからない。十両は横綱のようなとびぬけた存在がいるわけではない。だから激しい