6場所制 昭和33年から40年代年6場所制で新入幕を果たした力士が対象である。引き続き新入幕から初優勝までの場所数をみていこう。 新入幕大鵬は初日から11連勝と快進撃。大鵬の止め役を小結柏戸が担うこと
武蔵川理事長の後を受けて理事長に就任したのは元栃錦の春日野であった。出羽一門による継続である。それだけにすんなりとはいかなかった。立浪・伊勢ヶ濱連合が元照國の伊勢ヶ濱を担ぎ出したのである。これに元佐賀
昭和戦前に引退した横綱の年寄率を見ていこう。宮城山 年寄白玉→芝田山部屋 48歳死去3代目西ノ海 年寄浅香山部屋 42歳死去ともに病死で年寄としては短期間で終わっている。 <宮城山のブロマイド> 常ノ
尊富士は幼少のころから相撲を取っていた根っからの相撲少年であった。中学のときには白鵬杯に参加している。進学は相撲の名門鳥取城北高校であった。さらに大学は日大へ進んだ。相撲部では輝鵬と同期であった。 2
三月場所の番付が発表された。新大関の琴ノ若は途中休場の貴景勝の風下に立った。これは当然のことではない。北の富士・玉の海が新横綱になったときは全休の大鵬より上位に位置した。栃東以前はこれが当然だった。ど
元双葉山の時津風理事長急逝後、理事長となったのは元出羽ノ花の武蔵川であった。出羽ノ花は現役時代前頭筆頭が最高位であった。そんな武蔵川がどうして理事長になれたのか。それは簿記を学び経理を担当し、協会の財
暴力事件の処分はくだされた。北青鵬の引退勧告、師匠の元白鵬の宮城野2階級降格及び減給。さらに師匠代行が置かれることになった。師匠宮城野と北青鵬が部屋の前で反省とお詫びをして幕を閉じた。北青鵬はその場で
日本相撲協会は臨時理事会を開き、北青鵬と師匠元白鵬の宮城野の処分を決定した。北青鵬は部屋での暴力が続いただけでなく、金銭トラブルもかかえていたという。引退勧告処分となり、北青鵬は引退届を提出した。解雇
Q 御前掛かりとは何ですか 天覧相撲における土俵入りで、正面を見て4人5列くらいに並びます。四股を右2回左1回踏んでそんきょします。場内アナウンスで紹介されて立ち上がり礼をしてさがります。昭和天皇の天
現役の横綱年寄は横綱の代でいうと北勝海以降である。北勝海から稀勢の里まで12人の横綱がいる。亡くなられた方はいない。現在年寄でいる元横綱は7人である。貴乃花が離職しなければ13人であった。現在の横綱年
元常ノ花の出羽海理事長の自殺未遂を受けて理事長に就任した者が元双葉山の時津風であった。時津風理事長がまず手をつけたのは、月給制であった。これまで力士の待遇改善を求めて数々の事件がおこった。生活の安定を
外国人力士といえば高見山しかいなかった時期があった。その後ハワイが一代勢力になっていった。さらにモンゴが次から次へと続いた。ヨーロッパからも来た。高見山は関脇だったが、大関、横綱になるにつれ、優勝がつ
現在の理事長は元北勝海の八角である。理事長の座を脅かす者は見当たらない。昨年は還暦の土俵入りを披露したが、定年まで務めると12年半の任期になる。もっとも定年前に身を引くこともあり得る。 <八角還暦の土
大鵬時代はいつ終わったのか。柏鵬時代という言い方はあったが、実態はともなわなかった。柏戸は大鵬に差をつけられ、本当は大鵬時代であった。筆者の見方は、大鵬時代は昭和44年五月場所までである。大鵬が30回
大阪の相撲熱はすごい。2月10日が一般発売だが、初日で完売に近かった。そして時間の問題で完売になった。チケットぴあは予定枚数終了となっている。チケット大相撲は15日間すべての席種で×マークである。 昨
力士になったら最初に目指すのが十両である。十両は月給がある。締め込みがカラーになる。化粧まわしをつけて土俵入りができる。羽織袴が着られる。要するに養成員から資格者になるわけである。 <一月場所番付最少
現在元大関は高安、朝乃山、御嶽海、正代の4人が現役である。以前、栃ノ心もいたのだから元大関はけっこういたことになる。ここ1年以内で3人の大関が誕生したのだから、新旧交代したともいえる。しかし、元大関に
三月場所、琴ノ若が大関に昇進することで久々に4大関になる。1年前は貴景勝の一人大関だったのだから様変わりである。4大関は令和3年七月場所以来である。白鵬が最後の優勝を全勝で飾った場所である。 そのとき
年寄株は現在105ある。これは昭和2年の東西合併により東京大相撲85と大阪大相撲17が合わさって現在にいたっている。関取が70人だからそれよりもずっと多いことになる。番付削減を実施した元双葉山の時津風
48回目の大相撲トーナメント大会が国技館で開催された。いつも通り日曜となった。お客さんはそこそこ入った。ただ国技館に来る時間差はそうとうあった。幕内が始まってだいぶたってきた方がいた。正面マス席の立て
貴乃花は元大関貴ノ花の息子として入門から注目されてきた。そんなファンの期待に応え、直近5場所中3場所優勝して横綱にまで上り詰めた。22回優勝して一代年寄にまでなった。3代目若乃花は実兄である。 <貴乃
素質、素材からやがて貴ノ花と大受、2人の貴受時代が来ると思われた時期があった。また魁傑・貴ノ花・輪島の魁貴輪で賜杯を阿佐ヶ谷で独占するのではと予測されたことがあった。実際輪島に対抗したのはあとから来た
照ノ富士は霧島、琴ノ若、豊昇龍に一度も負けていない。琴ノ若は優勝決定戦を含8連敗中である。豊昇龍は不戦敗を含め10連敗中、霧島は11連敗中と2ケタに達した。さて、昭和・平成7横綱の2ケタ勝利無敗はどれ
一月場所、琴ノ若は大関を狙う場所とは誰も思っていなかった。ところが、あれよあれよという間に勝ち進んで、大関に駆け上がった。8勝-11勝できた正代は13勝優勝で大関に昇進した。これも琴ノ若のケースに近か
琴ノ若が大関に昇進した。祖父大関琴櫻と同じ26歳だった。琴ノ若は1場所だけ琴ノ若で今後は琴櫻を名のるという。琴ノ若は祖父の大関時代を超えられるのか。 ●新大関の成績新大関琴櫻は8勝7敗だった。これは新
さる一月場所、大関貴景勝は早々と休場した。頸椎症性神経根症で場所前から首の痛みを訴えていたという。ケガはやむをえないが、またも角番となってしまった。 <一月場所貴景勝休場> 貴景勝の法則がある。その一
天気予報に反し、霧雨のなか栃ノ心引退大相撲が施行された。10時半開場だったが、両国へは9時40分頃着いた。正門は入場を待って並んだ方々で栃ノ心の様子はうかがえなかった。しばらくしてほかの場所から見ると
一月場所千秋楽は優勝争いをしている照ノ富士と琴ノ若に注目が集まっていた。当然といえば当然あった。そんなかで驚きの相撲があった。宇良が竜電に決めた伝え反りであった。 伝え反りとはどんな技か。連続写真で分
さる一月場所の優勝は横綱照ノ富士対関脇琴ノ若の優勝決定戦で行われた。照ノ富士が優勝して幕を閉じた。横綱と関脇二人だけで優勝が争われたケースは14回目であった。優勝決定戦が始まったのは昭和22年年6月か
佐渡ヶ嶽部屋から大関琴ノ若が誕生した。これで佐渡ヶ嶽部屋はこれまで1横綱6大関を生み出してきたことになる。横綱琴櫻、大関琴ヶ濱・琴風・琴欧洲・琴光喜・琴奨菊・琴ノ若である。ここまでくれば名門である。佐
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6場所制 昭和33年から40年代年6場所制で新入幕を果たした力士が対象である。引き続き新入幕から初優勝までの場所数をみていこう。 新入幕大鵬は初日から11連勝と快進撃。大鵬の止め役を小結柏戸が担うこと
戦後編ここでいう戦後は、新入幕力士が年6場所制以前の場所までを指す。年6場所は実質昭和32年九月場所から始まった。それ以前の新入幕力士かつ初優勝下力士が対象になる。引き続き初優勝まで何場所目かみていこ
五月場所が終了したことで今年の場所も半分が消化した。混迷の時代の年間最多勝は低レベルになりがちである。昨年は霧島が62勝でトップになった。 今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか、調査して
★横綱3代明石・綾川・丸山は横綱ではなかった 現在歴代横綱と称して一覧になっているものは幕末の陣幕が作成したものであった。陣幕は相撲史に通じていたわけでなく、人の知恵を借りたようである。これを鵜呑みに
戦前編三月場所、尊富士は新入幕で優勝した。さる五月場所は大の里が入幕3場所目で優勝した。混迷の時代だからこそできた初優勝かもしれない。だが、記録は記録である。そこで公式優勝制度以降、新入幕から何場所目
相撲部屋は現在44ある。このなかに宮城野(元白鵬)部屋は含まれていない。復活を待望するファンがいる一方、人によっては別の見方をする方もいる。会社なら宮城野はクビである。復活は現在の幹部が退くまでとなる
6月8日、千代の国の断髪式が行われた。正式には千代の国引退佐ノ山襲名披露断髪式である。千代の国断髪式のチケットは大阪府立体育館内で本人から直接購入した。6000円全自由席である。把瑠都の引退相撲が70
かつて立浪(元安念山=2代目羽黒山)から独立した部屋にあった。元旭國の大島部屋である。旭鷲山、旭天鵬などはそこの弟子だった。時は流れ2012年4月元旭國の大島は定年を迎えた。そのとき部屋を継ぐ者はいな
混迷の時代はいつ始まったのか。混迷の時代は場所前から優勝予想ができなく、意外な力士が優勝することである。それは令和4年一月場所からである。ノ照富士の神通力が失われたときである。これによって絶対的強者が
元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋
若乃花といえば土俵の鬼といわれた横綱によって名前をクローズアップさせた。若乃花は栃錦とともに相撲の黄金時代を築いた横綱でもあった。体は小さいが豪快な相撲を取った。なお、大関7場所目までは若ノ花であった
また暑い七月場所がやってくる。昨年は関脇豊昇が優勝して大関昇進を決めた。大関になった豊昇龍は優勝がないまま1年が経過しようとしている。優勝がないだけでなく、優勝争いさえしていない。 おじの朝青龍は大関
五月場所は超スピードでチケットが完売した。わずか半日である。平日チケットさえままならなかった。コンビニでイス席が購入できた方はいた。ただコンビニは席を指定できない。 続く七月場所はどうか。七月場所のチ
6月1日、石浦の引退相撲が行われた。しかし、それは異例の中での実施となった。何が異例かというと出身母体の宮城野部屋ではなく、伊勢ヶ濱部屋付親方としての引退相撲であるからだ。そのいきさつはこれまで触れて
現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代
五月場所、翔大夢という四股名の力士が登場した。テレビでは大谷対翔大夢戦が実現するかもととの見方があった。しかし、対戦は永遠に不可能となった。七月場所、嘉陽・生天目の新十両発表の陰で旧宮城野部屋力士の引
五月場所の記録で目立ったのが貴景勝の3場所連続休場である。自身初のケースである。三月場所は8勝したとたん休場した。情報通から8勝したら休場すると聞いていたので驚きはなかった。今回の初日出場後いきなり休
★優勝争いについて 千秋楽を迎え3敗は大の里一人となった。横綱休場のなか大関は存在価値を示せなかった。協会から特別待遇を受けながら責任を果たせない。こんな大関ならいらない。不要である。 <大の里との対
これは予想番付ではなく私製番付である。私製番付は横綱・大関と対戦した力士を考慮している。幕内は横綱・大関と対戦する力士・部分対戦する力士・まったく対戦しない力士に分かれる。 <優勝した大の里> 例えば
2024年五月場所は一人の男に託されることになった。それは新小結大の里である。3敗は彼一人しかいない。4敗は超低レベル過ぎて優勝に値しないことはこれまで何度も触れてきた。100メートル競走でいえば11
霧馬山は霧島に改名したが、大部分は霧馬山で成長し、活躍してきた。あらためて霧馬山のあの日あのときを写真でふり返ってみる。 <2015年5月 新序出世披露> <三段目優勝> 三段目時代湘南乃海と対戦して
きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これは2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことになる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関誕生の間隔は
最高位大関の優勝は極めて珍しい。最高位大関で優勝経験のない大関はけっこういる。琴ヶ濱、豊山などである。そんななかで今年(2023年)の一月場所貴景勝が通算3回目の優勝を成し遂げた。そのとき義父の北天祐
昭和40年一月場所といえばこれまでの系統別総当たり制から部屋別総当たり制に変わり、実施された場所である。これによって本家と分家及び分家同士の関係による部屋同士の対戦がおこなわれた。なお、系統は一門とは
2023年は半分の3場所を終えた。年間最多勝は昨年若隆景が57勝33敗で獲得した。今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか。レベルはあがるのか。調査してみた。それが以下である。単なる数字の比
2021年十一月場所、霧馬山は新小結に昇進した。しかし、1横綱、2大関、2関脇に全敗した。トータル6勝9敗で小結転落となった。2021年は45勝45敗となった。横綱戦2敗、大関戦4勝7敗だった。上位は
朝乃山は十両で14勝1敗優勝、13勝2敗で幕内に復帰した。十両では力の違いを見せた。それは幕内下位でも続いた。平幕相手に11勝1敗、三役、横綱相手に1勝2敗であった。トータル12勝3敗はよくやった、と
■霧馬山で慣れ親しんだのになぜ霧島に改名する必要があったのか? 確かに大関になっての改名は違和感を感じる。霧馬山は霧馬山でここまで成長したのだから、その四股名を大事にしてほしかった。霧島は霧島のイメー
2代目霧島こと霧馬山が入幕したのは2020年一月場所である。このとき25歳であった。大関までは20場所を要したことになる。新入幕の場所11勝4敗で敢闘賞を受賞している。 <新入幕で敢闘賞受賞> この年
七月場所のチケットは五月場所中の14日目に発売された。以前は12日目、さらにそれ以前は5日目発売のことがあった。どうも場所中の販売は歓迎しにくい。場所に集中できない。また予定がたちにくいという面がある
休場続きで序二段60枚目まで番付を下げていた石浦が引退した。そして年寄間垣を襲名した。間垣は先代宮城野であった元竹葉山が再雇用されていた時の年寄名である。それを石浦に譲った。これは何を意味するのか。
晴れ渡った日、勢引退春日山襲名披露大相撲にとっては快適な開催となった。鶴竜引退相撲同様、はさみをいれる方は正門から、一般のお客さんは南門からの入場になった。勢、伊勢ノ海(元北勝鬨)親方が迎える対象はは
6月3日、雨やまないなか鶴竜の引退断髪披露大相撲が行われた。各地にもたらした大雨は、東海道新幹線を止め 、深夜バスをの到着を大幅に遅らせた。相撲仲間Aは12時に国技館に着いた。相撲仲間Bはそのころ沼津
霧馬山改め霧島が大関に昇進した。同時に次の大関を狙う動きが始まっている。豊昇龍 8勝-10勝-11勝大栄翔 10勝-12勝-10勝若元春 9勝-11勝-10勝 3場所33勝が目安としたら豊昇龍・若元春
十両は千秋楽を迎え、1敗豪ノ山・落合、2敗熱海富士というハイレベルな優勝争いとなった。3力士が好成績というのはなかなかお目にかからない。十両は横綱のようなとびぬけた存在がいるわけではない。だから激しい
9時半前、協会の使者伊勢ノ海(元北勝鬨)と枝川(元蒼樹山)が陸奥(元霧志摩)部屋にはいった。霧馬山は「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」と口上を述べた。新大関霧馬山が誕生した。大関は
★大相撲人気について 大阪場所15日間続いた満員御礼は、五月場所も15日間続いた。これは本物の人気である。五月場所のチケットは一挙に売れたのではなく、時間をかけての完売御礼だった。コロナが一段落したこ
2023年七月場所私製番付は、その名の通り予想番付ではない。幕内は横綱・大関との対戦圏内とそうでない2部クラスの二部構成である。これを同一視するのは合理性を欠いている。 そこで一考。番付は関脇以下を編
優勝は14日目照ノ富士に決まった。だが、大相撲に消化試合はない。混迷の時代優勝はほとんど12勝3敗だった。たまに13勝2敗があった程度である。 照ノ富士は14勝1敗のハイレベル優勝を達成できるか。答は