日南線 大堂津 2025年5月干満の差が激しい海のようだ。橋脚の土台まで露出するのでは、という昼間の引き潮から一転、暮れなずむにつれ、満ち潮の時間がやってくる。海水と淡水が混ざる、いわゆる「汽水」は格好の釣り場なのか、竿を操る人の姿が目立つ。列車の前景にするなら当然竿を出してるポーズが欲しいが、見ていると入れ食い状態で、すぐに釣れては針から外す時間があるから気を揉む。それでもまずまずのタイミ...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
留萌本線 真布 2017年5時49分。 始発列車にもまだ早い。1956年、仮乗降場として開設される。 戦後10年、急増する人口が国鉄を動かしたのだろう。地吹雪が荒れるホームに、立派な待合小屋を建てたのは地元有志だったろうか。うたかたの夢のように通り過ぎた時代の証人は、明日最後の日を迎える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から...
小湊鉄道 養老渓谷 2011年これもまた随分昔の再発掘写真だけど、この時の菜の花は目を見張ったな。地元有志による休耕田を利用した菜の花ワールドで、瞬く間に小湊の春の風物詩になった。毎年種蒔きから始めてここまで開花させる地道な活動には頭が下がるが、この春は壊滅状態という。 写真を見たら菜の花はほぼ存在しない惨状で、 このところ数年おきに発生している現象だ。食害、土壌、低気温など様々な要因が重なっ...
東海道新幹線 新横浜 2022年以前からチョボチョボ撮っている、「RAILSIDE IMAGINATION URBAN VS RURAL 」コンセプトの一枚。東海道新幹線下りが新横浜を出ると、窓際を一瞬で通り過ぎても目を奪われる街。これは神奈川県平塚市にある「日向岡住宅」という。 東急電鉄が開発主体となり、1987年に分譲が始まったらしい。広々とした田園地帯に忽然と現れる、「三角形エントランス」「カラフル外壁」の連なりが、新幹線に...
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月決して雪に慣れているとは言えない土地である。 除雪作業もままならぬうち、国道は雪に埋もれてゆく。風太郎のロケ車はもちろんスタッドレスを履いているし、エマージェンシー用のタイヤチェーンも搭載は抜かりが無いが、アップダウンも多い山道だけに不安もよぎる。 しかしその杞憂は草木ダムの上だけと分かった。神戸まで降りて来ると雪は雨に変わる。 ひと山の違いで里は瞬く間に...
わたらせ渓谷鐡道 通洞 2023年2月東京から近いこともあって、「わたらせ」は撮り鉄の人気路線だ。その渓谷美を捉えた写真は沢山見かけるけれど、それでこの鉄道を語り尽くしているか。 キレイキレイだけか。旧足尾銅山の鉱夫が密集して暮らした時代をそのまま封印したような、中才の集落に至ればいつも息苦しい想いに駆られる。鉱山住宅から市営住宅に管理者は変わったけれど、長屋式の住居に風呂は無い。 トイレすら...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月霙交じりの細雪は、やがて本格的な降りになった。森閑とした冬枯れの野が次第に白く染まってゆく。こんな日は出歩く人もいないのか、人影のない車窓ばかりを見送る。 小中現役時代は図書館で本を借りて読むなどほとんど無かったのだが、遅ればせながらネット検索・予約システムの存在を知ったり、近隣の図書館間での移動貸し出しまで対応する親切さに、読みたい本は殆ど手に入るか...
わたらせ渓谷鐡道 沢入 2023年2月昨今流行りの「南岸低気圧」がやって来る。 典型的な冬型気圧配置の関東地方を突然襲う雪雲。でも一夜を境に全く天気の様相が変わるのは写真的には願ったりかなったりだから、このプチトリップは、ここしかないと急遽決定の日程だったのです。茨城の海沿いから関東平野をひたすら北上、群馬の山中にワープしました。 「雪のわたらせ」って一度も撮ったこと無かったんで。高速道路網...
鹿島線 鹿島神宮 2023年2月お立ち台である。 数限りなく写真が残っている場所だけれど、初見参。桃浦の落陽も心残りだが、夕方は此処と決めていたのだ。遠く消失点に収斂されるような長大な鉄橋は、1236mに及んで北浦の湖面を悠々と横切る。日本有数の鉄道風景と思うし、車両がどうこうはさておいて一度見ておかなければと思ったのだ。鹿島貨物という機関車牽引があるそうで、それに夢中なのがむしろ主流だろうが、風...
霞ケ浦 鹿島鉄道桃浦駅跡より 2023年2月いかにもな関東空っ風の天気に、霞ケ浦を見たくなった。在りし日の鹿島鉄道によく通ったな。 それは茫洋とした霞ケ浦に傾く陽と共にあった。 桃浦駅跡桃浦の駅はホームだけ形を留めているが、線路は全て剥がされ、太陽光パネルが並んでいた。線路を残してレールパークにするという計画を聞いた気がするが、頓挫したのだろうか。時の流れは僅かに残ったノスタルジー願望さ...
ひたちなか海浜鉄道 中根 2023年2月今どき珍しくなった4種踏切がこれでもかと連なるのは、見通しの利く田園地帯という故でもあろうが、鉄道の原点を見るようで良いものだ。しかし本数の多かった当時だって、これほど注意書きが並んでいなかったと思うのだが。そして列車が眼前を通過すれば目がチカチカするばかりだ。公共交通機関の車体における全面的な広告利用は、地方はともかく、東京都内においては「美観風致の...
ひたちなか海浜鉄道 阿字ヶ浦 2023年2月大洗から海伝いに「ひたちなか」へ。「茨城交通湊線」の方が余程しっくり来るのは、43年前から時計の針が停まっているからだろう。高校最後の夏休みに此処を訪れている。 それ以来なのだ。阿字ヶ浦の構内入り口にある踏切はそのままだった。「もう少しマトモな写真を撮らんかーい」と、同じ場所に立つ17歳の自分の頭をパッコーンと叩きたくなる。50mm標準レンズしか持っていな...
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日南線 大堂津 2025年5月干満の差が激しい海のようだ。橋脚の土台まで露出するのでは、という昼間の引き潮から一転、暮れなずむにつれ、満ち潮の時間がやってくる。海水と淡水が混ざる、いわゆる「汽水」は格好の釣り場なのか、竿を操る人の姿が目立つ。列車の前景にするなら当然竿を出してるポーズが欲しいが、見ていると入れ食い状態で、すぐに釣れては針から外す時間があるから気を揉む。それでもまずまずのタイミ...
日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
日南線 大堂津 2025年5月薩摩半島に居過ぎた感もあるので宮崎・日南海岸に移動。ひと月って随分長いようだけれど、広い九州を細かく巡るには短か過ぎるよなあと言うのが実感だ。 贅沢と言えば贅沢過ぎる話だけど。日南線沿線も細かく見ればいいところはあるのだろうけど、駆け足で先を急げばやっぱり此処に行き着く。南国の海は早や真夏の光。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
知覧特攻平和会館 2025年5月 再び九州。 加世田から程近いところに「知覧」がある。武家屋敷のお庭は綺麗だし、住人がそこで普通に暮らしているというのが良い。問題はもうひとつの「名所」、知覧特攻平和会館だ。内容を見聞きするたびに一言も二言も申し上げたいところがあって今回も敬遠していたのだが、見もしないでものを言うのもどうかと思って。まあ想像した通りだ。「特攻隊員の手紙」は全て軍による検閲済みの...
2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
磐越西線 1982年この写真の主役は妻面に貼られたポスター、「レール・オリエンテーリング」である。カメラを抱えた少年が目一杯弾けて小躍りしている。しかしこの少年の服装センスが凄まじいのだ。上半身は緑のトレーナー、下半身は真っ赤なズボン。 クリスマスかっての。これは1980年から始まった「いい旅チャレンジ20,000km」のPRポスターである。このキャンペーン、宮脇俊三氏のベストセラー「時刻表2万キロ」に便乗...
大井川鐡道 家山 2021年床下のコンプレッサーも止まった発車前、ホームを打つ雨音に耳を澄ます。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...