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  • 『あなたを天才にするスマートノート』/岡田斗司夫

    岡田斗司夫によるノート術本。数年ぶりに再読した。「スマートノート」なる方法について書かれている一冊で、いろいろな書き方が紹介されているのだけれど、全編通して繰り返し語られているのは、ムダになる前提で構わないから、とにかくノートに書き出すこと、書いてかんがえ続けることこそが重要だ、ということだ。 曰く、ものをかんがえるというのは「武道」のようなもので、まずは型を覚え、それに従って練習を繰り返し、同じようなことを何度も何度も繰り返し行い続けることでこそ身についてくるものである。あるいは、それは「農業」のようなもので、果実が収穫できるようになるまでには、土を耕し、雑草を抜き、水や肥料をやり、それなりに長い時間をかける必要があるものである。

  • 『はだしのゲン 私の遺書』/中沢啓治

    2012年に73歳で他界した、『はだしのゲン』の著者、中沢啓治が自身の半生を振り返ったエッセイ。6歳で被爆を経験した際の生々しい体験から、戦後の広島で必死で生き延び、怒りに燃えて原爆漫画を描くようになり、やがて世間にそれが受け入れられていくまでが書かれている。体調を崩し、筆を折った中沢は、あたかも「遺言」のように、「原爆によって、人間がどういうふうになるか」ということを自らの被爆体験を通して語っている。 中沢は、自分の作品のベースにあるのは、端的に「怒り」であると言う。それはつまり、「戦争や原爆について、日本人は自らの手で責任を追求し、解決しようとしているか?否、何一つされていないではないか!」という怒りだ。だからこそ、原爆被害の実態をリアルに伝えるべく、『はだしのゲン』のような、漫画でありながらも相当に生々しいスタイルの作品を生み出したのだ、というわけだ。(もっとも、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出てきてしまったため、中沢としては、「かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにして」描いたらしい。)

  • 『孤島』/ジャン・グルニエ

    アルベール・カミュの才能を発掘した人物として知られる、ジャン・グルニエによる哲学的エッセイ。哲学的、とは言っても、空白や、一匹の猫の死、ある肉屋の病気、旅、花の香り、地中海の島々、すぎ去る時について、思索的で淡々とした散文がまとめられたもの、という感じだ。 全編通して通奏低音となっているのは、「至福の瞬間」とでも言うべきもののことで、それは人の生に不意に訪れる、ある幸福な瞬間のことを指すものであるらしい。グルニエ曰く、それは作家に天啓をもたらすような瞬間であり、あるいは、人が自己を再認識するような瞬間である。

  • 『サードドア 精神的資産のふやし方』/アレックス・バナヤン

    勉強に嫌気がさしてしまった医学生のバナヤンは、現代の「成功者」たち――ビル・ゲイツ、スティーブン・スピルバーグ、レディー・ガガ――の伝記や評伝を読みあさる。そうして、彼らが自分と同じくらい若いころに、どんな風に成功の第一歩を踏み出し、これだというような人生の始まりをスタートさせたのか、という「聖杯」を見つけるべく、彼らにインタビューをして回ろう、それを本にしよう、とおもい立つ。 バナヤンは、「本当のところ、僕は何に興味があるんだ?どう生きたいんだ?」という自分の気持ちに愚直に従いながら、また、多くの人に助けられながら、すさまじい行動力でもって「成功者」たちにインタビューするための旅を続けていく。もちろん、その旅路のなかで、「聖杯」などというものは存在しない、ということが明らかになっていくわけだけれど、それを20歳そこそこの若者が、これでもかというくらい多くの失敗を繰り返し、当たっては粉々に砕けまくりながら少しずつ体得していく…というプロセスがみっちりと書き込まれているところが、本書のおもしろさだと言っていいだろう。

  • 『消え失せた密画』/エーリヒ・ケストナー

    児童文学の巨匠というイメージのケストナーだけれど、大人向けの作品もいくつか書いている。『消え失せた密画』はそのうちのひとつで、ユーモア溢れる犯罪小説…といっても、残酷なところや邪悪なところが1ミリもない、ほっこりキュートな物語である。 物語の主人公は、繰り返される単調な毎日に嫌気が差してしまった肉屋の親方、キュルツ氏。家族をベルリンに残し、ひとりコペンハーゲンに観光にやって来た彼だが、ふとしたことから超高価な密画の盗難事件に巻き込まれてしまう。そうして状況に流されるがままに、密画蒐集家の美人秘書やおバカな窃盗団たち、ミステリアスな美青年などといった面々と、騙し騙されの密画争奪戦を繰り広げることになるのだが…!

  • 『飛ぶ教室』/エーリヒ・ケストナー

    物語の舞台はドイツ、キルヒベルクのギムナジウム。正義感の強いマルティン、作家志望のジョニー、喧嘩の強いマティアス、弱虫のウリ―、読書家のゼバスチャンの5人組が主人公だ。クリスマスを目前に控えた彼らの頭のなかは、クリスマス会で上演する劇「飛ぶ教室」の稽古と、クリスマスの帰省のことでいっぱい。だが、そんなある日、同級生のひとりが実業学校の生徒に拉致されたとの情報が入ってくる。5人は捕虜を奪還するべく、急いで動き出すのだったが…! いわゆる「ギムナジウムもの」らしく、本作でも、扱われているのは無垢な少年たちの傷つきやすさだと言っていいだろう。

  • 『若きウェルテルの悩み』/ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

    「日も月も星も依然としてその運行をつづけながら、私にとっては昼もなく夜もなくなり、全世界は身のまわりから姿を没した」というほど、ひとりの美しい少女に夢中になってしまった青年、ウェルテルの「悩み」を描いた物語。少女の名前はロッテ。ふたりは出会ってまもなく互いに惹かれ合うけれど、ロッテにはすでにアルベルトという許婚者がいた。ウェルテルは、叶わぬ恋とは知りながら、我が身をそこから引き剥がすことができず、ついには自死を選ぶまでに自らを追い詰めていってしまう…! 誰もが多少は身に覚えのあるような三角関係を扱った物語ではあるけれど、本作の特徴は、主題が「悩み」そのものである点だろう。ここには、恋の鞘当て的な駆け引きや、具体的な恋愛をめぐるアクションというのはほとんどない。作品全体の3分の2ほどが「ウェルテルが友人に宛てた手紙」によって占められていることもあって、文章の大半が彼の内面の吐露になっているのだ。

  • 『リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義』/渡辺靖

    リバタリアニズムについて全面的に同調できるかどうかはともかく、政治的・社会的課題は「お上がなんとかするもの」だとかんがえている日本人からは到底生まれそうにない思想だな、と感じさせられた一冊だった。個人の自由とは、自らの手で守り、勝ち取っていかなければならないものだ、というリバタリアン的な発想や行動ほど、明治維新以来ひたすら中央集権型で進んできた日本人からかけ離れているものもないだろう。「自由」ということの意味や価値をかんがえ直す意味でも、リバタリアニズムについて知ろうとすることは有用だろうとおもう。

  • 『世界の涯ての鼓動』

    去年、TOHOシネマズシャンテにて。生物数学者の女(アリシア・ヴィキャンデル)とMI-6の諜報員の男(ジェームズ・マカヴォイ)が、ノルマンディーの海辺にある小さなリゾートホテルで出会う。ふたりはそれぞれ、自らの信念を賭けた大きなミッションを数日後に控えていた。女の仕事は、潜水艇でグリーンランドの深海に潜り、地球の生命誕生の起源調査を行うこと。男の任務は、ソマリアのテロ組織に潜入し、爆弾テロを阻止すること。 男は職業柄、常に自らの死をどこかで予感しながら生きている。女は、深海という死の世界のなかから生の光を探そうとしている。それぞれが死と生のイメージを濃密にまとったふたりは、必然のように惹かれ合…

  • 『リンドグレーン』

    昨年末に、岩波ホールにて。ピッピやカッレくんを生み出した、スウェーデンの国民的な児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの伝記映画。原題は"Unga Astrid"(英題:"Becoming Astrid")なのだけれど、そのタイトルの通り、本作では、彼女が「リンドグレーン」になる以前の若かりし頃(10代〜20代前半)、「アストリッド」として自立するまでを描いている。

  • 『勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」』/梅原大吾

    格ゲーの世界チャンピオンであり、日本初のプロゲーマーでもある梅原大吾の自伝的エッセイ。ウメハラにとってゲームとは何か、そこで勝ち続けるためのかんがえ方、生き方とはいったいどんなものであるか、が書かれている。 ウメハラの思考法は、ゲーマーならではの超個性的なものかとおもいきや、決してそんなことはない。どちらかといえば、自己啓発本とかにもよく書かれているような内容だと言っていいだろう。ただ、ウメハラがゲームの世界においてひたすらにかんがえ、悩み続けることで、自らの内から答えをひねり出ししてきた、ということがはっきりと感じられる文章なので、もう言葉の説得力が本当に半端ないことになっている。

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