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哲学日記 https://kokyuu.blog.jp/

仏陀、イエス、ショーペンハウアー。ロックンロール。一日はあっという間に過ぎ去る。

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、最近の関心はヴィパッサナー瞑想実践に集中してますし、途中から懐かしいロックなどもとりあげ、当初の趣意から若干逸脱ぎみです)

呼吸
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2007/11/09

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  • おい、主人公よ! 瑞巌師彦『無門関』第十二則

    瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く、惺惺著。諾。他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾、諾。 (『無門関』第十二則) 瑞巌師彦禅師の師匠は巌頭禅師、青原行思(六祖慧能の2大弟子の1人)の流れを汲む人となってます。 この瑞巌和尚は毎日

  • 臨済禄

    語録の王といわれる臨済録。 特に有名な部分をあえてとりあげます。 逢佛殺佛 逢祖殺祖逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母逢親眷殺親眷 始得解脱 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、 羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、 親眷に逢うては親眷を殺

  • 趙州従諗

    「平常心是道」は馬祖道一の名句ですが、公案になっています。 南泉と趙州の問答。 (試訳)趙州問う「どんなものが道ですか」 南泉云く「平常心が道だ」 州云く「平常心をめざすべきですか」 泉云く「めざすと、失敗する」 州云く「めざさなければ、どうして道だ

  • 至道無難 放下着

    次は五祖弘忍、その次は四祖道信ですが、ぜんぜん知りません。もっとも、たいして知る必要もないかもしれません。馬祖道一・石頭希遷以前はすべて嘘混じりの神話の類に過ぎないらしいからです。   下の動画は、花園大学名誉教授沖本克己先生による「禅宗史」講義ですが

  • 曹渓慧能

    懐讓禅師の師は六祖慧能禅師。 弟子の南嶽懐譲から臨済宗、青原行思から曹洞宗など、後の五家七宗全てが六祖の門から出る。 慧能禅師の説法集『六祖壇経』は、おれが見た禅書のなかでいちばんおもしろかった。 本来無一物(ほんらいむいちもつ) この言葉をきっちりと受

  • 南岳懐讓

    馬祖禅師の師は南岳懐讓禅師 説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)  悟りの世界を言語で言い当てることは原理的に不可能、という意味だと思います。  (過去記事ショーペンハウアー編修1より関係部分を引用します) 概念で表わせないことを、直に言語化する

  • 馬祖道一

    百丈禅師の師は馬祖道一禅師。 平常心是道(びょうじょうしんこれどう) で有名な人。   (フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』より引用)迷いに対して悟りを説くのに、本より迷いが存在しないのならば、悟りも立てようがないではないか。一切の生きと

  • 百丈懐海

    臨済禅師の師が黄檗禅師、黄檗禅師の師は百丈懐海禅師 (これからちょっと系統をさかのぼってみようかと思ってます) 禅院の生活規則 「百丈清規」 を作った人。 「一日作さざれば一日食らわず」 「働かざる者食うべからず」という意味ではありません。 しかし、釈尊は

  • 黄檗希運

    臨済禅師を出したので、師匠の黄檗希運禅師も  「念を息(そく)し慮(りょ)を忘ずれば佛自(おのづか)ら現前(げんぜん)す」 「我すらなお不可得(ふかとく)なり、我にあらざるもの何ぞ可得ならむ、佛と衆生と皆不可得なり」 「三乗十二分教(さんじょうじゅうにぶんきょう)を

  • 自信の塊 臨済宗

    たまたま信心おこせども、自心仏と知らざれば、ただ徒らに狂奔し、かくも尊き仏法を耳にしつつも、一向に信心帰依の心なく、生死の海に浮沈して、三毒五欲の妄念と憎愛取捨の迷執に、日夜造業造作して、永劫出離の際もなし。悲しいかな、われら一念に悟れば直にこれ仏とな

  • めざせ!在家の出家!

    (禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)より引用します。 常識、常識と言うが、何を言うのかと思えば、人並みの考えのことを言っている。 もっと言えばグループ呆(ぼ)けの考えのことを言っておるにすぎぬ。 今の坊さんのは出家ではない。ワラ小屋から瓦小屋に

  • 映画「アバウト・タイム」これはヴィパッサナー実践の勧め

    (Wikipedia)『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』[ストーリー]より抜粋引用ティム・レイクはイギリスのコーンウォールに住む若い青年である。21才になった時、父から一族の男にはタイムトラベルの能力があると告げられる。……父は毎日を二度過ごせと言う。最初

  • 歩け、走るな

    たいがい人間のやることは、べつにはっきりした人生観があってやっているのではない。ただ肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせの人生観でやっているのでしかない。 (澤木興道老師)      論議はこれ智者の有なり。 更に愚人の分にあらず。 ま

  • 聖書の言葉

    聖書の言葉を少しだけ 心を尽くして知恵に近づき、 力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。 足跡を追って、知恵を探せ。 そうすれば、知恵が見つかるだろう。 しっかりつかんだら、それを手放すな。 ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろ

  • まず有縁を

    親鸞は、父母への孝養のためと考えて、追善供養の念仏を称えたことは、まだ一度もない。……すみやかに浄土に生まれてさとりを開いたならば、…なにをおいてもまず自分と縁の深い人々を救うことができよう (歎異抄5石田瑞麿 現代語訳)  原文全 親鸞は父母の孝養のため

  • ブッダのことば

    今日は、釈尊のことばを、いくつか。 ひとは「われはこれこれのものである」と考えるそのとおりのものとなる。 それと異なったものになることは、あり得ない。 (感興のことば32章33中村 元訳) 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。

  • みんな共同錯覚世界の住人

    孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である (ショーペンハウアー『パレルカ-ウント-パラリポメナ』) いやあ、すぐれた精神の持ち主だけの運命じゃないだろう。 人間は誰もが孤独だ。例外はない。 孤独は、人間に生まれたものの運命だ。 ただ、すぐれた精神の持ち主は、

  • 出家と在家

    釈尊は、出家修行者用の教えと、在家信者用の教えを、区別して説いた。在家信者に、出家者の修行を薦めても、たいていは苦しみ混乱するだけで無益だと分かっていたからだ。出家者への教えと戒律は、「存在の意味」に最短距離で直結させるためのものだ。「存在の意味

  • 人間の孤独性

    若いころは、人生が、かほどまで孤独なものだと思わなかった。自分の周りを「そうじゃない」と錯覚させる装置が囲んでいたので。考えることが、この上なく煩わしいのはいうまでもないが、感じることだって、結局その場だけの刺激だと分かると、煩わしくなる。 むな

  • 魂は諸悪の根源 道徳は成立せず戦争もいじめもなくならない

    ブッダだけが事実を教えてくれる。無常と無我を教えてくれる。不死の魂(死んでも死なない自分)など無いと教えてくれる。他のあらゆる宗教はいつでも逆のことを教えている、事実に反する有害な幻想を。一方、大多数の人々は常に事実を忌嫌い、幻想を渇望し

  • 「他人のためになる」は結果。放っておけ

    「他人のためになる」ということを、みんな酷く取違えてる。自分は死んでも生きているというおもいを捨てることが最優先事項だ。死んでも生きているという妄執にとらわれている限り我があり、我がある限り自分のためにすることしかできない。我がなくなるという原因が

  • 確認

    今ここに生きている事実に感謝し喜べる者が、最も幸福な人間だ。だから、幸福になるのは、まったく自分しだいで、じつに簡単な事なのだ。あまり簡単すぎる事は、かえって多くの人間が気づかないものだ。ただし(これが、おれの本当に言いたいことなんだが)幸福か不幸かって

  • 鳥なき郷の蝙蝠

    ブッダが発見した 無我という真理 は、生物一般の宿命的盲点になっている。  賢愚を問わず誰もが「俺」ほど確実な実感は他にないと思いこんでるから、「俺、俺のもの」は錯覚だと言われたら「…あほか」と聞き流す。  I feel      じゃなくて  

  • 有終完美者

       すべての生きとし生ける者は、さあいよいよ死ぬというその時、例外なく極めて悲惨な有様になる。人間ならまた一層。だれ一人、有終完美者にはなれない。国王、大臣、権力者、億万長者、有名人、美人、スーパースター、学者、芸術家、武道家、苦行者、霊能者、

  • 楽しみを求めるだけの識別能力

    親鸞は教行信証で『大智度論』を引用して言っている。 「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、 識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心の正しい道にはいっていかない からである。 (石田瑞麿 現代語訳) [原文] 「依智」とは、智はよ

  • なぜ世界はいつまでたっても酷いままなのか

    仏教では、よくことばを月差す指にたとえる。もし人に、月がはじめから見えなかったら月ということばは生まれないだろう。では、一人だけに月が見えて、他の誰にも月が見えなかったらどうか。月ということばは、やはり生まれない。たとえ、そのたった一人月が見えてい

  • 阿含経典のおしえ

    阿含経典のおしえ。「比丘たちよ、色(肉体)があるにより、色を取するにより、また、色に執著するによって、<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>と、そのような見解を起こすのである。 また、受(感覚)

  • 悪魔の言葉とブッダの言葉……これは選択問題じゃない

    次の言葉を人に聞かせて、感想を訊いてみる。子女ある者は子女について喜び、牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執着するよりどころは喜びである。執着するよりどころのない人は実に喜ぶことがない。     すると、10人が10人とも、「そのとおりだと思う

  • ネガティブ自信

     仏教とは、ありのままの自分を深信することだ。この「自分を深信すること」が、親鸞のように、完全に、ほとんど自虐的なまでにネガティブに自覚、表明される場合がある。以下の言葉は、その徹底ぶりによって詩に昇華している。浄土真宗に帰すれども 真実の心は

  • 絶妙の仏教

    親鸞は「教行信証」で『観経義疏』を引用して、説いている。いま浄土の経典はいずれも一様に魔の障りを説かない。したがって、この教えには魔の障りがないことを、はっきり知ることができる。それに対して、禅等の自力修行は魔の因縁を持っている。 もし、聖者のさ

  • 若い時、重い悲劇と受けとっていたことが、じつは軽い喜劇だったとわかるようになる。

    就活は1年中だと言われながらも、この3月は今でも就活が活発になるから、いちおう「就活シーズン」と云っていいのかな。  ほのぼのヒューマン・コメディ3本「ぼくのおじさん」「オケ老人!」「何者」続けて観た。3作3様に楽しかった。このうち「何者」についての

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