五月場所の番付が発表された。予定通り琴ノ若が琴櫻に改名した。全体的に成績以上のアップ・ダウンは少ない幕内番付となった。上位は関脇以上がないのでつまり気味ではある。 小結に入幕3場所目の大の里がすわった
武蔵川理事長の後を受けて理事長に就任したのは元栃錦の春日野であった。出羽一門による継続である。それだけにすんなりとはいかなかった。立浪・伊勢ヶ濱連合が元照國の伊勢ヶ濱を担ぎ出したのである。これに元佐賀
昭和戦前に引退した横綱の年寄率を見ていこう。宮城山 年寄白玉→芝田山部屋 48歳死去3代目西ノ海 年寄浅香山部屋 42歳死去ともに病死で年寄としては短期間で終わっている。 <宮城山のブロマイド> 常ノ
尊富士は幼少のころから相撲を取っていた根っからの相撲少年であった。中学のときには白鵬杯に参加している。進学は相撲の名門鳥取城北高校であった。さらに大学は日大へ進んだ。相撲部では輝鵬と同期であった。 2
三月場所の番付が発表された。新大関の琴ノ若は途中休場の貴景勝の風下に立った。これは当然のことではない。北の富士・玉の海が新横綱になったときは全休の大鵬より上位に位置した。栃東以前はこれが当然だった。ど
元双葉山の時津風理事長急逝後、理事長となったのは元出羽ノ花の武蔵川であった。出羽ノ花は現役時代前頭筆頭が最高位であった。そんな武蔵川がどうして理事長になれたのか。それは簿記を学び経理を担当し、協会の財
暴力事件の処分はくだされた。北青鵬の引退勧告、師匠の元白鵬の宮城野2階級降格及び減給。さらに師匠代行が置かれることになった。師匠宮城野と北青鵬が部屋の前で反省とお詫びをして幕を閉じた。北青鵬はその場で
日本相撲協会は臨時理事会を開き、北青鵬と師匠元白鵬の宮城野の処分を決定した。北青鵬は部屋での暴力が続いただけでなく、金銭トラブルもかかえていたという。引退勧告処分となり、北青鵬は引退届を提出した。解雇
Q 御前掛かりとは何ですか 天覧相撲における土俵入りで、正面を見て4人5列くらいに並びます。四股を右2回左1回踏んでそんきょします。場内アナウンスで紹介されて立ち上がり礼をしてさがります。昭和天皇の天
現役の横綱年寄は横綱の代でいうと北勝海以降である。北勝海から稀勢の里まで12人の横綱がいる。亡くなられた方はいない。現在年寄でいる元横綱は7人である。貴乃花が離職しなければ13人であった。現在の横綱年
元常ノ花の出羽海理事長の自殺未遂を受けて理事長に就任した者が元双葉山の時津風であった。時津風理事長がまず手をつけたのは、月給制であった。これまで力士の待遇改善を求めて数々の事件がおこった。生活の安定を
外国人力士といえば高見山しかいなかった時期があった。その後ハワイが一代勢力になっていった。さらにモンゴが次から次へと続いた。ヨーロッパからも来た。高見山は関脇だったが、大関、横綱になるにつれ、優勝がつ
現在の理事長は元北勝海の八角である。理事長の座を脅かす者は見当たらない。昨年は還暦の土俵入りを披露したが、定年まで務めると12年半の任期になる。もっとも定年前に身を引くこともあり得る。 <八角還暦の土
大鵬時代はいつ終わったのか。柏鵬時代という言い方はあったが、実態はともなわなかった。柏戸は大鵬に差をつけられ、本当は大鵬時代であった。筆者の見方は、大鵬時代は昭和44年五月場所までである。大鵬が30回
大阪の相撲熱はすごい。2月10日が一般発売だが、初日で完売に近かった。そして時間の問題で完売になった。チケットぴあは予定枚数終了となっている。チケット大相撲は15日間すべての席種で×マークである。 昨
力士になったら最初に目指すのが十両である。十両は月給がある。締め込みがカラーになる。化粧まわしをつけて土俵入りができる。羽織袴が着られる。要するに養成員から資格者になるわけである。 <一月場所番付最少
現在元大関は高安、朝乃山、御嶽海、正代の4人が現役である。以前、栃ノ心もいたのだから元大関はけっこういたことになる。ここ1年以内で3人の大関が誕生したのだから、新旧交代したともいえる。しかし、元大関に
三月場所、琴ノ若が大関に昇進することで久々に4大関になる。1年前は貴景勝の一人大関だったのだから様変わりである。4大関は令和3年七月場所以来である。白鵬が最後の優勝を全勝で飾った場所である。 そのとき
年寄株は現在105ある。これは昭和2年の東西合併により東京大相撲85と大阪大相撲17が合わさって現在にいたっている。関取が70人だからそれよりもずっと多いことになる。番付削減を実施した元双葉山の時津風
48回目の大相撲トーナメント大会が国技館で開催された。いつも通り日曜となった。お客さんはそこそこ入った。ただ国技館に来る時間差はそうとうあった。幕内が始まってだいぶたってきた方がいた。正面マス席の立て
貴乃花は元大関貴ノ花の息子として入門から注目されてきた。そんなファンの期待に応え、直近5場所中3場所優勝して横綱にまで上り詰めた。22回優勝して一代年寄にまでなった。3代目若乃花は実兄である。 <貴乃
素質、素材からやがて貴ノ花と大受、2人の貴受時代が来ると思われた時期があった。また魁傑・貴ノ花・輪島の魁貴輪で賜杯を阿佐ヶ谷で独占するのではと予測されたことがあった。実際輪島に対抗したのはあとから来た
照ノ富士は霧島、琴ノ若、豊昇龍に一度も負けていない。琴ノ若は優勝決定戦を含8連敗中である。豊昇龍は不戦敗を含め10連敗中、霧島は11連敗中と2ケタに達した。さて、昭和・平成7横綱の2ケタ勝利無敗はどれ
一月場所、琴ノ若は大関を狙う場所とは誰も思っていなかった。ところが、あれよあれよという間に勝ち進んで、大関に駆け上がった。8勝-11勝できた正代は13勝優勝で大関に昇進した。これも琴ノ若のケースに近か
琴ノ若が大関に昇進した。祖父大関琴櫻と同じ26歳だった。琴ノ若は1場所だけ琴ノ若で今後は琴櫻を名のるという。琴ノ若は祖父の大関時代を超えられるのか。 ●新大関の成績新大関琴櫻は8勝7敗だった。これは新
さる一月場所、大関貴景勝は早々と休場した。頸椎症性神経根症で場所前から首の痛みを訴えていたという。ケガはやむをえないが、またも角番となってしまった。 <一月場所貴景勝休場> 貴景勝の法則がある。その一
天気予報に反し、霧雨のなか栃ノ心引退大相撲が施行された。10時半開場だったが、両国へは9時40分頃着いた。正門は入場を待って並んだ方々で栃ノ心の様子はうかがえなかった。しばらくしてほかの場所から見ると
一月場所千秋楽は優勝争いをしている照ノ富士と琴ノ若に注目が集まっていた。当然といえば当然あった。そんなかで驚きの相撲があった。宇良が竜電に決めた伝え反りであった。 伝え反りとはどんな技か。連続写真で分
さる一月場所の優勝は横綱照ノ富士対関脇琴ノ若の優勝決定戦で行われた。照ノ富士が優勝して幕を閉じた。横綱と関脇二人だけで優勝が争われたケースは14回目であった。優勝決定戦が始まったのは昭和22年年6月か
佐渡ヶ嶽部屋から大関琴ノ若が誕生した。これで佐渡ヶ嶽部屋はこれまで1横綱6大関を生み出してきたことになる。横綱琴櫻、大関琴ヶ濱・琴風・琴欧洲・琴光喜・琴奨菊・琴ノ若である。ここまでくれば名門である。佐
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五月場所の番付が発表された。予定通り琴ノ若が琴櫻に改名した。全体的に成績以上のアップ・ダウンは少ない幕内番付となった。上位は関脇以上がないのでつまり気味ではある。 小結に入幕3場所目の大の里がすわった
昭和は東京大相撲と大阪大相撲の合併場所として始まった。昭和2年から7年まで年4場所で半分は名古屋を含み西日本で開催された。常ノ花は横綱として大正13年夏場所から旧両国国技館の土俵にあがった。大阪横綱の
現在は年6場所制ある。6場所になって給料や退職金が安定した。七月は暑すぎるので年5場所にというわけにはいかなくなっている。場所の名称は、協会は一月場所、三月場所と開催月を名称としている。土俵の目撃者も
照ノ富士の一人横綱が続く大相撲界。その照ノ富士もは2歳になり、休場が目立ってきた。様相は昭和47年七月場所以降に似てきた。 昭和47年七月場所から大鵬は一人横綱になった。この場所から大鵬の晩年は始まっ
3代目若乃花は引退した場所後年寄藤島を襲名したが、短期間で協会を離職している。現在は日刊スポーツに「若乃花の目」を掲載している。貴乃花が協会を離職したときは「相撲界を離れるほうがたいへんなんだよ」とコ
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴
大相撲の常設館ができたことは画期的なことであった。天候に左右されないで興行ができることは日程の安定にもつながる。それまでは晴天〇日興行であった。なかには天候が回復しないでそのまま中止になった場所がある
大相撲の幕内は夕方中継している。通常なら勤務時間であり、ほとんどの方は休日以外みることはできない。でもブルーレイで留守録設定しておかばみることができる。それだけ便利で大相撲を楽しめる時代になっている。
大関は横綱に次ぐ地位で協会の看板である。昇進が決まると使者が部屋に赴き、新大関は口上を述べるセレモニーがある。最高位大関の優勝はそれほど多くない。ただし、横綱の大関時代を加えると様相は違ってくる。そこ
宮城野部屋の力士が協会首脳の指令により元旭富士の伊勢ヶ濱部屋に移籍した。元白鵬の宮城野は伊勢ヶ濱の指導の下に入る。発端は北青鵬の悪質な暴力事件だった。元旭天鵬の友綱部屋では同じモンゴル出身で最高位関脇
幕内は相撲界の最高クラスである。十両に入ったら次の目標は幕内になる。そこで幕内力士の幕内在位場所数番付を作成してみた。対象は2024年三月場所場所番付の幕内力士である。数字は2024年三月場所までの幕
横綱は相撲界の最高位である。横綱が実質地位となったのは常陸山以降である。しかし、横綱ほど実力差が激しい地位はない。年6場所制でも横綱優勝回数は白鵬の42回から横綱優勝0迄ある。横綱優勝0は横綱失格であ
今物言いはビデオを参考にしている。だから物言いがついても勝負結果を間違うことはなかった。これしか見てこなかった相撲ファンにはこれが当たり前に映る。しかし、ビデオを参考にする以前は違っていた。 <物言い
曙の死去にともなってライバル若貴との対戦成績がクローズアップされた。ただ、優勝決定戦が含まれていなかった。優勝決定戦は番外で通算勝利、幕内勝利に加えられることはない。それはそれでいい。しかし、両力士の
一門はかつて巡業をともにする組合だった。本家分家関係を中心としての寄り合い連合だった。現在の一門は理事、副理事を生むシステムに変貌している。 <八角理事長> 🔶高砂一門八角元横綱北勝
曙の通夜が14日行われた。かつてのライバル若乃花が弔問に伺った。今改めて若貴・曙の時代が懐かしく語られている。昭和三代人気力士は双葉山・初代若乃花・貴ノ花である。その貴ノ花の二人の息子が相撲界入りした
双羽黒は優勝経験がない横綱として記憶されている。双羽黒はそれほど普及していないときに、パソコンを扱うことから「新人類」と呼ばれた。横綱7場所後の昭和62年10月、付け人などが集団脱走したのである。尋常
大谷選手の通訳だった水原一平氏のギャンブル問題が大きな話題になっている。その負け金額たるや24億5千万と庶民からみたら天文学的数字である。それを大谷選出の口座から振込していたのだからひどい話である。今
琴ノ若は新大関の場所10勝5敗でおわった。2ケタ勝利だから及第点である。祖父琴櫻は8勝7敗だった。部屋の先輩琴欧州は新大関の場所10勝5敗だったが、横綱になれなかった。 <琴ノ若> 琴ノ若は一月場所優
曙が亡くなった。闘病生活をおくっていたのは知っていたが、あまりにも若過ぎる人生だった。曙といえば若貴と同期だった。常に出世争いをしてきた。 大関・横綱は曙が早かった。曙は外国出身の初の横綱だった。曙の
風薫る5月。五月場所の番付が発表された。 1横綱1大関の番付は3場所目を迎えた。東前頭筆頭以上は頭打ち状態である。若隆景以外の4関脇2小結は全員勝ち越した。東筆頭阿炎も東2枚目で9勝しながら1枚しか上
横綱の初日の対戦相手は少なくても一人は小結が対戦相手というのが慣例になっている。最近は一人横綱照ノ富士が3場所連続全休で、大関貴景勝が初日小結戦を担っている。それでは横綱の初日対戦相手はどのような変遷
横綱は力が衰えても地位が降格することはない。残された道は引退しかない。そこで横綱は最後の優勝から横綱引退まで何場所で引退したか調査してみた。 横綱は実質地位化した常陸山以降の東京横綱とした。大阪横綱宮
大関若乃花(初代)が無類の強さを発揮していたときの話である。明日は鏡里と対戦することになった。ある記者が鏡里に取材した。「明日は若乃花ですがいかかがですか」と訊いた。ぶしつけな質問に周囲は、はっとした
さる三月場所は検温や飲食制限がなくなり、通常開催に戻ったように思えた。しかし、戻っていないモノがあった。前相撲である。昨年もなかった。理由は卒業シーズンである。新弟子のなかにいったん学校に戻る者がいて
4代目朝潮新入幕 昭和26年春場所引退 昭和37年一月場所前幕内在位51場所最高位 横綱大関在位11場所横綱在位16場所 今も昔も期待される力士はいる。だが、戦後最大限期待された力士が朝潮である。1
大相撲の土俵は15尺である。出たら負けになるという格闘技はほかにない。ほとんどの格闘技は組むか離れて戦うかのどちらかである。ところが相撲は土俵があるからどちらも兼ねる珍しい特徴をもつ。 15尺土俵に変
これまで四股名あれこれは漢字が中心だった。一から十まで頭につく四股名1文字漢字四股名色の字がはいった四股名東西南北がはいった四股名~花~の(ノ、乃)山などを扱ってきた。 今回は趣向をかえて四股名をひら
引き続き3人の朝潮(汐)をみていこう。 3代目朝潮(男女ノ川)新入幕 昭和3年春場所引退 昭和17年春場所幕内在位35場所最高位 横綱大関在位4場所横綱在位12場所 <男女ノ川のブロマイド> 昭和3
コロナ禍では控えていた巡業も徐々に復活してきている。巡業は協会主催ではなく、勧進元が主催者である。相撲仲間が春巡業の藤沢巡業、靖国巡業にいってきたということを聞いた。 巡業は勧進元次第だが、ずっと実現
三月場所、炎鵬は十両5枚目で9勝6敗と勝ち越した。五月場所、幕内を狙える位置まで番付を上げてくることが予想される。炎鵬が幕内を落ちてから久しい。すでに2年2場所たった。炎鵬は果たして幕内に復帰できるの
高砂部屋には伝統ある四股名がある。朝潮(朝汐)もそのひとつである。現役に朝志雄がいるが、これはあさしゆうと読む。 初代朝汐新入幕 明治23年夏場所引退 明治41年春場所幕内在位36場所最高位 大関大
出羽海の系統で変わった点は2つある。1つが元隆三杉の千賀ノ浦部屋が常盤部屋に変更したこと。千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃ノ海)部屋から独立しておこした部屋だった。部屋及び出羽一門に後継者がいなく
これからの話は人から聞かされたものであくまで噂の域を出ないものである。まず、そのことをお断りしておく。 ●松鳳山が協会に残れなかったわけ 表面的には年寄株がなかったからである。あるいは長い間元若嶋津の
空中戦というとプロレスのイメージが大きい。サマーソルトキックのエドワード・カーペンテア。連続ドロップキックの名手、フラインクロスチョップのミル・マスカラス。しかし、多彩な空中技で最も強烈な印象を残した
幕下には20歳以下の力士が14人ほどいる。若さは成長につながる。そして幕下を突破するには当然幕下の成績がよくなくてはできない。そこで20歳以下で幕下の成績がいい6人を選んでみた。それが以下である。 向
きたる五月場所、高安は幕内上位に戻ってくる。三月場所は途中まで全勝だったが、優勝争いには加われなかった。これまで優勝争いをしてもことごとく逃してきた。だから、いまだに高安優勝待望は絶えない。 <高安>
三月場所は思いがけず、15日間満員御礼だった。協会のホームページには完売御礼が表示された。去年当日売りがあったが、今回はなかった。見た目は札止めまでいっていないように映ったが、大相撲人気はコロナ緩和と
豊昇龍は現在7場所連続小結・関脇在位中である。きたる五月場所も関脇だから8場所に記録は伸びることになる。この7場所はすべて勝ち越している。 それでいて大関は見えてこない。ここ1年間の成績は54勝36敗
現在8場所連続優勝者の顔ぶれが異なる状態が続いている。場所前の優勝予想がまったくできない。誰が優勝するのかやってみないとわからない日々が続く。 優勝の内訳は横綱1、大関1、関脇3、前頭上位2、前頭中位