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  • [ 婦系図 』 於・歌舞伎座

    錦秋十月大歌舞伎、夜の公演が余りに素晴らしかったので再び観に行きました。前回は幕が開いて四日目だったのでどう進化しているのか大変気になったのです。仁左衛門さんは新派では五度主税を演じられたそうですが以外にも玉三郎さんとは初めてだそうです。湯島境内での二人の演技は5日は玉三郎さんのお嬌んな可愛らしさばかり目立っていましたが22日は仁左衛門さんの主税像がはっきりと出ていて物語に吞み込まれていきました。花道側の料理屋の二階から聞こえてくる浄瑠璃の何と切なく心に沁みる事!清元清美太夫という方だそうです。筋書きにこうありました。とりわけ、歌舞伎の『雪暮夜入谷畦道(雪の夕べ入谷のあぜ道)』で、三千歳(みちとせ))と直侍(なおざむらい)の束の間の逢瀬と別れを描く清元の「三千歳」を、他所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)とし...[婦系図』於・歌舞伎座

  • 『 権三と助十 』 於・歌舞伎座

    神田橋本町の裏長屋に隣り合って住む駕籠舁きの権三と助十は喧嘩ばかりしている。二人だけではなく権三は恋女房(時蔵好演!)と助十は弟の助六(坂東亀蔵)とも。7月7日の長屋じゅう出揃っての井戸替えの日も怠けてばかりいる権三に井戸替えを手伝うように言いに来た助十と大立ち回りのありさま。井戸替えとは井戸の水を攫って伝染病などの予防の為に清掃すること。お江戸は1660年頃から井戸は上水(水道)だったのです。こうやって子供も老人も長屋中の人が綱を引いて水を掻き上げて人が入って綺麗にする。そんな二人が大家さん(歌六)と濡れ衣でしょっ引かれ獄死した元店子の名誉回復に奔走するという人情話です。越前守の登場しない大岡裁きものです。助十(松緑)権三(獅童)昔、テレビが白黒だったころ高田浩吉という時代劇スターが♪権三と助十~名コン...『権三と助十』於・歌舞伎座

  • 坂東玉三郎ワールド 10月歌舞伎座夜の部

    今月の幕が開いて四日目だというのに玉三郎さんのお蔦、六条御息所の完成度の高さ。夜の演目二幕とも主人公なのにですよ。まずは『婦系図』「月は晴れても心は闇だ~」「切れるの別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には死ねといって下さい。」の有名な科白だけは知っていましたが、あらすじは良く知りませんでした。面白かったです。玉三郎さんのお蔦さんは何とか堅気の妻になろうとする健気な可愛らしさが溢れていて退くな退くなと心の中で応援していました。続いて『源氏物語』玉三郎さんの六条御息所です。源氏の子を身籠っている葵上に生霊となって現れ僧侶が祈祷している場面から始まる。身重の葵上の牛車と鉢合わせし、辱められたこともあり御息所は恨んでいたのだ。久し振りに訪ねてきた源氏に御息所は恨みをぶちまける。ひれ伏して訴え...坂東玉三郎ワールド10月歌舞伎座夜の部

  • 追悼 新川和江先生 (思い出かき混ぜて)

    8月10日、詩人の新川和江(先生)が亡くなった。享年95。昭和最後の正統派詩人と云えるのではないでしょうか。幸運にも私は1995年からほぼ20年間カルチャーの詩作教室で教えを受けることが出来た。先生に出会ったのは1966年に発刊されたこの『若き日の詩集』古今東西の名詩が100以上編まれており、その一作一作のそれぞれが青春の満たされない心に沁みた。師事するならこの人しかいないと思った。一度もお会いしないのに、心が出会ったのだ。この本を編むに至って先生は二度も書き写されて目を悪くされたそうです。編集者に書き写さなくてもいい、選んでくれさすればと言われたそうですが。新川先生は隣町に疎開されてきた西條八十に15才から終戦の二年間師事されていました。その折西條八十の論文の清書を仰せつかった。その経験から作品をなぞる...追悼新川和江先生(思い出かき混ぜて)

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