2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 取り敢えず、幕。
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 ストップモーション
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 写真に聞いてみよう。
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...
著名鉄道写真作家様も次々ご来展は嬉しいやら怖いやら。風太郎と同世代のお一人の評によれば、「この壁にやられた」とのこと。展示に際していくつか設けた「章」のうち、「旅の途上に列車は走る」の章。A0~A2の縦横の組み合わせとスクエアの2枚、同じくスクエアのキャプションの配列が美しいそうだ。もともとこの壁は四つあるうち一番小さく、ここにひとつの「章」を押し込むにあたり、スペースの捻出に一番苦労したところ。ある...
津軽鉄道 金木 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)スカーフは当時の津軽女性の伝統的正装だった。高い秋晴れも、風が冷たさを増してきた晩秋の日。4日間で500人位のご来展者をお迎え出来ているのは嬉しい限り。広島、大阪、GWの新幹線で次々ご来京は、JRから感謝状を貰いたい位だ。 いや有難いことです。前半戦のヤマ場と思われた「作品解説トーク」も無事終了。放言に引...
無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
山陰本線 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録) 「こったら何もねえとこ。」に、何もなくはない今日があるのだろう。4年前の「ミャンマー」の時はスポットライトに加えて蛍光灯の主照明も点灯、全体に明るく見せたけれど、今回、主照明を全て消してスポットライトだけで浮かび上がらせるよう試した。光と翳は、ともすればシャドゥ部分が見づらいかもしれないけれど、その場でよしと...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑫ 設営
前の展示の終了・撤去が済む15時半過ぎをもって設営開始。設営のフレームマンさん、事前情報を受けてか、これは異例の3人体制になりましたね。しかし一旦ペースを掴めばそのスピードには舌を巻く。正味2時間半で仕上げた。 毎度風太郎の写真展ではお手間をお掛けしますね。写真はプリントからパネル制作まで全て自前だからこそ、気前のいいスポンサーがおらずともこの規模の展示ができるのだが、自前ではどうにもならんという1枚...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 窓からの風 車輪の響き
山陰本線 温泉津 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)例によって撮影・乗車記録なし。 細かいシチュエーションは忘れた。 多分夜明け前から乗っていた旧客各駅停車。 窓ガラスに雨粒が写っているから、それは物憂げな山陰の雨雲の下を走ってきたのだろう。いつの間にか顔を出した朝日の眩しさに、ボックスシートのうたた寝から目覚めたのかもしれない。温泉津だから撮ったのではな...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 山海をゆく 里を巡る
五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑪ あと6日
設営作業まで残り6日。 展示写真は全て完成。 あとは細かなキャプション類の制作を残すのみで工程進捗率は98%というところ。出来上がったパネルを眺めていると、自画自賛ながらモノクロプリントってきれいだなと改めて思う。何故か今、撮り鉄の世界はカラーにあらずは・・・というよりカラー以外ってあるの?という状況だ。巷に溢れる撮り鉄写真展だが、オンリーモノクロームのアンチテーゼをしっかり見せられれば。ともすれば気...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 七谷の駅長さん
蒲原鉄道 七谷 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定)信越本線加茂から続く平野部が尽きて、山間のサミットにかかる直前に交換駅・七谷はあった。ここで24時間一人きりで、閉塞作業をはじめ駅を守る駅長さんは二交代制だから二人いた。一人はちょっと取っつきづらく、怖い感じがして敬遠していた。当時挨拶もお愛想もおぼつかない子供だったから、それは優しく𠮟ってくれていたのかと今は思...
小湊鉄道 上総大久保 2019年春を愛でる1日が、終わろうとしている。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催しま...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ➉ 比率
先日、広田泉さんの追悼展を見がてらOMギャラリーの下見で細部確認。スタッフには4年前の「ミャンマー」から旧知のメンバーもいて、これが結構な「鉄」なのでご期待も併せ話も弾む。本題は新OM-1による「8000万画素ハイレゾデジタイズ」の技術的検証だったのだけれど、それは開発技術者にしか分かりません、という未知の領域もあるようだ。ただフルサイズとの比較においてこれだけは言えると、やおら展示品のレンズを外すのは、「...
深名線 1981年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)初めての北海道。 風景のスケールに、写真などどう撮っていいかも分からなかった。車窓を流れる景色に、ただ脈絡もなくシャッターを切るばかりだったあの頃。撮れない焦りと同時に、自由な旅をこじ開ける高揚もまた、コマの間に写っているような気がする。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(...
只見線 会津柳津 2018年思わぬ遅れ方の花の便り。ただでさえ遅めの、奥会津の桜はしっかり力を蓄えて来るべき日を待っているのだろうか。花の雲の中を。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都...
津軽鉄道 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)この冬から客車は35系に変わった。しかし機関車にスチーム供給機能が無いのは変わらないから、ダルマストーブは移設され紅い炎を揺らすのだった。長靴と地方紙「東奥日報」はその土地の日常の証し。今観光客しか乗らないストーブ列車は、そんな日々を運んでいた。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5...
因美線 美作滝尾 2022年春の黄昏は、ゆらりゆらりと幕を下ろしてゆく。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ➈ プリント追い込み
「自家製」A2プリント続々出力中。「たまゆら」の写真展は8年前に新宿ニコンサロンで一度やっている。結果的に2000人からの来展者はお迎えできたわけだし、 「伝説の写真展」とかいまだに讃えてくれる人もいるのだから結果として失敗ではなかったとは思う。 しかし今更こんなことを言うのはご来展者に申し訳ない限りだが。あれは、「プリントが悪かった」 。最大の原因はレタッチの腕の未熟さで、デジタルプリントのごく...
いすみ鉄道 西畑 2019年桜はまだかいな。気まぐれ過ぎる春に世間は半ばパニックですな。今頃はこれで当たり前だったのですが。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ76点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑧ 貼って切って
プリントはほぼ8割方完成した。 しかし大仕事、スチレンボード貼り作業が残っている。専門業者の加工が素晴らしい事は分かっているが、途方もない金額になることは必至、ここはコストと仕上がりをバランスさせるべく、汗を絞るしかないのだが・・・。パネル貼りはもうミャンマー写真展で慣れているとはいえ全く気の抜けない作業で、それをなんとか突破したとしても「切り出し加工」がまた難関。切り口のケバを最小限に抑えるには...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2017年農の季節が動き出す。 傍らの桜が合図であったかのように。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催します。(予約...
高千穂線 1988年 写真展「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定梅雨明け十日。 南九州の強烈な夏の日射しが窓辺に降り注ぐ。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 作品解...
ミャンマー マダヤ線 2019年これぞ大量輸送機関。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
いすみ鉄道 西畑 2015年小糠雨が音もなく降り続く様な日はなにかと億劫なものだが(特にこの辺りはヤマビルの超危険地帯)、しっとりと濡れた花模様もいいものだ。キハ52は定期運行を終了するとのこと。 刹那であってもその時代の息遣いを感じさせてくれる一両だった。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
大井川鐡道 家山 2021年夜明け前まで降り続けた雨があがった。洗われた花の香りが朝陽と共に忍び込む。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑦ フォント
OM写真展のDMハガキ出来る。写真集「旅のたまゆら 1981-1988」のブックデザインをしていただいた鈴木一誌さんは、残念ながら昨夏亡くなられたが、このハガキはその最後のお弟子さんにデザインして頂いた。前からやってみたかった、普通のハガキサイズと違う横長の大判サイズを採用したが、シンプルにあって写真の伸びやかさを損なわないデザインは一目で気に入った。島原鉄道大三東駅、1982年。 先日もテレビのドタバタ鉄番組でこ...
小湊鉄道 上総鶴舞 2015年朽ち果てたような貨物ホームの隅にも、春の香りが満ちている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年春の足音が聞こえ始めた。ポイントを渡る車輪も軽い響きを立てて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑥ 有楽町大プリント祭り
毎月写真展を開くという知り合いの写真家が「プロラボなんぞに儲けさせることねえよ、プリントも装丁も自分でやるんだよ!」と言うのは、どうも4年おきのオリンピックイヤーに個展をやることになっているらしい風太郎も頷ける。本当にお金が掛かるんですよ、人任せにすると。全部自分でやったるわ。 何より微妙なプリントの良し悪しは自分で決着を付けてこそ、満足も諦めも付くというものだ。強い味方は有楽町駅前のエプソンショ...
根室本線 尺別 2016年既に駅そのものが無くなった尺別。この頃交換設備が残されていて信号所的な機能を持っていたことが分かる。暮れなずむ荒野を染めるテールランプが沁みた。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ⑤ PhotoshopCC
写真のレタッチに関し、長らくニコンのCaptureNX2を愛用してきたが、ニコンが放棄し既にディスコンになったようなソフトにしがみつくな、悔しくとも泣く子も黙るAdobeにしろという周囲の諫めもあって、月額1000円超のサブスク制は忌々しいながらPhotoshopCCに切り替えている。最終的にグレースケールの8bitに変換、60MB程度まで縮小されるものの、7000万画素近い16bit元データは500MBに迫ろうという巨大なもの。よくパソコンの処理...
只見線 会津柳津 2019年雪積む音。それが聴こえる気がするのもひとり旅故だろうか。この冬、駅舎リニューアルと共に消えた差し掛け屋根。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
五能線 大間越 2020年結構ベテランとおぼしき撮り鉄さんが「たまゆら」写真集を見て、「カラーで撮ろうとは思わなかったんですかあ。」と問われればちょっと力が抜ける。最初のフイルム選択の時点で色情報を捨てた事実は、「損失」を自ら引き寄せた位にしか思われないんだろうなあと。現代撮り鉄の世界、カラーでなければ写真にあらずというよりカラーの「お手本」しかないのだから、さもありなんと言うべきかもしれな...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ④ 展示プラン
量か質かというより、「量の無い質は無い」という格言を拠り所にして、70枚を超える展示プランとしている。半数弱が長辺1300mmのA0サイズとA1サイズ、その他もA2サイズとした。A2だって昔の全紙の大きさがあるのだから、大きさだけなら展示有効長36mとあってもギャラリー負けしない自信はある。賛否両論はあろうが「大きく伸ばして数も多く」となったら、やたら過密な展示にする他ない。充分注意して「設計」したつもりだが設営はm...
小田急線 海老名 2024年2月「相模大野駅係員一同」によるチョークアートだそうな。あまり出来がいいので相模大野から海老名に移して先日まで展示、以後は海老名のロマンスカーミュージアムに展示されるとか。社員にも愛されたVSEは適度なデフォルメが利いていい味を出している。 一芸を持った人たちは結構いるもんだね。チョークアートと言えば思い出すのはこのCMだね。 1枚仕上げるのも骨なのに6328枚のアニメーションと...
只見線 越後須原 2022年毎年のように足を運んでいた只見線魚沼方に今年は行かないまま冬が終わってしまう。ご多聞に漏れぬ少雪の彼の地、それでも変わらぬ雪の朝は繰り返されたのだろう。乗り降りの高校生の数を今年も確かめたかった。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ③ トライXがプラスXに!?
そもそも「ハイレゾショット」とは何か。2000万画素のセンサーから三脚使用なら8000万画素のデータを生成すると当初聞いた時、「それは何かね、Photoshopのピクセル補完みたいなものかね?」と愚問を発したものだが、「全然違います」。「ピクセル補完」は、大伸ばしの際足りないピクセルを補うため、隣り合わせたピクセルをコピーして「隙間を埋める」という、あくまでコピーの集積に過ぎない。「ハイレゾショット」は、カメラ内...
津軽鉄道 津軽飯詰 2013年これも温暖化ゆえなのか、雪国に行っても巨大なツララを目にすることは珍しくなったように思う。風雪の中の一夜を過ごしたのだろうか。 片側にのみ成長した雪庇とツララは一方通行の季節風の仕業だろうか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ② フルサイズ VS ハイレゾフォーサーズ
「ことデジタイズに関して、4000万画素級のフルサイズとハイレゾフォーサーズのどちらが上なんだい?」。火の玉ストレートな質問に「ハイレゾフォーサーズの方が上です(キリッ)!」と、OMスタッフ。 その心は以下のようだ。①使用マクロレンズの焦点距離がフォーサーズは30mm、フルサイズは60mm。被写界深度が深く、ネガのカール等によるピンボケ防止に強い。②なんてったって顕微鏡メーカーのマクロレンズですよお。③ハイレゾによる...
ミャンマー マダヤ線 タイヤーゼィ 2019年「料理して食べる」は人間の自立。人間味の尊重。AIはご飯食べへんし。食べんでも死なないから、倫理観ないし。オートメーションに依存しすぎると危ないぞ。人間は料理する動物。料理は創造の始まり。人間のはじまり。料理研究家 土井善晴 マダヤ線 タイヤーゼィ マダヤ線 オーボー© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 メイキング ① 二つのOM-1
4月25日からOM SYSTEM GALLERYで開催予定の、個展の準備が佳境に入りつつある。1980年代、当然銀塩フイルムでの記録はオリンパスの一眼レフ、OM-1とズイコーレンズによるものであり、オリンパスルーツのギャラリーで開催出来るのは、遂に収まるところに収まったかと感慨深い。OM SYSTEMさんのギャラリースタッフは4年前の個展「MYANMMAR RAILSIDE STORY」当時とあまり変わらず、旧知ではある。2年前、最新デジタル機材「OM-1」が発...
福島県 柳津町 2024年1月「どんど焼き」の起源は平安時代の悪魔祓いとも、もっと古代の五穀豊穣の儀式とも、諸説ある。時代は下って、正月のしめ飾りや、破魔矢、願掛けダルマなど、用は済んでもさすがに邪険に扱えないものを、安心して処分する実用性も備えたのかもしれない。それても営々と行事を続けさせたものは、空を焦がすような炎に「神性」を感じ、何かを祈り託したい庶民の心根でもあるに違いない。今年...
只見線 会津塩沢 2024年1月この区間、冬場なら実質撮影可能なのは2往復という寂しさだ。思い出したような通過列車に、風が止む。雑誌の車中泊特集に、拙写真集が「車中の一夜に読むべき本」として紹介されたが。今回持ち込んだ本は沢木耕太郎さんのフォト・エッセイ、「旅の窓」。見知らぬ土地で徒然に撮られたスナップと小文が対になっている。旅心の微かな揺らぎを濃縮して閉じ込めた写真と文字。眉間に皺を寄せて長...
只見線 会津水沼 2024年1月明日は豪雪だの大荒れだの、降る降る詐欺がぁ!と怒っていたら、それなりに降って白い花が咲いた。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津越川 2024年1月閑とした森をゆく。 ちょっと気に入った場所になった。いや、開けているのは東側方向、此処に朝陽が差し込んだらとか。脳内シュミレーションを始めると、また此処に立たずにはいられない。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津越川 2024年1月家のすぐ裏手を走る線路の響きは、朝な夕なの時も告げたに違いない。 今それを聴く人は。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津中川 2024年1月会津中川駅近く、大志集落のサイノカミは鎮守の境内で執り行われる。 今日は1月15日、本来の小正月だ。ここも例年に比べ極端な少雪だけれど、立派な櫓が立った。 線路は神社の左上を通る。点火時間は19:00ながら、 19:08会津川口発の434Dの通過とリンクのお願い済みと聞いている。 しかし。日が落ちると雪は激しさを増す。 どうやら只見方面の積雪が多いらしい。刻々と遅延が進んでゆく434D...
只見線 早戸 2024年1月細雪が降っては止み、止んでは降る一日だ。それでも木々が白く化粧するのは、この地方の重く粘り気のある雪故だろう。無彩色の冬景色にステンレスの地肌は様にならない。適度な彩りが加わった車両が時折顔を見せるのは有難い。 会津中川© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津塩沢 2024年1月雪晴れの朝。 蒲生岳も微笑むようだ。防雪林の木立からは絶え間なく雪が落ちる。静寂の中に光のシャワー。 只見蒲生岳は見る方向からで随分山容が変わる。一番奇特な佇まいはここ只見側からだろう。午前の列車が終わったら夕方近くまで無いのだから、微睡に任せてのんびり。 只見© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津柳津 2024年1月時計の針を30分巻き戻す。 今夜はサイノカミのハシゴというウルトラC。柳津は一王町集落のサイノカミは事前に話が出来ていて、背後の431D通過に合わせて点火という芸をお願いしてある。いや、どうやらそれとは関係ないところで「18時点火」が決まっていたようなのだが、会津柳津駅発車は17:58。郷戸に向かう列車が月光寺奥の鉄橋を渡り、背後の鉄橋上でビンゴな邂逅のタイミングか。柳津近辺...
只見線 郷戸 2024年1月ここでは通過列車とのコラボは関係ない。 30分近く前に通り過ぎた後に火が入った。終日天気が良かったので稲藁も適度に乾燥していたのだろう。 炎は高く上がって壮観な眺めだ。炎に紅く照らされた人々を見れば、今立っている場所を大勢の降車客が家路を辿る、半世紀前の写真に繋がる。「小正月」とは本来1月15日。 曜日は関係ない。厳格にその日付を守る集落もあるが、人が集まり易いからという...
只見線 郷戸 2024年1月2020年はもっと少なかったというが、記録的少雪である。もっともキレイな雪景色が見たいというのは雪国の現実を知らない者のエゴでもある。 雪下ろしなどの重労働から解放されるなら少ないに越したことも無いのだ。しかし正月のしめ飾りなどを焚き上げる、無病息災の神事を執り行うとなるとそれはそれで困るらしい。サイノカミの「櫓」は、竹を使って円錐形になるよう骨組みを作り、そらに稲藁を...
只見線 会津横田 2024年1月会津横田駅近くの大振りな農家が気になっている。特徴的なのは二階に引き戸があることだろう。 窓なら分かる。 しかし「戸」とは。本来豪雪の地である。 一階が雪に埋まった場合に、ここが出入り口になるのではないか。家の構えからして大家族が暮らしていたのだろう。 そしてここは雪と共生するための砦だったのもしれない。降り続く雪がようやく止んだ朝。 すっかり玄関になった引き戸を...
日中線 熱塩 1984年昨年末開催した吉祥寺の書店での写真展で、生まれて初めて自分の写真を売るという体験をした。もともと展示中のパネルを売ってみたらという店主の提案もあって、まさか売れるものとも思えず冗談半分のつもりで値段を付けたもの。あにはからんや売れた。写真集にも掲載されている写真のうち3枚。 どれというのはご想像にお任せするが、うち1枚はこの熱塩の夜の写真である。もっとも展示パネルそのも...
飯山線 信濃平 2019年こういうのを新手のデコボコ編成と言うのだろうか。まあいいか。 Don't say 4&5.信濃平はこんなにお天気なんだから。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
弘南鉄道 松木平 1982年家路につく人々を乗せて、雪原に響く吊り掛けモーター。当時の弘南鉄道は国鉄・私鉄取り交ぜて旧型電車の宝庫だった。小洒落たCIロゴとは別に今も生き残っているらしい、いかめしい社章が良く似合う。夕焼け空に小さくなれば、岩木山麓に夜の帳が降りて来る。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
のと鉄道 西岸 2022年「ただもう本当に・・鉄道の復興もできればいいなとは思うんですけど、思った以上の被害なんです。被害状況も僕らが目に見えるあたりしかわからないんです。これから全部見回して、うちは上下分離方式でやってるんで、持ち主の会社さんがまずやるかやらないかという話になってくると思うし、それで仮にやるって言っても、今度そこに自治体がGOを出すか出さないか、という話にもなって出てくると思...
三菱石炭鉱業鉄道線 南大夕張 スハニ6車内 1984年ヤマからマチへ、今日最後に向かう列車は白熱灯を灯して発車を待っていた。妻面には「通学生に次ぐ。座席シートを破ったり切り裂いたりした場合、刑法第261条、鉄道法36条その他に則り厳重に処分・・・」なる、宮脇俊三さんをして「ちかごろ珍しい高姿勢な」と述懐せしめた掲示が貼ってある。ヤマの荒っぽい気風なのか男子高校生のガン飛ばしにあって、女子高校生の...
只見線 入広瀬 2018年変わらぬ往来を、山は無言で見下ろしている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
のと鉄道 能登中島 2022年朝は驚くほど多い高校生がホームを埋め、夕べは鏡のように凪いだ海を落陽が染めた。穏やかに繰り返されていた日常。七尾、穴水、珠洲、輪島。 初夏の1日をもってしても能登半島は長い道のりだった。次に来る時はゆったりと。 車窓に見送るばかりだった素朴な家並みがテレビの映像と重なる。 輪島市 白米の千枚田 2022年山海の神が鎮まらんことを。 天の神は雨雪をその懐に留めるよ...
今月末にもOMSYSTEMさんから、写真展開催に向けたパブリシティ用の写真やらコメントやらを求められると思うし、本気を出して展示の構想と準備を始めなければならない。昨年は12月の声を聞くまで写真集絡みで走り詰めだったし、12月一杯はリフレッシュ期間としてボーと過ごそうと決めていた。年末の新潟に福島に、しんしんと降る雪と聞いても動じなかった!そのぐうたら生活の折に手に取ったのが、沢木耕太郎さんの「深夜特急ノート...
昭和の人間としては(いや平成に入ったって普通に流れていたが)正月に何かが足りぬとふと思うのは、「お正月を写そう! フジカラーで写そう!」の富士フイルムCMだろう。 「キレイな晴れ着を写そう!」は、仕事始めのオフィスにOLが競って振袖でやって来た、80年代の牧歌的な会社慣行を連想する。1枚の写真を残すにもフイルムに現像に少なくないコストを要した時代、記念写真を撮るは庶民にとって正にハレの行事だったし、お...
大洗海岸 神磯明けましておめでとうございます。皆様にとって実り多き年になりますよう。思い切りトラディショナルな絵柄にしてみました。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津坂下 これが本年最後の更新になります。今年を振り返って最大のトピックスは、やはり初の写真集の発刊でした。初めてのことでおろおろと戸惑うことも多ければ、次第に出来上がってゆくそれは積年の夢がかたちにという、心躍る時間でもありました。出来れば出来たで旬は短い書籍にあって、一人でも多くの目に触れるよう、精一杯のプロモーションに忙殺されるうちに年の瀬を迎えました。安くはない本をご購入いた...
津軽鉄道 芦野公園 2020年先般ニュースになった、大井川鐡道のEL列車における連結器が走行中に外れるという事件は、昨今滅多に起こらない、裏返せば大井川鐡道のそれがいかに博物館的な列車であるかを示すもの。国交省まで調査に乗り出すのは、発生確率はともかく、それが重大事故とされる鉄道の伝統を受け継ぐものだろう。機関車が無動力の客車を牽引する列車で連結器が外れたらどうなるか。良くて置いてけぼり、上り...
只見線 上条 2020年守門のアメダスの積雪深は早や90cm。 風は静穏と。音もなく降り続く雪。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ウイーン シュテファン大聖堂I wish you Merry Christmas.第一次大戦中の独英最前線で実際にあったという「一夜限りのクリスマス休戦」は、国家間の公式合意などではなく、鉄条網を隔てて向かい合った、両軍一兵卒の自発的行動だったという事実に人間の可能性を見る。今この時も血が流れ続ける世界に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
花輪線 北森 2023年暖冬の噂も高かったこの冬、列島が震え上がるような寒波もやって来たようだ。夏は夏らしく、冬は冬らしく。 写真屋としては普段通りの姿でやって来る季節が一番有難い。岩手山麓の朝は典型的な放射冷却、氷点下11℃の冷え込みになった。窓ガラスがバリンと音を立てそうな通勤通学列車が行く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
鎌倉 2023年12月在職中の友人がボランティアガイドをしている、映画「海街diary」の撮影地散策ツアーで鎌倉へ。 お天気最高、紅葉はまだ残っています。結局映画のシーンとしては最終盤に出て来る「衣張山」だけなんだけど、鎌倉の街と湘南の海、彼方に富士山は絶景。 杉本寺 衣張山頂綾瀬はるか「お父さんのバカヤロー」。 広瀬すず「お母さんのバカヤロー」。 江ノ島電鉄 鎌倉高校前国際観光地 「スラム...
津軽鉄道 金木 2013年津軽鉄道と言えば本邦最後の腕木式信号機使用路線である。構内の外れまで電柱が並んでいるのは、シグナルに明りを灯す為と分かる。言うまでもないが、これは五所川原側に立つ場内信号機を裏側から撮ったものだ。同鉄道は津軽五所川原-金木間がタブレット閉塞、金木-津軽中里間はスタフ閉塞を採用している。そして金木駅の上下及び五所川原駅に現存する信号機は全て場内信号機である。長らく単線の...
五能線 陸奥黒崎 1983年本を出してから、講演やらインタビューやら自分の写真について語る機会が多くなった。写真撮影という作業は多分に内面的かつ独りよがりなもので、意図を問われて力説してもそれが何処まで相手に届いているか不安はある。実は大した意図も無く、ただ目の前を流れる景色に素直だっただけの写真の方が余程多いというのも事実。「皆さんが旅の徒然に確かに見たけれど写真には残さなかった、そんな記憶...
只見線 魚沼田中 2020年少し融けた駅前の雪が靴音を鳴らす。踏切も静かになれば、駅の長い夜が始まる。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
いすみ鉄道 西畑 2017年師走も末となれば、房総もすっかり冬景色である。弱い冬日が照らす枯野に、排気煙が吹き上がる。9月の豪雨被害から長期運休が続くこの区間に、再び轍は響くのか。 総元© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
高千穂線 1988年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」よりある方からのご指摘で、この写真の先頭にいる野球少年は「後の中田翔ではないか」。思わずまじまじ見れば確かに似ている気はする。 しかし、この写真は1988年の撮影。 中田翔はまだ生まれていないから残念。 串カツのタレは当然「味噌」である。神田のドラゴンズファンの店「ごはち亭」で、「2023年反省会」に参加。2年連続最下位じゃあ...
静岡県 松崎町 重文岩科学校 鏝絵 2014年いつの間にやらの師走を迎えて今年を振り返れば。写真集制作の追い込みから始まって、出れば出たで人目についてナンボのものだから、繋がる話なら全て断らずに受けて来たこともあって、ちょっと疲れたなというところ。 それが当たり前の業界人ならともかく、全てが初めての体験だからね。画像トーンカーブの微妙な上げ下げとか、文中の言葉が今更にぐるぐる回って、まん...
只見線 越後広瀬 2019年他人に見に来いという割に、風太郎はあまり「鉄道の写真展」を見に行かないのは汗顔の至りなのだが。先月の池袋、風太郎出展の「夜明けの入広瀬のヨンマル」の写真を凝視していた小竹さんから、案内ハガキをバンと手渡されるは、「見るように。」ということですね。 銀座で開催中、ズバリ「魚沼を駆け抜けたヨンマル」。新宿ニコンの吉永陽一さん、銀座キャノンの「鉄道ファンフォトコン」、そ...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「蒲原の里」より「へぇ東京から。それはご苦労様なことで。」人生をダイヤグラムに例えるなら、人との出会いは上下列車の交換や離合のようなもの、と思う。星の数ほどのそれにあって旅先での出会いは、生涯二度と交わることのないダイヤグラムの奇跡なのだろう。結局3週間に渡った「旅の書店」でのミニ写真展は本日終了。こっちは知らないけど相手は...
小湊鉄道 上総大久保 2015年冬が遅い房総とあっても、夜明け前の寒気はじわりと身に沁みる。待ちに待った朝陽の暖かさ。 そしてJUST ON TIMEの始発列車よ。吉祥寺「街々書林」の写真展は12/3(日)が最終日となります。 なお12/2(土)は16:00に閉店です。ご注意下さい。街々書林HP© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
蒲原鉄道 1983年左右に激しくローリングする床に足を踏ん張って、通り過ぎてゆく雪野を撮る。車内に満ちる走行音が蘇れば、隙間風の寒さと濡れたつま先の冷たさもまた。ご来展者のなかに「鉄道の音風景」というユーチューバーの方がいらして、いわゆる「音鉄さん」である。蒲原鉄道最末期にデンスケを肩に録りまくったという。 二人で記憶を照合すると、どうも現地ですれ違っていた可能性がある。厚い雪に高音域を吸わ...
飯山線 替佐 2021年地面を白く覆った霜が七色の光の粒に変わる。千曲の畔に、玲瓏な朝がやって来た。吉祥寺「街々書林」は月曜火曜定休です。 また11/29(水)及び12/2(土)は16:00に閉店です。ご注意下さい。街々書林HP不在中のご芳名カードを整理していたら、精巧過ぎる1/80スケール・レイアウトセクションの制作にかけては超大御所のお名前も発見して仰天。是非お会いしてお話したかったなあ。 しかし拙作のセクション...
別府鉄道 別府港 1981年超貴重なバケットカーをちゃんと撮った写真が一枚も無く、訳の分からない構図の写真しかないのは、馬鹿野郎!と、40年前の自分の頭をパッコーンと叩きたくなる。兵庫県の肥料会社が自社製品を積みだす目的で敷いた貨物専用鉄道に近く、人間は申し訳程度にしか運んでいなかった。駅舎内で一服でも付けていた乗務員が仕事に戻るのだろうか。殺風景な港の片隅の、何の変哲もない昼下がりである。...
深名線 撮影地不詳 1988年人の気配すら感じられない山河に秋の終りが近付いている。この頃車移動が常態化していたこともあって、撮影地が思い出せない。 多分、幌加内の近辺と思う。フイルムはコダクローム200(PKL)。 ISO200は救世主、高感度であってもコダクロームの看板を掲げる以上、その尖鋭度は・・と期待したのは甘かった。 キハが粒子に埋もれそうなのを見て、このロングショットをノーマルコダクロームで捉え...
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2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
肥薩線 嘉例川 2025年5月木造駅舎西の横綱と讃えられる「嘉例川駅」、実は「竹林の湯」から至近にある。湯上りに拝みに行く。堂々たる大ぶりの駅舎は見事なものだと思う。 いい駅には違いない。 しかし。何処か「愛され過ぎて」いるんだな。待合室の中は駅の由縁やら応援イベントやら、鉦太鼓の張り紙だらけである。その点、東の横綱の「上神梅駅」が掲示物等を最低限に抑え、あくまでさりげない佇まいを残しているのと...
竹林の湯 2025年5月これは野趣! 人知れず山中にこんこんと湧いている「野良湯」である。霧島温泉郷は塩浸温泉から至近の山中。「竹林の湯」は周囲を鬱蒼とした竹林に囲まれているから。河原に源泉があり、こんこんと湧きだすそれが流れ下り、多分誰かが穿った穴二つに溜まっている。源泉の温度は高く、50℃近くはあるのではと思うが、まず上段の湯舟に行きつくところで40℃台前半、下段に至って40℃を切るか。これが本当の...
肥薩線 坂本 2025年5月 「人吉? 川線アレでしょ、山線もアレでしょ、今更行って何撮るのよ。」と言われたものだが。そこは人差し指を振って、ちっ、ちっ、ちっな訳で。 「壊れた線路」を撮りに来たのです。カメラをデジタルに替えてからかれこれ10年以上鉄道を撮ってきたし、相応のストックも出来たなかで、そろそろひとつ「纏め」をしたいと思っている。「旅のたまゆら NOW!」の構想はいくつかあって迷いもあ...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...