無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
茨城県 大洗海岸 神磯 2023年2月明けましておめでとうございます。 本年もよろし・・・ 違うって。ここ大洗海岸の「神磯の鳥居」は関東の風景撮影地・年賀状の絵柄としては定番中の定番、写真は飽きる程出回っているが、一度も行ったことが無かったので、この機会に「参拝」しておこうと思い立ったのだ。特に夜明け時の神々しさは屈指のパワースポットと言われているが、ナンボのものか。この冬、もう一発長旅いっ...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 作業再開
天北線 恵北 1988年 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 「最北紀行」より原野に伸びる線路の脇は、歩きやすい雪原のように見えるのはとんだ落とし穴で、そこは背の高いクマ笹の群生地に雪が乗っただけだから、不用意に踏み込めば胸まで雪に埋まる。表面の硬く凍った雪の層を踏み抜かないよう、そろりと慎重に歩みを進める必要があった。 画面中央左に一本の踏み跡がうっすら見えるのは、大沈没の痕跡も含...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その15 39年目の坪川駅
南部縦貫鉄道 坪川駅跡 2023年1月最後の訪問地は「廃線跡」である。僅かな痕跡さえ覆い隠してしまう雪の季節は、廃線跡巡りのオフシーズンは分かっちゃいるが。野辺地と来たら此処へ来ない訳にも。 1984年以来、39年目の訪問である。事前情報では全線に渡りほぼ痕跡は残っておらず、場所の特定すら難しいかと思われたが、ここ坪川駅は間違えようがない。坪川を渡る鉄橋のたもと、高さを作るための築堤にへばりつくよ...
大湊線 有戸 2023年1月日が昇るにつれ、下北半島側がクリアになって来た。 水平線に霞むのは恐山だ。 有戸朝の列車を撮り終えたら切り上げ、下北半島先端部を一周する。最果ての寂寥が続く道。 仏ヶ浦 大間崎本州最北端、大間に着く。 津軽海峡の向こう、北海道にも手が届くようだ。 大間と言えば今や代名詞が「マグロ」。 一尾に億の値が付く豪勢な話が跋扈すれば、漁師の御殿でも並んでいるかと想像してい...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その13 陸奥湾の風
大湊線 有戸 2023年1月テールランプはまだ明けやらぬ海へ。大湊線有戸~吹越間13.4nm、陸奥湾沿いの茫漠とした風景は一度訪ねたい場所だったが、これが初めて。いや40年前、野辺地の駅で撮った雪まみれのキハは大湊線に違いないのだが、それはキハ22だった。本州最北端の寒風は、二重窓の北海道仕様車を必要としたのだろう。 有戸 ひねくれたような松が並ぶ防風林を抜けると、遮るものの無い海原と線路の風景が...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その12 放課後津軽平野 ③
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月雲の切れ目を染めて陽は没する。5分刻みに変わってゆく空の表情にあって、いつまでいても飽きない。夜がやって来た。 津軽平野の明日は、 岩木山のご機嫌はいかばかりか。北東北大周遊、風太郎の明日はいよいよ最後の目的地に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村世界遺産を撮り続け、最近ではミャンマー支援に奔走されている写真家・三田崇博さんの個展に...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その11 放課後津軽平野 ②
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月次第に暮色に染まる津軽平野。学校から500m弱、駅までの道のりは時に地吹雪の只中を歩くのだろうが、今日は穏やかな冬の夕べだ。旧国鉄や旧西武など全国から寄せ集められ、吊り掛けモーターを響かせた古豪は過去のものとなった。此処まで来て「東急ステンレス」かい、とは複雑だけれど。降車する高校生がいるのは「夜の部」の登校だろうか。 彼らの放課後は夜更けなのだ。落陽が天地を...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その10 放課後津軽平野 ①
弘南鉄道 尾上高校前 2023年1月以前中井精也さんの撮り鉄番組でこの付近から撮った夜明けの岩木山と弘南鉄道の写真を見て、よしゃオレもと思っていたのだが。アレは奇跡のような真冬の快晴、朝焼けと共に岩木山の山頂付近に沈みつつある月まで写っているという、ぐの音も出ない写真だったし、今更二番煎じでもないしと、夕方のグラデーションを狙うことにした。 首尾よく15時半頃到着。岩木山の山頂は隠れてしまっ...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その9 岩手山 -11℃
花輪線 北森 2023年1月八幡平市の「道の駅 にしね」に着いたのは夜12時近く。風太郎のロケ車は-12℃までの車中泊を経験したことがある。 それ以下になったら知らぬ。寒い。 天気予報では明朝の最低気温は-11℃に達するという。 快晴ならではのキンと来る冷え込み。でも限りなく大気に透明感がある、それを狙って此処に来たのだから仕方ない。二枚重ねシュラフで結構熟睡した翌朝、眼前には紅富士ならぬ紅岩手山が聳える...
秋田内陸縦貫鉄道 前田南 2023年1月ゆっくり宿を出て再び秋田内陸縦貫沿線に。 事前のロケハンでこれはトワイライトタイムこそ本命と、フラグを立てていた駅へ満を持して。映画「君の名は。」に登場するという。 改めて映画を確かめてみたら、これはもう間違いないわ。オフィシャルな種明かしは無かったらしいから、熱心なファンが探し当てたのだろう。 そもそも「聖地」は飛騨高山地方のはず、遠く離れた秋田まで捜...
乳頭温泉郷 鶴の湯 2023年1月ここまで1000km以上の強行軍にして寒中車中泊3連泊という厳しさだったから、ここで休息を取る。秋田内陸縦貫鉄道沿線から田沢湖の北岸を回り、前から行ってみたかった乳頭温泉郷へ。 田沢湖7か所の湯があり、それぞれ一軒宿があるのだが、代名詞とも言える「鶴の湯」はさすがの佇まいだ。つげ義春の漫画に出て来そうな往時の湯治場の面影を残すが、雪深い山中にあって古い木造建築を維...
秋田内陸縦貫鉄道 上桧木内 2023年1月全長94.2km、長大な路線である。 鷹巣や角館周辺のゴチャついた市街地を除外しても細かくは撮り切れない。初見で土地勘は全く無いし、誰でも撮るお立ち台チックなところで何とか形にする他ないが、よく撮られる「鉄橋」は敢えて撮らなかった。雪が少ないのだ。 鉄橋だって背後の雪化粧があってこそだからね。 豪雪の奥地をイマジネーションしていただけに拍子抜け。それでも特に...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その5 秋田内陸縦貫鉄道
秋田内陸縦貫鉄道 萱草 2023年1月夕刻、秋田内陸縦貫鉄道沿線に到達する。 国鉄時代を通じて未見。国鉄時代は阿仁合線と角館線に分断されたまま、間を結び、鉄建公団線としてほぼ完成していた鷹角線(松葉~比立内間)は放置されるという、ローカル線政策の混迷を体現したような路線だったのだが、国鉄分割民営化前に第三セクターとして開業、松葉~比立内間の完成を得て1989年全線開通、鷹巣~角館を結ぶという本来の...
ぐるっと2800km ニッポン雪里巡り その4 「秋田港のそば自販機」 食ってみた。
秋田港 2023年1月羽越本線は朝方だけでやっつけて、ひたすら北上。結構順調に秋田まで着いたので、今回の目的のひとつ、「自販機そば」を食うために秋田港へ。NHKで金曜夜にやっている「ドキュメント72時間」は、何の変哲もない街の一角に丸3日カメラとインタビュアーを据え、そこに関わる人々の人間模様を描くもの。 風太郎も好きで結構見ている。足掛け10年、300回以上放送されたようだが、視聴者からBEST10を募った...
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無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
山陰本線 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録) 「こったら何もねえとこ。」に、何もなくはない今日があるのだろう。4年前の「ミャンマー」の時はスポットライトに加えて蛍光灯の主照明も点灯、全体に明るく見せたけれど、今回、主照明を全て消してスポットライトだけで浮かび上がらせるよう試した。光と翳は、ともすればシャドゥ部分が見づらいかもしれないけれど、その場でよしと...
前の展示の終了・撤去が済む15時半過ぎをもって設営開始。設営のフレームマンさん、事前情報を受けてか、これは異例の3人体制になりましたね。しかし一旦ペースを掴めばそのスピードには舌を巻く。正味2時間半で仕上げた。 毎度風太郎の写真展ではお手間をお掛けしますね。写真はプリントからパネル制作まで全て自前だからこそ、気前のいいスポンサーがおらずともこの規模の展示ができるのだが、自前ではどうにもならんという1枚...
山陰本線 温泉津 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)例によって撮影・乗車記録なし。 細かいシチュエーションは忘れた。 多分夜明け前から乗っていた旧客各駅停車。 窓ガラスに雨粒が写っているから、それは物憂げな山陰の雨雲の下を走ってきたのだろう。いつの間にか顔を出した朝日の眩しさに、ボックスシートのうたた寝から目覚めたのかもしれない。温泉津だから撮ったのではな...
五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
設営作業まで残り6日。 展示写真は全て完成。 あとは細かなキャプション類の制作を残すのみで工程進捗率は98%というところ。出来上がったパネルを眺めていると、自画自賛ながらモノクロプリントってきれいだなと改めて思う。何故か今、撮り鉄の世界はカラーにあらずは・・・というよりカラー以外ってあるの?という状況だ。巷に溢れる撮り鉄写真展だが、オンリーモノクロームのアンチテーゼをしっかり見せられれば。ともすれば気...
蒲原鉄道 七谷 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定)信越本線加茂から続く平野部が尽きて、山間のサミットにかかる直前に交換駅・七谷はあった。ここで24時間一人きりで、閉塞作業をはじめ駅を守る駅長さんは二交代制だから二人いた。一人はちょっと取っつきづらく、怖い感じがして敬遠していた。当時挨拶もお愛想もおぼつかない子供だったから、それは優しく𠮟ってくれていたのかと今は思...
小湊鉄道 上総大久保 2019年春を愛でる1日が、終わろうとしている。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催しま...
先日、広田泉さんの追悼展を見がてらOMギャラリーの下見で細部確認。スタッフには4年前の「ミャンマー」から旧知のメンバーもいて、これが結構な「鉄」なのでご期待も併せ話も弾む。本題は新OM-1による「8000万画素ハイレゾデジタイズ」の技術的検証だったのだけれど、それは開発技術者にしか分かりません、という未知の領域もあるようだ。ただフルサイズとの比較においてこれだけは言えると、やおら展示品のレンズを外すのは、「...
深名線 1981年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)初めての北海道。 風景のスケールに、写真などどう撮っていいかも分からなかった。車窓を流れる景色に、ただ脈絡もなくシャッターを切るばかりだったあの頃。撮れない焦りと同時に、自由な旅をこじ開ける高揚もまた、コマの間に写っているような気がする。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(...
只見線 会津柳津 2018年思わぬ遅れ方の花の便り。ただでさえ遅めの、奥会津の桜はしっかり力を蓄えて来るべき日を待っているのだろうか。花の雲の中を。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都...
津軽鉄道 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定・写真集未収録)この冬から客車は35系に変わった。しかし機関車にスチーム供給機能が無いのは変わらないから、ダルマストーブは移設され紅い炎を揺らすのだった。長靴と地方紙「東奥日報」はその土地の日常の証し。今観光客しか乗らないストーブ列車は、そんな日々を運んでいた。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5...
因美線 美作滝尾 2022年春の黄昏は、ゆらりゆらりと幕を下ろしてゆく。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催...
「自家製」A2プリント続々出力中。「たまゆら」の写真展は8年前に新宿ニコンサロンで一度やっている。結果的に2000人からの来展者はお迎えできたわけだし、 「伝説の写真展」とかいまだに讃えてくれる人もいるのだから結果として失敗ではなかったとは思う。 しかし今更こんなことを言うのはご来展者に申し訳ない限りだが。あれは、「プリントが悪かった」 。最大の原因はレタッチの腕の未熟さで、デジタルプリントのごく...
いすみ鉄道 西畑 2019年桜はまだかいな。気まぐれ過ぎる春に世間は半ばパニックですな。今頃はこれで当たり前だったのですが。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ76点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27...
プリントはほぼ8割方完成した。 しかし大仕事、スチレンボード貼り作業が残っている。専門業者の加工が素晴らしい事は分かっているが、途方もない金額になることは必至、ここはコストと仕上がりをバランスさせるべく、汗を絞るしかないのだが・・・。パネル貼りはもうミャンマー写真展で慣れているとはいえ全く気の抜けない作業で、それをなんとか突破したとしても「切り出し加工」がまた難関。切り口のケバを最小限に抑えるには...
わたらせ渓谷鐡道 上神梅 2017年農の季節が動き出す。 傍らの桜が合図であったかのように。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催します。(予約...
高千穂線 1988年 写真展「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定梅雨明け十日。 南九州の強烈な夏の日射しが窓辺に降り注ぐ。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 作品解...
ミャンマー マダヤ線 2019年これぞ大量輸送機関。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
いすみ鉄道 西畑 2015年小糠雨が音もなく降り続く様な日はなにかと億劫なものだが(特にこの辺りはヤマビルの超危険地帯)、しっとりと濡れた花模様もいいものだ。キハ52は定期運行を終了するとのこと。 刹那であってもその時代の息遣いを感じさせてくれる一両だった。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
山手線 高輪ゲートウェイ 2022年最近何かと話題の「Chat GPT」。 あらゆる質問にAIが瞬時に答える他、論文まで書いてくれるとか。どれ程のものかとやってみた。 特定のアプリとかは必要なく、アメリカの開発企業サイトに登録するとフリーで使える。質問したのは、「中日ドラゴンズはどうしたら強くなれますか?」。 AIが間髪おかずに答えるのは「有能な選手を集めることです」。それじゃあ実も蓋もないと改めて質...
「組版」とは伝統的な書籍の制作過程を示すもので、大昔の活版印刷の時代は職人が活字の一つ一つを拾い上げ、文章になるように整列させて、文字通り印刷用の原版を「組む」という、気の遠くなるような作業を指したらしい。「男はつらいよ」に出て来るタコ社長が経営するのはまさに活版印刷の工場であり、「博」は組版職人なのだろう。やがてオフセット印刷時代の到来により、その作業は一気に近代化したわけだが、風太郎の若かりし...
小湊鉄道 里見 2023年3月キャリアに納められた通券の列車番号の確認が終わると、発車時間が迫る。間際に再び点灯されたライトが、満開の花を赤く染めて浮かび上がらせた。( うららの春のプチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵...
小湊鉄道 里見 2023年3月ロングショットはハナから諦める曇天の一日だったが、夕刻になって申し訳のように西の空の雲が切れ、空が紅く染まり始めた。さしもの花見客も大分引いたのだろうか、人影もまばらになった窓も、夕陽色。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死...
小湊鉄道 里見 2023年3月里見駅構内に珍客というか、何が目的か分からないワフが鎮座していた。 多分何かの倉庫代わりなのだろうが、無神経なプレハブ小屋など建てなかったのは、最近の小湊鉄道、粋が分かってるねえと勝手に解釈している。もう倒壊しかけたようなオンボロだけれど、この一両だけで鉄道が重ねた歳月の重みが出るというものだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍...
小湊鉄道 里見 2023年3月小湊にJRから大挙してヨンマル軍団がやってきたのはしばらく前になったが、ようやくお目に掛ることになった。全くの新造車導入の選択肢もあったようだが、ハイブリッドやら蓄電池やら今後の技術革新の予測も難しい中、「長く使うこと」に最大の重きを置き、社内修車技術の蓄積まで考慮した結果、既存技術に軍配を上げたとは、鉄道の世界から「無限に長い償却期間」の経営戦略が急速に失われ...
小湊鉄道 上総大久保 2023年3月上総大久保駅上り方に一本の桜がある。竹林を背景にした佇まいが一枚の襖絵のようで、あまり撮る人は見かけないが小湊鉄道の名景のひとつと思っている。何度も試している構図だが、大分以前に主要な枝が折れ、どうも枝振りが悪いと残念だった。久々に見る姿は自然修復が進んだのか、美しい。 そろそろ本命を撮れよと誘われているようで。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved...
小湊鉄道 里見 2023年3月まだ帰らない。春の野を気ままに流れ流れて、結局鉄道の写真をロクに撮ってないとなるとブログのネタにも困るから、花の宴もたけなわの小湊を最終日に当てて、帳尻を合わせることにする。平日なのに立ち客まで出る混雑ぶりは、小湊も稼ぎ時だ。思えば小湊に来るのは2019年の春以来、実に4年振りとはびっくり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がそ...
鹿島線 延方 2023年3月帰りの駄賃というか、二か月前のおさらい。前回この列車は、闇に沈もうとする霞ケ浦にテールランプの紅を引くばかりだった。まん丸の夕陽は通過時刻とピタリのタイミングは、貰ったと思いきや。地平線を覆う雲に隠れて「半月」に。 おのれ、あと一分早ければ。 まあこのサイズの夕陽だからどっちでも大して変わらないか。動かぬ大鉄橋と、一日ごとに巡る、天地の営み。© 2011 風太郎のPな日々...
浪江町立請戸小学校跡 2023年3月停まった時計が示すのは、津波襲来時刻。しばし線路から離れる。 いや離れてはいない。 近くを走る常磐線が2011年3月11日以降廃墟に変わったまま、10年近く放置された末に運転再開されたのも記憶にまだ新しい。東日本大震災の遺構については数年前に三陸で見たことがある。 しかしいかんせん、おのぼり的な団体見学ツアーの一員だったから時間にも追われ、ほとんど印象に残っていない。...
磐越東線 小川郷 2023年3月西の空が紅い。まばらではあっても2両編成にまだ人影があるのは救われる想い。結局磐越東線は、予定通りではあるが一夜を挟み朝夕だけ撮って撤収。 夏井まで足を延ばして沿線の偵察はしたが、標高が高くなるほど桜も減り、色に乏しい季節とあって写材に乏しかった。それより驚いたのは沿線中央部を並行する県道41号線だ。大型車のすれ違いなど絶対不可能、乗用車だって難儀する道幅が連...
磐越東線 赤井 2023年3月異常な足の速さでやって来た今年の春。線路際の桜模様の撮影はもちろん目論んでいたけれど、大幅な軌道修正が必要になってパニックだ。と言うより本当にターゲットにしていたところはもう、間に合わないかもしれない。ならば今こそ旬の場所へ、暇人の特権で急遽間に合わせようかと。まだ3月というのに、東北の入り口まで満開らしい。バンサイは散々行ったけれど、バントーは初見参。 赤...
大井川鐡道 家山 2018年華の宵に、スチームの吐息。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬまま線路伝いに足跡を付けた土...
留萌本線 真布 2017年5時49分。 始発列車にもまだ早い。1956年、仮乗降場として開設される。 戦後10年、急増する人口が国鉄を動かしたのだろう。地吹雪が荒れるホームに、立派な待合小屋を建てたのは地元有志だったろうか。うたかたの夢のように通り過ぎた時代の証人は、明日最後の日を迎える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から...
小湊鉄道 養老渓谷 2011年これもまた随分昔の再発掘写真だけど、この時の菜の花は目を見張ったな。地元有志による休耕田を利用した菜の花ワールドで、瞬く間に小湊の春の風物詩になった。毎年種蒔きから始めてここまで開花させる地道な活動には頭が下がるが、この春は壊滅状態という。 写真を見たら菜の花はほぼ存在しない惨状で、 このところ数年おきに発生している現象だ。食害、土壌、低気温など様々な要因が重なっ...
東海道新幹線 新横浜 2022年以前からチョボチョボ撮っている、「RAILSIDE IMAGINATION URBAN VS RURAL 」コンセプトの一枚。東海道新幹線下りが新横浜を出ると、窓際を一瞬で通り過ぎても目を奪われる街。これは神奈川県平塚市にある「日向岡住宅」という。 東急電鉄が開発主体となり、1987年に分譲が始まったらしい。広々とした田園地帯に忽然と現れる、「三角形エントランス」「カラフル外壁」の連なりが、新幹線に...
いすみ鉄道 上総中川 2012年佳き一日の終わり。 燃え残る野焼きの匂いに誘われて。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ビルマ従軍記者がその豊富な人脈を使い、奇跡的な生還者から執念の取材を重ねた名著。ビルマ中央部の激戦地マンダレー、餓死してゆく兵を尻目に牟田口軍司令官が芸者遊びに呆けたという、高原の避暑地メイミョウ、幽霊の如く敗走する兵が彷徨ったパコック。それとも知らぬ...
磐越西線 山都 1983年山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。 時の流れも緩やかな各駅停車である。 磐越西線 1982年NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろい...
小湊鉄道 上総大久保 2011年まだ駅前の白鳥小学校が健在だった。 始まった新学期と列車通学の子供たち。 彼らも既に大人になったことだろう。カメラはD700。 背景がアウトフォーカスでもちゃんと空気感を醸す、フルサイズデジタルの描写力に驚愕しっ放しの頃だ。毎年着々と増えていく写真データの保管にあたり、ラーメン屋のスープの如く、外付けハードディスクを継ぎ足し継ぎ足しで対処して来たが、いよいよ複雑化し...
わたらせ渓谷鐡道 水沢 2023年2月山上に雪をもたらした雨雲は、次第に退きつつ、それでも夕霧となって山あいに漂う。ラストショットは、Sカーブの小径が闇に飲み込まれないことを祈りつつ。( 冬の関東 プチトリップ おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、全てが行き届...