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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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住所
魚沼市
出身
魚沼市
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2012/03/02

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  • 山と雪の風景

    先日、美術館に写真展を見に行く途中の風景です。今年は異例の小雪状態で、権現堂山も黒々として見えます。ここは、大力山という名前の山です。手前の木々は魚野川の堤防の桜並木。対比が面白くて撮った写真です。右手の高い山は越後三山のうちの越後駒ケ岳。中條カメラマンの写真集を見てからは、スベルベママも風景を見る目が変わった。良い風景だと思うと、「ここって、写真にどう?」なんて言う。スベルべももちろん異論無し。帰りにというスベルべに今ここでとスベルベママ。雲に隠れた越後三山と魚野川の川原です。車を進めてもう一カ所。川岸の木はニセアカシアや、柳の類でしょうか。同じポイントから、魚野川の下流方を見ます。左側の雪原には、餌になる魚でも探したのか、キツネらしき足跡。小雪だと、除雪に割く時間も少なくて済み、こんな風に出歩かれます...山と雪の風景

  • 連載308「独演歌謡ショー」(その3終わり)

    独演歌謡ショー(その3終わり)「流砂の護り」と言う立派な題名と歌詞が出てきましたよ。私が十八番としていた「流れ豊かな黒竜江の~」の歌詞は二番でした。1.男子度胸は鋼の味よ伊達にゃ下げない腰の剣抜けば最後だ命を賭けて指もささせぬこの護り2.流れ豊かな黒竜江の岸の繁みが我が住家水を鏡に鬚面剃れば満洲娘も一目惚れ3.可愛い背嚢の枕の傍に今朝はひらいた名無し草千里続いたこの流れ砂御国(くに)の光で花も咲く読めば読むほど、覚えれば覚えるほどに切ない、軍歌でした。亡父が口ずさんでいた歌がうろ覚えに、脳裏に残っていたのでしょうか。(終わり)連載308「独演歌謡ショー」(その3終わり)

  • 連載308「独演歌謡ショー」(その2)

    独演歌謡ショー(その2)いやー、誰も居ないって良いね。よしっ、十八番を歌ってみようかな。「流れ豊かな黒竜江の岸の繁みが我が棲み家水の鏡でひげ面剃れば満州娘が一目ぼれ」こんな歌詞が大好きで、いつ聞いて、いつ覚えたのかも全く分からないが大好きな歌の一つ。次は民謡かな、佐渡おけさと行きましょう。うーん、かなり体は温まってきました。民謡ついでに次は三階節といきましょうか。おっと、脱衣場に人影です。この辺りで独演ショーは終わりとしましょうか。便利な世の中です。この一節しか知らない「流れ豊かな~♪」の歌詞を調べてみました。満州馬賊の歌だと思っていたら大きな間違い、勘違い。(続く)連載308「独演歌謡ショー」(その2)

  • 連載308「独演歌謡ショー」(その1)

    独演歌謡ショー(その1)めったに恵まれることのないチャンスだが、僥倖に恵まれる事もあるのも人生。そんなチャンスの一つに、広い温泉の風呂を独り占めにすることがある。人の目を気にすることも無い。前も隠さずに、そそくさと前を洗い、体にお湯をかけてザンブとばかりに広い湯舟を独り占め。うーん、皆さんはどうでしょうか。こんなチャンスって滅多にないじゃないですか。歌です歌。多少音程が狂う、歌いだしのキーが違ってもなぁにすぐに修正、歌い出しに戻って再び歌い出したら良いのですから。さて、私の場合の歌です。どこでどう覚えたのかは思い出せもしないけれど、ま、口幅ったいけれどレパートリーは広いと、こっそりと自認。さて、何から歌いましょうか。先ずは今風に(でもないか)島唄と行きましょうか。初めて聞いた島唄って結構魂を揺さぶられまし...連載308「独演歌謡ショー」(その1)

  • コロッケと鬼と

    孫の世話を頼まれたスベルベママはコロッケで夕食準備。沢山のコロッケを作り、余った小麦粉で芋天とレンコンを揚げる。出かけ先で、ひき肉を買ったついでに節分が近いと出ていたコイワシも。こんなメザシも好物で、いつも頭から尻尾まで全部食べるスベルべです。孫には別の飲み物ですが、スベルべジーさんは赤ワイン。コロッケと赤ワインなんて、組み合わせもこれはこれで乙な物です。スベルベママは買い物ついでに目についた鬼の面を持ち帰った。節分が近いという事で、メザシや豆類も特売で売り出していたようです。鬼の面を付けて上機嫌の孫です。節分の豆まきまで、鬼の面は取っておきましょう。その時面を付けるのはジーさんかな。コロッケと鬼と

  • 魚沼ベストショット展

    一昨日は買い物を兼ねて、浦佐の池田記念美術館を訪れました。魚沼ベストショット展という写真展を見たかったからです。行くまで知りませんでしたが、こんな催しも同時開催。だまし絵というか、鏡と生き物などのフィギュアが織りなす錯覚の世界です。知り合いの作品もありましたが、展示は二室でかなりの作品数。こうして、多くの作品を見ていたら、きっと自分の写真にもヒントになるのかと思っての観覧です。作品をじっと見つめるのはスベルベママです。スベルべの写真を見たり、高名な中條均紀氏の作品を見ていて辛口の批評です。美術館脇の池にはいつもカモが群れています。番、夫婦なのでしょうか。時には追いかけっこをしたりしながら泳いでいました。そんな、カモたちの姿を見ながら、併設のカフェでコーヒーを頂きます。絵画展を見に行ったり、写真展を見に行っ...魚沼ベストショット展

  • 雪の上の足跡は誰?(4終わり)

    帰り道は迷ったけれども、堤防の上がった場所より上手まで歩く隣りの集落近くになってきましたが、動物たちの足跡は増えるばかり。おー、足跡は派手に交錯していますね。移動にタイムラグはあるのかもしれないけれど、一緒だったらラッシュアワーです。運動会が開催されたのか、それとも何かの決起集会か。雪が降らず、気温も高いから良いですけれども、これが吹雪いたら大変ですよ。春を思わせるかのような穏やかな日です。この水田の上にも堤防から集落方面へと続く足跡が見える。畑のある、山の中腹にも霧が残っていました。ポチンと緑の屋根の我が家も見えて、雲間からさす陽の光に輝いています。散歩は水田の中の農道は嫌って、隣の集落まで歩き、市道に出ました。こうして、思い立っては雪の中でも歩いています。冬の間に体力を落とさないように。(終わり)雪の上の足跡は誰?(4終わり)

  • 雪の上の足跡は誰?(3)

    スベルベママの「堤防の舗装の上を歩きたい」という要望もあっての散歩。堤防に上がった見ましたが、残念ながら雪は解けてはいない。積雪は15cmくらいかな。堤防の内側の魚野川の本流近くまで続く足跡。魚野川の流れも天候と同じく穏やかな流れに見えます。私たちの影に驚いたのか、カモかな9羽ですね。白鳥こそ見えないけれど、水鳥の種類は多く野鳥の天国でもあるようです。私たちの住む集落を望みます。ここでも、動物たちの足跡は堤防から集落方向へと伸びていますね。動物たちの足跡が交錯しています。同時期に移動したのだったら、もめ事にもなりそうなほど接近した足跡です。(続く)雪の上の足跡は誰?(3)

  • 雪の上の足跡は誰?(2)

    青空ものぞき始める。今年は雪が少ないですねー。本来ならば、最も積雪の増える時期なのですがね。動物の足跡も深く見えるが、下のアスファルト舗装も見える。餌に見えたのかな、足取りを緩め、雪の上の枯葉を覗き込んだようです。この足跡の持ち主は誰なんでしようか。ほぼ、直線に見えてキツネだと思われますが、一種類ではありませんね。でも、何を急いだのか少し飛び跳ねたようにも見えます。遊び呆けていて、急に夜明けが迫り巣に帰るのを急いだのでしょうか。飛ぶように走った足跡は、魚野川に向かっています。動物たちの足跡は、想像力を掻き立ててくれる嬉しい痕跡です。(続く)雪の上の足跡は誰?(2)

  • 雪の上の足跡は誰?(1)

    陽の光は強くないけれども、暖かくて穏やかな朝。国道を横断し、魚野川の支流大沢川に差し掛かると、堤防の上に動物の跡。橋の上からカメラを構えると自分の影も映る。動物たちは川岸まで続く。魚なども餌にしたいのでしょうね。日当たりは強くないと言いましたが、雲間から光が差し始めます。カモたちも多いのだけれども、猟師の銃弾を避けて上流の国道近くに群れています。ここから見て最も上流の国道との並行ヶ所がカモのたまり場。車窓から見ると、岸辺の枯草の上でのんびりと日光浴をしている姿が見られます。さて、魚野川の堤防方面に向かいましょう。移動の方向は、こちら大沢川から魚野川方面でしょうか。点々と続く足跡です。(続く)雪の上の足跡は誰?(1)

  • 新年のサンドコンサート(その2持ってる女)

    席を確保してから、パンフレットを探しに行ったり写真を撮ったり。入場口、玄関方向を振り返りますが、お客は次々と入り、今回も満員の盛況。演奏前10分頃には和服を着たしとやかな女性奏者が琴を携えて入場。琴の位置、音程などをチェックして再び控室へと引き上げて行かれました。静かに一曲目の演奏に入り、終えてから演目の説明です。琴の歴史など説明してくださいます。宮城道雄さん作曲の「春の海」は分かります。休憩タイムに二階の回廊に上がり、失礼して俯瞰写真を一枚。入場者数は、過去最高と言われた先回12月のクリスマスジャズの際と同じくらいか。後半も終わり、リクエストの一局の演奏後には12月に続き抽選大会。「今度は私にきそう」なんて言うスベルベママ。まさかと聞き流していたら、なんと特等賞でした。年末のクリスマスジャズの際の抽選は...新年のサンドコンサート(その2持ってる女)

  • 新年のサンドコンサート(その1)

    昨日は朝日山酒造を会場として開催されるコンサートに行って来ました。第三土曜日に開催することから「サンドコンサート」と名付けられています。昨年12月に、久しぶりに訪れたのでしたが、それに次ぐ新年第一回です。大きな酒蔵、工場ですが近代的な建物の玄関には伝統の「酒林」か釣られていました。12月に購入していた、前売り券です。5枚セットを購入していて、それは4千円で一枚当たり800円です。2時間近い生演奏をそんな価格で聴けるなんて、幸せなことと思います。半券の右上のナンバーをご覧ください。通し番号が後の抽選の際に役立ちます。吹き抜けの長いエントランスホールが会場。左側は、瓶詰の行程が行われる工場で、右側は事務室になっています。今回は新春という事で「春を呼ぶ和楽器の調べ」が演目。和楽器、「琴」が主体ですが、後半はフル...新年のサンドコンサート(その1)

  • 地吹雪に散歩する(2)

    魚野川の支流大沢川にシラサギが一羽。強風を避けるかのように、川底に居て餌を探していました。この道路は市道17号線と言います。交通量に比して幅員が広すぎる。道路改良時に広すぎると反対したのはスベルべだけでした。今になって、やはり広過ぎたと後悔を口にする人も多くなったのですが。なんてことを思い出していたら、上越線の小型ロータリー除雪車が下っていきました。現役時代には、只見線の除雪に監督として良く乗っていました。下る際は前頭部がラッセルの役割をする。先端の突起は雪の壁を崩す際に使用します。森閑とした山の風景。雪がもう少しつもり、そして晴れたらスノーシューを履き上ってみましょうか。先ほどの小型ロータリー除雪車は上り線を反対に下って行ったのです。次には下り電車が勢いよく来ました。左側後部は巻き上げた雪で白く見えます...地吹雪に散歩する(2)

  • 地吹雪に散歩する(1)

    寒波襲来で大雪警報が出ていました。でも、表は吹雪の地吹雪状態。こんな日は雪は降っても積もりません。それでも、家の中でこたつに入ってばかりいては運動不足になる。スベルベママに誘われて、吹きまくる地吹雪の中を散歩に出かけました。吹雪の中の散歩も、これまた風流ってものですよ。歩くところは歩道で、車道とは縁石で区切られているが見えませんね。そして、歩道は専用の歩道除雪小型ロータリー除雪車で除雪済み。大きく手を振り、足早に歩くスベルベママ。早く歩かないと寒くなりますからね。この付近は家並みが途切れるところで水田です。格好の雪捨て場となり、ロータリー除雪車で投げた雪が山になっています。(続く)地吹雪に散歩する(1)

  • 凍えた朝(2終わり)

    放射冷却現象になるわけですね。快晴とは言えないけれど青空も見える。奇麗に舗装面が出た駅前の駐車場です。無料のために20台を超える自家用車が間もなく並びます。駐車場の雪はグレーダーで集められ、そしてロータリー除雪車で飛ばす。飛ばした先には、手前のような大きな雪の山が出来ますが、今年はまだ小さいですね。青空と山の斜面の木々。冷えたために、雪は落ちずに凍り付いています。杉の木に朝日が当たり始めて輝く。昨年は杉の実の付き方が少なく、今年は花粉症も軽くて済むのではないかという観測です。やがて、気温も上がってくることでしょう。午後になり、勤務から解放されたら家の後ろの雪を片付けましょう。こうして、雪や雨と晴れの日を繰り返しながら冬は過ぎゆく。もう二か月もしたら、雪も上がり気温が上昇し春になる。もう少しの我慢です。(終...凍えた朝(2終わり)

  • 凍えた朝(1)

    三寒四温でも無く、三寒一温、程の割合で晴れの日が混じる日々。前日の雪も夜半には上がり、東の山の端には登る太陽が見えるような朝です。雪が少ない。スキー場や、除雪作業従事員のことも有るから難しい。皆さんには、喜ぶべき小雪ですが夏の間の水不足さえ懸念される状態です。アップすると、越後駒ケ岳の左肩の後方に荒沢岳が見えます。冬期間はなかなか目にすることのできない、山で奥只見湖の近くから登ることが出来る。前日からの雪が残り、ホーム上には15cm程の積雪。小型除雪ロータリー除雪機を使って除雪して、きれいになりました。こちらは東京方ですね。除雪機が凍って投雪装置が動かず困りました。例年だと、線路の両側に雪の壁が出来たりするのだが、今年はそんな兆候はありません。(続く)凍えた朝(1)

  • 健康な幸せを噛みしめて

    堀之内遊歩道の話が、途中で終わっていました。御岳山の山頂、石碑に到着し祈るスベルベママです。何を願ったのでしょうか。なお、この数百キロはあろうかという石碑は昭和8年に建てられています。この年の大雪の残雪を利用して、大きな木のソリに乗せて、何10人もの力で沢を登らせたとか。この山頂から50mほど行くと小さなピークがあり、登って来たコースが良く見える。もう遅い時刻で、登ってくる人は居ないと思ったのに、3人の登山者の姿が見え始めたのでした。杉林の左端が大平という場所で、微かに東屋も見える。あそこには、越後三山縦走中に遭難転落死した友人の慰霊碑を兼ねた方位盤があります。山頂で、後から登って来た三人の女性と話を交わす。スマホのシャッターを頼まれて、写して上げて喜んでいただきました。スベルべと同じか、もう少し若いグル...健康な幸せを噛みしめて

  • 鳥追いだ鳥追いだ~♪

    日付の記録は無いけれど、1月か2月ころでしょうか。昔の我が家ですが、一階部分が屋根から下した雪でほぼ埋まっています。降雪量も今よりは多かったし、消雪設備など無かったから出来た遊び。屋根から下した雪が、溜まったところなどに雪洞を作り鳥追いをしていました。服装や、人物を見ると今から60年以上も前ですね。写真の中の何人かは、故人になりました。「魚沼の鳥追い歌」鳥追いだ鳥追いだだんなどんの鳥追いだ何処から何処まで追ってった信濃の国まで追ってった何を持って追ってった柴(しば)を振り振り追ってったじーばん鳥もしーばん鳥も立ち上がりゃほーいほい懐かしい、鳥追い歌がかすかに聞こえてきました。昔、子供たちだけで準備をして行った行事「鳥追い」は姿が変わってしまった。親、大人と子供のとの関わり合いは、伝統行事にもその変容が伝わ...鳥追いだ鳥追いだ~♪

  • 連載306「SNS中毒シンドローム」(その3終わり)

    SNS中毒シンドローム(その3終わり)登録者同士でのコメントのやり取りなど、ブログ友達も増えるばかり。そのサイト「リログ」は、何となくアットホーム的な雰囲気もあり、ほぼ毎日記事をアップをするのが習慣となった。そして、ついにはそのサイト「リログ」の立ち上げに尽力した人物との交流も始まり、自宅への訪問を受けて、大湯温泉で親交を温めるほどの中になった。なんと、それは美人の母上と娘さんと言う思いもしなかった人たちでもあったのでしたが。やがて、どんな事情なのか「リログ」は閉鎖されることになり、登録していたブロガーは新たなサイトを探して右往左往する状態に陥った。私は登録数も多く、しかも無料の「goo(グー)」に無事に移行することが出来たのだった。初めてブログを開設して以来、12~3年は経過したでしょう。その後は、ある...連載306「SNS中毒シンドローム」(その3終わり)

  • 白きたおやかな峰々

    故、北杜夫さんの作品に有った題名です。あれはヒマラヤが舞台ですから、スケールは違うけれども、これも同じかな。望遠効果を効かせると、我が家から良く見える山の上の集落もくっきりと。旧川口町、今の長岡市川口木沢地域です。標高は優に200mを越える高さですね。遠く、河岸段丘で成り立っている山の上の平地が見える。あの、平地に見える右隅が我が家の山の上の畑になります。感慨を覚えます。奥に細く見える川は破間川でしょうか。あの川もかつては、水生昆虫などの自然も豊かな清流で鮎も魚野川とは形が違う魚体を見せていました。旧堀之内町市街ですね。手前の大きな薄緑の屋根は堀之内高校の体育館でしょうか。昔、スベルべが通った町立中学校は遠く、魚野川河畔に見える緑の屋根の場所に移転されました。(続く)白きたおやかな峰々

  • 連載306「SNS中毒シンドローム」(その2)

    SNS中毒シンドローム(その2)かく言う私も、いまやすっかりSNS中毒状態と言っても良いような日々を送っている。きっかけはブログだった。退職ブルーで落ち込み、鬱屈した日々を送っていた。その状態が、霞が晴れるように薄くなってきたタイミングでブログに出会ったのでした。愛読していた雑誌「サライ」に「あなたもブログを始めませんか」と言うような特集記事が掲載された。いくつかのサイトの紹介があったが、取り組みやすく、会員も多くてしかも無料と言うサイト「リログ」を見つけて、登録することにした。後で知ったのだが、そのサイト「リログ」は大手印刷会社の「凸版印刷」が文化事業の一旦として、開いたサイトであった。登録名は当時はまり始めた畑仕事から「畑に吹く風」に決める。そして、ブログ上では本名は名乗らず、ハンドルネームと呼ぶ仮の...連載306「SNS中毒シンドローム」(その2)

  • 元気に歩けました

    木々の間から白く輝く越後三山が見えます。先行して心配をしたスベルベママも、足取りが重くなることも無く登り続ける。冬期間は登る人のいない、月岡公園コースとの出会いに着く。そこから見上げる、御岳山の頂上方向。上の峰に着くにはもう一か所の急坂です。ここまでくると視界も広がりますが、やはり雪の少なさが目立つ。積雪は30cm程度なのでしょうね。コースの中も急坂は土が出ていたりしました。ここが、二つのコースの合流点で出会いの鐘です。手前側には鐘が吊るされていて、登山者はカンカンと打ち鳴らします。ここには外してしまわなかったベンチがあり、腰かけてレンズを望遠に交換。拡大してみる、越後三山のうちの日本百名山の一つ、越後駒ケ岳です。どっしりとした山容ですね。(続く)元気に歩けました

  • 連載306「SNS中毒シンドローム」(その1)

    SNS中毒シンドローム(その1)この度の能登半島地震には本当にびっくりしました。被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。さて、SNSによって、誰もが簡単に情報を発信できる社会になった。ともすれば、空疎になりがちだった社会に、新たな人間同士の結びつきを生み出してさえいる。ただ、その匿名性は危険性もはらみ、無責任な登高によって傷つき、命さえ奪われかねない危険な状況が生まれているのも、事実である。インターネットの世界にはありとあらゆる情報が溢れ、危険な範疇に分類にさえ区分される場合も少なくない。まだ、SNSは成長過程で、成熟し誰しもが安全、安心して使える時代はもう少し先になりそう。(続く)連載306「SNS中毒シンドローム」(その1)

  • 歩ける幸せ

    昨日は昼食時に「午後から何か用はある?」なんてスベルベママ。特に用事は無いと答えると、晴れているから遊歩道はどうかという事でした。パートの勤務終了後、身支度を整えて出発。登山口にあたる、駐車場には数台の車があり、先行者も何人かいる模様でした。今年は雪が少ない。しばらくブナ林を登ると視界が開けてくる。左奥の双耳峰は夫婦でマックスを連れて登ったことのある唐松山です。カメラを広角気味にして手前の山々を中心に撮影。地肌が出ていて、雪が少ない状況がよくわかる一枚。右奥に越後三山も見えます。越後三山が良く見えますが、ここからだと右の八海山は手前の尾根の陰になる。右の峰の奥が通称「大平」と呼ばれるピークで、越後三山全体が良く見える場所です。でも、久しぶりに歩く堀之内遊歩道だから、あそこまでは無理かな。手前の御岳山の石碑...歩ける幸せ

  • 柿とカラスと

    雪降り前には柿に目もくれなかったカラス。さすがに、雪が降り地面が白くなったら餌が無くなったらしい。寒い朝に柿の木にカラスが群れていたので望遠レンズをセット。望遠レンズだと、三脚を使わないとブレてしまうのかな。やや不鮮明です。誰から貰ったのか、いつ貰ったのかも思い出せない望遠レンズ。昨年購入したカメラには、付けられなかったのでしたが、アタッチメント購入で解決。カラスたちは美味しいのか、食べる際にうるさく鳴く。それとも、美味しいからと仲間を呼ぶのでしょうか。他にも10羽以上も近くにいます。これは雪降り前に移した柿木です。何時植えたのかも、そして種類さえ忘れた柿だが結構おいしい甘柿でした。まだ、初雪で雪が少なかったときは、動物の足跡も沢山見えた。地面に落ちた柿を食べに来たのは、足跡から判断するとタヌキのようです...柿とカラスと

  • 冬晴れにカメラをチェック

    昨日の朝は放射冷却現象でマイナス5度くらいまで冷えた。勤務で、ホームの前日の積雪の残りを除雪し、朝食を食べ終えて写真撮影です。陽が昇る直前で、山の端が赤く染まり始める。まだ、季節としては早いけれども「春はあけぼの」を彷彿させるような雰囲気です。陽が昇る南南東の反対方向、北西方向にカメラを向けました。薄く霧がかかり、やはり空は茜色に染まりつつある。電柱が無かったらよい風景ですが。我が家の畑がある山の方向です。樹氷というか、霧氷というか杉の木も雑木も雪と氷で白く輝く。今年は長期予報通り、降雪量は少ないのでしょうか。一昨日から昨日にかけて、大雪警報が発令されていましたが30cmを少し超えただけ。こんな状況で、一般の暮らしは楽で良いけれど、スキー場は困っているらしい。中高生のスキー大会も、中止や延期が報じられてい...冬晴れにカメラをチェック

  • 冬晴れ

    珍しく日が当たった日の午後でした。「暖かな堤防を散歩したい」と誘われ、二人で雪の中を歩いて堤防へと急ぐ。陽を浴びた越後三山が雪で白く輝いています。早くも日陰が迫ってきました。山裾に近い我が家は五個2時を過ぎると日陰に入るのです。雪国の人間は地面が恋しいものなのです。我が家から離れた堤防は、日当たりも良くて雪が溶け舗装が出ている。向こうの橋は宇賀地橋です。昭和30年代に初めて橋が架かり、それまでは渡し舟でした。最初の木橋は伊勢湾台風で、落ちて復旧までに渡し舟が再登場していましたね。日影がみるみる広がります。水田はまだ雪に覆われていますが、積雪は20センチ程度でしょうか。宇賀地橋のたもとにある老健施設まで歩きました。ここには昔、スベルべが第二回の卒業生になった小学校がありました。それが、数100m離れた場所に...冬晴れ

  • 新潟銘酒揃い踏み

    正月用にと、スベルべが買いそろえた日本酒です。「越の三梅」と言えば、越乃寒梅、雪中梅、峰乃白梅ですが、峰乃白梅に代えて八海山です。上越地区の丸山酒造のお酒で、地域柄こちらでは中々手に入らない。流通系の関係でしょうが、市内の酒専門の大型店には置いてあり嬉しい。ご存じ、新潟の端麗辛口の存在を世に知らしめた越乃寒梅。初めて口にしたのは、40年以上も前ですが、衝撃的な味でしたね。八海山も、端麗辛口として寒梅に次いで有名になりましたね。昔は甘味料を使った酒が全盛期のころ、地元の人たちは辛いと言って馬鹿にしていたとか。田舎生まれ、田舎育ちのスベルべ夫婦は野菜が好きです。肉じゃがにも、我が家の野菜がすべて使われている。あれっ、菊芋が無いぞ。スベルベママが良く作る「切昆布煮」で、打ち豆が入ります。これに、魚の干物が着いた...新潟銘酒揃い踏み

  • あの日から

    中越地震から5年後に記念誌が発行された。「あの日から」と題されたこの冊子には、市内各地の被災状況が詳しく紹介されていた。地震体験の募集は地震から3か月後には始まっていました。市内では27名の応募があり、スベルベは掲載者7名のうちに選ばれて体験記が載りました。生々しい家屋の被害上は紹介しませんが、線路の状況をお見せしましょう。中越地震には「激震ゾーン」と後に呼ばれた、震度の強かった場所が存在しました。このトンネルの100mほど東京方から、500mほどの巾でした。何年も後に気付きましたが、太古の昔の海岸線だったのではないかと推察します。巨大な複線トンネルの1スパンが40cmも動いてしまっています。トンネル入り口から最初の場所であり、土かぶりも薄いので天井から空が見えるようになっていました。元の線の形状が分から...あの日から

  • 能登半島に支援を

    能登半島地震の救助作業が遅延しているように感じられる。我が地域が中越地震に遭ったのは20年も前の事になってしまった。激しい余震が続き、家の中には入ることなどできなかった。しかも、山が崩れるという情報(出所不明)で道路上に避難を余儀なくされた。本震発生時に、高床式住宅の地下から階段を上がっていたスベルベママは転落。尾骨骨折で、内出血も酷かったがすぐには病院に行くことも出来なかった。電源など復旧するめども立たず、冷蔵庫の中をすぐ食べることに。北海道から、生の鮭が届いたばかりで、それを持ち出して皆様に振舞った。二晩は自動車の中で過ごし、三日目は集落センターに。ピロティ部分に敷物を敷き、テーブルを並べて臨時の食堂にしていました。我が家は最初の震源地から直線で3キロほどの位置。震度7と6の間あたりにあり、震度は6強...能登半島に支援を

  • 二人展

    昨日、4日から魚沼市伊米ヶ崎公民館で二人展が始まりました。二人ともスベルべと同年齢で、ともに絵画集団「白象会」に所属しています。こじんまりした展示室ですが、工夫された照明で鑑賞には最適。二人展という事で、展示室の左右に丁度半分ずつ作品は展示されています。こちらの油彩はスベルべの中学校時代の同級生でもあります。高校卒業後は、東京で絵画の勉強もされていて独特のタッチは目立ちます。こちらは、先の彼とは高校で同級生だったとか。定年退職後に絵画を始められたというが、水彩画とは思えないタッチ。昨年スベルベが何回も通った、枝折峠の滝雲です。あの滝雲も彼の手に掛かると、写真とは一味も二味も違う作品になります。こちらの水彩画は白象会会員が好んで描く、越後三山の八海山です。白象会展を見に行き、水彩画とは思えない表現力の深さに...二人展

  • 新年の茶話会

    二日の午後はスベルベママの弟家族が来宅。食事後間もない時刻での来宅だから、お茶会でスイーツを揃える。我が家自慢の山菜料理なども並ぶ。弟家族も二人の子供がそれぞれ家庭を持ち、孫もめでたく誕生しています。そこで話題になるのが辻占いせんべい。通称「つじうら」ですが、この占いがなかなか面白い。スベルべ夫婦の最初に割ったせんべいの中身です。大吉はスベルベママで吉はスベルべですが、意味深ですね。吉ではあるけれど、この言葉は嬉しいですね。なんだか最近は絶好調とはいかぬまでも確かに好調が続いています。たわいも無い遊びですが、妙にその人にぴったりの言葉が出てくる。二つ三つと続けるものでもなさそう。徐々に不調になったりしますからね。新年の茶話会

  • おせちが食べたい

    小学生になったばかりの孫が、学校で「おせち食べたことが無い」といったとか。娘は、毎年食べさせているのにと嘆く。どうも孫は「おせち」って言う特別な料理と思っていたらしい。元旦に珍しく電車で挨拶に来るというので、スベルベママが子供用におせちを揃える。大晦日の料理と似ているけれど、茶巾絞りにラムレーズンは使わない子供仕様です。しかも、女の孫用と男の孫用に微妙に変えてある。盛り付けたプレート、お盆は漆の朱塗りの目出度いものです。独活の塩漬けとワラビの塩漬けは、母親である娘用かな。珍しく自動車の運転はしなくても良い娘には、ワインを進呈しました。そして、小さなお握りと友人の打った蕎麦が主食です。「どう、これもおせち料理だよ」とスベルベママが孫に説明する。ようやく納得した様子の孫です。「美味しい」と言いながら完食。クリ...おせちが食べたい

  • 能登地震が心配です

    昨日、元旦は上の娘が子供たちと電車で新年のあいさつに来宅。5人でにぎやかに昼食を摂り、再び電車で帰るのを見送り、夫婦で散歩。散歩の帰り際、我が家まで200メートルほどのところで、大きな揺れに気付く。電柱が揺れ、電線も波打つ。空を見上げるとねぐらに帰るカラスの姿もいつもと違う。やや暗くなり始めて、写真はぶれてしまったが、山肌に異常は見えない。中越地震の際は、山肌は崩れた。今回は雪も落ちず震度は4くらいと判断した。市の災害無線は震度6弱と告げているが、中越地震の経験からの判断です。速足で帰宅して、テレビをつけてニュースを見る。やはり、魚沼市の震度は4だった。平成16年(2014年)にオートバイで能登半島を一周した。奇麗な棚田が見えたのでしたが、地震で崩れなかったか心配です。半周した狼煙(のろし)という地区の民...能登地震が心配です

  • 渾身の年越し料理

    皆様今年もよろしくお願い致します。服喪中のため年賀の挨拶は致しません。昨夜は静かな夫婦二人の年越しになりました。スベルベママが朝から渾身の力を込めて料理作りでした。漆器の盆に盛り付けられた手作り料理です。先の一枚と少し違っています。凝って演出を凝らして、手前の練り物の色合いを変えてあります。スベルべが採って塩漬けにしていたワラビです。太くて柔らかくて、一級品。味付けも上々でした。新巻鮭を切った際にスベルべが切り取っていた氷頭を使ったなます。どれも薄味で美味しい。スベルベママも病後の体力も回復していますね。さすがに夕方近くなったら疲れた様子は見せていました。子供たちもそれぞれ家庭を持ち、別々で年を越すことも良い事です。(続く)渾身の年越し料理

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