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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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魚沼市
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魚沼市
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2012/03/02

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  • 越後三山の夕焼けを高台から

    きれいな夕暮れが近づくと山の風景が見たくなる。越後三山の夕暮れです。距離は測ったことも無いけれど、我が家から3kmほどで牛ヶ首展望台に着きます。中央の左右の稜線がなだらかな山は「未丈ヶ岳」です。この山は、アプローチが長くて近づくのが困難な山。山の仲間と家内とで登っています。こちらの正面は巻機山です。ピークがいくつかあり巻機連峰とも。こちらも、家族4人と、当時の愛犬チロとで沢登りを敢行して登頂しています。我が家の方向を135mmの望遠を効かせて撮りました。右手の大きな建物が母校の小学校。我が家はその手前の尾根に隠れて見えない。越後駒ケ岳も夕日が当たる。深田久弥選の日本百名山に入っています。こうして、冬の晴れた日は朝日の昇る風景、そして夕暮れ見物とあわただしい。今日は待望の小学校へのお呼ばれの日でした。一枚前...越後三山の夕焼けを高台から

  • 連載311「サツマイモ先生」②(その2終わり)

    可愛いラブレター、いえ感謝のお手紙。サツマイモ先生②(その2終わり)一年目のサツマイモ栽培の時だったでしょうか、途中経過の観察を兼ねサツマイモの草取りに来たことがありました。せっかく山の畑に来たのに、何もないというのも寂しかろうと、ジャガイモを掘って見せ進呈したことから、次の年からはサツマイモとジャガイモを半々ずつ作ることになります。内訳はサツマイモが三種類、50本ずつで150本。ジャガイモも三種類をそれぞれ種芋で5キロずつの合計15キロを作ることになりました。両方とも出来は上々で、秋のサツマイモは収穫後、私が焼き芋釜持参で出張焼き芋屋をやって喜ばれました。たくさん採れたサツマイモは、寒さに弱くて保存も難しいことから、家に持ち帰ってもらう事にもなった。今でも、親たちに「サツマイモが甘くて美味しかった」など...連載311「サツマイモ先生」②(その2終わり)

  • 連載311「サツマイモ先生」②(その1)

    これは、ジャガイモ植えをする前かな、全員マスクだから一昨年でしょうか。嬉しい礼状が届きました。スベルべの一生の宝物です。一生の宝物とワクワクのご褒美(その1)先ず畑に出る前に、机上学習です。今までのサツマイモ作りの写真などを準備して、学校に行く。サツマイモ作りと聞き、珍しさに目を輝かせている子供たちに、サツマイモの伝来の歴史、青木昆陽さんの話、種類、作り方などを簡単に説明する。1、2年生には難しかったかもしれないが、山の畑は河岸段丘で成り立っていること。土が黒ぼく土というサツマイモ作りに適した土だという事などを説明した。サツマイモにはビタミンCが含まれていると説明すると、不思議そうな顔をしていた。その後子供たちから礼状が来たが、半年たっても「サツマイモにビタミンCがあるなんて驚きました」と書いた内容もあり...連載311「サツマイモ先生」②(その1)

  • 北帰行

    旧川口町と小千谷市の間、川口寄りに中越地震以降架けられた橋がある。その新しい橋、牛ケ島大橋に初めて行ってみました。橋の下流にカモが遊んでいる。そして、同じく下流方の川岸には白鳥の群れが見える。こんな、我が家からそうは遠くも無い、信濃川に白鳥の群れがいるなんて知らなかった。朝の日の出前の早い時刻だから、目覚めてエサを探しに飛び立つ前なのでしょうか。優雅な姿に似合わない、大声でガーガーと鳴き交わしていました。数10羽は居そうです。残念なことにレンズは135mmまでのズームレンズ。300mmの望遠を持参しなかったことを悔いました。でも鳴き声だけは大きく聞こえる。後日もう一度、白鳥をカメラに収めたくて、昼過ぎに行ってみました。その時は、信濃川の水量も多く、この半島のような岸辺は消滅し、群れもずうっと下流にいたので...北帰行

  • スキードー!

    先日、下の娘からスマホに動画が送られてきて驚いた。しかも、借用品だと思ったらなんと、中古品を手に入れたのだとか。スベルべもずっとあこがれていて、中古を探したりもしていました。気持ちも声も上ずって、「購入費用でも修理代でも一部負担するよ」なんて。先日、その娘婿がスベルべが紹介したオートバイ屋で修理。帰りには、我が家に卸して表の車庫で一時保管することになりました。かなり大きな車体ですが、車庫の後ろには農機具などもあるけれど納まりました。修理と言ったけれども、故障はしていなかったようです。トラブルというか使用条件でした。これは、DOSPEEDと言う製品名で、アメリカ製です。日本でも、ヤマハやカワサキが作っていたけれど、排ガス規制か何かで製造は中止した様子。本当に昔の話になりましたが、知己のオートバイ屋から借用し...スキードー!

  • 信濃川と魚野川の合流点からの越後三山

    風景写真にはまって以来、多くの写真家の作品を見る。信濃川周辺から撮影したものも多く、晴れの朝に出かけてみました。左に隠れて見えないけれど、魚野川が流れてきて、右の信濃川と合流します。かつて、高名な地質学者が太古の地殻変動がみられ、最高に好きな風景と語っていた。あの、中越地震でその言葉を思い出していました。震央はここから1km余りでしょう。ポイントと思われる地点に到着すると、三脚を立てた先客が見えた。しばらく待つと、越後三山は茜色に染まり始めました。正面の川が魚野川になります。再び、茜色に染まる巻機山方面を写す。右は先ほど説明したとおりの信濃川。発電所のために上流で取水していて水量は少ない。思った通り、ここから眺める越後三山は並びのバランスも良く最高!ただ、朝日が直接照らすことはなく、左、東方から登る太陽は...信濃川と魚野川の合流点からの越後三山

  • 朝日に輝く越後駒ケ岳

    越後駒ケ岳が朝日に浮かび輝き始めます。左横方向からの光です。駒ケ岳と名の付く山は全国にあります。甲斐駒ヶ岳が最も高く越後駒ケ岳は四番目です。深田久弥が選んだ、日本百名山に入っているのがこの越後駒ケ岳。三山のうちで、越後駒ケ岳を選んだのは「私があえて三山の代表として、駒ケ岳を挙げたのは、山としてこれが一番立派だからである」と記している。堂々たる山容ですね。牛ヶ首展望台からの撮影を終え、わき道にそれて帰宅する。こちら側は魚野川の右岸になります。ここでは越後三山は霧にかすんでいました。我が家の山の畑は霧の上になります。左奥に、駅前通りの我が家が見えますね。まだ、気温は氷点下です。越後三山は色々な場所から見えますが、我が家の付近からの姿はバランスが良い。そして、小千谷、越後川口方面から見ると山は遠くなるけれど、す...朝日に輝く越後駒ケ岳

  • 越後三山に陽が昇る

    朝起きて、SNSをアップして、表を見ると晴れの兆し。日の出に間に合うように、我が家から3kmほどの高台「牛ヶ首展望台」に向かう。稜線がなだらかで、左右均等な山「未丈が岳」の左が赤くなり始める。あの、山にも登りました。そこで、我が家から見える山々は全て登ったことになった。太陽が顔をのぞかせ始めました。こうなると、早くてたちまち山々は朝日に照らされ始めます。太陽は越後三山の裏を照らす位置になり、赤くはならない。ただ、空全体は赤く染まるので「春はあけぼの」の雰囲気が漂います。太陽が照らし、雲も染まり始めました。全体を写したくて、レンズを18mmから24mmほどの広角気味にする。なんだか、この頃は風景写真にはまってしまい、天候次第であちこちへ。今朝も晴れの兆しは無いけれど、降らないようだから望遠で白鳥の群れを写し...越後三山に陽が昇る

  • 春の兆し

    一週間ほど前だったかな。晴れて冷え込んだ朝でした。凍み渡りで朝の散歩に出て、ネコヤナギを取り、そして歩き続けました。すっかり春の雰囲気ですね。魚野川の右岸には、汚水処理場。魚野川のはるかかなたの山の上は木沢集落。降雪量が少ない上に、気温が高いものだから山肌も露出気味。なんだか、ゼンマイや独活などの山菜がいつ出ても不思議のない雰囲気です。魚野川の支流の大沢川のほとりに着きました。昇りきった太陽を反射して光る水面。春になると野鯉の産卵する光景が見られます。我が家が近づいてきました。凍った雪の表面がキラキラと光ります。ここからは越後三山の全景は見えなくなる。八海山が手前の山に隠れます。この頃は夫婦二人でよく散歩に出ます。冬の運動不足解消のためです。こんな風に歩くたびに、健康の有難さを感じます。スベルベママが健康...春の兆し

  • 凍み渡りとネコヤナギ

    パートが休みで、しかも天気が良いと朝が楽しみ。放射冷却現象により、雪の表面が固く凍り「凍み渡り」が出来るのです。朝食を終えて、二人で凍み渡りの散歩に出ました。魚野川の水も、なんだか暖かそうに見えてしまう。ネコヤナギも芽吹いた様子。川岸に餌を求めて歩いた動物たちの足跡。今年の冬は暖冬で、雪も少なくて動物たちにも過ごしやすい冬だったでしょう。スベルベママに頼まれて、ネコヤナギを2、3本折り取りました。季節の花木を飾るのもスベルベママの趣味。いつも花が飾られている我が家です。いつもの娘婿のおさがりの赤いパーカーを着たスベルベママ。思わず、ザ・ブームの歌の歌詞を思い浮かべる。「帰ろうかな」です。「雪帽子の猫柳寝ぼけ眼のウグイ春はまだかと待ちぼうけはるか遠いふるさと忘れちまったわらべ歌名もなき子守唄無いものねだりで...凍み渡りとネコヤナギ

  • イワシを造る(その2終わり)

    流水で洗い、残ったワタ、ウロコと血を洗い流す。洗い終えると、こんな風に仕上がります。もう血の色はありません。胴体部分から圧力鍋の底に並べる。中ほどに、尾部も並べました。でも、ボウルをかき回すと胴体だけで一段になるほどありました。胴体だけで一段目は終わり、上には尾部を載せる。これで、何匹だか分かるはずですが、30匹、いやもっとあったかな。並べたイワシの上に梅干しを載せます。つぶれて使いにくくなった、古い梅干しでした。臭み抜きに料理酒を注ぎ、味醂少々と醤油で味付けをしてコンロに掛け、タイマーをセット。まだ、真鱈が残っています。とても二人で食べきられる量ではありません。圧力鍋の火を調整してから、真鱈の切り身をもって長岡の娘に届けます。1時間半ほどで、長岡を往復しましたが、帰宅すると「イワシの梅煮」は出来上がって...イワシを造る(その2終わり)

  • イワシを造る(その1)

    昼食休みの後、少しまどろみ、イワシに手を付ける。刺身、ヌタも美味しく食べられそうですが、最近はやっていません。このために研いでおいた小出刃「鯵割き」を使います。頭を切り落とし、ワタを取ったら二つ切りにします。細かいヒレはキッチンハサミで切り落とす。本当は尾びれだって食べられるし、美味しいのですけれどもね。大き目のステンレスボウルに切っては入れ、切っては入れです。次いで、冷水で残ったワタやウロコを取り血を流す。切り口も生き生きとして見えます。こんなイワシは滅多に無いですね。(続く)イワシを造る(その1)

  • イワシを求めて寺泊(その3)

    真鱈を造ってもらっている間に、再び店内を見てすばらしい鰯を見つけた。新鮮でピカピカのウロコ、目、そして丸々と太った姿は最高ではありませんか。まだ、店内に持ち込まれたばかりで、皿に盛っていなかったのです。「一箱買うから安くならないか」と問うと「高くは出来ても安くは出来ない」なんて返事。もう少し言い方があるんじゃないかと、腹が立ってけれどもそこは我慢の言い値買い。何匹かと聞いたけれども、目方で仕入れるから分からないが40匹はあるとも。結局、買い物が重なってしまった感じで、真鱈とイワシの二箱に。二箱を積んで60kmの帰路をひた走り。途中で長岡の娘に届けようとするが、電話に出ず断念しました。帰宅して、まずはイワシの箱を開けます。期待にたがわぬ、見事なイワシ。ちなみに産地は石川でした。(続く)イワシを求めて寺泊(その3)

  • イワシを求めて寺泊(その2)

    フェイスブックにアップしたら60kmも走るのかと九州の人に笑われた。でもね、春になったら山菜が徒歩100mで採れるもんねー。ま、確かに寺泊は遠いし、魚もそれほど安くはない。豊洲からくるって噂もあるくらい。メバルとカナガシラには新潟と書かれた札。キンメは千葉と見えますね。奥のマトウダイと真ソイはどこで獲れたのかなー。好奇心は沸くけれど、食べたことの無い魚には手が出ない。これはほら、正真正銘の新潟さん。名前通りに甘いエビです。南蛮エビとも呼ぶのかな。ぬるぬるとした粘液にくるまれたゲンギョは本当の地場、寺泊産です。右のハタハタなんて鳥取産ね。ゲンギョは安いけれどもこれも手が出ません。(続く)イワシを求めて寺泊(その2)

  • 連載310「サツマイモ先生」(その2)

    すでに植え終えたジャガイモ畑に看板は建てられた。自分たちの学校が見えるポイントに案内。興奮した子供たちは応援歌を歌う。サツマイモ先生(その2)子供たちとサツマイモを植えた丁寧に説明して始めたが、そこは1、2年生。ほめながら植えさせたが、帰ってから見ると植え直しが必要な苗が多数。もっともこれは苗が不良品だったことにも一因がある。300本の注文にしては数が多いと感じたのだが、不良品のために数でカバーされたらしい。それでも頑張って植えた結果は満足だったらしく上気気味の顔色です。その畑は子供たちによって「しあわせ畑」と名付けられ、立派な看板さえ建てられた。植え終えて、山の端から小学校が一望にできるポイントに案内した。学校が見えると全員が大興奮。村の名前などを教えていると、一人が声を出した。「よしっ、応援歌だ」、小...連載310「サツマイモ先生」(その2)

  • 連載310「サツマイモ先生」(その1)

    事前に机上の勉強も済ませ、今日は実践。いつもは静かな山の畑に子供たちの元気な声が響き渡る。サツマイモ先生(その1)子供たちとサツマイモを植えた少し前の事だが、唐突にサツマイモ作りを教えてくれないかという話が舞い込んだ。ある人が小学校で校長と話して、児童たちにサツマイモ作りを教えたらどうかという話になったらしい。そこで、「サツマイモだったら利夫さんだろう」という流れになったという。小学校と打ち合わせると、1、2年生が300本植えたいのだという。畑を探したりしているうちに日は過ぎ、苗を探すにはやや遅すぎるタイミング。300本分の畝を作り、苗もなんとか手配できたと聞き一安心。小学校と打ち合わせると、1、2年生が300本植えたいのだという。畑を探したりしているうちに日は過ぎ、苗を探すにはやや遅すぎるタイミング。3...連載310「サツマイモ先生」(その1)

  • イワシを求めて寺泊(その1)

    何とも多忙な一日になってしまった。朝食前にスベルベママを誘って、日の出を見に山へ。日の出を見て満足し、帰宅して朝食の後、8時半には一人で寺泊へと走ったのです。なぜ、寺泊へかというと、ニュースを見て富山湾、佐渡島でイワシ大量のニュースを見たから。単純に、それでは寺泊の魚屋にはイワシが、安価に出ているのではないかという発想からです。ところが、何軒も回ってもイワシが見当たらない。有っても、千葉産の小さなイワシ。店員に尋ねると今日の入荷はないなんて言う。二回も繰り返し店舗を回り、一軒で見つけて躊躇していたら買い占められた。がっかりして、一軒の店で大きな真鱈を見つけて、鍋用に切り分けてもらう事にした。真鱈ですから大きいです。この左にあったメスの大きな真鱈を求めたのです。造るには15分時間をください。と言われて再び店...イワシを求めて寺泊(その1)

  • 紅ハナコ(転倒しながら下山・終わり)

    陽が沈み、越後三山は夕日に輝く。唐松山、檜岳も赤く染まり始めます。「ハ」の八海山です。西の山に陽が沈む。こうなると日没は一気呵成!日没とともに、急激に冷え込み足下が凍り始めました。ここに至るまでに、急坂で三回も転倒してしまった。腰をしたたかに打った。それでも、なんとか足下が見えるうちに駐車場まで帰着。誰も居ない、夕方の下山って、やはり少し寂しいですね。何はともあれきれいなハナコが見られました。(終わり)紅ハナコ(転倒しながら下山・終わり)

  • 紅ハナコ(夕日が沈み始めた)

    静かに夕暮れを迎える。遠く、山の上に見える集落は旧川口町の木沢です。遠く見える二つのピークは左が下権現で右は上権現堂山です。上の方が下よりも、標高で100m違うのだが同じような高さに見えてしまう。左の二つのピークが唐松山で、マックスを連れて登ったっけ。中央のピークは桧岳という。この山は奥の毛猛山からのルートしか無いらしい。そろそろ、陽が沈み始めました。期待していたほどの赤さにはならなそう。晴れるという条件だけでは赤くならないのか。望遠を135mm一杯に伸ばして越後駒ケ岳を写す。日本百名山に選ばれてあるだけの、堂々として貫禄のある姿です。(続く)紅ハナコ(夕日が沈み始めた)

  • 紅ハナコ(夕暮れを待つ)

    周辺を眺めながら日暮れを待ちます。何回も紹介していますが、ここ、大平には山で遭難死した友人の慰霊碑があります。135mmの望遠レンズを最大にして写す八海山。信仰の山でもあります。ハナコの「ハ」ですね。頂上はとがって見えますが、角度を変えると横に八つの山頂が並ぶ。中の岳です。ハナコの「ナ」ですね。どちらから縦走しても真ん中に位置し、三山のうちでは最も高い標高です。越後駒ケ岳です。ハナコの「コ」です。故作家の深田久弥が、選んだ日本百名山に入っていて名高い。でも、別の意味でも登山家には知られ、多くのクライマーが入った。それは、北アルプスの岸壁をしのぐ日本一とも言われる大岩壁の存在からです。陽が沈み始める前に、もう一度我が家の方向を振り返る。杉木立のかなたの右手に、わずかですが白い平らな部分が見え、そこが我が家の...紅ハナコ(夕暮れを待つ)

  • 紅ハナコを見に行く(山頂到着)

    軽く汗ばみつつも遊歩道の頂上到着です。本当に雪が少なく、途中の急坂では地面が出ている場所さえありました。旧堀之内町の中心街を見ます。遠くは、旧山古志村方面で、低い山並みが連なる。山頂の石碑に別れを告げ、次のピーク大平を目指す。左の杉木立が石碑のある、御嶽山の山頂。そこから右手の尾根を登ってきました。先を急ぎましょうか。杉林の左が大平です。そこまで行かないと、尾根や杉林に視界が遮られ越後三山は見えません。大平に到着です。眼前に越後三山は広がる。まずは越後駒ケ岳をアップ。2千メートル級の越後三山も雪は少ない。例年だともっと真っ白に光るのですが。(続く)紅ハナコを見に行く(山頂到着)

  • 紅ハナコを見に行く

    昨日は雲一つない快晴が一日続いた。越後三山の夕焼けが見たくて、パート終了後スベルベママの買い物を手伝い、その後支度を整えて15時過ぎに家を出た。スベルベママは寒くていやだというし、女性の友人は電話すると新潟にいるとのことで、一人で行く。下の駐車場には二台の車が止まっていたが、下ってくる女性二人とすれ違う。どうやら、後はスベルべだけになったらしい。ま、一人も気楽でよいかと登ります。オーバーペースになって汗をかいては、到着してから寒くなる。なるべく汗をかかないようにと、ブナ林の途中で息を入れ振り返って今来た道を写す。出会いの鐘に近づくと目指す、大平という越後三山が見えるポイントがある。向こうの山頂付近に見える杉林の左側あたりだから、ここはまだ中間点です。唐松山や檜岳は白く見えるが手前の低い尾根は地肌が見える。...紅ハナコを見に行く

  • とれとれニシンは焼き魚に

    白子でパンパンに腹の張るオスのニシン。腹が張っているからでも無いけれど、まさに春ニシンですね。他にも貴重な卵、カズノコ入りのメスもありましたが、まずはオスを食べます。「贅沢だけれど、どうしても一匹丸ごと食べたい」と言うのが、スベルベママの要望でした。この日の夕方は下の娘と孫が来宅して、一緒に夕食。可愛い茶碗にご飯を盛って食べますが、さすがに一匹は無理でした。大根、サトイモ、ニンジンとがんもどきの煮物です。こんな家庭料理はスベルべには無理で、主婦スベルベママの出番です。スベルベママはこのほかにもポテサラをササーっと作り手際の良さに娘はビックリ。何も手伝わずに出来上がった夕食でした。亭主は喜んで白ワイン。孫と会話しながらの夕食でした。とれとれニシンは焼き魚に

  • とれとれニシン!

    スベルベママの札幌在住の姉からニシンが送られてきました。義姉には漁師の娘さんがいて、獲れ立てを市場を経由せずに頂いたもの。早速捌きにかかるスベルベママです。プロも使うという、大きなまな板の出番。包丁も切れるプロ仕様。内臓も中骨もきれいに取り保存します。煮物、揚げ物と用途は広い。中骨も素揚げにして骨せんべいですよ。捨てるのは頭と尻尾のみ。昔はこの頭も、圧力鍋で煮て愛犬マックスの御馳走になっていましたが。スベルべの手伝いと言ったらラップを切って並べる程度。楽しみはもちろん、一匹丸ごとの焼き魚ですが冷凍保存は後の楽しみ。鮮度が悪いと、ウロコがボロボロと落ちるか、すでに落ちて裸状態。これは港へ揚がってから、中一日で我が家に到着ですから、鮮度抜群でウロコもびっしり。(続く)とれとれニシン!

  • 連載309「清々しい生き方」(その3終わり)

    (氏は「おかげ様」って、誰に向けた言葉ですか?と問われた)(これだけの年配者、知恵者が揃ってが正解は中々でなかった。皆さんはお判りですよね)清々しい生き方(その3終わり)「地域の皆さんにはお世話になっているから」と語られた。ただの吝嗇ではなく、お金に関する哲学も持って生きていたのだと思わされる。どんな経緯かある時代に富士山山麓に広い土地を買い求めたらしい。それが、三島市が買い取ることになり、かなりの金額を手にすることになり、その時代の居住していた市の長者番付にさえ載ったと言います。どんな人生を送っても、人間には寿命があります。最後は病院で迎えられたその銭湯の創業者は、入院中も淡々と過ごしていた。そして、ある日看護婦さんに水を求め、飲み干すと「グッドバイ」と言葉をかけて、息絶えたのだそうです。人生にも自分の...連載309「清々しい生き方」(その3終わり)

  • 連載309「清々しい生き方」(その2)

    (その大会で特別公演されたのが、元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫氏でした)清々しい生き方(その2)短時間に色々な話題が出たが、印象深かったのはご近所の銭湯の話だった。創業者は群馬のある町から、首都東京に近いこの町に出て、お金をためて銭湯を開業したという。こちら新潟からでも事情は似たようなもので、東京に出て成功したのは豆腐屋さんなどだった。その群馬出身の方は、経済的にもしっかりとした考え方をお持ちで、着物も息子さん夫婦が新しいものを揃えても、勿体ないとタンスにしまい込み、古くなったものを平気で着ておられたという。そして、なんと履物などは拾って来たような、左右の足で違うサンダルなども平気で履いていたというから驚きです。地域で、初めて夏祭りの企画が出来上がり、寄付金を集めに先ずその銭湯に役員が伺った...連載309「清々しい生き方」(その2)

  • 連載309「清々しい生き方」(その1)

    (民生児童委員を二期6年務めました。こんな大会にも出席)清々しい生き方(その1)相変わらず、政治と金の酷い話が続いているが、それと反対の話をおもいだした。久しぶりに従姉が御主人と弟を伴って来宅し、しばし歓談した際の事だ。従姉もそして、その連れ合いのご主人も辛かった子供時代の話は淡々とされる。従姉は早くに父上を病死で失い、叔母が4人の子供を抱え苦労して育てた。今のように福祉政策などが充実していない時代に、叔母がどれほど苦労して子育てをしたかは想像に難くない。子供たちは分散して育つしか方法がなく、今回訪問してくれた従姉は小学校から、中学校の一時代を我が家で一緒に過ごしたのだった。ご主人も90歳を越えられたというのに矍鑠としていて、戦時中の疎開の話などを淡々とされるのだった。短時間ではあるが久しぶりの出会いで話...連載309「清々しい生き方」(その1)

  • 昭和46年山村の暮らし

    スベルベママの友人の女性が一冊の本を持参して遊びに来られた。スベルべは仕事中で、帰宅して貸すと言って置いて行かれた本を見て驚く。撮影した直後に小冊子としてまとめられたが、中越地震後に再発行。「中越地震復興支援出版」とあるけれど、地震を機に日の目を見たという事でしょう。序文の「心やさしい人々が住む古志の村」がすべてを物語る。いえ、この古志の人々ばかりではなく、我が魚沼の人々も優しく暮らしていた時代。スベルべの子供時代の鳥追い行事もモノクロで紹介した記憶がある。これも同じに雪の穴の中です。炬燵の上では五目並べ、火鉢で焼く餅を吹く様も可愛い。買い物で町場に出かけることも難しい冬は行商が訪れた。母上の向こうに、少し顔をのぞかせているのは、本を貸して下さったご本人だという。これはモノクロ写真ですが、屋根の上で春の日...昭和46年山村の暮らし

  • 極上スイーツ!

    家内に新潟市在住の友人がお土産持参で来宅。「いつも同じものでごめんなさい」なんて言いながら包を差し出す。同じものでなどと、謙遜されるがいつ頂いてもうれしいスイーツ。こんな風に四種類。と思いきや、右の白四個は中の餡が違っているのです。中の餡が透き通って見えるかのようなデリケートさ。中の餡に工夫があり、甘い餡に加えて塩餡まで入ったものもあります。小さなオハギもまた美味しい。辛党を気取っていた若いころから、いつの間にか両刀遣いになったスベルべです。こちらが塩餡の入ったものですね。亡父が大の甘党で、でも味の分かる人で小豆と塩味の相性をいつも感心して食べていた。スベルべはかたくなに辛党を気取って若い頃は全く手を付けなかったスイーツ。やせ我慢していたわけでも無い。甘党の気持ちも、味覚も理解できるようになったのは単なる...極上スイーツ!

  • 奇祭「雪中花水祝い」は次の日曜日

    この絵は江戸時代の本「北越雪譜」の復古本に載っているイラストです。江戸時代から堀之内で行われていた奇祭とも言われた「雪中花水祝い」の場面。そんな奇祭の準主役とも言える村役としてスベルべが出たのは10数年前。還暦を迎えた年の事でした。祭りの直近になって、声をかけられて出ることになったのです。雪を積んで作られた祭壇で、祝詞を上げる神官たち。こちらは、本物ですよ。祭壇には男性のシンボルをかたどった御神体が見えます。日中はあの御神体を神輿に見立てて街中を練り歩く。そして、夜にはクライマックスの新婿への水かけが始まります。「婿は出ませぇ」です。そして、引き立てられて雪の上に座らせられた婿に水をかけるのです。何もやっかみで苛める訳では無く、子宝が授かるようにという願いだという。同い年の仲間たちのセンター、真後ろで水を...奇祭「雪中花水祝い」は次の日曜日

  • 昨日生まれた~♪(その2終わり)

    赤身を薄切りに切り分けます。うーん、二人分にしては多過ぎるかな。いや、一度に食べなくてもよいしね。こちらは脂身のついた部位。豚肉もそうですが、多少脂身もあった方が美味しくなりますね。大根主体で、ニンジン、ゴボウ、の根菜にこんにゃくです。青物野菜は煮崩れないように、ネギを最後に入れることにしましょう。ネギを入れる前に猪肉を入れて煮立てます。アクが浮いたので、お玉ですくいながら煮続けました。「今日は主菜を考えなくてすみうれしい」とはスベルベママ。喜んで、裁縫をする手を休めないので心配していたら、ササーっとポテサラを作ります。猪汁にはこれかなと、赤ワインを抜きました。狩猟後の処理、血抜きも上手な猟師さんで、拍子抜けするほど臭みも無い。これは、前日獲れたばかりの猪肉でしたが大きなブロックで残りは冷凍です。昨日も近...昨日生まれた~♪(その2終わり)

  • 昨日生まれた~♪

    キッチンには三種類ほどのまな板があります。これは常用する、小さなまな板の四枚セット。穴が開いていてこんな風に掛けておく。右側にはプラスチック製のオレンジ色のまな板。他にも木製の、塩鮭などを捌くための大きなまな板もキッチン引き出しの下部に。それぞれの小さなまな板には、肉・魚用、野菜用・果物用と手書きのイラスト。用途に応じて使いますが、昨日のまな板の出番は、肉・魚用。実は新鮮な猪肉が手に入ったのでした。なんと、前日に仕留めたばかりだという猪肉です。持って来て下さった女性は、冷凍する前にジビエ好きなスベルべに進呈しようと考えたらしい。昼前に頂いて、スベルベママには「今夜は猪汁」と伝えた。滅多に使わない、これも業物の包丁の切れ味も良い。刺身にしたいほどきれいに切れるのでした。この、猪を射止めた猟師さんは大ベテラン...昨日生まれた~♪

  • 節分の夜

    昨日は節分。昔は我が家も豆まきをしたけれども今は省略。冬仕事の裁縫にいそしむスベルベママに代わって亭主が買い物。宣伝チラシにつられて、恵方巻も食べたくての買い物。スーパーには色々な恵方巻が、たくさん並んでいましたが、その中の二本を選ぶ。マグロを二種類使ったものと、マグロと鯛の紅白としゃれたもの。我が家のあたりでは、昔は恵方巻など無かった。いつから入った習慣だっただろうか。恵方巻は二本に切って夫婦で仲良く半分ずつ。「昔はこんなものなかったのに、商戦に乗っちゃったね」と言いながら食べ始める。ついでに、これも節分の縁起物として売られていたイワシです。大ぶりな物を三尾買い、亭主が二本にスベルベママが一本ですね。付け合わせは温野菜でした。我が家産のカボチャにニンジン、と菊芋。そして買って来たスナップエンドウです。前...節分の夜

  • 一生役立つ料理術!

    週刊誌、新聞の書評欄には必ず目を通します。今回見つけたのは、「料理レシピ本大賞」のエッセイ賞を受賞したという本です。これだけマスターすれば、家庭料理は大丈夫。なんて、書かれるとこれは買ったみたいと思っちゃいますよね。私だけかもしれませんが。帯の裏側部分です。うーん、なんとなく納得できる言葉ですね。筆者は中国人ですよ。こんな10種類のシンプルなメニューです。実は今回購入したのは3冊でした。我が家と娘二人へのプレゼントです。スベルベママにはしばらく伏せておきました。こんな本をしょっちゅう買うものだから「とーちゃん、自分で作るの?」なんて皮肉られますから。でもね、娘と孫には見てもらいたい。そして、料理・食べ物の幅を広げてもらいたい思い。早速下の娘からは、メニューナンバー1番を作ったと連絡が入り、間もなく第2弾の...一生役立つ料理術!

  • 春一番フェア

    一昨日、1月31日は何年振りかに「春一番フェア」に行きました。勘違いで昨年も行ったかもしれません。でも、コロナ禍で何年かありせんでしたから。家内の都合に合わせて行ったので、到着は13時少し前。それでも、広い駐車場は満杯で、停めるところを探すのに苦労するほど。有名大手種苗メーカーのコーナーです。しかし、期待に反し、展示物、パンフレットはあるが肝心の種物は少ない。目立ったのは、こんな飲食店や食品コーナー。フェアと名付けたらこんなものなのかな。一種のお祭りですからね。実は毎回の事ですが、フェアに来る前にホームセンターを覗いています。価格的には、そちらの方が安価なのですよ。この会場では何点も買いませんでした。でも、年齢やら天候条件やらを考えて買いすぎないように自重していたのでしたが。結局二カ所を回って買った種は多...春一番フェア

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