6場所制 昭和33年から40年代年6場所制で新入幕を果たした力士が対象である。引き続き新入幕から初優勝までの場所数をみていこう。 新入幕大鵬は初日から11連勝と快進撃。大鵬の止め役を小結柏戸が担うこと
一時期御嶽海は関脇以下最強の時期があった。それが大関になって卒業した。すぐに大関の座を明け渡したが、元大関では関脇以下最強とはいいがたい。御嶽海はむしろ弱くなっている。 そこで関脇以下最強の目安として
七月場所、照ノ富士は2日目錦木、3日目翔猿に連敗すると翌日から休場した。なお、錦木、翔猿は平幕力士だから金星を獲得したことになる。記録の数字は通常大きいきいほうがいいが、金星配給率は小さいほうがいい。
近年の番付は不合理をもって編成されている。新大関豊昇龍が角番大関霧島・貴景勝より下位になること。これについては前日触れた。 もう一つが十両優勝者の不遇の扱いである。どう不遇なのか。七月場所、十両西筆頭
九月場所の番付が発表された。横綱・大関が手薄だから上位勝ち越し者が多く、幕内上位はどんづまりである。小幅アップにならざるを得ない。 豊昇龍が新大関としてデビューする。しかし、それは角番大関霧島・貴景勝
8月のある土曜、相撲趣味の会の例会にオブザーバーとして参加した。会長とはかつて相撲友の会の例会で何度かご一緒した。例会のテーマは別にあったけれど、雑談で手をおろさない立ち合いの話が出た。手をつかないな
天竜といえば昭和7年1月6日におきた春秋園事件の中心人物として有名である。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、品川大井町の中華料理店春秋園に集結した目的は大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定
プロ野球には新人賞がある。大相撲はどうか。中日スポーツが制定している年間最優秀新人賞がある。原則その年で3場所以上が経験した新入幕力士が対象になる。2場所の以下の新入幕力士は翌年に持ち越す。 例外は昭
照ノ富士の横綱デビュー場所は2021年九月場所であった。この場所、白鵬は現役だったが、コロナ部屋ごと休場で全休していた。白鵬は場所後引退した。つまり照ノ富士は横綱2場所目から一人横綱となったわけである
角番はさほど話題になるものではない。人によっては角番5回で関脇落ち。あるいは1年間2回カド番で関脇落ちを主張する方がいる。角番後優勝した大関がいる。 貴ノ花小錦貴ノ花(のちの貴乃花)魁皇千代大海栃東琴
きたる九月場所は久々に3大関が出場しそうである。新大関はいいスタートを切りたいし、角番2大関は待ったなしである。といっても絶対ではないのが現代大相撲の特徴である。七月場所霧島が休場から途中出場したもの
佐渡ヶ嶽部屋といえば頭に琴がつく四股名。これが常識化して長い時間が過ぎ去ってきた。この四股名の大元は佐渡ヶ嶽部屋創設者の初代琴錦である。初代琴錦の故郷である香川県の観音寺にある琴弾八幡宮に由来している
七月場所後、豊昇龍の大関昇進が決定した。協会使者として境川(元両国=前名小林山)と大鳴門(元出島)が立浪部屋宿舎に向かった。使者は通常一門の親方が選出される。豊昇龍が所属する立浪(元旭豊)部屋は出羽海
昨年の七月場所を覚えているだろうか。コロナ部屋ごと休場が続出し、場所の行く末が心配であった。取組が減少するなかで不戦勝が続出した。新入幕の錦富士は3不戦勝であった。幕下では最初の取組からから塩がはいっ
令和元年九月場所、関脇御嶽海と関脇貴景勝との間で優勝決定戦がおこなわれた。御嶽海は7場所前に初優勝しているが、それを生かして大関につなげることはできなかった。この場所で16場所連続小結関脇在位を記録し
頭に栃がつく四股名といえば春日野部屋を思いおこす。引退したが、栃ノ心は大関までいった春日野部屋の力士であった。 春日野部屋は、元常陸山の出羽ノ海が存命中にすでに分家独立の許諾を得ていた。いわば出羽海部
七月場所、豊昇龍は初優勝して大関に昇進した。新入幕から18場所、つまり3年かかっての昇進だった。年齢は24歳であった。おじの朝青龍は新入幕から10場所を要しての大関昇進となった。新大関の場所は22歳で
平成24年五月場所、優勝決定戦は史上初の平幕優勝同士となった。栃煌山対旭天鵬である。といっても、栃煌山はこの時点で関脇2場所、小結4場所経験していた。同様に旭天鵬は関脇3場所小結9場所務めたことがあっ
頭に玉をつける部屋は片男波部屋である。現役関取では玉鷲、玉正凰がいる。片男波部屋の創設者は玉乃海代太郎である。 黄金のまわしで昭和32年十一月場所優勝している。もっとも横綱・大関戦は一番もなかったが。
九月場所チケットが一般発売されて1週間が経過した。8月5日、アクセスが殺到してサイトにはいれた時、千秋楽のチケットはなかった。あるいは14日目は残り少なくなっていた。大相撲の人気は継続されていることを
去る七月場所は関脇豊昇龍と前頭9枚目北勝富士の間で優勝決定戦がおこなわれた。豊昇龍が勝って初優勝と大関昇進を決めた。関脇以下同士の優勝決定戦は今年の三月場所、関脇霧馬山対小結大栄翔以来である。つまり今
明瀬山が引退し、井筒を襲名した。これによって井筒の株はこれまでの時津風系ではなく、旧三保ヶ関部屋から独立した木瀬系に移ったことを意味している。 <明瀬山> 井筒はそれまで元豊ノ島が名のっていた。井筒株
■朝青龍 横綱時代の朝青龍に最も迫ったのは誰か。11勝6敗の栃東ではない。優勝を争った直接対決で横綱朝青龍に勝ったことはある。だが、栃東ではない。 次の横綱になった白鵬である。優勝決定戦を含め、朝青龍
最近はまず、横綱・大関が4人以上いないことが多かった。きたる九月場所で1横綱3大関になるが果たして全員フル出場なるのか、微妙なところである。令和は横綱・大関の出場に関してどういう時代であったか。 <ト
ひと昔前は夏巡業といえば東北、北海道の涼しい地域を長期にまわって鍛えたものである。そのため、七月場所の開始が今より1週間早かった。また、2班に分け、稽古量を確保できる工夫があった。 だが、現代の夏は猛
■北の湖 輪湖時代、北の湖時代をみてきた方にとっては北の湖が苦手とした相手にピンとくる力士が思い浮かぶであろう。朝潮である。 初顔のとき北の湖はすでに横綱だった。朝潮が関脇以下のとき5勝11敗(不戦敗
猛暑日が続くなか、8月5日10時に九月場所のチケットが発売された。席はインターネットでイス席が選択できる。しかし、一斉にアクセスしているため、なかなかつながらない。 つながったときは千秋楽、14日目は
新大関の場所、霧島は4日目から途中出場した。肋骨を痛めて初日不戦敗となったが、きわめて珍しいケースとなった。人によっては12勝1敗2休で霧島の優勝という見方をしていた。 しかし、霧島は万全ではなかった
五月場所14勝1敗の堂々たる優勝を達成した照ノ富士。ところが七月場所、2日目錦木、3日目翔猿に連敗するとあっさり休場してしまった。照ノ富士はここ1年、フル出場したのは1場所しかない。照ノ富士の横綱休場
■栃木山 栃木山は横綱在位14場所、フル出場は13場所である。横綱は追いつめられて辞めてはいけないという美学から、まだ相撲を取れるのでは、というなかで引退した。横綱敗北は8敗である。 <清瀬川のブロマ
七月場所が終了したことで、今年の本場所は4場所経過したことになる。七月場所はご存知のとおり、豊昇龍が初優勝し、大関昇進を決めた。一方新大関霧島の休場及び不成績はどう影響したのか。 年間最多勝レースはど
七月場所、新入幕の伯桜鵬は千秋楽まで優勝を争った。これがデビュー4場所目でまだ髷がゆえない力士だから驚異的である。七月場所は19歳であった。 これからわかるように学生出身ではない。高校卒業後、肩の手術
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6場所制 昭和33年から40年代年6場所制で新入幕を果たした力士が対象である。引き続き新入幕から初優勝までの場所数をみていこう。 新入幕大鵬は初日から11連勝と快進撃。大鵬の止め役を小結柏戸が担うこと
戦後編ここでいう戦後は、新入幕力士が年6場所制以前の場所までを指す。年6場所は実質昭和32年九月場所から始まった。それ以前の新入幕力士かつ初優勝下力士が対象になる。引き続き初優勝まで何場所目かみていこ
五月場所が終了したことで今年の場所も半分が消化した。混迷の時代の年間最多勝は低レベルになりがちである。昨年は霧島が62勝でトップになった。 今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか、調査して
★横綱3代明石・綾川・丸山は横綱ではなかった 現在歴代横綱と称して一覧になっているものは幕末の陣幕が作成したものであった。陣幕は相撲史に通じていたわけでなく、人の知恵を借りたようである。これを鵜呑みに
戦前編三月場所、尊富士は新入幕で優勝した。さる五月場所は大の里が入幕3場所目で優勝した。混迷の時代だからこそできた初優勝かもしれない。だが、記録は記録である。そこで公式優勝制度以降、新入幕から何場所目
相撲部屋は現在44ある。このなかに宮城野(元白鵬)部屋は含まれていない。復活を待望するファンがいる一方、人によっては別の見方をする方もいる。会社なら宮城野はクビである。復活は現在の幹部が退くまでとなる
6月8日、千代の国の断髪式が行われた。正式には千代の国引退佐ノ山襲名披露断髪式である。千代の国断髪式のチケットは大阪府立体育館内で本人から直接購入した。6000円全自由席である。把瑠都の引退相撲が70
かつて立浪(元安念山=2代目羽黒山)から独立した部屋にあった。元旭國の大島部屋である。旭鷲山、旭天鵬などはそこの弟子だった。時は流れ2012年4月元旭國の大島は定年を迎えた。そのとき部屋を継ぐ者はいな
混迷の時代はいつ始まったのか。混迷の時代は場所前から優勝予想ができなく、意外な力士が優勝することである。それは令和4年一月場所からである。ノ照富士の神通力が失われたときである。これによって絶対的強者が
元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋
若乃花といえば土俵の鬼といわれた横綱によって名前をクローズアップさせた。若乃花は栃錦とともに相撲の黄金時代を築いた横綱でもあった。体は小さいが豪快な相撲を取った。なお、大関7場所目までは若ノ花であった
また暑い七月場所がやってくる。昨年は関脇豊昇が優勝して大関昇進を決めた。大関になった豊昇龍は優勝がないまま1年が経過しようとしている。優勝がないだけでなく、優勝争いさえしていない。 おじの朝青龍は大関
五月場所は超スピードでチケットが完売した。わずか半日である。平日チケットさえままならなかった。コンビニでイス席が購入できた方はいた。ただコンビニは席を指定できない。 続く七月場所はどうか。七月場所のチ
6月1日、石浦の引退相撲が行われた。しかし、それは異例の中での実施となった。何が異例かというと出身母体の宮城野部屋ではなく、伊勢ヶ濱部屋付親方としての引退相撲であるからだ。そのいきさつはこれまで触れて
現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代
五月場所、翔大夢という四股名の力士が登場した。テレビでは大谷対翔大夢戦が実現するかもととの見方があった。しかし、対戦は永遠に不可能となった。七月場所、嘉陽・生天目の新十両発表の陰で旧宮城野部屋力士の引
五月場所の記録で目立ったのが貴景勝の3場所連続休場である。自身初のケースである。三月場所は8勝したとたん休場した。情報通から8勝したら休場すると聞いていたので驚きはなかった。今回の初日出場後いきなり休
★優勝争いについて 千秋楽を迎え3敗は大の里一人となった。横綱休場のなか大関は存在価値を示せなかった。協会から特別待遇を受けながら責任を果たせない。こんな大関ならいらない。不要である。 <大の里との対
これは予想番付ではなく私製番付である。私製番付は横綱・大関と対戦した力士を考慮している。幕内は横綱・大関と対戦する力士・部分対戦する力士・まったく対戦しない力士に分かれる。 <優勝した大の里> 例えば
2024年五月場所は一人の男に託されることになった。それは新小結大の里である。3敗は彼一人しかいない。4敗は超低レベル過ぎて優勝に値しないことはこれまで何度も触れてきた。100メートル競走でいえば11
霧馬山は霧島に改名したが、大部分は霧馬山で成長し、活躍してきた。あらためて霧馬山のあの日あのときを写真でふり返ってみる。 <2015年5月 新序出世披露> <三段目優勝> 三段目時代湘南乃海と対戦して
きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これは2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことになる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関誕生の間隔は
最高位大関の優勝は極めて珍しい。最高位大関で優勝経験のない大関はけっこういる。琴ヶ濱、豊山などである。そんななかで今年(2023年)の一月場所貴景勝が通算3回目の優勝を成し遂げた。そのとき義父の北天祐
昭和40年一月場所といえばこれまでの系統別総当たり制から部屋別総当たり制に変わり、実施された場所である。これによって本家と分家及び分家同士の関係による部屋同士の対戦がおこなわれた。なお、系統は一門とは
2023年は半分の3場所を終えた。年間最多勝は昨年若隆景が57勝33敗で獲得した。今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか。レベルはあがるのか。調査してみた。それが以下である。単なる数字の比
2021年十一月場所、霧馬山は新小結に昇進した。しかし、1横綱、2大関、2関脇に全敗した。トータル6勝9敗で小結転落となった。2021年は45勝45敗となった。横綱戦2敗、大関戦4勝7敗だった。上位は
朝乃山は十両で14勝1敗優勝、13勝2敗で幕内に復帰した。十両では力の違いを見せた。それは幕内下位でも続いた。平幕相手に11勝1敗、三役、横綱相手に1勝2敗であった。トータル12勝3敗はよくやった、と
■霧馬山で慣れ親しんだのになぜ霧島に改名する必要があったのか? 確かに大関になっての改名は違和感を感じる。霧馬山は霧馬山でここまで成長したのだから、その四股名を大事にしてほしかった。霧島は霧島のイメー
2代目霧島こと霧馬山が入幕したのは2020年一月場所である。このとき25歳であった。大関までは20場所を要したことになる。新入幕の場所11勝4敗で敢闘賞を受賞している。 <新入幕で敢闘賞受賞> この年
七月場所のチケットは五月場所中の14日目に発売された。以前は12日目、さらにそれ以前は5日目発売のことがあった。どうも場所中の販売は歓迎しにくい。場所に集中できない。また予定がたちにくいという面がある
休場続きで序二段60枚目まで番付を下げていた石浦が引退した。そして年寄間垣を襲名した。間垣は先代宮城野であった元竹葉山が再雇用されていた時の年寄名である。それを石浦に譲った。これは何を意味するのか。
晴れ渡った日、勢引退春日山襲名披露大相撲にとっては快適な開催となった。鶴竜引退相撲同様、はさみをいれる方は正門から、一般のお客さんは南門からの入場になった。勢、伊勢ノ海(元北勝鬨)親方が迎える対象はは
6月3日、雨やまないなか鶴竜の引退断髪披露大相撲が行われた。各地にもたらした大雨は、東海道新幹線を止め 、深夜バスをの到着を大幅に遅らせた。相撲仲間Aは12時に国技館に着いた。相撲仲間Bはそのころ沼津
霧馬山改め霧島が大関に昇進した。同時に次の大関を狙う動きが始まっている。豊昇龍 8勝-10勝-11勝大栄翔 10勝-12勝-10勝若元春 9勝-11勝-10勝 3場所33勝が目安としたら豊昇龍・若元春
十両は千秋楽を迎え、1敗豪ノ山・落合、2敗熱海富士というハイレベルな優勝争いとなった。3力士が好成績というのはなかなかお目にかからない。十両は横綱のようなとびぬけた存在がいるわけではない。だから激しい
9時半前、協会の使者伊勢ノ海(元北勝鬨)と枝川(元蒼樹山)が陸奥(元霧志摩)部屋にはいった。霧馬山は「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」と口上を述べた。新大関霧馬山が誕生した。大関は
★大相撲人気について 大阪場所15日間続いた満員御礼は、五月場所も15日間続いた。これは本物の人気である。五月場所のチケットは一挙に売れたのではなく、時間をかけての完売御礼だった。コロナが一段落したこ
2023年七月場所私製番付は、その名の通り予想番付ではない。幕内は横綱・大関との対戦圏内とそうでない2部クラスの二部構成である。これを同一視するのは合理性を欠いている。 そこで一考。番付は関脇以下を編
優勝は14日目照ノ富士に決まった。だが、大相撲に消化試合はない。混迷の時代優勝はほとんど12勝3敗だった。たまに13勝2敗があった程度である。 照ノ富士は14勝1敗のハイレベル優勝を達成できるか。答は