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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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住所
魚沼市
出身
魚沼市
ブログ村参加

2012/03/02

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  • ハイキング帰りの夕食

    六万騎山から帰り、この夜は我が家に泊まる友人と越後川口温泉へと直行。汗を流した後は、早速夕食。家スベルベママは久しぶりに我が家に泊まる友人に大張り切り。数多くの食べ物が並んだけれど、一応これがメーンプレートか。自家製鶏ハム、ゴボウのから揚げ、餃子の皮で納豆を巻いたもの、鮭のフライ。木の芽は、スベルベママの料理中に、友人の女性を伴い採って来たもの。久しぶりの山菜採り、木の芽摘みにはしゃぐ彼女でした。自分で採って食べるのも格別。ご存知、「コゴメ」は前日スベルベ採ったもの。スベルベママの友人と、山の畑の脇で採った「山ニンジンの葉」。「しゃく」と呼ばれる植物の若葉ですが、葉は形も香りもニンジンそのもの。主食のパンもスベルベママが焼いたヨモギパンです。ハイキングと、温泉で汗をかいたと、まずはビールで乾杯。そして、そ...ハイキング帰りの夕食

  • 再び六万騎山に行く(その2終わり)

    これが花盛りだったら、どんなにきれいだったでしょうか。「花の命は短くて苦しきことのみ大かりき」は有名な林芙美子の詩です。カタクリは地上に表れているのは、4~5週間だといいます。残りは地中で球根として生き延びるのですから不思議な植物でもあります。そして、実から出る種子で繁殖するが、開花するまでは7~9年はかかる。寿命としては40~50年と言われるから、増繁殖を繰り返しているのですね。先回訪れた際は、山桜は満開でしたがこの桜はつぼみ状態でした。それが、今は山頂付近に植えられた桜も、中腹の桜もすべてが満開見ごろでした。桜の花と、雪が残る山と南魚沼市の市街地方向を写します。魚沼コシヒカリの産地として知られ、農家のプライドは高く、このあたりが最も美味しいという。そして、驚いたのは山頂付近で休憩中に多く舞っていたギフ...再び六万騎山に行く(その2終わり)

  • 再び六万騎山に行く(その1)

    前回、4月5日の六万騎山は、カタクリの花が少し早かった。その時は、同行できなかったスベルベママと友人と従弟の4人で再挑戦。しかし、残念なことに今回は遅すぎました。花は残っているもののほぼ終わり。それでも14日の日曜日とあり、六万騎山は大賑わい。大型バスでの団体までいて驚いた。スベルベママとその友達は、実は昔出場した冬季国体の選手仲間。第28回の国体は、当時の塩沢町を舞台に開催された。スベルベもジャンプを見に行った記憶があります。スベルべ夫婦が出会う前のことであり、スベルベママの走るところは見ていない。二人で出場した記念のおそろいのナップザックです。友人はオリンピック有望だったが、母上の病気で断念。カタクリの状態はこのくらいです。開いた状態は少ない。先日、白いカタクリの花を見たので、目を凝らしたけれども有り...再び六万騎山に行く(その1)

  • ネギは雪水で

    一週間ほど前だったかな、ネギの種を蒔きました。このあたりの格言で「ネギは雪水で蒔け」という言葉があり、種蒔きを遅らせるなという事かな。2月の「春一番種物フェア」で見つけて二袋を購入しました。裏書は、ホントかいなと思うような美辞麗句。太さ4cmってポロネギほどの太さですよ。ネギの種って、どの種類も真っ黒で小粒ですよね。二袋蒔いたら、我が家はもちろんのこと、娘二人の家族分も賄えるはず。メジャーで15センチの間隔を計って蒔き溝を作る。この板切れは、秋野菜の種蒔きにも使いますが、平畝を均したりと便利で欠かせない道具。種を蒔き終えたら、土が湿っていて掛けられず、種蒔き培土で覆土。その上に散水し、それから寒さ防止用に藁を掛けて、種蒔き作業を終えました。今は、朝晩如雨露で潅水し、土が乾かないようにして発芽を待っています...ネギは雪水で

  • 連載313「通販生活」(その2終わり)

    娘の散髪の光景。娘ばかりか、スベルべの頭もカット。「56豪雪」と呼ばれた、豪雪の年の春です。通販生活(その2終わり)品物はただ単なる宣伝だけではなく、芸能人から作家まで幅広い登場人物が使った感想なども寄せていて興味を惹かれる。通販マニアほどでもないから、毎号ごとに注文を重ねるほどではない。第一、結構「良かろう、高かろう」で決して安物ではなく、我が家の経済状況では注文を躊躇することがほとんど。最初に買った品物も忘れられない。最初の買い物はまだ一歳と三歳の子供たちのためだった。このくらいの年齢だと、なかなかじっとして食事をしてくれない。そんなタイミングで見つけたのは、椅子にもなる、テーブルにもなる、そしてひっくり返すとシーソーのようにも使える優れもの。と思ったのだが、家内に話をすると、新聞の宣伝だったことは間...連載313「通販生活」(その2終わり)

  • 福岡空港から帰途に

    福岡空港に到着は13時頃だったけれど、飛行機の出発までは時間がたっぷり。まずは遅い昼食だけれど、腹拵えとラーメン屋街のその名も「ラーメン滑走路へ。「東京のつけ麺文化をけん引してきた」なんて、プライドの高い店「つじ田」へ。何軒も並んだラーメン屋街で、店を探していると「ここは美味しいですよ」なんて声で入りました。なぜ空港でこんなに時間があるかというと、飛行機の離陸時間にばらつきがあるため。でも、それも幸いで、本屋をのぞいたりしたが、スベルベママはどうしても食べたいという「あまおうパフェ」へ。ラーメンを食べる時間が遅かったので、渋るスベルべも説得されてシェア。スベルべ夫婦に先立ち、九州を旅した知人が食べて絶賛していて、どうしても食べたかったらしい。待望の「あまおうパフェ」を食べて思い残すことなく飛行機に乗る。喫...福岡空港から帰途に

  • 連載313「通販生活」(その1)

    子供たちが幼い頃です。昔は暮れの30日に餅搗きをするのが我が家の定例。大勢集まりました。通販生活(その1)通販生活と言う長年親しんでいる通販誌がある。カタログハウスと言う会社が発行していてその歴史は古い。と、思って調べたら昭和57年(1982年)に創刊されたとあった。長い付き合いになったと嘆息。今年令和4年でなんと40年の歴史になる。それだけ自分も年老いたということかと少しだけ気落ちする。この通販誌の宣伝は新聞に掲載された。好奇心の塊のような私は目ざとく見つけて購読の申し込みをした。あの頃は申し込みだけだったと思うのだけれど、値段は忘れたが一冊当たりの単価は驚くほど安かったように記憶している。書店販売が始まったのは平成6年(1994年)だから、12年も新聞広告のみの販売だったのかと今更ながら驚く。実は我が...連載313「通販生活」(その1)

  • 幸せのシンボル「白いカタクリ」

    昨日の午後、約束していた知人が来宅。白いカタクリの花に案内するという。今は、雪国越後の魚沼地方はカタクリが花盛り。群生地があちらこちらとみられるチャンス。広い面積の斜面で咲き誇るカタクリの群生の中に目立つ白いカタクリ。数万株、数10万株に一株の割合で発生するのだという。突然変異なのでしょうか。紫色の普通のカタクリと比較すると、葉にフが無いのも特徴です。案内した彼には、見つけた経緯は聞かないでしまった。彼も人伝に聞いたのかもしれない。この一枚だと、紫のカタクリと白いカタクリの葉の違いがよくわかります。動物にも、白い個体が誕生することがあります。それはアルビノとも呼ばれています。案内してくれた知人は、この場所にある白いカタクリの株数まで知っている。残念なのは一カ所大きな穴があったこと。盗掘でしょうね。不届き者...幸せのシンボル「白いカタクリ」

  • 武雄神社

    ガイドさんの説明は少なく、そして自分で事前に調べることも無かった。ほぼ、事前知識無く訪れましたが、疲れ気味の体に全員が重そうな足取りです。石段を昇りきると、驚くような白塗りの神社です。ここにも人影はあまり見えず、ゆっくりと見物?お参りが出来ました。やや、字が風化して読みにくいが、古い歴史があることがわかる。色々なお祭りが開催されるようですが、その時は混雑するのでしょうね。驚いたのは神社から少し離れて立つ大クスノキでした。根元には空洞があり、なんと12畳敷きの広さで神様が祭られているとか。推定樹齢が3千年とは凄いですね。屋久島の縄文杉にも負けないほどの樹齢は驚くばかりでした。社務所の前にはきれいな飾りが吊り下げられている。近づいてみると、それはなんと小さな傘の形をした御神籤です。「吉」を引き当てた、スベルベ...武雄神社

  • グラバーさんの食べ物

    その大きなかまどで調理したと思われる品々。鯛や鶏の丸焼きに、パンに果物に。贅沢な品々が並ぶ。ここから別室に運んだのでしょう。グラバー邸を出て少し歩くと、思わぬものを見つけました。「西洋料理発祥の碑」なんてあります。店が開いていたら入ってみましょうか。ところが、玄関ドアには準備中の掛札。9時半回転という事でしたが、朝早い訪問は無理だったようです。店の外には、長崎と言えばこのお菓子。とカステラが皿に。コーヒーはなんとコーヒー豆のままでした。始めた日本人の名前は忘れました。そして、入れないので悔しかったけれどもメニューも。やはり、グラバー園も時間をかけて、ゆっくりと歩くべきでしたね。(続く)グラバーさんの食べ物

  • グラバー邸へ

    グラバー園から見下ろす港には大型船が着岸していました。イタリア船籍で2千5百人の乗客数だといいます。イタリア人もリッチですね。グラバーさんも交易で富を築いたのでしようが、広い庭付きです。江戸時代末期、幕末にスコットランド生まれの彼は来日し、終生ここで暮らした。邸内には、グラバー邸の全容がわかるレプリカも。テラスがあったり、外の風景をいつでも楽しめる構造だったと思います。スベルべ夫婦が気になったのは、この厨房です。煉瓦作りの大きなかまど風のものが設置されています。熱源は何だったのかな。オーブンなども兼ねた、かまどで料理をしたのは誰だったのでしょうか。貿易会社の仕事をしていたから、豊かでツル夫人ではなく専属の料理人がいたのでしょうね。(続く)グラバー邸へ

  • 大きな桜鯛を頂く

    家の近くの畑で仕事をしていたら、携帯に着信。「○○です」なんて、言うので自宅を見ると手を振っている姿。急いで帰宅すると「友達が鯛を釣ったから持ってきました」なんて。発泡スチロールの箱を開けると、桜の名前に似つかぬ大きな鯛が入ってる。スベルベママはあいにく二泊三日でお出かけ中。窮余の一策とばかりに、隣のおとーさんに頼むことにして、鱗を引いて待つ。外出先から帰宅し、我が家に直行してくださった。便利ですねー。ご近所に現役の板前さんですよ。我が家のキッチンで捌きます。慣れた手つきで、ササーっと処理する。50cmもある鯛で包丁が小さすぎる。出刃は普通の大きさと、アジ割きとも呼ぶ小出刃があるが、大きなものも必要かな。身を5枚におろし、頭と中骨は切って鯛の潮汁としゃれます。なお、「引いた皮は、湯引きして美味しく食べられ...大きな桜鯛を頂く

  • グラバー園へ

    最終日の長崎はこの度では最高の日和り。ホテルから坂道を走り、有名な大浦天主堂の近くに到着です。途中でバスの車窓から出島も見えましたが、ツアーの予定にはない。グラバー園に到着し、団体入り口で入園手続きをするガイドさんです。坂が多いという事での配慮か、歩く歩道が設置されている。あわただしい旅程と疲れた身体には有難い。朝早いためか客は少ないですね。グラバー園は登った坂の上というか、斜面です。港をはさんだ向こう側の風景は、やはり長崎の坂の市街。ここでもフリータイムでそれぞれ皆さんが勝手に見物。修学旅行ではないのだからこれで良いのですが、事前知識があると無難です。(続く)グラバー園へ

  • ジャガイモの重ね焼きとカジカ酒

    食事のメニューはスベルベママからよく相談を受ける。「ねー、ジャガイモ食べたくない、たまに重ね焼きなんてどう?」異議なし。ジャガイモを蒸して、耐熱容器に入れ挽肉と玉ねぎ、ニンジン。若者から年配者まで、いや子供たちも、もちろん喜んで食べますね。酒を飲むスベルべに可哀そうだともう一品、鮭を焼く。冷蔵庫の野菜室で保管していたという、大根がみずみずしくて美味しい。それで、お酒は夫婦別々の二種類。スベルベママはワイン。スベルべは久しぶりで頂いた、カジカを炙り「カジカ酒」でした。お、ワインも2016年ものかー、美味しそうですね。でも、スベルベママは全部は飲めないから、明日飲むことにしようっと。ジャガイモの重ね焼きとカジカ酒

  • 長崎の夜

    島原港から走っているうちに、夜のとばりがおりました。ホテルにチェックインし部屋に入ると、眼下に長崎の夜景が広がる。長崎は坂の町でした。ホテルのロビーは上階で、浴場、食事は階下になる。家々も急坂に建てられていて、さて自動車はどこを走るのかなどと思ってしまう。上の夜景と同じアングルで翌朝写してみました。坂の町の様子がよくわかると思いますが、左側の山の上まで家々は続いています。ホテルに入った夜は、月が昇り始める時刻でした。ホテルの左側には、教会や高校の校舎などが見えています。急斜面で、豪雨や台風、地震などの災害時のことも気になる。崩壊したという話も聞いたことは無いし、斜面でも地盤はしっかりしているのかな。当初雨にたたられた九州の旅もようやく天候が回復してきました。予定はグラバー園と、武雄神社を見物の予定。旅も終...長崎の夜

  • 有明海をフェリーで渡る

    フェリーにバスで乗るという珍しい経験をしました。佐渡ヶ島へは、自動車でもオートバイでもわたっていますがバスとは驚き。熊本港から、島原港まで1時間余りの船の旅になります。出航してしばらくすると、フェリーの後方が騒がしい。カモメの群れです。佐渡汽船も同じで、出向して船の速度が上がるまで着いてくる。どこで売っていたのか分からなかった、かっぱえびせんが大好物らしい。もう、よこせよこせとばかりに大騒動。手で持っていると、上手に奪い去るから人慣れしていますね。島原港に近づきました。そびえる山は七面山でしょうか。平成2年から大噴火が始まった、雲仙普賢岳はこの後方になるのでしょう。フェリーが着岸する前に、再びバスに乗り込みました。着岸の後は、島原半島をひたすら走り、宿泊地の長崎へと向かいます。(続く)有明海をフェリーで渡る

  • 別府明礬温泉

    別府明礬温泉です。相変わらずガイドの説明は少ない。行ってから、ようやく湯花の採取で有名なことを知る始末です。これは、昔から続く湯花を採るための小屋で、今は何棟も残っていません。景観と共に、この湯花の採取も文化財に指定されている。いわゆる硫黄泉ですよね。あたりには硫黄の匂いも漂っていました。採取小屋の内部です。天井にあった噴気から硫黄分が落ちるのでしょう。柵の手すりの内側の小石は、濃いグレーに染まっていたから、そこから採るのかな。これはなんと貸切の温泉らしい。使っているらしい雰囲気はない。どんな風に違うのか、一時間2千円と2千5百円の小屋に分かれていました。熱湯が源泉の温泉場では見かける噴気による調理の蒸籠。好奇心に駆られ、ここで8時間かけて蒸したという茹で卵を購入。一個50円でしたから、良心的な価格と言え...別府明礬温泉

  • 天守閣に近づくと

    数寄屋丸と呼ばれる、建物も土台である石垣が崩れ無残な姿。能や茶会、歌会の場所となり、接客の場として使われていた建物だという。数寄屋丸をほぼ真横から見ます。石垣がすべて崩れ落ちなかったのは奇跡でしょう。軒が無残に波打っている。天守閣が見えてきました。手前の建築物の白壁も落ちたままです。石垣の新しい色は修復した跡でしょうか。ピントの甘い一枚になってしまいましたが、天守閣を見ます。天守閣は、西南の役で焼け落ちてしまった。その後、昭和35年に鉄筋コンクリートで再現されたという。一見豪壮で立派な城ですが、上層階のガラス窓は近代建築ですね。皆さんが同じ考えで、天守閣を背景にして写真を撮るカップルが多かった。(続く)天守閣に近づくと

  • ゴンギツネの狩り(その2終わり)

    しっかりと獲物のネズミを咥えたキツネでした。キタキツネでも無いけれど、雪の下の獲物が分かるとは凄い能力です。そして、咥えたネズミをいったん口から離す。これはどういうことなのでしょうか。獲物を再確認するのかなー。そして、再び落としたネズミを咥えると食べたのでしたが・・・。全く咀嚼せずに飲み込んだ。思わず「良く噛めよ」なんて突っ込みを入れたくなる。ほとんど丸飲み状態で、獲物を腹に収めたキツネ。川をまたぎ、向こう側へと行き、再び獲物を探すかのように歩き始める。でも、狩りと獲物に満足したのか、線路そして山の方向へと向かう。この後、カメラを換えて帰る様子を動画で撮りましたが、ブログにはアップできず。三泊四日の旅を終えて帰宅。表を見ると雪は一気に消えていました。こんな場所、我が家のすぐ裏でキツネの狩りが行われたなんて...ゴンギツネの狩り(その2終わり)

  • 熊本城下で奇跡の出会い

    話は少し前後します。案内図ですが右下のバス駐車場から熊本城見物は開始です。城彩苑という表示が見えますが、このあたりに土産物屋、飲食店が立ち並んでいる。天守閣の広場隅には芽吹きつつある銀杏の大木です。加藤清正が植えたが、戦災で燃えて枯れその後生えたヒコバエだという。実は、城彩苑で待ち合わせた女性が居ました。フェイスブック上の友達で、熊本を訪れることを知った彼女とメッセンジャーで打ち合わせ。ここで110分というフリータイムがあり、一緒に食事を摂りながら会話。濃密な時間を過ごすことが出来ました。これはスベルべ注文の海鮮丼です。スベルベママとは、メッセンジャーを交わしたことも無く全くの初対面。それでも、さすがに女性同士。すぐに打ち解けてメニューも同じシラス丼です。手前のミカンのようなものは、なんとウニのコロッケで...熊本城下で奇跡の出会い

  • 熊本城は復旧中

    熊本城に到着する頃には、雨も完全に上がっていました。これはしだれ桜かな。満開の一歩手前、八分咲きといったところでしょうか。ここでは110分のフリータイムが設けられていて二人で散策。入場料を払って入ると、観光用通路越しに櫓でしょうか建物が見え始める。大きく崩れたと思われる石垣の跡です。崩れないように金網の保護も。崩れた石垣の石は、どこかに集積してあるのでしょう。崩れないように吹付がされています。石垣は復元されていますが、上部の新しく見える石は復旧したばかりか。よくぞ、建物、櫓が落ちなかったものです。奇跡といっても良いのではないでしょうか。石垣を間近で見ると現在の姿がよくわかります。地震国日本とは言え、何百年も壊れることの無かった城が壊れるとは怖いことです。(続く)熊本城は復旧中

  • ゴンギツネの狩り(その1)

    旅立ちの日の朝でした。洗面所から抑えた声で呼ぶ声。「キツネがいる!」の声にカメラを持って、窓際に駆けつけました。我が家のすぐ裏、家からは10数メートルの小川の岸です。抜き足差し足の言葉がぴったりの様子で、何かを狙うキツネの姿。やや、腰を落とし反動をつけるようなしぐさです。かすかな物音で、それとも匂いで探すのか積雪は20センチ程度ですがそれでも雪の下。少し飛び上がったと思った瞬間、さかさまに頭を雪中に突っ込む。北海道のキタキツネの狩りは、テレビの映像で見たことがありますが、全く同じです。(続く)ゴンギツネの狩り(その1)

  • 真名井の滝

    九州自然遊歩道案内図です。その中の高千穂コースが歩いた観光コース。赤い線になりますが、ほぼ下り一方。歩いて帰るのは無理。マイクロバスがお出迎え。ツァー添乗員が、「ハートの形をした石があるはずです」なんて。良い年をして、ハート探しも無いでしょうが、すぐに一つ発見しました。これが、ガイドにもあった「真名井の滝」です。もう少しスケールの大きな滝を想像していましたが、やや期待外れでした。滝をバックにして並び、若い女性の三人組にシャッターをお願いしました。阿呆な顔つきをした、スベルべ夫婦の写真は省略当然です。何回かシャッターをお願いしましたが、コツはまず先に「写しましょうか」との声掛けかな。バスの駐車場に到着し、時間があったので一人で淡水魚水族館に。地元、高千穂峡で生息する魚に期待したのですが、熱帯魚などでがっかり...真名井の滝

  • 鬼は力持ち

    危険な渓谷も通りますが、歩道も整備されています。陽もあたってきました。三日目にしてようやく観光日和ですね。振り返って橋を見ます。建物の横には古い小さな橋も。実は、年代別に三つの橋が架かっているのです。道路改良に伴い順に上がったようでした。やや広くなった川原ですが岸はほぼ垂直の壁。連日の降雨で水嵩も増えているのでしょう。そして、水は濁っていました。柱状節理は火山活動の名残で各地で見られます。しかし、こんな風にねじ曲がった節理はそう見られるものではないでしょう。川原が狭くなり始めた場所に転がっている大岩石。ツアーガイドが重さ当てのクイズです。スベルべは2トンと答える。20トンとかの言葉も聞こえたが、正解はなんと200トンなのだそうです。鬼が何かに怒って投げたという伝説だったかな。しめ縄が掛けられて伝説を物語る...鬼は力持ち

  • 天孫降臨の地、高千穂峡へ

    旅も三日目に入り、天候も回復してきました。前夜の阿蘇赤水温泉泊から出発し、一気に南下。天孫降臨神話のさと高千穂峡へ。コンクリートのアーチ橋に驚きます。高さも凄く、一見脆弱そうに見える。スベルべも元技術者で橋の架設監督もしていて難しさは分かり、興味をそそられました。橋の架設には色々な工法がありますが、これは分からない。もう少し、頑丈そうな作りだったら分からなくもないが、不思議です。ゴメンナサイ。つい、昔の仕事、現職時代を思い出すなんて。皆さんが傘を手持ちにされていたりしますが、雨の心配は全くなくなりました。やはり、火山活動の名残の玄武岩などなのでしょうか。削れて丸みを帯びるでもなく、川は深い渓谷となって勢いよく流れ下っていました。(続く)天孫降臨の地、高千穂峡へ

  • 阿蘇名物は雨と霧と風

    ウトウトとバスの中でうたた寝をしていました。やまなみハイウェイかな、ワインディングロードをバイクに乗る夢を見ながら走ります。やがて、ガイドの「阿蘇の名物は雨と霧です」の声に目覚めて表を見ると言葉通り。大変な強風と雨で、傘を開くのにも難渋するかのような状態。でも、降りてみたいですよね。皆さんがそれなりの覚悟と支度はしてきたようです。立派な心掛けです。スベルベ夫婦も二人分の折りたたみ傘は持ってきています。この観光看板の柱にある大観峯の文字もかすむ寒さ。ガイドさんにお願いして、シャッターを切ってもらいました。バスに逃げ帰るスベルベママです。さすがにゆっくりしたいという皆さんも居ず、予定時刻よりも早めの出発。三日間のバスの運転手は通して一名でしたが、中々の運転上手。あの、オートバイでも苦労するような、ワインディン...阿蘇名物は雨と霧と風

  • 湯布院も昼食難民

    ツアーとは言え、昼食はフリーですから食事場所を探すのにも苦労。日、月曜日で観光客が多いのに「定休日」なんて看板も見えるから頑固なのかな。それでも、店先で美味しそうな鶏の手羽先を焼いていた店を見つけて入る。鶏の炭火焼が専門で、しかも朝締めの軍鶏を使っていると言いますから期待大です。これで二人前ですが、軍鶏の胸肉とモモ肉です。店員さんが炭火に火を入れて、目の前の小さな囲炉裏に入れ、金網を載せる。皮目のほうから焼き、ひっくり返してハサミで切ります。コロコロと転がすように焼いて、薬味を付けて食べるようになっていました。旅に出たら遠慮なしに昼酒を楽しむ主義のスベルベです。スベルベママは初日に、昼ビールの後に歩き回り応えたようでこの日は無し。(続く)湯布院も昼食難民

  • 春をちょっぴり味見する

    斜面の上の部分で一部は焼く雪が消え地面が出たところがあった。何か、緑色のものが見える。フキノトウに違いない。こんなものには目ざといスベルベです。丸々と太った大きなフキノトウでした。雪が消えて、最初に顔をのぞかせる山菜が、これですね。採りましょう。停めた軽トラに戻りましょうか。足跡は冬眠から覚めたクマではありません。スベルベが踏み抜いてしまった跡です。先日、知人から頂いた栽培物のタラの芽と合わせて天ぷらに。春の香りです。結構薫り高くて、食堂にフキノトウの香りが漂います。スベルベママは、カツと合わせて丼仕立てに。かつ丼と、フキノトウの天ぷらで、天丼も兼ねたおいしい昼食になります。テーブルには花を欠かさず飾りたいスベルベママ。芽を出し、伸び始めたばかりのスイセンとフキノトウが合わせて飾られました。これからは気温...春をちょっぴり味見する

  • 湯布院

    博多から高速道路で一気に湯布院まで一直線。由布院、湯布院ややこしい。由布院が湯布院へと名前が変わった経緯があったような説明がありました。なんだか、軽井沢を思い出させるかのような土産店の多い街並み。今回の九州の旅で、最も観光客が多いと感じたところでもありました。金鱗湖と大仰な名前が付けられていますが、ま、大きな池といった風情。それにしても観光客が多い。しかもインバウンド客が多くそれもアジア系でした。中国語、韓国語が飛び交う中、どこの国の人かと思ったら日本語の会話だったり。その国のガイドと思う方が、先頭でグループを引っ張ったりで、インバウンドって驚き。欧米人の姿も交じっていましたが、数は圧倒的にアジア系が多い。さて、ここでの昼食は自由となっていますが、こんな客の多い日に定休日の看板も。土産物屋さん、クラシック...湯布院

  • 夕食難民

    今回のツアーは集合スタートが旅程の二日目の朝。11時半に福岡空港に着いたのちは、地下鉄でホテルまで移動し気ままに散策。さて、夕食と思いましたが・・・。有名店はすべて満席。ネットで調べた際に、予約を入れておいたらよかったけれど、それも束縛されるし。博多の名物はといえば、もつ鍋、鶏の水炊きあたりでしょうか。もちろん、海鮮料理も有るけれど、ここは一番鶏の水炊きと行きましょうか。夕方5時過ぎに見つけたこの店は、オープンが5時半から。どういう意味があるのか「空飛ぶ豚」という店名。当初は私たちだけで少し不安に。でも、水炊きの鍋が卓上のコンロに乗る頃には地元客と思える客も。出汁の味がきつくて、スベルベママには少し合わなかったようですが。でも、スベルべは美味しくいただき、生ビールもお代わり。十分に食べましたが、清算を済ま...夕食難民

  • 春はまだ来ない

    旅の話ばかり続けているので、この辺で一度休憩で別のお話しです。昨日は、山の畑への道路除雪が終えたという情報で行ってみました。なるほど、広域農道という幹線道路は、除雪されていましたが枝線はまだ。この先が我が家の山の畑になりますが、まだ3~40cmの積雪があり行けません。栗林荘と名付けられた小屋がポツンと一軒。建てた人はもちろんのこと、引き継いだ持ち主の御子息夫妻も亡くなってしまわれた。除雪状況です。除雪された道が広域農道と呼ばれる幹線道路。枝道の除雪には入るのやら、入らないのやら。自然に解けるのは10日くらいはかかるでしょう。除雪されてから、一週間は経っているのでしょうか。除雪をすると、舗装道路からの輻射熱で周囲の雪解けが進みます。広域農道の下りに差し掛かる場所で下の集落を望みます。下とこの山では標高差が1...春はまだ来ない

  • 酒は飲め飲むならば

    特別展示がありそちらへと向かいました。おどろおどろしい、大鎗(おおやり)が展示されています。刃の部分にも見事な理由の文様が入っています。そして、柄全体と大きな鞘にも螺鈿が施され見事な工芸品のよう。名物「日本号」とあります。総長321.5cmって大きいのかな。300年の歳月を経ても、怪しく光り輝く大身鎗。実戦用というよりも飾りだったのかな。実話なのか伝説なのか、大鎗にはこんなエピソードが。酒豪で知られた、母里智信は主君福島正則に勧められた大杯を飲み干し、この鑓を手に入れた。博多といえば、あの優雅な博多人形でも知られいます。可愛い、ふくよかな顔つきをした博多人形に交じってこんなものも。「あれっ、とーちゃんみたいなのが居る!」って何言ってんだよ。でも、大酒を食らった時のスベルベはこんな状態も見せるのでしょうね。...酒は飲め飲むならば

  • 漢委奴国王

    マリンメッセ福岡を出て、タクシーで向かった先は福岡市博物館。タクシーの運転手さんが、フレンドリーで気さくに話しかけて下さります。ここも、事前にネットで調べた行き先でした。でも、何が展示されているのかも知らずに入ったのでしたが・・・。思わぬ幸運に恵まれました。なんと、志賀島で発見された金印です。歴史上色々な論争があったかと記憶しています。発見についての経緯も初めて知ることも。後漢書に記されてある、漢委奴国王の記事に注目です。こんな、漢委奴国王の金印が、畑仕事中に偶然発見されて謎を呼んだのです。志賀島には遺跡というようなものも発見されていなくてこれだけが見つかった。百姓の何とかさんが見つけたことになっている。実際は別の二人が見つけ、発見者とされているのは地主さんだとか。この金印の役割は、箱などをひもで縛り、粘...漢委奴国王

  • 櫛田神社へ

    ここもネットで事前に調べて決めていた場所でした。寺社巡りじゃ、ジーさんみたいですが、何せ博多総鎮守とありましたから。なかなか荘厳な作りの神社です。市中を出歩く観光客の数の多さに比べて、やや閑散とした境内でした。こんなところは得意というか、好きなバーさんの後ろ姿。ジーさんは信心心が薄くて、願い事よりも写真撮影に夢中です。社殿の脇には、巨大な博多祇園山笠が飾られています。祭り好きに南北の違いはありませんが、結構皆さん熱くなるのでしょうね。境内の一隅には、根回りが巨大な銀杏の木です。銀杏のいわれと、蒙古軍の碇石の説明です。このあたり一帯は埋め立て地だといいます。蒙古の軍船が繋ぎ止められたのでしょうか。(続く)櫛田神社へ

  • 巨大なアクアリウム

    ポートタワーから少し歩くとマリンメッセ福岡です。ネットで調べて、水族館かと思ったのは、巨大なアクアリウムでした。日曜日とあり、お子様連れの入場者が多い。スベルべもこんなのを見ると、童心に帰ってしまいます。多種類多数の魚です。後姿が素敵で、ついシャッターを押してしまいました。大きなウミガメやサメに交じって、下部、底に近い部分にはこんな小魚も。次は、福岡市博物館、櫛田神社と回りますがそれは後で。途中で見つけた愛嬌たっぷりの看板。角のうどんの訛りでしょうね。こんな軽い夕食も良いかなと思ったけれども残念お休み。他にも日曜日だというのに、お休みという店も結構見えました。この近くには、有名な中州の屋台店もありますが、腰が引けます。博多といえば、もつ鍋も発祥の地になるのかな。でも、腹に持たれそうで別の店へ。(続く)巨大なアクアリウム

  • 博多ポートタワーへ

    博多ポートタワーに到着して見上げます。入場無料が無料って嬉しいね。このほかにも市街地にも展望タワーはあります。こちらは有料になってるそうです。やはり、気になるいつもの子~♪でもありませんが、ポートタワーに上がっても気になる競艇場。港からは美しい船が出航します。ゆっくりと出向し、沖へと向かう。岸壁の向こうの四角な建物が、マリンメッセ福岡かな。マリンメッセ福岡の中には、水族館か何かがあるらしい。行ってみましょう。(続く)博多ポートタワーへ

  • 博多市内はフリープラン

    11時半に博多空港に到着し、まずは空港ビルの中で昼食。そして、地下鉄を使って、宿泊のホテルに行き、荷物だけ預けて探索に。少し変わったツアーで、集合は翌朝のホテルのフロント前。それまではフリープラン。事前にネットで博多の見どころは調べていましたが。説明は探さなかったが、同じ形の自転車がずらりと。レンタサイクルなんでしょうね。周囲は閑散としていて乗っている人は居ませんでしたが。本駐輪ポートはチャリチャリ自転車専用です。他の説明はないから、何のことやらわかりません。Chariってなんだろ。オイッ教えろなんて言っても知らんぷり。呑気そうに羽を広げて乾かしているのは、ウミウかカワウか。こんなものにはすぐに目が行く、元ギャンブラーのスベルベです。ボートレース場ですね。静かだから、開催期間ではなさそうです。(続く)博多市内はフリープラン

  • 九州への旅(その1)

    三泊四日で九州へ旅をしてきました。(乗った飛行機てはありません)24日の7時少し前に家から、新潟空港へと向かい8時過ぎに到着でした。これは、先月家内が札幌に行った際に載ったトキエアです。私たちが乗った飛行機も、ジェットでは有るけれど、定員40名と小型でした。9時20分に無事離陸。新潟からはしばらく海岸線も見えました。スベルべ夫婦は、九州はかすめた程度の接触しかなく、ほとんど初旅状態です。しばらくは雲の上を飛びましたが、九州地方の天気予報は芳しくありません。実は昨年も九州の旅を計画し、申し込んだが満杯で断念。代りに八重山諸島に行ったのでした。九州へと近づくにつれて天候は悪化模様。雨の関門海峡上空を通過して、福岡空港に無事着陸。しばらく旅の話にお付き合いください。(続く)九州への旅(その1)

  • 春の彼岸の御馳走

    20日は春のお彼岸の中日。仏様参りに来る人のための御馳走です。そこに、急遽下の娘家族が来宅して昼食になり、牡丹餅も半分こにしました。これもお供えを兼ねたミニお稲荷さんです。油揚げは、懇意にさせてもらっている豆腐屋さんの特注品です。トッピングに山菜のアンニンゴと桜の塩漬けが載っています。油揚げは孫が手伝って、先日処理していました。「早いと思ったら切れてる」とはスベルベママ。ほら、まだ山独活の塩漬けも有り、塩抜きして炒めてあります。塩抜きの際に、少し火が強すぎのかな。少し軟らかめになっちゃいました。「お腹が空いた!」を連発の孫は四月から一年生になります。お手伝いに、レトルトの汁の袋を切ったりと手伝いもさせました。皿にはワラビの塩漬けと鶏肉、ニンジン、大豆を煮たものもあり自給率は高い。こうして、無事に春のお彼岸...春の彼岸の御馳走

  • 春の淡雪

    天気予報は、降雪量も降雨量もオーバー気味に発表するようです。多めに予報して外れた方が、少なめに予報して多くなるよりも叱られないからかな。これは、一週間ほど前の地域別の降雪量予想。新潟県内を細かく区分していて、海岸部と山沿いでは差が大きくなります。夕方から朝までの降雪量予想と、日中の降雪量予想の二画面が出る。2、3日はもっと多い降雪量が予想され、警報級の降雪になるなんて予想でした。でも、朝起きてみると実際はこんなものでした。昔から「彼岸ののり雪」などと呼び、この時期にはよく降ったものです。ラッセルに乗る仕事を何年もしていましたが「お彼岸ラッセル」なんて言葉も。ある年など、雪が消えたので分岐器(ポイント)の消雪装置を3月末に外した。すると4月に入って降り列車を遅らせ、叱られたことも有りました。春の淡雪

  • 春よ来い

    雪も残り少なくなりました。そろそろ雪囲いを外しましょうか。田も畑も土が顔をのぞかせ始めています。後方の雪の山は除雪で投げられたもの。ブルーベリーをぐるりと囲っていた藁縄をほどき添え木を取る。縛られて、細くまとめられた枝も解き放たれたように広がりました。まだまだ小さいですが、新芽も見えます。今年も実を付けてくれるかな。身が付いたら防鳥ネットを張りましょうか。次は昨年秋に植えたばかりのプラムも解き放ちましょう。雪国では、小さい苗木もこうしてしっかりと添え木をしないと雪で倒されてしまう。さて、最後にこれも昨秋植えた早生富有柿をと思ったら根元に異変。しまった、ネズミにぐるりと根元をかじられちゃいました。大失敗です。今までは、雪降り前にネズミ除けに杉の葉を根元に巻いたりしていました。それを、うっかりと忘れてしまって...春よ来い

  • 無人駅の大清掃

    一昨日でした。スベルベ夫婦は二人で駅舎、そして跨線橋の大清掃。実は何年も続けてきた、駅舎の管理が今月いっぱいで終わりになるのです。いくばくかの手当は頂いていましたが、ボランティア活動程度です。それでも、合理化の一端なのでしょうね。誰が今後はするのだろうか。立つ鳥跡を濁さず。でも無いけれど綺麗にして引き継ぎましょう。長い柄のついた箒で、天井のクモの糸などを取り去り次いで水で飛ばす。階段の隅など、箒でも取れないごみは高圧水で流します。この後、デッキブラシで踏面もこすり、きれいに仕上げました。ホースの届かない、跨線橋の向こう側階段にはバケツで水を運搬。スベルベママは駅舎の窓ガラスや、椅子などを磨き上げました。決められた清掃の仕事のほかにも、花壇やプランターの整備なども。そして、待合室にも一年中花を欠かさずに飾っ...無人駅の大清掃

  • 公共サービス低下を懸念(新聞投稿から)

    公共サービス低下を懸念(R6.3.19掲載)封書の発送に郵便局を訪れました。内容の割にしては安価な料金に少し驚き「安いですね」と軽口を叩くと「これで、早く届いたら良いのですが」と返され、「私が言おうと思ったのに」と、若い女性職員と笑い合いました。実はこの日は月曜日で、木曜日発送と思われる郵便物が、中三日でようやく届いていました。働き方改革なのか、SNSなどによる利用者減が理由なのかは分かりません。郵政の民営化は、結果的にサービスの低下を招いています。JRの駅にあった「みどりの窓口」も廃止が相次いでいます。スマートフォンなどの操作に慣れていない高齢者には不便でしょう。郵便事業やJRの交通は、公共サービスの最たるものだと思います。効率化などという企業側の論理が、優先されているように思えてなりません。サービスの...公共サービス低下を懸念(新聞投稿から)

  • 別れの日

    雨が降る予報なので、その前に二人で散歩です。魚野川の堤防から見ると、川の中に人影。右手前の石は新潟福島豪雨で流されたコンクリートブロック。目を凝らしてみると、ルアーを繰り返して投げるのが見えた。3月1日からイワナとヤマメ釣りが解禁でした。大きなイワナを狙っているのかな。三月も中旬を過ぎたというのに、木々の芽生えは見えない。二月後半から気温が上昇し、春も間近と思えたのに、寒暖を繰り返しなかなか暖かくなりません。水田も雪が消えて黒々とした土が出ています。越後三山も雪が溶けてかなり地肌が見えていたのに、戻り雪で白くなりました。魚野川の支流「大沢川」から白鷺が飛び立ちます。スベルべが子供の頃には、このあたりで白い鳥なんて見られなかったのですが。早めの散歩を終えて、二人で着替えて知人の野辺送りに行きます。故人はすい...別れの日

  • 次は何して遊ぼうか

    こんな晴れた日に家の中で遊ぶのはつまらない。折よく風も吹いてきたし、凧揚げをして遊ぼうか。凧はビニール製のカイトです。カイトを持たせて、遠くまで行ったら離させる。カイトはグングンと登ります。こりゃ孫よりもジーさんの遊びかな。帰宅してもゲームばかりはさせたくない。スベルベママ、バーさんは新聞を切り抜き、工作の準備をしていました。ストローを使った工作です。孫は糸通しを使って、木綿糸をストローに通して作っていきました。夕食は子守賃でも無いけれど、娘が寿司を買ってきました。孫専用の皿に盛り付け。小さなお稲荷はスベルベママの手作りです。そして、孫には遊びを兼ねて、銀杏を煎り割ってもらっていた。それを使った茶碗蒸しも。卵は孫が手伝って溶いていました。こうして、子守というか遊びというかの一日を過ごしました。三月生まれの...次は何して遊ぼうか

  • 春を孫と楽しむ

    いつの間にか、魚野川堤防の雪はすっかり融けていました。午前中から両親の都合がつかず、孫の子守を頼まれとりあえず堤防へ散歩です。帰ってタブレットでゲームをやりたいらしくて、疲れた様子を見せ始める。その姿を笑うと「なんで笑うの!」なんて。「これが笑わずにいられようか」と返す。それじゃ帰るかというと、急に元気になり走り始める。今春、小学校に入学するのだが、疲れた様子を見せるなんて芸も細かくなったなー。カワウ、カモと色々な水鳥が群れていました。孫に鳥たちの名前を教え、潜っては浮き、浮いては潜る様子を見ながら帰る。まだ、堤防の草の新芽は伸び出さず、枯れたまま。気温がもう少し上がったら、青々とした緑が戻ってくるでしょう。さて、家に帰ったら何をして遊ぼうかな。ゲームではない遊びもさせたい。スベルべは魂胆があり、スベルベ...春を孫と楽しむ

  • 防犯カメラ

    にぎやかな繁華街では有りません。駅前通りも家は5軒だけ。十字路の一角に、防災無線放送のアンテナスピーカーも設置されました。数日前だけれど、高所作業車が来て何やら作業を始めた。何だと思っていたら、知人が「防犯カメラが付いたね」なんて言う。よくよく見ると、「防犯カメラ作動中」なんてステッカーが見える。昨日、再度同じ作業員が来たので、「どこの発注?」と聞くと「市です」との答え。集落の区長に問い合わせたけれど、驚くばかり。周辺住民も区長の知らないうちに設置ってどういうことなのだろう。しかも、昨日は若い男女が二人でやってきて防災無線のボックスに張り紙。二人が去ってから確認すると、なんとも恐ろしい内容。「想定浸水深10m」ですよ。多忙な区長さんに、休憩時間と思われる時間帯に電話したけれど、こちらも分からない。区長さん...防犯カメラ

  • 排水樋門定期点検再開

    大沢川に魚野川からの逆流水を防ぐために設けられた排水樋門。1、2月と積雪期の点検を休んでいましたが、3月から再開です。近くの除雪ステーション駐車場に車を停め、雪の上を歩いて行きました。春の雰囲気が漂う大沢川の岸辺の雪に、動物の足跡が点々と見えます。こちらは下流方になります。この先で魚野川と合流です。こちらにも足跡が点々と。きっとタヌキが餌を求めて歩き回っているのでしょう。木製の雪覆いの下は非常電源の発電機です。昨年末、12月の定期点検作業時にはエンジンを始動して点検していました。ここからだと、越後三山の八海山は山の陰で見えません。先日降った雪で、越後駒ケ岳はきれいな雪化粧です。右は中の岳です。排水樋門からは、この大きな沢が見える。数年前スベルべが滑落した沢です。沢が市町村界で沢の左が魚沼市。右側が長岡市に...排水樋門定期点検再開

  • イセエビを食べる

    二月のことでした。ガールフレンドからプレゼントが届いた。「少し変わったバレンタインデーの贈り物!」なんて、生きたイセエビです。さて、生きているイセエビなんて捌いたことが無い。彼女の残したアドバイスと、ネットで調べて恐々しながら手を付けます。南無阿弥陀仏です。頭の下にぐるりと刃を入れ取り外す。生きたままですから、本当に仏心が顔をのぞかせるが、食欲に負けちゃいます。頭部分と胴体部分をそれぞれ縦割りに。さすがにここまでくると、動かなくなってきました。おっと、手が震えたのかピントがずれちゃいました。身と殻の間にスプーンを差し込んで身を取り出し、適当な大きさに切り分ける。まだ、もったいないほどの身がついているけれども、ぜいたくに汁に。他にも、クルミを載せたエゴネリも頂き、白ワインで乾杯でした。さて、ホワイトデーには...イセエビを食べる

  • エゾシカロースト

    新潟と札幌丘珠間にトキエアという会社が新たに参入。運行開始記念で安価な切符が発売されて、スベルベママは札幌へ一週間の旅。スベルベは久しぶりの独身暮らしを満喫していました。土産にエゾシカの肉が届いた。なんでも足一本が手に入り義兄が捌いたのだとか。一回目は、カレーの具に使いました。エゾシカも日本鹿も、肉は赤身で一見固そうに見えるがそうでもない。肉も魚も焼き過ぎては美味しくないし、火の通し加減が難しい。今回も、一度切ってみて血のにじむのを嫌ってもう一度火を加えました。そして、近所のオジサンから頂いた青菜のお浸し。オジサンはもう畑の雪を取り除き、青菜を収穫。ジャコまで入る凝りようです。お酒は、これは当然赤ワインでしょう。新たな一本のコルク栓を抜き、北海道は札幌に向かって乾杯!エゾシカロースト

  • 戻り雪

    2月は暖かい日が続き、春の到来を思わせた。この時期としては例年の数分の一程度の雪の残り方です。レールと、砂利の輻射熱で雪消えは進みます。もうこれで雪は降らないだろう。春ももうすぐ、と思わされたのでした。ところが一転、三月に入ったら寒波が再来。再び線路は雪に埋もれ、真っ白になった。戻り雪といったところでしょうか。もう雪は終わりだと考えた、除雪業者は雪の山の搬出を始めていました。バックホウで、雪の山を崩してダンプカーに乗せて除雪は終わりのはずでした。少し珍しい光景です。バックホウと除雪車が並んだのは。でも、気まぐれな戻り雪です。その後も気温は上がらないけれど雪は降らない。三月も半ばを迎えて、春はもうすぐそこまで来ているという感じです。春のお彼岸ももうすぐです。昨日も散歩で歩きましたが墓石は雪の上に完全に出てい...戻り雪

  • 春の椿事

    数日前です。我がブログのアクセス解析を見て驚いた。ある時刻から、信じられないほどの数のアクセスが見られたのです。現象はこんな状態が続いた。間断なく続くアクセスを示しています。ブログは毎日休むことなくアップしています。そして、習慣的に「ブログを紹介してほしい」をクリックしていました。アクセスが、急激に増えた日の順位はなんと9位です。翌日は5位にまで順位は上がりましたが、その後は減りつつあるアクセス数。今までは平均して400を少し超える数のアクセスでした。理由はよく分かりません。でも、春の椿事とでも言うべき驚きの日々です。春の椿事

  • 栽培山菜「ウルイ」

    農家で同級生のビニールハウスを訪れました。彼は夫婦二人で学校卒業して以来農業に従事。これは冬季間の仕事用ハウスです。ハウスの中に入ると、二列のウルイのベッドが見える。少しずつタイミングを変えて、促成栽培をしているがこれは発芽直後です。このあたりが収穫適期なのかな。専用の細長い、突きノミのような器具を使い、手探りで根元から切り取るのです。角度を変えて眺めます。午後に行ったら「今朝は6時から続けている」と。昨年はご存知の通りの酷暑の年で、ウルイの根株の成長も悪かったというのだが。仕事が間に合わなかったのかな。これは伸び過ぎですね。露地栽培は天候に左右されるから、ウルイも苦戦中。でも単価は昨年よりも大分良いらしい。最後の根茎の植え付けを終えて、もみ殻を掛けていました。三月のこの時期に植え付けると、四月末まで収穫...栽培山菜「ウルイ」

  • 生物多様性セミナーで驚きのデータ

    昆虫博士は講演も多くされているらしく、人を惹き付けるお話し。昆虫を研究する人も、色々な分野の専門家もいるらしい。今回のテーマです。そして、色々な分野で昆虫の研究は進み、工業製品にも反映されているとか。例えば、新幹線の先頭車両など鳥の「カワセミ」の嘴の形状を模したものさえあるという。シャープ電機では、蝶類の羽の形状を扇風機に取り入れているとか。しかも、アサギマダラとアゲハの二種類の形状を取り入れて、静粛性、風の効率性を追求しているとも。正倉院の「玉虫厨子」はご存知だと思います。あの、玉虫の見事な羽の色は、色素によるのではなくて、微妙な光の反射なのだとか。その仕組みを利用して、燕市の会社がステンレスの発色に利用しているそうです。ステンレスが美しい色を見せるが、これも着色ではなく、光の反射の利用です。昆虫博士の...生物多様性セミナーで驚きのデータ

  • 生物多様性セミナー

    先日魚沼市主催の「魚沼市生物多様性セミナー」に行ってきました。前々から興味のあったセミナーでしたが、今回は初めての出席になります。前半は、御覧の項目の令和5年度の調査報告。マニアと言っては失礼でしょうが、市内のそれぞれの専門分野の皆さんです。休憩時間には、会場の玄関わきに飾られた数々の標本を見物。小学生の集めた標本でしたが、鳥類、昆虫類が緻密に標本化されていて驚きです。休憩後は、記念講演というか昆虫の専門家によるお話し。失礼ながら、昆虫博士という称号を髣髴させるかのような風貌に驚きました。興味深い話の内容は、こんな身近なお話しも。スベルべは良く山のホームグラウンドとも言うべき堀之内遊歩道を紹介しています。そして、属する山の会で、春秋の二回登山道の草刈りに従事しています。何コースもありますが、そのうちの一本...生物多様性セミナー

  • 十五の春

    昨日は娘夫婦に頼まれて、孫の幼稚園の送迎。幼稚園の登園時刻は9時で、場所はある高校のすぐ前で、なんだか騒がしい。この高校は、ノルディックスキーの名門でオリンピック選手も出ている。大きな横断幕は、ユースオリンピック出場を記念してのものでした。高校入試も私たちの時代とは様変わり、二日間の日程が一日に。そして、少子化の社会現象で倍率も1倍をちょっぴり超えるだけの広い門。立派な校舎と校章です。時計はもうすぐ9時になろうかという時刻を示しています。9時の受付開始らしくて、引率の先生に促されて玄関前に。スベルべの受験には先生の引率なんて記憶にない。仲間で連れ立って行ったのでした。そして、倍率も1.2倍ほどだったように記憶しています。貧しかった我が家は、二校受験するほどの経済力は無くて、一発勝負。運命の春でした。十五の春

  • 散歩で渡った橋は

    雪国に暮らす人は、冬の間はどうしても運動不足になります。そこで、天候にもよりますが、一日に一回は散歩をする。この日は橋まで行きました。この橋は、線路をまたぐ、跨線橋という橋です。線路の上はワンスパンの橋で出来ているが、若い頃の私が監督して掛けました。県発注の広域農道という広い道路が出来ることになり、その線路上部分でした。営業線の真上を渡る工事であり、その部分は国鉄側の監督によって架設したのでした。当時の私は、専門の保線ではなく土木工事のテーブルにいました。家が現場に近いこともあり、土木には初心者のような私が担当になったのでした。私の住む地域の名前が使われた橋の名前は「下島橋」です。心配だったのは、20年前の中越地震でした。素人のような私の監督した橋が落ちなかったかと。この跨線橋は線路が良く見通せるために、...散歩で渡った橋は

  • スポーツしようぜ

    今回、小学校の玄関に入って驚いたのは「大谷グローブ」です。以前、校長先生と話をしましたが、ぜひ地域の皆さんにも見せてくださいとお願いしていました。全国の小学校にプレゼントだそうですからスケールが大きい。誰にも好かれる好青年、大谷翔平のやることは政治家などの行動とは大違い。残念ながら、野球のチームを一学年で組める規模ではない。全校児童数が55名という小規模校ですからね。学年をまたいで合同チームですかね。そして、無くも無いが女子の野球部というのも少ない。どう、皆さんバドミントンだったら二人から出来るぞ。ダブルスでも四人だぞ。野球に限ったことではありません。何かのスポーツに親しむって良いことです。四月、学校も新年度に入ったらクラブ活動も始まることでしょう。コーチのお願いがあったら引き受けましょう。スポーツしようぜ

  • クイズまで準備してありました

    「次にスベルべさんクイズをやります」なんて進行に驚きます。スベルべが子供たちの出すクイズに答えるという形式。答えをホワイトボードに書きます。「スベルべさんの好きな食べ物は何ですか」うーん、とっさのことに「サクランボ」なんて。席についている子供たちからは「ポテト、ポテト」なんて小声も。しまったコロッケと答えたらよかった。クイズが無事に終わりました。次のセレモニーが待っているようです。「スベルべさんは席に戻って、座って待っていてください」なんて可愛い指示。代表が渡してくれたのは何でしょう。一、二年生の作文集というか礼の手紙の綴りでした。思いやりにあふれた、優しくて子供らしい内容の手紙です。「もうすぐあたらしい一年生が入ってくるのでたのしみにしてください」一年生らしい内容の手紙です。焼き芋やアケビの味が印象に残...クイズまで準備してありました

  • 学習発表

    昼食会の行事は休むことなく続きます。次は写真投影により、一年間の芋作り授業の内容発表です。この場面は、ジャガイモの種芋を切り分けている場面。「40グラム前後に切り分けます」なんて、親にも学んでほしい内容でもあります。ジャガイモの収穫風景ですね。大きな写真の場面は「ノーザンルビー」を掘ったところ。「サツマ芋!」なんて声が聞こえたぞ。おー、感心しました。なんとそれぞれのジャガイモの味比べ。少しだけ進呈した、赤いノーザンルビーと紫のシャドウクイーンまで比べたのだね。そして、発表の締めくくりは、焼き芋大会の写真です。美味しそうな雰囲気が伝わってきます。なんだか女の子の方が嬉しそうだぞ。こうして、一年間の芋作り授業の成果は、今回の昼食会へとつながりました。昨年亡くなられた、山形の尊敬する、農民・詩人などの肩書を持つ...学習発表

  • 小学生に招待されました(その3学んだ内容)

    驚きましたね。前夜会合があり、その席で何人かの母親がボランティアで出席とは聞いていましたが。それが、実習室の調理の光景でも確認できましたが、昼食会場で席に着いたらなんと7人でした。和やかに、そして美味しそうに食べた昼食も終わりました。続いて、学習発表です。資料はパワーポイントで作って映し出されます。写真が前後しちゃったかな。これは教えたことに対するお礼だったかな。右の男の子は、同級生の孫です。孫世代に教えられることも嬉しいことです。教室での事前学習の場面から始まります。良い体験だったと思うのは自画自賛かな。でも、星寛治さんのことも思い出す。現代に欠けつつある、思いやりとか、食べ物を大切にすることとか全部入った教育じゃないかな。星寛治さんの著書に「耕す教育の時代」というのがありました。理科から社会からすべて...小学生に招待されました(その3学んだ内容)

  • 小学生に招待されました(その2会場は)

    昼食会場に入り、黒板に目をやって驚きました。ありがとう。の大きな文字の下には私の似顔絵がびっしり。こちらは一年生かな。こちらはきっと二年生でしょう。彩色などに一年生との違いが少し出ているように見えます。さすがですね。多くの子供たちの絵に共通していたのはトンボの絵です。スベルべが蚊よけのために、帽子に着けたオニヤンマのフィギァが気になったようです。そして、あご髭も忘れずに書き込まれている絵も。サービスだったかな。帽子のつばから髪の毛がはみ出しているぞ。これは大きなオニヤンマですね。しかも飛んでいるようです。他にも何点か共通していたのは、スベルべが腰に下げたハンギング時計でした。汗と土にまみれる仕事で、腕時計も汚れてしまうので昨年は利用していました。観察眼が中々鋭い。そして、何が記憶に残るかですね。子供たちの...小学生に招待されました(その2会場は)

  • 小学生に招待されました(その1準備中)

    玄関のボタンを押して教務室に到着を知らせました。事務さんが迎えて下さり、突き当りの階段を昇った実習室にいますと。そっと近づいてみると、居ました居ました。保護者と子供たちが作業中です。目ざとい子供が見つけて「スベルべさんだ!」と言うとみんなが一斉に手を振る。下のミーテングルームで待つことにします。しばらく待つと、ほら、来ましたよ可愛いウェートレスたちが。あれっ?でも手に持っているのは別々の器ですよ。どうやら、器などは自分たちの分を自宅から持参したらしい。そして、スベルべの前にはお母さんたちが配膳。隣の席の一年生が「うわーっ、一杯!食べられますか?」なんて心配してくれました。そして、副菜の皿もあり、ポテサラとジャガバタとジャガイモのベーコン巻。食べきれるか心配してくれた、隣席の子供には「仕事を沢山する人は、た...小学生に招待されました(その1準備中)

  • 越後三山の夕焼けを高台から

    きれいな夕暮れが近づくと山の風景が見たくなる。越後三山の夕暮れです。距離は測ったことも無いけれど、我が家から3kmほどで牛ヶ首展望台に着きます。中央の左右の稜線がなだらかな山は「未丈ヶ岳」です。この山は、アプローチが長くて近づくのが困難な山。山の仲間と家内とで登っています。こちらの正面は巻機山です。ピークがいくつかあり巻機連峰とも。こちらも、家族4人と、当時の愛犬チロとで沢登りを敢行して登頂しています。我が家の方向を135mmの望遠を効かせて撮りました。右手の大きな建物が母校の小学校。我が家はその手前の尾根に隠れて見えない。越後駒ケ岳も夕日が当たる。深田久弥選の日本百名山に入っています。こうして、冬の晴れた日は朝日の昇る風景、そして夕暮れ見物とあわただしい。今日は待望の小学校へのお呼ばれの日でした。一枚前...越後三山の夕焼けを高台から

  • 連載311「サツマイモ先生」②(その2終わり)

    可愛いラブレター、いえ感謝のお手紙。サツマイモ先生②(その2終わり)一年目のサツマイモ栽培の時だったでしょうか、途中経過の観察を兼ねサツマイモの草取りに来たことがありました。せっかく山の畑に来たのに、何もないというのも寂しかろうと、ジャガイモを掘って見せ進呈したことから、次の年からはサツマイモとジャガイモを半々ずつ作ることになります。内訳はサツマイモが三種類、50本ずつで150本。ジャガイモも三種類をそれぞれ種芋で5キロずつの合計15キロを作ることになりました。両方とも出来は上々で、秋のサツマイモは収穫後、私が焼き芋釜持参で出張焼き芋屋をやって喜ばれました。たくさん採れたサツマイモは、寒さに弱くて保存も難しいことから、家に持ち帰ってもらう事にもなった。今でも、親たちに「サツマイモが甘くて美味しかった」など...連載311「サツマイモ先生」②(その2終わり)

  • 連載311「サツマイモ先生」②(その1)

    これは、ジャガイモ植えをする前かな、全員マスクだから一昨年でしょうか。嬉しい礼状が届きました。スベルべの一生の宝物です。一生の宝物とワクワクのご褒美(その1)先ず畑に出る前に、机上学習です。今までのサツマイモ作りの写真などを準備して、学校に行く。サツマイモ作りと聞き、珍しさに目を輝かせている子供たちに、サツマイモの伝来の歴史、青木昆陽さんの話、種類、作り方などを簡単に説明する。1、2年生には難しかったかもしれないが、山の畑は河岸段丘で成り立っていること。土が黒ぼく土というサツマイモ作りに適した土だという事などを説明した。サツマイモにはビタミンCが含まれていると説明すると、不思議そうな顔をしていた。その後子供たちから礼状が来たが、半年たっても「サツマイモにビタミンCがあるなんて驚きました」と書いた内容もあり...連載311「サツマイモ先生」②(その1)

  • 北帰行

    旧川口町と小千谷市の間、川口寄りに中越地震以降架けられた橋がある。その新しい橋、牛ケ島大橋に初めて行ってみました。橋の下流にカモが遊んでいる。そして、同じく下流方の川岸には白鳥の群れが見える。こんな、我が家からそうは遠くも無い、信濃川に白鳥の群れがいるなんて知らなかった。朝の日の出前の早い時刻だから、目覚めてエサを探しに飛び立つ前なのでしょうか。優雅な姿に似合わない、大声でガーガーと鳴き交わしていました。数10羽は居そうです。残念なことにレンズは135mmまでのズームレンズ。300mmの望遠を持参しなかったことを悔いました。でも鳴き声だけは大きく聞こえる。後日もう一度、白鳥をカメラに収めたくて、昼過ぎに行ってみました。その時は、信濃川の水量も多く、この半島のような岸辺は消滅し、群れもずうっと下流にいたので...北帰行

  • スキードー!

    先日、下の娘からスマホに動画が送られてきて驚いた。しかも、借用品だと思ったらなんと、中古品を手に入れたのだとか。スベルべもずっとあこがれていて、中古を探したりもしていました。気持ちも声も上ずって、「購入費用でも修理代でも一部負担するよ」なんて。先日、その娘婿がスベルべが紹介したオートバイ屋で修理。帰りには、我が家に卸して表の車庫で一時保管することになりました。かなり大きな車体ですが、車庫の後ろには農機具などもあるけれど納まりました。修理と言ったけれども、故障はしていなかったようです。トラブルというか使用条件でした。これは、DOSPEEDと言う製品名で、アメリカ製です。日本でも、ヤマハやカワサキが作っていたけれど、排ガス規制か何かで製造は中止した様子。本当に昔の話になりましたが、知己のオートバイ屋から借用し...スキードー!

  • 信濃川と魚野川の合流点からの越後三山

    風景写真にはまって以来、多くの写真家の作品を見る。信濃川周辺から撮影したものも多く、晴れの朝に出かけてみました。左に隠れて見えないけれど、魚野川が流れてきて、右の信濃川と合流します。かつて、高名な地質学者が太古の地殻変動がみられ、最高に好きな風景と語っていた。あの、中越地震でその言葉を思い出していました。震央はここから1km余りでしょう。ポイントと思われる地点に到着すると、三脚を立てた先客が見えた。しばらく待つと、越後三山は茜色に染まり始めました。正面の川が魚野川になります。再び、茜色に染まる巻機山方面を写す。右は先ほど説明したとおりの信濃川。発電所のために上流で取水していて水量は少ない。思った通り、ここから眺める越後三山は並びのバランスも良く最高!ただ、朝日が直接照らすことはなく、左、東方から登る太陽は...信濃川と魚野川の合流点からの越後三山

  • 朝日に輝く越後駒ケ岳

    越後駒ケ岳が朝日に浮かび輝き始めます。左横方向からの光です。駒ケ岳と名の付く山は全国にあります。甲斐駒ヶ岳が最も高く越後駒ケ岳は四番目です。深田久弥が選んだ、日本百名山に入っているのがこの越後駒ケ岳。三山のうちで、越後駒ケ岳を選んだのは「私があえて三山の代表として、駒ケ岳を挙げたのは、山としてこれが一番立派だからである」と記している。堂々たる山容ですね。牛ヶ首展望台からの撮影を終え、わき道にそれて帰宅する。こちら側は魚野川の右岸になります。ここでは越後三山は霧にかすんでいました。我が家の山の畑は霧の上になります。左奥に、駅前通りの我が家が見えますね。まだ、気温は氷点下です。越後三山は色々な場所から見えますが、我が家の付近からの姿はバランスが良い。そして、小千谷、越後川口方面から見ると山は遠くなるけれど、す...朝日に輝く越後駒ケ岳

  • 越後三山に陽が昇る

    朝起きて、SNSをアップして、表を見ると晴れの兆し。日の出に間に合うように、我が家から3kmほどの高台「牛ヶ首展望台」に向かう。稜線がなだらかで、左右均等な山「未丈が岳」の左が赤くなり始める。あの、山にも登りました。そこで、我が家から見える山々は全て登ったことになった。太陽が顔をのぞかせ始めました。こうなると、早くてたちまち山々は朝日に照らされ始めます。太陽は越後三山の裏を照らす位置になり、赤くはならない。ただ、空全体は赤く染まるので「春はあけぼの」の雰囲気が漂います。太陽が照らし、雲も染まり始めました。全体を写したくて、レンズを18mmから24mmほどの広角気味にする。なんだか、この頃は風景写真にはまってしまい、天候次第であちこちへ。今朝も晴れの兆しは無いけれど、降らないようだから望遠で白鳥の群れを写し...越後三山に陽が昇る

  • 春の兆し

    一週間ほど前だったかな。晴れて冷え込んだ朝でした。凍み渡りで朝の散歩に出て、ネコヤナギを取り、そして歩き続けました。すっかり春の雰囲気ですね。魚野川の右岸には、汚水処理場。魚野川のはるかかなたの山の上は木沢集落。降雪量が少ない上に、気温が高いものだから山肌も露出気味。なんだか、ゼンマイや独活などの山菜がいつ出ても不思議のない雰囲気です。魚野川の支流の大沢川のほとりに着きました。昇りきった太陽を反射して光る水面。春になると野鯉の産卵する光景が見られます。我が家が近づいてきました。凍った雪の表面がキラキラと光ります。ここからは越後三山の全景は見えなくなる。八海山が手前の山に隠れます。この頃は夫婦二人でよく散歩に出ます。冬の運動不足解消のためです。こんな風に歩くたびに、健康の有難さを感じます。スベルベママが健康...春の兆し

  • 凍み渡りとネコヤナギ

    パートが休みで、しかも天気が良いと朝が楽しみ。放射冷却現象により、雪の表面が固く凍り「凍み渡り」が出来るのです。朝食を終えて、二人で凍み渡りの散歩に出ました。魚野川の水も、なんだか暖かそうに見えてしまう。ネコヤナギも芽吹いた様子。川岸に餌を求めて歩いた動物たちの足跡。今年の冬は暖冬で、雪も少なくて動物たちにも過ごしやすい冬だったでしょう。スベルベママに頼まれて、ネコヤナギを2、3本折り取りました。季節の花木を飾るのもスベルベママの趣味。いつも花が飾られている我が家です。いつもの娘婿のおさがりの赤いパーカーを着たスベルベママ。思わず、ザ・ブームの歌の歌詞を思い浮かべる。「帰ろうかな」です。「雪帽子の猫柳寝ぼけ眼のウグイ春はまだかと待ちぼうけはるか遠いふるさと忘れちまったわらべ歌名もなき子守唄無いものねだりで...凍み渡りとネコヤナギ

  • イワシを造る(その2終わり)

    流水で洗い、残ったワタ、ウロコと血を洗い流す。洗い終えると、こんな風に仕上がります。もう血の色はありません。胴体部分から圧力鍋の底に並べる。中ほどに、尾部も並べました。でも、ボウルをかき回すと胴体だけで一段になるほどありました。胴体だけで一段目は終わり、上には尾部を載せる。これで、何匹だか分かるはずですが、30匹、いやもっとあったかな。並べたイワシの上に梅干しを載せます。つぶれて使いにくくなった、古い梅干しでした。臭み抜きに料理酒を注ぎ、味醂少々と醤油で味付けをしてコンロに掛け、タイマーをセット。まだ、真鱈が残っています。とても二人で食べきられる量ではありません。圧力鍋の火を調整してから、真鱈の切り身をもって長岡の娘に届けます。1時間半ほどで、長岡を往復しましたが、帰宅すると「イワシの梅煮」は出来上がって...イワシを造る(その2終わり)

  • イワシを造る(その1)

    昼食休みの後、少しまどろみ、イワシに手を付ける。刺身、ヌタも美味しく食べられそうですが、最近はやっていません。このために研いでおいた小出刃「鯵割き」を使います。頭を切り落とし、ワタを取ったら二つ切りにします。細かいヒレはキッチンハサミで切り落とす。本当は尾びれだって食べられるし、美味しいのですけれどもね。大き目のステンレスボウルに切っては入れ、切っては入れです。次いで、冷水で残ったワタやウロコを取り血を流す。切り口も生き生きとして見えます。こんなイワシは滅多に無いですね。(続く)イワシを造る(その1)

  • イワシを求めて寺泊(その3)

    真鱈を造ってもらっている間に、再び店内を見てすばらしい鰯を見つけた。新鮮でピカピカのウロコ、目、そして丸々と太った姿は最高ではありませんか。まだ、店内に持ち込まれたばかりで、皿に盛っていなかったのです。「一箱買うから安くならないか」と問うと「高くは出来ても安くは出来ない」なんて返事。もう少し言い方があるんじゃないかと、腹が立ってけれどもそこは我慢の言い値買い。何匹かと聞いたけれども、目方で仕入れるから分からないが40匹はあるとも。結局、買い物が重なってしまった感じで、真鱈とイワシの二箱に。二箱を積んで60kmの帰路をひた走り。途中で長岡の娘に届けようとするが、電話に出ず断念しました。帰宅して、まずはイワシの箱を開けます。期待にたがわぬ、見事なイワシ。ちなみに産地は石川でした。(続く)イワシを求めて寺泊(その3)

  • イワシを求めて寺泊(その2)

    フェイスブックにアップしたら60kmも走るのかと九州の人に笑われた。でもね、春になったら山菜が徒歩100mで採れるもんねー。ま、確かに寺泊は遠いし、魚もそれほど安くはない。豊洲からくるって噂もあるくらい。メバルとカナガシラには新潟と書かれた札。キンメは千葉と見えますね。奥のマトウダイと真ソイはどこで獲れたのかなー。好奇心は沸くけれど、食べたことの無い魚には手が出ない。これはほら、正真正銘の新潟さん。名前通りに甘いエビです。南蛮エビとも呼ぶのかな。ぬるぬるとした粘液にくるまれたゲンギョは本当の地場、寺泊産です。右のハタハタなんて鳥取産ね。ゲンギョは安いけれどもこれも手が出ません。(続く)イワシを求めて寺泊(その2)

  • 連載310「サツマイモ先生」(その2)

    すでに植え終えたジャガイモ畑に看板は建てられた。自分たちの学校が見えるポイントに案内。興奮した子供たちは応援歌を歌う。サツマイモ先生(その2)子供たちとサツマイモを植えた丁寧に説明して始めたが、そこは1、2年生。ほめながら植えさせたが、帰ってから見ると植え直しが必要な苗が多数。もっともこれは苗が不良品だったことにも一因がある。300本の注文にしては数が多いと感じたのだが、不良品のために数でカバーされたらしい。それでも頑張って植えた結果は満足だったらしく上気気味の顔色です。その畑は子供たちによって「しあわせ畑」と名付けられ、立派な看板さえ建てられた。植え終えて、山の端から小学校が一望にできるポイントに案内した。学校が見えると全員が大興奮。村の名前などを教えていると、一人が声を出した。「よしっ、応援歌だ」、小...連載310「サツマイモ先生」(その2)

  • 連載310「サツマイモ先生」(その1)

    事前に机上の勉強も済ませ、今日は実践。いつもは静かな山の畑に子供たちの元気な声が響き渡る。サツマイモ先生(その1)子供たちとサツマイモを植えた少し前の事だが、唐突にサツマイモ作りを教えてくれないかという話が舞い込んだ。ある人が小学校で校長と話して、児童たちにサツマイモ作りを教えたらどうかという話になったらしい。そこで、「サツマイモだったら利夫さんだろう」という流れになったという。小学校と打ち合わせると、1、2年生が300本植えたいのだという。畑を探したりしているうちに日は過ぎ、苗を探すにはやや遅すぎるタイミング。300本分の畝を作り、苗もなんとか手配できたと聞き一安心。小学校と打ち合わせると、1、2年生が300本植えたいのだという。畑を探したりしているうちに日は過ぎ、苗を探すにはやや遅すぎるタイミング。3...連載310「サツマイモ先生」(その1)

  • イワシを求めて寺泊(その1)

    何とも多忙な一日になってしまった。朝食前にスベルベママを誘って、日の出を見に山へ。日の出を見て満足し、帰宅して朝食の後、8時半には一人で寺泊へと走ったのです。なぜ、寺泊へかというと、ニュースを見て富山湾、佐渡島でイワシ大量のニュースを見たから。単純に、それでは寺泊の魚屋にはイワシが、安価に出ているのではないかという発想からです。ところが、何軒も回ってもイワシが見当たらない。有っても、千葉産の小さなイワシ。店員に尋ねると今日の入荷はないなんて言う。二回も繰り返し店舗を回り、一軒で見つけて躊躇していたら買い占められた。がっかりして、一軒の店で大きな真鱈を見つけて、鍋用に切り分けてもらう事にした。真鱈ですから大きいです。この左にあったメスの大きな真鱈を求めたのです。造るには15分時間をください。と言われて再び店...イワシを求めて寺泊(その1)

  • 紅ハナコ(転倒しながら下山・終わり)

    陽が沈み、越後三山は夕日に輝く。唐松山、檜岳も赤く染まり始めます。「ハ」の八海山です。西の山に陽が沈む。こうなると日没は一気呵成!日没とともに、急激に冷え込み足下が凍り始めました。ここに至るまでに、急坂で三回も転倒してしまった。腰をしたたかに打った。それでも、なんとか足下が見えるうちに駐車場まで帰着。誰も居ない、夕方の下山って、やはり少し寂しいですね。何はともあれきれいなハナコが見られました。(終わり)紅ハナコ(転倒しながら下山・終わり)

  • 紅ハナコ(夕日が沈み始めた)

    静かに夕暮れを迎える。遠く、山の上に見える集落は旧川口町の木沢です。遠く見える二つのピークは左が下権現で右は上権現堂山です。上の方が下よりも、標高で100m違うのだが同じような高さに見えてしまう。左の二つのピークが唐松山で、マックスを連れて登ったっけ。中央のピークは桧岳という。この山は奥の毛猛山からのルートしか無いらしい。そろそろ、陽が沈み始めました。期待していたほどの赤さにはならなそう。晴れるという条件だけでは赤くならないのか。望遠を135mm一杯に伸ばして越後駒ケ岳を写す。日本百名山に選ばれてあるだけの、堂々として貫禄のある姿です。(続く)紅ハナコ(夕日が沈み始めた)

  • 紅ハナコ(夕暮れを待つ)

    周辺を眺めながら日暮れを待ちます。何回も紹介していますが、ここ、大平には山で遭難死した友人の慰霊碑があります。135mmの望遠レンズを最大にして写す八海山。信仰の山でもあります。ハナコの「ハ」ですね。頂上はとがって見えますが、角度を変えると横に八つの山頂が並ぶ。中の岳です。ハナコの「ナ」ですね。どちらから縦走しても真ん中に位置し、三山のうちでは最も高い標高です。越後駒ケ岳です。ハナコの「コ」です。故作家の深田久弥が、選んだ日本百名山に入っていて名高い。でも、別の意味でも登山家には知られ、多くのクライマーが入った。それは、北アルプスの岸壁をしのぐ日本一とも言われる大岩壁の存在からです。陽が沈み始める前に、もう一度我が家の方向を振り返る。杉木立のかなたの右手に、わずかですが白い平らな部分が見え、そこが我が家の...紅ハナコ(夕暮れを待つ)

  • 紅ハナコを見に行く(山頂到着)

    軽く汗ばみつつも遊歩道の頂上到着です。本当に雪が少なく、途中の急坂では地面が出ている場所さえありました。旧堀之内町の中心街を見ます。遠くは、旧山古志村方面で、低い山並みが連なる。山頂の石碑に別れを告げ、次のピーク大平を目指す。左の杉木立が石碑のある、御嶽山の山頂。そこから右手の尾根を登ってきました。先を急ぎましょうか。杉林の左が大平です。そこまで行かないと、尾根や杉林に視界が遮られ越後三山は見えません。大平に到着です。眼前に越後三山は広がる。まずは越後駒ケ岳をアップ。2千メートル級の越後三山も雪は少ない。例年だともっと真っ白に光るのですが。(続く)紅ハナコを見に行く(山頂到着)

  • 紅ハナコを見に行く

    昨日は雲一つない快晴が一日続いた。越後三山の夕焼けが見たくて、パート終了後スベルベママの買い物を手伝い、その後支度を整えて15時過ぎに家を出た。スベルベママは寒くていやだというし、女性の友人は電話すると新潟にいるとのことで、一人で行く。下の駐車場には二台の車が止まっていたが、下ってくる女性二人とすれ違う。どうやら、後はスベルべだけになったらしい。ま、一人も気楽でよいかと登ります。オーバーペースになって汗をかいては、到着してから寒くなる。なるべく汗をかかないようにと、ブナ林の途中で息を入れ振り返って今来た道を写す。出会いの鐘に近づくと目指す、大平という越後三山が見えるポイントがある。向こうの山頂付近に見える杉林の左側あたりだから、ここはまだ中間点です。唐松山や檜岳は白く見えるが手前の低い尾根は地肌が見える。...紅ハナコを見に行く

  • とれとれニシンは焼き魚に

    白子でパンパンに腹の張るオスのニシン。腹が張っているからでも無いけれど、まさに春ニシンですね。他にも貴重な卵、カズノコ入りのメスもありましたが、まずはオスを食べます。「贅沢だけれど、どうしても一匹丸ごと食べたい」と言うのが、スベルベママの要望でした。この日の夕方は下の娘と孫が来宅して、一緒に夕食。可愛い茶碗にご飯を盛って食べますが、さすがに一匹は無理でした。大根、サトイモ、ニンジンとがんもどきの煮物です。こんな家庭料理はスベルべには無理で、主婦スベルベママの出番です。スベルベママはこのほかにもポテサラをササーっと作り手際の良さに娘はビックリ。何も手伝わずに出来上がった夕食でした。亭主は喜んで白ワイン。孫と会話しながらの夕食でした。とれとれニシンは焼き魚に

  • とれとれニシン!

    スベルベママの札幌在住の姉からニシンが送られてきました。義姉には漁師の娘さんがいて、獲れ立てを市場を経由せずに頂いたもの。早速捌きにかかるスベルベママです。プロも使うという、大きなまな板の出番。包丁も切れるプロ仕様。内臓も中骨もきれいに取り保存します。煮物、揚げ物と用途は広い。中骨も素揚げにして骨せんべいですよ。捨てるのは頭と尻尾のみ。昔はこの頭も、圧力鍋で煮て愛犬マックスの御馳走になっていましたが。スベルべの手伝いと言ったらラップを切って並べる程度。楽しみはもちろん、一匹丸ごとの焼き魚ですが冷凍保存は後の楽しみ。鮮度が悪いと、ウロコがボロボロと落ちるか、すでに落ちて裸状態。これは港へ揚がってから、中一日で我が家に到着ですから、鮮度抜群でウロコもびっしり。(続く)とれとれニシン!

  • 連載309「清々しい生き方」(その3終わり)

    (氏は「おかげ様」って、誰に向けた言葉ですか?と問われた)(これだけの年配者、知恵者が揃ってが正解は中々でなかった。皆さんはお判りですよね)清々しい生き方(その3終わり)「地域の皆さんにはお世話になっているから」と語られた。ただの吝嗇ではなく、お金に関する哲学も持って生きていたのだと思わされる。どんな経緯かある時代に富士山山麓に広い土地を買い求めたらしい。それが、三島市が買い取ることになり、かなりの金額を手にすることになり、その時代の居住していた市の長者番付にさえ載ったと言います。どんな人生を送っても、人間には寿命があります。最後は病院で迎えられたその銭湯の創業者は、入院中も淡々と過ごしていた。そして、ある日看護婦さんに水を求め、飲み干すと「グッドバイ」と言葉をかけて、息絶えたのだそうです。人生にも自分の...連載309「清々しい生き方」(その3終わり)

  • 連載309「清々しい生き方」(その2)

    (その大会で特別公演されたのが、元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫氏でした)清々しい生き方(その2)短時間に色々な話題が出たが、印象深かったのはご近所の銭湯の話だった。創業者は群馬のある町から、首都東京に近いこの町に出て、お金をためて銭湯を開業したという。こちら新潟からでも事情は似たようなもので、東京に出て成功したのは豆腐屋さんなどだった。その群馬出身の方は、経済的にもしっかりとした考え方をお持ちで、着物も息子さん夫婦が新しいものを揃えても、勿体ないとタンスにしまい込み、古くなったものを平気で着ておられたという。そして、なんと履物などは拾って来たような、左右の足で違うサンダルなども平気で履いていたというから驚きです。地域で、初めて夏祭りの企画が出来上がり、寄付金を集めに先ずその銭湯に役員が伺った...連載309「清々しい生き方」(その2)

  • 連載309「清々しい生き方」(その1)

    (民生児童委員を二期6年務めました。こんな大会にも出席)清々しい生き方(その1)相変わらず、政治と金の酷い話が続いているが、それと反対の話をおもいだした。久しぶりに従姉が御主人と弟を伴って来宅し、しばし歓談した際の事だ。従姉もそして、その連れ合いのご主人も辛かった子供時代の話は淡々とされる。従姉は早くに父上を病死で失い、叔母が4人の子供を抱え苦労して育てた。今のように福祉政策などが充実していない時代に、叔母がどれほど苦労して子育てをしたかは想像に難くない。子供たちは分散して育つしか方法がなく、今回訪問してくれた従姉は小学校から、中学校の一時代を我が家で一緒に過ごしたのだった。ご主人も90歳を越えられたというのに矍鑠としていて、戦時中の疎開の話などを淡々とされるのだった。短時間ではあるが久しぶりの出会いで話...連載309「清々しい生き方」(その1)

  • 昭和46年山村の暮らし

    スベルベママの友人の女性が一冊の本を持参して遊びに来られた。スベルべは仕事中で、帰宅して貸すと言って置いて行かれた本を見て驚く。撮影した直後に小冊子としてまとめられたが、中越地震後に再発行。「中越地震復興支援出版」とあるけれど、地震を機に日の目を見たという事でしょう。序文の「心やさしい人々が住む古志の村」がすべてを物語る。いえ、この古志の人々ばかりではなく、我が魚沼の人々も優しく暮らしていた時代。スベルべの子供時代の鳥追い行事もモノクロで紹介した記憶がある。これも同じに雪の穴の中です。炬燵の上では五目並べ、火鉢で焼く餅を吹く様も可愛い。買い物で町場に出かけることも難しい冬は行商が訪れた。母上の向こうに、少し顔をのぞかせているのは、本を貸して下さったご本人だという。これはモノクロ写真ですが、屋根の上で春の日...昭和46年山村の暮らし

  • 極上スイーツ!

    家内に新潟市在住の友人がお土産持参で来宅。「いつも同じものでごめんなさい」なんて言いながら包を差し出す。同じものでなどと、謙遜されるがいつ頂いてもうれしいスイーツ。こんな風に四種類。と思いきや、右の白四個は中の餡が違っているのです。中の餡が透き通って見えるかのようなデリケートさ。中の餡に工夫があり、甘い餡に加えて塩餡まで入ったものもあります。小さなオハギもまた美味しい。辛党を気取っていた若いころから、いつの間にか両刀遣いになったスベルべです。こちらが塩餡の入ったものですね。亡父が大の甘党で、でも味の分かる人で小豆と塩味の相性をいつも感心して食べていた。スベルべはかたくなに辛党を気取って若い頃は全く手を付けなかったスイーツ。やせ我慢していたわけでも無い。甘党の気持ちも、味覚も理解できるようになったのは単なる...極上スイーツ!

  • 奇祭「雪中花水祝い」は次の日曜日

    この絵は江戸時代の本「北越雪譜」の復古本に載っているイラストです。江戸時代から堀之内で行われていた奇祭とも言われた「雪中花水祝い」の場面。そんな奇祭の準主役とも言える村役としてスベルべが出たのは10数年前。還暦を迎えた年の事でした。祭りの直近になって、声をかけられて出ることになったのです。雪を積んで作られた祭壇で、祝詞を上げる神官たち。こちらは、本物ですよ。祭壇には男性のシンボルをかたどった御神体が見えます。日中はあの御神体を神輿に見立てて街中を練り歩く。そして、夜にはクライマックスの新婿への水かけが始まります。「婿は出ませぇ」です。そして、引き立てられて雪の上に座らせられた婿に水をかけるのです。何もやっかみで苛める訳では無く、子宝が授かるようにという願いだという。同い年の仲間たちのセンター、真後ろで水を...奇祭「雪中花水祝い」は次の日曜日

  • 昨日生まれた~♪(その2終わり)

    赤身を薄切りに切り分けます。うーん、二人分にしては多過ぎるかな。いや、一度に食べなくてもよいしね。こちらは脂身のついた部位。豚肉もそうですが、多少脂身もあった方が美味しくなりますね。大根主体で、ニンジン、ゴボウ、の根菜にこんにゃくです。青物野菜は煮崩れないように、ネギを最後に入れることにしましょう。ネギを入れる前に猪肉を入れて煮立てます。アクが浮いたので、お玉ですくいながら煮続けました。「今日は主菜を考えなくてすみうれしい」とはスベルベママ。喜んで、裁縫をする手を休めないので心配していたら、ササーっとポテサラを作ります。猪汁にはこれかなと、赤ワインを抜きました。狩猟後の処理、血抜きも上手な猟師さんで、拍子抜けするほど臭みも無い。これは、前日獲れたばかりの猪肉でしたが大きなブロックで残りは冷凍です。昨日も近...昨日生まれた~♪(その2終わり)

  • 昨日生まれた~♪

    キッチンには三種類ほどのまな板があります。これは常用する、小さなまな板の四枚セット。穴が開いていてこんな風に掛けておく。右側にはプラスチック製のオレンジ色のまな板。他にも木製の、塩鮭などを捌くための大きなまな板もキッチン引き出しの下部に。それぞれの小さなまな板には、肉・魚用、野菜用・果物用と手書きのイラスト。用途に応じて使いますが、昨日のまな板の出番は、肉・魚用。実は新鮮な猪肉が手に入ったのでした。なんと、前日に仕留めたばかりだという猪肉です。持って来て下さった女性は、冷凍する前にジビエ好きなスベルべに進呈しようと考えたらしい。昼前に頂いて、スベルベママには「今夜は猪汁」と伝えた。滅多に使わない、これも業物の包丁の切れ味も良い。刺身にしたいほどきれいに切れるのでした。この、猪を射止めた猟師さんは大ベテラン...昨日生まれた~♪

  • 節分の夜

    昨日は節分。昔は我が家も豆まきをしたけれども今は省略。冬仕事の裁縫にいそしむスベルベママに代わって亭主が買い物。宣伝チラシにつられて、恵方巻も食べたくての買い物。スーパーには色々な恵方巻が、たくさん並んでいましたが、その中の二本を選ぶ。マグロを二種類使ったものと、マグロと鯛の紅白としゃれたもの。我が家のあたりでは、昔は恵方巻など無かった。いつから入った習慣だっただろうか。恵方巻は二本に切って夫婦で仲良く半分ずつ。「昔はこんなものなかったのに、商戦に乗っちゃったね」と言いながら食べ始める。ついでに、これも節分の縁起物として売られていたイワシです。大ぶりな物を三尾買い、亭主が二本にスベルベママが一本ですね。付け合わせは温野菜でした。我が家産のカボチャにニンジン、と菊芋。そして買って来たスナップエンドウです。前...節分の夜

  • 一生役立つ料理術!

    週刊誌、新聞の書評欄には必ず目を通します。今回見つけたのは、「料理レシピ本大賞」のエッセイ賞を受賞したという本です。これだけマスターすれば、家庭料理は大丈夫。なんて、書かれるとこれは買ったみたいと思っちゃいますよね。私だけかもしれませんが。帯の裏側部分です。うーん、なんとなく納得できる言葉ですね。筆者は中国人ですよ。こんな10種類のシンプルなメニューです。実は今回購入したのは3冊でした。我が家と娘二人へのプレゼントです。スベルベママにはしばらく伏せておきました。こんな本をしょっちゅう買うものだから「とーちゃん、自分で作るの?」なんて皮肉られますから。でもね、娘と孫には見てもらいたい。そして、料理・食べ物の幅を広げてもらいたい思い。早速下の娘からは、メニューナンバー1番を作ったと連絡が入り、間もなく第2弾の...一生役立つ料理術!

  • 春一番フェア

    一昨日、1月31日は何年振りかに「春一番フェア」に行きました。勘違いで昨年も行ったかもしれません。でも、コロナ禍で何年かありせんでしたから。家内の都合に合わせて行ったので、到着は13時少し前。それでも、広い駐車場は満杯で、停めるところを探すのに苦労するほど。有名大手種苗メーカーのコーナーです。しかし、期待に反し、展示物、パンフレットはあるが肝心の種物は少ない。目立ったのは、こんな飲食店や食品コーナー。フェアと名付けたらこんなものなのかな。一種のお祭りですからね。実は毎回の事ですが、フェアに来る前にホームセンターを覗いています。価格的には、そちらの方が安価なのですよ。この会場では何点も買いませんでした。でも、年齢やら天候条件やらを考えて買いすぎないように自重していたのでしたが。結局二カ所を回って買った種は多...春一番フェア

  • 山と雪の風景

    先日、美術館に写真展を見に行く途中の風景です。今年は異例の小雪状態で、権現堂山も黒々として見えます。ここは、大力山という名前の山です。手前の木々は魚野川の堤防の桜並木。対比が面白くて撮った写真です。右手の高い山は越後三山のうちの越後駒ケ岳。中條カメラマンの写真集を見てからは、スベルベママも風景を見る目が変わった。良い風景だと思うと、「ここって、写真にどう?」なんて言う。スベルべももちろん異論無し。帰りにというスベルべに今ここでとスベルベママ。雲に隠れた越後三山と魚野川の川原です。車を進めてもう一カ所。川岸の木はニセアカシアや、柳の類でしょうか。同じポイントから、魚野川の下流方を見ます。左側の雪原には、餌になる魚でも探したのか、キツネらしき足跡。小雪だと、除雪に割く時間も少なくて済み、こんな風に出歩かれます...山と雪の風景

  • 連載308「独演歌謡ショー」(その3終わり)

    独演歌謡ショー(その3終わり)「流砂の護り」と言う立派な題名と歌詞が出てきましたよ。私が十八番としていた「流れ豊かな黒竜江の~」の歌詞は二番でした。1.男子度胸は鋼の味よ伊達にゃ下げない腰の剣抜けば最後だ命を賭けて指もささせぬこの護り2.流れ豊かな黒竜江の岸の繁みが我が住家水を鏡に鬚面剃れば満洲娘も一目惚れ3.可愛い背嚢の枕の傍に今朝はひらいた名無し草千里続いたこの流れ砂御国(くに)の光で花も咲く読めば読むほど、覚えれば覚えるほどに切ない、軍歌でした。亡父が口ずさんでいた歌がうろ覚えに、脳裏に残っていたのでしょうか。(終わり)連載308「独演歌謡ショー」(その3終わり)

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