肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
ゆりかもめ 2017年夕陽眩しい大都会の回廊をゆく。これが鉄道かはともかくとして、このポジションはちょっと羨ましい。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
鹿島鉄道 桃浦 1981年落日の霞ケ浦湖畔をゆくのはキハ401形。 国鉄払い下げのキハ04を総括制御化、2両一組で運用は良いが、ありきたりな正面2枚窓に改造してしまうのはその無粋さを嘆いたものだ。いやそれもまた今となっては牧歌的な嘆きではあるが。限りなく透明感のある関東平野の晩秋である。 窓辺の乗客も夕陽のグラデーションに惹かれているのだろうか。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights ...
いすみ鉄道 小谷松 2015年何処にでもありそうな里に、鉄道があったなら。そこにまた物語が生まれるというものだ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
富山地方鉄道 岩峅寺 2015年冷たい雨は降り続く。立山連峰を望む駅にまもなく厳しい冬がやって来る。名残りに色付く蔦が軒先を飾っていた。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
花輪線 兄畑 2019年米代川が湯瀬の渓谷に差し掛かろうとするところ。ディーゼルの響きも遠ざかれば、風にそよぐ尾花が微かに音を立てるばかりである。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
南部縦貫鉄道 坪川 1984年昔の写真を撮っている時は見るもの皆珍しく、目の前にあるものをただ夢中に撮るのみ、写るものの歴史的な背景などおよそ考えが及ばなかったものだ。小学生の列車通学は過疎に伴う学校統合の産物と簡単に片づけ、間違いではないにせよそれ以上掘り下げることもなかった。雑誌に連載を持つようになり、ファクトチェックの必要もあって沿線の村史など初めて紐解けば、そうだったのかと写真がまた...
日高本線 厚賀 2013年これより北はオホーツクとも呼ばれるから、太平洋の北の果てだろうか。荒れ狂った低気圧が去って、穏やかな夜明けの海が帰ってきた。沖のエメラルドグリーンはやはり太平洋のそれである。もう二度と帰っては来ない、線路を見下ろす朝。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
津軽鉄道 金木 1982年「おいわきやま」の麓はぴんと空気も済んだ秋晴れ。キハ20と22をハイブリッドしたような老兵が単行でやって来た。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
飯山線 蓮 2020年彩満ちた駅に、いつもの通学列車。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
蒲原鉄道 高松 1982年つるべ落としの秋の夕暮れ。最後の光を拾う。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
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肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
肥薩線 嘉例川 2025年5月木造駅舎西の横綱と讃えられる「嘉例川駅」、実は「竹林の湯」から至近にある。湯上りに拝みに行く。堂々たる大ぶりの駅舎は見事なものだと思う。 いい駅には違いない。 しかし。何処か「愛され過ぎて」いるんだな。待合室の中は駅の由縁やら応援イベントやら、鉦太鼓の張り紙だらけである。その点、東の横綱の「上神梅駅」が掲示物等を最低限に抑え、あくまでさりげない佇まいを残しているのと...
竹林の湯 2025年5月これは野趣! 人知れず山中にこんこんと湧いている「野良湯」である。霧島温泉郷は塩浸温泉から至近の山中。「竹林の湯」は周囲を鬱蒼とした竹林に囲まれているから。河原に源泉があり、こんこんと湧きだすそれが流れ下り、多分誰かが穿った穴二つに溜まっている。源泉の温度は高く、50℃近くはあるのではと思うが、まず上段の湯舟に行きつくところで40℃台前半、下段に至って40℃を切るか。これが本当の...
肥薩線 坂本 2025年5月 「人吉? 川線アレでしょ、山線もアレでしょ、今更行って何撮るのよ。」と言われたものだが。そこは人差し指を振って、ちっ、ちっ、ちっな訳で。 「壊れた線路」を撮りに来たのです。カメラをデジタルに替えてからかれこれ10年以上鉄道を撮ってきたし、相応のストックも出来たなかで、そろそろひとつ「纏め」をしたいと思っている。「旅のたまゆら NOW!」の構想はいくつかあって迷いもあ...
内牧温泉 2025年5月行ってみれば、こいつぁ昭和の社員旅行御用達温泉場だぜと気付くも、今や温泉コンパニオンの代わりに「温泉むすめ」がお出迎え。まあこれも何か勘違いしてるような。さすがに火の国です。 温泉は何処でも湧いています。 人知れず山中でスッポンポンになる「野良湯」含め毎日入ってます。島原温泉、雲仙温泉、火の鳥温泉、垂玉温泉、地獄温泉、通潤橋脇に湧いてる温泉、人吉温泉、薬師温泉、霧島温泉...
緒方家は平家の末裔。 壇ノ浦の合戦で平家が滅びたのち、四国の祖谷を経て九州へ。追手を逃れ大分から阿蘇を経由してこの幽境に流れ着いた。 せんだん轟(とどろ)旅の進行に更新が全く追いつきません。既に鹿児島を回って折り返しております。 残りは帰宅後かしら。見たものは山ほどあれば、たまーに鉄道も撮って、九州をくまなく一周するにはひと月掛けても全く足りませんね。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights ...
五家荘 2025年5月引き続き九州を流れ流れております。日本三大秘境のひとつ椎葉村、そして五木村といった辺りを通過すると、何故ここに住むと曰く由縁を一軒一軒聞いてみたいほどの秘境っぷりですな。なかでも五家荘。幽境を巡る密やかな流れは何処までも清冽。隠れ里とはその奥にある。平家落人の里と宣伝されているが、五つの集落があるうち、平家筋は三つで残り二つは菅原道真の末裔なのだそうだ。道真系のひとつが左...
通潤橋 2025年5月通潤橋にやって来ました。171年前に肥後の石工が架けた、農業用水用の水道橋。 長らく文化財として大切にされていたが、このほど土木構造物としては初めての「国宝」になったそう。本来水路清掃のための放水口が設備されていて、観光用に両サイドから放水されている写真は巷に溢れる。いつもやってるのかと誤解したのが運の尽き、農業用水の需要が高まる5~6月は例年放水を中止しているという。当たり前...
「星くんっ! 打ちますたい!」。 (左門豊作 大洋ホエールズ 熊本農林高校出身)「巨人の星」は階級闘争の漫画だったと言われるが、財閥のボンボンを体現した花形満に対して、左門豊作はプロレタリアート以前の、極貧階級出身の設定だった。小技よりも鍛え上げた肉体にモノを言わせ、フルスイングで豪快な打球を飛ばすが、直情一本鎗の性格が災いし、星飛雄馬が繰り出す「魔球」の最初の餌食になることが多かった。熊本を運転...
阿蘇 草千里 2025年5月全くのおのぼり観光ですね。日本中訪ねているようで、こういう「おのぼり」が穴だらけなんですわ。おのぼりはおのぼりとして改めてちゃんと見ようというのが今回の趣旨。天気悪し。 草千里は雲の間から時折チラリがいいのかもしれないが。 こういう茫洋とした風景が好きです。 中岳火口翌日行った中岳火口はしっかり見えた。活火山の火口をこの距離で覗き込めるのは他にないとのこと。長野重一さ...
南阿蘇鉄道 立野 2025年5月阿蘇にやって来ました。夕刻着いたら定番のところにギリギリ間に合った。定番? 現役C12の時代の方はもちろん、38年前に来た風太郎が同じ場所で撮ったそれとも別物。長年の名物だった白川鉄橋は2016年の熊本震災で大破損し、架け替えとなった。先代の大正時代ならともかく、現代の土木技術なら簡単? いや安からぬ費用は復興予算という打ち出の小づちがあってのこと。新しい白川鉄橋の風景は...
雲仙地獄 2025年5月雲仙温泉にやって来ました。ナントカ地獄は温泉場によくあるが、高熱と火山性ガスが噴き出す雲仙地獄を巡回中のネコとは驚いた。ネコを撮る趣味はないけど他に撮るものも無いしね。アイドルネコです。観光客が喜んでスマホを向ける。しかし温泉玉子を食べ始めたら、どっかりと前に座られてしまった。「おい、まさか撮るだけじゃねえよな」。 地獄に生きているだけに遠慮を知らない。あげるのは構わない...
長良川鉄道 深戸 2025年4月意外に粘り腰な春の陽もようやく山の端に没すれば、蒼い夜に向けての助走が始まる。今日一日を終えて。 乗る人、降りる人、駅にささやかな往来が戻る時間。夜の帳が降りると、駅も桜も明かりを灯して。駅を使う人は10人程か。道路を流れるヘッドライトの数には到底及ばないけれど、駅此処に在り。花の宴がいつまでも続かんことを。( 長良川鉄道春暦 おわり )Copyright © 2011 風太...
島原鉄道 大三東 2025年5月先日、今をときめく鉄道写真家の個展を見に行った際、マイナーな風太郎の顔など分かるはずもないから、名刺代わりに「天狗」ハガキを出したら、「ああっ」と。噂を小耳に挟んで拙写真集を買っていたらしく。 「あなたでしたか」。 「これが昔の、普段通りの、大三東なんですね。」と、職業が職業なだけに「大三東駅の現状」はよくご存じで、何に泣くかはお察しの通りだ。かつて地元の人しか知...
今回の旅の目的のひとつは、「手紙の返事を手渡す」ことだ。拙写真集「旅のたまゆら 1981-1988」の巻末に「海からの手紙」という一文をしたためているが、これは毎日大三東駅を掃除しているおばあさんとの出会いと、その後受け取った手紙という内容。昇る朝日に手を合わせ、波間に輝く満月の光を愛でる。 そして自分を取り巻く人々への感謝。手紙の主が住むよろず屋さんは、すぐ駅前だったに違いないと記憶しているのだが、何しろ...
長良川鉄道 深戸 2025年4月春の陽は東へ西へ。朝とは逆方向から待合室を照らし、大樹は今日二度目の透過光を浴びる。光は饒舌な演出者だ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
島原 原城跡 2025年5月島原にやって来ました。島原の乱の古戦場、原城跡には思い出がある。43年前、まだハタチの風太郎は、周遊券で乗れない島原鉄道の先端部まで来てしまった以上、現地に宿をとるしかあるまいと、原城跡の近くにある「原城荘」という国民宿舎を予約していた。もう日も暮れた頃、原城駅で下車したところ、徒歩10分の「原城荘」の案内看板は認めたものの、その道筋は真っ暗な山の中に消えているのだ。...
長良川鉄道 深戸 2025年4月里に浮かんだ桃源郷に列車が着く。家路はその傍らにある。傾いた春の陽が柔らかに包んでいる。予期せぬ通行人は咄嗟に150-600mmズーム付ボディ、重さ約3kgの大砲を手持ちで振り回すしかなく。数ヶ月前まで無茶はやめろと医者に止められていた奴を、右腕一本でエイヤと持ち上げて。シャープネスには信頼を置いているそれが、何となく甘い感じがするのはブレでもボケでもなく、 陽炎。春のうらら...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...
著名鉄道写真作家様も次々ご来展は嬉しいやら怖いやら。風太郎と同世代のお一人の評によれば、「この壁にやられた」とのこと。展示に際していくつか設けた「章」のうち、「旅の途上に列車は走る」の章。A0~A2の縦横の組み合わせとスクエアの2枚、同じくスクエアのキャプションの配列が美しいそうだ。もともとこの壁は四つあるうち一番小さく、ここにひとつの「章」を押し込むにあたり、スペースの捻出に一番苦労したところ。ある...
津軽鉄道 金木 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)スカーフは当時の津軽女性の伝統的正装だった。高い秋晴れも、風が冷たさを増してきた晩秋の日。4日間で500人位のご来展者をお迎え出来ているのは嬉しい限り。広島、大阪、GWの新幹線で次々ご来京は、JRから感謝状を貰いたい位だ。 いや有難いことです。前半戦のヤマ場と思われた「作品解説トーク」も無事終了。放言に引...
無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...