いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月決して雪に慣れているとは言えない土地である。 除雪作業もままならぬうち、国道は雪に埋もれてゆく。風太郎のロケ車はもちろんスタッドレスを履いているし、エマージェンシー用のタイヤチェーンも搭載は抜かりが無いが、アップダウンも多い山道だけに不安もよぎる。 しかしその杞憂は草木ダムの上だけと分かった。神戸まで降りて来ると雪は雨に変わる。 ひと山の違いで里は瞬く間に...
わたらせ渓谷鐡道 通洞 2023年2月東京から近いこともあって、「わたらせ」は撮り鉄の人気路線だ。その渓谷美を捉えた写真は沢山見かけるけれど、それでこの鉄道を語り尽くしているか。 キレイキレイだけか。旧足尾銅山の鉱夫が密集して暮らした時代をそのまま封印したような、中才の集落に至ればいつも息苦しい想いに駆られる。鉱山住宅から市営住宅に管理者は変わったけれど、長屋式の住居に風呂は無い。 トイレすら...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月霙交じりの細雪は、やがて本格的な降りになった。森閑とした冬枯れの野が次第に白く染まってゆく。こんな日は出歩く人もいないのか、人影のない車窓ばかりを見送る。 小中現役時代は図書館で本を借りて読むなどほとんど無かったのだが、遅ればせながらネット検索・予約システムの存在を知ったり、近隣の図書館間での移動貸し出しまで対応する親切さに、読みたい本は殆ど手に入るか...
わたらせ渓谷鐡道 沢入 2023年2月昨今流行りの「南岸低気圧」がやって来る。 典型的な冬型気圧配置の関東地方を突然襲う雪雲。でも一夜を境に全く天気の様相が変わるのは写真的には願ったりかなったりだから、このプチトリップは、ここしかないと急遽決定の日程だったのです。茨城の海沿いから関東平野をひたすら北上、群馬の山中にワープしました。 「雪のわたらせ」って一度も撮ったこと無かったんで。高速道路網...
鹿島線 鹿島神宮 2023年2月お立ち台である。 数限りなく写真が残っている場所だけれど、初見参。桃浦の落陽も心残りだが、夕方は此処と決めていたのだ。遠く消失点に収斂されるような長大な鉄橋は、1236mに及んで北浦の湖面を悠々と横切る。日本有数の鉄道風景と思うし、車両がどうこうはさておいて一度見ておかなければと思ったのだ。鹿島貨物という機関車牽引があるそうで、それに夢中なのがむしろ主流だろうが、風...
霞ケ浦 鹿島鉄道桃浦駅跡より 2023年2月いかにもな関東空っ風の天気に、霞ケ浦を見たくなった。在りし日の鹿島鉄道によく通ったな。 それは茫洋とした霞ケ浦に傾く陽と共にあった。 桃浦駅跡桃浦の駅はホームだけ形を留めているが、線路は全て剥がされ、太陽光パネルが並んでいた。線路を残してレールパークにするという計画を聞いた気がするが、頓挫したのだろうか。時の流れは僅かに残ったノスタルジー願望さ...
ひたちなか海浜鉄道 中根 2023年2月今どき珍しくなった4種踏切がこれでもかと連なるのは、見通しの利く田園地帯という故でもあろうが、鉄道の原点を見るようで良いものだ。しかし本数の多かった当時だって、これほど注意書きが並んでいなかったと思うのだが。そして列車が眼前を通過すれば目がチカチカするばかりだ。公共交通機関の車体における全面的な広告利用は、地方はともかく、東京都内においては「美観風致の...
ひたちなか海浜鉄道 阿字ヶ浦 2023年2月大洗から海伝いに「ひたちなか」へ。「茨城交通湊線」の方が余程しっくり来るのは、43年前から時計の針が停まっているからだろう。高校最後の夏休みに此処を訪れている。 それ以来なのだ。阿字ヶ浦の構内入り口にある踏切はそのままだった。「もう少しマトモな写真を撮らんかーい」と、同じ場所に立つ17歳の自分の頭をパッコーンと叩きたくなる。50mm標準レンズしか持っていな...
茨城県 大洗海岸 神磯 2023年2月明けましておめでとうございます。 本年もよろし・・・ 違うって。ここ大洗海岸の「神磯の鳥居」は関東の風景撮影地・年賀状の絵柄としては定番中の定番、写真は飽きる程出回っているが、一度も行ったことが無かったので、この機会に「参拝」しておこうと思い立ったのだ。特に夜明け時の神々しさは屈指のパワースポットと言われているが、ナンボのものか。この冬、もう一発長旅いっ...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 作業再開
天北線 恵北 1988年 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 「最北紀行」より原野に伸びる線路の脇は、歩きやすい雪原のように見えるのはとんだ落とし穴で、そこは背の高いクマ笹の群生地に雪が乗っただけだから、不用意に踏み込めば胸まで雪に埋まる。表面の硬く凍った雪の層を踏み抜かないよう、そろりと慎重に歩みを進める必要があった。 画面中央左に一本の踏み跡がうっすら見えるのは、大沈没の痕跡も含...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その15 39年目の坪川駅
南部縦貫鉄道 坪川駅跡 2023年1月最後の訪問地は「廃線跡」である。僅かな痕跡さえ覆い隠してしまう雪の季節は、廃線跡巡りのオフシーズンは分かっちゃいるが。野辺地と来たら此処へ来ない訳にも。 1984年以来、39年目の訪問である。事前情報では全線に渡りほぼ痕跡は残っておらず、場所の特定すら難しいかと思われたが、ここ坪川駅は間違えようがない。坪川を渡る鉄橋のたもと、高さを作るための築堤にへばりつくよ...
大湊線 有戸 2023年1月日が昇るにつれ、下北半島側がクリアになって来た。 水平線に霞むのは恐山だ。 有戸朝の列車を撮り終えたら切り上げ、下北半島先端部を一周する。最果ての寂寥が続く道。 仏ヶ浦 大間崎本州最北端、大間に着く。 津軽海峡の向こう、北海道にも手が届くようだ。 大間と言えば今や代名詞が「マグロ」。 一尾に億の値が付く豪勢な話が跋扈すれば、漁師の御殿でも並んでいるかと想像してい...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その13 陸奥湾の風
大湊線 有戸 2023年1月テールランプはまだ明けやらぬ海へ。大湊線有戸~吹越間13.4nm、陸奥湾沿いの茫漠とした風景は一度訪ねたい場所だったが、これが初めて。いや40年前、野辺地の駅で撮った雪まみれのキハは大湊線に違いないのだが、それはキハ22だった。本州最北端の寒風は、二重窓の北海道仕様車を必要としたのだろう。 有戸 ひねくれたような松が並ぶ防風林を抜けると、遮るものの無い海原と線路の風景が...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その12 放課後津軽平野 ③
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月雲の切れ目を染めて陽は没する。5分刻みに変わってゆく空の表情にあって、いつまでいても飽きない。夜がやって来た。 津軽平野の明日は、 岩木山のご機嫌はいかばかりか。北東北大周遊、風太郎の明日はいよいよ最後の目的地に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村世界遺産を撮り続け、最近ではミャンマー支援に奔走されている写真家・三田崇博さんの個展に...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その11 放課後津軽平野 ②
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月次第に暮色に染まる津軽平野。学校から500m弱、駅までの道のりは時に地吹雪の只中を歩くのだろうが、今日は穏やかな冬の夕べだ。旧国鉄や旧西武など全国から寄せ集められ、吊り掛けモーターを響かせた古豪は過去のものとなった。此処まで来て「東急ステンレス」かい、とは複雑だけれど。降車する高校生がいるのは「夜の部」の登校だろうか。 彼らの放課後は夜更けなのだ。落陽が天地を...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その10 放課後津軽平野 ①
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月以前中井精也さんの撮り鉄番組でこの付近から撮った夜明けの岩木山と弘南鉄道の写真を見て、よしゃオレもと思っていたのだが。アレは奇跡のような真冬の快晴、朝焼けと共に岩木山の山頂付近に沈みつつある月まで写っているという、ぐの音も出ない写真だったし、今更二番煎じでもないしと、夕方のグラデーションを狙うことにした。 首尾よく15時半頃到着。岩木山の山頂は隠れてしまっ...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その9 岩手山 -11℃
花輪線 北森 2023年1月八幡平市の「道の駅 にしね」に着いたのは夜12時近く。風太郎のロケ車は-12℃までの車中泊を経験したことがある。 それ以下になったら知らぬ。寒い。 天気予報では明朝の最低気温は-11℃に達するという。 快晴ならではのキンと来る冷え込み。でも限りなく大気に透明感がある、それを狙って此処に来たのだから仕方ない。二枚重ねシュラフで結構熟睡した翌朝、眼前には紅富士ならぬ紅岩手山が聳える...
秋田内陸縦貫鉄道 前田南 2023年1月ゆっくり宿を出て再び秋田内陸縦貫沿線に。 事前のロケハンでこれはトワイライトタイムこそ本命と、フラグを立てていた駅へ満を持して。映画「君の名は。」に登場するという。 改めて映画を確かめてみたら、これはもう間違いないわ。オフィシャルな種明かしは無かったらしいから、熱心なファンが探し当てたのだろう。 そもそも「聖地」は飛騨高山地方のはず、遠く離れた秋田まで捜...
乳頭温泉郷 鶴の湯 2023年1月ここまで1000km以上の強行軍にして寒中車中泊3連泊という厳しさだったから、ここで休息を取る。秋田内陸縦貫鉄道沿線から田沢湖の北岸を回り、前から行ってみたかった乳頭温泉郷へ。 田沢湖7か所の湯があり、それぞれ一軒宿があるのだが、代名詞とも言える「鶴の湯」はさすがの佇まいだ。つげ義春の漫画に出て来そうな往時の湯治場の面影を残すが、雪深い山中にあって古い木造建築を維...
秋田内陸縦貫鉄道 上桧木内 2023年1月全長94.2km、長大な路線である。 鷹巣や角館周辺のゴチャついた市街地を除外しても細かくは撮り切れない。初見で土地勘は全く無いし、誰でも撮るお立ち台チックなところで何とか形にする他ないが、よく撮られる「鉄橋」は敢えて撮らなかった。雪が少ないのだ。 鉄橋だって背後の雪化粧があってこそだからね。 豪雪の奥地をイマジネーションしていただけに拍子抜け。それでも特に...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その5 秋田内陸縦貫鉄道
秋田内陸縦貫鉄道 萱草 2023年1月夕刻、秋田内陸縦貫鉄道沿線に到達する。 国鉄時代を通じて未見。国鉄時代は阿仁合線と角館線に分断されたまま、間を結び、鉄建公団線としてほぼ完成していた鷹角線(松葉~比立内間)は放置されるという、ローカル線政策の混迷を体現したような路線だったのだが、国鉄分割民営化前に第三セクターとして開業、松葉~比立内間の完成を得て1989年全線開通、鷹巣~角館を結ぶという本来の...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その4 「秋田港のそば自販機」 食ってみた。
秋田港 2023年1月羽越本線は朝方だけでやっつけて、ひたすら北上。結構順調に秋田まで着いたので、今回の目的のひとつ、「自販機そば」を食うために秋田港へ。NHKで金曜夜にやっている「ドキュメント72時間」は、何の変哲もない街の一角に丸3日カメラとインタビュアーを据え、そこに関わる人々の人間模様を描くもの。 風太郎も好きで結構見ている。足掛け10年、300回以上放送されたようだが、視聴者からBEST10を募った...
羽越本線 桑川 2023年1月十日市に出て、羽越本線沿いに北上する。蒲原鉄道⇒五能線とか、かつて散々乗ったはずなのに、その車窓はとんと記憶に残っていない。夜行急行「鳥海」とか、最近でも「あけぼの」とか、夢うつつのままに通り過ぎてしまう路線だったからだろう。何のかんので大幹線と思っていたから、移動手段ではあっても、撮る場所ではなかったのだ。桑川駅併設の「道の駅」で夜を明かす。 名勝「笹川流れ」は...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その2 奥信濃小正月 ②
野沢温泉村 桑名川 2023年1月一日車を走らせると、沿線のそこかしこで煙が立ち上るのが見える。 これは桑名川駅近く。過疎化、高齢化は存続を危うくしてはいるけれど、 それでも伝統の炎を絶やさぬ想い。雪原を揺らす炎。 願い事は叶ったのだろうか。黙って差し出されたミカンの甘い果汁が口に広がる。古き佳きニッポンはまだ生きている。 飯山線 横倉 細かい雪が次第に激しくなった。雪里にまた夜がやって来...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その1 奥信濃小正月①
飯山線 横倉 2023年1月みぞれ交じりの朝を迎える。 ようやく冬らしい冬がやって来た。雪の東北をひと回りしたくなった。 今まで結構行っているようで、五能線とか津軽鉄道とか特定の路線に偏り過ぎており、まったく新たな出会いを今こそ追ってみたく。線路を離れた山峡の秘湯だってこれまで全く手が回らなかった訳だし、アレもコレも見てやろうとオノボリ気分で。しかし出発点が「長野」とは、これいかに。 栄...
釧網本線 北浜 2012年各駅停車のゴールはもう間もなく。暮れなずむ車窓に広がるもまた、オホーツク・ブルー。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ある研究者によれば、ビルマ=ミャンマーの近代史は以下のサイクルを繰り返しているという。「軍事政権から民政移管する⇒民政移管した政府が行き詰まる⇒軍がクーデターを起こして軍事政権が復活する⇒軍事政権から民政移管する」今現在の軍事政権...
山手線 高輪ゲートウェイ 2022年12月デジタルで鉄道を撮り始めてちょうど10年位になって、それなりに写真も溜まって来たし、昔の写真はともかく、現代を捉えた写真を何らかの形で纏めて世に問いたいとは思い始めている。しかし日本全国ローカル線巡りでございはありがちだし、つまらんのおと思うから悩ましい。一方が「地方」ならば「都会」というカウンターを当て、何かヒネリを作れないかという構想は以前からあ...
函館本線 小沢 2015年かつてはC62重連が轟音を上げて発着した山線の要衝。タブレットを抱えて走る駅員の靴音、岩内線ホームに向かう人々の語らい、響く汽笛。耳を澄ませば確かに聞こえるような気もするのだけれど。物音ひとつしないホームに小雪が舞うばかりである。 本州最北端 大間崎で下北半島をぐるっと一周して今回の長旅も終わりです。 つごう7泊のうち5泊が車中泊でした。 青森~東京、帰路のロングドライ...
五能線 風合瀬 2018年海辺の一日が終わろうとしている。冬晴れに超望遠のファインダーもクリアだ。夕空を映して列車は大きな弧を描く。乳頭温泉郷にやって来ました。「鶴の湯」はさすがの趣です。北東北の旅、山奥はともかく、線路際の雪の少なさといったら。降れば狂ったようなドカ雪なんだろうな、やれやれ。それでも沁み入るような鉄道風景にも出会えてます。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほ...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 余白の間合い
蒲原鉄道 七谷 1983年 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 「蒲原の里」より鉄道は横に長いものだから、いきおい横位置の写真が多くなりがちで、一枚物の写真ならいざ知らず、写真集のような一巻の絵巻物を鉄道をテーマに編むとなると、画面の変化と言う点で縦位置の写真は揃うかと心配される。その点において風太郎の場合は心配ご無用で、掲載写真の半数近くは縦位置なのだ。それは縦に長い「人間」に多く被写体...
只見線 越後広瀬 2022年12月里に流れ出た破間川からは、夜明けとともに朝靄が沸き立つ。越後の山々の裾に漂う帯の向こうに、列車の明かりが灯る。降っては止み、また降っては止む、長い冬は始まったばかりだ。ちょっと遅れた最後の高校生が、ホームの雪をキュッと鳴らして駆け込んだ。 越後広瀬今日は旧正月。 飯山線平滝近くでも「どんど焼き」が。年末に準備が出来ているのを発見してマークしていたのです。背...
只見線 入広瀬 2022年12月蒼い夜明けの刻に始発列車が到着するのは、冬至前後のこの時期だけだ。暗過ぎず、明る過ぎず、ホームに通学生のシルエットが浮かぶ。 8人、いや9人。 手持ちの望遠を操りながら、人数を数える。 まだ生きている鉄道の役割を今年も確かめる。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村クーデター前と思うが、SNSで頂いたヤンゴン環状線の写真を見れば、路盤は整備され...
飯山線 越後田中 2022年12月この時期に此処まで車で登れたのは幸せだろう。手前を流れる信濃川の雄大な河岸段丘、川面から生じた朝靄はまだ棚引いている。無限遠の風景も手に取れるような、澄んだ朝。 到着の単行列車も見えるだろうか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村クーデター前と思うが、SNSで頂いたヤンゴン環状線の写真を見れば、路盤は整備され、新しいバラストが目立つ。目ま...
飯山線 信濃白鳥 2022年12月日の出まであと30分。微かに染まった東の空の朱が、みるみる鮮やかさを増してゆく。今日は高気圧圏内に入るという。冷えて静止した大気を裂いて、始発列車がやって来る。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村クーデター前と思うが、SNSで頂いたヤンゴン環状線の写真を見れば、路盤は整備され、新しいバラストが目立つ。目まぐるしい近代化と政変が進む中で、ホ...
出雲崎 2022年12月あまり積もることのない湊町は白く覆われた。ひっそり息をひそめたような通りに、雪は無言に降り続ける。幅15kmの線状降雪帯はこの日、日本海沿岸を覆い尽くした。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村クーデター前と思うが、SNSで頂いたヤンゴン環状線の写真を見れば、路盤は整備され、新しいバラストが目立つ。目まぐるしい近代化と政変が進む中で、ホームの露天商など今...
新潟県 出雲崎町 2022年12月日本海を前に身を寄せ合うような町並みは、粉雪舞う払暁を迎えた。まだ眠りから覚めない町に、一軒だけ明かりを灯した建物がある。串打ちした魚を炭火で焼き上げる「浜焼き」の作業場だ。もう7年も前に一度撮らせてもらったことがある。 それから何ひとつ変わらない。戸を開け放しているのは、真っ赤に熾きた炭火が作る煙が充満してしまうから。火のお陰で炉端は意外に暖かだ。サバ、カ...
只見線 入広瀬 2022年12月いつ止むとも知れず、霏々と降り続けた雪は180cmを超えたという。 観測史上云々と、センセーショナルに報じるテレビ。全線運休の後、白く塗りつぶされた魚沼の里にようやく列車が戻ってきた。何のことは無い。 それがこの土地の日常と、普段通りの一日が始まる。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村クーデター前と思うが、SNSで頂いたヤンゴン環状線の写真を...
飯山線 横倉 2022年12月明けましておめでとうございます。 本年もどうぞ宜しくお願い致します。さて新春の一枚は獲れたても獲れたて、つい10日前の飯山線の朝。豪雪大パニックの柏崎、長岡を横目に、一番降るはずの此処に雪がチョボチョボとはこれいかに。自然は気まぐれなれど、昇る朝日を浴びて五体の細胞がプチプチ音を立てるようだ。新しい朝はいつものようにやって来る。 今年はどんな年になるや。 © 2011 ...
日中線 会津加納 1984年 これが今年最後の更新になります。 1年間お付き合い頂きありがとうございました。私事ながら今年は長年勤めた会社をリタイア、新生活を始めるという大きな変化の年になりました。不思議なもので何かのスイッチを入れると、それまで停滞していたものが一斉に動き出す感じがします。「写真集出版」もそのひとつだったのですが、残念ながら今年は間に合わず。 いやお楽しみが長く続くとポ...
富山地方鉄道 岩峅寺 2018年佇む人も疎らな冬の駅。渡り廊下に降り込んだ雪は、そのままにかたちを留めている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田さん、10年の刑が下りながら無事に解放、帰国出来てよかった。現場に立った人間にしか分からない真実を伝えてもらいたい。それにつけても判で押したような自己責任論を振り回す、SNSスズ...
五能線 風合瀬 1989年五能線には北海道仕様の二重窓、キハ22が配置されていた。別カットで確認できる車番は「キハ22 339」で、資料があったので調べたら1966年に新製された同系列の最終ロット、当初から弘前区に所属、最後まで同区とあるから五能線を走り続けて生涯を終えたのだろう。酷寒地仕様の一部が北東北に配置されたのは、1966年当時、北海道に匹敵する冬の厳しさが考慮されたのだろうけれど、...
チェコ プラハ 2015年必要以上の灯りを備えない街は、豊かな翳を抱く。ヨーロッパの古い街の、決して馬鹿騒ぎではない、静謐なクリスマスの夜をいつか味わってみたいものだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田さん、10年の刑が下りながら無事に解放、帰国出来てよかった。現場に立った人間にしか分からない真実を伝えてもらいたい。...
只見線 越後広瀬 2018年日短きこと至る。 ようやく明るくなった駅に、6:54の下り始発列車がやって来る。意外なほど多い高校生は車で送られてギリギリに到着するから、ホームが賑わうのも一瞬のことだ。降っては融けた雪が、いよいよ根を張る年の瀬である。定番のスクールバックマスコットがビニールケース入りなのは、雪の用心だろうか。黒板の文字大きくて冬至なり 都筑智子© 2011 風太郎のPな日々 All rights...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 校正校閲
Projectはあれよあれよと年越しになってしまうが、「校正校閲を先にやってしまいましょう。」との編集者の提案。本来なら入稿された原稿をもとに、写真と共にテキストもレイアウトデザインする「組版」を完了し、試し刷りたる「ゲラ」が出てからやるのが定石らしいが、時間節約の為となったら異論の余地も無い。出版の素人としては、「校正校閲」など著者が自己責任でやるものだと思っていたのだが、さすがはちゃんとした出版社と...
山陰本線 宇田郷 1983年 特急まつかぜ1号宇田郷は39年前に撮っている。 1983年(昭和58年)11月6日。記録に無頓着な風太郎が日付まで胸を張って言えるのは、当日買った宇田郷駅の入場券があるからだ。大学4年の秋で就職も決まり、テンションが上がっていたのだろう。 馬路の遥か山上の電波塔下から大俯瞰したり、むやみに気張った撮影行がネガに残っているのを見れば、ちょっと微笑ましくもある。惣郷...
山陰本線 湯玉 2022年11月この列車の通過後、不意に現れる観光列車「○○のはなし」にとって此処は見せ場の一つなのだろう、この波打ち際に停車して、しばしの夕陽鑑賞タイムを提供するようだ。生活列車の車窓も見えるものは同じ。 しかしそれは毎日の風景だ。晴れの日、雨の日、その日ごとに違う海原は、窓辺の人にどう映るのだろう。「ノドグロ」は、東京辺りの小洒落た店で食おうものなら、塩焼きだろうが煮付けだ...
山陰本線 三見 2022年11月夕刻になるにつれ雲が切れた。あまり当てにしていなかった夕陽が海を金色に染めるのは、粘ってみるものだ。穏やかな入り江の一日が、終わろうとしている。山陰の秋が、知らず通り過ぎてゆく。水木一郎死す。 「燃えよドラゴンズ」と言えばこの方でした。古いところでは板東英二、舟木一夫から松平健まで錚々たるドラキチが歌ったなかでも、この方のガッツボーカルが一番ハマった。間奏中に...
山陰本線 長門市駅 2022年11月長門市という町はどこか没落貴族の趣があると言ったら叱られるだろうか。海の玄関口ともいえる仙崎に伸びる支線、そしてSL最晩年に至るまで、もう嫌というほどD51の石灰石列車が往来したという美祢線。そのジャンクションはかつて広大な機関区を構えて、今も遺構が暗がりに佇んでいる。駅周辺の赤提灯は膨大な数の国鉄関係者を当てにしたものであろう。そして駅前の古びた旅館兼土...
山陰本線 宇田郷 2022年11月「此処は風の通り道だからね、荒れたら凄いよお。」風の谷の入り口、橋脚のすぐ脇に住むばあちゃんは御年93歳と。谷の奥にある村からハタチで嫁いできて73年。 晴れの日、嵐の日、架け橋と共に歳月を重ねた。取材に来た中井精也さんと記念写真を撮ったこともあるそうだ。矍鑠と草を刈り、なんの淀みも無く会話が流れるのはとてもそのお歳には見えない。歳はこう取りたいもの。ご存じ...
山陰本線 飯井 2022年11月3泊4日の行程は概して天気に恵まれなかった。晴れマークの予報の日も空に雲が広がって、これは概ね曇りと言うんじゃねえの、雲が流れてくるたびに来るな!という状況。通過時に必ず陰るのは二人分の行いの問題か。雨マークが付いたりしたら、「明るい山陰の海」は到底望めない。本来ならエメラルドグリーンの入り江を望む飯井の集落も、雨模様の朝を迎えた。期待していた人は可哀そうだが...
湯玉海岸 2022年11月日本列島の海岸線は約3万キロ。世界第6位の長さを持つ海洋大国でもある。更にはカナダ・インドネシアなど最上位にある国のそれが、気候的にはほぼ単一のエリアに属しているのに比べ、日本のそれは北海道沿岸の冷帯域から南西諸島沿岸の亜熱帯域まで含むのだから、これ程多彩な海の表情を持つ国もあるまい。そして鉄道もまた、その「海道」を忠実にトレースして伸びている。日本海といえば夕陽の...
山陰本線 三見 2022年11月飯井と三見の間、明知集落は、穏やかな入り江に抱かれて佇む。山陰のもうひとつの「朱」と言えば、石州瓦の甍だろう。塩害に強く積雪にも耐えるという、この土地の風土が生んだ建築素材。浜の流木でも焼くのか、棚引く煙が趣を添える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万...
山陰本線 伊上 2022年11月あー、残り柿だあ、車ストップ、ストップ、というのは、タラコならぬ朱色のイマジネーション。緑系と赤系は補色の関係になって互いに引き立てる訳だから、緑深い日本の自然に響き合うのは自明の理。車両意匠デザイナーよ、聞いてるか。長大な山陰本線をあちこち彷徨うよりはと益田以西に限定したのだが、キハ40系のみしか走らない「ヨンマル天国」とは直前まで知らなかった。7年前にこの...
山陰本線 宇田郷 2022年11月此処の夕陽バックはありがちだけど、風太郎的には饒舌過ぎるそれよりも、夜明けのグラデーションこそ捨て難いと思っている。長門市の宿を朝5時に出発、闇にシルエットがようやく浮かぶ辺りからスタンバイは当然のことだ。シンメトリーな造形と穏やかに動きを停めた大気の、静謐な調和。晩秋の山陰にやってきました。今回は珍しく二人旅です。 ドライバーとナビゲーターの息は、さて何処...
宗谷本線 歌内 2017年山を下り、最北の里に降り始めた雪は、いよいよ根雪になることだろう。( 写真展漫遊録 )風太郎は「鉄道の写真展」についてあまり見に行かないのだが、一人の作家さんが明確なテーマの許にしっかり構成を考えて組んだそれは、見応えがあるから気になる。六本木の「富士フイルムスクエア」に「宗谷本線」を見に行く。メインは除雪列車なのだが、酷寒の中でわずかなチャンスを待つ、ツラさも興奮...
花輪線 横間 2019年雪国の晩秋は、またひときわ物憂げなものだ。汽車は出てゆく、紫煙は残る。初雪の便りも間もなく。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが...
松尾鉱山 鉱山住宅跡 2019年八幡平の懐深く、標高900mの高地にあったという松尾鉱山は東洋一の硫黄鉱山として栄華を極め、1960年代の最盛期には人口一万三千を数えたという。 各所に当時最新の設備を整えた新興都市は「雲上の楽園」とも称されたが、硫黄産業の急激な衰退と共に瞬く間に廃墟と化した。花輪線の大更駅から延びていたという松尾鉱山鉄道も、残された写真を見れば長大な混合列車など当時の活況が...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2021年嵐を呼んだ低気圧は、夜半に抜けた。洗われた朝日が窓辺に降る。 © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万人とも。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは、伝統的に寺院が最後のシェルターになっていたが、それにも限界があろう。 国民は飢え、軍隊ばかりが肥え太る国家とは。...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 デッキの時間
宗谷本線 1988年 写真集「旅のたまゆら 1981-1988」 「通学列車」収録予定風太郎はとにかく記録に無頓着なので、何処で撮ったものやらと分からなくなっている写真多数なのだが、こういう偶然写り込んだ駅名とかがあると助かる。 しかし、「はつかり」?「ばっかい」じゃねえかと膝を打つまで暫く時間が掛かったが、あの茫漠たる原野の駅を発車するシーンかと知れば別の趣もある。高校生の笑顔が全てで...
只見線 只見 2022年11月急病人騒ぎで小出行きも30分以上遅延。 それでも塞翁が馬、残照を背負った叶津鉄橋で捉えることが出来た。これが今回のラストショット。 会社辞めて一体何して暮らしてるんだと問われれば、「弘法大師」と答えることにしている。乞食坊主と言ったら空海さんに失礼だが、宿は無く、貧しい糧を食みながら諸国を巡る。しかし手にした錫杖でひと突きすると霊泉が湧き出すような功徳も無いから...
只見線 会津越川 2022年11月復活した会津川口~只見間の運転は一日僅か3往復。 陽が短いこの時期、撮影可能本数はたったの2往復4本。更に会津川口で交換がある関係で、7~8時台と15~16時台に立て続けに上下列車が往復するから、真ん中の時間帯は昼寝してろと言わんばかりである。 此処まで来ると紅葉は綺麗とはいえ、いささか時間を持て余す。小出行きは9:07只見着だから「只見高校」への通学は全く考慮さ...
奥只見湖 2022年11月只見の町のどん詰まり、田子倉ダムの巨大な堰堤の前で休憩中、自転車に乗った老夫婦に尋ねられる。 「奥只見湖を見たいんですけど」。聞けば只見まで列車で来た観光客で、折り返しまで5時間もあるので駅前のレンタサイクルで此処まで来たのだと。まるで屏風のような堰堤に観光用エレベーターでも付いているかと思ったらしいが、無論そんなものは無いというより、立ち入り禁止。見るならつづらの...
只見線 会津越川 2022年10月女ゴコロと秋の空。一日二往復の列車をどんな空の下で迎えるか、読める人がいるならあやかりたい。 只見 叶津鉄橋実質一日二往復しか撮りようがない川口以西は、5時間位の長いブランクが出来る。 前から気になっていた、会津塩沢近くの「河井継之助記念館」に行く。 以前にも書いたがもうひとつの会津戊辰戦争、只見の戦いである。河井継之助とは長岡藩の家老で、様々な才と人徳に...
只見線 会津西方 2022年11月川口~只見間に拘りたいのだけど、朝7時を過ぎないと列車が走らないお寝坊さん。それじゃあ夜明けのスペクタクルに間に合わないのだよ、という事でこっちに浮気する。道の駅「みしま」での車中泊なら、朝6時の一番列車を此処で撮るのも楽勝だしと思いつつ、しかし誰でも撮る場所だからなあとテンションいまいちのところもあって、ウダウダ寝ていたら通過ギリギリの時間に。おい朝霧の出...
只見線 只見 2022年11月早戸~宮下辺りは色づきが悪いのか早過ぎるのか紅葉はいまいちだが、六十里越まで来ると既に最終盤だ。通過の直前にさっと雲が切れる幸運。奥の山まで陽が回らなかったは贅沢だが。なんと風太郎の知人がこの写真の列車に乗っていたと後で知る。 聞けば乗車にあたり小出駅のホームで1時間半並んで座席を確保、この区間まではマシだったらしい。只見駅に到着するや、バス2台分の団体ツアー客が...
只見線 会津横田 2022年11月里をゆく線路は、低く垂れた雨雲の下にある。今回の偵察にあたり主眼に置きたかったのは、鉄橋がどうこうよりも、静謐な里の風景だ。しかし奥会津のまさに最深部、豪雪に閉ざされる土地にあって、そこに生を営むことの過酷さも実感して難しい。立派な構えの農家はあっても、玄関は閉ざされ、そこが主を失った家と認めざるを得ない事もしばしばだ。自家用車が傍らに置かれていれば少し安堵...
只見線 会津大塩 2022年10月東北のマッターホルンの異名を持つ蒲生岳は、見る方向によって形を変える存在感たっぷりの山。11年間列車が通らなかった区間に屹立するシンボルでもある。逆光だろー、と三脚軍団は皆逃げちゃうけど、人の行く裏道に・・・・。会津大塩近くの「河井継之助記念館」、解説のおばちゃんがいかにエライ人だったかと熱弁を奮うのだが、その講談前のマクラに只見線。「開通したんですよー、11年...
深名線 撮影地不詳 1988年頂きは白く雪化粧した。 次第に色を落として、秋が逝こうとしている。単行列車が枯野をざわりと揺らす。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラカイン州と、中...
花輪線 北森 2019年「頭と尻尾はくれてやれ」とは株屋の格言。尻尾(最安値)で買って頭(最高値)で売り抜ければボロ儲けは単純な理屈だが、強欲を突っ張らせてそんなものを狙いに行くとかえって大ヤケドするぞ、またビビッた売り買いで結果的に大利を逃したと思ってもクヨクヨするな、程々で良いのだという意。他にも「人の行く裏に道あり花の山」とか、「売るべし 買うべし 休むべし」とか、株の鉄火場の格言には...
小湊鉄道 養老渓谷 2017年 地味な里山をゆく路線だが、トンネル未満の切通しが多く、光線次第で意外な出会いになるものだ。錦秋の幕が開く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラ...
只見線 早戸 2019年時計の針はAM5:52。オマエの写真に付き合うのはイヤダと逃げられても、人の行く裏道に道あり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラカイン州と、中国国境地域のごく...
ミャンマー ラーショー線 2018年始発駅を午前4時に出た列車がようやく朝を迎えた。一日一往復の列車だから、朝食の屋台もここが勝負どころ。呼び込みの声と、ラジオから響く朝のお経が交じり合うひとときである。此処から列車はスイッチバックが連なる峻険な山岳地帯へと向かう。構内のはずれには給水塔が峠越えの記憶を伝えていた。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 時代の懸け橋
山陰本線 宇田郷 1983年 写真集 「 旅のたまゆら 1981-1988 」 収録予定平々凡々な宇田郷写真だが、40年前、こんな堂々たる各駅停車が走っていた。最後尾には郵便車もぶら下がる、「本線」の威厳を象徴するような生活列車。ピタリと全編成が収まったのは幸運でしかないが。今、ここを渡るのが単行キハというのは俄かに信じられない想い。90歳の懸け橋は、黙して世の移ろいを示すか。写真集の制作ダ...
日高本線 厚賀 2013年「三面護岸」という治水工事の手法があって、川の左右両岸に加え川底までコンクリートで固めてしまう。もはや排水路と化したそれは、治水上のメリットはあるのだろうが、それが生きている川の姿と言えるだろうか。日高山地の幽境に源を発する厚別川は、日高本線の厚賀付近で太平洋に注ぐ。それほど川幅が広いわけではないのだが、両岸に葦が密生した湿地帯を抱え、日高本線の鉄橋は長大なものにな...
小湊鉄道 里見 2013年静まったホームに秋の虫が騒がしい。それを打ち消すような定刻到着のアイドリング。列車番号確認の声もまた、冴えた夜空に溶けてゆく。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来...
只見線 大白川 2019年「その者金色(こんじき)の野に降りたつるし・・・古き言い伝えは真(まこと)じゃったぁ。」は「ナウシカ」のクライマックスだが、鉄道車両が金色の野に降り立ったかの風景は、線路保守上どうなのかという、ローカル線の現在地である。でもミャンマーでは同型車両が線路際の草木を折り飛ばしながら走ってるのを見れば・・・まあ、いいか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブロ...
東海道新幹線 品川 (出入庫線) 2017年いかにデジタルとはいえ、夕焼け空とビルの谷間の露出差、なかなか灯らない明かりの数とのベストタイミングは、結構短い。まして相手は時間が分からない出入庫だし、一瞬を見逃すまいと。風も冷たくなった、都会の夕べ。(写真展漫遊録)園部澄氏が1952年から1953年にかけて取材された写真展を見に行く。まだ電化前、C62が牽く「はと」「つばめ」の、文字通り車窓から捉えた作...
信越本線 米山 2020年鉄の細道もまた、ざわめく天地の端にある。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来る。それを迎えるために玄関に多数のロウソクを灯すのだという。俗に言うミャンマーのクリスマ...
只見線 若宮 2019年とっぷり暮れた駅を後に。帰ろう、月と一緒に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の日(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来る。それを迎えるために玄関に多数のロウソクを灯すのだという。俗に言うミャンマーのクリス...
飯山線 平滝 2020年「青春」 「朱夏」 「白秋」 「玄冬」季節の移ろいを人の生涯に重ねた、いにしえの世界観。自らが「白秋」を迎えた今、線路際に進む季節がひときわ沁みる。 横倉© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦...
いすみ鉄道 久我原 2014年 小脇に傘を挟んだ構図決めはなかなか難儀なものだ。濡れた竹林は頭を垂れる。時に強く、時に穏やかに。 秋霖は終日降り続けた。 久我原© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 1980年代クロニクル
風太郎自身が書く最後の原稿を入稿しました。 年表です。 そうです、卒業アルバムの最後にくっついている「こんな時代でした」という奴ですね。公共輸送機関はもとより社会的な存在なのだが、日本の片隅で草むらに雪に埋もれつつある鉄路と、それを取り巻く農村社会。写真集の舞台となる1980年代とは何だったのか、読者にあっては「鉄道の写真」を離れたところまで思索を拡げて頂けたらとの願いもあって。全くオリジナルに作った...
只見線 魚沼田中 2019年遂に只見線全線復旧。21世紀に起きた奇跡のような出来事を後世がどう評価するのか、生きてるうちに見届けたい想い。2両編成の小出方にぶら下がっていた「只見縁結び号」。魚沼と会津、ご縁が再び繋がるよう、という地元の願いが作らせたのだろうが、運用の半分に必ず入ったケバケバしいそれは、風太郎の不倶戴天の敵とも言えた。縁が本当に結ばれた今、この車両も戦火のミャンマーにある。© 2...
山陰本線 長門市 2015年ホームの隅の、行燈が饒舌だ。鉄道の街の賑わいを、確かに在った時代を、記憶に留めよと。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村滝のようなスコールに煙るヤンゴン環状線の工事区間。ヤンゴン市内の渋滞緩和の切り札として、路盤改良、信号・保安設備他の強化など、日本のODAと技術支援を主力として突貫工事が進んでいたはず。その後の報は殆ど耳にしない。 海を渡った...
小湊鉄道 上総鶴舞 2017年どんな夜明けを迎えるか。迎えてみなければ分からないから、運に任せて当たりくじを待つようだ。いや成り行き任せなら、むしろ心静かに風景と対話できる時間かもしれない。出来れば優雅にコーヒーの一杯もあれば。...
只見線 会津西方 2017年淡紅の秋桜が秋の日の・・・山口百恵の歌は1977年か。写真集を編む中で1980年代前後を調べていると、もう半世紀前の出来事が妙にリアルな手触りで蘇って来る。もう手の届かない過去なのか、それとも扉を挟んだすぐ向こうなのか。戸惑ううちにも、それはまた一歩遠ざかっているんだろうな。列車は流したいけど、むやみにSSを遅くすると秋桜がブレるしと、結構悩んだ記憶がある。結局ままよ、い...
ヤンゴン環状線 2019年少し前の話らしいが、ヤンゴン環状線車内でPDF(国民防衛隊)が警察官を襲撃の報が流れてくる。拳銃すら所持しない者がいた警察官も、今は自動小銃で完全武装しているが、その武器を狙われた。周到な待ち伏せ攻撃なので、不意を突かれた5人の警察官は為すすべもなく射殺されたらしい。運転士もグループなので、あらかじめ打ち合わせた安全な場所で停車させ、逃走したとのこと。戦利品の自動小銃の写...
別にどうでもい・・・いや、良くない!という話。先日の「Df写真展」でニコン愛に溢れた方たちや、ニコン関係者の方と話題になったのは、上のZfcプロモーション写真。「モデルがファインダーを覗いていない」 「構え方が曲がっている」 というツッコミである。風太郎的には「もっと右脇を締めろよ。」というのも付け加えたいが。当然のことながらカメラ広告における「機材の扱い」はキモ中のキモであって、昔だったらカメラマン...
蒲原鉄道 狭口 1981年 写真集 「旅のたまゆら1981-1988 」 (11月刊行) 収録予定線路と道路の間の、不整形な田んぼにもびっしりと稲穂が揺れるのは、農村に働き手が多かった証だろう。空が高い。 実りの香りが漂い始めたホームに軽い轍を響かせて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村滝のようなスコールに煙るヤンゴン環状線の工事区間。ヤンゴン市内の渋滞緩和の切り札として、路...
逝去から半年以上経って知るというのも間抜け極まりない話しながら。今年2月に亡くなられた竹内敏信さんとは少なからぬご縁があった。今から30年近く前に遡るが、ローカル線の廃止のように変わってしまうものが嫌になり、「鉄道の写真」をぷつりと止めて以来、少くとも変化が緩やかな、人工物を一切入れない風景・ネイチャー写真に救いを求めていた時代があって。当時、その世界でスター的な存在だったのが竹内敏信さんだった。...
「Nikon Df 友の会 」写真展が開幕しました。何といっても沁み入るのは石塚先生の空知炭鉱廃墟群。聞けば幾春別、美唄、清水沢。消えていった鉄路も思い浮かぶ。 それが原野に還る前に行っておかねば。 風太郎はミャンマー一点勝負の特別参加です。オープニングパーティーにはDf開発陣、「後藤研究室」のリーダー、後藤哲朗氏も登場。若き日にはF3の電子シャッター機構開発に関わったという、技術屋一代の熱いカメラ愛に一同興奮...
三江線 信木 2017年江の川沿いの山里をひとつひとつ結んだ三江線。最初で最後の訪問から早や5年か。光陰矢の如し。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村滝のようなスコールに煙るヤンゴン環状線の工事区間。ヤンゴン市内の渋滞緩和の切り札として、路盤改良、信号・保安設備他の強化など、日本のODAと技術支援を主力として突貫工事が進んでいたはず。その後の報は殆ど耳にしない。 海を渡っ...
16日から始まる「NikonDf友の会 写真展」に出品します。「NikonDf友の会」とは、愚息が高校時代にお世話になって以来、長く親交を結ばせていただいている、北海道東海大学教授の石塚耕一先生が主催するグループで、東京でグループ展を開く運びになったもの。大体オメー、Df持ってんのけ?とツッコミがありそうですが、「特別出展の写真家」という番外扱いでのご招待ですので。先生が発信しているYouTubeコンテンツを中心に集ま...
ミャンマー マダヤ線 オーボー 2019年マンダレーの下町をゆく列車が駅に差し掛かる。線路際はまるで日本の田舎の朝市のようだ。 いや日本からは残念ながら消え失せた風景か。隣のワイシャツのおっちゃんは、流れる風景を指さしては、あれも撮れ、これも面白いぞと解説が忙しい。まあいちいち応対してるとシャッターチャンスを逃すから、ちと迷惑なところもあるのだが。そんなおせっかい大好きおじさんも乗せて、...
飯山線 上境 2012年近づいてくる轍の音を逃すまいと。耳を澄ませば日暮れを告げる鐘の音。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村滝のようなスコールに煙るヤンゴン環状線の工事区間。ヤンゴン市内の渋滞緩和の切り札として、路盤改良、信号・保安設備他の強化など、日本のODAと技術支援を主力として突貫工事が進んでいたはず。その後の報は殆ど耳にしない。 海を渡った技術者もさぞや心残りだ...
小湊鉄道 上総鶴舞 2015年ひと夜ごとに夜が長くなって、東雲が始発列車を追いかける。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村民主化活動家の処刑など軍部の暴虐が止まらない。軍政支配の時代が長かったとはいえ、40年以上政治犯の処刑は無かったというから、積み重ねた理性の歴史も捨て去ったという事だ。ほんの数年前に彼の国を訪ねて驚いたのは、警察官が拳銃を所持していない事。貧しくも優...
「ブログリーダー」を活用して、futaroさんをフォローしませんか?
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月決して雪に慣れているとは言えない土地である。 除雪作業もままならぬうち、国道は雪に埋もれてゆく。風太郎のロケ車はもちろんスタッドレスを履いているし、エマージェンシー用のタイヤチェーンも搭載は抜かりが無いが、アップダウンも多い山道だけに不安もよぎる。 しかしその杞憂は草木ダムの上だけと分かった。神戸まで降りて来ると雪は雨に変わる。 ひと山の違いで里は瞬く間に...
わたらせ渓谷鐡道 通洞 2023年2月東京から近いこともあって、「わたらせ」は撮り鉄の人気路線だ。その渓谷美を捉えた写真は沢山見かけるけれど、それでこの鉄道を語り尽くしているか。 キレイキレイだけか。旧足尾銅山の鉱夫が密集して暮らした時代をそのまま封印したような、中才の集落に至ればいつも息苦しい想いに駆られる。鉱山住宅から市営住宅に管理者は変わったけれど、長屋式の住居に風呂は無い。 トイレすら...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年2月霙交じりの細雪は、やがて本格的な降りになった。森閑とした冬枯れの野が次第に白く染まってゆく。こんな日は出歩く人もいないのか、人影のない車窓ばかりを見送る。 小中現役時代は図書館で本を借りて読むなどほとんど無かったのだが、遅ればせながらネット検索・予約システムの存在を知ったり、近隣の図書館間での移動貸し出しまで対応する親切さに、読みたい本は殆ど手に入るか...
わたらせ渓谷鐡道 沢入 2023年2月昨今流行りの「南岸低気圧」がやって来る。 典型的な冬型気圧配置の関東地方を突然襲う雪雲。でも一夜を境に全く天気の様相が変わるのは写真的には願ったりかなったりだから、このプチトリップは、ここしかないと急遽決定の日程だったのです。茨城の海沿いから関東平野をひたすら北上、群馬の山中にワープしました。 「雪のわたらせ」って一度も撮ったこと無かったんで。高速道路網...
鹿島線 鹿島神宮 2023年2月お立ち台である。 数限りなく写真が残っている場所だけれど、初見参。桃浦の落陽も心残りだが、夕方は此処と決めていたのだ。遠く消失点に収斂されるような長大な鉄橋は、1236mに及んで北浦の湖面を悠々と横切る。日本有数の鉄道風景と思うし、車両がどうこうはさておいて一度見ておかなければと思ったのだ。鹿島貨物という機関車牽引があるそうで、それに夢中なのがむしろ主流だろうが、風...
霞ケ浦 鹿島鉄道桃浦駅跡より 2023年2月いかにもな関東空っ風の天気に、霞ケ浦を見たくなった。在りし日の鹿島鉄道によく通ったな。 それは茫洋とした霞ケ浦に傾く陽と共にあった。 桃浦駅跡桃浦の駅はホームだけ形を留めているが、線路は全て剥がされ、太陽光パネルが並んでいた。線路を残してレールパークにするという計画を聞いた気がするが、頓挫したのだろうか。時の流れは僅かに残ったノスタルジー願望さ...
ひたちなか海浜鉄道 中根 2023年2月今どき珍しくなった4種踏切がこれでもかと連なるのは、見通しの利く田園地帯という故でもあろうが、鉄道の原点を見るようで良いものだ。しかし本数の多かった当時だって、これほど注意書きが並んでいなかったと思うのだが。そして列車が眼前を通過すれば目がチカチカするばかりだ。公共交通機関の車体における全面的な広告利用は、地方はともかく、東京都内においては「美観風致の...
ひたちなか海浜鉄道 阿字ヶ浦 2023年2月大洗から海伝いに「ひたちなか」へ。「茨城交通湊線」の方が余程しっくり来るのは、43年前から時計の針が停まっているからだろう。高校最後の夏休みに此処を訪れている。 それ以来なのだ。阿字ヶ浦の構内入り口にある踏切はそのままだった。「もう少しマトモな写真を撮らんかーい」と、同じ場所に立つ17歳の自分の頭をパッコーンと叩きたくなる。50mm標準レンズしか持っていな...
茨城県 大洗海岸 神磯 2023年2月明けましておめでとうございます。 本年もよろし・・・ 違うって。ここ大洗海岸の「神磯の鳥居」は関東の風景撮影地・年賀状の絵柄としては定番中の定番、写真は飽きる程出回っているが、一度も行ったことが無かったので、この機会に「参拝」しておこうと思い立ったのだ。特に夜明け時の神々しさは屈指のパワースポットと言われているが、ナンボのものか。この冬、もう一発長旅いっ...
天北線 恵北 1988年 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 「最北紀行」より原野に伸びる線路の脇は、歩きやすい雪原のように見えるのはとんだ落とし穴で、そこは背の高いクマ笹の群生地に雪が乗っただけだから、不用意に踏み込めば胸まで雪に埋まる。表面の硬く凍った雪の層を踏み抜かないよう、そろりと慎重に歩みを進める必要があった。 画面中央左に一本の踏み跡がうっすら見えるのは、大沈没の痕跡も含...
南部縦貫鉄道 坪川駅跡 2023年1月最後の訪問地は「廃線跡」である。僅かな痕跡さえ覆い隠してしまう雪の季節は、廃線跡巡りのオフシーズンは分かっちゃいるが。野辺地と来たら此処へ来ない訳にも。 1984年以来、39年目の訪問である。事前情報では全線に渡りほぼ痕跡は残っておらず、場所の特定すら難しいかと思われたが、ここ坪川駅は間違えようがない。坪川を渡る鉄橋のたもと、高さを作るための築堤にへばりつくよ...
大湊線 有戸 2023年1月日が昇るにつれ、下北半島側がクリアになって来た。 水平線に霞むのは恐山だ。 有戸朝の列車を撮り終えたら切り上げ、下北半島先端部を一周する。最果ての寂寥が続く道。 仏ヶ浦 大間崎本州最北端、大間に着く。 津軽海峡の向こう、北海道にも手が届くようだ。 大間と言えば今や代名詞が「マグロ」。 一尾に億の値が付く豪勢な話が跋扈すれば、漁師の御殿でも並んでいるかと想像してい...
大湊線 有戸 2023年1月テールランプはまだ明けやらぬ海へ。大湊線有戸~吹越間13.4nm、陸奥湾沿いの茫漠とした風景は一度訪ねたい場所だったが、これが初めて。いや40年前、野辺地の駅で撮った雪まみれのキハは大湊線に違いないのだが、それはキハ22だった。本州最北端の寒風は、二重窓の北海道仕様車を必要としたのだろう。 有戸 ひねくれたような松が並ぶ防風林を抜けると、遮るものの無い海原と線路の風景が...
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月雲の切れ目を染めて陽は没する。5分刻みに変わってゆく空の表情にあって、いつまでいても飽きない。夜がやって来た。 津軽平野の明日は、 岩木山のご機嫌はいかばかりか。北東北大周遊、風太郎の明日はいよいよ最後の目的地に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村世界遺産を撮り続け、最近ではミャンマー支援に奔走されている写真家・三田崇博さんの個展に...
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月次第に暮色に染まる津軽平野。学校から500m弱、駅までの道のりは時に地吹雪の只中を歩くのだろうが、今日は穏やかな冬の夕べだ。旧国鉄や旧西武など全国から寄せ集められ、吊り掛けモーターを響かせた古豪は過去のものとなった。此処まで来て「東急ステンレス」かい、とは複雑だけれど。降車する高校生がいるのは「夜の部」の登校だろうか。 彼らの放課後は夜更けなのだ。落陽が天地を...
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月以前中井精也さんの撮り鉄番組でこの付近から撮った夜明けの岩木山と弘南鉄道の写真を見て、よしゃオレもと思っていたのだが。アレは奇跡のような真冬の快晴、朝焼けと共に岩木山の山頂付近に沈みつつある月まで写っているという、ぐの音も出ない写真だったし、今更二番煎じでもないしと、夕方のグラデーションを狙うことにした。 首尾よく15時半頃到着。岩木山の山頂は隠れてしまっ...
ミャンマー 2019年ヤンゴン行き夜行急行に朝が来た。寝ぼけた車窓を通り過ぎるのは、南国の二重窓。「学園都市線」のサボを何かのまじないのように残した列車は、鈴なりの人々を乗せて何処に向かったのだろう。そして今は。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーの飲み屋は回転寿司方式と言うか、ジョッキを下げずに最後に数を数えてお会計。昼間の大汗もあって、ならば店のジョッ...
飯山線 平滝 2012年雪を割るように花の季節がやって来た。雪解け水を吸った田畑も、やがて目覚めるように農の季節が始まるのだろう。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーの飲み屋は回転寿司方式と言うか、ジョッキを下げずに最後に数を数えてお会計。昼間の大汗もあって、ならば店のジョッキが無くなるまで飲み倒してやるぜと思うのだが。一杯70円位とはいえ、5~6杯も空けれ...
天北線 キハ22車内 1988年「ボックスシートでの寝方」については一家言ある風太郎だが、四席分占領出来るならやはり前席に足を投げ出して「くの字」になるのが一番良いと思う。しかし立派な「枕」まで持参しているのなら、これもまあ楽かも知れぬ。この当時のローカル線では、それはもう気持ち良く熟睡している人をよく見掛けた。乗り過ごしを心配するより、いくら寝ても着かない程乗車距離が長かったという事だろう...
小湊鉄道 上総大久保 2016年「房総半島、明日朝は濃霧に注意」の天気予報を聞けばニンマリだ。まだ冷え込む朝は快晴無風。地表を覆った霧が上昇し始める。 ダイナミックな大地の息遣いに感謝。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーの飲み屋は回転寿司方式と言うか、ジョッキを下げずに最後に数を数えてお会計。昼間の大汗もあって、ならば店のジョッキが無くなるまで飲み倒してやる...
いすみ鉄道 国吉辞任の議案書は淡々と回り、議決権者一同に異議なく可決承認。 38年間の会社人生はかくも穏やかに終了する。10年、20年の時間を掛けてゆったりと進むはずの社会構造変化が、突然に押し寄せた影響を最も大きく受けた業種だけに。いやそれ以前に老害をこれ以上晒さないのが潔し、最後の最後に自分で自分の人事を決める幸せも味わいたく。思えば入社式は、多くカメラを向けた日中線、赤谷線、「国鉄第一...
日中線 会津加納 1984年一日三往復。最後の下り列車を待つ駅の、長き沈黙。ムラから鉄道が消える日まで、あとひと月。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーの飲み屋は回転寿司方式と言うか、ジョッキを下げずに最後に数を数えてお会計。昼間の大汗もあって、ならば店のジョッキが無くなるまで飲み倒してやるぜと思うのだが。一杯70円位とはいえ、5~6杯も空ければミャンマー人...
大井川鐡道 2017年旧型客車に扇風機は、考えてみれば不思議なものだ。暑いなら暑いで、窓を開け放てば扇風機以上の涼風が得られるはずだから。そうか蒸気機関車だったら開け放てない場面もあるか、とは思うけれども。ずらりと並んだ扇風機は、ぬるい空気と共に煙の匂いも掻きまわしたのだろうか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーの飲み屋は回転寿司方式と言うか、ジョッキを下...
飯山線 西大滝 2021年遠き山に陽は落ちて。 まだ浅い信州の春。テールランプを見送れば、 熱い山の湯が恋しい。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村線路際に夕餉の支度も始まった。 その日をただ穏やかに。 田んぼの中の長閑な村が市民レジスタンスへの報復として焼き討ちにあう。つましい暮らしさえ無惨に灰にして何が残るというのか。国とは誰のものか。ミャンマーの軍事クーデターに抗議...
大井川鐡道 家山 2018年かつて駅はムラ一番に朝が来る場所でもあったろう。家山の駅は三々五々に集う人が居て、鉄道全盛期の朝の賑わいを少しだけ味わう事が出来る。間もなく駅員も出勤する。 春の一日が始まる。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村線路際に夕餉の支度も始まった。 その日をただ穏やかに。 田んぼの中の長閑な村が市民レジスタンスへの報復として焼き討ちにあう。つましい暮...
上毛電気鉄道 大胡工場 2013年見学日の今日は静かに時を停めているけれど。老練の職人の指先と筋肉を感じさせる手道具と、古びた工作機械。減価償却とは別のところで繕えば使えるなら繕う。部品が手に入らないなら同じ形に作れば良し。慈しみに応えて再び蘇る物達は、働く喜びでもあったろうか。鉄と機械油、そして汗の匂い。 人間と道具の対話を聴く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 六十里越 2018年雪が解けて川になって流れてゆきます。もうすぐ春ですねえ、恋をしてみませんか。 年© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村線路際に夕餉の支度も始まった。 その日をただ穏やかに。 田んぼの中の長閑な村が市民レジスタンスへの報復として焼き討ちにあう。つましい暮らしさえ無惨に灰にして何が残るというのか。国とは誰のものか。ミャンマーの軍事クーデターに抗...
北海道 音威子府村 2011年音の無い世界。 いや耳を澄ませば微かな瀬音が聴こえるような。ニッポン広し。 明日から3月というのに今朝の気温は―23℃。 鼻毛はパリパリ、吐く息は瞬時に凍り付いてカメラは真っ白だ。愚息の高校の卒業式前日の朝、ただならぬ冷え込みに誘われて筬島の橋に立てば、写真バカしか見られぬ風景が。それでも厳寒期は全面結氷する天塩川、瀬音は沈黙の冬からの目覚めを告げている。背後の山と...
小湊鉄道 養老渓谷 2017年コロナ禍の許で迎える3度目の春。もはや「それ以前」の春の記憶が何となく霞んできているような気がして。全ての生物が生きる力を取り戻す季節はもう間もなく。ウイルスもまた生物ではあるけれど、人間の生命力がそれを凌駕することを祈りたい。そろそろ取り返せ。 話すこと、笑うこと、袖触れ合う交わりに何のためらいも無いこと。全てを癒すような自然の只中を駆けること。© 2011 風太郎...
只見線 越後広瀬 2022年1月白熱電球では無いけれど、暖かい発色はブルートーンと好一対。一日を終えた人々を各駅に降ろしながら下り列車は小雪の向こうへ。当てにしていた駅近くの定食屋はコロナ禍の影響か臨時休業。でもコンビニ弁当はあるのが現代。 腹が減っては駅舎の寒さが一層身に沁みるというものだ。おい写真は置いといてというのは何処へいったかという顛末だったけれど、目の前の「現場」に夢中になれるの...
只見線 魚沼田中駅前 2022年1月抜けるような青空が俄かに掻き曇る。 「ニセ天候回復」は本当だった。以前にもまして激しい雪が霏霏と降り続く。ここまで来たら動いても景色変わらねえしと、駅舎から出ない安楽ぶりだから遭難の心配は無いものの。そろそろ疲労の色も濃い一行。 魚沼田中多分このまま雪降る黄昏を迎えそう。いや、ラストショットにもうひと駅歩きましょうか。 魚沼田中© 2011 風太郎のPな日々...
只見線 魚沼田中 2022年1月須原から魚沼田中へひと駅間。 その間にみるみる日差しが。これはキツネの嫁入りじゃなくて何の嫁入りなんだろう。まるで台風の目みたいな晴天は、低気圧に覆われた雪山によくある「ニセ天候回復」なんだそう。「これに騙されたら命取り」とな。 やっぱり別世界を経験している人と同行はタメになるね。 魚沼田中それでも思わぬ雪晴れはラッキーだ。 まるでスキー場に来たみたいと思えば...
只見線 越後須原 2022年1月降るか降らぬか気まぐれな越後の冬に対処するに、車があれば通過5分前まで状況を見極めてソレと移動するところ。徒歩じゃあ時の運に任せるしか。 という事で全然動いてないじゃないかと言うなかれ。撮ったら須原駅前に戻り、スーパーの開店を待って朝メシを仕入れ、宿をチェックアウトしたらまた戻りと歩き通しです。でも2時間違えばもうひとつの冬景色。 越後須原© 2011 風太郎のP...
只見線 越後須原 2022年1月夜討ち朝駆けは風太郎の専売特許では無かった!宿の女将に呆れられながら、明けやらぬ雪道を徒歩往復3km超に何のコンセンサス作業も不要だった。まあお立ち台ではあるが通学の高校生を満載した上り始発を。阿呆と言うなかれ、この時間に線路際に立つ気が無いなら一日三往復の超閑散線など撮れませんぞ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村植民地時代のミャン...
只見線 越後須原 2022年1月雪原に陽は落ちて。秒刻みに露出が落ちてくる中を、今夜の酒ビンまで背負ってしつこく粘るオヤジ二人。しかし風太郎の新調ミラーレスは暗さにAFが追い付かなくなり、ならばMFと思ったらピントの山が掴めないんだな、これが。パニックを起こしているうちに来ちまったい。 慣れぬカメラはケガのもと。本命カットは絶望ながら、ええ、ままよと当たるも八卦のフルスイングで。これにて本日...
只見線 入広瀬 2022年1月入広瀬下車。降っては止み降っては止みの越後の冬だ。かつては入広瀬村の表玄関、ストーブが燃える暖かな待合室があったはずだが、今は冷え冷えと佇む駅。降り過ぎだ、ロングショットは無理と駅撮りに徹するはヘタレなところもあるけれど、思わぬ訪問客も顔を出したり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村植民地時代のミャンマーではイギリス人が鉄道を敷くと同時...