長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
肥薩線 嘉例川 2025年5月木造駅舎西の横綱と讃えられる「嘉例川駅」、実は「竹林の湯」から至近にある。湯上りに拝みに行く。堂々たる大ぶりの駅舎は見事なものだと思う。 いい駅には違いない。 しかし。何処か「愛され過ぎて」いるんだな。待合室の中は駅の由縁やら応援イベントやら、鉦太鼓の張り紙だらけである。その点、東の横綱の「上神梅駅」が掲示物等を最低限に抑え、あくまでさりげない佇まいを残しているのと...
竹林の湯 2025年5月これは野趣! 人知れず山中にこんこんと湧いている「野良湯」である。霧島温泉郷は塩浸温泉から至近の山中。「竹林の湯」は周囲を鬱蒼とした竹林に囲まれているから。河原に源泉があり、こんこんと湧きだすそれが流れ下り、多分誰かが穿った穴二つに溜まっている。源泉の温度は高く、50℃近くはあるのではと思うが、まず上段の湯舟に行きつくところで40℃台前半、下段に至って40℃を切るか。これが本当の...
肥薩線 坂本 2025年5月 「人吉? 川線アレでしょ、山線もアレでしょ、今更行って何撮るのよ。」と言われたものだが。そこは人差し指を振って、ちっ、ちっ、ちっな訳で。 「壊れた線路」を撮りに来たのです。カメラをデジタルに替えてからかれこれ10年以上鉄道を撮ってきたし、相応のストックも出来たなかで、そろそろひとつ「纏め」をしたいと思っている。「旅のたまゆら NOW!」の構想はいくつかあって迷いもあ...
内牧温泉 2025年5月行ってみれば、こいつぁ昭和の社員旅行御用達温泉場だぜと気付くも、今や温泉コンパニオンの代わりに「温泉むすめ」がお出迎え。まあこれも何か勘違いしてるような。さすがに火の国です。 温泉は何処でも湧いています。 人知れず山中でスッポンポンになる「野良湯」含め毎日入ってます。島原温泉、雲仙温泉、火の鳥温泉、垂玉温泉、地獄温泉、通潤橋脇に湧いてる温泉、人吉温泉、薬師温泉、霧島温泉...
緒方家は平家の末裔。 壇ノ浦の合戦で平家が滅びたのち、四国の祖谷を経て九州へ。追手を逃れ大分から阿蘇を経由してこの幽境に流れ着いた。 せんだん轟(とどろ)旅の進行に更新が全く追いつきません。既に鹿児島を回って折り返しております。 残りは帰宅後かしら。見たものは山ほどあれば、たまーに鉄道も撮って、九州をくまなく一周するにはひと月掛けても全く足りませんね。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights ...
五家荘 2025年5月引き続き九州を流れ流れております。日本三大秘境のひとつ椎葉村、そして五木村といった辺りを通過すると、何故ここに住むと曰く由縁を一軒一軒聞いてみたいほどの秘境っぷりですな。なかでも五家荘。幽境を巡る密やかな流れは何処までも清冽。隠れ里とはその奥にある。平家落人の里と宣伝されているが、五つの集落があるうち、平家筋は三つで残り二つは菅原道真の末裔なのだそうだ。道真系のひとつが左...
通潤橋 2025年5月通潤橋にやって来ました。171年前に肥後の石工が架けた、農業用水用の水道橋。 長らく文化財として大切にされていたが、このほど土木構造物としては初めての「国宝」になったそう。本来水路清掃のための放水口が設備されていて、観光用に両サイドから放水されている写真は巷に溢れる。いつもやってるのかと誤解したのが運の尽き、農業用水の需要が高まる5~6月は例年放水を中止しているという。当たり前...
「星くんっ! 打ちますたい!」。 (左門豊作 大洋ホエールズ 熊本農林高校出身)「巨人の星」は階級闘争の漫画だったと言われるが、財閥のボンボンを体現した花形満に対して、左門豊作はプロレタリアート以前の、極貧階級出身の設定だった。小技よりも鍛え上げた肉体にモノを言わせ、フルスイングで豪快な打球を飛ばすが、直情一本鎗の性格が災いし、星飛雄馬が繰り出す「魔球」の最初の餌食になることが多かった。熊本を運転...
阿蘇 草千里 2025年5月全くのおのぼり観光ですね。日本中訪ねているようで、こういう「おのぼり」が穴だらけなんですわ。おのぼりはおのぼりとして改めてちゃんと見ようというのが今回の趣旨。天気悪し。 草千里は雲の間から時折チラリがいいのかもしれないが。 こういう茫洋とした風景が好きです。 中岳火口翌日行った中岳火口はしっかり見えた。活火山の火口をこの距離で覗き込めるのは他にないとのこと。長野重一さ...
南阿蘇鉄道 立野 2025年5月阿蘇にやって来ました。夕刻着いたら定番のところにギリギリ間に合った。定番? 現役C12の時代の方はもちろん、38年前に来た風太郎が同じ場所で撮ったそれとも別物。長年の名物だった白川鉄橋は2016年の熊本震災で大破損し、架け替えとなった。先代の大正時代ならともかく、現代の土木技術なら簡単? いや安からぬ費用は復興予算という打ち出の小づちがあってのこと。新しい白川鉄橋の風景は...
雲仙地獄 2025年5月雲仙温泉にやって来ました。ナントカ地獄は温泉場によくあるが、高熱と火山性ガスが噴き出す雲仙地獄を巡回中のネコとは驚いた。ネコを撮る趣味はないけど他に撮るものも無いしね。アイドルネコです。観光客が喜んでスマホを向ける。しかし温泉玉子を食べ始めたら、どっかりと前に座られてしまった。「おい、まさか撮るだけじゃねえよな」。 地獄に生きているだけに遠慮を知らない。あげるのは構わない...
長良川鉄道 深戸 2025年4月意外に粘り腰な春の陽もようやく山の端に没すれば、蒼い夜に向けての助走が始まる。今日一日を終えて。 乗る人、降りる人、駅にささやかな往来が戻る時間。夜の帳が降りると、駅も桜も明かりを灯して。駅を使う人は10人程か。道路を流れるヘッドライトの数には到底及ばないけれど、駅此処に在り。花の宴がいつまでも続かんことを。( 長良川鉄道春暦 おわり )Copyright © 2011 風太...
島原鉄道 大三東 2025年5月先日、今をときめく鉄道写真家の個展を見に行った際、マイナーな風太郎の顔など分かるはずもないから、名刺代わりに「天狗」ハガキを出したら、「ああっ」と。噂を小耳に挟んで拙写真集を買っていたらしく。 「あなたでしたか」。 「これが昔の、普段通りの、大三東なんですね。」と、職業が職業なだけに「大三東駅の現状」はよくご存じで、何に泣くかはお察しの通りだ。かつて地元の人しか知...
今回の旅の目的のひとつは、「手紙の返事を手渡す」ことだ。拙写真集「旅のたまゆら 1981-1988」の巻末に「海からの手紙」という一文をしたためているが、これは毎日大三東駅を掃除しているおばあさんとの出会いと、その後受け取った手紙という内容。昇る朝日に手を合わせ、波間に輝く満月の光を愛でる。 そして自分を取り巻く人々への感謝。手紙の主が住むよろず屋さんは、すぐ駅前だったに違いないと記憶しているのだが、何しろ...
長良川鉄道春暦 その12 ドキュメント55H 駅桜の下で ⑧
長良川鉄道 深戸 2025年4月春の陽は東へ西へ。朝とは逆方向から待合室を照らし、大樹は今日二度目の透過光を浴びる。光は饒舌な演出者だ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
島原 原城跡 2025年5月島原にやって来ました。島原の乱の古戦場、原城跡には思い出がある。43年前、まだハタチの風太郎は、周遊券で乗れない島原鉄道の先端部まで来てしまった以上、現地に宿をとるしかあるまいと、原城跡の近くにある「原城荘」という国民宿舎を予約していた。もう日も暮れた頃、原城駅で下車したところ、徒歩10分の「原城荘」の案内看板は認めたものの、その道筋は真っ暗な山の中に消えているのだ。...
長良川鉄道 深戸 2025年4月里に浮かんだ桃源郷に列車が着く。家路はその傍らにある。傾いた春の陽が柔らかに包んでいる。予期せぬ通行人は咄嗟に150-600mmズーム付ボディ、重さ約3kgの大砲を手持ちで振り回すしかなく。数ヶ月前まで無茶はやめろと医者に止められていた奴を、右腕一本でエイヤと持ち上げて。シャープネスには信頼を置いているそれが、何となく甘い感じがするのはブレでもボケでもなく、 陽炎。春のうらら...
大村線 千綿 2025年5月以前来てピピッと来た「千綿」は撮ります。しかし何だね、 JR九州YC1系というんですか、もう絶句するほどのブサイクさですな。とてもじゃないが順光撮影には耐えないのでシルエットになってもらう。これだから鉄道撮る気しねえんだよの言葉は飲み込みつつ、車両だけじゃありませんから、鉄道は。映え動画撮影に必死なチャイニーズ軍団に負けじと押すな押すな。もう国際観光地ですな。いや、映え...
1100km走って九州にやって来ました。一風堂のラーメンも博多で食べると心なしか旨い?最初の訪問地は「宗像大社」。神事の間は密やかな木漏れ日のなか。旅の先輩に九州行くならここだけは行けと大推薦だった神宝館へ。所蔵品全て国宝は凄い。純金の指輪は5~6世紀のもの。立ち入り厳禁の絶海の孤島、沖ノ島から結局持ってきちゃったじゃないかというツッコミはあれど、時空を超えた輝き。金ピカ好きという訳でもないけど、教科書で...
長良川鉄道春暦 その10 ドキュメント55H 駅桜の下で ⑥
長良川鉄道 深戸 2025年4月また朝が来た。97歳を迎えようとする駅に、幾万回の朝の物語を聞いてみるか。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
深戸駅桜ドキュメントはまだまだ終わりませんが、新規取材は刻々と進行しております。只今東名岡崎SAです。午後に東京を出発してから300km走りました。「矢場とん」ではまた野球見に来たのかと言われてしまいますね。違います。 西へ西へと向かっております。 途中のSAで車中泊をしつつ、ほとんど昼間に走ってるのに、高速を降りなければ走行全区間について「深夜割引」が適用されるのはご存知の通り。昔の一筆書き切符を連想しま...
長良川鉄道 深戸 2025年4月俄かに暗雲が広がって、落ち始めた雨粒は次第に激しく。篠突く雨に煙る駅。夕立ちは長引き、光は夜まで戻らなかった。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 入広瀬 2025年4月深戸駅桜ドキュメントはまだまだ続きますが、岐阜を斬ってから返す刀も含め延べ11日間に及んだ桜巡りの旅が終了しました。長良川鉄道・飯山線・只見線、特に雪国では残雪の影響かあるのか、殊の外遅い花の盛りでした。いや、今年の桜は例年より遥かに花芽が多く、数年に一度の大豊作と聞けば、しつこく追いかけた甲斐もあったかもしれません。しかし只見線魚沼口の朝方の気温は薄着に身震いする...
長良川鉄道 深戸 2025年4月駅舎に隣接して井戸跡と、それに掛かる屋根が残されている。息抜きが施された井戸からは、長良川の伏流水が今もこんこん湧き続けているのだろうか。宿直から目覚めた駅員が井戸を汲み、顔を洗った後に雑巾を浸して拭き掃除を始める、朝の日課がそこに静止している。擦り減って丸みを帯びたベンチにはどれ程多くの人が腰掛けたのだろう。何とも珍しい三角形の改札ラッチはどう使ったのだろう。...
長良川鉄道 深戸 2025年4月ホームの端を花が埋める。待合室に陽が伸びる。古い駅に春が満ちてくる。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 深戸 2025年4月駅に朝が来た。ホームは東西に延びて、背後の山から昇る朝日が次第に光の帯を伸ばしてくる。花の盛りの大樹が目覚る。 いのち短し、恋せよ乙女。 だから輝く。 この桜はいつからここに立っているのか。1928年に鉄道省越美南線の暫定終着駅として開駅とあるから、その時に記念植樹されたと考えるのが自然だろう。ようやくここまでやって来た汽車、おらが駅のモニュメントとして。小さかった苗木...
長良川鉄道春暦 その5 ドキュメント55時間 駅桜の下で ①
長良川鉄道 深戸 2025年4月「キミの鉄道の写真はドキュメンタリーなんだな。 瞬間を生きてる鉄道が写っている。 他ではあまり見ないキミの個性。」と有難い評も頂ければ、我が意が伝わったかと嬉しいところがある。深戸駅の上り方にある駅桜は、その大きさといい、枝振りといい、一本立ちとしては今まで各地で見て来たなかでも確実に五指に入る。郡上八幡以北がほぼ壊滅に近いなかで、そこからさして離れていないこの駅...
長良川鉄道 美並苅安 2025年4月東京辺りでは例年3月末には満開になり、葉桜の入学式に始業式は普通だが、もともと遅いのか、今年は遅れ気味なのか、花の盛りが始まりを告げる。今日最初の乗客が早朝のホームに立つ。多分、本日始業式。 美並苅安Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 赤池 2025年4月初夏を思わせる日差しが水面を蒼く染める。日本三大清流にも数えられる長良川。今年は積雪も多かったろう、水源白山の雪解け水は冷たく透き通る。眼前でカヌーが転覆して、濡れた髪から飛沫が散る。逆巻く急流を眼下にして。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 大矢 2025年4月咲いてないわと言っても、総延長70km以上、第三セクターでも指折りの長さのこの鉄道、しかも南北に長いとなれば、どこかに花の盛りはあるものだ。本当のピークは一日だけしかないとはよく言われるが、爽やかな青空の下、本日はピークと認定したい。此処に作らなくてもという自転車置き場は無粋と言えば無粋だが、駅まで自家用車送迎が普通の昨今、ガチャガチャ自転車を引き出すのも、いにしえ...
長良川鉄道 自然園前 2025年4月単独行としては実に15ヶ月振りに鉄道を撮る。長良川鉄道は2年前の初夏に名古屋のドラゴンズ観戦がてら顔を出したことがあるが、土地勘も無くいい加減に流した感がある。しかし国鉄時代から歴史を重ねた駅々にある大樹は確かめれば見事な桜の木であり、花の時期になったらさぞやと、沿線要所のフラグ立てはちゃんとやっていた。立てたフラグは回収に行かなければならない。しかし今年の桜...
昨春の大怪我から間もなく一年。セルフ快気祝いに海外でもブチかまそうかと思ったけれど、東南アジアの辺境など、現地の兄ちゃんの原付バイクのケツにぶら下がる覚悟と筋力が必要で、さすがにまだ自重。いやそれでも4月5月はあんまり東京にいません。 日本の何処かを旅しています。 探さないで下さい。大量のストック画像をヤワな車載ノートパソコンに詰め込むのも厳しいし、更新は不定期?生存確認用に現地発信があるかもしれま...
わたらせ渓谷鐡道 大間々 2017年「製版技術者が先入観でピンク色に振ったりする。桜は白いだろ!」と憤る風景写真家がいたが、樹種の問題は別にしても、白だと言われればその方が自然なような気はする。しかし白ならばそれだけ環境光の影響を受け易いということだ。 朝方なら蒼く、夕方なら紅色に。七変化の変わり身もまた、人を惑わせる妖花なのかもしれない。北関東に傾いた春の陽が、最後の光を注いでいる。Copyrig...
筑波鉄道 常陸小田 1982年草枕 旅の憂へを慰もることもありやと 筑波嶺に (万葉集)春爛漫の世の中に合わせて、先日入稿したフォト&エッセイ「旅のたまゆら 1981-1988」も、43年前の春物語。しかし万葉歌人と大分違うのは、そこに近づく程に旅の憂いが深まったことだ。うららかな筑波の麓は、撮りようがなくて四苦八苦がネガの並びに表われていて気の毒な程で、半ば投げやりに居座った小駅の、平凡過ぎる一日。いや、...
ミャンマー マンダレー近郊 2019年ミャンマー中部でM7.7の大地震発生と。中部と言えばこのマンダレー周辺だ。クーデター以降、実質内戦状態の同国ながら、日々を生き抜かなければならない民は逞しく、普段通りの日々を守っていると信じたかったが。同じ地震国ながら、日本とは社会のインフラもセーフティネットも全てが違うのだ。熱中症寸前の風太郎に椅子を出して木陰の休憩を進めてくれたおばさん。 お茶と食事を差し...
小湊鉄道 月崎 2016年アクアライン経由で我が家から小湊鉄道中心部まで車で1時間丁度というお手軽さ故、どうもご近所で撮ってる感があって、遠いところにやって来たという感覚に乏しい。しかし車の免許を持たない地元生活者の目線に立てば、そこには日に数本の鉄道に頼った移動手段しかない。「故郷」という独立した生活のコミュニティはそこに確かに在って、帰る場所でもあれば、出発の場所でもあるはずだ。駅は故郷...
大井川鐡道 家山 2018年欧米の学校で一般的な「秋始まり」に対して、日本の「春始まり」はいずこから根付いたのか、その訳に興味がある。桜花に始動のエネルギーを感じてその時期を特別なものとしたのか、それとも後追いのモニュメントとして、象徴的な植物に人集う場所、学校を、駅を飾らせたのか。新たな始まりは忙しなくもある。軽やかな急ぎ足が改札口に響く。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights re...
因美線 美作滝尾 2022年日の出前。朝露を崩して三脚を据える。 香る春草。一夜にして開花は更に進んだか。通過列車が静寂を破って。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
宗谷本線 雄信内 1987年3月14日付で北海道内において5つの駅が消えた。今更に驚かない出来事になってしまったが、雄信内、抜海と多少なりとも縁のあった駅となれば。雄信内駅については拙著「旅のたまゆら 1981-1988」のなかでも一文をしたためている。38年前の待合室に置かれた「駅ノート」の、故郷を後にした二十歳の地元女性の書き込みについて。「今度帰って来る時まで」と記された駅は無くなってしまった。 宗...
烏山線 小塙 2017年朝靄を切り裂く、レールの響き。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
2025年3月出来ることは写真位だから老いた母の故郷へ。伊豆西海岸、半農半漁の村に早や彼岸桜。母の古いアルバムから。70年以上前の写真に免じて個人情報は勘弁してもらおう。屈託なく笑う少女たちは、今88歳。そして背景の山の形を見て欲しい。校庭の隅で少女の母に出会ったかと。心揺れるのは、人の生涯を越えて残らんとする写真の勝利だろう。春である。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2017年座布団に 早や春来たり 鄙の駅Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 入広瀬 2019年遅い春が、山の頂まで這い登ってゆく。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
飯山線 津南 1991年雪深い里にも春の日差し。長靴から革靴に履き替えた駅員の、所作も心なしか軽やかだ。雪崩の危険もあるこの季節、運行は順調だろうか。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ミャンマー マダヤ線 オーボー 2019年突然のクーデターから4年。戦力的には圧倒的な国軍に対し、民主派勢力が優勢を取りつつあるとの意外な報も、いよいよ泥沼化が進んできた証ともいえよう。国内難民450万人の推測は国民全体の1割に迫る。貧しくも穏やかに続いた日々。線路の向こうに見えたものは。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
わたらせ渓谷鐡道 小中 2023年この鉄道の象徴とも言えた「あかがね色」の車両が次々老朽化、廃車の時期を迎えているという。地味と言えば地味。 しかしおよそ沿線風景を汚すように珍妙なボディが横行するなか、彩り豊かな季節も、モノトーンの季節も、それは静かに調和する鉄道の風景になった。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
花輪線 平館 2023年明け方の気温は-11℃。朝日が冷え切ったレールをゆっくり温める。「日本旅行作家協会」に入れてもらったので例会で挨拶したら、元鉄道ジャーナル編集部、「旅と鉄道」創刊メンバーという重鎮の役員が同席していて。知らぬが仏というか、狭いこの世界で迂闊なことをしゃべると赤面ものだ。その「旅と鉄道」最新刊は本日発売。連載フォト&エッセイ「旅のたまゆら 1981-1988」第4回は「音威子府駅午前3時...
五能線 北金ヶ沢 1983年線路と海の間に閉じ込められたような漁師町の佇まいが好きだった。肩に力が入って、ISO32のパナトミックXで撮っている。粒状性には目を見張ったものの、到底使い易いフイルムとは言えなかったが、精緻に描写された町並みは、今も眠ったようにあまり変わらない気がする。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
烏山線 小塙 2017年パキンと竹を割るように乾いた関東の冬。ヌケも最高ならレンズも喜ぶというものだろう。国鉄型ありし頃の烏山線。 たった一度きり、たった1日だったけれど、鮮烈な思い出を残してくれた。早や陽は傾いて雑木林は紅く燃える。copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津大塩 2025年1月傾いた陽が山の端に隠れるギリギリに間に合ったのは、ツキにも恵まれた。豪雪に恐れをなして行ったのに冬晴れ続きとは思わぬフェイントながら、この季節に光と翳の妙を堪能できるのも僥倖というべきだろう。これがラストショット。 実に一年振りにマトモに鉄道を撮ったな。実質24時間強の短期決戦、日に正味4本しか撮れない限界ダイヤの区間にあって、これだけのバリエーションを持たせられた...
只見線 会津蒲生 2025年1月雪と鉄のコントラスト。 只見線 本名 緊急放水が鉄橋を吹き飛ばした、あの2011年。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津蒲生 2025年1月ボディ+10倍近い高倍率ズームで重量1340gか。いくら筋肉が欲しいからと言って、3000gのダンベルを上げ下げする様な無茶は止めろと諫められているが、微妙な重さである。カメラは軽いわ、レンズ交換はサヨウナラだわと、楽チン撮影を決め込んでいたのは過去の話。情けないがカメラが重い。 常時手持ち撮影はデフォルトながら、フレームインを待ち構えるような鉄道撮影では、長時間にわたるカメ...
只見線 会津中川 2025年1月たまに現れる雪雲はそのまま降りることもなく流れるのだった。豪雪の里の、しばしの休息。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津西方 2025年1月10円玉一枚投入で確か10分位使えるガスコンロとか、古色蒼然とした湯治場の雰囲気は消えて、最近リニューアルされすっかり綺麗になった早戸温泉自炊棟に、チャイニーズが飛び交うのも時代。スルメを焼く匂いが廊下まで漂っていたな。湯治というかアルコール漬けというか、結局温泉には一度きりしか入らないのはどうしたことか。「鉄橋は止めような。」の合意の下、山霧漂う会津西方は素敵な雪...
只見線 本名 2025年1月少雪だった去年の分まで降るかと思われた今年の豪雪。ここ暫く降らないという。里の雪は固く締まって、鉄橋の響きを返している。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
早戸温泉 つるの湯 2025年1月写真は結構、でも雪のあるところはダメですよと聞いたような聞かぬような。車を出して乗せて行ってやるという奇特な方にも恵まれれば、そして山の湯に漬かって一献となれば。早戸温泉つるの湯は、一羽の鶴が傷を癒しているのを見てその霊験に気が付いたというありがちな温泉由来だが、特に外傷に効くとあれば、大汗かきながら上腕筋を揉みほぐしたいところ。これは写真撮影ではなく、あくま...
飯山線 蓮 2019年朝から雪を落とし続けた雲が不意に切れて陽光さえ覗く。それは僅かな幕間であって一時間も経たぬうち、また白い闇に閉ざされるのだった。千曲の畔の、いつもの冬の日である。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
宗谷本線 音威子府 1984年こんどは41年前の音威子府、午前3時半。冴え渡った漆黒の夜空に白いスチームを引いて、下り夜行急行「利尻」が発車してゆく。最後尾の荷物車に煌々と灯る明かりの下、荷扱の車掌は停車各駅での積み下ろしに不眠の一夜を過ごしているのだろうか。氷点下30℃の下、一眼レフのミラーが返る音が硬い空気を震わせる。半世紀近くを経て記憶の深いところに刻まれているのは、素手で握った三脚に指が...
宗谷本線 音威子府 2017年最終下り特急が音威子府に着く。路面が凍結する道北の冬、地元の人でさえ車の運転を怖がるという。此処に生きる人がいるのなら、鉄道の役割はまだあるはず。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
霞ケ浦 2024年12月この季節、この天気と来れば、霞ケ浦の畔に立たなきゃ。空っ風に波立つ湖面も日没と共に凪いでくる。筑波山はここから遠望すると名山の趣。やっぱり離れて見るに限るね。なかなか幕を引かない残照の宴。 鉄道は消えても山河あり。 鹿島鉄道 桃浦 2007年日帰りながら結局12時間、200km弱のあんまりプチでもないリハビリドライブ。右手で持ち上げるZ7Ⅱ+24-200mmズーム、こりゃ重いと初め...
石岡駅 鹿島鉄道石岡機関区跡 2024年12月鹿島鉄道石岡機関区の跡地はマンション用地として売りに出し、累積赤字穴埋めの足しにすると聞いたが。17年経過後の今も空き地を晒すばかりである。長年使われた機関区の跡地となれば、沁み込んでいるのはエンジンオイル、グリース、ディーゼル燃油。それらを削り取っても、鉄道の痕跡は有害物質の蓄積となって今時の環境基準を満たさないのか。それとも駅至近とはいえ市場...
筑波鉄道 常陸小田駅跡 2024年12月「あれだけ壊した肩なんだから簡単には戻らないって。」「骨はいいけど筋肉がまだまだだから動かすほどに腕の筋肉疲労が起きる。」とは言われても、腕を宙に浮かせてじっと本なんぞ広げている方が具合が悪く、ハンドルを左右に回している方が調子がいいのだから、アウトドアに出るのが自然体かつ効果的なリハビリなのかも知れぬ。ということで連載エッセイの取材も兼ねて、旧筑波鉄道と...
只見線 郷戸 今年は雪深い新年を迎えたところが多いようですね。全てを紅く染める清めの炎。明けましておめでとうございます。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
札沼線 豊ヶ丘 これが本年最後の更新となります。今年はいろいろなことがあり過ぎて、ひとつひとつ思い出せば長い長い1年だったというのが実感です。「旅のたまゆら 1981-1988」の個展開催準備から始まり、GW前後の開催までのみっちり濃厚な時間。 その閉幕直後に肩甲骨複雑骨折の事故に遭ってひと月近い入院とくれば、それと並行して初の雑誌連載が始まるも、地道に続くリハビリの開始でもあり。 秋には老父の逝去とその後...
小湊鉄道 上総大久保 2014年何とも季節外れな絵ではあるが。桜名所だらけの小湊にあって、一番好きなのはここ上総大久保だった。飯給も月崎もそれなりの良さはあるが、桜と線路との「間合い」が近過ぎず遠過ぎず、絶妙なバランスを保っていると思う。しかしこのアングルは撮れなくなるらしい。事実は未確認だが複数の情報筋によれば、この写真の前景、菜の花か咲いている辺りに太陽光パネルの支柱が立ち始めていると。...
新宿駅I wish you a Merry Christmas !Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 大白川 2020年これは意図せぬAFの悪戯なのだけれど。コントラストをモジュールが拾うなら、浮かび上がったひとひらの雪に吸い寄せられるのだろう。雪同士が高空でぶつかって合体した、ぼたん雪が線路を白く覆ってゆく。本日発売の「旅と鉄道」。 連載中の「旅のたまゆら 1981-1988」 第3回は南部縦貫鉄道、1984年。小学生のレールバス通学写真から辿るのは、秘められた大地の歴史。Copyright © 2011 風太郎...
写真を見せていて困るのは、「ここに写ってる車両は何形?」というスペックを問われることで、そういったことには無頓着、来るものをただ撮っていたあの頃。それでも昔のローカル私鉄など修車技術も高かったのか、古い車両が大切にされ、場違いな近代車に簡単に置き換えたりしなかったから、奇妙奇天烈な奴が来て茫然というようなことは皆無だった。騒がしいラッピングなど影も形もないし。縮小均衡は目に見えていたとはいえ手堅い...
只見線 入広瀬 2022年夜明けが遠い朝も、始発列車の賑わい。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
飯山線 横倉 2023年豪雪の地から雪の便りが届く。長く冷たい冬の始まりに、通り過ぎる窓の灯りが愛おしい。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
三菱石炭鉱業鉄道線 清水沢 1984年清水沢の凍てついたホームから石炭ストーブが燃えるヤマ行き車内へ。手に提げているのは定番の学生鞄ではなく、どこかのファンシー雑貨店のビニールバックだろう。サンリオキャラクターの勃興期でもある。 「カワイイ!」文化を育て支えた主役は彼女らの世代だった。はて当時の清水沢にそんな小洒落た店があったろうかとは野暮で、札幌辺りに繰り出した際に手に入れたものを常に携帯...
小湊鉄道 養老渓谷 2017年今年の秋は遠出皆無だったから確かめようもなかったが。遅い紅葉だったという。 狂いは常態化した感はあるけれど、季節の幕引きは確実にやってくる。本邦最後の紅葉の地じゃないかという、房総半島にも。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
三江線 香淀 2017年まだ明けやらぬ大河の畔に。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ゆりかもめ 2017年夕陽眩しい大都会の回廊をゆく。これが鉄道かはともかくとして、このポジションはちょっと羨ましい。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
鹿島鉄道 桃浦 1981年落日の霞ケ浦湖畔をゆくのはキハ401形。 国鉄払い下げのキハ04を総括制御化、2両一組で運用は良いが、ありきたりな正面2枚窓に改造してしまうのはその無粋さを嘆いたものだ。いやそれもまた今となっては牧歌的な嘆きではあるが。限りなく透明感のある関東平野の晩秋である。 窓辺の乗客も夕陽のグラデーションに惹かれているのだろうか。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights ...
いすみ鉄道 小谷松 2015年何処にでもありそうな里に、鉄道があったなら。そこにまた物語が生まれるというものだ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
富山地方鉄道 岩峅寺 2015年冷たい雨は降り続く。立山連峰を望む駅にまもなく厳しい冬がやって来る。名残りに色付く蔦が軒先を飾っていた。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
花輪線 兄畑 2019年米代川が湯瀬の渓谷に差し掛かろうとするところ。ディーゼルの響きも遠ざかれば、風にそよぐ尾花が微かに音を立てるばかりである。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
南部縦貫鉄道 坪川 1984年昔の写真を撮っている時は見るもの皆珍しく、目の前にあるものをただ夢中に撮るのみ、写るものの歴史的な背景などおよそ考えが及ばなかったものだ。小学生の列車通学は過疎に伴う学校統合の産物と簡単に片づけ、間違いではないにせよそれ以上掘り下げることもなかった。雑誌に連載を持つようになり、ファクトチェックの必要もあって沿線の村史など初めて紐解けば、そうだったのかと写真がまた...
日高本線 厚賀 2013年これより北はオホーツクとも呼ばれるから、太平洋の北の果てだろうか。荒れ狂った低気圧が去って、穏やかな夜明けの海が帰ってきた。沖のエメラルドグリーンはやはり太平洋のそれである。もう二度と帰っては来ない、線路を見下ろす朝。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
津軽鉄道 金木 1982年「おいわきやま」の麓はぴんと空気も済んだ秋晴れ。キハ20と22をハイブリッドしたような老兵が単行でやって来た。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
飯山線 蓮 2020年彩満ちた駅に、いつもの通学列車。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
蒲原鉄道 高松 1982年つるべ落としの秋の夕暮れ。最後の光を拾う。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2021年暗く冷たい一夜が過ぎて、改札口に再び朝がやってくる。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
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長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
肥薩線 嘉例川 2025年5月木造駅舎西の横綱と讃えられる「嘉例川駅」、実は「竹林の湯」から至近にある。湯上りに拝みに行く。堂々たる大ぶりの駅舎は見事なものだと思う。 いい駅には違いない。 しかし。何処か「愛され過ぎて」いるんだな。待合室の中は駅の由縁やら応援イベントやら、鉦太鼓の張り紙だらけである。その点、東の横綱の「上神梅駅」が掲示物等を最低限に抑え、あくまでさりげない佇まいを残しているのと...
竹林の湯 2025年5月これは野趣! 人知れず山中にこんこんと湧いている「野良湯」である。霧島温泉郷は塩浸温泉から至近の山中。「竹林の湯」は周囲を鬱蒼とした竹林に囲まれているから。河原に源泉があり、こんこんと湧きだすそれが流れ下り、多分誰かが穿った穴二つに溜まっている。源泉の温度は高く、50℃近くはあるのではと思うが、まず上段の湯舟に行きつくところで40℃台前半、下段に至って40℃を切るか。これが本当の...
肥薩線 坂本 2025年5月 「人吉? 川線アレでしょ、山線もアレでしょ、今更行って何撮るのよ。」と言われたものだが。そこは人差し指を振って、ちっ、ちっ、ちっな訳で。 「壊れた線路」を撮りに来たのです。カメラをデジタルに替えてからかれこれ10年以上鉄道を撮ってきたし、相応のストックも出来たなかで、そろそろひとつ「纏め」をしたいと思っている。「旅のたまゆら NOW!」の構想はいくつかあって迷いもあ...
内牧温泉 2025年5月行ってみれば、こいつぁ昭和の社員旅行御用達温泉場だぜと気付くも、今や温泉コンパニオンの代わりに「温泉むすめ」がお出迎え。まあこれも何か勘違いしてるような。さすがに火の国です。 温泉は何処でも湧いています。 人知れず山中でスッポンポンになる「野良湯」含め毎日入ってます。島原温泉、雲仙温泉、火の鳥温泉、垂玉温泉、地獄温泉、通潤橋脇に湧いてる温泉、人吉温泉、薬師温泉、霧島温泉...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...