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1件〜100件

  • 津軽鉄道

    6月の津軽鉄道津軽鉄道

  • 明知鉄道途中下車

    3回目の明知鉄道最初は輪行で明智から岩村までポタ2回目も輪行で妻籠から中津川経由で岩村まで今回は乗り鉄撮り鉄YouTube明知鉄道途中下車

  • 五能線

    とにかくダイヤが薄い五能線今日中に帰宅するには弘前始発の6時47分の東能代行快速かその2時間後の全席指定の観光列車「リゾートしらかみ」に乗るしかない快速の車両は前後がロングシートで中間部が二人掛けと四人掛けのボックスシート海側の席は弘前からだと進行方向左側になるので二人掛け用を確保難読駅名の「撫牛子駅」の次の川部駅が五能線終点駅だここでスイッチバックして進行方向は逆になる五能線に乗るなら海側でないと魅力半減だちなみに難読駅名は「ないじょうし」今日も岩木山は霞んでいるが車窓に広がるリンゴ畑とのコラボは津軽平野の定番風景だ鰺ヶ沢からは海沿いに南下し千畳敷あたりの荒々しい岩場の風景はこれぞ五能線ドローンで撮影してみたいものだ列車は怖いくらいに海岸線ギリギリに走るところもある深浦の手前で目に入ったのが大きな慰霊塔...五能線

  • 五能線前夜

    弘前は人口17万人くらいでこじんまりした街だ駅から延びる綺麗なプロムナードが街のイメージアップに貢献している街の写真を撮りながらブラブラ歩いて弘前城へ適当に道を拾って約30分くらいで追手門築城当時の形態が残されているという城跡の広さはそれまで抱いていたイメージをはるかに上回るものだったバスで駅前へ戻りビジネスホテルにチェックイン近くの居酒屋「松ノ木」で生ビール他カウンターの隣にいた80歳のお姉さんも五能線の一人旅だそうだ地元の方とも少し交流でき今回は当たりのお店だったホテルに戻り即寝落ち五能線前夜

  • 津軽鉄道:金木駅往復

    五所川原駅構内には使われなくなった古い車両や貨車が留置してあるが塗装の劣化が痛々しいひときわ目を引くのは年季の入った雄々しいラッセル車これは現役で冬季にはラッセル車撮影ツアーなんてのもあるそうだこの地で生まれ育った太宰治の「富士には月見草がよく似合う」は富岳百景の有名な一節だが「津軽鉄道には雪がよく似合う」その太宰の生誕地金木駅までは往復1120円ワタシと同じような一人旅のおっちゃんや中年夫婦、鉄ちゃんなどを乗せて14時48分発車沿線には現役の腕木式信号機が残っていたりポイントを雪から守るスノーシェルターが見られる嘉瀬駅には香取慎吾が20歳の頃テレビの企画で車体に描いたというキャンバス列車がある数年前に再度塗りなおしたということだがペンキの剥落劣化がかなり進んでいる短い区間ながら見どころは結構ある約25分...津軽鉄道:金木駅往復

  • 津軽鉄道:五所川原駅

    津軽鉄道と五能線に乗ろうという訳で松本を6時過ぎに発って約六時間後降り立ったのは新青森駅ここからさらに五所川原駅へ列車を乗り継いでいくにはダイヤが薄くて接続が悪い最速でも3時過ぎになってしまうで、調べておいたバス路線新幹線到着後10分くらいで弘南バス五所川原駅行があるのだその路線バスの乗客はワタシを含めて4人バイパスから旧道の集落停留所を経てまたバイパスに戻る乗る人もいなければ降りる人もいないので順調に走り続けるこうなると各停留所の時刻表はあってないようなものだろう時々現れる標識に弘前、五所川原、鰺ヶ沢といった文字がなければ日本のどこにいるかわからないような風景を眺めつつ約1時間で五所川原駅到着まだ2時前だ、これはありがたいとりあえず遅めのお昼ということで津軽鉄道社屋の食堂でカレー南蛮を注文まだ顎関節症が...津軽鉄道:五所川原駅

  • ヒメウラナミジャノメ

    畑をひらひら舞う蝶たちよく見られるのがこのジャノメチョウ他にヒョウモンチョウ、ルリシジミらしきものも舞っているが写真はなかなか撮れない身近なエリアの自然観察もなかなか面白い時々雉さんも畑に現れるヒメウラナミジャノメ

  • とうがらしの世界

    アルプス市場へ行ったら何種類ものとうがらしの苗ハバネロとかジョロキアとかはもちろん超激辛のスコーピオンだとか初めて知るものもいろいろ面白そうだと一通り買ってきてこれから定植さてどうなるか収穫が楽しみですハバネロとハラペーニョはピクルスかな?ついでに信大農学部の松島先生の本でお勉強もとうがらしの世界

  • 農作業本格始動

    連休はもっぱら畑仕事今年からちょっと真面目に取り組んでみようかと気合十分ジャガイモ、ネギ、ニンジン、絹さや、春菊、ホウレンソウ、辛味大根、枝豆、落花生、生姜・・・・トマトは水分調整のため温室のプランター夏野菜の定植は来週あたりかな息子がやってる自然農法は草と共存しているがワタシのエリアはこれから雑草との戦いが始まる除草剤はテデトール(^^畑の一角には芝を張ってみたがすでに雑草がはびこってきた農作業本格始動

  • 苔テラリウム

    裏庭に増殖しつつある苔よく見るといろんな種類がありなかなか魅力的だ日本には約1800種類以上はあるそうだとりあえず2種類の苔を採取してテラリウムを作ってみた苔図鑑で名前を調べてみるが同定するのはなかなか難しい多分ホソウリゴケとチュウゴクネジクチゴケと思われる未知の世界に足を踏み入れるのはなかなか面白い苔テラリウム

  • 筒石駅探訪

    久比岐サイクリングロードから筒石駅へ。実際に見てみるとなかなかすごい駅だ。筒石駅探訪

  • 二本木駅のスイッチバック

    二本木駅のスイッチバック

  • 二本木駅

    昔、仕事の関係で何度か日本曹達の工場に来たことがあるし急行赤倉に何度も乗ってこの駅を通過したことがあるがその頃は特に気にもしていなかった二本木駅スイッチバックの駅として鉄ちゃんの間では結構有名ということで訪れてみた明治43年に竣工した駅舎やランプ小屋、倉庫、ホーム待合室などが国の有形文化財に登録されているホームの関山側の端には線路と同じ高さに撮り鉄コーナーがありスイッチバックの撮影に便利だここから眺めると25パーミルがよく分かる国鉄カラーの旧型車両や観光列車の「雪月花」も停車してなかなか楽しめるとりあえず直江津まで乗って昼飯を食べて来よう二本木駅

  • お花見ぽた

    春だ桜だ自転車だという訳でお花見ポタリング先ずは「門やません」で腹ごしらえケチャップたっぷりのナポリタンがお気に入り翁堂のナポリタンの量には負けるがここもそこそこのボリューム前傾姿勢がちょいときつい三峰川のサイクリングロードへと伊那の街をぶらぶら走るソースかつ丼が有名な「田村食堂」の駐車場は満杯で県外車も多い前回来た時には臨時休業だった一度は食べてみたいなぁ伊那市役所の桜並木も満開でここもお花見スポットだ天竜川と三峰川の合流点から少し上流に走ると間もなくサイクリングロード桜が数キロに渡って植えられていて広い河原の解放感と相まってとても気持ち良いし人も少ない高遠まで足を延ばしてもいいが並走する車道は結構な交通量で観光バスも行き交う城址公園の混雑は容易に想像がつくここで昼寝でもして贅沢な時間を過ごそうお花見ぽた

  • 末広橋梁

    一度は見てみたいと思っていた日本で唯一の鉄道可動橋の末広橋梁近鉄四日市駅に着いた時にはもう陽もだいぶ傾いてきたJR四日市駅にはレンタサイクルもあるが時間外なので徒歩で向かう可動橋までは結構距離があった1.5キロくらいだろうか?休日の工場地帯はまるでゴーストタウン平日には多くの人や輸送トラックが行き交うのだろう末広橋梁は1931年生まれで近代化遺産建造物として国の重要文化財に指定されている平日は跳ね上げてあり貨物列車運行時に四日市駅から係員が自転車で駆けつけて降ろすそうだこの様子を見るには平日は5本あるという通過列車の時刻を調べておく必要がある休日は降ろしてあるそうで写真だけ撮ってトボトボ歩いて四日市駅へさて、桑名へ戻って焼き蛤で一杯やるかな末広橋梁

  • 三岐鉄道北勢線

    三岐鉄道北勢線

  • ぶらり樽見駅

    ぶらり樽見駅

  • 養老鉄道

    翌朝は養老鉄道で桑名から大垣へこの路線を走る電車はその名にふさわしい近鉄電車の600系、東急池上線の7700系が老後生活をここで送っている養老山脈沿いに北上した後90度東に向きを変え再度北上して大垣に至る車内は大垣近くまではかなり空いていて約70分の快適な電車旅だったせっかくだったので早めの電車に乗って養老駅で途中下車すればよかったと後で後悔行き当たりばったりの旅も善し悪しだ桑名大垣間、大垣揖斐間もサイクルトレインが走っており時折中学生や地元のおばさんがママチャリをひいて乗ってきた揖斐川沿いにはサイクリングロードが車窓越しに見えた桜の咲く頃は気持ち良いだろう当初の鉄道敷設計画は四日市から大垣、揖斐を経て福井の大野から敦賀までを提案したようだその夢もかなわず揖斐が終点となっているが直通はなく大垣で乗り換えとなる揖...養老鉄道

  • 三岐鉄道三岐線:西藤原駅

    北勢線の阿下喜駅から伊勢治田駅までは徒歩で20分・・・のはずだったが近道をしようと迷って30分結局は地図アプリで経路案内頼み(^^;漫画「鉄子の旅」の中で日本全駅下車した横見浩彦さんはここで2時間迷ったとあったが?三岐線の終点西藤原駅では創業時に活躍した蒸気機関車やディーゼル機関車がお出迎え機関車と客車を模した駅舎がユニークだ隣接の公園にはミニSLのレールが敷設されておりボランティアの方によって不定期に運行されている駅周辺を散策してみたが人けの少ない静かな小町だ時々登山者が駅に現れるが藤原岳へ登ったのだろう三岐線は太平洋セメントの前進の小野田セメントが昭和初期に敷設してセメント出荷を始めた東藤原にある太平洋セメントの大きな工場脇を走るシーンはなかなか楽しい三岐鉄道三岐線:西藤原駅

  • 三岐鉄道北勢線:阿下喜駅

    終点阿下喜駅西桑名駅から13駅20.4キロの距離を約1時間かけて走る単純計算で時速20キロ余・・・駅に着いて先ず目に入るのが転車台これは昭和6年に北勢鉄道が阿下喜まで延伸された頃造られたもので駅構内に埋もれていたということだレールに「CARNEGIE1914」の刻印があるカーネギーホールなどに名を残した鉄鋼王の会社だ軽便鉄道博物館やミニ電車もあって家族でも楽しめるようになっていて地元の人たちの北勢線への愛着がひしひしと伝わってくる駅の向こうには石灰岩を削り取った痛々しい山肌の藤原岳が見える昼飯の食堂探しついでに町中をブラブラフツーの地方の町だが少しずつ老化が進んでいる感じは否めないカドヤ食堂は休業日、上木食堂は混んでるしオジサン一人で入る雰囲気ではなさそうで、結局コンビニ弁当さてここから員弁川を挟んでほほ並行に...三岐鉄道北勢線:阿下喜駅

  • 三岐鉄道北勢線:楚原れんげ

    今までお会いした鉄道むすめは朝陽さくら、八木沢まい、渕東なぎさそして今回会ったのは楚原れんげしかしオジサンには日向坂46のメンバー同様顔の区別がつかない(^^;ググってみたら2021年に鉄道むすめの総選挙ってのもあって第一位:朝陽さくら(長野電鉄)第二位:八木沢まい(上田電鉄)と長野県勢だ(^^同じ長野県でもワタシの地元の渕東なぎさ(アルピコ交通)はランク外(^^;楚原れんげ(三岐鉄道)は第十二位だったちなみに楚原れんげの名前は楚原駅+蓮華寺駅三岐鉄道北勢線:楚原れんげ

  • 三岐鉄道北勢線:その1

    あれ?中部地方だっけ?近畿地方だっけ?一瞬そんな気になる三重県そこに軌道幅が762ミリという軽便鉄道いわゆるナローゲージの生き残りが3路線中2路線この地にある三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道内部・八王子線ちなみにもう一つは黒部峡谷鉄道だ今日は三岐鉄道北勢線に乗ってみようという訳で始発の「しなの」に乗れば10時前には桑名到着改札口から自由通路に出るとちょうど北勢線の黄色いちっちゃな車両がゆらりゆらりと西桑名駅のホームに入ってくるところだった早速窓口に行き三岐線のフリー切符を購入フリー切符だと下り線の途中で降りた駅から上り線で折り返しまた途中で降りて下り線に乗るという技が使えるが今回は時間の都合上楚原行に乗ってそこで30分後に来る阿下喜行に乗り換えることにした車内はガラガラで明らかな鉄ちゃんも数名かくいうワタシ...三岐鉄道北勢線:その1

  • 朝陽駅:長野電鉄

    長野電鉄には開業時の木造駅舎がいくつか残っているその一つ朝陽駅大正15年開業だからそろそろ100年だ歴史の詰まったノスタルジックな雰囲気たっぷりここから下り方面は単線区間となる朝陽駅:長野電鉄

  • 松本木工踏切

    松木木工踏切廃線、引込線、現役線が並ぶ人専用踏切。高低差や周囲の雰囲気もグッド。youtube#video松本木工踏切

  • 大糸線:真冬の簗場駅

    大糸線:真冬の簗場駅大糸線で最も標高の高い簗場駅と雪景色の中をノロノロ走る電車。youtube#video 大糸線:真冬の簗場駅

  • 飯田線:伊那北駅~伊那駅

    タイのメークロン線や台湾の十份線には遠く及ばないけれど密集した民家の間を走るこの区間はなかなか雰囲気がある飯田線:伊那北駅~伊那駅飯田線の伊那北駅~伊那駅間、線路わきに密集した家の間を走るのはまるで路面電車だ。youtube#video飯田線:伊那北駅~伊那駅

  • 簗場駅:大糸線

    大町から木崎湖トンネルを抜けるとまさに雪国だ中綱湖ではもう吹雪状態でホワイトアウト白馬まで行こうとしたが断念簗場駅でトイレ休憩平凡な駅舎も雪の衣をまとうと風情たっぷりな駅舎に変貌高倉健の「駅station」も雪の増毛駅が名わき役だった簗場駅のトイレは利用者が少ないにもかかわらず暖房が効いていたのはありがたかった簗場駅:大糸線

  • 湯田中駅:長野電鉄

    湯田中渋温泉郷の玄関口なので結構大きく立派な駅舎だこちらは昭和30年に建てられた駅舎で昭和2年に建てられて国の登録有形文化財になっている旧駅舎はホームを挟んだ反対側にあり「楓の館」として休憩所やギャラリーになっている隣接して日帰り温泉施設や足湯があるのは温泉地ならではだホームに入る急行スノーモンキー号は成田エクスプレスゆけむり号は小田急ロマンスカーの第二の電生だ20数年前に来た時には3両編成がホームに入るには線路のアールの関係上スイッチバックだったということだが記憶にないその頃鉄道に興味がなかったのが残念お猿の温泉へはバスと徒歩で1時間くらい湯田中駅:長野電鉄

  • 四角柱ガードレール

    Wikipediaによると日本でガードレールが初めて設置されたのは昭和33年に箱根町宮ノ下交差点付近だそうでその初期の支柱の形状は今の円筒形とは異なる四角柱だったこの四角柱タイプが使用されたのは比較的短期間だったそうでしかもリニューアルされたりして現存するものはかなり少なくYouTubeやブログなどで廃道マニアの方もよく取り上げている昨日降った雪を楽しもうと雪中トレッキングしていたら何とこの四角柱ガードレールを発見それも何か所も車や自転車で何十回も走った道なのに今まで全然気が付かなかった美ヶ原高原が国定公園に指定されたのが昭和39年ガードレールの設置情報は勿論消え去っているが観光道路としての安全性を高めるためにその頃設置されたものだろう古いガードレールそのままに内側に新設今のは6点止めだがこれは9点止めでマイナ...四角柱ガードレール

  • 安曇追分駅:大糸線

    今年春の「青春18きっぷ」のポスターに大糸線の安曇追分駅が採用されたと今日の新聞に載っていました駅前の桜とアルプスを入れた木造駅舎のポスターは旅情たっぷりですここは千国街道と池田街道の分岐点でかつてはここから池田鉄道が分岐していましたが赤字路線で12年で廃線となってしまいました安曇追分駅:大糸線

  • いぶりがっこ

    オミクロン、さらにステルスオミクロンなんてのも出現して不要不急の外出自粛何となく思いついて畑の片隅に薪ストーブを置いて燻製作り自家製たくあんでいぶりがっこを作ろう年季の入ったスモーカーを久々に引っ張り出してチップは買い置きの桜チップ適当に燻して試食旨い!今夜はこれをあてに日本酒だ(^^いぶりがっこ

  • 元善光寺駅:飯田線

    善光寺の秘仏が最初に祀られたという元善光寺玄関口の元善光寺駅の建物資産標には対象12年12月とあるこれといった特徴はない往時のスタイルだけれど暖か味のある木造駅舎だ出入口屋根の上の鬼瓦風飾りがワンランク上の雰囲気を醸し出す元善光寺駅:飯田線

  • 西上田駅:しなの鉄道

    ウィキペディアによると西上田駅は大正9年に「北塩尻駅」として開業されたようだメジャー塩尻市と紛らわしい為か昭和31年に「西上田駅」に改称駅舎は改装はしているが開業当時のものだそうだ自動販売機がいくつもあるのは高校生の利用が多いからだろう西上田駅:しなの鉄道

  • 伊那八幡駅:飯田線

    伊那八幡駅は「はちまん」ではなく「やわた」と読む駅名に伊那と付くのは飯田線前進の伊那電気鉄道の形見で所在地は飯田市だ風雪を耐え抜いたこの駅舎の建物資産標にはS.01.12とあった昭和元年は1週間しかなかったので貴重といえば貴重だこういう所々に遊び心のある地方駅舎のデザインは誰がどのような経緯で決めたのだろうか?大正期のいわゆる看板建築風に突き出た機能的には無駄な小屋根がチャームポイントだ100歳はすぐそこだ伊那八幡駅:飯田線

  • 横川駅:信越本線

    今は終端駅となってしまった信越本線横川駅駅舎前に鎮座する峠のシェルパEF63-3号の大きな動輪が目を引く「関東の駅百選」にも認定されている駅舎は2011年に改装されたものだ駅前には名物峠の釜めし「おぎのや」の本店があり道路を挟んでおぎのや鉄道資料館がある無料にもかかわらず往年の写真やレアな鉄道関連グッズ、釜めしの歴史など結構見応えがある機関区のあった構内は鉄道文化むらとして多くの機関車などが展示されていて言うまでもなく楽しい横川駅:信越本線

  • 中央本線:洗馬駅

    明治42年に造られた木造駅舎屋根や窓など改装されているが正面右側の今は使われていない降車口部分に歴史を感じるホームの梁も凝った造りになっている待合室のスピーカーは古そうだがPanasonicのロゴなので1971年以降のものだ離れたところにあるトイレは昭和28年の汲み取り式中央本線:洗馬駅

  • FELT改

    20年ほど前に買ったロードレーサーのFELTここ何年も放置してあったのだが普段使いに転用するためにハンドルバーをストレートに換装リヤディレーラーはデオーレのラピッドファイヤーで問題ないのだがフロントはMTB用では引き幅の問題で対応できないそこでフリクションタイプのサムシフターを購入これでフロントも変速可能ちなみにこのFELTはツールド美ヶ原に出た際にFELTのブースに来ていたジム・フェルトにサインをしてもらったのであります息子の乗っているシクロクロスもストレートバーに換装してあるのだがこちらはフロントの歯数差解消の為にアウターギアを外して2枚にしてMTB用のディレーラーとシフターを使用これの方が変速はスムーズですまぁ、クランクセットを換えればいいのだが倹約ということでシートチューブとタイヤのクリアランスのないロ...FELT改

  • 森口駅:松本電鉄上高地線

    2008年の森口駅2012年に左隣に新駅舎が造られこの旧駅舎は2015年に解体された森口駅:松本電鉄上高地線

  • 新村駅:松本電鉄上高地線

    2017年に惜しまれつつ解体された新村駅旧駅舎大正10年の開業だそうだ電気=稲妻ですねぇ2008年に訪れた時の写真レトロな窓枠と装飾的庇構内には古い電気機関車1926年の製造東急5000系電車の第二の人生、いや電生ご苦労さんでした新村駅:松本電鉄上高地線

  • 林小城

    地元にいながら一度も登ったこととのなかった林小城上りは廣沢寺側から木々の間に雪化粧の乗鞍や常念を眺めながら20分足らずで主郭跡にとうちゃこ主郭は15メートル四方くらいでその下には比較的広い曲輪がめぐらされている土塁、石積など思いのほか遺構が残っている下りは大嵩崎側へこちら側が虎口だろうか削平された平場がたくさんある城の水場でもあったという「地獄の釜」底なし沼で馬が1頭引きずりこまれたそうだ以前は古城とも言われ林大城より古いとされたが縄張りが複雑なので大城より後に造られたようだ薄川河川敷でアルプスを眺めながらラーメンタイム林小城

  • 高岡ポタリング

    あいの風とやま鉄道黒部駅から高岡へ輪行お隣の富山市は終戦間際に大空襲にあい市街地のほとんどが灰燼に帰したが高岡は空襲を免れたので歴史的建造物や古い町並みが残っていて趣ある御車山会館の方に聞いたら8月22日に空襲が予定されていたそうだそんな訳で重要伝統的建造物群保存地区のみならず適当に市内をブラブラしていてもなかなか面白い物件揃いだ路面電車の走る街はいいですねぇ~お昼は地元の大衆食堂「ますや食堂」でいただきました高岡ポタリング

  • 虎と桃色嬢と黒猫

    伊那のユニークな中古レコード&古本他のお店「黒猫」10枚550円のタイガースと7枚330円のピンク・レディーのドーナツ盤を買ってしまうこの中の何枚かは持っているし多分ターンテーブルに載せることもないと思うしかも断捨離中なのに安さと懐かしさに釣られてついつい手が出てしまったついでに買った季刊「黒猫」という雑誌(?)がなかなか面白いASKATEMPLEなんてミュージシャン初めて知った早速YouTubeで見てみたが自分的にはビミョー(^^;虎と桃色嬢と黒猫

  • 富山地方鉄道黒部駅

    電鉄黒部駅は車庫や留置線もある富山地方鉄道のメインの駅だ駅舎もそれなりに立派で駅員も常駐している3面のホームと線路がサンドイッチ状になっているのが面白い富山地方鉄道黒部駅

  • 富山地方鉄道東三日市駅

    駅舎マニアの間では結構有名な駅らしく「訪ねておきたい名駅舎絶滅危惧駅」という本にも取り上げられているらしい昭和中期の改築だそうで窓やドアこそアルミサッシになっているものの昭和レトロな雰囲気いっぱいだ駅前にあった肉屋さんの焼き鳥が旨そうだったなぁ富山地方鉄道東三日市駅

  • 富山地方鉄道経田駅

    駅前には経田神社と割と広い駐車場があるここに車を止めて隣の魚津まで電車で行って寿司屋で一杯戻ってそのまま車中泊綺麗なトイレと自動販売機があるのがありがたい結露対策に窓に張り付ける銀マットを調整したハサミがエアマットに落ちて穴を開けてしまい修理用パッチを張ったにもかかわらずスローパンク的にエアー抜け背中がゴリゴリで何度か起きてしまった富山地方鉄道経田駅

  • 富山地方鉄道舌山駅舎

    レトロな雰囲気の残る富山地方鉄道の駅舎積んできた折り畳み自転車でそのいくつかを巡ってみた「舌山」とは面白い地名だ国土地理院の地形図を見るとなるほど駅の南方には台地が舌のように伸びているいわゆる「舌状台地」がある時々見かけるこの薄緑色は古い駅舎によく似合う富山地方鉄道舌山駅舎

  • 魚津の円筒分水槽

    急激にコロナ感染者数が減ってきたのはワクチン効果か?ウイルス自滅説か?まぁ、とにかくこれで約2年ぶりの県外脱出だ車に折り畳み自転車とシュラフを積み込んで向かった先は魚津魚津ICで降りて先ずは円筒分水槽を訪れる片貝川の上流の右岸には東山円筒分水槽左岸には貝田新円筒分水槽がある小規模の円筒分水槽は各地にあるがここのはなかなかの規模だ立山連峰から流れ出る河川は急流なうえに浸透性が高いので水騒動になりやすかったという円筒部からこんこんと湧き出る水はそんな騒動を避けるよう各水路に見合った量が分配されていく芝生が張られベンチも置かれたエリアもあり魚津方面を見渡せる気持ち良い所だ貝田新円筒分水槽魚津の円筒分水槽

  • 木曽義仲ゆかりの地:岩谷堂観音

    丸子の町は何十回も通過したのに立ち寄ることはほとんどなかった義仲に縁が深いということでいろいろ調べてみるとこんな素晴らしい所があったのではないか「岩谷堂観音」その名の通り岸壁に半分組み込まれた朱塗りの堂岩窟に祀られた観音像は異空間さらに丸子の町が一望だ義仲が戦勝祈願の参拝の際に馬で駆け上がったという「義仲馬大門」その馬を繋いだという伝説の巨木の「義仲桜」がある平安初期の建立だというから義仲が詣でたということは十分にあり得るなぁ桜の季節にまた来てみたい木曽義仲ゆかりの地:岩谷堂観音

  • 木曽義仲ゆかりの地:義仲館

    県道沿いの赤い鳥居から御嶽神社へは果樹園の中の農道を数百メートル上る何の果樹だろう?根元に撒かれた牛糞の香りが風に漂う御嶽神社の手前100メートルほどの所に義仲館跡の案内板がある館跡入り口には冠木門が設えてあり公園風に整備されている広さはテニスコートを一回り大きくしたくらいだが勿論実際の広さではないし礎石等も見当たらない片隅には義仲桜と巴松が植えられ遠くには浅間山を望む地理的条件や滋野氏など有力豪族や牧の存在など諸条件を考慮すれば義仲はやはりこの地に逗留して軍備を整え旗揚げしたのだろう木曽義仲ゆかりの地:義仲館

  • 木曽義仲ゆかりの地:義仲挙兵の地

    塩田平から丸子に抜ける鎌倉街道の砂原峠を越えると「木曽義仲挙兵の地」の大きな看板が目を引く義仲が兵馬を集め平家討伐の為の準備態勢を整え実質的に旗揚げしたのがこの丸子の地だといわれている丸子から上田方面を望むこの高台の地には義仲の嫡男清水冠者義高の名を付けたという生海清水や義仲を招聘した依田氏の高築地館がある義高が人質として鎌倉の頼朝の元に向かう途中ここの清水でのどを潤したことだろう木曽義仲ゆかりの地:義仲挙兵の地

  • 木曽義仲ゆかりの地:巴と山吹五輪塔

    塩田平から丸子に行く県道82号、別所丸子線の沿道の墓地そこに巴と山吹の五輪塔があるというグーグルマップで検索するとちゃんと位置表示されるからすごいナビで行き着いた五輪塔には説明板も何もない真偽のほどは確認しようがないがこうした伝承があちこちにあるというのはとても興味深く面白い木曽義仲ゆかりの地:巴と山吹五輪塔

  • 木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛の馬の足跡

    義仲の馬に関する伝説はあちこちにある馬を繋いだ木、ササを食べた、膝を折った・・・中でも足跡、馬蹄石というのがいくつかある塩田平の「とっこ館」の入り口左手には手塚光盛の馬の足跡の橋というのが移設してある越後の守城四郎長茂を横田河原(川中島)で義仲とともに迎え撃つために出陣するときに付けたという説明書きには城資長の軍と書いてあるがこれは間違いで、出陣直前に急死したので弟の長茂が家督を継いでるまた手塚光盛は義仲の四天王とはされていないがポジションの高い有力武将ではあった馬蹄形の凹みはよく見ないと分からないが何せ風雪に耐え800年以上も経ってるからなぁ(^^;ん~、確かに馬蹄形・・・木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛の馬の足跡

  • 木曽義仲ゆかりの地:八木沢天満宮、無量寺、手塚八幡社

    別所温泉手前の閑静な山際にある八木沢天満宮ここには江戸時代中期(1732年)に建立された義仲の古碑がある脇に立てられた説明書きによると建立した者は手塚光盛の子孫ということで2度移設されてここに落ち着いている古碑はかなり風化されているが隣に並んだ祠は輪郭明瞭でそんなに古くはなさそうだ側面には手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が、裏には手塚光盛の名が刻まれている江戸時代中期の建立とはいえ義仲没後500年以上も経っている確たる文献的証拠はないものの口伝として木曽義仲や手塚光盛とこの地との縁について綿々と語り継がれてきたことだろう手塚地区の無量寺には空海が柳の木の根元から彫ったという「元木の地蔵」があり光盛の守り本尊だったという説もあるが寺自体は戦国時代の建立ということだその近くの手塚八幡社には戦勝祈願したのだろうか?三つ盛...木曽義仲ゆかりの地:八木沢天満宮、無量寺、手塚八幡社

  • 木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛と塩野神社

    何度か塩田平に来ているがこの塩野神社を訪れたのは初めてだ流鏑馬も行われていたと言う延喜式にも載っている古社で神殿に劣らず立派な楼閣造りの拝殿は素晴らしく一見の価値ありこれは江戸中期に建てられたということだ創建年代は社殿によると本宮は白鳳時代(645~710年)ということなので手塚光盛もここに祈願したり流鏑馬に興じたに違いない近くには中禅寺と茅葺が美しい薬師堂があるが住職に聞いたら手塚光盛とは関係ないようだこの参道で流鏑馬が行われていた中禅寺薬師堂木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛と塩野神社

  • 木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛館跡

    武蔵国の住人長井斎藤別当実盛は駒王丸(義仲幼名)が母小枝御前ともに信濃の国へ逃げる時の手助けをした命の恩人だ今は平家の武将として、北陸路を進軍してきた義仲を迎え撃つために平維盛、通盛の配下として従軍していたその時すでに70余歳と老齢となっていた実盛は篠原合戦で出身地の越前に錦を飾りつつも討ちとられてしまった義仲がその命の恩人実盛の首と再開する悲哀感溢れる名シーンは平家物語の「実盛最後」の段だその実盛を討取ったのが「信濃国の住人手塚太郎金刺光盛」だ諸説ある中、光盛は別所温泉近くの手塚地区に住んでいたというのが有力らしい屋敷跡といわれるところ供養塔ゆかりの神社仏閣などが存在し手塚伝説がたくさん残る地だ館跡だと言われている所門はもちろん後年のもの土塁らしきものの奥には唐糸天神の堂が見える唐糸は手塚光盛の娘で源頼朝に仕...木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛館跡

  • 木曽義仲ゆかりの地:塩田平手塚地区

    上田市塩田平の手塚地区は義仲とともに平家討伐に向かった武将手塚光盛の本拠地だったとされている手塚光盛は手塚治虫の先祖だということで「火の鳥乱世編」にも登場させているがその顔は例の手塚治虫顔だそのゆかりの場所を探訪しながら野焼きの煙たなびく秋晴れの塩田平をブラブラとポタリングのんびり走る別所線に思わず撮り鉄駅前食堂の「なかの食堂」でラーメンの昼食他のお客さんが食べていたもつ煮定食やカツ丼も旨そうだったなぁテレビ取材もされたらしくSBCの山崎アナの色紙が飾ってあった木曽義仲ゆかりの地:塩田平手塚地区

  • 木曽義仲ゆかりの地:新倉観音堂、新倉毘沙門堂

    岡谷市川岸の天竜川右岸の山裾に佇む毘沙門堂、観音堂はなかなか良い雰囲気だその新倉観音には義仲手植えの桜新倉毘沙門堂には義仲が兜に入れていたというゆかりの木像を奉納したとか毘沙門堂の立像は室町時代のものらしいが建物はもっと後年のものだ堂前の岡谷市天然記念物の杉の大木の説明板に樹齢200年以上とあったから堂はその頃建て替えられたのだろうか?毘沙門堂が平安末期にはすでにあったとすれば義仲家臣には諏訪の武士もいるので何度か諏訪を訪れていたのだろうその折に樋口兼光の居た辰野経由で来ればちょうど通り道になるそこに軍神毘沙門天があれば当然祈願するだろうあるいは旗揚げで佐久方面に向かうときにここを経由、祈願して和田峠を越えたのだろうか?新倉毘沙門堂新倉観音堂木曽義仲ゆかりの地:新倉観音堂、新倉毘沙門堂

  • 木曽義仲ゆかりの地:長興寺の小枝御前墓

    塩尻市洗馬にある曹洞宗の大きなお寺長興寺ここに義仲の母小枝御前のお墓があるという本堂横の山の斜面道沿いには石仏や石塔、墓石が整然と並びなかなか趣きある雰囲気を醸し出している今回は拝観しなかったけれど池泉回遊式庭園というのも見ごたえある名園のようだこの山の斜面にある古い石塔が小枝御前のお墓だと言われていて長興寺史の古い絵図にも描いてある確かに古~い感じの石塔だが寺の創建は1527年ということで義仲の時代より300年以上後だまた塔も800年の風雪に耐えた割には風化が少ないもちろん伝説だけで確たる証拠は何もない小枝御前の墓は宮ノ越の義仲一族の菩提寺といわれる徳音寺にもあったこの寺は義仲が小枝御前の菩提を弔うために建てた柏原寺が前進だという「徳音寺畧縁起」に手厚く葬ったことが記されているようだが徳音寺の中興は1579年...木曽義仲ゆかりの地:長興寺の小枝御前墓

  • 木曽義仲ゆかりの地:長瀬判官代の墓

    宇治川の戦いで義経配下の畠山重忠渡河後、馬に乗って真っ先に進んでくる華麗な出で立ちの敵に「ここにかくるはいかなる人ぞ、名のれや」といひければ「木曾殿の家の子に、長瀬判官代重綱」と名のる畠山は軍神への供え物にしようと馬から引きずり落として首を取ってしまった平家物語で何だかあっけない最後だった長瀬判官代は義仲とは血縁関係があったらしいちなみにこの時の戦いで義経軍の先陣争いを制したのは佐々木高綱、後の了智上人だ源氏の流れを汲む長瀬氏はもともとは丸子(上田市)の長瀬地区に居を構えていたということだが塩尻の長瀬地区にも関りがある熊注意の看板を横目に奈良井川右岸の河岸段丘の暗く狭い道を降りて橋を渡ると3件ほどの民家がある2軒は空き家のようだが表札には長瀬とあるここに長瀬判官代の墓があるということでそこらをウロウロ探してみた...木曽義仲ゆかりの地:長瀬判官代の墓

  • 木曽義仲ゆかりの地:樋口次郎兼光墓

    義仲と仲たがいした十郎蔵人行家を討つために遠征していた義仲四天王のひとり樋口次郎兼光都で合戦が行われていることを聞き急行するが今井兼平の家来に遭遇し義仲は討たれ兼平が自害したことを聞いて涙する家来に「私は都へ上り討ち死にするが諸君は落ち延びて殿の後世を弔うのもよい」都に着くと500騎の兵は20騎ほどになっていた義経に従軍していた児玉党と姻戚関係があり親しかったので彼等から生き延びて木曽殿の後世を弔うように諭され投降した義経が院の御所に申し上げて許されたが公卿、殿上人などが法住寺合戦の怨恨を叫んで結局死罪にさせられた義仲、兼平らの首が大路を引き回される時に伴をしたいと願い出て藍摺りの水干、立烏帽子で一緒に引き回され翌日斬首された家臣が持ち帰った首を埋葬したという墓は辰野町の樋口地区にひっそり佇んでいる近くにある荒...木曽義仲ゆかりの地:樋口次郎兼光墓

  • 木曽義仲ゆかりの地:洗馬、朝日地区の伝説

    洗馬、朝日地区には義仲や兼平にまつわる伝説が多い兼平が義仲の馬を洗った太田の清水義仲の馬が蹄の跡を付けた岩光った岩に驚いた馬から落馬した鏡岩義仲が箸として使った柳が根付いたさかさ柳義仲の命を狙って来たものが凍傷になって死んだ足無し様義仲が木曽から峠を越えてきた御馬越え・・・等々こういった伝説地は平和になった江戸時代にいろんなものを義仲と関連付けて伝説化して楽しんだのだのだろう江戸時代に流行った多彩な名所図会のひとつ木曽路名所図会には義仲馬洗水ほか関連の伝説地が何か所か載っている木曽義仲ゆかりの地:洗馬、朝日地区の伝説

  • 木曽義仲ゆかりの地:朝日村薬師堂、光輪寺

    光輪寺と薬師堂、何だか一番義仲に縁がありそうな寺だここは義仲が中興開基とされ、兼平が中興の大檀頭といわれている寺には「~当寺中興檀頭兼平殿~治承四年正月二十一日」の位牌がある(治承は1177年~1181年)またお薬師の由緒の中にも「~治承四年木曽義仲中興開基堂宇を再建し黒印36石を賜る云々」とあるらしいかつてはこの裏山の奥に薬師堂があり古薬師と言われているそうだまた光輪寺には「爲平家退治祈願」という祈願文があり義仲の花押とともに箱書きに直筆のお墨付きもあるそうだ薬師堂脇には義仲手植えだといわれる桜の二代目があるまた兼平ゆかりの今井神社まで伸びる旧街道沿いには薬師堂への道を示す石標が多数残っている江戸時代後期に書かれた「善光寺道名所図会」には今井神社から薬師堂まで屋根付きの回廊が作られていたと書いてあるがこれは創...木曽義仲ゆかりの地:朝日村薬師堂、光輪寺

  • 木曽義仲ゆかりの地:宝輪寺、諏訪神社

    昔の豪族は現世の幸福を祈る祈願寺と後世の冥福を祈る菩提寺持つものであるが宝輪寺は今井四郎兼平が祈願寺として中興したといわれる山門は木曽贄川宿本陣の千村家のものを移築したそうだ下今井にある諏訪神社も今井四郎兼平の再興と棟札にあるようだこの神社には兼平の形見石というのがある明治初年にクヌギ林を開墾していた人が土中から掘り出したと伝わる年号は剥離してしまって判別できないが鑑定によればそれほど古いものではなさそうで後世の人が兼平の顕彰供養の為に建てられたらしいが詳しいことは謎だということだここ今井の地には兼平にまつわる伝承が他にいくつもある出生地はともかくある時期この地に在していただろうことは想像がつく木曽義仲ゆかりの地:宝輪寺、諏訪神社

  • 木曽義仲ゆかりの地:今井神社

    「これからは誰をかばうために戦おうか、その必要もない。これを御覧なされ、東国の殿方、日本一の剛の者の自害する手本だ」と言って太刀の先をくわえ、馬から飛んでさかさまに落ち、太刀に貫かれるようにして死んでしまった。義仲四天王今井四郎兼平の壮絶な最後だ真偽のほどはともかくドラマチックに仕立てられた平家物語の木曾最後の巻の義仲と兼平のやり取りは感涙間違いない芭蕉も芥川龍之介もこんなところに惹かれたのかも知れないその兼平を祀ったのが今井神社今井村史によるとここに居館があったといわれているが他にも何か所か居住説がありいずれも確証となる資料はないとのことまた、兼平との縁を名乗る地は全国に数多くあるしかし生まれた地、死んだ地、今井を名乗った地は一か所しかないその中で一つだけはっきりしているのは琵琶湖畔の粟津ヶ原の死んだ地だと結...木曽義仲ゆかりの地:今井神社

  • 元町開運弁財天と7本松

    元町中公民館の場所にはかつて開運弁財天があり脇には7本に枝分かれした松の大木があったそうだ近くにの惣社辺りには国府があったといわれその守護神だったそうで伝承では弁財天も松の老大樹も清水丸義高にゆかりがあるということだ義高お手植えの松?説明板によると弁財天は公民館の中に祀られているということだろうか脇の常夜灯や石仏がわずかに弁財天の面影を偲ばせる元町開運弁財天と7本松

  • 木曽義仲ゆかりの地:岡田神社

    源親義、岡田冠者親義の方が通りが良いだろう以仁王の令旨を受けて大将格として義仲とともに連戦したが倶利伽羅峠の戦いで清盛の末子(?)平知度(とものり)と遭遇して相打ち戦死したというこの激闘のくだりは「源平盛衰記」にはあるらしいが手元の「平家物語」には「大将軍三河守知度討たれ給ひぬ」としかない享年45歳ともいわれているその岡田親義の館があったのは「延喜式神名帳」にも載ってる歴史ある岡田神社参道脇だ旧参道の一の鳥居前には2本の見事な欅の木がそびえている本殿はここからさらに500メートルほど先だが途中で参道が不自然にクランクしているどうやらこれは式年造営の際岡田館を避けたためらしいこの辺りは水利の悪い所で後年用水路の開削と同時に館跡地を国府庁舎するために堀や土塁を整地撤去したと説明板にあった今は普通の住宅地で遺構は何も...木曽義仲ゆかりの地:岡田神社

  • 木曽義仲ゆかりの地:地蔵清水

    安土桃山時代の深志城整備の時に土中から浄水とともに出てきたといわれるお地蔵さん蟻ケ崎の激坂上の生安寺の境内に安置してある「文治4年」(1188年)と刻まれていて松本最古だということだ義仲の死も頼朝の元に人質として行っていた嫡男清水冠者義高が殺されたのも1184年だ義高と仲睦まじく暮らしていた頼朝の娘大姫が義高の死を嘆き悲しみ病に伏せたことは前回触れたお地蔵さんの制作年と石材が伊豆石だということでどうも義高の供養の為に鎌倉から届けられたのではないかという説もある大姫の母北条政子が娘の病を苦に免罪符的に作らせたのか?出土した所は地蔵清水と呼ばれ碑の脇には清らかな湧き水が溢れている義高の住んでいた清水丸屋敷はこの辺りにあったという説もある木曽義仲ゆかりの地:地蔵清水

  • 木曽義仲ゆかりの地:槻井泉神社

    義仲の嫡男は清水冠者義高と言われている信濃で勢力を広げてきた義仲が頼朝と険悪な雰囲気になったとき義仲は他意はないと11歳の義高を頼朝の長女大姫の婿という名目で海野幸氏、望月重孝等を伴って鎌倉へ送って一件落着要するに人質だ二人は仲睦ましく暮らしていたが最終的に義仲が討たれたことで義高の立場が悪化した復讐を恐れた頼朝に誅殺されることを察して逃げたが結局入間川辺りで討たれてしまったそれを知った大姫は嘆き悲しみ病の床に伏してしまった母親の(北条)政子はそれは義高を討ったせいだと頼朝に迫り討った内藤光澄を晒し首にしたそんな悲劇の義高が生まれ育ったという清水丸館はこの槻井泉神社の辺りにあったとも言われている傍らにはこんこんと湧水が沸いていて地名はそのまま清水だ上水道のない時代において湧き水の豊富な場所は一等地だったのだろう...木曽義仲ゆかりの地:槻井泉神社

  • 木曽義仲ゆかりの地:伊和神社

    惣社(総社)は特定地域内の神社を合祀した神社で律令時代国司着任後の最初の仕事は赴任地の神社を順に巡って参拝することだそうで面倒くさいなぁ、いっぺんに済まそうということで国府の近くに設けられた上田から松本に移転した信濃国府が置かれていたといわれる所が惣社という地区だそこにある伊和神社境内にある欅の大木は樹齢1000年とも言われ明治18年に枯れて伐採したのはもっと古かったということだここに国府が置かれていたのは平安時代だから神社もその頃造られたのか?源氏ゆかりの源頼光とその四天王、渡辺綱、薄井貞光、坂田金時、卜部末武も祭ってある義仲の養父中原兼遠は当時権守(副知事)としてここの国府に勤務していた(国守、今で言う知事は京都に住んでいたということで実務は兼遠が執り行っていた)車で1時間もかかる館があったという木曽から通...木曽義仲ゆかりの地:伊和神社

  • 木曽義仲ゆかりの地:中原兼遠屋敷跡、林昌寺、手習天神

    軽トラしか通れないような中央西線の陸橋を渡って中原兼遠屋敷跡へは田んぼのあぜ道だ屋敷跡と言われる場所には1本の松の木と案内板があるだけで10メートル四方くらいの平地に遺構は何もない大き目の石がいくつか転がっているが礎石でもなさそうだ案内板には「貝原益軒の岐蘇路記に宮の腰の1里下に上田と云所あり、兼平が父木曽の仲三兼遠が屋敷の跡あり・・・」とあった調べてみると岐蘇路記は1709年に書かれたものだ日義村村史によると「義仲はここで兼遠の息子、兼平、兼光らと育てられた」とある朝日村村史と塩尻市史には「1国の権守(今の副知事)の子供3人、しかも女の子までが、山の中の木曽まで来て源氏の孤児に従うというのは不自然である」と述べているまた塩尻市史では「群馬県に木曽三社神社がある。義仲の死後落ち延びた遺臣達が義仲の崇拝した『岡田...木曽義仲ゆかりの地:中原兼遠屋敷跡、林昌寺、手習天神

  • 義仲ゆかりの地:旗挙八幡宮、南宮神社

    鉄柱で支えられた今にも朽ちそうな欅の大木は樹齢800年余りで義仲元服を祝って植えられたと言われてる落雷で裂けてしまって痛々しい姿だが隣には2代目の欅がすくすくと育っている13歳で元服した駒王丸は木曽次郎義仲と改めここに館を築き27歳の時に平家打倒の旗挙げをしたといわれる旗挙八幡宮館跡を主張する大きな石碑が建っているが遺構などはない旗挙げに1000騎余りを従えたというがどう考えても無理がある国道沿いの南宮神社は義仲が産土神として美濃関ヶ原の南宮大社を分祀勧進して戦勝祈願したといわれる神社裏には落差20メートルほどの旭乃滝があってこれがなかなか良い一時期枯れてしまったが導水して復活したそうだ義仲ゆかりの地:旗挙八幡宮、南宮神社

  • 義仲ゆかりの地:義仲館と徳音寺

    信濃国府が置かれていた松本から40数キロ木曽街道の山吹トンネルを抜けると宮ノ越だこの地に駒王丸が2歳から隠れ育ったと言われており周辺には義仲関連の伝承地がいくつかある先ずは義仲館がリニューアルしたということで再訪してみた館の前には義仲と巴御前の立派な銅像が堂々と鎮座している平家物語延慶本には美男と書かれている義仲だが像はちょっと武骨な感じがして粗野だったという俗説イメージを上塗りしてしまいそうだ没した31歳にしては老けすぎるも少しジャニーズ寄り、巴御前はAKB寄りだとイメージアップするだろうになどと思いながら入り口に行くと「コロナのため12日まで休館」臨済宗妙心寺派で義仲の菩提寺だったと言われている徳音寺は義仲館のすぐ近くだ山門をくぐると愛馬にまたがって野を駆ける元気そうな少女時代の巴御前の銅像が目を引く平家物...義仲ゆかりの地:義仲館と徳音寺

  • 木曽義仲松本成長説

    明治時代の歴史家重野安繹(しげのやすつぐ)博士の「木曽義仲の松本成長及佐久挙兵説」(昭和8年発刊松本市史P103~P105)がとても興味深い。武蔵国から母小枝御前ともに逃れてきた駒王丸(義仲幼名)が松本で成長したとする理由は育ての親中原兼遠は当時信濃国権守(ごんのかみ、いわば副知事)であり「国府たる松本にありて信濃国中の政務を執りしなり」と松本に館があったと思われる。今日の木曽谷と称するところは当時は人跡稀なるところで人を教育成長させられるようなところではなかった。「何を苦んで人跡稀なる木曾山中に育てんや」鳥居峠を開き驛路を設け人が住めるようになったのはもっと後年のことだ。義仲四天王の今井兼平、樋口兼光は中原兼遠の子息でそれぞれ今井村、樋口村におり義仲と成長を共にした。中原娘の巴御前(実在は?)も義仲と「振分髪...木曽義仲松本成長説

  • 西丸子線下之郷駅

    上田のサントミューゼ美術館にヒグチユウコ展を見に行ったについで下之郷駅に寄ってみた生島足島神社のお膝元の駅だけあって駅舎はユニークな神社風だこの駅はかつての上田丸子電鉄西丸子線の発着駅でもありそのプラットホームが残されている駅舎は資料館として改築されていて当時のものではないが雰囲気はあるちょうどドアが開いていて中で上田電鉄関係と思われるおじさんが整理か何かしていたのでお願いしてちょいと中を覗かせてもらった狭いながらもかつての駅名標や往時の写真、機材などが展示してありなかなか興味深い何かのイベントの時だけ公開するようなので今日見れたのはラッキーだったかな西丸子線下之郷駅

  • 車山トレッキング

    下界の暑さとコロナを避けて来た車山高原だけど思っていたほどは涼しくない山頂へのトレッキング路は太陽の陽射しを遮るものがなく汗が噴き出るそれでも時折吹いてくる風は冷風扇のようで心地良い頂上の気象レーダー脇には展望テラスが新設されていて八ヶ岳の裾野の風景が楽しめる白樺湖方面からはリフトで上がってこれるのでそこそこの賑わいだ湿原方面に下ると人も少なく静かで良いが昼飯を予定していたゆるキャン△で有名になった「ころぼっくるひゅって」は結構賑わっていてコロナ感染が懸念されたビーナスラインは8月最後の夏を満喫しようと多くの県外ナンバーのバイクや車が行き来する霧ヶ峰のドライブインは満車状態なので当然スルー以前に比べ自転車も結構走っている松本の自宅からビーナスラインを経て茅野まで走ったのはもう10年以上前だもう一度チャレンジして...車山トレッキング

  • 甲州街道ちょこっと

    お盆中は天気悪くて引きこもり久々に愛車を引っ張り出して諏訪大社から甲州街道をぶらり好きなルートですこの前見つけた鎌倉街道のビューポイントで一休みモリゾー君もコロナに負けず頑張っていました時々小雨がパラり今年の夏は梅雨夏だ甲州街道ちょこっと

  • 稲荷山宿

    善光寺街道の中でも比較的宿場の雰囲気が残っている稲荷山宿コロナ禍も輪をかけて訪れる観光客はほとんど見当たらないひなびた雰囲気好みのワタシにはありがたいことだが地域の経済活動は停滞だせめてお昼くらい貢献しようと蔵造りのお店で焼きそばをいただいた国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているが歴史ある建物は徐々に老朽化が進んできているようだ古い建物を維持管理していくのは所有者にとってはなかなか大変なことだろう飯山市へ続く谷街道の起点でもある稲荷山宿

  • 戦艦陸奥41センチ砲

    以前訪れたのは中学生か高校生の時だからもう半世紀近く前だその時以来久々に訪れた聖博物館戦艦陸奥の41センチ主砲懐かしのF86D(以前の東京五輪の時のブルーインパルス機はこれだった)プラモで作ったことのあるF104Jジェット戦闘機蒸気機関車D51などが野外展示されている戦艦陸奥主砲の塗装メンテは時々やっているようだがジェット機の方の塗装やキャノピーはかなり傷んできている雨ざらしのままではちょいともったいない気がした戦艦陸奥41センチ砲

  • からあげ京や

    女房の趣味で始めた唐揚げと総菜のテイクアウト店古い母屋を改装して開業そこそこお客さんも来てくれてありがたいリピータも幾人か味の探求に終わりはないと息子談本業止めてここでバイトしようかな?(笑)からあげ京や

  • 藪原の清水屋食堂

    奈良井宿から鳥居峠超えて藪原宿へ山歩きともう一つの目的は以前食べ損ねた藪原の清水屋食堂のラーメン鳥居峠は自転車で2度超えたけれど徒歩は初めてコロナ禍で歩く人はほとんどおらず静かで気持ちよい山歩きだがクマよけの鐘が設置してあるのが何となく不安感を煽る寄り道しながらのんびり歩いても2時間足らずで藪原宿だ清水屋食堂は高齢のご夫婦が切り盛りしている10センチはあろう檜の一枚板テーブルが見事だ麺もチャーシューやメンマも自家製だと言うホール係のおばあちゃんは80過ぎだろうか腰は曲がっているがしっかりしていて感じ良い自家製ストレート麺によく合うやさしい煮干しと鶏だろうスープはとてもおいしく全部飲み干せる峠越えの後だからこのくらいの塩分摂取も罪悪感が無い奈良井へ戻る電車は2時間以上なし駅の待合室で昼寝した後宿場内をブラブラして...藪原の清水屋食堂

  • 雨の妻籠宿

    コロナ禍と雨でほとんど観光客もいなくしとしと雨とも相まって宿場は趣ある佇まいコーヒー屋の店主は観光客が来なくても開けていないと宿場が寂しいからともう少しの辛抱だ妻籠宿雨の妻籠宿

  • 白馬ポタリング

    久々の白馬のんびりポタ生憎北アルプスの山々は雲に霞んでしまったが新緑の淡い緑が心地よく5月の白馬はポタリングのベストシーズンアウトドアショップの立ち並ぶ白馬駅前には結構な数の観光客そんなスポット的に密になる場所は早々にパス時々向かい風に苦戦しつつもお気に入りのルートを堪能白馬ポタリング

  • かじかの里公園キャンプ場

    安いきれい眺め良し(^^)かじかの里公園キャンプ場

  • 早太郎の光前寺

    ゆるキャン△聖地で参拝者が増えたという駒ヶ根の光前寺参道の杉並木が歴史を物語るなかなか立派な天台宗の寺でした三重塔は令和3年度末まで修理中でヒカリゴケは4月までは枯れて光らないということでちょっと残念霊犬早太郎のお墓もお参りしてやっぱり引いてしまった500円のわんこおみくじは中吉早太郎の光前寺

  • 深川めし試作

    退屈な雨降りの日曜日キャンプ飯の試作をしてみようと思い立って在庫の赤貝の缶詰を使って深川めしにチャレンジ赤貝の缶詰の汁は結構ねっとりと甘い貝だけ入れて自分で醤油、みりんとかで味付けした方が旨くなりそうな気がしたけれどここはとにかく簡単で旨くというコンセプトのもと醤油を少し足しただけで炊いてみた洗った米1.5合に缶詰汁ごとドバッ容器はスノーピークのチタンクッカーを使ってみることにした結論を言えばイマイチいやイマニかな?ご飯の炊き方も良くなく底が焦げ焦げ次回はメスティンと丸美屋の釜めしの素でリベンジか?深川めし試作

  • あれから10年かぁ

    悲惨な風景に少しの義援金と観光に僅かなお金を落とすのが精いっぱいでした塩釜から松島への遊覧船の客は私だけだったあれから10年かぁ

  • ひるキャン△

    陽射しも濃くなってきたので近場でデイキャンプ最近のキャンプブームに煽られてグッズも少し増えた今年の目標は断捨離なのに(^^;久々に設営した30数年前のダンロップのテントはフライに穴が・・・しかも少しかび臭いでもメンテすればまだまだ使えそう景色眺めながらのんびり焼肉食べて昼寝しかしデイキャンプだとビールを飲めないのが残念だぁまつもと里山キャンプ場ひるキャン△

  • 神田食堂のソースカツ丼

    この前辰野へ行ったときに入り損ねた神田食堂で孤独のグルメ初めて入る食堂はちょいと緊張するが昼時にも関わらずお客はいなく拍子抜け店先の桃太郎旗に染め抜かれたソースカツ丼を注文おっ、いいぞトンカツの存在感ちょうど良い厚さの揚げたてロースカツを一口かじって恵比須顔ん?ご飯がちょいと柔らかいしソースカツ丼なのにつゆだく?この辺のバランスがイマイチだったけれどトンカツとソースが旨かったからまぁいいか後から来た客が注文していた生姜焼き定食も魅力だったなぁ神田食堂のソースカツ丼

  • 火の見櫓

    火の見櫓に魅了されて本まで出版した人がいたがこれもまた火の見櫓だよく見かけるスマートなものとは違って随分がっちりしている松本地方には3本脚、諏訪地方には4本脚のが多いそうだ火の見櫓もだんだん無くなっていくようだが地区の消防団が使用したホースを吊るして乾かしている光景を見たことがある今は火の見というより物干し台的役割を果たしているのだろうか?いずれにしても残して欲しい風景ではある火の見櫓

  • 先宮神社

    諏訪の旧甲州街道沿いに鎮座する先宮神社おや?鳥居前の小川には橋が無い建御名方命が諏訪に来る以前にいた土着の神様それが建御名方との争いに敗れてここから出ませんよと言う訳で橋が掛けられていないそうなということは諏訪大社より古いということかそんな伝承は?だけど信じたい先宮神社

  • 牛伏寺川の冬

    牛伏寺に参詣に行ったついでにキャンプ場の方まで足を延ばしてみたフランス式階段の河床は先週の寒波で凍てつき自然の造形美を見せてくれた冬の景色もなかなか良いものだキャンプ場周辺には車の轍があり渡渉した形跡もあったジムニーだろうか?ちょいと興ざめだ牛伏寺川の冬

  • マルチプルタイタンパー

    昨夜の雪の予報は外れて道路はカラカラ天気も良いのでウォーキングに諏訪湖湖畔は広々とした風景が気持ちよいだが湖面を渡る風は冷たいし単調なので街中を歩こう風が遮られるし面白い発見もあるおっ!上諏訪駅に停まっていた車両に目が留まるいつかテレビで見たことがある保線用車両だレールの高さを修正するやつで沈下したレールを既定の高さまで持ち上げできた枕木の隙間にバラストを突き固め入れるやつだ名前は??家へ帰って調べるとマルチプルタイタンパーMTTとかマルタイとかも呼ばれるそうでミリ単位での調整ができるということだマルチプルタイタンパー

  • 地下工場の痕跡

    戦時中林城山の山腹には地下工場をその周辺には半地下工場の建設が行われていた里山辺の林・大嵩崎地区地下工場の抗口や残土を捨てた跡は残っているが他に何か痕跡が無いものかと好天に誘われポタリングがてらウロウロしてみた気になったのは近くの用水路の土留めとして使用されていた木だこれは北側の坑口から残土を運びたすために敷かれていたトロッコの枕木のように思える長さ幅厚さともに揃った栗の木で一部に犬釘の穴と思える部分がありその横にはレールの圧痕と思われる凹みもある図書館で見た里山辺地下壕の資料に終戦後半地下工場などの施設を壊して田畑に戻す作業をしたとあり使われていた資材を盗んだというような記述を見た当然枕木も流用されたことでしょう近くの用水路にも橋として同じ木が使われていました地下工場の痕跡

  • 半地下工場

    松本市中央図書館にあった里山辺の戦時中の半地下工場の写真場所はすぐに分かったその場所は今では家が建ち田畑になっている左端にある小さな屋根は今でもその場にある石仏を覆うものだろう遠景の山の形だけは変わらない半地下工場

  • 辰野町のめがね橋

    辰野町の国道153号線沿いに出べそのように残っている旧道の下にあるめがね橋。以前来た時には水があって中に入るのを諦めたが今回は水がなく探訪することができた。辰野町のめがね橋国道153号線辰野町の登録有形文化財めがね橋を探訪。youtube#video 辰野町のめがね橋

  • 中山道:須原宿

    長野県内の中山道の宿場は全て撮影終了冬場はボチボチ編集作業しかしビデオの撮り方がイマイチだなぁ中山道を行く39:須原宿Nakasendou:Suharajyuku江戸から39番目の須原宿は宿場の特色が良く残り街道沿いの用水路や水舟が良い雰囲気です。youtube#video中山道:須原宿

  • 中山道を行く

    YouTubeも塩名田宿から本山宿までアップ奈良井宿や馬籠、妻籠みたいなメジャーな観光宿場は別にしてマイナーなところは次第に昔の建物も取り壊されて面影が薄れていくのでしょう中山道を行く:塩名田宿中山道を行く

  • 中山道を行く

    今まで自転車で走った中山道今度は動画にしてみようと手始めに長久保宿と和田宿数年ぶりに訪れてみると新たな発見もあって面白いです視点がカメラ目線になりつつあるかな?中山道を行く:長久保宿中山道を行く:和田宿中山道を行く

  • 倉本のつり橋

    以前にも訪れた倉本の吊り橋の動画を撮ってきましたこの手のものは近い将来なくなっちゃうんでしょうね橋のある倉本の立町という中央アルプスからの湧水湧き出る集落もこじんまりした良い雰囲気でした動画↓木曽川のレトロな吊り橋倉本のつり橋

  • 「寅次郎純情詩集」の別所温泉

    時々観たくなる寅さんシリーズ久々に「寅次郎純情詩集」を観たそうだ三才山トンネルも無料化になったことだし別所温泉へ行って当時の風景と今を見比べてみようそんなわけでロケ地巡りです。前山寺であんパンをかじるシーン坂東鶴八郎一座が芝居小屋を掛けた北向き観音境内古刹は時が止まってそのままよく出てくる北向観音参道入り口の土産物屋ますやさん建物は健在だけど廃業したようでシャッターが閉じられ2階の障子は破れたままだ寅さんが泊まったその向かいのいづみや旅館は土産物屋になった後これも廃業したらしく看板が塗りつぶされシャッターが下りていた駅舎は当時の雰囲気を残しているががもちろん改装されたり周りの風景は変わってきているプラットホームも直されていた映画が公開されたのは昭和51年この年にはほかにどんな出来事があったか調べてみるとどん兵衛...「寅次郎純情詩集」の別所温泉

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